日々是迷々之記
目次


2004年01月31日(土) 今、焼酎が熱い!ような気がする

久しぶりに飲みに行くことにした。焼肉でも食べに行こうかと思ったが、BSEの影響もあってかそれほど盛り上がらず、飲みに行くだけになったのだ。

難波の居酒屋へ行った。ここは立ち飲み毛が生えたような小さな店で、あても小さい。でも、「生げそポン酢」「炙りさつま揚げ生姜風味」など、酒飲みにはうれしいつまみが揃っている。

ここはビールがモルツで生中280円、ブラックニッカのハイボールが190円など、かなりリーズナブルだが、無印良品の地下で、モスバーガーやミスド、マクロバイオティックのカフェなどに囲まれているせいか、おやじの社交場という雰囲気にはなっていない。

今日は酒のメニューが充実していたのでびっくりした。久米仙(泡盛)、一刻者(芋焼酎)、さつま島美人(これも芋)などが300〜400円だった。われわれはここに2時間居て、5杯ずつ飲み、お勘定は4210円だった。(家計簿につける必要があるので細かく覚えている。)や、やすい。

気を良くした私たちはバスで家に帰るつもりだったのに途中下車をして、串ものの店に行った。

ここも酒のメニューが変わっていてうれしい驚きだった。泡盛数種類、芋焼酎数種類。「蘭」という銘柄をはじめて飲んだけど好みだった。それぞれ一杯350円前後(もう忘れてしまった。)

それに、大ぶりの牡蠣を串に刺して揚げた物がうまかった。120円。おもわず2回オーダーしてしまった。ここでも結局一人5杯かもっと飲んでしまい、お勘定は7050円だった。むむむ、ちょっと食べ過ぎたか。「ししゃもの串かつ」って家じゃ絶対やらないけどうまかったです。

帰り道にサンクスでホームランバーを購入し食べながら帰った。家に着いたらちょうど日にちが変わったころで、夕方の5時ごろ一件目の店に入ったので、7時間くらい飲んでいたのだろうか。

ちょっと飲みすぎのような気もするが、胃腸元気かつ、仕事のことを思いっきり忘れ去ることができて明るい気持ちになれるので、まぁいいだろう。


2004年01月30日(金) 自転車通勤でゴー

今日は自転車で会社に行こうと昨日から決めていた。

いつもより20分だけ早起きをして家を出る。バイクじゃないのでヘルメット、オーバーパンツ(ズボンの上に履くスキーパンツみたいなやつ)が要らないので身軽だ。自転車置き場に行くと施錠されたままで入れず、家まで戻って鍵を取りに行く(バイクのキーと駐輪場の鍵を一緒にしているのだ。)という無駄な時間はあったが、まぁ間に合うだろうと自転車を出した。

一つ目の渡し舟に乗るために渡船場へ行った。上流のほうを見るといつもバイクで走っている橋が渋滞しており、トラックや車は不機嫌そうにその場に留まっている。信号のつながりがキチガイじみているので、一度に5台くらいしか右折できないので朝はいつもこんなんなのだ。

一方渡船場は平和である。朝日の中で皆眠たそうに船を待っている。

程なくして対岸から船がやってきた。どわっと高校生の乗った自転車が降りてくる。乗り込むと少し波が高くて小さな渡し舟はぶわんぶわんと揺れながら500mほどの対岸に着いた。みんなが一気に大通りを目指して走ってゆく中で、私は裏道の方を行くことにした。大通りはムチャする車が多いので少しこわい。「青→全開、黄色→つっこめ」というバリバリ大阪ルールがまかり通っている。

裏道は平和なもんで私はのんびりとこいだ。ままちゃりなので気合を入れてこいでもさほどスピードは変わらない。20分ほどで次の渡船場に着いた。出航するとすぐに大きな砂利船がやってきて、波が高くなった。私はこけないように手すりに腕を回し、ひじでしっかりホールドした。右手は自転車を握る。

船頭さんは上手なもので、うまいこと砂利船が起こした波に向かって直角に操舵し、ごく普通のことのように波を超えた。うーん、すごい。

対岸では水鳥が水面でゆらゆら揺れながら朝日を浴びていた。なんだか平和なのだ。一方、いつも通っている大橋を見るとこれまた橋の真ん中当たりから渋滞している。

そこから会社までは5分ほどだ。会社に着くと7時59分で誰も来ていなかった。すぐに専務が来たが、おはようと言う前に「何で自転車なん?」と訊かれてしまった。うむむ。どう答えたらいいんだろう。渋滞がやだとかいろいろあるが、「気分転換です。わはは。」とわけのわからない答え方をしてしまった。

