日々是迷々之記
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2002年05月23日(木) 「私、パソコンできます!」の実体。そして…

いつものように結構ヒマな昼下がり、24歳新入社員の子がテケテケとやって来た。「なおぞうさん、E-Mailのやり方を教えて欲しいんですけど。」と言う。「E-Mailのやり方」といっても具体的に何を知りたいのか分からなかったのでハテハテ?となった。

確か彼女はノートパソコンを持っていて、家はインターネットマンションとか言ってた。ということは、ソフトの使い方というよりは、英文メールの扱い方だろうと判断した。

「大体、決まり切った内容が多いから、全部ひな形化してあんねん。そこから引っ張ってきて、相手側の担当者の名前と数字だけ入れて送信したらいいよ。」と言った。が、彼女は的を得ていないといった顔をしている。

「あのー、このソフトの使い方がよくわからなくて…。」このソフトとはアウトルックエクスプレスである。ハァ?である。この人は家で何のソフトでメールをしているのだろうか?ポストペットオンリーなんだろうか。私は恐る恐る聞いてみた。すると、「ホットメールです。」とのことだ。

それはいい。が、プロバイダから付与されるメルアドはどうしているのか?私は聞いてみた。「プロバイダのアドレスは何に設定してるの?」「え…。」プロバイダのアドレスって何って感じである。およよよ〜、参った。
多分どこにも設定してないのだろう。

多分インターネットマンションとは、マンション自体がケーブルインターネットに加入していて、住んでいる人はパソコンとLANカード、LANケーブルを用意するだけで接続できるのだ。ということは、アカウントや、パスワードの設定をしなくても、ブラウジングはできるわけで…。むむむ。ある意味、スイッチをいれるとテレビが見られるのと同じではないか。

これで、「家でもインターネットやってます!」というのはいかがなもんか?こういう人がウィルスを拡散させてるんだろうなぁと感じずにはいられない。

だが、気を取り直してアウトルックエクスプレスの大雑把な使い方、ファイル構成、署名の意味などを教えた。本当にそれだけである。それに対する彼女の反応がすごい。「なおぞうさんて、何でもできるんですねー。どこで習ったんですか?」

私は脱力感でホヨヨ〜となってしまった。誰がアウトルックエクスプレスの使い方なんて習いに行くかいな。そこらへんのメニューとか開けて覗いたりしたらだいたい分かるやろ。細かい設定とか分からなかったら、本屋で「ぱそ」とか立ち読みしたら書いてあるし。何で自分でどーにかしようと思わないのって感じである。

しかも、私はマックユーザーで、典型的なアンチマイクロソフト者である。(といってもIEはさすがに使っているが。)その私に「アウトルックに詳しい」なんて思ってしまう君はなんなんだ!

彼女は全般的にこういう人である。ウィンドウズのタスクバー(灰色でスタートボタンとか、時計とかが乗っかっている。通常画面の下のほうにある。)が右端に縦になってしまった時も大騒ぎだった。

「きゃ!なんか縦になってる!どうしよう!」彼女は真向かいの席なので画面は見えない。ああ、またなんかやってしまったなと思いつつ放置していたら、案の定、「なおぞうさん…。」である。やれやれと彼女のモニタをみるとタスクバーが右端に来ていた。「何もしてないのになったんです。」何もしてないことはないと思うが。黙ってタスクバーをクリック&ドラッグで下まで持ってきたら元に戻った。当たり前である。「すご〜い。」すごかねぇよ。

これでビックリしているくらいだから、「自動的に隠す」にしたらパニック状態やろなぁと思うとため息がでる。こんなことは日常茶飯事で、彼女のパソコン操作を見ているとアタマがキーっとなってしまうのは私が「いらち」(気が短い)だからだろうか?

エクセルで入力していて次のセルに行くのに、タブキーや、リターンキーを使わずに、マウスでクリックして選択したり、フロッピーディスクの中のひな形を開き、フロッピーを抜いてしまい、保存をしようとしたらできない!と言ってみたり、ほんとにどーにかせぇよと思わずにはいられない。

これで職務経歴書の自己アピール欄に「家でもパソコンを使い、インターネットをしています。パソコン操作にも慣れており、英語、韓国語、フランス語のスキルと合わせて…。」みたいなことが書いてあったらしい。(採用前、所長がデカイ声で言っていた。)

