衛澤のどーでもよさげ。
2007年09月29日(土) がんばってるんだ!

某ドーナツ専門店の店頭で見つけて、思わず買ってきてしまったのが下の写真の品。

がんばってるだろ?

「商品としては駄目」なのだろうけれど、何とかかたちになろうとしているこれをつくった人はきっと新人で、まだ不慣れな工程を一生懸命がんばってここまで仕上げたのだと考えると「がんばれ!」という気持ちになり、愛しささえ感じたのでした。
買って帰宅するとまぶしてある黒糖が空気中の水分を吸ってちょっとへたった感じになってしまっていたところがまた応援したくなる要素二割増しと言いますか。

私はいつも努力する人を応援します。このドーナツには努力の跡が見えますよ。


【今日の強奪】
ああっ、猫がおはぎを!

2007年09月28日(金) 赤ひげは幻影?

いまでも「診てやっている」つもりでいる医者というのはいるのだな、と再確認させてくれる医者と喋った。あれは「話した」とは言わない。医者の方に話す心づもりなどなさそうだったから。

当該疾病について「理解している」と言っていたが、ほんとうに理解しているのか疑わしい。もしも疾病について理解しているのだとしてもその疾病に悩む患者については理解していない。そうでなければ患者に苦痛を与える診察はしないはずだ。

ぼくも傷つけられた。ぼくの友人も傷つけられた。でも目には見えない傷だから幾ら訴えてみても傷つけた医者は傷つけたことを認めない。
「医療」と「医療ではないこと」との線引きのために患者を傷つける。医者っていったい何なのだろうね。

いい医者は沢山いるのに、たった一人の「診てやっている」つもりの医者のために、医者の評判がまた落ちる。


【今日の気晴らし】
気重になったときは、旨いものを喰って、よく眠ろう。

2007年09月25日(火) 回顧録ではなく。

問1)

・君
・僕
・星
・宇宙
・大地(もしくは地球)
・愛(もしくは愛する[動])

以上の語句をすべてにつき一回以上用いて、小室みつ子の語彙とTMネットワークの世界観を鑑みた上で、既存の小室哲哉作の曲に合うように詞を書き、TMネットワークの新曲を完成させよ。
(   点/100点満点・減点法)


【今日のだんご五個入り】
窓から十五夜の月がばっちり。

2007年09月23日(日) GOじゃス。

ケン○ッキーフライドチキンを食った後に残る骨。
これをゆでて出汁を取り、一度冷やして固まった脂を取り除いた後、再び火を入れて野菜とカレールウを投入。何となくゴージャスな味わいのカレーができた。カレールウの量を少なくするとカレーそばの出汁にもできるよ。うどんの場合はとろみが少しあった方がいいかもね。

肉と骨で二度おいしかった。もうカレーをつくり置きしておいても大丈夫な季候になってきたよ。
入れた野菜が「筑前煮セット」だったが気にするな。


【今日のたまの休日】
掃除と洗濯以外、何をしていいのか判らぬまま日暮れ。

2007年09月22日(土) あああきだ。

かなり久し振りにスーパーマーケットで買いものをしました。このところずっと仕事場がファストフード店だったりファミリーレストランだったりしたので、食事はこと足りていました。食事が足りていたらスーパーマーケットはほとんど行かなくて済むのですね。

久々に行ったスーパーマーケットで見つけたのは、腹が太くて皮の下にはぴっちり脂肪がついていそうな旬の魚、秋刀魚。ああ、もうそんな季節だね、とか、まるで私のようだ、とか、考えつつ一匹購入しました。

そのときに撮影したポップがこれ。

ひゃひゃひゃ。

こういう愉快なポップをつくる人にははなまるをあげよう。顔を合わせることがあったらぜひ油性マジックで頬にはなまるを描いて差し上げたい。ひゃひゃひゃ。


【今日の捕りもの】
同居猫がなおなお鳴いてどたばた。すわ不審者か、と確認に行ったら「ゴ」を捕獲中だった。

2007年09月21日(金) まったく。

今日も今日とて外食仕事。今日の仕事先はハンバーガーショップです。「ハンバーガー」という文字列を見ただけで三年前の仕事のすべてが頭の中に走馬灯ですが、最近その話ばかりなのでそれは横に置いといて。