会社から2キロくらいの距離を車で20分ほどかけて通勤している人には、何だか理解できないんだろうなぁとちょっと思いつつ。


2004年01月27日(火) ストーブ・豚足・エビフライ

最近は家に帰るとすぐにストーブをつけることが多い。そしてヤカンに水を入れて乗せる。ベランダから朝干してまだ生乾きの洗濯物を取り込み、ストーブの上のほうにつるす。すぐにぱりっと乾くのだ。

晩ごはんもストーブに助けてもらう。やかんのお湯をおなべに移し、だしを取って味噌汁を作る。ストーブの上に魚焼き網を乗せて、厚揚げやししとうを炙る。朝炊いたゴハンと冷蔵庫にしまってあったカブの浅漬けで晩御飯だ。

結婚したころは、おかず3つ以上など真面目に作っていたが、最近はそうでもなくなってきた。だんなさんの方も一人暮らしになり、会社から帰って夕食の段取りをするダルさ、弁当のために使い回しを考えるめんどくささをわかったようで、手抜き使いまわし食事にあまり何も言わなくなった。(どころか、自分で圧力鍋や「きちんとさん」の保存容器を揃えたりしている。)

暖かい部屋で食べる冷たい浅漬はおいしいなぁと思いつつ、今頃だんなさんは何を食べているのだろうかと思った。

私はしゅんしゅんとストーブの上で沸いているお湯をグラスに取り、芋焼酎を注ぐと電話を取った。

「もしもし。あ、ごはん食べた?」
「食べたで。」
「何したん?」
「豚足や。」

なんでやねん。なぜに豚足。

「ゆでるだけやねんけどな、添付のからし酢味噌が合わんねん。なんかこっち(愛知県東部)の人はこうやって食べるらしいけど。俺には合わんわ。」

骨の髄まで関西人のだんなさんは、愛知県方面の食文化にかなり?なようだ。喫茶店にアントーストがあったと報告してくれたくらいだ。(トーストにマーガリンとあんこが乗っているらしい。)

「会社で聞いたところによると、すき焼きにエビフライ入れるって言うとったわ。」と言う。「それは絶対ネタやで。」と私は返しておいたが、ありえないとも言い切れないような気がする。愛知県方面の人は「話にオチをつける」ようなしゃべり方はしないように思うのだ。

とまぁ、IP電話の恩恵がなかったらただの無駄としか思えない会話を日々、繰り返しているのだった。


2004年01月26日(月) 何も無い日々のはずが、、、

ここ最近は何も起きず平穏で日記に書くべきこともない。(って平穏なのが普通か。)

となると、家に帰っても余力があるのでHPの更新でもしようかなと思い立った。今の形式に飽きてきたのでブログというものに挑戦してみようかなと思っていろいろ探してみたが、そのブログを置くサーバーにいろいろ必要なものがあって、それがうちで借りているレンタルサーバーにはないのがわかった。

うむむむ。と、とりあえず保留。今この日記を借りているエンピツを有料版に切り替えると検索やらなんやらできるようになり、ブログもどき?のようにはなるらしいのだが。

こんなふうにぼんやりしていたら、ごみためのようになった受信メールボックスから重要のフラグを立てたメールを発見。思わず血の気が引いた。

やることちゃんとあるじゃんか。(T_T)

せっかくの友人の厚意をむげにしそうになり冷や汗が出た。F様、どうもすみません。今晩やります。

どこが日記なんだか。


2004年01月22日(木) 分からないことを理解すること

何やら哲学的だが、今日感じたことだ。

夕方、何か経理のシステムにトラブルがあったようで経理のねぇさんはシステム屋さんと電話でいろいろ話をしていた。システム屋さんがシステムの基本部分を改善したファイルをメールで送るので、それを経理のパソコンのHDのしかるべき位置に置くことになったようだ。

私が受信したのでそのファイル(datファイル)をフロッピーに入れて彼女に渡した。(経理のパソコンはセキュリティ上、ネット接続やLANに参加していないのだ。)

そこでまた電話をして、使い方を聞いているようだが、うまくいかないようだ。15分ほどあーだこーだやっていたが結局、システム屋さんが折れたというか、ファイルを見直すことになった。

私は彼女に「どんなことを言われたんですか?」と聞いてみた。すると、彼女は、「ファイルをデスクトップに置いて、選択してから右クリックをして、「名前を変更」を選ぶねん。そこで、今ある名前に「.mbd」って付けたら、アイコンがアクセスの鍵マーク付きになるって言われたけどならへんねん。」と言った。

わたしは、そのとおり彼女のパソコンでやってみた。ふむふむ、分かった。彼女のパソコンは「拡張子を隠す」設定にしているので、右クリックして名前を変更しても拡張子は変えられないのだ。私は「フォルダオプション」の「拡張子を隠す」のチェックを外してから、同じ操作をやってみた。すると、うまくいった。