フランス語、韓国語についてのスキルは私にはわからないが、英語に関してはかなり寒いと思った。TOEFLで言えば400も行かないだろう。前の会社では、海外からのお客さんの案内みたいなことをやっていたらしいがとても信じられない。電話で相手の名前がどうしても聞き取れなかったとき、「とっさに言われても、聞き取れないんですよね。」と言っていたのには笑った。普通、とっさに話しかけられるもんではないだろうか。「ワタシイマカラエイゴシャベリマース。Hello!」なんてヤツはいないだろう。

韓国語に関してもちょっとナゾが多い。お父さんが過去に韓国と貿易をする仕事をしていた関係で親から習ったらしいが、しゃべったりできるだけで、文化的なものはあまり知らないようだ。「ポンデギ」とか「ゆず茶」とか知らないって言ってたし。(食べ物のことばかり聞くのはアレかもしれないけれど。)

彼女は全体的に大風呂敷な人なのだ。もしくは、自分では本当に完璧だと思いこんでいるか。後者だったら始末が悪い。「意識がない人」が一番手に負えないと最近思うようになってきたからだ。

あと一ヶ月弱でお別れなのが唯一の救いだ。あ、彼女自身は全然嫌な人じゃないんだけど。年の割にキャピキャピしてないし、男性の前で態度豹変ということもない。ただ、助けを求めるときに何も言わず、ちらっとこっちを見るのが何だかなぁと思うだけである。


2002年05月22日(水) ヨロコビの解雇通告

その日はヒマだったが案の定夕方になるとばたばたと忙しくなってきた。ふと電話がかかってくる。何故か営業に出ている所長から私へ電話だ。

「あんなぁ、なおぞうさん。ちょっとビルの下のパンジーまで来てくれへんか?」パンジーはうちの会社御用達のつけのきく喫茶店である。あることを予感しながらわたしはパンジーへ向かった。あることとは「今回の契約で終わりにしてね。」ということだ。うちの会社みたいになんもかんも筒抜け構造だと込み入ったことを話すにはサテンに行くくらいしかないんだなぁと思っていたらパンジーに着いてしまった。

「ああ、おつかれさん。」「いえ、おつかれさまです。」挨拶をして店内へ。昔ながらのコーヒー喫茶だ。重厚なコーヒーテーブルがいい感じである。「なおぞうさん、何飲む。おねぇちゃん、わし、コーラな。」そうかおっちゃんもスーツ着てコーラなんか飲むのだなと思いつつアイスコーヒーを注文した。

「んでな、なおぞうさん。社長、声でかいから知ってると思うけど、うちの会社な。ごっつ厳しいねん。でな、パソコンの何やようわからんけど自動でやるようにするねんて。便利になるんやから人切れ、そない言うてくるんや。なおぞうさんはみんなともうまくやってくれてるし、海外に連絡あるときなんか任せっきりや。ほやからおって欲しいねん。せやけどな、わかってくれへんか?」

コテコテ度が高く難解だが、要はこういうことである。「景気が悪い」→「あえてプログラムで自動処理をするシステムを導入する」→「お金かかるし人員削減だぁ」ふむふむ、やはり私の思ったとおりだ。

「はぁ、わかりました。で、引継は誰にやりますか?」と、私は答えた。すると、「あんた。ええんかいな?次探すの大変やろ?もしアレやったら忙しいときにでもバイトで来てもらおうかと思っとったんやけど。」それ、私のためでなく会社のために言ってるやろと思いつつ丁重にお断りした。

「契約終了まで1ヶ月以上あります。これだけあったらまず確実に次の仕事は見つかりますのでご心配なく。」事実である。登録している派遣会社のメールサービスに入っているので、一日2件ほどの情報が入るのだ。その中から、能力アップにつながる、家から30分以内、英作文と英会話両方生かせる、ちゃんと保険に入れる、などと条件をつけて選別してゆくのである。

「あんた、ええ根性してるなぁ。そんなうまくいくもんかいな。」どうも私が虚勢を張っているように感じるらしい。「○○さんかて、うち来る前4ヶ月職探ししてたって言うしやな。」

○○さんとは新入社員の24歳の子である。例の「☆なまえ☆」という名前のフォルダがデスクトップにある子だ。客観的に仕事能力だけで考えるとそれもうなずける。入力の仕事をしていて、拡張子を知らない、エクセルで次のセルに行くときキーボードを使わずにいちいち目的のセルをマウスでクリックしてるようではなかなか仕事も見つからないだろう。入社して、パソコンの使い方を教えてくれる会社ってあるんだろうか?

話はそれたが、その辺はその人次第なので、「まぁ、運もありますからね。職探しは。」とやんわりと答えておいた。これでとにかく7月9日には自由が訪れるのだ。ビバ!解雇!

