ほっこり日記
ふー



 日進月歩

昨日の新聞にクローン胚の記事が掲載された。

以前、脳外科医を招いて「脳死は人の死か」というテーマで
講演会を開催したことがある。

交通事故でいわゆる植物状態になってしまった
お子さんを抱える家族から自費出版の本をいただいて、
その会を応援している高槻市の山口医師に縁ができた。

そのとき印象的だったのが、いずれ自分の細胞から
臓器ができるようになり、それを移植しても
拒絶反応が起きないのだから、それまでの過渡期だ、
医者の実験台だ、
彼は、そういって今の臓器移植をビジネスなのだと言っていた。

そしてそれが、もう現実のニュースとなって間近い。
自分の細胞から、移植する臓器を作ることに誰が反対するだろう。
寄付で集めた何千万もかけて渡米して提供者を待ち、
拒絶反応を抑えながら暮らすことに比べたら、どれだけの
リスク回避になるか分からない。

おそらく同じ金額がかかったとしても、それで完全に
治療から卒業できるのであれば、どんなにいいだろう。

当時はそれでも夢のような話だと思っていたけど
今はカウントダウンだ。
脳死状態の生きた体から臓器を抜きとろうという
えげつない医療の実験は、もう少しで、終わる。

ヒトは限りなく、命を貪る。






2005年05月21日(土)



 疲れた〜。

でも、今回はとても気持ちが良いのじゃ〜・
前回の職場と違って、楽しい・暖かい。

前の職場のsosにも快く応じている自分がいる。
離れたほうがよかったみたい。
結婚しないほうが、ずっとうまくいっている。
そんな男女みたいだ。

これから夏を迎える施設管理者は、どこもそうだろうが
時間外の事件について、思いをいたす時期だろう。

女性だけで管理するのが無理だとは言わない。
でも、コンビニの店員さんが事件にあったり
お金目当てというより、自分より弱い存在に
凶行を働くという事件が頻発しているというのに
いったい、これはなんだろう?

夕べも本当は応援に駆けつけたかったが
そんな自分はけっして前の職場が嫌いなわけではなかった。
ただ、錯綜する嫌味やいやな気の流れに私自身が
翻弄されていたという、それだけなのだ。

けして私は逃げたりはしない。
ただ、正確に不当なものを退けたのだ。
本当に、戦うのはこれからだ。。。

・・・
読んでくださっている方にはなんおことやら〜だろうな〜。
申し訳ないけないです。

でも、ふーは元気にやっています。
電車通勤にも慣れてきました。
歩くのがずっと楽になったし、おへそから下も
サイズダウンは全然ですが、らくぅに動くようになりました。

車通勤が長かったのですが、それ以外にろくすっぽ運動してなかったし
本当に良い機会でした。
足をよくぐねるのも相変わらずですが、ぐねった途端に
体重がかかるのを避ける運動力もつきましたよ。













2005年05月15日(日)



 不器用に生きる。

不器用にしか振舞えない、そういうヒトを
責めることができない。

もっと器用でこずるく立ち回っているヒトもいるのに
そういうヒトは目立たないで、関与もしないで
決断も迫られないでうまくやっている。
片やうまく立ち回れないで立ち往生しているヒトもいる。

で、そんな講座に参加してその後一杯飲みにつきあって
もう明日は仕事があるからと先に抜け出して乗りこんだ
その電車でふと、目に付いた、広告の文字。













そういや、何かの本で読んだっけ。
求めている答えは、必ず与えられる、と。
不器用なのは、罪でもなんでもない。
才能なのだ・・・


怒るだろうなぁ〜(笑)









2005年05月12日(木)



 少し前の話だけど。

このところ、本当に物覚えが悪くなってしまった。
それで、思いつくままにメモを取ってそのメモを忘れるのだ。
そのあと、何かの弾みにそれが出てきて、ああそういえば、
こんな話しを日記に書こうと思っていたんだと思う。

そんな話しのひとつ。



駅に向かう道に面して、電鉄会社の社屋がある。
かなり古い建物で、道沿いに八重桜が植わっている。
桜が満開を過ぎたころになって、八重桜が満開を迎えた。


それをみて、私ときたら

「ああ、桜餅の木だ」

と思ったのだ。
八重桜のこんもりした花の下に葉が出ている。
それが満開になっていると、一本の木が
桜餅千個の木に見えてしまうのだ。

きれい〜というより先に、ごくって喉がなった。
パブロフの犬じゃないが、口の中に塩味のきいた
こしあんの味がよみがえったのだ。

テレビで前に催眠術で大嫌いな果物を大好きなヒトに
見立てて食べさせる、という悪趣味な番組があった。
それを見ていた私も悪趣味だが、見事に当人は
不思議そうに、見た目は果物だけど確かにあのヒトだ、
そういったのである。

催眠術にかかっていたら、花ごとむしゃむしゃ食べて
ああおいしいって本当に言ってるんだろうな私。


なんでもない、そういう話。

















2005年05月10日(火)



 書評から。

 5月8日付けの朝日新聞の書評欄に山崎浩一さんというコラムニストが書いている。『子どもが育つ魔法の言葉』という本のことだ。


 ただ全編に漂う「嫌われないように穏便に子どもをコントロールしたい、という日本の親たちの欲求をも肯定してくれそうなムード」こそが、このベストセラーの隠れ要因であるような気がしてならないのである。