彼女は何がどうしてうまくいったのかわからないようだった。私は、「拡張子を隠してたので変更できませんでしたが、表示したらうまくいきました。ってシステム屋さんに言ったらわかると思いますよ。」と言った。そして彼女はシステム屋さんに電話をし、その旨を伝えて最後にこう付け足した。「って、そういうことみたいです。私には訳がわからないんですが。」

わたしはその言葉を聞いて少し考えた。私は拡張子の意味もいちおう分かるし、表示しない設定ができることも知っていた。でも、彼女は知らなかったし、システム屋さんは彼女がそういう設定にしていることを考えもしなかったのだろう。それでは話は進まない。

彼女にとってはパソコン=会社で経理をするものという位置づけで、家でパソコンを使っているわけではない。それに使うのはその経理に特化されたパソコン一台こっきりなのだ。それなら拡張子やらなんやらが意味不明でもしょうがないような気もする。

メールやネットが当たり前みたいな言い方をしたりするが、必ずしも皆がパソコンを使っている訳でもなく、携帯電話でそういったことを楽しんでいたり、一切やらないひとももちろんいる。なのにそういうことを忘れて、専門用語(この場合は拡張子)を使ってばばばばっ!と話をしても伝えることはできない。

「(windowsの)パソコンを使ってるのに、拡張子がわからないなんて勉強不足。」なのか、「専門用語を連発されて、訳がわからなかった。」なのかは、その場合と相手にもよるが、教える立場なら理解できるように教える方がいいと思った。

かくいう私も説明は上手でなく、くどいかおおざっぱのどっちかになってしまうことが多い。10年ほど前に初めてパソコンを触ったときのことを忘れないでおこうと思う。(気づかずに「スクロールロック」キーを押してしまい、数字を入力したいのにカーソルが動いて途方に暮れたり、一太郎の「上書きモード」で文章がぐちゃぐちゃになったり、今思うと何で?みたいなことをやったことがある。)

最初っから何もかも分かっていた訳じゃないのだから。


2004年01月21日(水) 灯油を買いに

明日から寒くなるようなので灯油を買いにゆくことにした。

カブの荷台にポリタンクをくくりつけてガソリンスタンドへ。バイクで来る奴なんかあんまりおらんやろうなぁと思っていたら、自転車で買いに来ている人がいた。しかも、折りたたみの車輪の小さな自転車で、かごや荷台はない。ということは手に持って片手でハンドルを握って帰るのだろう。恐るべし。

以前、ガソリンを入れにガソリンスタンドへ立ち寄ったとき、ママチャリのかごに、ストーブの中の灯油缶(縦長のタイプ)だけを入れた若い女性を見たことがある。あの缶だけ持ってきても入れてもらえるようだった。そのとき初めて知った。

うちのストーブは「サロンヒーター」で、灯油缶部分だけをはずすことはできないが。

ということで小雪が舞うような天気でも、家の中は温かく過ごせそうだ。最近よく目にする扇風機型のハロゲンヒーターも気になるところだが。


2004年01月18日(日) 18切符。最後の一枚。

今日は愛知県から大阪に帰る日だ。使うのはいつもの青春18切符。使うたびに思うのだけれど、この「青春」というのは妙に気恥ずかしい。「貧乏旅行」=「若者」というイメージから付けられたのだろうが、今は年齢に関係なく、大名旅行なヒトは大名旅行だし、チープ旅のヒトはチープだと思われる。家族で帰省するのに18切符の一家がいるわけで。

昼過ぎに食事をして、最寄りの駅まで送っていってもらった。そこからは名鉄とJRを乗り継いで大阪に向かう。大阪駅に着いたのは20時ちょっと前だった。アウトドア系の店で山スキー用のジャケットを見てから百貨店でチーズの入ったパンとバゲットを買って家に帰った。

この冬の18切符ではどこも新しいところへ行かなかった。城崎方面、広島方面にも行きたいと思いつつ、また、関西でまだ乗ったことのない和歌山線や、関西線方面も行きたかった。が、時刻表を見て、尻込みをしてしまうのだ。ちょっとローカル線になると乗り継ぎが悪く、電車に乗ってばっかりになってしまうのだ。効率よく遠くへ、と考えると東海道線沿線が一番イイのだ。

例えば、「大阪ー名古屋」という移動を考えた場合、近鉄特急なら3400円で3時間くらい。18切符なら2300円で乗り継ぎを入れても3時間半程度で行くことができる。「新快速」があり、駅を7つも8つも通過してゆくので速いのだ。

その反面、ローカル線は本数が少なくなり、しかもよく混んでいることが多く、始発駅から乗らないと座れないこともよくある。プラス、「普通列車の夜行列車」も全席指定になったり、その列車そのものが無くなったりして様変わりしている。

次の18切符は春休みの時期だ。その時は、滋賀県と愛知県以外のどっかに行こうと思う。


2004年01月17日(土) スキーだ、わーわー!

