浅間日記

2015年05月27日(水)

熊野にて仕事。
仕事、といってもほとんどボランティアのような対価の用事なんである。

そうだからもう、仕事がはねたあとは、
宵越しの金は持たねえ、の意気込みで消費に勤しむ。

そもそもこの土地は、そうした処なのらしい。

紀伊山地の杣人は、伐り出した木を川で運び、
河口のこの街で市に出すと、一晩豪遊して、また山へ帰っていく。

今でも熊野川上流の街からやってきて、
一晩に十万単位でお金を使う輩もいるのらしい。

しかしそうはいっても、新宮の街は明らかに衰退している。

かつて栄華を誇った形跡がみられるだけ、物悲しい。

自分が考える以上に、経済のグローバル化は-ひどい爪痕を残しながら-、

地方の小都市を侵食し、焼き払い、文化も記憶も根こぎ奪っている。

そのことに、腹の底から湧き上がるようなやりきれない気分を、

小さな酒場ののれんをくぐることで、どうにかしようとする。

2014年05月27日(火) 背徳の猫達
2007年05月27日(日) お受験母
2006年05月27日(土) 
2005年05月27日(金) 梅涼
2004年05月27日(木) 適正表示



2015年05月14日(木) 上空から何かが落下する

自民党で進む、小型無人機「ドローン」の飛行規制法案の議論。

もっとでかいの−オスプレイ−を先にやってくれ、と独り言つ。

もっともこちらは、自民党が飛ばしたくて飛ばしたくて仕方がない。



「上空から何かが落下すると危ない」ということを、
我々が身近に感じるのは、悪いことではない。

都市ではそうしたことはもう、めったに経験しないから、
その感覚を失っている。

実際、松ぼっくりが一つ、アカマツの枝から落ちて頭にあたるだけだって、
結構痛いんである。



上から物が落ちてくる、というのは神話や昔話の領域で、
人為的にそれが行われることに対して、本来人間は、感情の処理ができない。

だから、怒りや恐怖の感情が発露する。そんな風に思う。

そうだから、空爆というのは−今や我々は当たり前のようにしているが−、
何を落とすかに関わらず、現代が生み出した最悪の戦法だ。

空から雨あられのように爆弾を落とされるなど、一体どんなことだろう。

2013年05月14日(火) 私の赤ちゃん
2010年05月14日(金) 役務疲れ
2007年05月14日(月) 仕事放棄・子育て支援
2006年05月14日(日) 当然とは何か
2005年05月14日(土) 慕情の日
2004年05月14日(金) 三倍速の一日



2015年05月10日(日)

安永徹&市野あゆみwith松本室内合奏団演奏会。

生きてて良かった。

喜びの気持ちが心底からわいてくる、夢のようなひと時であった。



人間の心を、これ程までに、文字通り鷲掴みにできる芸術家というのは、
何て偉大なのだろう。

2013年05月10日(金) Welcome to our joyful family of investors
2011年05月10日(火) 東日本大震災 官僚不信宰相
2010年05月10日(月) それを想像しない権利
2006年05月10日(水) 3時間と一生
2005年05月10日(火) 夢ログ
2004年05月10日(月) 命の著作権


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