昼下がりのこと、原稿用紙の桝目をこつこつと万年筆で埋めていた私の隣席に女子高生の群れがやってきました。Mクドナルド名物と言ってもいいのではないかと思うほど、Mクドナルドでは女子高生の群れと甲高いお喋りに遭遇します。価格設定のためでしょうね。
体調がよろしくないときは彼女等の甲高く辺り憚らない喋り声(ありゃ「話し声」じゃない)が聞こえるだけで比喩ではなくほんとうに頭痛がはじまってしまう私ですが、ここのところ調子が整っているようで隣席でぎゃーぎゃー(ありゃ「キャアキャア」なんてかわいいものじゃない)言われても書いていられました。短編小説を一本仕上げましたよ。何て偉い私。

女子高生と言えばアイドルタレントが気になる御年頃。やっぱり「Myojo」なんか鞄から取り出して(もう「明星」じゃないんですよ)この子が好きだあの男は好かぬなどという話題について機関銃のように喋りまくります。
その中で「これ、岡本健一の息子。岡本健一知ってる? うん、ウチのお母さんが好きなんよ」という御話が。どうやら親子でJファンらしい。

ええ、そのような親子は結構多いんですよ。J氏の戦略にはまっている状態の人たちですね。私ももとJヲタクですからよく知っています。
いま? いまの私のJの智識は薄いんですよ。全員のフルネームが言えるのはAが付く五人組までです。 KJ8なんて「8」と言いつつ実は七人というとこr

しかし、岡本健一氏の全盛期と言えば私が高校生だった頃で。ええ、私とそれほど年齢差がないんですのよ岡本氏。それを思うと、自分にも高校生の娘がいてもおかしくないんだな、なんて感慨深く思ったりします。
その一方で、「おれは岡本くんと握手したことがあるんだぞ」などとプチ自慢しそうになったりもして。

そして思います。自分にも「おとなは! まったくおとなは!」と思っていた時期があったな、と。
でもその当時思っていた「おとな」の年令になってみて判ったんですよ。「おとな」と「大人」とは違うということ。「おとな」はおとなではない人たちが思っているほどきちんとしてはいないということ。おとなではない人たちが思うほどきちんとしていては「おとな」なんてやっていられないということ。

だから、おとなではない年令の人たちが「おとなは! まったくおとなは!」と憤っていても、「かわいいなあ」と思ったりしちゃうんですね、最近は。
こどもが不幸なことを「おとながきちんとしていないからだ」なんて言う人たちもいますが、逆でしょう。こどもがおとなに大人を期待しすぎているんです。そして現実を見て勝手に裏切られたと思って憤るんです。そりゃ八ツ当たりってもんです。

でも、こんなことをまだおとなでない年令の人に言っても到底理解はできないから、私は「はいはい、御免なさいね」と言っておくことにしています。「御免なさい」は言って言い過ぎる言葉でもありませんしね。
左様に、私は「まったく」なおとなになりました。でも、なってよかったと思っています。御陰で「おとなは!」と思っていた頃大嫌いだった自分がいまは好きですよ。

でもな。
ぎゃーぎゃー女子高生らしいことをいっぱい喋っていた合間にこちらを見て「何や、おっさんやん!」とか言うのやめれ。ファストフード店で書きものしているのが学生ばかりとは限らないんだぞ。
おっさんがファストフード店で仕事して悪いかよう(つд`*)


【今日のお買い得】
ミ◎ドのリッチドーナツは多少リッチなお味でした。

2007年09月18日(火) 四日後。

自宅近くに大変リーズナブルな価格設定のファミリーレストランがあります。ここで仕事をさせて貰うこと今日で五回め。
入店した途端に

いらっしゃいませ、御一人さまです「ね」?

