衛澤のどーでもよさげ。
2004年12月31日(金) ありがとう。

実に実に、有難い一年でありました。
この一年に何らかのかたちで僅かにでも私に関わったみなさま、誰も彼もほんとうに有難うございますo(_"_)o

苦しいこともありました。倒れたこともありました。でも、ほんとうに充実した一年を過ごさせて頂きました。浩志に、もとい、公私に渡りさまざまな方々に御世話頂いて私はひとまわり大きく成長したことを自負致します。身体はふたまわりほど大きくなりましたが(笑えない)。
決して豊かとは言えない生活を相変わらず送っておりますが、私はただいま倖せです。
と、こころから思えるというのはほんとうに倖せなことですね。

相変わらず貧しいので、けれども年越し蕎麦くらいはやはり用意しておきたいかなと1個98円也の即席蕎麦を用意して、餅は2005年はなくてよいか、と考えておりました。しかし、昨日連絡があった人から賞味期限間近の蕎麦を貰ってくれと言われましたので頂きました。そしたら、それが上等な生蕎麦で! 良質の鰹節まで一緒に頂いてきました。
よい蕎麦をタダで手に入れたものでちょっと気持ちが豊かになって、餅も用意しようかな、とスーパーマーケットに出掛けました。よい蕎麦を頂いたので、よい年越しができそうなので、ちょっと贅沢してもいいかな、と奮発してイカの天ぷら(88円。蕎麦に入れて天ぷら蕎麦にする)も餅と一緒に買いました。いま、とても豊かな気持ちです。ゆったりとして、何て倖せなのだろうと実感しています。88円でこの気持ちになれる私はほんとうに倖せなのだと思います。

ただいま「年忘れにっぽんの歌」を観賞中。4〜5年くらい前から、ポップスよりも演歌や懐かしのメロディの方がおもしろくなってきました。
この後、この「年忘れにっぽんの歌」と「紅白歌合戦」を観賞しつつ「マツケンサンバ�供廚鯏垤脾臆鷁里ね戮辰毒�を越します。やっぱり一緒に踊らなきゃだよねえ。


【今日の報告】
「鋼の錬金術師フェスティバル」に参加してきた友人との会話。

友人「大川さん(マスタング大佐役)がね〜すごいエロかったの」
衛澤「それは大川さん御自身がエロかったの? 大川さんの声がエロかったの?」
友人「大川さんが〜ひとりでもエロかった。大画面でエロかったよ」
衛澤「ひとりエロ(笑)」

という訳で「大川透=エロ」に大決定。

2004年12月30日(木) 片想い/東野圭吾

昨日、古書店に探しに行った文庫本とは「片想い」(東野圭吾/文春文庫)でした。一ト通り読了しましたので簡単に感想を記録しておきます。

表題を見るとラヴストーリイっぽいのですが、そうでもありません。もう少し深い意味をこの表題は含んでいまして、それは御一読の上、御確認を頂きたいところです。
巻末の解説によると東野氏はSMAP「夜空ノムコウ」をモチーフに本作を発想したとのこと。読了後にそれが頷ける、少し色褪せかけた青春とその中に生き続ける主人公たちの姿が描かれています。主人公たちって「青春」とか気恥ずかしい言葉を使うのも抵抗がなくなる頃の三十路さんなのですけどね。

主人公・西脇哲朗は大学生時代にはアメリカン・フットボールの名選手だった。当時のチームメイトやチームマネジャーとは卒業から13年経ったいまも強い絆で結ばれ、年に一度は顔を合わせている。その年に一度の日、会合の後で、暫く合わなかったもと女子マネジャー日浦美月を哲朗は見つけるが、美月は女性ではなくなっていた……。
というのが大体の粗筋。と言いますか、導入部分です。

主題にごくごく近い部分に「性同一性障害」が取り上げられている、ということを明言すると日浦美月がいわゆる「FTM」であることが窺えるかと思います。このヒトが「人ひとり殺っちゃった」とか言うので哲朗や、学生時代に美月と一緒にマネジャーをやっていていまは哲朗の奥さんの理沙子たちが「事件」の真相を解明しようと東奔西走するのですが、その中でいろいろな「ジェンダーの御話」が出てきます。これは大変興味深いのでお読みになられることを勧めます。
「性はグラデーション」というのが昨今の決まり文句ですが、この言葉が流行り出す以前の2000〜2001年(本作発表年)に東野氏は「男と女はメビウスの帯の裏と表」という言葉を提示なさっていて、それは本書を読んで私も納得できました。「決してコインの裏表ではない」と。

ほぼ準主人公の位置にいる日浦美月が当事者であるために性同一性障害についても詳細を書かなくてはならなかった。それがために東野氏は埼玉医大をはじめ多くに取材に当たったという御話を予め伺っていました(御本人からではありませんよ?)。それだけに「間違ったこと」は書かれていません。埼玉医大手術1例めのN原氏の行動がモチーフになっている日浦の行動なども見られて当事者はちょっとくすぐったいかも。
しかし、「間違いは書いていない」にしろ、私から見るとやはりどうしても「やっぱり非当事者が書いたものだなあ」なんてことを思わざるを得なかったりしました。だからこその「よい点」も含めて、です。当事者からは見えづらい事実や視点なども含まれていますから。