昨日の金曜日の夕方に大阪を出発し、夜中にだんなさんの車に拾ってもらい、土曜日の丑三つ時にここ、岐阜県のスキー場にやってきた。

到着したときは氷点下10度くらいだったが、焼酎を飲み、羽毛の寝袋に入るとすやすやと寝てしまった。目が覚めると、自分の吐いた息が車の内側でばりばりと凍っていた。

その中で湯を沸かし、カップめんを食べ、コーヒーを飲んでスキーに出かけた。

今回来たのは「チャオ御岳」スキー場だ。新しいこともあって、妙高や木曽福島とはまったく違う、まるでカナダかどっかのスキー場風だった。ICOCCAみたいな非接触式カードのリフト券だし、リフトもゴンドラも空いている。スキー場のスタッフも若くてきびきびした人ばかりで、おばちゃんに「ハイっ!次!ここまで来て!」と手招きされることもない。

それにカフェテリアの食べ物がうまいのが気に入った。私はハンバーグ定食、だんなさんはデミグラスソースのオムライスを食べたのだが、「まいう〜」だった。ビールも生のモルツだし。

午前と午後で10回くらいこけて、帽子のひもがちぎれたり、背中から雪が入ったりして私はぐったりしてしまった。車に戻るとすっかり雪に埋もれており、疲れた体にムチ打って雪をどかして氷をこそぎとってしたらもうボロ布のように疲れた。

帰り道は3桁国道の雪道で、時折吹雪がばしばしと車にあたるという状況だった。が、クルマいいこととだんなさんの運転がうまいので少しも恐ろしくなく、すべることも無く、るんるんのドライブだった。

カナダに住んでいたとき、私は自分の車でスノボに行っていたが、路肩の吹き溜まりに突っ込むこと2回くらい、下りのカーブで横向いたこと数知れずという状態だったので、ちゃんとやればちゃんと走れるんだなぁと感動した。

話は脱線するが、雪の降る地方に住んでいる人に、スバルのフォレスターはおすすめである。ターボ車のくせにリッター10位走るのもエライ。近日、6MTで2500cc、265馬力のSTi仕様が出るらしいので雪国に住む、走り好きの人はいかがですか?車中泊、車中自炊、引越し、雪道を安全に走ることが可能で、しかも、走りも楽しめるのである。すごいなぁ。

帰り道に、何だか昔風の旅館の立ち寄り湯の看板が見えたのでよってみた。500円で、客は私たちしかいなかった。そこ、「木曽温泉」はよくあったまるいいお湯だった。

だんなさんの家まで約5時間ほどかけて帰り、ビールを飲み、録画していた「でぶや」を見るとすぐに寝てしまった。

明日は大阪に帰るのだ。


2004年01月14日(水) 最近のすばらしい買い物

なんかもう激しく眠いので今日は最近のお買い物について書こうと思う。って全然日記ではないのはいつものことか。

ユニクロのエアテックジャケット

別に絶対必要という訳ではなかったが、羽織ってみたらとてもぬくく、値段も普段着ているモンベルのパーカーの十分の一以下だったので思わず購入。モンベルのパーカーはスキー専用にしようと思う。(ってスキーもバイクもすべてこのモンベルのパーカーで済ましていたわけです。しかも4年くらい。)防風性もそこそこあり、カブ程度のスピードなら、Tシャツとセーターとこのジャケットだけで十分バイクに乗ることもできる。一時期、ユニクロが低迷していたのは、質のよいものを安く売りすぎたからではないかとふと思う。

ユニクロの5本指靴下

とうとうユニクロにも5本指靴下が登場してうれしい限りだ。私は5本指靴下が圧力鍋と同じくらい好きである。(いまいち良さが認められていないところも似ているし。)いつも足ゆびがさらっとしているし、スキーの時はこれを履いてからスキーソックスを履くとぬくいしいい感じである。が、一般的にはまだまだマイナーみたいで、いつもホームセンターの作業着売り場で真っ黒のものを選んで購入していた。5本指の他にも、豚足風、もとい足袋風の二つに分かれたものもあったので次はこれを試してみたくなった。

パックスナチュロンのリップクリーム

ふつうのリップクリームの場合、最初は潤って良いのだが、3日ほど使い続けるとさかむけが出来てくる。そこで、一時期ナチュラルオタクだった私はこのリップクリームを購入。それからはこれ一本である。値段は550円なので、たたき売りのリップクリームの5倍の値段なわけだが、それなりの価値はあると思う。においもほのかに美味しそうだし。