と訊かれました。四日前に「いつも有難うございます」と言ってくれたのとは別のお姉さんでした。

orz


【今日のDEATH NOTE】
もし入手したら真っ先に書くのは多分自分の名前。……ほら、「持ちものには名前を書きましょう」って小学校で教わりましたでしょ?

2007年09月15日(土) かみねこ。

上半身裸で床の上に転がっていると

同居猫が

乳頭を咬みます。

しかも甘咬みではなく

本気で咬みます。


手を咬まれるより痛いですよ?

2007年09月14日(金) もう?

自宅近くに大変リーズナブルな価格設定のファミリーレストランがあります。ここで仕事をさせて貰うこと今日で四回め。
会計時に

「いつも」有難うございます

と言われてしまいました。もう憶えられた?!

毎回六時間ほど居座っているからか。


【今日の格言っぽく】
大抵のカレー一食分はぼくの二食分である。

2007年09月13日(木) 小さな便利。

このところ仕事が順調で捗っていて、ずっと仕事を、しかも自宅ではない場所でしているものですから、帰宅後は満足感と疲労感でたいしたことができません。

原稿用紙と万年筆さえあれば何とか原稿は書けますが、やはりこれだけでは心許ないものです。そんな訳で昨年とうとう電子辞書を購入しました。電子辞書のいいところは手帳サイズの筐体に国語大辞典も逆引き大辞典も類語辞典も漢和辞典も古語辞典も英和辞典も百科事典も全部入っていてコンパクトに持ち運べることです。おもしろみにかけるのは「頁を繰る」という動作がないことと、「寄り道」できないことです。

電子辞書を購入したので、自宅の外で原稿を書くことに不安がなくなりました。それまでは自宅ではない場所で原稿を書く場合は、何冊も分厚い辞書を持ち歩く訳にもいかないので、不確実な内容を書かざるを得ない場合も出てきて、「帰宅してから調べなければ」と幾つものことを気にかけつつ執筆していましたが、いまは判らないことが出てきたら直ぐに調べられるのでどんどん書き進められます。

もう一ツ、小さな機械を最近導入しました。「Sigmarion3」という携帯端末です。


電子辞書よりも一ト周り大きめですが、搭載機能を考えれば随分コンパクトで扱いやすいものです。
筐体を開くと下のような感じです。


機械に添えられているのは私の手です。成人男性の平均的な大きさの手ですから、比較対象として頂けば機械の大きさがだいたい判るかと思います。
この大きさでフルキイボードが変則的なキイ配列ながら標準搭載されていて、普通サイズのパソコンキイボードと同じように両手のすべての指を使っての入力が可能です。キイが小さいので多少慣れが必要ですが、パソコンが扱えれば直ぐに使えるようになります。

この機械が実に使い勝手がよろしく、今日などは某有名カフェの客席にて杏仁フラペチーノを頂きつつ二時間で原稿用紙二〇枚分を入力。搭載ソフトがスムースに動作するのでストレスもありません。保存データはSDカードを介してパソコンとやり取りできます。

多少高価な買いものでしたが中古で美品でしたし携行するにも便利な大きさと軽快な動作で大変重宝しています。
惜しむらくは、この機械は既に生産中止になっていて、故障したらそれまで、ということです。後継機も開発されていないらしく、大切に使わなければなりません。

さて、電子辞書とSigmarion3で快適に仕事ができるようになったので、現在仕事が愉しくてなりません。トレーニングジムに行きつつ、仕事をしつつ、という毎日ですので、自宅でパソコンをさわる機会も減ってきています。この頁の更新も滞りがちになるかもしれませんが、例年のように季節の変わりめで体調を崩している訳ではありませんので御心配には及びませんことを申し上げておきます。