解説にも引用されている部分です。或る人物の台詞より。
「私は性同一性障害という病気は存在しないと考えています。治療すべきは、少数派を排除しようとする社会のほうなんです」
これには私も100%でないにしろ同意できます。しかし、続く会話。
「受け入れられさえすれば、ホルモン療法も手術も必要なくなると?」
「私はそう信じています。…(以下、台詞続く)…」
これは哲朗と或るFTM氏の会話なのですが、私は認める訳にはいかない立場にありますな。こういう考え方も勿論多分に「あり」で、この考え方の人の方が多いのだということも知っているつもりでいます。でもこれが「すべての結論」と解釈されるようでは困る、と思いました。
だって、私は世界60億の人々がひとり残らず私をまったくの男性として認めて受け容れてくれたとしても、手術を望みますから。気持ちと身体の喰い違いによる苦しみは、「受け容れられること」「だけ」では解消されないのですから。
もひとつ付け加えると、私は性同一性障害を「まったくの奇形」だと考えています。「病気ではない」「障害と呼ばれたくない」という過半を占める意見に同調しかねる部分です。
さて、東野氏は先のように書かざるを得なかったのでしょうか。それともこれが、取材と構想と執筆とを経て東野氏が辿り着いたひとつの結論だったのでしょうか。

作品全体から見るとほんとうに些末なことでしかないのかもしれませんが、どうしても気に掛かる部分がひとつ。
本作には日浦をはじめとして数人のFTMが登場するのですがその人たちに対しての三人称が、一貫して「彼女」とされているところが、ひじょーに(私個人の意見として)不快でした。
東野氏が性同一性障害に対して無理解ではないことは(むしろ生半な理解の深さでないことは)本作を通して読めばよく判ります。その上で何故「彼女」を使わなければならなかったのかを探りつつ拝読しましたが、その点は一点のみでした。
要は、本作において日浦がまったくの男性であっては不都合だった訳です。だから「昔、女だった。そして、いまも女の側面を多分に持っている」ということを充分に主張しないとこの御話は成立しない。
だからといって、日浦以外のFTMまで「彼女」呼ばわりすることないんじゃないの、と思ったりする訳です。当事者としましてはね。「性の揺らぎ」を訴えたいのだろうなということは判らなくはありません。でもね、それでもね。
この点が東野氏の作家としてのこだわりだったのか、編集側の意向だったのか、両者の合意の上での「読み手への配慮」だったのか、それは判りませんが、ほんとうにこうするしかなかったのでしょうか。ひとつの作品として充分におもしろいし、ジェンダーの問題についてもとても詳しく正しく書かれていて他人さまにすすめてまわりたいと思える作品であるだけに、その点が残念だと(私は)思います。

前述しましたように東野氏は「夜空ノムコウ」から着想し、それまで絶対に書かないと決めていたアメリカン・フットボール(大好きだからこそ書きたくなかったそうです。この気持ち、よく判ります)を題材に青春を描き出そうとなさった訳ですが、そのために必要な副題材が「性同一性障害」だった、と解説では述べられています。
ほんとうにそうなのかなあ?
確かに本作にはジェンダーの問題が複雑に絡んできますが、別のものでも構わなかったのでは、と思うのですよ。同じくらいに複雑なものならば。ただ、題材として、時代にとっても東野氏にとっても「旬」だったのでしょうか。傍目に見ると主題を「ミステリ」として成立させるためにこれくらい複雑で人目を引く題材が必要でした、という理由が先に立っているように見えるのですが、これについては「書くこと」、「読むこと」、「ジェンダー」に深く関わるほかのみなさんの意見も拝聴したいと思うところです。

ただ……ね。
本作にしろ一部で話題のあの漫画にしろドラマにしろ、性同一性障害が絡む御話というのは、「御話として如何か」という点よりも「事実に反したことが書かれていないか」ということを優先して見てしまうのが当事者のよくないところなのかもしれません。もっと純粋に御話を愉しむ姿勢というものが必要なのではないかと、読了後に思いました。反省。
御話は、勿論おもしろかったですよ。私が読了できたくらいですから。最近おじさんは根気がなくなってきて、ちょっとおもしろくないなと思った途端に読む気が失せたりしますからねえ。ライトノベル2冊分くらいのボリウムがありますが、すらすら読めます。でも全体の2/3くらいのところで最後の「仕掛け」が(私は)判っちゃったなあ。
541頁の「彼」の台詞が、当事者としては気持ちが判りすぎて(感情移入し過ぎ?)胸に痛くてパニック発作起こしそうになりました=□○_。非当事者はどのように受け止めているのかも気になります。

「東野作品として如何か」というようなことも一部で論じられているようですが、それについては失礼ながら私は東野氏の他作を拝読しておりませんので何とも申せません。ミステリの雄として名のある東野氏が私どもに関わる題材を取り上げてくだすったことは有難かったかなあ、くらいのもので。
この点は東野氏にも氏のファンのみなさんにも申し訳ないです。そして定価で買わなくて御免なさい(まだ言ってる)。

2004年12月29日(水) やっぱり紙が好き。

とある文庫本がほしくて古書店に出掛ける。目当ての本は見つかって、定価の半額で購入できました。私個人としては読みたい本が安価に入手できて有難いのですが、著者さんには印税の対象にならなくて、仕事に対して不当に安い対価で済ませてしまって御免なさいです。
来年から「貸与権」が著作物に発生することですし、古書の売り上げにも印税が発生するようになればいいのにね。

