快賊日記「funnyface」

2005年09月30日(金) 夏模様

夏の終わりを風が空が空気が、そして季節が
次の訪れを教えてくれる。
誰かのブーツや腕を包む長袖。
目を楽しませてくれる小道に咲いた
コスモス。夏は静かにその幕を閉じていく。
なぜか夏の終わりは寂しくて。
静かに音を立てる線香花火。
その小さな光が目に痛くて。
季節は巡る。日本は美しい四季に彩られた国。
だからどの季節も美しさと楽しさと
興奮と緊張をもたらしてくれる。
だけどどうしてだろう。夏だけは終わりが
寂しくて仕方がない。
遠くの、感じるはずもない夏らしさの一瞬に
その終わりを感じて空気を吸って、切なくなる。
ガチャリと扉を閉めるように夏は終わる。
そしてまた来年力強く扉を明けるように
夏は来る。寂しくなってる暇もないくらい
きっとそれはあっという間。
余韻はきっと次の季節への掛け橋なのだろう。



2005年09月23日(金) 命の泉

生命の誕生は奇跡なのだと
子供の頃から聞かされていた。
だからなのか、命に対する思いと
いうものがとても深い方だと思う。
というか、それが当たり前だと思ってた。
でも自ら命を捨てる人もいる。
簡単に人の命を奪う人もいる。
なぜだろう。それでも必死で生きてる人が
必ずそばにいるはずなのに。
小さな、とても小さな私の命もとても大切
なんだと私の愛する人たちは教えてくれる。
常に戦争の中に生きる人々にも愛する人はいて
その命を守りたいと思って生きているはずなのに、
どうして戦争はなくならないのだろう。
数え切れない程の子供達の命を奪っても終わらない。
たとえ命が続いても笑顔をなくしてしまう。
体の一部をなくしてしまう。それでも必死で生きて
そして彼等は自力で笑顔を取り戻す。
間違った社会の被害者である彼等は、将来の夢を
聞かれれば人の役に立つ仕事につきたいという。
彼らの強さに負けない社会を作りたい。
命よりも子供達の笑顔よりも、戦いをし己の宗教や
主張を誇示する方が大事なのだろうか。
命よりも大切な事なんかあるのだろうか。
胸を強く強く握り締め、己の鼓動を確かめ安心する
事がどれ程の思いなのか。
世界中の人に思い出してほしいと心からそう思う。



2005年09月21日(水) いつか

どんなに時が経っても忘れられない思いがある。
離れない思いがある。
痛みも悲しみも切なさも、いくつになっても
同じように胸にこみ上げる。
ふとした時に思い出せば泣けてくる。
いくつになったって変わらない。
和らぐ事もない。
どんなに時を繰り返しても薄れる事はなく。
歳を重ねても溢れる思いも同じなのに。
それなのに。そんな思いすら時は簡単にさらい
そして弄ぶように流れてく。
両手を合わせ体を抱きしめるように
いつか時の流れを抱きしめて、
そこに残った思いを残さず閉じ込める事が
出来るのだろうか。
今はただ、今日が過ぎる事を感じながら生きるだけ。
ただようように。時を泳ぐように。



2005年09月17日(土) 急がば回れ

忙しすぎる毎日が続くと逆に
何も出来なくて、話にならないですね。
あれもこれもとよくばって忙しくしてても
体が追いつかなきゃ、結局時間は
倍かかってしまうもの。
急がば回れというのはよく言ったもの。
一日が24時間じゃなかったらうまくいくのかな。
48時間あったら…何だか簡単に衰退しそう。
時間に追われるのは人間だけなのだと思うけど、
無駄にしているのもきっと人間だけなのだろう。
バランスよくなんて全然出来ないし、
一生出来ない自信もあったりして。
いつか歳を取って今よりずっと時間が長く感じられる
ような生活を送るようになったら、
今を懐かしく感じるのだろうか?
子供の頃は時間が山程あった気がする。
田舎に育った私は、実家にたまに帰るとすごく
時間がゆっくり流れてるように感じる。
東京は瞬く間に一日が終わって行くのに…なんて、
ただ単にゆっくりしに帰ってるからそう感じる
だけなのかもしれないけど。
もう少し。もう少し頑張れたらまたゆっくりしに
帰ろう。時間はそう簡単になくなったりしないはず。
刻むスピードはきっと自分次第。