【今日の居住性】
ファストフード店の客席には大抵すわり心地のよろしくない椅子が使われています。居心地がいいと御客の回転率が悪くなるからです。

2007年09月11日(火) 考えずにはおれんのだが。

遠出をして、映画を観てきた。「ヱヴァンゲリヲン・序」。バスと電車を乗り継いで二時間。そこまで行かないと、地元の映画館では上映していないので。
でも、往復四時間と交通費三〇〇〇円と観賞料一八〇〇円を費やしても、観てよかったとぼくは思った。地元の映画館が時期を遅らせて上映をはじめたら、もう一度正規の料金を支払って観に行くと思う。

ここまでを読んで「そんなにおもしろいと言うなら観に行こう」と思った人は、ちょっと待ってほしい。ぼくはこの映画を万人に勧めるということは、したくない。
もともと、テレビ放映版から「新世紀エヴァンゲリオン」という作品は精神を病んでいたり病みかけていたりの者には危険な作品だった。この作品をきっかけに実際に自らを死に追いやった者がいるのだと精神科医の口から直接聞かされたことがあるし、ぼく自身、テレビ放映版の総まとめとも言うべき「THE END OF EVANGELION」を劇場で観た際に持病のパニック障碍の発作である過呼吸を起こしている。今回の「序」も観終わった際に「はい、大きく呼吸をして……」と自分で唱えなければならないくらいにはなった。

だから、誰にも彼にも「いいから観に行け」なんてとても言えない。

テレビ放映版から「難解である」と言われ、「衒学的である」とされてきた「エヴァンゲリオン」であるが「ヱヴァンゲリヲン」として「REBUILD」された今作もやはり同様である。しかし、比較の対象としていいものかどうか判らないが、大江健三郎作品の難解さと比べればまだ素直だと言えるとぼくは思う。
しかも、今作は前作から一二年を経たからこそ仕上がった「REBUILD」即ち再構築版である。「REMIX」とも「REMAKE」とも違う「REBUILD」は、「再構築」であると同時に「Re:BUILD」、つまり構築若しくは構築することへのレスポンスであるとも解釈し得る。
「一二年も前の作品をいま更焼き直しか」などと観もしないうちから言うのは早計過ぎる。「エヴァンゲリオン」と「ヱヴァンゲリヲン」とは基礎を同じくしながらまったく別の作品であると考えるべきだろう。
それこそが「REBUILD」の意味である。空白の一二年間は再構築のために必要だったのだ。

どのようなかたちであれ、一度けりをつけた作品を再構成することは難しい。それは生まれてから成人するまでを育てた子供を、手が離れて後にもう一度しつけ直そうとするのと似ている。一度手が離れた作品は二度と作者の手には戻らないのだ。だから本来、作者自身が「焼き直し」をすることは不可能である。
それ故、庵野秀明総監督が取った方法は「REBUILD」即ち再構築であったのだと推し量ることができる。別の言葉でこれを端的に表しているのは「換骨奪胎」だろうか。実に巧妙に必要な部分を抜き取り、新しいかたちへと産み直している。

テレビ放映版制作時に最終的に犠牲にせざるを得なかった「画」の部分は、そのときの無念を晴らすかのように存分に手がかけられている。現在のアニメーション界の限界点が提示されているかのようではある。確かにきれいだ。しかし、残念ながらぼくは改めてこう思うに至った。「きれいである」ことと「巧い」ことと「正確である」ことは、それぞれ別のことなのだと。

これは「画」の部分だけではなく、物語の点でも言える。

とても巧くまとまっている物語ではある。しかしぼくは物語を書く人間だから、どうしても物語を書く者としての視点で観てしまい、「画」の部分よりも気になる部分が多かった。
それは、昨今の物語作品の多くがそうであるように、人物の心情を描写でなく台詞で表してしまっていることや、予め提示しておかなければ受け手(観客)が物語の流れを把握するときに困るはずのものを提示していなかったりという部分である。
「わざと」かもしれない。そうであるならその真意を受け手は探る必要がある。「犠牲にせざるを得なかった」のかもしれない。そうであるなら犠牲によって活かされた何かを大切にしなければならない。

