Dynamite徒然草
Dynamite徒然草

2006年10月31日(火) 秋深し、隣は何をする人ぞ。

秋がタイトルでも全く季節と関係のない日記が続きます。


実は奥さん
昨夜ご近所からとてつもなく怒鳴りあいまくりの声が真夜中に響いてきたんですよ。深夜ですよ。驚きましたよ。

ここは閑静な住宅街。
真夜中に聞こえる音なんてほんどないって程の場所なんざます。


そこに闇をつんざく女の怒号。


いきなり始まった深夜の怒鳴り声はえんえん続き、20分間は黙って寝室で本読んでいた私ですが、時計の針が21分になったところで、このあまりの騒々しさにたまりかねて立ち上がりました。

・・・立ち上がって何を?

そうです
私の中の石崎秋子(家政婦は見た/もちろん市原悦子)が目覚めたのです。


部屋の電気を消し、腰高窓の障子をそーっとあけて聞き耳たてまくり。あやしいです。まったくもってあやしいことこの上ありません。
ですが住宅街中に響き渡るような声で喧嘩している方が悪いんです。聞いてください皆の衆といわんばかりじゃないですか。ねえ。


さて
どうやらご近所の嫁VS姑バトルと判明しました。


それにしても過激です。血気盛んな頃の大仁田厚より過激です。
ですが家族は止めないんでしょうか、このバトル。もういつものことだから放っておかれてるってわけなんでございましょうか。

いやたしかに私も夫婦喧嘩のときは大声だしちゃいますけどね、でも20分は怒鳴り続けられませんよ。肺活量にも限界がありますもんで。


虫の音も一段落した10月の終わりでございますが、虫の音になりかわって、こんなスペシャルな土曜ワイド劇場が月曜深夜に展開されるとは思いませんでした。


私には姑はいませんが、目下冷戦中の出戻り小姑がいます。
たぶんこの小姑が死ぬまで二度と顔を合わすこともないと思いますが(この件は夫公認)たしかに結婚による縁の身内バトルは本当にムカつきます。同居しておれば尚更のことでしょうよ。気持ちはよーくわかりますよ奥さん、お姑さん。私だって小姑の許し難い態度および暴言の数々には堪忍袋の尾形大作でしたからね。ええ。


果たしてこのバトル
どっちが悪いのかは私の知るところではありませんが
でもですね

やっぱ町内筒抜け丸聞こえはヤバいっすよ。
((-ω-。)(。-ω-))フルフル...

うちの二件先の方も家政婦は見た状態で窓から覗いてましたよ。
| 冫、)ジー


「怒鳴る前 窓側避けて カギかけて」


さて
実はこのバトル、最後は二階から参戦してきた家族全員の凄まじい怒号で終結しました。


・・・どうかこの先、家庭内殺人とかに発展しませんように・・・(-∧-;)



2006年10月30日(月) 秋深し。

青空たかし
三木武夫。

・・・意味不明で申し訳ありません。切腹。

最近私、「葉隠」に凝っています。ええ、佐賀県民ですからして。

さて
「葉隠」とはなんぞや?
拙者、はがくれの天ぷらうっど〜んでござる!のアレとは違いますよ。←甚だしくローカル
はがくれの天ぷらうどん、けっこー美味しかったんだけどなあ...また食べたいものです。惜しい会社を無くしました。

それはともかく

「葉隠」は江戸中期、佐賀藩の元御側役・山本常朝が口述したものを、後輩の田代陣基が著したもので、武士道の聖典とも言われるものであります。

武士道の聖典と言われる一方で、その内容をじっくりと読んでいくと、結構これが私好みというか物騒というか時に過激というか、なかなか読み物としても面白いのであります。

平成元禄。
時代はすっかり平和ボケして上を望む気力を失った努力嫌いの愚か者共が、お上にもの申しても何一つ代わり映えのしない虚しい世の中に対するストレスを、クラス内や社内はたまた家庭内で標的を物色し、己よりも弱しと思うものに対するいじめやからかいといったうっぷん晴らしにて、ささやかな刺激や優越感を感じるしか術がなくなっているわけなのでありまして。