さて、ほしい本は一冊だけだったのですが、せっかく古書店に出向いたので何かほかにも仕入れていこうと林立する書棚を巡ったのですが、どれを買っていいのか見当がつけられずに結局ヘミングウェイを買うことになりました。新潮文庫の短編集です。
「おもしろい小説を読みたいなあ」と思って探す訳ですが、どれがおもしろいのか判りづらいのね。一ト昔前は「販売部数が多い本」と「おもしろい本」とがほぼ等号で結ばれる関係にあったのですが、いまは決してそうではないので騙されないように、という疑心暗鬼の状態になりつつ書棚巡りをしてしまいます。

しかし、或る時期には筆を折って読み手に徹しようとしたものの、おもしろい小説になかなか巡り会えず「おもしろい小説がないのなら自分が書けばよい」とまた筆を執りだした過去を思い返してみるに、私はその目的を各作で果たしているだろうかと、書き手は書き手なりの悩みを悩んでいたりもします。
と文法的に間違っているように見えて間違ってはいない文を書いてみたりとちょっと意地悪な冬の午後。冬らしく冷えて素敵な午後。

2004年12月28日(火) 単にうるさい奴。

「テンション高いですねー」とか「衛澤さんはいつもそんなにテンション高いんですか?」とか度々言われます。
いえ、ワタクシ、テンション高く保っている訳ではございませんでして。

みなさんが「テンション高」と思ってらっしゃる状態が私の常態であって、別にキャラクタ立てている訳ではありませんです。ほんとうです。と書くと途端にウソっぽくなりますが、やっぱりほんとうです。
暑苦しいヤツですよね(自分呆)。でもM岡S造さんよりはアツくないと思います。多分。

2004年12月27日(月) こりゃまたうっかりくん。

来年の流行語大賞はこれでウッドボール(き・ま・り)だネ!

と、とっても懐かしいネタをふたつ続けてみました。しかも守備範囲の狭いネタ。まだエンターブレインがなくてアスペクトもなくてアスキーが、「ファミ通」ではなく「隔週刊ファミコン通信」を発刊していた頃の御話。私はまだ高校2年生だった(遠い目)。
ウッボーウッボーウボウボウッボー。サマーウッボー夏木マリ(遥か遠い目)。

2004年12月26日(日) びびびびび。

世間では学生さんたちが冬休みを満喫していらっしゃるのですね。今日まで気付かずにいました。気付けばクリスマスとかいう外国の行事の日も過ぎているし。来週はもう年が明けているのですね(呆然)。
もの書きには盆暮れ正月はあんまり関係なかったりするんですよね。季節ものを書いていたとしても少なくとも1箇月前には入稿を済ませるからオンタイムでの季節感は本人にはないのです。

でもせめて、元日だけは休みを取ろうかなと考えています。日本人だから。


【今日のよろこび】
プルトのWin版が発売されるー!
これでもうPSは要らない……? 何にしても購入決定。何故って今夏の引越のどさくさでメモリカードを失くしちゃったからさ。一生懸命梱包からPS引っぱり出してきたのにセーブデータがなくなっていて(パスワードは残っているけどメモリカードがないとそのパスワードも入力できないのさ)タマシイ抜けそーになっていたところだったのさ。
この上ない朗報である。プレーイする暇なんかないけどさ。

2004年12月25日(土) 食べるだけでもしあわせなのよ。

今日の昼食はホットケーキでした。
これまで焼いた中で一番ふっくらと焼くことができて満足です。要はお好み焼きと同じなのな。混ぜ過ぎちゃ駄目、焼き過ぎちゃ駄目、焼いている途中で叩いちゃ駄目。

日中、世をはかなみたくなるようなことに見舞われたので、憂さを晴らそうと駄菓子屋へ行きました。安価で山のように買いものできるので何となく内にこもったものが発散できるような気がするのです。
そこで見つけた新奇なもの。

「砂肝ジャーキー」

沖縄県でつくられているそうです。「ミミガーチップス」というものもありましたがそれは買いませんでした。
砂肝ジャーキーは、おいしいですよ。駄菓子だしひどいめに遭わされるかと思ったのですが、そんなことありませんです。普通に砂肝を食べるよりおいしいと思いました。
でも100円で足が出てしまうから駄菓子としてはちょっと高価なのな。

そうそう。
これ、大変なんだわ。わしがB'zのライヴに欠かさず行ってた頃から問題だったのよ。
しかしそれより何より、詰め込んだら5万人は入る大阪ドームの直ぐ傍に大阪ガスの巨大なガスタンクが並んでいるのが怖ろしいでしょう。「テロを起こしてください」って言ってるようなもんだよね。

2004年12月24日(金) 寒くていいんです。

「ハートウォーミング」って、好きじゃないんですよ。むしろ嫌いです。
「お涙ギヴミー」も勘弁して頂きたい。「日本中が感動の涙!」とかタタキ文句を付けられた映画などは「誰が観るか」という気になりますな。
「愛と感動の」? 要りません、間に合ってます。

ココロ暖まる御話や泣ける御話が嫌いな訳ではないのですよ? O・ヘンリの短編集など好きです。でもO・ヘンリは「ほーうら、ハートがウォーミンなストーリイでしょう」とか「この話を読んで泣きたまえ!」だとかって押しつけてこないでしょう?
ほんとうに感動できる御話なら「感動のうんたら」とか「涙のかんたら」とか言わなくても、触れた人が勝手に感動しますから放っといてください。ってことです。

てなこと言うと反社会的ですか?