「難解である」ことと「不親切である」ことは違う。大抵の物語は難解であっても理解するに必要な道具はすべて物語の中に組み込まれている。そうでなければその物語は破綻していると言える。
そのように、すべてがきちんと構築されているはずの物語を「判らない」と言うのは、「物語に組み込まれた、理解するに必要なものを探し出す」能力や「理解するに必要なもの」を使って「物語を理解する」能力に乏しいと言っているのと同じことだ。作者に文句を言ってはいけない。
逆に、作者も自分が物語に組み込んだ要素によって自分が考えるのと違う解釈をされてしまったとしても、それを決して訂正してはいけないのだ。

というようなことを観終わってからいままでずっと考えているのだが、お読みになってお判りの通り、この考えはまとまってはいない。おそらく、一人で考えていてもまとまりきらないのだろう。
それは、「序」を観るまでのぼくがこれ等のことについて考えるのを休んでいたことからも判る。「自分ではない誰か」が「自分」を構築するためには不可欠なのだ。

取り敢えず、「ヱヴァンゲリヲン」という文字列はタイピングしづらいので何とかならないか、ということと、上映が終わった直後にぼくの傍を通りかかった学生と思しきお嬢さんが「何処が違うのか判らん」と言っていたので「全然違うやろうが!」とグーで殴りたくなったということは、憶え書きとして残しておきたい。

作品表題に付いている「序」とは能や雅楽の構成である「序破急」の第一段階である。続いて「破」、「急」と続くのだが、「破」において早くもテレビ放映版では見られなかった展開が待ち受けている。物語をじっくりつくり込むという点でも時間は必要だが、もしかしたら庵野監督は「序」が受け手の体内で熟成するときを待っているかもしれない、と思った。
「ヱヴァンゲリヲン」は四部構成である。「急」の後には何が待ちかまえているのか。「急」の次も、サービスサービス!(ミサトさんはいつも何をサービスしているのだろう)


【今日の自ら】
ホットマンゴーオレを飲む。アイスの方がおいしかったことよりも同じ値段でホットの方が半量だったことが悔やまれる(氷の分少ない)。

2007年09月10日(月) G系目指して。

先日から通い出したスポーツクラブ内のトレーニングジムは、マシン主体でフリーウエイトはダンベルが一.五キログラム〜二〇キログラムしかありません。ですから、どうしてもマシントレーニングが主体になってきます。
以前通っていたトレーニングジムはフリーウエイトが充実していて、それを中心にトレーニングをしてマシンで補う、という感じでした。いま取り組んでいるメニューとは正逆に近い訳です。

以前のトレーニングジムでの課題の一ツは「如何に腹筋運動を飽きずに効果的に行うか」でした。腹筋に負荷をかけるマシンというものがなかったので、シットアップを回数多く行うか、フリーウエイトで負荷をかけて行うか、その両方を取り入れるか、という選択肢しかありませんでした。
シットアップ、つまり「膝を立てて寝た状態から上体を起こしたり倒したりする運動」は単調で、根気がなくなってきた私は「苦しいから」とか「痛いから」という理由ではなく、途中で飽きてしまってなかなか巧く腹筋を鍛えられずにいました。

が。
いま通っているトレーニングジムには、クランチマシンがあります。簡単に言うと、椅子に腰掛けて、ウエイトに繋がったパッドが胸の前にあるのでそれを上体全部を使って押していくことで腹筋を収縮させる運動をする機械です。
このマシンが割りと愉しい。
一五レップス、つまり一五回繰り返すのがやっとの負荷をかけて一五回を一セットとして運動していますが、飽きずに、かつ筋肉の収縮を巧く意識できる状態でできています。三年間探し続けていた「愉しくできる腹筋運動」がここにありました。

ほぼ三箇月振りに「意識的に筋肉を動かす」ということができたよろこびとともに探し求めていたものに出会えたよろこびをも以てトレーニングしています。


【今日の駄洒落ではなく】
タイに行きタイ。……純粋に観光で。

2007年09月09日(日) そういう季節で。

一昨日のこと、ほぼ一〇年振りくらいに「月見バーガー」を食べました。一〇年ほど前に食べた記憶と比較して格段に旨くなっていて、吃驚しました。およそ一〇年前のぼくは僅かの期間ながらつくる側の立場にもいて、何がどんな順番で挟まっているか、卵はどのように調理するかなどを知っています。だから、そのときのものと現在のものとの異なる部分も概ね判ります。