そこへ葉隠の激しさが必要になってくるわけですな。

「人よりなぶられて、だまりて居る時はすくたれなり。殿中とて場をのがすはずなく候。人をなぶるものはたわけ者なり、切られ損」

殿中で自分をからかったヤツを切り捨てた者に対し、殿中で刃傷は切腹というのが基本であるにもかかわらず、殿様は「人にからかわれて黙っとーとは意気地なしばい。殿中だけんいうてそのまま聞き流してなーいけんばい。人ばひやかすほうがバカばい。切られ損ばいよ」と、佐賀弁チックに言ったかどうかは定かではないが、そげんことを言うたらしいばい。慣れん佐賀弁でまいっとるとばい。

で、最近流行りの首くくりの件。

遺書書いて首くくること決意したまではいいですよ。決死の覚悟での自己アピールだろうことは想像つくし同情も致します。

でもですね
知ってます?
死んで楽になるとおもったら大間違いですよ。

後悔するんですよ。絶命間際に。
頭が爆発しそうな苦しみの中で原因となった出来事や人物を烈火の如く恨むんですよ。
家族も苦しみますよ。その括られた首同様にいつまでも。

死ぬ寸前の感情がそんな苦しみと恨みの泥沼状態で
死んだ後に楽になると思えますか?

これってずーっと続くかもしれないって思いませんか?

私だったらいつまでも引きずるでしょうね。八ッ墓村も真っ青ですよ。
恨みに恨んだ命のままで1000年でも漂うでしょう。しつこいから。ええ。

想像しただけで横溝正史です。


最近マスコミが騒いでるテーマ。
「果たしていじめは無くなるのか?」

答えはNO

なんでかって
人間だもの。

どげな世の中になっても、いじめはなくなるもんやない。
いい人だらけの世界が存在するわけがない。
あきらめてください。これが現実だし。

でも
どげな境遇にあっても、努力次第で生き抜くことはできる。
なんでかって
人間だもの。

いじめはやめようと、いくら大々的なキャンペーンやったって
いじめる人の心は変わらんし
祈るだけじゃ奇跡はおきん。

世間を、人を変えることが無理なら
自分を変えるしか、自分で乗り越えるしか術はなく。

弱い者を集団でいじめたり暴力をふるって喜ぶ人間の末路と
その境遇を生き抜き、切り抜けることで強く賢くなった人間の未来の違いを証明できるのは
いじめられた人だけができること。

いじめ上等。なんぼのもんじゃい。

10年先、20年先を見据えて毅然と生きる。
葉隠武士の精神で
死ぬ気で生きろってもんですよ。

それができない弱い人の気持ちも考えて!なんてきれいごとが誰に通用する?
あなたのように人は強くなれないのよ!なんて言葉で乗り越えられるか?

悔しかったら毅然と生きろ。
死んでマスコミが騒ぐのは次の大ニュースが来るまでのことたい。

耐えて燃えろ。 by.ラッシャー木村



2006年10月29日(日) 帰らんちゃよか。

ぴら〜っときてはいよ♪

お馴染み
ばってん荒川さんが亡くなったのは今月22日。

こないだまでラジオで声聞いてたと思ってたのに
ウソやろ?って感じでした。

最近
ラジオを聞いていると追悼番組があったり追悼コーナーがあったりで、九州の人間には聞き馴染んだばってんさんの歌声を聞く機会が増えたわけですが
その番組を旦那と聞いてて
「あー、こげな歌もあったねー」

しんみり聞きつつ、ひとしきり話が盛り上がった名曲がありました。

「帰らんちゃよか」

田舎の両親が都会にでてった息子を思って語りかける歌であります。

・・・おヨネばあさんはまーだどっかの舞台にひょこーっと出てきそーな気がするばってんね...

そうそう
「ばあちゃんは怒っとる」って歌は
おヨネばあさんらしくて面白いです。
きっと全国のばあちゃんが手ぇ叩いて喜びそうな感じ。

CD買うたらまた逢えるばい。



2006年10月24日(火) 私は競馬が苦手だ。

ディープインパクトって馬が
禁止薬物使用だったとかってニュースを少し前に聞きまして
条件反射的に
ベン・ジョンソンを思い出した私です。ないすとぅーみーちゅー。


福岡市内に生まれ育った私には
幼い頃から公営ギャンブルといえば競艇だったわけですが
佐賀県民となった今
公営ギャンブル=競馬に変更しなければならないかと思ったりなんかしましたが
やはり私は競馬は好きではないわけでして。


何故この四十路は競馬が嫌いか?


