快賊日記「funnyface」

2004年11月15日(月) 情熱

暫くぶりの日記です。
当分はここには来れないかなぁと思います。
もうすぐ本番なので、そっちにかかりきりに
なってしまいますからね。
今はもうただがむしゃらで。必死で。
毎日毎日一つでも上に行きたいと思ってる。
毎日毎日違う自分の何かを発見出来たら。
ただひたすらに一つの事だけを追い求める。
そんな時があっていいのだと思います。
ただただ自分の中に育つ情熱というものを
形にして必死に表現して。
そういう気持ちを大切したいと思う。
少しずつ大人になって、恥も知って。
でもどんな時でも何をしてても自分は自分だし
譲れないものはたったの一つで、それがとても大切で。
そうやって今を生きるのが、今自分に出来る事なのだと。
そうやって時々自分で自分に言い聞かせて生きてます。



2004年11月08日(月) 元気の素

人間ていうのは勝手なもので、
好きなように落ち込んだり元気になったり
しますね。落ちてた理由もわからないくらい、
今は元気…とか、そういう事よくあります。
週が変わったら元気になってて、落ちてる週だった
みたいとか勝手な事を言ってみたり。
元気になる方法や理由は回りを見回せば
いたる所にあったりする。
自分じゃない誰かの頑張りを見てるだけで、
泣くほど嬉しくなって元気になれたりする。
情緒不安定みたいな感じ。
愛しいもののその存在だけで、元気になれたりも
する。かえって落ちてた理由を探すのが面倒なくらい。
どこかでもやもやして、はっきりしない自分がいて。
誰がどう手を差し伸べてくれても駄目な時。
いっそ消えてなくなったものだと思ってくれとか
思ったり思わなかったり。
大変我侭です。ふぅーっと大きく息を吐いて
全部なかった事にしてしまう。
謝ったり大丈夫といってみたって
過ぎた事。とにかく元気になったのはきっと
すぐわかるんだから。
そしてそれならいいと笑ってくれる相手がいるのだから。
そうなったら今度はとっても強くて逞しくて
迷惑なくらい前に進もうとする自分がいて。
やっぱり我侭だなと思うけど。
人に寄りかかったり寄りかかられたりして生きてる
私達は、きっとそういうので互いに大事な人だと
分かり合ったりする時もあるのだろうと思う。
でもでもやっぱりこれって我侭な思い方だなぁ…。



2004年11月07日(日) 請う

上手くいかない事の前に、誰かを責めながら
本当は自分に責められている。
落ちて行く気持ちと熱くなる思いは同居するのだな
なんて、ぼんやり考えて。ため息は何の解決にもならない。
誰が自分を一番信じてくれるなんて、
わかりきった答えの前に怖気づいている。
自分以外の誰でもないのに。
初めての感動も興奮も勇気も希望も。
そして挫折も涙も悲しみも。
全部自分だけが全てを見てて全てを知っている。
自分が自分を信じられなくなったら、
この足掻いてももがいても消えてなくならない
情熱はどうやって消化するつもりなのだろう。
そんなはずはない。自分だけが知ってるんだ。
先ず最初の味方はいつだって自分のはず。
誰よりも甘やかしてくれて誰よりも厳しく
教えてくれる。
自分は自分自身の教え子であって教師であるはず。
駄目になるはずなんてないんだ。
自分が自分の全てを見ている。
曖昧な事なんて一つも存在しない。



2004年11月02日(火) 空洞

人とどう接していいのか分からない
時があります。
よく知る友達でさえ、時にひどく他人に思えたり。
誰が無条件で愛して無条件で守ってくれるだろう。
家族のほかにそんな人はきっといないと思う。
それでも人はそれを求める。
それが正しい事なのか正しくない事なのか。
私には分からないけど。
人を無条件で信じるのはそう容易くなくて。
だからそういうのを求めるのも同じと思う。
自分がいる小さな小さな世界を守るだけで
精一杯な私は、そこでいろんな事を
考えて生きている。
接する相手がどう思っているかなんて、
そんなの全ては当然分からなくて。
急に全部を投げ出したくなる事があるけど、
だからこそ面白いのだと思う時もある。
全ての人に愛を求める程子供ではないし、
与えられなくて許せない程ガキでもない。
自分が持ってる少しいい加減な気持ちと
同等のものを他人も持っていると思うし、
そういうのがいいのだと思ったりもする。
いつだって越えるべきものは闘えなくなる程
鮮明に残っている幼い頃の記憶だったりする。
今はまだ大丈夫。そう思ってずっと、この先も。



2004年11月01日(月) 孤独

考える時間がありすぎるというのも
よかったり悪かったりするのものなのか。
考えが内へ内へ向かって行くのは
あまりよくない状況かもしれない。
神経がとがって、少し語気が強くなってしまう。
勘が強くなりすぎて、感情が高ぶり安くなる。
そんな時はどうか気を静めさせて。
そうでないと、自分の本性さえも疑いたくなってしまう。
荒げた声や突き刺さる言葉は本当は必要ないもの。
誰でも孤独を感じずにはいられない。
大事で尊い孤独だって確かに存在するし。
それを大切に育てる事で己を保つ者もいる。
隣で悲痛な声を上げる人は、確かに自分より大人に
なってる気がして。
全ての時間も全ての感情もそして全ての己を分け合う
事は出来ないけれど。
その全てを捧げる事はとても強く、そして当たり前の
事なのだと、分かる。
この感情から発せられる言葉が、言えない心や
例えば己自身にわだかまりが残ってたとしても。
それらが全て本心であって伝えるべき人間がそこに
いるのなら、それは全て無駄ではないのかもしれない。
後に残る虚無感でさえも、いつかは愛しいものとなるのかも
しれない。だから人は言葉を人に伝えてしまうのだろう。


 < 過去  INDEX  未来 >


快賊船 [HOMEPAGE]

My追加