決定的な違いはベーコンとソースです。ぼくがつくっていた頃はベーコンは挟まっていなくて、ソースは確か特製ソースではなくケチャップとマスタードが一ショットずつだったように記憶しています。この違いが旨さの違いになったのだと勝手に思っています。
非常に旨く感じたので今日もリピート購入しました。折りしも販売開始日から数えてはじめての日曜日のお昼どき。ぼくが行った自宅近所の小さなMクドナルドのカウンタの奥の厨房は、長蛇の列と戦う戦場のようでした。「月見」は人気商品のようです。

注文を通して、番号札を貰って商品待ちをしている間に、厨房を見ていました。そうしていると、一週間ほど前と同じように、三年前に関わった作品の彼奴やこいつがぼくの脳裏に現れて、やけに現実味を帯びて動き出して、ぼくは自分で吃驚しました。彼奴等の声まで聞こえてくるんだもの。
ああ、彼奴等もこんな戦場のような厨房で働いていたんだよなあ。
それを考えると厨房の奥で大量の注文を手足フル回転でこなそうとしているクルーたちに「そんなに慌てなくていいですよー」とか言いたくなったり。客はぼくだけではないし急いでいる客もいるのだろうから言わなかったけど。

「月見」と「チーズ月見」を食べ比べてみましたが、チーズが入っているとベーコンの味が判りづらくなるので、ぼくは「月見」の方が好きです。

えーと、私信です。
昨日九月八日付でメールフォームからお便りくださったあなた。いまも御利用かどうか判らないままに以前教えて頂いていたアドレスに返信を差し上げました。ここを御覧になり、かつ以前のアドレスが生きていればそちらを御確認の上、拙状を御笑覧ください。


【今日のこれは嗜虐?】
久し振りに大胸筋みたいな大きな筋肉が筋肉痛でうれしいのです。運動した翌日だし。

2007年09月08日(土) 驚いたり驚いたり。

過日、スポーツクラブの入会申し込みに行ったものの、入会申込書に馬鹿正直に「鬱病・パニック障碍」と記入したために「書類は一旦お預かりしておいて、内部で相談した上で入会して頂けるかどうかの判断をします」というコメントとともに自動的に入会待機状態になったことをこの頁でちらっと述べました。
「わざわざ書かなくてもよかったのに」と思う自分がいる一方で「たとえコンマ〇一パーセントでもパニック発作を起こす可能性がある限りは予め伝えておくべきだ」と思う自分もいて、最終的に「隠さなくてはいけないことでもないし、入会を断られたら入会金と初月会費として取っておいた金でシットアップベンチとダンベルを買えばいいや」という風に気持ちの整理がつきました。

しかし昨日のことに、スポーツクラブの職員氏から電話がありました。申し込み前に施設案内を御願いしたのですが、その案内を担当してくれた職員氏からです。
「来て頂いてから本を読んで調べたのですが……」と仰る。ぼく一人のために精神神経系医療についての本を読んで勉強してくださったらしい。付け焼き刃と言えばそうだけども、たった一人のためにそうしてくれる職員がいるというそれだけで、「もし入会を断られたとしてもこのスポーツクラブのことは決して悪くは言わない」という気持ちにはなりました。
けれども憂慮は杞憂に終わり、入会は認められたのでした。

という訳で、今日はじめてそのスポーツクラブでトレーニングしてきました。
施設案内して頂いたときにはジムスペースが小さいなあと思っていたのですが、実際に利用してみるとさほど閉塞感もなく、むしろ快適。以前利用していたジムと違って、利用者を放ったらかしにしないので器具の使用方法や体調の具合いなどの相談がいつでもできてよろしいです。
気分よく利用できる上に、経営母体がスーパー銭湯も別所で営業しているので、会員になるだけでそのスーパー銭湯の利用が無制限で無料という特典付き。ぼくと同じ市内にお住まいのみなさんにはお勧めしたい施設です。