が、しかし、その後の「新システム導入」にまつわるドタバタにつきあわされるとは思ってもみなかった。ブレーンのいないワンマン社長のITかぶれの素人思考で、システム屋さんに食い物にされる。絵に描いたような世界をかいま見ることになるのだ。

これから一ヶ月強。日記で逐一お知らせしていこうと思う。


2002年05月18日(土) 髪の毛哀話・少女編

アジの南蛮漬けとチクワというどうみてもつまみにしかならない夕食を食べながら、NHK教育の「おしゃれ工房」を見た。今日のお題は「家で子供のヘアカット」である。

美容院代が勿体ないから…という理由で家で子供の髪の毛を切るお母さんが増えてきているらしい。わたしの中では美容院に行きはじめたのは中学生になるくらいのころからだったので、「4歳児の娘の髪を美容院でカットする。」というのはなんだかイメージが湧かない。が、世間ではそうであるようだ。

番組では、毛先を揃えるだけの基本的なカットから、シャギーを入れる方法まで説明していた。使う道具も、散髪バサミに梳きバサミ、くし、髪を留めておくバレッタのようなもの、スプレーなどを用意していた。もちろん、タオルを首に巻き、ケープを巻いててるてる坊主スタイルでカットしている。

本当にどこのご家庭でもそうやっているのかは知らないが、私はビックリした。家庭での散髪はもっとシンプル、というかズサンなものだと認識していたからだ。

約20年ほど前まで、私は母に髪の毛を切ってもらっていた。というか、切られていた。昔なので、女子の髪型にバラエティーはなく、おかっぱ、ストレートのロング、ちょっとこじゃれてもお姫様カットくらいのものしかなかった。そこで私は生まれてから10年ほど常におかっぱアタマだった。イメージとしては楠田枝里子のような超正当派のおかっぱである。

が、しかし、わたしは楠田女史のようにほっそりしたシャープなタイプではなくかたぶとりの健康超優良児、髪質も剛・黒・多毛のくせ毛である。それでおかっぱにするとどうなるか?答えは性別不明である。ホラ、たまにいるでしょう?小学生男子でちょっと小太り、なんか髪の毛が長くて、ハンバーグ大好き、走るの大嫌いみたいなヤツが。わかりやすくビジュアル化すると、平民に変装したパタリロが近い。ほっぺたを覆うようなふわりとしたおかっぱである。

そんなヤツ現実にいねーよ!と思うかもしれないが、いるのである。私がそうだった。私は当時からまわりが見えていなかったので、おでこの生え際とまゆ毛の真ん中で前髪がブツリと切られていようとも、膨らんだサイドの髪の毛がほっぺたに覆い被さっていようとも、えりあしを父親のひげそり用T字かみそりでゾリゾリされようとも、いっこうに気にせずそのへんを走り回っていた。

しかし、転機が訪れた。小学5年の夏休みだったと思う。母親の田舎である鹿児島に行ったとき、親戚が集結しわいわいがやがややっていた。そこに、母親の妹で美容院をやっている人がいた。その人がわたしの髪型がおかしいと言い出したのだ。そして、「私がやってみせるわ。」という感じで私の髪の毛を切り出した。数分後、私は世界で一番滑稽な生き物に降格させられた。

マッシュルームカットである。しかも、「マッシュルームカットになり損ねた」マッシュルームカットである。ベースは、おかっぱである。そこで無理矢理前髪を曲線にカットし、サイドとつなげてエッジは内巻きである。マッシュルームカットといえば、来日当時のビートルズだが、彼らがそれなりに見れるのは襟足が長いからである。私の場合はおかっぱで強引に丸みを出しました!というのがありありで、どう見ても「えのきだけ」である。

わたしは2学期が来るのがイヤだった。学校に行ったら「死ね!毒キノコ!」とか言ってアホな男子に蹴り入れられるだろう。そんなアホに負けはしないが、「所詮キノコのあがき」でしかないのは事実だ。

結局それからかなり長い間髪の毛を切らなかったように思う。そして一年後、私は大阪に転校し、初めて友達と一緒に美容院へ行くという経験をした。大阪は以前住んでいた町と比べるとものすごい都会で、みんなモダンだった。おかっぱ振り乱して暴れ回るという感じではなく、小学生でも編み込みにしていたり、ボーイッシュなショートカットの子がいたりして、みんな美容院でカットしていたのだ。