答えは簡単。競馬は頑張った馬に何の恩恵もない競技だからです。

走っている馬は一等賞になったからといって豪遊できるわけでもなく
馬はケツ叩かれて死にものぐるいで頑張っても
せいぜい飼い葉が上等になるくらいがご褒美で
いくら人間がワーワー騒いで人気が出ても
馬は何の恩恵にも預かれません。

なんだか馬的にはものすごく滑稽であわれです。

そうです
丙午な私はついつい馬の立場に同情してしまい、競馬はなんだかもの悲しくて嫌なんであります。


その点競艇は熱いですよ!


全ては選手次第です。ペラ(プロペラ)の調整、モーターの整備技術、レース運び、ターンの技術。モーターが抽選で決められる以外は、全て己の力量で決まるわけですから。

そして何より素晴らしいのは競艇は女だってA級レーサーになれる、といった時代を先取りした男女雇用機会均等競技なのであります。他の公営ギャンブルにはない門戸の開かれた世界です。選手寿命が長いのも素晴らしい。文句のつけようのない公営ギャンブルなわけです。


そんなわけで
佐賀県民となった今でも
佐賀競馬へは足を未だ運んでいない私ですが

佐賀県民となっても
心は福岡競艇にカッとんでいるのは

そうです
今日からはじまる大レース
SG第53回全日本選手権!!!

私がひたすら応援する植木通彦が出場します。
腐っても植木、スランプでも植木です。

選手にはこんな子もいたりするので競艇は侮れません。

・・・ちなみに彼の名は「山崎智也」です。


盛り上がれ、競艇!



2006年10月15日(日) 介護保険、その後。

今年4月に改正された介護保険法によって
これまで要介護1だった左半身マヒな私の父(齢70)は
先月行われた要介護認定で、めでたく要支援1になったわけですが
それによって日常の足であった電動セニアカーの介護保険での利用をうち切られる予定となっておりました。

要支援1ということは、痴呆もなく歩行もほぼ自立し身の回りのことは大凡自分でできると認めてもらったことなので、この認定自体はこれまでの父のリハビリの成果の賜と嬉しく思うわけです。

が、
マヒした左足に装具をつけ、固まった左腕とのバランスを取りながら、杖をついて歩行するのがいくら上手くなったからといっても、父は健常者ではないので安全な屋内ならばともかく、一歩外に出れば段差、歩行者、自転車、車との闘いです。のろのろ歩きでは横断歩道もあっという間にタイムアップ。坂道やちょっとした段差でも本人にはハードな障害物競走。町中を歩行するには命と肋骨がいくらあっても足りないってもんです。


そんなマヒ父が公園へ歩行のリハビリに出かける際や、病院へ行く際、日常の足となってくれていたセニアカーを、この度の法改正で「要支援1になったから使用禁止」の通達ひとつで突然の貸しはがしです。

(※車いすやセニアカーは要介護2以上、つまり立ち上がりや歩行などが自力では困難で排泄や入浴に介助が必要な人や、寝たきり状態の人にしか介護保険では利用できないようになりました)

お国が決めてしまったセニアカーの利用打ち切り。私も決まったことは致し方ないとして覚悟をしておりましたが、それでもやはり納得できないわけですよ。たしかに歩行ができる要支援の人にセニアカーを貸すのはどうかと思います。スタスタ歩けるくせして乗ってる年寄りもいますよ。そういう人には無駄な貸与と思います。自分で歩けよ!って感じです。

だけど父の場合は障害者。左半身が動かない人が65歳から5年かけて取り組んだ必死の訓練でようやくここまで動けるようになったんですて。セニアカーで起伏や段差のない遊歩道のある公園まで毎日行って、一日何時間もかけて3キロ歩いて汗だくになって帰ってきて、ようやくここまで筋肉も戻ってゆっくりながらも歩行できるようなってきたわけですから。その公園までの道程に利用する為の足を奪うことと、歩けるのに歩かない怠け者の為の足を奪うのとでは、全く事情が違うことが理解してもらえないんでしょうか?


私が何度説明しても説明しても「お気持ちはわかりますが...」の言葉だけで、ケアマネージャーも役所の窓口の人も「国で決まったことなので仕方有りません」の一点張り。ですが私は納得いかないわけですよ。法律ではこう決まったからといって全てを十把一絡げにして欲しくないわけです。納得できないならとことん納得できるまで訴えたっていいわけですよね?