いいスポーツクラブだなや、と思いつつ、インストラクターさんに組んで貰った運動プログラムを一ト通りこなして、少しもの足りなかったので「上腕三頭筋の運動をしたいのですが、どのマシンがいいですか」と訊ねてみました。そしたらインストラクターのお姉さんは丁寧に教えてくれたのですが、その中で職業を訊ねられまして、もの書きですと答えたらば結構めずらしいらしくて驚いてくれました。
そこまではよくある話です。「精神病患者」かつ「文筆業」かつ「性同一性障碍」というのは一九六〇年代におけるパンダくらいめずらしいみたいで、この三ツのうちの一ツを言うだけでもめずらしがって貰えます。

しかし、今日驚いてくれた焦点はそことは少しずれていて。
「三頭筋という名前を使って質問してきた利用者ははじめて。医者かと思った」というインストラクターのお姉さんのコメント。
えええ?
だって、ぼくが今日、利用したのはマシンジムですよ。利用者のみなさんは筋肉トレーニングをしに来るんでしょ? 老人にもかかわらずマッチョな人とかいるでしょ? そういう人は筋肉マニアですよ。きっとみなさん御存知ですよ。上腕三頭筋なんてヒラメ筋と比べたらとってもメジャーな筋肉じゃありませんか。

と、久し振りのトレーニングと一緒にちょっとめずらしい驚きも体験してきたのでした。
そうだ。
トレッドミル(ランニングマシン)の前には大きな窓があって、そこからはプールが見えます。そこで有酸素運動しているときに見ました。プライベートレッスンの現場を。
赤裸々でした。先生も生徒もとっても日焼けしていて(違)。


【今日のもう一ツ吃驚】
体組成計でいろいろ調べて貰ったら、身体年令が何と五〇歳。 orz

2007年09月05日(水) 私的な。

転居して、以前通っていたトレーニングジムが遠くなったので、近隣に適当な運動施設がないか探したところ、最寄り駅近くにスポーツクラブがあったので仕事のついでに入会手続きに行ってきました。
入会申込書を提出したものの馬鹿正直に持病(鬱病)を記入したので、それを理由に入会を断られるかもしれない危機ですが、それよりも入会案内と一緒に貰ったスタジオルームスケジュールのこれ(写真)が取り敢えず気になって余計な妄想をしています。

私的講習

だって月会費のほかにお金取るんですよ?


【今日の気が付けば】
必要な買いものをしたら合計一〇キログラム以上に。それを運んだ自分よりも耐えきった買い物カゴやナイロン袋の強度に吃驚。

2007年09月04日(火) まあ、こんな訳で。

自宅では仕事ができないのです。

邪魔猫



【今日の一杯】
アルコールを受けつけない体質だが酒肴が好きな私は、ペ○シコーラで一杯やってます。

2007年09月03日(月) 遠慮なさらず。

たのしいときに「たのしい」って言わなくて、いつ言うんだ?
たのしいときくらい「たのしい」って言って御覧なさいよ。もっとたのしくなるから。
言った人だけじゃなくて聞いた人もたのしくなるって、知ってた?
稀れに気分を悪くする人もいるけどね、そういう人はきっと何か理由があって荒んでいるんだから、治るまでそっとしておいてあげればいいじゃないの。

それからね。
「たのしい」って言葉は誰が使ってもいいんだよ。
「たのしい」なんて自分には贅沢だ、なんて、そう思う方が贅沢なんだと思うが、どだ?