2005年09月15日(木) 小さい秋

9月も半分を過ぎると秋らしさが
伺えます。今日はほんのり涼しい感じ。
いつもはもっと残暑が厳しい気が
しますが、今年は秋になるのが
早いのでしょうか?
この時期は天気がよかったり曇ったり
風がいきなり強く吹いたと思ったら
また夏に逆戻りしたかのような
日差しに見舞われたり。
ちょっと自然の暴走に追いつけない感じです。
そして簡単に身体を壊したり風邪を引いたり
します。何だかんだと自然には勝てない
ように出来てるのでしょうか。
心地良い秋が来たら、また自然は私たちの
目を楽しませてくれる。
小さな綺麗な色の花が咲いたり、紅葉に葉が美しく
揺れたり。あまりゆっくりそういうのに携われない
日々を送っている人がほとんどで、私も結局毎日
忙しい忙しいといっては、友達と今年こそ紅葉見に
温泉旅行に行こうという約束を何年も反故に
している。でも行きたい気持ちは嘘じゃなく。
来年こそは一緒に行こうと送ってくれる写真に
元気付けられてるのも本当で。
今年もきっと道端で小さい秋をみつけるだけに
留まるのだろうけど、いつかきっとと思いながら
頑張って毎日を過ごしてる。それはきっと皆。



2005年09月11日(日) 歴史の終わり

衆議院選挙の投票に行ってきました。
土砂降りの中の投票になってしまいました。
荒れ狂う雨にもまれ、追い越していった車に
水しぶきを跳ね上げられ、ちょっと嫌な気分になって
空を見上げた。そうだ、今日は9月11日だった。
奇しくも4年前のあの日と同じ日。
何だか政治的な匂いを感じずにはいられない
月日になってしまったような気がします。
創り上げ壊し、混迷の時を過ごし救世主が現れ
また創り始める。人の歴史とは同じ事の
繰り返しみたいです。
いつの時代も戦いがあり、平和を求める声がある。
どこの時代をどう切り取っても、例えばその時代時代に
求める自由が違っていたとしても、争いなき生を求める
気持ちは同じだと思う。同時に戦わずにはいられない
生き物だという事も同じなのだろうか。
いつか遠い未来に私たち人間という生命体も滅ぶとして。
今している事にその更に先の未来にどのような
足跡を残すというのだろう。
地球という星に生まれた生命体の中で、歴史を刻む
一つに過ぎないというのに。知的生命体という歴史を刻む。
戦いは更にその中の僅かな歴史に過ぎないはず。
遥かに大きく重いのはその歴史を作り出す小さな存在である
私達一人一人なのだと、皆が知っていれば何かが変わるの
だろうか。めぐる時代に歴史は生まれる。
争いのない歴史も刻めるのだろうか。



2005年09月08日(木) 英雄に憧れて

いつだって大丈夫だといえる人。
いくつになってもまだまだだからと
笑い、優しい言葉をかけてくれる。
その声を聞くと泣きたくなるのは
なぜだろう。
いつでも支えてくれる。私には大きすぎる人。
背中はもう決して追いつけないと知っている。
その広い背中は雄弁に語る。
生きていたその厳しい道を。
それなのに同じくらい雄弁に語る。
その優しさを。
何をしても、いや何一つまだ出来ていない私が
何かを返したいと思ったとして。
そう思う事が思い上がりなのだと暖かい声に
知らされ、また泣きたくなる。
いつまでも頼っていていいのかもしれない。
ちゃんと大人になって成長して安心もさせたいけど、
それでもいつまでも変わらない関係でいいのかも
しれない。越えられない大好きな人。
私にとって尊敬という言葉では足り無すぎる人。
私にとってたった一人の永遠の人。
英雄とは永遠に枯れない人の事だろう。