てなわけで認定後、介護保険証を届けてくれた保険組合の方にもう一度実情を説明し、別に私は認定自体に全く異論はないが、この一点だけがどうしても納得できないがどうしたらいいか、どんな手だてがあるかということを食い下がって聞きました。

すると
「ご事情はわかりました。面倒だとは思いますがもう一度、この保険証を持って役場の窓口に行って特例の申請を頼んでみませんか?」
と言うではありませんか。

「どうにかなりますか?」
「断言はできませんが、申請してみないとわかりません。他の自治体でも特例申請して認められたケースがありますので」


この一筋の光明を頼りに早速行きましたよ、役場へ。


窓口で再び事情を説明し(介護認定前にも同じ窓口で同じ話はしていたし、相談もしていたので事実上これで2度目。これが役場クオリティ)、後から顔を出した人にも同じ話を繰り返して聞かせ(これも毎度よくある話。さすが役場、期待を裏切らない)特例の申請をしたわけですが、ここでも窓口の方は「申請してみることはしてみますが、既に決まったことなので認められないかもしれませんが、そのときは申し訳有りませんが...」と、まずはお断りがセットになって出てくるのも役場ならでは。

いいんですよ、私は父のような事情もある人がいるんだから「こう決まったから仕方がない」なんていう十把一絡げの法律の枠にはめ込むのは理解不能だという点を訴えたいだけなんですから。もちろんダメだったら自腹で買うつもりですよ。買えるけど介護保険はセニアカーのレンタル以外全く利用していない父にとって、介護保険と何ぞや?ということになるということを意見させていただいてるわけなんですから。


ハッキリキッパリ言わせていただきました。


さあ
それから数週間後
再度面接調査を行いたいという連絡が入りました。

介護保険組合の方と役場の担当者さんが我が家にやってきて父と面接。
それから再度面接があり
ようやく要支援1でのセニアカーの貸与という特例が認められたわけです。


・・・やっとの思いで手に入れた特例。
この決定を知ったケアマネージャーさんが言いました。

「役所って、言ったもん勝ちみたいなとこありますね...」


けっ!

言わずに黙ってヘコんでるのが代表的日本人でしょうが
私は行動ありきの人間です。


言ったもん勝ち上等!!!


というわけで
大日本言ったもん勝ち連合の結成をここに宣言します!←すんなって



2006年10月13日(金) 毛髪ミネラル検査。

過日
寿司と刺身(特にマグロ)をこよなく愛する息子を案じ
「毛髪ミネラル検査」を行うことにしました。

↑これこれ

で、
その検査結果が郵送にて先頃到着。


いやはや
彼は有害必須共にミネラル過剰であったという
案の定な結果だったのは言うまでもありません。

必須ミネラルのほとんどが基準範囲〜基準より高いのはまあ良いとして
有害ミネラルのカドミウムや水銀が中の上、または高というのは激しく困ったことであります。


本人はここ最近、知ってか知らずか単に飽きただけなのか
マグロをあまり食しなくなりました。
かわってサーモンやサンマ、アジ、イクラ、赤貝、カズノコなどをよく食べていたりします。

とりあえずマグロ「ばっかり」という状態からは抜け出た様子なので
私としても多少は安心しているところです。

魚好きな息子と夫に「魚を食べるな」とは言えないし、水銀が入ってるから魚介類は一切禁止なんて言ってたら、農薬まみれの野菜やわけのわからん配合飼料食わされてる牛豚鶏はもちろん、飲料水だって何が入ってるかわかったもんじゃありません。へたすりゃ空気だっておちおち吸えませんて。電子レンジやパソコン、携帯だって電磁波でダメなんでしょ?細かいこと言ってたら生きてけないですよ、この21世紀。

てなわけで
どうしても摂取してしまう有害ミネラルと上手にお付き合いしていくためにも
今後はいままでより以上に
体内にたまったこやつらを排出する手段をとらねばなりません。

というわけで、セレニウム(セレン)、乳酸菌、ビタミンC、アルファリポ酸などなどを摂取するようにいたしました。


次は夫の毛髪検査です。



私?