ジャパンの幸麺

「こうめん」と読む。ジャパンとは親父顔がトレードマークのディスカウントストアである。幸麺はタイの工場で生産したジャパンオリジナルのラーメンである。袋麺なら24円、カップ麺なら69円と不安になるほど安い。が、けっこうウマイのである。味は醤油味でもとんこつでもない「新しい味」で食べ始めるとじんわりと汗が出てくるが激辛ではない。量はサッポロ一番の7割くらいで少なめでいかにも「スナックとしてのラーメン」といった感じだ。トミーズ雅が番組でほめ倒したらしく、袋麺は品薄なようだった。日清Goota一つと、幸麺カップ入り四つと同じくらいの値段だが、どっちを選ぶかは個人の好みだと思う。(私は幸麺派だが。)

という感じで新年早々ビンボくさい話が連チャンで少し悲しい。もしや今年一年を暗示しているのか!今年こそは穴の開いた靴下を繕わずに、換気扇やガス台を掃除するのに使って、ぽいと捨てられるくらいビッグになろうと思う。

、、、。むなしくなってきたのでこのへんで。


2004年01月12日(月) いい日バカ旅「琵琶湖周遊の巻」

今日は旅行に行かなければならなかった。というのも青春18切符が余ってしまうからだ。年末年始に2枚使って、来週末に2枚使う。が、期限は今月の20日までである。ということで今日は旅に出る日なのだ。

目的地は琵琶湖。一周するのがある意味悲願だった。今まで、バイクや自転車などで試みたことはあったが、いずれもどんくさいため一周には至らなかった。が、電車である。余裕だろうと最初は考えていた。だから家を出るのも遅い。朝のワイド番組を見てから家を出た。

大阪駅に到着したのは11時過ぎ。そこから湖西線の近江今津行に乗る。1時間16分の行程だ。京都まではそれなりに混んでいたが、そこからはローカル線そのものである。



右を見ると琵琶湖。



左を見ると比良山系。今日はぬくいので山に雪がない。

近江今津で長浜行に乗り換えるが、乗り継ぎが63分もあった。…、と思いながらも駅の周りをうろうろすることにした。駅を出て、とりあえず浜の方に向かって歩き出す。すぐに左手に「琵琶湖周遊の歌・記念館」があった。「琵琶湖周遊の歌」をガンガンに流しているが、見渡す限り歩いているのは私だけだ。

すぐその向こうに今津港がある。琵琶湖に浮かぶ竹生島行きの遊覧船が出ているらしいが、オフシーズンだった。が、その分、港には人気もなく、水もきれいだった。



そこからちょっと北向きに歩く。駅の案内書で手に入れた冊子によると、この町はヴォーリズという建築家のヒトが有名らしい。10分ほど歩くと資料館があるとのこと。そこに行ってみることにする。

途中、ネコにじっと見つめられたり、



謎だが納得のリフォーム屋さんを横目に見ながら町をうろうろする。



この町ではテニスプレイヤーがラケットをフライパンに持ち替え、日本の食文化を守ろうとしていた。



そしてヴォーリズ記念館である。ああ、こぎれいな建物だなと思い、重い扉を押し開けると、お総菜のニオイが充満していた。テーブルを囲んでいたおばちゃん軍団が一斉にこっちを向く。微妙にざわめいたりしつつも、「ご自由にご覧下さい。」と言われた。

洋風建築に総菜のニオイが充満している。干し椎茸のダシと思われる。そんな中でアメリカから英語講師として明治時代にやってきたヴォーリズ氏について思いをはせるのはちょっと大変だった。一体あのおばちゃん軍団は何だったんだろう。

記念館を出て、胸一杯にきれいな空気を吸い込むと、駅に向かった。結局これだけで50分くらい費やしてしまったのである。途中のコンビニでカルビー堅あげポテトを購入する。私はこの味が好きなのだが、地域限定らしく、大阪では購入できない。和歌山県、愛知県、岐阜県では売っていることを確認したので、そっち方面に行くたびに購入しているのだ。

駅に着くと、すぐに電車は発車した。私はすぐにうとうとしてしまった。そして気が付くと終点長浜駅だった。いかんいかんと気を取り直して、多分本日のメインイベント「長浜盆梅展」に向かった。盆梅とは言ってしまえば「梅の木の盆栽」だが、しだれ柳のようになっていたり、樹齢400年だったりと、なかなかほうほうと思わせるモノがあった。入場料は500円だが、十分その価値はあると思った。