そこに髪の毛ぼさぼさの山ゴリラのような転入生が来たのである。わたしは今までの自分を急激に恥じ、かぱっとショートカットにしたのである。そして、朝髪の毛を洗うという暴挙にまで発展した。そしてそれは中学生になってからも続いた。しかし、まだ若い私は美容院に行くときに「少女マンガ」を持って行き、「こういう感じにしてください。」と注文していたのだ。

それは時に、「紡木たく」のマンガであったり、「渡辺多恵子」のマンガであったりいろいろだったのだが、要は「耳を出したショートカット」である。本人はマンガのキャラになりきっている。そして朝シャン。が、ズボラなのは生まれつきで、洗っても乾かす時間がなかったのだ。そこでブラシでとかして学校までは爆走してゆく。そして、口の悪い友人がある日こう言った。

「なんか、斉藤清六に似てんなぁ。自分。」がががが〜ん…。当時私はかなりデブ化が進んでいた。そしてショートカット。ほっぺたが膨らんでいる。どう見ても斉藤清六である。しかし、自分では少女マンガのキャラのつもりなのだ。私はテレビの中の斉藤清六を見て見ぬ振りでごまかした。ここで現実を直視すれば、もっと違う人生があったのだろうが、なおぞう14歳はまだまだ未熟者だったのである。

ここまで書いたところで急激に若さゆえの恥ずかしい暴走、恥走とでもいうのだろうか?に過去を消してしまいたい気持ちになってきた。パタリロ→毒キノコ→斉藤清六という髪型遍歴はこれからどうなっていくのだろうか。

思い出すと熱が出そうである。(以下明日につづく。ううう、ダサくて苦しい…。)


2002年05月16日(木) コーヒーと生活

私の仕事というのは昼下がり2時過ぎくらいに手が空くことが多い。その時に洗い物や、書類をちょっと整理したりすることがある。今日はお客さんが多く、コーヒーカップを片づけないと次にお客さんが来たら困るなという感じに使い果たしていた。

ちょうど、お客さんが帰られたところやし…と思い、応接セットのカップを片づけようとしてびっくりした。20代後半と思われるこの業界としては比較的若めのの男性二人組が来ていたのだが、二人ともコーヒーを9割ほど残している。

いや、わたしがビックリしたのはコーヒーを残していることにではない。そのコーヒーの色、正確に記すなら透明度が私の知っているコーヒーのものではないからびっくりしたのだ。砂糖もミルクも入れていないコーヒーカップに9割ほど残ったコーヒーは何色だろうか?それは、濃いコーヒー色(当たり前すぎ?)で、決して底が透けて見えることはないはずだ。が、昨日登場した彼女の入れたインスタントコーヒーは、まるでウーロン茶のように明るい琥珀色だったのだ。つまり、底が透けて見えているのだ。

もしや、コーヒーカップにウーロン茶でも入れたのかな?と思ってちょっとニオイを確かめてみたが、確かにコーヒーだった。いやはや。

確かにコーヒーの濃さにも好みというものがあるかもしれないが、お茶ならでがらしより入れ立て、コーヒーは薄すぎるよりは濃くてコーヒーらしいほうが好ましいと思うのは私だけであろうか?私は彼女に教えてあげたほうがいいのか迷いつつ、自分の仕事に戻った。

夕方になり、自分の仕事が忙しくなり、コーヒーのことなどすっかり忘れた頃、またも彼女がお客さんにコーヒーを出した。今度は某商社を退職し、異業種に転職してきたおじいさんがお客さんだった。カップを片づけるときにまた、ビックリした。今度は全て飲み干されているのだ。しかも、小袋の砂糖2袋が空になって添えられていた。

このことから察するに、以下のような結論に辿り着いた。まず、若者は濃いコーヒーが普通であると思っている。おじいさんは薄いコーヒーを甘くして飲むのが好きである。何をいまさらと思うかもしれないが、これは私の長年の会社生活で発見した法則なのである。だからスターバックスにじいさんは少ない。

この考察をダンナさんに話したら、ダンナさんの会社でもコーヒーにまつわる笑い話があったそうだ。ある日、たまにしか来ないおっさんがおみやげとして近所の業務用の食品店でコーヒーを買ってきた。それはでっかい缶に入っており、上にはプラスチックの赤いふたがしてある。いわゆるレギュラーコーヒーなのはコーヒーを自分で入れる人間ならまぁ分かるだろう。

しかし、ダンナさんの会社にはコーヒーメーカーがなく、なんでこんなものをおっさんは買ってくるのだろうとわたしのダンナさんは思ったらしい。が、そこでだんなさんの直属のヨイショ上司が「ありがとうございます!」という感じでそのコーヒーを缶切りでがしがし開け、スプーンでそのコーヒーをカップに入れ、ポットのお湯を注いで飲んだそうな。それで、「なんじゃこりゃ!」という展開になったらしい。