私はいいんです。



たとえ水俣病でお馴染みの水銀やイタイイタイ病のカドミウム、林真須美でお馴染みヒ素が常軌を逸したレベルで体内に蓄積されていたとしても、はたまた玄関先に北朝鮮からの土産物が飛来してこようとも、私だけは何事もなく生きてる気がいたしますもんで。ええ。



2006年10月11日(水) どかーんと一発

やってみよ〜うよ〜
核実験という名の
狂言自殺〜


相変わらずイッてる将軍様でございます。

でも
おかげで私のエバケンこと江畑謙介が
再び画面に登場してくれるようになりました。

お帰りエバケン。
会いたかったよエバケン。

あなたの著書「21世紀の特殊部隊(上・下)」は是非とも読ませていただきたいと考えております。


而して21世紀の特殊部隊とは?


私としては国家公務員としての忍者の復活を激しく希望するばかり。



では
アターック、チャーンス。



2006年10月08日(日) 心の年収。

お茶の水博士...いやもとい
お茶の水女子大の某教授様が
算数の学力テストの結果と保護者の所得を比べたそうでございます。

その結果
年収が高くなるほどテストの点も高く
学習時間も長いとの結果が出たとのことですが

何を今更。
そりゃあ人類の歴史始まってからこっち
多少の例外を除けば至極当然なことだったのではございませんでしょうか
と思ったりしたのは
私だけなんでしょうか。


武士や貴族しか学問の機会が得られなくて当然の社会だったのが、戦後いきなり教育基本法に基づき教育機会を均等に与えてもらった程度の我が国日本であります。

人は生まれながらにして「知る」ことを欲した生き物であるが故、ひとたび知識の扉を開くとそれを探求したいという性質を持っており、それを育むためのベースとして重要なのが家庭環境であり、このベースとなる環境、つまり学習環境を整えるために必要になってくるのが親の知識と幾ばくかの資金なのであります。


いや、貧乏人からだって有名な人や知識人、金持ちは出てきたじゃないか。一概にそうは言えんと言う人もいるでしょうが、それは「金」がベースになかっただけであって、「環境」や「知識」はたまた「良き出会い」という縁や人脈があったわけです。もちろんこれを動かしたり近寄せたりするだけのその人がもつ激しく強固な意志やパワー、つまり向上心という原動力も見逃せません。


でも全ての人がこの激しい出世欲や強固な意志、成し遂げようとするパワーを備え持っているわけではないわけで。



やはり子供たちの学力は昔も今もお茶の水の某教授の調査結果のとおりというわけです。


学力格差は最近世間でも騒がれてるように、今後ますます年収の格差に比例して広がっていくものと思われます。たとえ文部科学省がテコいれしたって何をしたって、あまり学力格差の広がりに歯止めをかけることはできないと思います。

そこで
私の本日の視点・論点・多事争論。


学力格差を家庭の年収だけでなく
もうひとつ踏み込んで考えたいと思います。


家庭内における「家族の心の年収」はどうでしょうか。


両親(または家族)の仲が良い家庭と、そうでない家庭の学力および精神安定度や社会性の発達度というのは、私は非常に気になります。
心の年収と私が言うのは、子供だけに限らず家族全員のスキンシップやコミュニケーションの深さ(←親の身勝手な過干渉は論外)、安定感、満足感といったものです。

ここでないがしろにされがちなのは父親でしょうが、父親の満足度ももちろん高くなければ話になりません。稼ぎ手の心がすさんでたら何のための人生かと思い悩んで人生はかなんでヤバいです。女つくったり酒飲んだり連れて歩きたくない男に成り下がります。男は女より繊細でか弱いのですから優しくしましょう。私も頑張ってます。ええ。ときどき優しく叱ったりするのもいいでしょう。男は結構優しく叱られたい生き物なのです。ええ。


それはともかく。

何も学力は年収で買えるものではない。
というのが、金かけて子供教育してきた私の結論です。

探求心と惜しまぬ労力。役割分担のしっかりできた家族という集団の連帯感。

家庭の年収が高くても心の年収が低ければ、たとえ学力は高くともいつしか歪みがでてガラガラと崩落する危険もあり、家庭の年収が低くても心の年収が高ければ、知ることを欲して努力し始めたとき、歪みは少なく安定して結果を出していけるのではないかなと思った次第。