が、しかしである。私のココロに残ったのは可憐な梅の花ではなく、お土産屋を仕切る押しの強いオバハンだったのだ。ちょっと土産物に目をやるだけで、試食をさせようとする。名物じゃないただの佃煮じゃんとか思いつつ、静かに断るが、客の90%以上がおじおば軍団という性質上、勧められたタダの食べ物を断る人間はほとんどいないのだろう。変な顔をされてしまった。食べ物に関して言えば、長浜駅前の平和堂(スーパー)で、もっとまともな値段で売っているものばかりだった。

そこに、梅の絵が描いてあるぐい呑み(1000円)があった。ぼてっとしていて私好みだったので一つ購入しようかと手にとって見た。平らな棚の上に乗せてみると何かおかしい。糸底が斜めになっているようで、置くとコトコトゆれるのだ。デザインはいいけど、不良品じゃんと思い、結局何も買わずにそこを離れた。

観光施設は何らか、毒されているのだ。

再び、電車に乗ると、気が付いたら大阪駅だった。ああ、写真撮影を忘れていたなぁと思ったけど、大阪駅の雑踏なんか撮ってもしょうがないのでまぁいいことにする。帰りに551の豚まんを購入して家に帰った。

家に帰ったら豚まんを食べて、土曜日に仕込んだきずし(しめさば)を食べてと考えていたが、疲れていたようで、どっちも食べずに寝てしまった。

総移動距離、(多分)300km弱。使ったお金、(切符以外)1000円以下。脱力感、プライスレス。そんな感じの一日だった。


2004年01月08日(木) ママチャリとの死闘とその愛

年末にママチャリの後輪から空気が漏れるようになった。早速パンクかと思い、マンションの部屋まで持って上がって、チューブを引きずり出して穴の場所を探そうとしたが穴が無かった。で、とりあえず空気をパンパンに入れて様子を見たが、3日くらい経つと空気が抜けている。

それからバルブの中の虫ゴムを取り替えてみたりしたが、やはり空気は漏れてくる。ということで重い腰を上げて、チューブを新品に交換することにした。

何でそれが「重い腰」になるかというと、ママチャリの後輪をはずすのがめんどくさいのだ。マウンテンバイクや、ロードレーサーだとクイックレリーズのレバーが付いており、ブレーキワイヤーを緩めて、チェーンをたるませると簡単にタイヤが外れる。

が、ママチャリの場合は、泥除け、スタンド、荷物台をはずしたりずらしたりして、それからブレーキ部分を最低限ばらして、チェーンケースのすきまからチェーンを引っ張り出して緩めて、手をオイルでネタネタにしないとタイヤを外すことができない。ここまでで小一時間。

そこから新しいリムバンドとチューブを装着し、空気を入れる。そしてまた元に戻す。

何回もひっくり返ったり、風雨に打たれたりしているので、自転車自体がガタガタなのでねじ穴がうまく合わなかったりして、組み立てるのも一苦労だった。

結局、全工程で2時間半くらいかかった。

自転車屋に持ってゆくと、多分3-5千円くらいはかかるだろうし、自転車屋のおっさんにイヤミのひとつも言われる可能性が無きにしも有らずなので、しんどくても家でやるほうがいいような気がした。

自分で直すと愛着がわいてくるのはいつものパターンか。ベランダには11年前に購入した自転車があるというのに。これも艱難辛苦(大げさ?)を共にし、わざわざカナダから持って帰ってきたので、部品が手に入らない今も捨てることが出来ないのだ。(しかも激安でブランド的価値は一切ない。)

来週は自転車で通勤しよう。


2004年01月07日(水) 仕事のさじ加減

まだ仕事始めから2日目だというのに私の顔には縦線が入っていた。いろいろ事情があって、某銀行のパソコンバンキングソフトをあるパソコンにインストールして使えるようにしないとだめなのだ。

このバンキングソフトってのが調べれば調べるほど旧時代的だった。私は新生銀行のインターネットバンキングシステムをよく使うが、ウインドウズでしか出来ないことを除けば、使い勝手は良好だ。が、この某銀行のシステムは専用ソフトが必要で、パソコン通信みたいなシステムになっている。要は常時接続の環境ではだめで、モデムで発信しないとだめなのである。

ところが、うちは現在FTTHでその前はISDNだった。ということでパソコンの内蔵モデムを使用しようにも使えない。で、以前使っていたヤマハのルーターをじっと見た。これにはシリアルポートが付いていて、そことパソコンのシリアルポートを接続してやるとモデムのように使用できるらしい。詳しくは説明できないが。ということでどうにかこうにか、シリアルポートで接続し、ネットからルーターのドライバ類をダウンロードし、CD-RWに焼いて、当該のパソコンでインストールして設定した。すると当たり前だが使えるようになった。

ものすごく感謝されてしまって、「なおぞうさんって、本物のSEみたい!」と絶賛された。ついでに、明日のお昼はものすごく美味しい弁当屋さんのハンバーグ弁当を買ってもらえるようになった。それはとてもうれしいことだ。