2004年12月23日(木) 気のせいじゃないのかもね。

ときどき、社会から転げ落ちてしまっているような気になる。

2004年12月22日(水) ずるずる。

起き上がれなくて地べたずるずる這ってます __○_
みなさまに御迷惑お掛けしております。申し訳ないです。

2004年12月21日(火) ドラマを見る。

ここ数年TVドラマを見ることなんてなかったもので急に見る気になりました。昨夜は「冬のソナタ」完全版。放送スケジュールと自分のスケジュールが合ったのでちょっと見てみました。

えーと、「生徒諸君!」(庄司陽子/小学館)とか、その辺りの時代の少女漫画を読んでいるような気恥ずかしさを感じるとともに、気を付けるともなく気を付けてしまうのが「人物の対比のさせ方」だとか「小道具の使い方」だとか「隠喩の含め方」、「衣装の配色」などで、そんなところばかり見ていてきちんと「ドラマ」を見てなかったりするところがもの書きのヤな習性です。
冬の韓国はとてもとても寒そうです。
三十路のみなさまが高校生役を演るのは流石にキビしいと思いました。

ケーブルTVでは「青い瞳の聖ライフ」の再放送があったのでうっかり。
宮川一朗太、竹本孝之、比企利恵、大沢逸美、蟹江敬三…いま思うと大変な豪華キャストですよね〜。同じキャストをブッキングしようとしたらいまだとどれくらいの期間と費用が掛かるだろう。大映ドラマシリーズが次々DVD BOX化されていますが、この作品はDVDにならないのでしょうか。

引き続き同じチャンネルで「ガラスの仮面」1985年頃に放送されていたアニメーションではなくて、A達Y実さん主演のドラマの方ですね。本放送時から見ていたのですが、やっぱり……おもしろい。お腹抱えるくらい。
マヤの「私、この役できる!」のときの表情はやっぱり白目がいいな。背景はイナズマベタフラッシュで(笑)。
ドラマ「ガラスの仮面」で何を差し置いても見なくてはならないのは月影先生by野際陽子さんですね。原作からそのまま抜け出してきたようなその姿が怖くて怖くて毎回欠かさず見ずにはいられなかったものでした。

で。
これだけTV見ていたら当然のように原稿は進んでいないものです。……これからTVは断ちます。その予定です。でも「奥さまは魔女」おもしろいなあ。

2004年12月20日(月) どんぶらこ。

調子がもどってきたかなー、と思ったら、がくーんと悪くなったりと体調の波がはげしいです。どんぶらこっこって感じで。上がり下がりの起伏がはげしいとそれだけでしんどいのね。まともに起きていられなくて、昨日、一昨日と当日記もお休みを頂きました。
とか何とかちょーしわりーだとか言ってるうちに実姉が鬱で動けなくなったり実母が脳血栓で病院に担ぎ込まれたりでいろいろと慌ただしくなっております私の周囲。

動けずに仕方なくとどまる床の中で思うことは「"Major"のおとさんの声素敵だな〜と思ったら亡くなっちゃったよおとさん。おとさんの声は子安さんだったのね子安声萌え〜」だったりで緊張感もへったくれもないな>わし。

2004年12月17日(金) 日本語を使え。

日本語を使わない日本人が沢山いすぎると感じたり思ったりすることが頻繁にあります。母国語を使わずに外国語を使う、ということをこれほど多く行なう国民が沢山いる国は、ほかにもあるのでしょうか。
ドーデの「最後の授業」を想起しては母国語を大切にしない国民が溢れかえる我が祖国を憂えます。

何でも英語にすりゃ恰好いいってもんじゃねえぞ。
と、10年前も20年前も思っていましたが、いま現在もやっぱりそう思います。英語が嫌いな訳ではないのですけどね。

なんてことを考えつつ新聞を読むと或る書籍広告が眼につきました。その内容を見てみると
「ご注文は以上でよかったですか」
「わたし的には全然OKです」
などの文(文章ではない)の何処が間違っているのかの解説なども入っているらしいです。

へ?

わざわざ解説しなければならないのですか。つか、間違っていることが判っていながらその「間違い」を愉しむためにわざわざ誤ったこれ等を使っているのだと思っていたのですが、違うのですか。
も少し読んでみると、上記のふたつの文に間違いが含まれていることすら知らないで若者たちは使っているのですとか。

この国に未来はない。そう思いました。ここまで来ると救われようがないです。

2004年12月16日(木) アレクセイ・パジノトフ。

じわじわと快復しつつありますワタクシの体調。長引かなくてよかった。
そんな今日(今日だけではありませんが)ナニをしているかというと本業です。小説原稿を書いています。いま書いているのは別名義で発表するものだし書きたい題材ではないのですが、どちらにしろ小説を書くという行為が私は愉しいのでそれもまたよしであります。安いけど稿料も貰えますしね。

さて。
完訳本、というものを時折見掛けます。
私も完訳本とかいうものに挑戦してみたいな、などと迂闊に思ったりしています。しかし、母国語同様に操れる外国語なんてありません。
では自分が書いたものの全編関西弁訳とかやってみたいと思いました。
中学校に通っていたときには宿題の英文和訳をわざわざ関西弁にしていてノートを写したい人には嫌がられていました(笑)。「Why?」は「なぜ?」ではなく「何でーよ?」です。

今日の表題は懐かしい名前です。もうこの名を御存知ないという方も少なくないのかもしれませんね。それも寂しいな、と思って表題にした次第です。

2004年12月15日(水) ひきつづきぐるぐる。

女性を経験していないと判らない身体の怠さや腹痛や出血っつーものがあります。経験してその大変さが判っている分、女性を優遇しよう、そうするべきだという気持ちは十二分にありました。
久し振りに実体験してその気持ちを新たにしましたよ。女性をやるのも大変です。