【今日の久々に見たい】
いつ終わったんだろう「おはよう!ゲートボール」。一時は毎週見てたんだけどなー。

2007年09月02日(日) 庭にはニワさんが。

先月はじめに庭を掘り起こして、スイートバジルの苗を植えた。その後「毎朝一回だけ水をやる」ということだけしかしていなかったが、スイートバジルはすくすくと成長。早く葉を摘んでやらなければ大きくなりすぎて育たなくなるというところまで育った。

いろいろ料理に使うつもりだったが、あまりの暑さに調理する気が失せてしまったり仕事のために外食する機会が増えたりで、なかなか使えなかった。しかし、先日インターネットカフェに自発的に缶詰になった結果、大口の仕事が何とか一段落ついたので、ハムを仕込むことにした。要は肉の塩漬けである。

スイートバジルを植えたばかりの頃に一度、豚肉を使って拵えてみたらとても旨かった。でも脂が気になったので、今回は鶏胸肉を使って仕込んでみた。肉の重量の一割程度の塩を擦り込んで三日間ほど冷蔵庫内に放置。それからゆでる。これだけでなかなか旨いハムができる。塩と一緒にバジルを擦り込んでおいたり、茹でるときにバジルも入れたりするといい香りがつく。
但し、塩は塩化ナトリウム九九パーセントの精製塩では旨くできない。

それを仕込んだ後、パセリとローズマリーの株を手に入れたので、早速植えた。

あまり趣きがない庭

香草の類いはやたらと生命力が強いので、少々世話を怠っても勝手に生き延びるらしい。特にパセリなどは駆逐してもしきれないほど強いという。
という智識を、私は川原泉女史の「パセリを摘みに」という作品で学んだ。
しかしまあ、趣きも美的感覚も一切ない植え方だこと。冬を越したら紫蘇など植えてみたいと考えている。

さて、昨日まる一日休ませていただいたので今日はちょっと寝坊させて貰うだけにして、自発缶詰でデータ化した原稿の校正作業をやろうと予定していたのだが、「さあやるぞ」と印刷原稿を開いた途端に別件が舞い込んだ。だいたいにしてこういうものはタイミングよく本業の邪魔をしてくれるものである。それが判っているつもりでいるからあまり困ってはいない。
だがよく考えてみると、わしって金になる仕事とならない仕事を半々くらいの割合でやってるよな。まあいいか。


【今日のやっぱり憧れる】
横浜という街はやはり進んでいる。また「SHIP」だなんて名前がぼく好みだ。ますます住みたい横浜市。

2007年09月01日(土) ちょっと、ぼくにとって、多分彼奴にとっても。

ぼくが使っている卓上日めくりカレンダーでは今日は八月三二日ですが、全国的には九月一日です。今日は、ちょっと特別な日です。

三年も前となるともう忘れていてもいいことなのですが、ぼくは当時初めての連載小説を書いていました。ここのところよくこの頁に書いている別名義の作品ではなく、衛澤名義作です。書きはじめたのは更に前年の秋頃なのですが、その物語のはじまりは、いつかの八月三〇日のことで、その物語に登場する一人の誕生日がいつかの今日、九月一日なのでした。
その物語は丁度いま頃の時期から肌寒くなる頃までの季節の、大都会でもなければ笑っちゃうほど田舎でもない、ちょっと大きめの街が舞台です。

月刊連載だったので結末まで一気に書き上げてしまう訳にもいかず、一年かけて完結させた物語なので、ぼくがこれまで書いたものの中でも最も付き合いが長く、それ故一ト際愛着が強い作品なのですが、ぼくが書いたものの中で最も読まれていない作品でもあるでしょう。
それだけに残念でなおさら忘れ難く、いま頃の季節になるとその物語や物語に登場した彼奴やそいつのことをよく思い出すのです。季節柄のセンチメンタリズムでしょうか。

そういえば、いつかの大型連休に彼奴の前を横切った黒い仔猫は、今年の大型連休にぼくの前に現れて、いま、ぼくと一緒に住んでいます。鈴が付いた首輪も着けています。

こんな話をしても、判る人はきっとぼくの片手で数えられるくらいしかいないのだとは判っているつもりではありますが、それでも、ちょっと話してみたかったのです。


【今日の甘味】
お腹がくちくなると甘いものがほしくなりますよね。季節はマンゴーから栗ですか。


エンピツユニオン


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