わたしはこれを聞いて、レギュラーコーヒーかインスタントコーヒーかわからない人間がいることに驚いた。コーヒーを飲まない人ならそうかもしれないが、飲む人間でそれである。これはきっと、家ではヨメさんが、会社では女子社員が入れてくれるので、そういうことになったのだと思う。

その後、だんなさんの会社のコーヒーがどうなったかというと、ダンナさんが夜勤の時に自前で購入したペーパードリッパーでコーヒーを入れ、自分だけ飲んでいるらしい。

いやはや。どんなに会社でエラソーにしていても、自分の口に入る物のことをろくすっぽ知りもしないというのはどんなもんかと思う。「わし、スターバックス、苦手やねん。アメリカンも冷コーもないやろ?あの砂糖入れも匙ないからどんだけ入れていいかわからへんし。」とつぶやく50ウン歳。しっかりせえよ!と言いたい。(実際にそういう人がいます。)

男の人は、カップに残したコーヒーに生活が見えてしまう。さしずめ、女はどこに生活が見えてしまうのだろう?これ、という決め手がわたしにはまだわからない。食事の作法、好きなテレビ番組、いろいろと思いつくが決め手には欠ける。

う〜ん、どこなんだろう?


2002年05月15日(水) 18歳観察記

わたしの勤めている会社には4月に入社した新入社員の女性がいる。彼女は高卒で18歳。私が30歳なのでちょうど一回り年下である。この彼女の生態がかなり興味深い。

今日、ビックリしたのはストッキングの伝線だ。彼女はぶどうジュースのようなペディキュアをし、つま先の出たサンダルに、肌色よりちょっと白いくらいのストッキングを履いていた。お昼頃、ふと彼女が私の横を通ったとき、彼女の足の親指から流血していたので、思わず呼び止めた。

「なぁなぁ、親指、血ィ出てるよ。」
「エッ!(下を見る)違いますよぉ。ストッキング、伝線してるんです。」

よく見ると親指のところからツメで突き破ったように伝線が始まり、上へ上へと先細りながら伸びており、最後はスカートの中の方まで続いている。まるで細いタケノコの縦割りのようだ。その突き破った穴からペディキュアの指がにょん!と出ているので私は流血してると思ったのだ。

「これ、隠せないですかね?引っ張って足の裏の方に入れようとしたんですけど、出てくるんですよ〜。」
「ほな、指のマタにでも押し込んでおいたらええねん。」

分かってるなら履き替えろよ!と思いつつ、私はてきとーな返事をしてしまった。

こういうことは今に始まったことではない。ローライズのパンツを履いているので、ちょっと棚の物を取ったりするときなど、たいてい腰が丸出しなのだ。本人もそれに気が付いているようで、「ローライズの下着にしてるんです。」と言っていた。でも、パンツのゴムは見えないけれど、背中は丸出しである。それでいいのだろうか?

芸能界に造詣が深いのも目を見張る。issaと誰がつきあってるとか、和泉モトヤの子供の名前が何であるかなど、私が聞いても絶対に覚えられないほど興味がないことに詳しい。

かと思えば映画の話になったとき、ジャンレノ命!と言うから、「ニキータ」のときも良かったけど、やっぱ「グランブルー」がはまり役と思うと言ったら、「レオンしか見たことないんです。」とのことだった。別にたくさん見たらエライわけではないけれど、「命」なら、他も見たくなるんでないかい?と思うのは私だけだろうか。

食生活も人間離れしているような感じがする。お弁当箱がとても小さいのに、いつもふりかけを2袋かけて食べている。おかずがないわけではない。ごはんの上が、かつをふりかけの茶色のじゅうたん、そして、焼きタラコふりかけのピンクのじゅうたんで覆われてフサフサしているのだ。それをカサカサと言わせながら食べている。そんなにゴハンは味がないように感じるのだろうか?