心の年収は金がなくとも個々の努力によって高めることは可能であります。

とは言え
金はない、家族の心の年収も高める気がないとなれば、あとは神の登場を待つしかありません。または気付いた人がこの家族からしずしずと離脱するが得策でしょう。


てなわけで←どんなわけだ
要はバランスではないかと思ったりなんかするわけですが
どうですかお客さん。


とはいえ
努力嫌いな人々が増えつつある日本なのでこれまた所得のみならず心の格差もますます広がりまくりなのかもしれませんですが、はてさてどーなる日本。



2006年10月07日(土) 蜘蛛巣城。

数ある黒澤映画の中でもその美しさ、迫力、ストーリー共に完璧で私がそーとー愛してやまない作品「蜘蛛巣城」。

↑これこれ。

そんな思いがつのったためか、我が家はいつしか蜘蛛巣城と化しつつあります。なんてこったい。


二階にある寝室の窓をあければ、朝の光をバックに巨大な蜘蛛の巣がカーポートと二階の屋根の間でキラキラと輝く様はそれはそれは美しい限り。

この巣は本丸の主である巨大蜘蛛を中心に、二の丸の中蜘蛛、三の丸の小蜘蛛、出丸のチビ蜘蛛、その近くには城下町と思しき小蜘蛛やチビ蜘蛛の小さな巣がいくつも作られているといった、その完成度の高さはまさに蜘蛛界の白鷺城であります。おー、びゅりふぉー。


また中秋の名月だった昨晩など、寝室のバルコニーに出て息子と観月を楽しもうと思ったところ障子をあけて( ゚д゚)ハッ!

窓の上半分に「これぞ蜘蛛の巣!」といわんばかりの完璧なデザインで、巣が完成されつつあるところでございました。


場所が場所だけに、残念でありましたがこの巣は即座に撤去。


ですが翌朝(今朝ですな)、部屋を掃除しようと窓を開けたところ、同じ場所に完璧に完成された蜘蛛の巣がございました。


・・・この城主様はしつこうございます。


なので私は蜘蛛の糸(作・芥川龍之介)のお釈迦様のごとく、そーっと手で蜘蛛を息子の部屋の窓にお連れいたしました。


こちらは小から中へ出世したばかりのサイズの蜘蛛でしたが、この蜘蛛様はカーポートの上の城下町のものではなかったのでありましょうか。

浮浪雲ならぬ、浮浪蜘蛛かと。


かくして我が家にはカーポートの上の白鷺城、裏の倉庫ドアの上に張り巡らされた二条城、庭の木の間にある難攻不落の熊本城と、そして本日夕刻築城されたばかりの小城があるわけでございます。



・・・うちの玄関ドアを開けたらそこに化生の老婆が糸を紡いでたりなんかして?



ひーっひっひっひっひっひっ!!!



60年後、蜘蛛巣城の城主と化した物の怪おかんにこうご期待♪ヽ(゚∀゚)



2006年10月04日(水) 犬のフンはお持ち帰り下さい。

秋ですね。
サンマとビールの組み合わせが愛しい季節となりました。

最近では腹の傷も痛々しい母に成り代わり
歩道の植え込みの雑草を引き抜きまくっている私でございます。

さて
この「歩道の植え込み」というのが本日の視点・論点・多事争論。

我が家の西側に沿う歩行者専用道路(通称コミュニティ道路)には、町が管理する植え込みが左右に設けてあるわけですが、ここの雑草抜き等の管理はその植え込みに面した各家庭がめいめい自主的にしているわけでございます。

もちろん中には美観管理など自分の敷地内さえ放置しまくり&歩道の植え込みなんて知らんぷりってな御家庭も点在したりするわけですが、大凡の御家庭では敷地内の庭木同様きちんとお手入れをしているわけでございます。

しかーし
そのように自分の敷地同様美観を保つ手間暇労力を惜しみなくかけた植え込みに、飼い犬のクソを平気で放置していく毎度お馴染みバカ飼い主の登場ですよ。

一体全体どんなご心境でこのような恥知らずな行為を?


これがうちに隣接する植え込みのみならば話は早いですよ。
「ワシに喧嘩売っとんのかゴルア?」ってことですわよね?奥様。

ですがこの放置グソはご町内の皆様どちら様も困っている迷惑至極な行為なのであります。

犬の忌避剤も置いてみました。固形のやつです。

だめでした。

立て看板も目立つところに移動させてみました。

だめでした。

近所のお庭大好きおばあちゃん(80歳代)なんて、毎朝散歩させてる飼い主に「木が枯れるから木にオシッコさせないで」と、わざわざ声かけまでしているというのにもかかわらず。