2005年09月07日(水) 少年時代

人が人を思う気持ちというのは
とても大切。
優しい声を聞いて切なくなったり、
突き放されれば苦しくなったり。
今更ながらに駄目な自分に気づかされる
のも、やっぱり大切な人からだったりする。
そしてその思いは決して無駄ではなく。
悩んだり苦しんだりした分だけ
きっと大人になれるのだろうと思う。
今は辛い日が続いても、自分を支える何かは
必ずあるはず。
それはくだらないプライドかもしれない。
意地だったり負けん気だったりするかも。
でももしかしたら純粋に成長したいと
思う心かもしれない。
そしてそばで笑う仲間や兄弟や両親の
存在かもしれない。
過ぎて行く過去は、落ち葉が舞い散るように
はかなく愛しく綺麗で。
私達は一歩一歩愚かな自分と向き合う事で
やっと成長して大人になっていくんだと
思う。誰でも恋をしたり悩んだりして
遠く遠く…目指す先の希望の明日へ
真っ直ぐに進んで行くのだと思う。



2005年09月05日(月) コール。

なじんだ人の声は落ち着くもの。
暖かく優しく耳に響き、
いつだって体を心配し。
笑顔を思い出させ、会いたいと言ってくれる
言葉は本物。
なじんだ人のメッセージは嬉しいもの。
手紙でもメールでも、それは同じく。
会える日を心待ちにしてくれ、何度も待ち合わせの
確認を取る。
その日何をしようなんて、とっくに決めてる
はずなのに。何度も同じ事で笑いあう。
いつだってどんな時だって、支えられて生きている。
大切なものは永遠に変わらない。



2005年09月03日(土) 笑う

何かに打ち込むというのはとても
素晴らしい事であり大切な事であり、
また便利な事でもあるなと思う。
没頭していると余計な事を考えずにすむとか
そういう便利さがある。
とはいえ、24時間中それに携わっている
時間はほんの一時で。
少々鬱陶しい気分が続く日々。
自分以外の誰かの苦痛も受け持って
しまったりする。
でも、と思う。
冗談半分に不満を吐き出している自分を
救うかのように、同じ思いを抱えてくれる
人が近くにいたりする。
驚くほど近い意識と感覚を持って
自分の思いを代弁してくれる人がいる。
不満や痛みや怒りは、代弁してくれる
人間によって半減される。浄化される。
口走ってしまった八つ当たりまで飲み込むように。
一人で生きているわけではないのだと、改めて思わされる。
でも、と思う瞬間。私は吐き出すように深く
息をつき、少し笑った。



2005年09月01日(木) 秋によせて

9月になりました。もう秋なんですね。
まだまだ暑い日が続きます。
というか、これからが怖い暑さの連続
かもしれません。残暑が厳しそうです。
しかし、9月は秋です。二学期の始まりです。
何かとイベントの多い秋。祝日も多いですかね?
食欲の秋・読書の秋・スポーツの秋。芸術の秋。
どれもとても魅力的な言葉ですが、
最近秋にゆっくりした覚えがありません。
まぁ、一年中ドタバタしてますが。
秋はなおの事忙しい。
なので何とかの秋、ってのを堪能した覚えが
最近ほぼ皆無。ああ、大忙しの秋って感じなら
毎年のように実感してますが。
夏の厳しさに何かが始まるようなそんな高揚した
気分を味わいながら、それでも私達は秋に動き出す。
夏に準備をしてる感じです。
秋を待って咲く花のように。草木が色づき紅葉を向かえるように。
実りの多い秋。私も慌てずゆっくり、でも確かに。
一つずつ大切に、夢の実を大きく大きく育てて行きたい。


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