「女性を経験」ではなく「女性であることを経験」と言った方が判りやすいですね。女性とHしたことがあるか否かではないのですよ。ハイ。
経験として持ってはいるものの常に感じている訳でもなく暫く感じることがなかったので忘れかけていましたね。いけませんいけません。

2004年12月14日(火) ぐーるぐーる。

目覚めた途端にアタマがぐるぐるしていました。身体を起こしていないのに倒れそうな感じです。喉がいがらっぽかったので風邪ひいたかな、と思いましたが、何だか違うみたいです。

立って歩くと倒れそうで危ないので寝込んでおくことにしました。行きたい場所もあったのに残念です(T△T)。
どうもホルモンバランスが崩れたみたいで、そのせいのようです。ここ暫く見なかったものを今日は見ました。

2004年12月13日(月) ちょっとした不安。

今日の夕餉に食べた湯豆腐がいつもよりもほんのり酸っぱかったのは、豆腐ももやしも豚肉も消費期限を5日も過ぎていたからですか?

ま、死にやせんわな。火、通ってるし。

2004年12月12日(日) 何だかんだ言って。

「ハウルの動く城」をレイトショー(1200円)で観てきました。
まだ観ていなくて観るか否かを迷っている方へ。御覧なさい。もしも観賞料金を全額支払ったとしても最初の15分でそれは元が取れてしまうから。「物語とはこうやって組み立てるものなのだよ」という御手本を見るような導入部。そして、「掴み」にもなる「動く城」登場場面。ここだけでペイします。但し、これは「アニメーション」を見たい人のみ。ただ愉しければ何でもいいという人には私は敢えて勧めはしません。

公開前からいろいろとやっかみをも含んだ映画評が並べられていましたが、宮崎駿監督はいま日本でまともにアニメーションを制作している数少ないうちのひとりなのだと改めて思いました。「これがアニメーションなんだよ!」と諸手を挙げてよろこびたい場面が次々と出てきてとてもうれしかったです。

これから御覧になろうという方に。
映画の内容に関する事前情報は可能な限り仕入れない、真っ白の状態で御覧になることをお勧めします。粗筋もキャストも御存知ない方がよろしいです。原作を読むなんて以ての外です。原作を読むのは映画を観てからでも遅くはありません。パンフレットも観賞後にお読みになる方がよいです。
それから、御覧になる劇場は音響設備のしっかりしたところを択ばないと観賞料金はペイしないかもしれません。ドルビーサラウンド6.1chは必須です。SEもBGMもすばらしい仕上がりです。

宮崎監督ファン、アニメーション好きの間でとてもとても心配されていたハウルの声ですが、これを理由に観るか否かを迷っているのなら、私は観た方がよいのではないかと思います。誰が声を当てているかは忘れて。声優への偏見がこの作品の評価を下げてしまっている側面もあるかと感じました。
公開前の広告宣伝の段階で「ハウル=木村拓哉」を広めすぎたのだと思います。むしろこれはひた隠しにして、スタッフロールにすら名前を出さずに、「ハウルの声は誰が演じていたでしょう」というクイズキャンペーンなどを張った方がより効果的だったのではないかと思いました。木村くんへの偏見がこの作品の評価を無駄に下げてしまっているのではないでしょうか。
「ハウル=木村拓哉」を忘れて御覧になってください。まったく気になりませんから。

それより、御覧頂きたいのはやはり城の動きなのです。
幾らデジタル技術が進んだからと言ってもやはりそれは万能ではないのだと言うことが判りました。とてつもないハーモニクス処理です。「ナウシカ」の王蟲などもこの処理技法で動かされていましたが、規模が違います。4本の脚が一歩踏み出すごとに轟音(この轟音も多重奏的に複雑に音が絡み重なり合っていてすごい!)を響かせて巨大な城が数多の「部品」をひとつひとつ重々しく揺すって稼働させて地面の上を移動するのです。巨大さ。重量感。「動いている」こと。これを見たら公開時期が遅れてしまったのも納得できてしまいます。

それから、風景。特に水の描写。うつくしいです。
そして「飛ぶ」場面。宮崎アニメは「飛んで何ぼ」です。飛ぶ場面のない宮崎アニメはおもしろさ半減です(だから「もののけ姫」はあまりおもしろくなかった)。あの「飛行感」とでも言いますか、ほんとうに重量のあるものが重力や引力の呪縛をものともせずに宙に浮き上がって推力で進んでいくさまはほかの映像作家には表現し得ないものといつもながらに感嘆します。
今作もおもしろい「飛ぶ乗りもの」が登場しました。宮崎作品に登場するスチームパンク風のメカデザインも味があってよろしいです。

この後はネタバレを含む内容になりますのであぶり出しにしておきます。事前情報をより少なく、という方はあぶり出さないように御願いします。

城の挙動や風景の描写、水の質感などアニメーションとして瞠目する部分は、それはそれは沢山あるのだけれど、何より驚かされるのは主人公ソフィだった。18歳の少女ソフィは突然に90歳の老婆になる呪いをかけられてしまう。素朴だが凛とした背すじの伸びたソフィが、ちょっとした傲慢さや大胆さを備え持った、腰の曲がった老婆になってしまう。70や80でなく「90歳」という平均より長寿であることが必要だったのだろうなと思う。あの腰の曲がり具合いは尋常ではない。

その腰の曲がり方は絵面として重要な要素で、城の中を掃除する場面を境いに老婆姿のソフィの腰は次第に老婆の姿のままで真っ直ぐに近く伸びていく。「ああ、動きまわるようになって腰がしゃんとしてきたな」と思う頃に気が付かないようにしかし気付くと吃驚するように仕掛けがしてある。ソフィの顔から老婆の皺が減り少女の顔つきに少しだけ戻ったりまた老婆になったりを繰り返すのだ。