が、しかし、それだけのことでSEみたいとか言われてしまうのはどうかと思う。私のやったことと言えば、そのソフトがどういうモノかを調べて、それを使えるようにはどうしたら良いかを考えて、ダウンロードや、インストールをしただけである。もちろん、パソコンを使っているだけの人なら難しいだろうが、ここは会社である。この程度のことでいちいちシステム屋さんを呼んでいたんだろうか?(まぁ、実際呼んでいて、ぼったくられまくってたわけだが。)

結局午前中はそれだけで終わってしまった。昼からは、業務の進捗状況をまとめる日報のようなものをエクセルで作った。実はこれと同じようなものを入社してすぐ作ったのだが、社長があんまり気に入らなかったみたいなのでお蔵入りになっていたのだ。それは、一つのエクセルファイルの中に「顧客ID」というシートと、「商品ID」というシートと、「工程表」というシートを作って、それぞれ入力してゆくと、最後の「納品、請求管理」というシートに、何が納品済みで、何が請求できてないかというのが出力されるというシロモノだった。

私は「いやー、ごっついわかりやすいわぁ。」と自画自賛だったが、社長にとっては「はぁ?」だったらしい。社長はパソコンを全く使わないので、シートとか、データとか言ってもそれがナンボのもんやねんという風に感じているようだ。なので私が、ここのシートに商品の明細、こっちのシートにお客さんの明細、で、こっちのシートに対応するお客さんのID番号、で、売れた商品のID番号と納期を入力すると、次のシートに状況が出るんですよ。とか言っても宇宙語なんだろう。最後は「ゆっくり見るから紙に出して。」と言われた。

これを言われるのが私は苦手である。元々出力するように作ってないから見栄えがしないし、第一、データ量が多すぎて、A3横でも出し切れない。印刷ユーティリティ任せで一枚に入るように印刷することも出来るが、そうすると文字が極小でお年寄りにはつらそうだ。

ということが今までに何度かあって、私は信用を失いつつある。最初っから信用があったのかどうかは知らないが、うさんくさいやつだという感情は高まっていると思う。毎日パソコンでかちゃかちゃやっているわりには、彼の思う成果物(=紙に印刷されたもの)を一切出せずにいるからだ。

これだけではなく、てんでばらばらに作っていた見積書や、ファックスの送り状などを統一フォームとして共有フォルダに入れても誰も使ってもらえなかったりした。何で使ってもらえないのか聞いてみたら、以前自分で作ったモノを使い回ししたほうが楽だからという返事が返ってきた。その人のマイドキュメントフォルダには「送り状」というフォルダがあり、その中にお客さんの名前を冠したエクセルファイルが50個くらい入っている。ファックスを送るときはそれを開いて、日付を今日にして使っているらしい。

ここは会社なんだから、個人個人が楽なようにってやり方はあまりよくないと思うが、家族経営の会社ではそれも通るのだろうか?

でも使ってもらえるものを作らなければしょうがないので、一切マクロや関数は使わずに、ただ日にちを入れて、誰に何をどうやって連絡してどういう結果になったかを記入する一行日記のようなものを、以前作ったシステマチックな工程表のかわりに作った。「1月5日○○工務店△氏に最終見積もりをファックスで送る。(税込み○円)」といった感じに。これでも、どれは納品できていて、請求したかどうかを知ることは可能だ。もちろんA4縦で普通に出力できる形で。これを更新するたんびに印刷して、社長の机の上に置けば気に入ってもらえそうだ。これが今日の午後からの仕事だった。

パソコンでやる意味があるとは思えないが、役に立たなきゃ意味がないのは真実だ。

私は家に帰ってコタツにはいるとうとうとと寝てしまった。電話がかかってこなかったらやばかったと思う。22時過ぎ、食事を作る気力もなく、朝食用に買ったパンと、オニオンスライス、鯖の水煮缶にポン酢マヨをかけたものを食べ、酒を飲んで今に至る。眠たい。

世の中には色んな人がいる。パソコンがない時代から生きている人もいるし、成果物が手に取れる形にならないと気にくわない人、新しいことには拒否反応を示す人、会社と家族を混同している人、私はその中のいずれも苦手で、つきあう術すら持たない。それに輪をかけて、人の話を聞こうとしない人は手を付けられない。

はいはいって聞いて、印刷せよと言われれば、見栄えなんか二の次でとりあえず印刷しておけばいいじゃんかというのが世渡りというものだとは思うが、私には、私のやり方でやれば、何かしらの利点があるという意志がある。金をもらっている以上は役に立つべきだしと考えており、自分の能力の中で最大に利益をもたらしてあげるのが使命ではないか。私の方がパソコンやそれをとりまく環境には詳しいわけだから、それをふまえて提案などをしている。それに聞く耳を立てずに、手書きの台帳や、電子メールを印刷してファイルすることなどを求めるのなら、もっと別の人間を雇えばいいではないかと思ってしまう。

