快賊日記「funnyface」

2005年04月30日(土) 空と大地の間

だいぶ暖かくなって、初夏を感じられるように
なりました。
夏の匂いがかすかにするこういう季節は
少し不安定な気持ちになります。
季節の変化に少し戸惑っているのかもしれません。
懐かしいような切ないような気持ちになって
自分の中に生まれるたわいもない思いを
もてあましたりする。私の頭の中だけにある
果てしない思い。それをいくら考えても
何一つ答えは出ない。いろんな事を考えて
堂堂巡りになって、通りかかる人の事まで
考えて。私の中だけの思いなのだから別に必要ないのに
言い訳まで考えて。それは殊更必要のない想いだったり。
いろんな事を思って収集がつかなくなって、
それからどうしたらいいんだろう。どれだけ考えれば
自分の思う通りの道を歩めるのだろう。例えば今私より
生に行き詰まっている人がいたとして、私はその人より
何が上回っているのだろう。何が悪くて成功していると
思われる人より劣っているのだろう。そんなつまらない事を
考えても結局行き着く先は同じで。
不安定な思いの時だけのこの思い。今だけの事。
青い空を見上げれば消える迷い。
大海を臨む事が使命だと分かって空を見上げれば、今日もまた青い。




−東京の空−マモナクセイテン




2005年04月26日(火) 4.25の慟哭

人の命を預かる仕事というのは
とても大変だと思う。
責任も重大で、ほんのちょっとの過失が
そのまま人の死に繋がってしまう。
だからこそいつでも神経を敏感に
していなければいけない。
最初からそんな風に分かっていなくても
仕事を続けていくうちに覚えていったり。
とにかく仕事上人の命を預かるという職業が
世の中にはたくさんあって。でもだからといって
そういった職業に就いた人が全員立派な人でも
なく。もともと立派でなくていいと思う。
でもいつでも自分は人の命を預かっているのだと
思って仕事をしていく事で立派になって
いくのだと思う。天災には敵わないというけど、
ならば人災で大事な人の命を奪われてしまったら
人はどうやってその悲しみを乗り越えていけばいいのだろう。
恨んでも怒ってもその人は帰ってこず。
事故になって亡くなってしまったというのではなく
殺されたと認識してしまう。そういう思いは
強く深く心に残る。残された事がもう被害者なのに
自分だけ残ってしまったと被害者の人が加害者の
気持ちになって自分を責めてしまったり。
遠い町に住む私にさえあまりに衝撃的でTVを通した
涙も伝染する。どうかこの先同じ事が起きないように。
過失。字で書けば短く簡単なこの文字があまりに
多くの悲しみを呼んでしまう。
今はただその痛みが早く早く和らぐよう祈るばかり…。



2005年04月19日(火) 今日。

私は割と単純な人間で、ほんの些細な事で
ご機嫌になったりする。
それはちょっとした優しさだったり、
上手く伝わらないけど何かを伝えようとしてくれてる
メールが届いたり、そういった事だったりする。
仕事柄友達が出来てもなかな永遠を誓えなかったりする。
今大好きで気が合って、ずっと友達でいようと
約束しても、半年後にはもう過去の事になる
事もしばしば。でも今思っている気持ちは
本当で、その気持ちがとても大事で
そう思わせてくれる人と出会えた事が嬉しく、
そう思える自分も好きだなと思う。
昔に比べてずいぶんと素直になってる。
痛みに慣れてきてるのかもしれない。
そういう痛みも愛しいと思えるようになってるのかも。
遠い未来に、あんな話をしたと思い出すまで、
とりあえずは今そこにいられる事を素直に
受け入れ、大事にしていこうと思う。



2005年04月15日(金) ありふれた日常

飽きる事なく見続けるものがある。
自然と対話出来るとは思っていないけど、
そういったものが好きです。
昔からそうなのか、年を重ねて喧騒から逃れたい病が
発生しているのか分からないけど?
草木や動物の美しさに足を止める事がよくある。
何と言うかすっきりとした無駄のなさがいいのかも
しれない。強さとか潔さをそれらから探し当てている
のかもしれない。本当のそういったものは自分であり
他人である、人から見出すものだとは思うけど。
分かってなお見続けるのは単純に好きで綺麗だから。
いつもの帰り道、横切る野良猫。こんな所にも
いたんだと笑顔になる。一つ遠回りすれば夜道に鮮やかな
花の群れ。知らなかった日常で溢れてる。
当たり前の日常があって、明日が来る。
日々は無駄なくつつがなく…。




−自宅玄関前−アメニウタレテナオウツクシク



2005年04月12日(火) 旅人

長い長い旅をするように、人は生きているのだろう。
見知らぬ国を旅するように、憧れの地へ赴くように
人の生きる道とは旅する事なのだろう。
永遠の旅人もやがて拠る場所を見つける。
同じように生きる旅にも終わりは訪れる。
その時に見たい景色がある。
思い出す場所がきっとある。
それはきっととっても幸せな事。
その為に見果てぬ夢を見、旅を続けるのだろう。
拠る所はまだない。私の旅はまだ終わりを告げてない。
知らぬ大地が存在する限り、そこを求め
そこを目指し、一歩ずつ前へと進む。
旅を続ける。水が流れるように、当たり前に。




−見知らぬ国の大地より−ヒトノヨハミズノナガルルガゴトク



2005年04月09日(土) Like a...

ふとした時、胸を締め付けるような痛みがある。
それは本当に何でもない時に起きたりする。
長くもない。けど、そう短くもない人生の中で
何かを感じ、その記憶がそういう気持ちにさせるのかもしれない。
どうすれば辛くない生き方が出来るのだろう。
出来るだけ痛みが少なく。切ない気持ちや悲しい気持ちが
ちょっとの方がいい。それなのに思いも寄らない時に
ふと切なさが心を占めてしまう。
生きるのは苦しみを意味するのだと思う。
それは決して絶望からの答えではなく。
だからこそ必死で生きているんだと思う。
辛い思いがあるからこそそれを乗り切れるだけの
何かをつかみたいのだと思う。
例えばこんな考えに頭が支配されていても、夜空を彩る
桜を見上げれば目を細めてしまう。
花のように凛と生きたいと思う。咲き誇り散ってしまう花。
冬を越え次の春に咲くことが出来なくてもそれでもいい。
強く強くありたいと、そう思う。



−桜並木の夜の道にて−



2005年04月06日(水) nothing

どうしても乗り越えなければいけない壁がある。
思い込み・自信・培ってきた経験・恐れ・不安…。
乗り越えられない要素を上げればきりはなく。
それはとりもなおさず、全てが自分との闘いで。
今まで生きてきた生き方さえ見直さなければ
乗り越えられない壁もある。
どう越えるか。そしてどれほど越えたいと願うか。
越えられない壁など決してないと思う。
人は必ずそう生きて行くものだから。
春の優しい日差しに生きる場所を間違わず違わずに
生まれて来る命。何度でも生まれ変わることが出来るのだと
その姿に教えられる。越えられないものなど絶対にない。




−自宅隣の大木の下より−




2005年04月01日(金) 海を臨んで

まだ寒かった日です。今よりずっと寒かった日。
その日に誓った事はもちろんちゃんと覚えてる。
ついこの間のようで、ずっと前のようでもある出来事。
寒かったけどとても心の温まる日だった。
毎年必ず誓いを立てる。叶うかどうか分からない夢も
一緒に海へと呟く。足元ギリギリまで寄せてくる波に
その思いは切り取られて遠く遠く果てしなく。
春を覚える少し前の出来事。




−千葉県某所の海にて−










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