若さだけではなく、育ちや、考え方、嗜好の違いもあるだろうが、とにかく感覚的に相容れるものがないのだ。今までの会話で一番相容れなさを感じたのが旅(旅行)の話だ。私が一人でツーリングやらキャンプやら言ったことを話すと、「さびしくないんですか?だって、しゃべる相手、いないじゃないですか。」とのコメントだった。

私は大阪人なのでかなりしゃべる方だが、一人旅がさびしいと思ったことはない。しゃべらないのも苦ではないし、大体うろうろしていたら誰かしらと言葉を交わすことになる。

だいたい「さびしい」みたいな言葉を堂々と口に出せるのが、スゴイと思ってしまった。そういうお金で買えないものに餓えている自分、それそのものが「さびしすぎる」ではないか。「さびしいのはサイフの中身と預金通帳の残高」くらいにしておいたほうがいい。

話はそれてしまったが、彼女とは一事が万事そういう感じなので、向こうもうっとうしく思っていることだろう。まぁ、それはある程度お互い様なのでこれからも相容れない会話をし、こうやってネタにしてゆく次第である。

(会社ねたもこれだけ続くと飽きてきますなぁ。(^_^;)


2002年05月14日(火) はれた日は会社を休んで

目が覚めると、アタマがぼんやりとしており、妙にお腹が痛い。トイレに行ったからといってどうなるものでもなく、会社を休むことにした。

電話をして、とりあえず午前中半休取らせて下さいと伝えた。課長は、「お昼頃まだしんどかったら電話してね。」とのことだった。ああよかったと、別のパジャマに着替えてフトンに戻った。

ふと気が付くと汗だくで、時刻は12時半だった。とても会社に行く気になれず、やはり休む旨を伝えるために電話すると、「明日は書類たくさんあるよ。」とのことだった。とほほ。

お茶を飲んでまた寝る。気が付いたら今度は2時半だった。幾分スッキリしたので、窓を開けた。からりと晴れてはいないけれど、風が気持ちいい。すこし散歩に出ることにした。

とりあえず、区役所に行く用事があるので片道15分の道のりをてくてくと行く。休み休みなので30分ほどかかった。帰り道でどうも休みたくなり、コンビニでジュースを買ってベンチで一休み。

ふと目を閉じるとどこかに吸い込まれそうな気がする。ああ、イカンイカンと思い、ジュースを飲みながらゆっくり家に帰った。そしてまた眠る。

体のどこかが休ませてくれ〜と言っているような感じがある。熱が出ると折れた方の膝が重いような感じになる。

ということで何だかぱっとしない一日だった。

原因は何だったんだろうと思い起こすと、昨晩、かっぱえびせんの「新発売!韓国のり味」を全部食べてしまったこと、紹興酒ロックを夕方から深夜まで飲みながらマンガを読んでいたこと、気が付いたらTシャツ、短パンでリビングで転がって寝ていたことなど、全てが原因のような気がした。

フトンに入ると、小学生の時、納豆巻きの食べ過ぎで病院に行ったことを思い出す。イチゴ狩りでイチゴを食べ過ぎてしまいお腹をこわしたこと、みかんの食べ過ぎで学校を休んだこともある。一番最近ではカナダに住んでいたとき、トラックで農家のオッチャンが売りに来るアメリカンチェリーを1ポンド(約450グラム)を全部食べてしまい、この世の終わりかと思うほどお腹が痛くなったのは8年ほど前か。

全然成長してないなぁと思いつつ、お茶漬けをすすりながらこの日記をしるす。


2002年05月07日(火) わたしが握った秘密。そしておいしいお茶。

会社でわたしが使っているパソコンには、一台のプリンタが接続してある。トレイに白い紙を入れ、手差しトレイに裏面を印刷した紙を入れ、チェック用にしているのだ。

今朝、裏面を印刷した紙(通称・裏紙)を50枚ほど、裏紙入れの箱から持ってきて、文書を印刷した。するとがががっと音を立てプリントが止まってしまった。

誰か、ホッチキスで留めたまま箱に入れよったな!と思いつつ、トレイを見たらそのとおり。カドをホッチキスで留めた紙が挟まっていた。その紙を取り、ナニゲに見てびっくりした。

その紙はプロバイダから送られて来た設定の書かれた紙なのである。ドメインのアカウント名、パスワード、全てのメールアドレスのパスワードから何から全て記載されている。これさえあれば、何かと悪いことがいろいろできてしまうのだ。(別にやらないけど、例えば支店長のアドレスからメールを書いて出会い系に登録しまくるとか、会社のHPの画像を全部怪しい系画像に差し替えてしまうとか。(^_^;)

しかしまぁ、よくぞこんなものを裏紙に入れるなぁと呆れてしまう。セキュリティもへったくれもない。とりあえず、その紙はどうしょもないので私のファイルの中にしまっておいた。やれやれ。