オシッコだけならまだしも放置グソ。

私は考えましたね。
どうしたもんかしら?と。

注意するのも手っ取り早いとは思うんですが
立て看板までしてあるのに放置するような相手ですんで、きっと注意したってその後の展開は容易に想像がつきます。

「別にあなた個人の所有地じゃないんだから、町から言われるならともかくあなたにとやかく言われる筋合いはないと思うけどっ?」と逆ギレがオチでしょうて。

たしかに自分の所有地でもないところを皆さん勝手に自主的に美観管理してるだけなので、何の権利も発生しないのは承知の上。

だけど町の美観ってのがあるわけですよ。
みんなそれぞれできる範囲でお手入れして住宅街の美観維持してるわけで。

犬の散歩はいいんですよ。
でも
むやみやたらにマーキングをさせることや放置グソ、散歩の途中のゴミ投棄(クソの入った袋やジュースの缶...)。

こういう行為をする人がいる限り、私は嫌煙家ならぬ「嫌犬家」を貫き通したいと思う次第であります。

愛犬家の貴方。
頼みますから愛犬家同士でマナーについて話し合ってくださいて本気で。

でもですね
私は存じてますよ。

「あの家、植え込みに犬の忌避剤なんか置いてさー、ヤな感じよね」

放置グソ平気でする飼い主はこんなことしか考えてないことくらい。

よし
もっととんでもない臭いの忌避剤ばらまいたろ(゚∀゚)ノ イヌハソトー!



2006年10月03日(火) 女のみち。

齢68歳の母が
歳に似合わぬ病名「子宮筋腫」にて先月7日に入院、翌週15日手術となり
同月25日に無事退院と相成り。

突然の大出血から始まったこの一件も、終わってみれば別段主治医が「お母さまには子宮筋腫ということで話をすすめておりますので...」と、深刻な顔で別の病名を宣告されるようなドラマチックな展開となることもなく、まさに人間万事塞翁が丙午←ちょっと違う、吉凶とは予測のつかないものだなとつくづく思うわけでございます。



退院はしたものの、やはり割腹した母でございます。
いたたたたたた・・・と腹を押さえて歩く姿は痛々しく
痛々しいと思いつつも「医者はどんどん動けって言ったんだから」と
無理矢理ドライブに連れ出し公園を歩き回らせたりなんかしている私は
本当の娘なのだろうかどうだろうかと真剣に悩んでいるのは母本人でありましょうか。

いや、動かないとまた癒着しちゃったりなんかするわけですよ。
だからいたたたいたたた言ってないで動いてくださいよ奥さんという感じなわけですよ。

私も鬼じゃありませんて←ぁゃιぃ



母が退院してから一週間ばかり過ぎたわけであります。


そんなこんなな顛末があり
しみじみと我が夫が言いましたね。


「お前もそろそろ乳ガンとか子宮ガンの検査とかいろいろ受けとったほうがいいっちゃないとか」


たしかに子宮系のチェックはそろそろ受けたほうがいいかなとは思っていた矢先ですが。


乳ねえ・・・
乳はあんましいい思い出ないんですよ。


私はうら若き処女の頃(若干20歳)「乳腺線維線腫(にゅうせんせんいせんしゅ)」←早口言葉かよの手術を受けた過去がありまして、直径3センチはあろうかというその腫瘍は良性とは言えども診察には激しく屈辱的な場所にあり、日帰り手術での摘出術に挑むことになったわけでありますが、まーそれはそれは当時の私には苦痛な診察および手術と予後でありまして、処女心にはそーとーなダメージを受けた嫌な出来事だったのでございます。


もちろん手術そのものには満足しておりますよ。5センチ近くある傷もいたって綺麗だし。


でも、やはり乙女心は深く深く傷ついたものでした。


ああ、あれから20年。
当時の乙女も今はサイズ倍増どすこい四十路。
体重までも当時より25キロ増です。げんなりです。あの頃の私は誰だったの?状態です。


ですがやはり微妙に乳の検査だけはいまだにトラウマってます。
医師とは言えども見知らぬ男に乳をいじくられたり、なでまわされたり、事務的に板に挟まれるのはほとほと堪忍です。カーテンの向こうの男性婦人科医様の眼前に股おっぴろげるほうがぜんぜんマシです。平気です。なんでもこいです。


さて
それを踏まえて、アンサー。


「・・・私が医者からこの乳もみしだかれまくってもいいってわけね(´Д⊂」


慌てたのは夫ですよ。


「じょっじょっじょっじょっ、女医探すけんそれまで待っとけ!」



むふふん。



君の愛らしさに乾杯。


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