それは明らさまなモーフィング処理ではなく、ようく見ていないと判らないくらいの変化をおそらくは動画処理によって見せているのだとは推測するが、少女と老婆の間を幾度となく揺れ動く面差しに驚かずにはいられない。
パンフレットによると宮崎監督は「ソフィは18歳から90歳までをひとりで演じられる人に」と仰ったらしいが、その理由はこの描写でよく判る。18歳と90歳が明確に区切られている訳ではないのだ。その間を何度も何度も揺れ動いて、その揺らぎを微かな変化で描写しているから声にもその変化が必要なのだ。18歳と90歳で声優を変える訳にはいかない。倍賞千恵子さんはみずみずしい少女も肝の据わった老婆も同じ舞台で澱みなく演じなさったと思う。
この作品で一番見なければならないのはハウルでも城でもなく、ソフィなのだ。

ハウルのキャラクタ性に幾らか疑問が残る。
「美形として描いた」、「美形の声をイケメンアイドルが演じる」ことが目玉のように公開前広報では言われていたが、それに何か意味があったのだろうか。少なくとも私はその必然を感じなかった。この要素の眼目は「少女の夢を実現する」ことなのだろうか。

戦火は近くまで来ているけれど取り敢えず日常を営める世界で地味に家業を継ごうとしている少女の前に突然美形青年が現れて一緒に空を飛ぶ。その現実離れした出会いから、醜くなった姿で「報われなくてもいい」というような崇高な気持ちで美形青年に尽くしてゆく過程を経ると青年は少女の価値に気付き、少女の想いは報われ、少女にかけられた呪いも青年にかけられた呪いも解けて、ふたりは結ばれハッピーエンド。大雑把になぞると「ハウルの動く城」という映画はこういうおはなしだった訳で。
この側面だけを見るとほんとうに「女の子向け」なのだと思う。

しかしその扱いをした場合、ハウルは偶像でしかないように感じるのだ。生きて努力して苦しんで存在するようには感じられない。つまりアイドルっぽい。魅力的な人物とは思えないままに観賞を終えた。決して厭なキャラクタではないけれど魅力的でもない。言ってしまえば物語に必要なコマと言うか記号と言うか、そんな感じだ。
「弱虫の魔法使い」ということだったが、「弱虫」であることも「魔法使い」であることもあまり強く感じられなかったし、必要性も感じなかった。言ってみればフレーバーでしかなく、これは宮崎監督自身がハウルという青年像を消化しきれないままで描いてしまった結果なのかも知れない。

もうひとり勿体ないのがかかしのカブ。謎めいて謎めいて、その結果ぽんと呪いが解けて王子様でした、とは拍子抜けするしかない。原作でそうだったのかもしれないが、彼はかかしのままの方がよかったのではないだろうか。「王子様」という記号が必要だったのだろうか。そのようにも思えないのだが。

ハウルにもマルクルにもカブにも荒地の魔女にも、ソフィは「平等の」愛を以て接していたと思う。それは「家族愛」や「人類愛」と言えそうなもので「恋愛」とは別のものではないか。だとしたら、この作品はラヴストーリイとしては決定的なものを欠いている。恋愛ものなのか反戦ものなのかどっちつかずになってはいなかっただろうか。身も蓋もない言い方をしてしまえばソフィは「いい人過ぎ」て現実味を欠く人物像でもある。


と、あぶり出しの中では苦言を並べもしましたが、観る価値のある映画であることは間違いないと思います。

もうひとつ特筆すべきは「街の活気」。宮崎監督作品には街に住む人々の息遣いがいつも活気強く描かれていて、それを見るだけで自分も今日一日をがんばろうという気になれる。庶民のヴァイタリティ、それが街の描写には溢れています。
ちょっとマニアめいたことを言うと、軍人さんが乗り込んでくる場面で、ちゃんと市街地の軍人さんは陸兵で港町の軍人さんは水兵だった。こういう芸の細かさも好きです。

ただ、ね。
広告のコピー。これは確か糸井重里さんが担当されたものだったと記憶していますが……コピーが秀逸すぎて過剰に期待をあおっていると思います。このコピーほどの感動は本編からは得られなかったように私は思いました。

予告で見た気になる2篇。
「鋼の錬金術師」。まだ予告篇用の作画すら上がっていないのね……TVシリーズのバンクを繋げて予告編にしていました。……次の夏公開、だいじょぶか。
「ULTRAMAN」。音楽はTAK MATSUMOTO。「ウルトラマン」としてどうか、とか、特撮としてどうか、などは差し置いても音楽を聴くためだけに1800円出してもいいかな、と思うくらいのギターの唸り具合いでした。ドルビーサラウンドでうっとり。でもウルトラマンはハムの人。

2004年12月11日(土) てんごくにいるかも。

知り合いの御宅は御中元やら御歳暮やらの季節になると自宅のみでは処理しきれないほど大量の贈りものを頂くので「ちょっと手伝って」と施しを季節ごとにくださいます。いつもいつも沢山のものを有難う。わしもわしの家族も貧しいのでとても助かっています。
ヒトがカミやホトケに施すものが巡り巡ってヒトへの恵みになっています。シュウキョウも悪いものではないってことです。