今日も終業時にはパソコンやプリンタの電源を落とし、社長夫人が手作りした布のカバーをかぶせる。数年前、「パソコンのウィルス」が流行した時に、社長の指示で嫁に作らせたものらしい。

この会社もぼちぼち辞めようかなぁと思う今日このごろである。


2004年01月06日(火) 仕事始めの実感

さて今日は仕事始めだった。久しぶりの通勤なので早めに家を出た。が、勘が鈍ったのか、そんなに早く到着しなかった。といってもやはりというか何というか、会社のドアは閉まっていた。とほほ。

会社の中に入ると微妙に荒れていた。昨日は例の家族の宴会だったようである。私は掃除機をかけながら愕然とした。床にラムネがたくさん転がっているのだ。床の上だけでなく、応接室のソファーの背もたれと座面の間にも押し込まれていた。

わたしはくそーと思いながらソファーのカバーを剥がしてラムネをほじくり出した。そのころ経理のねぇさんが出勤して来たので、ラムネのことを話した。すると、昨日はお子様がた、「元気いっぱいモード」だったとのこと。んで、親達は子供達の御乱行を「のびのびしていていい。」って感じで注意なんか全然だったとのこと。世も末である。ちゃんとしかったりしつけたりされるだけ、犬や猫のほうが数倍ましだ。

応接室のテーブルの上には一升瓶があった。月桂冠の超特選吟醸という何だか金色のラベルがきらきらしたやつだった。私はふぅんという感じで成分表示ラベルを読んだ。(くせなのだ。)

すると、「醸造アルコール」とあった。成りは高級そうだけど、まぜものなしではないらしい。この辺は好みだろうけど、どうせ飲むんだったら、素性がわかりやすいベーシックなもののほうがいいような気がする。しかもこんなキンピカラベルに金をかけたようなものを飲むんんなら、「男山 大吟醸」でも飲む方がよっぽどリッチな気がするが。(飲んだことないけど。)

というような話をだんなさんに電話で話したら、縁起物だから味はどうでもよくて、金箔が入ってるほうがポイントが高いことになってるねん、とのことだった。それだったら「大五郎」とか「ビッグマン」でも金箔が入ってたらめでたいわけ?と聞いてみたら、そんなんないけど、ありがたがって飲むことに意味があるんじゃないのと言っていた。

私は金箔は入ってなくても本当にうまいほうがいいなぁ。

とまぁ、やっと仕事モードの話を書けると思ったらやはりというか何というか、最後は酒の話になってしまった。何だか今年を暗示するような気が…。


2004年01月05日(月) 愛と希望の圧力鍋

昨日は大阪に戻るなり、正月用品のたたき売りを求めてスーパーに行ったのだが、生鮮品はまだまだ正月モードで参ってしまった。「特上霜降りしゃぶしゃぶ肉」とか「とらふぐてっちりセット」とか一人ではどうしょもないものばっかりだ。

その中で唯一手を出せたのが「牛すじ肉」だった。が、正月らしく、高級な和牛の筋のようでちょっと高めだった。それと人参などを購入。カレーにするのだ。

正月が終わって即カレーだと「おせちもいいけどカレーもね。」というベタ宣伝文句を連想するが、確かにそうなんである。んで、7日に七草がゆを食べるという段取りか。

まず、すじ肉を普通の鍋に入れ、かぶる位の水を入れて沸騰させ、ゆでこぼす。そしてすじ肉を水洗いし、適当に切り、圧力鍋へ。そこに水1リットルと昆布10cm角くらいを入れて蓋をする。火にかけて高圧で25分。その間にたまねぎを千切りにして炒め、飴色タマネギを作る。25分圧力をかけたら自然に減圧し、減圧が完了したら、昆布を取り出し、飴色タマネギと乱切りにした人参、カレー粉を小さじ2杯ほど入れて再び圧力をかける。今度は2分ほど。人参が柔らかくなるまでだ。減圧したら蓋を開けてカレーのルーを入れてかきまぜて、普通のカレーくらいのとろみがつくまで煮ればできあがり。全行程1時間くらいか。

これが、感動的にうまいのであった。一番安いから購入したすじ肉が輝く瞬間だ。カレー用角切肉なんか足下にも及ばない。今回は生のすじ肉300グラムで水1リットル、ルーが6皿分だったが、牛すね肉を大ぶりに切って300グラムくらい入れても良さそうだ。

次はテールでテールカレーなんてのも作りたいなぁと思ってしまった。はー、じゅるじゅる。


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