そして、夕方なんとなく冷蔵庫にマイウーロン茶を取りに行ったら、新入社員の彼女がお客さんのお茶を準備していた。なんとなく見ていて私は仰天してしまった。お昼から入れっぱなしのお茶の葉(めっちゃでがらし)の上にポットのお湯をどばっと入れ、一個の湯飲みにどばどば。そしてもう一個の湯飲みに1センチほど入れる。そこで、「あ、足りなかった」といいつつ急須にどぼっとお湯を入れ、2個目の湯飲みにどぼぼと入れ持っていった。

これで謎が解けた。時折、お客さんが帰った後のお茶を片づけるのだが、彼女が入れたお茶の時は誰もお茶に手を付けていない。因みに色はメローイエローのような色で、一見して日本茶には見えない。

そんな入れ方したらまずいよなぁと納得してしまった。私はその都度、新しい葉に入れ替えて、かわりばんこに少しづつ急須からお茶を注ぎ、濃さが均等になるようにして入れている。誰に教えられたわけでもなく、そういうものだと思っているからだ。

おっちゃんは正直で、たまにわたしがお茶を入れると、「お、今日のお茶は美味しいなぁ。」と言う。そこで私は、「ええ、緑色ですから。」と取りようによってはかなりイヤミな一言を吐いてしまう。

新入社員の彼女に何となくお茶の話を振り、家で何を飲むかという話になった。すると、「私、お茶って飲まないんです。」との答え。が、しかし、毎日食後にコンビニで爽健美茶やら、ウーロン茶やら買ってくるのは何なんだろう?

18歳くらいの子ってこんなもんなんだろうと思うことにしている。世の中にはまともな感覚を持っている人ももちろんいるだろうけど、残念ながら私は出会ったことはまだない。

この彼女の謎の発言についてはまたの機会に綴ろうと思う。
(しかし、引きずるなぁ。会社ネタ。)


2002年05月06日(月) パソコンの謎、一気氷塊。しかし…

休み明けにふぁふぁふぁ〜、眠い〜という感じで出勤し、パソコンの電源を入れた。何の気ナシにメールをチェックしてみると、ちゃんとメールチェックできる。おお!ネットワークにちゃんとつながってるではないか!IT関連担当のおっちゃんもやればできるのだなぁと感動した。

そして、おっちゃんにありがとうと言うと、「俺何にもやってないで。」とのこと。ハテハテと思い、よく考えてみた。その日はたまたま支店長のパソコンに電源を入れていなかったのだ。

よく考えた。そして導き出した結論はこうである。会社の回線はISDNでルーターを使いIPアドレスを自動取得するようにしているようだ。使用しているルーターはご家庭用である。一般的にご家庭用ルーターは一度に接続できるのは8台までである。現在、会社にパソコンは9台。私は派遣社員なので出勤は一番遅く、8時59分である。その時点でみんなはパソコンに電源を入れたあとである。

ということは、最後に電源をいれたパソコンがネットワークからはじき出されるのは当たり前といえば当たり前である。私なりの結論をそのIT関連担当のおっちゃんに告げ、支店長にパソコンの電源を入れないように頼んでもらった。だいたい「マウスの使い方」から練習しないといけない人間が今更パソコンもないと思う。どうせ、きったない手書きで書いて、わたしに打たせる状況は変わらないのだから。

そして、環境はいつもの環境に戻った。

が、しかしである。新たなる問題が起きそうなのだ。経理を担当している女性に聞いたのだが、近々、もう一台パソコンが導入されるようだ。月水金だけ本社から来る営業本部長のオッチャン用だそうな。

このオッチャンは横山やすしに激似しており、髪の毛が茶髪である。そして縦縞のスーツで登場し、最初は地上げ屋かと思ったほどの濃いキャラクターの持ち主である。そのオッチャンにパソコン。なかなか思いつかない組み合わせである。まるで「わたしとネイルサロン」「叶姉妹にトラクター」くらい連想しづらいのである。

しかも、今日、そのおっちゃんを観察していると「ワープロまだかいな!ワシのワープロ!」と言っている。パソコンではなくワープロだと思っているようだ。しかも「インターネットのワシのアドレスは…」などという発言もあったのでネットに接続してメールを書いたりするようである。

恐怖の9台目。先が思いやられる。

この会社の常識として、地位の高い者に物が配給されるという仕組みがある。顧問や支店長、営業のオッチャン達はそれぞれの机に電話があるが、5人の女子社員は3台の電話を使っている。外線は5本入っているようだ。が、顧問や支店長はまず自分から電話を取らない。ということは電話が鳴って4本目以降はどっかの机に女子がとりに行くことになるのだ。これがかなりうざい。

最初は一切電話を取っていなかったが、取るようにと注意されたので私の机に電話を置いて欲しいと伝えると、「前はあったけど壊れたから。」で終わりである。

ということで、わたしは楽しそうに阪神タイガースについて熱弁をふるっているオッチャン(嘱託でおそらく70歳前)のデスクの電話を取り、でっかい声で英語でしゃべるようにしている。(英語でしゃべり出すと何故か黙るのだ。)

今日はもう一つ衝撃のできごとがあったのだが、それはまた明日なのだ。
(しかしネタに事欠かない会社やなぁ。)


2002年05月05日(日) アウトドアブーム、逝ってよし!