カミやホトケの恵みを頂き、また予期せぬ収入もあったので懐だけでなく気持ちも温かくおります。
そして本を購入。「ツバサ」第8巻(CLAMP/講談社)、「よつばと!」第3巻(あずまきよひこ/メディアワークス)の2冊。方向性は違うけれどどちらも愉しく読めてよい気分になれる作品です。

「ツバサ」の李くん(いまだに「小狼くん」って呼べない;)の生真面目なところとかせつなげなところとか、とっても好きです。「よつばと!」はよつばちゃんの花キューピットのおはなしはほんわかできました。「はながたくさんさいていておいしいものがたくさんある」のがてんごくだそうです。そう考えるとこの世にはてんごくが沢山ありそうですね。

よい御話に触れることができたこの後、レイトショーで某映画を観る予定になっています。明日の当日記はその感想になりそうです。これもよい御話だといいなと思っています。

2004年12月10日(金) ちょっとびっくり。

習作が売れた。箸にも棒にもかからないと思っていたものが数万円になってびっくり。
わしが書くものってそんなに価値があるのね。と、いま更ながらに思ったりした。

今後も契約してくれることになったので取り敢えず収入は毎月得ることができる。有難い有難い。但し衛澤とは別名義なのねん。これはいいのかよくないのか。


【今日の告知】
今日は拙作「天気晴朗なれど波高し」最終話が掲載されています「Silence revolution」12月号発売日ですよー。御購入がお済みでない方はDigitalCreateへレッツらゴー(死語)!

2004年12月09日(木) ちょっとオトナ?

玉露と知らずに玉露を飲んで、ほんとうにおいしいと思った。はじめてのこと。


【今日の当たり前じゃないの?】
嫌ったら嫌って貰えない。
「物語をつくる」工程が判っていればそれは自明の理だと思っていたのだけれど書き手の中にも嫌われ役を好きになってはいけないと思っている人がいるのだな。うーん。判ってないよな。

2004年12月08日(水) 埃とため息だけ。

(いまはなき)筋肉少女帯の「日本の米」という曲を御存知でしょうか。
大槻ケンヂ氏がお書きの詞はどれも興味深いのですが、「日本の米」も奥深いです。仕掛けも愉しい曲です。
でも聴くとさめざめと泣きたくなるのな。

何故って、いまのわしを叩いても逆さにして振りまわしても、出るのは表題通りだからですよ。


【今日のぽつり】
売れている本が即ち読まれているかというとそうでもないのな。

2004年12月07日(火) 結構疲れる。

直接生死に関わらない病気や障害はあまり逼迫しているとは医者先生にさえ捉えて貰えなくて、直ぐに診て貰えないことも儘ある。死ぬほど苦しくても死なないから診て貰えない。でも死ぬほど苦しくて死んだ方がましなくらいだから、自死を謀ったりしてしまうのな。それで死んだとしても病気やら障害やらが原因だとはされない。
これは何だか困った事象だと思うのですが如何ですか。

いろいろやっています。
でも、そのいろいろはまだ公表できないのねん。取り敢えず今日お会いしたS社長はいい人だったんじゃないかな。
て、これは憶え書きか(自問)。

他府県の病院へ行って病院で診て貰うだけに一日費やして食事する暇もなかった、なんて何処かで聞いたような話を実演してしまいました。何処かで聞いた話だと思ったら自分で書いた話でした(´△`)

2004年12月06日(月) 正しく。

久し振りに6時間連続書きものなどしたら、暫く引っ込んでいた座骨神経痛が再発。左半身が痺れるように痛くなりました。特に大腿部の麻痺はどうにもならないくらい。身体が重いのも原因のひとつだけれど、姿勢も悪いんだろうね。学生時代はベスト・オブ・姿勢in学校だったのに。
これは書道初段取得できそうだった頃の姿勢に戻さなくては。拳法初段取得時なら尚よし。

今月に入ってから「お願い。。。」という件名のメールが毎日、多い日は3通ばかり届いています。届くのはまったく同じ文面で「博美」さんから。
「貴方の精子をください!子供が出来なくて困ってます。」だそうです。
近頃の誤爆狙いメールも手が込んでますね。御免ね、わし一応男だけど精子は出ないのよ。

こういうメールを不特定多数に送信することで胸を痛める人が何処かに必ずいるということを、文面を考えたり送信する人は思いもしないのだろうね。わしみたいに精子を出したくても出せない男やほんとうに子供ができなくて困っている女性は、まったくいい気はしないでしょ。泣く人だっているでしょう。
これは、わしの姿勢より悪いよな。


【今日の何だかなあ】
Nin DS用ゲーム「きみのためなら死ねる」(←音が出ますよ)の曲、クセになっています。ゲームは買ってないけど。やってみたいなとは思う。でも「きみしね」って略称はどうかと。

2004年12月05日(日) 久々に。

昨夜半から暴風雨だったので久し振りに書きものをしたですよ。
(暴風雨と書きものの相関関係を40字以内で表せ。句読点は一字に数える。配点:10点)

ここ一ト月ばかり紙の書きものをしていなかったので文字を書くこと自体が下手になっていました。やっぱり、何でも毎日少しずつやらないと下手になります。
でも、紙の書きものは愉しいです、やっぱり。いま書いているものが年末までに仕上がればいいな、と希望的観測。……て、いま既に年末ですが。

昨夜は大変な暴風雨でした。私はマンションの2階に住んでいるのですが、うちのマンション、風でゆんらゆんら揺れていましたから。船酔いするかと思った。雨はそれほどでもなかったようですが風はほんとうにひどかったです。
すごい天候になっているだろうな、と思ってベランダに出てみて吃驚。