 つまるところ、思い通りに育てたい、わけだ。子どもは微妙なその意向を汲んで幼少期こそ素直に従っているが、青年期にいたるどこかの段階で自分を生かそうとすればその親の意向に反することになり、いい子でいられなくなることに自信を失ってしまう・・・のではないだろうか。

 親から自立して自分だけでしっかり生きていってほしいと思えば、そうした自立の傾向を、心に涙でも顔では笑って送り出さないといけないと思う。でも子どもは親に気を使っている。「嫌われないように穏便に・・・」なんだか、情けなくもあり、非難されずにってあたり、思い当たって苦しい。








2005年05月08日(日)



 過不足なく。

オウム事件のときに知ったジャーナリストで
江川紹子さんのサイトを最近知った。
そこにも尼崎の事故が書いてあった。
江川紹子さんのペンによると

常識的な、というのはこのことなんだろうな。
被害者の悲哀には、それでも届かないだろう。
時間を元に戻すことなど誰にもできはしないのだから。

昨日は、久しぶりのウォーキング講座があって
インストラクターにもまた交代があり、複雑な気分だった。
私は何もできなかったのだと思いながら、そう思うときに限って
私はこれまで自分が何の期待もされていないと思っていたけど
そうではなくて、役割も待たれているものだ、そう、
自戒するようにしている。

若い人に応援しています、そうメールを送って寝た。
返事がきていたよ、ありがとうって。
そう、良い思いを向けて良い思いの連鎖を。

悲しいときだから。

苦しいときだから。








2005年05月07日(土)



 ニュース。

尼崎の事故が起こってから数日は、テレビに釘付けになった。
なんということだろう、私の意識や感情が固定されてしまってた。

今は、どこにいっても新聞を見ても、JRを非難するニュースばかり
が目だって仕方がない。
昨日は、家族で鞍馬山に昇って帰り道に修学院の風呂屋で
一汗流して帰ったのだが、その脱衣場のテレビでも
ひどく悪し様にJRを罵っていたのだった。

無理もない、突然の事故で家族を失ったこの事件は
あまりにひどかったのだから。

それでも、この穏やかで美しい日に、
ヒトを罵って飯を食う、という仕事でなくて、
本当によかったと、心から思うのだ。

報道に勤めていると、いい話より、ずっと
ひどい話、悲しい話が多いという。
世の中の役に立とうと思って飛び込んだ世界で
事件や事故の話しばかりを記事にして、一生を終える
そんな新聞記者が多い、そう、何かで読んだ。

ああそうだ、それは、
金子みすずを世に出した記者が、そんな中で
人に喜ばれて大ヒットする発見を記事にできたのは
幸せだ、というようなことを何かで語っていたのだった。

どんな仕事でも一生懸命やるのだけど、
役割分担として、いやな役目を負うときはある。
でも、人のうわさ、欠点を探してはそれを公表していく仕事をしていると
素の自分までもが、そういう人間になってしまいそうで、
ああいう仕事でなくてよかった、と、思う。

私は、本当に器の小さな、みみっちい人間だなあ。






2005年05月06日(金)



 昨日はしんどくて。

夕べは夕食が作れなかった。
しんどくて。。。。

外の玄関周りのつたをきっていたら
その力で、どうも肩が筋肉痛で・・・・

鍋がもてない、包丁が握れない。

そんなわけで、すき焼き風のごった煮になった。

疲れていたから適当にして寝てしまって
今朝も遅く起きたら、子供たちはそれぞれに
クラブと友達のところに行ってしまって
もぬけの殻、の上に、食卓の上は夕食の残骸、
プラス、今朝のコーンフレークの残骸。

流しも、その前の日の残骸・・・・

・・・でも。

今日は元気だ。

さて、片付けるとするか。
貧乏な連休である。
でも、本当の、足が地面についた生活が、
したかったのだから、これで、いい。

さー、がんばるかー。






2005年05月03日(火)



 友達。

趣味で続けていたウォーキングの友達が、
久しぶりにメールをくれたと思ったら、やめるという。

それで彼女ともう一人と三人で、急遽会うことになった。
メールのあと、電話で30分も話を聞いていて、
引き止められないこともわかっらが、転職する勢いで
あれだけ熱心だった人が、どうして???と。

ビルの30階という見晴らしのいいイタリアンレストランで
三人でランチした。

話はわかるのだが、どうしてあれだけ打ち込んできたものを
やめられるのか・・・いや、だからこそやめるのかもしれない。
適当に流している人と違って、思い入れが人一倍だったのだ。
そこに全身全霊打ち込んでいたのだ。

三人でいろいろ工夫して勉強会を持ったこともあった。
三人は自発的に集まったしお互いに刺激があった。
お金のやり取りはしなかった。


またがんばろうかと思っていた矢先ではあったけど
少しこのまま様子を見ようと思う。
安っぽい霊能者にだまされそうになったり
安っぽくはないかもしれないけど霊感のある江原さんの会に
行ってみたり、私のやることはおよそ、
そうしたものに頼ろうとしては行き詰る。

・・・そうしたここ一年だった。


でも自分の心のどこかで、「これ、おかしいんとちゃう?」
そういう危機感の鈴が鳴る。
前回のセミナーも、ひざが痛くて情けなくていけなかったのだが
無理して笑ったりはできないという決断で、そうした。


隠し通せないうそがある。


私は、それに加担はしない。


なんとか、片輪走行で乗り切ったような、この5月。
私は、自分の姿勢と歩きを確かに手に入れつつある。


それで、十分だ。




2005年05月02日(月)
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