生温いの。

風が生暖かくて、まるで9月の台風でした。部屋の中も12月だというのに全然寒くなくて、私はまだTシャツで素足ですよ。12月と言えば真冬のはずなのにね。私が幼い頃の12月は寒くて寒くて炬燵から出られなかったものですけどね。


【今日のやっと気が付いた】
もやしは安くて調理しやすくて沢山食べられて美味で栄養価が高くて有難い食材です。

2004年12月04日(土) 安価で高品質。

安価で沢山手に入っておいしい食材シリーズに「おから」が加わりました。1kgほどが100円とちょっとで購入できてしまいます。御店によってはタダでくれたりもします。
これを卯の花だのハンバーグだのに加工すれば1週間は喰えます。有難いなあ。

そんなに切り詰めているかと思うと案外あっさりと本の購入は決めてしまったりするのね、わし。「しょうぼうていハーヴィ」、先月の「SAY HELLO!」に続いて購入申込しました。これだけのセット内容で2000円を切っているのは安価だと思います。
「SAY HELLO!」はアタリでしたよ。おすすめです。しやわせになれます。

安くよいものが手にはいるとうれしいですよね。この点で私は最近うれしい日が続いていますよ。


【今日の何だか厭な感じ】
たまたま点けていたTVから流れてきたバラエティ番組で「おじいちゃんの人生ゲーム」というネタをやっていた。実在の爺さんの人生をタカラ「人生ゲーム」を踏襲した双六に仕立てて実際に遊んでみるというもの。
一トコマごとに、苦労のできごとが現れる。
そのたびに、皆が笑った。
何故だろう。何故笑えるのだろう。苦労だと思えないのか。他人の人生を何故そんなに簡単に笑ってしまえるのか。
見ていて気分がよくなかった。

2004年12月03日(金) お前はネタか。

口座に入金があったので今月一ト月分の食料品を買い込んできました。沢山買いものかごに放り込んでいるとついつい「あれも、これも」と予算の都合もほのかに忘れてどんどん購入しそうになるので気を付けるのが大変でした。

また暫くコーヒーを断っていたのですが、離脱症状が頻繁に出るのでやめるのをやめて常備することにしました(極端)。禁煙より禁酒より禁コーヒーがより難しいと私は思います。
そんな訳でインスタントコーヒーを買ってきました。そのつもりでした。

帰宅してから早速封を切ってコーヒーを淹れました。でも、コーヒーの粉がお湯に溶けてくれません。電気ポットの湯は温度が低すぎるのかな、と思って「再沸騰」させて入れ直しました。でも、まだ溶けません。

何で?と思いつつも別の考えが浮かんできたのでおそるおそるコーヒーのパッケージを見ました。
「本製品はインスタントコーヒーではなく豆を挽いたものです」

案の定ー!(波田陽区さん「残念!」風)

どーしてわしってこんなに仕込みネタみたいなおバカさんな失敗ばかりするのでしょう。こうしてココに書くネタができてうれしいのですけどね。
表題は自分へのツッコミです。


【今日の期待】
マツケンサンバ(大好き)で景気回復。

2004年12月02日(木) 言葉の叡智。

食事をしながら読む習慣のある方は御注意ください。ちょっと排泄物の話などします。

排泄する「小さい方」、つまり小便は「お小水」だとかちょっと上品な呼び方があったりするのですが、「大きい方」にはなかったりします。稀れに「お便」などとも言う人もいますが、いまひとつ上品な感じはしませんね。

ただ、もの書きさんがたびたび上手に「大きい方」を呼ぶのを見掛けることはあります。
水上勉さんはお腹を下したときの様子を「怖いほどの量の雲呼が走り」と描写していますし、野田昌宏さんは「30センチはあろうかという見事な運智が」と書いていました。糸井重里さんは「健康な運個が」と発言したことがあります。

日常使っている俗語もよい字義を持つ漢字を当てることでちょっと上品になったりするという見本です。しかし、ただ読みが合う字を当てればよいというものでもないから、やっぱり言葉を商売にしている人のセンスが光ります。
こういうセンスが自分にもほしいな、と睡眠不足の朦朧とした頭で考えたりしています。

ところで、私が学生をやっていた頃は運動音痴の人が「運痴」と縮めて呼ばれたりしていましたが、いまもこの言葉は生きているのでしょうか。
1980年代に生まれた流行語「ナウい」は死んでしまった様子だけれど「ダサい」はまだ生きているようですし、流行語や新語の盛衰は予想しづらいですね。


【今日の制止】
浜崎あゆみさんを「ハマちゃん」と呼ぶのはやめましょうよ>自分。

2004年12月01日(水) 来年もよろしく御願いしわす。

べたべたな御挨拶ではじまります12月です。
ほんとーに申し訳ないくらいに(「くらい」じゃないな)無能です私。一生懸命やってはいるのですが何処かで「ぽか」やってます。「ぽか」まで一生懸命です。各方面のみなさま御免なさい。

こーゆー「努力はするがその努力が空まわり」ってところがウチの子に見事に遺伝していますな。どいつが遺伝してしまった奴かは言いませんが。Jのつく奴(ウチにはひとりしかおらん)。

さて、これからは多方面に動きまわらなくてはならないので、そのためにも体力アップに励まないといけません。て訳で今月は健康増進推進月間です(いま決めた)。

当地方はやっと寒くなってきました。寒くないと冬じゃないですよねえ。過ごしづらくても、夏は暑く、冬は寒くないと。


エンピツユニオン


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