5月4日の日記の続きである。

夕方4時頃、ねぎとろを購入しサイトに戻ってきた私はビックリし、そして激しく落胆した。テントの数が昨晩の倍以上になっている。どうみても難民キャンプ場である。ぽつんと離れたところに張ったつもりの私のテントも埋もれていた。しかも、家族連れの巨大テントに囲まれている。しかし、私のテントより海側は起伏があり、テントを張るには適さないはずだ。あんな斜めのところに張ってどうやって寝ているのか謎だ。

むむむ!と眉間にしわを寄せつつも、鍋に米を1合入れ、炊事場に研ぎにゆき、水加減をした。モンベルのアウトドア用座椅子セットを持って、少し離れた芝生に行く。ほんの少しだが人間が目に入らない場所を見つけ、座椅子をセット。傍らにはニッカのポケットボトル、フライ豆、そして先ほど購入したNAVI誌。「愛と欲望のスモールカー」特集。沈み行く夕陽の中で、ポケットボトルをあおりつつ豆をつまみ、車雑誌を読む。私なりの至福の時間だ。

ぼちぼち自然光で文字を追うのがつらくなったころ、私はサイトに戻ってご飯を炊き始めた。ぶくぶく、フゴフゴといい匂いがしてくる。炊けた頃を見計らって火から下ろし、鍋を逆さまにして蒸らしておく。一方でフライパンに鶏チーズフライを入れ、軽く暖める。フライをつまみつつ、S&B粉末わさびを水に溶く。そして、刻みねぎとわさび、ショウユを、まぐろの中落ちに投入。ちょうどご飯もむれたころだろう。カパっとフタを開けるとふわ〜んと炊き立てご飯がニコニコと立っている。久しぶりの鍋炊きご飯は大成功だった。大きなスプーンで大きくかき混ぜ、どさっとネギトロを乗せる。すかさずがふっとかき込む。う!うまい。が、わさびがくる!うまい!ツン!ううう!などとうめきながらあっという間に一合のご飯とネギトロを食べてしまった。

あー、うまかった、うまかったと、横になって、今度はランタンを灯して雑誌の続きを読む。ぼんやりしているとやにわに外が騒がしくなってきた。外を見ると、新たな一家の見参だ。観察する。

父親と母親、小学校低学年とおぼしき男女の子供。お父さんは若き日の郷ひろみ風で、マドラスチェックの半袖シャツに、麻のベストとスラックスのスーツ、ウエストポーチを着用している。お母さんは、100円ショップでよく見るタイプのお母さんで、ロングヘアーを1つにくくり、丸めがね、らくらくジーンズに、お尻が隠れる丈のでっかい犬のイラストが描かれたTシャツを着ている。

傍らの荷物が巨大なのが目を引いた。ご家庭の1間幅の押入の上段一杯分くらいあるのだ。長期滞在だろうか?

彼らがテントを立てる様を観察する。なんせヒマなのだ。彼らのテントはモンベルのムーンライト9。その名のとおり、9人用である。かなり手際が悪い上に、風が吹いている。どうにかこうにか、テントの本体にポール(いわばテントの骨になる棒のようなもの。しなって曲がる。)を通し終えたころ、お父さんが携帯電話を取り出した。

「あのさ〜、ペグって付いてる?ない?つーか要るの?要らないよね。雨降らなきゃ。うん、今から立てるわけ。じゃぁ。」とデカイ声で話している。

オイオイ…。ペグというのは大きな釘のようなもので、テントのカドの金具に引っかけてから地面に突き刺し、テントが動かないように固定するものである。風があるときなどは、まず最初に2ヶ所ほど、テント本体を適当に地面に固定してから張ると張りやすい。そういうものである。それがないというのは何だかスゴイなぁと思いつつ観察を続けた。

案の定、フライシートという、テントをおおう大きな屋根の役割をする布を彼らはかぶせることができず、風でぐらぐら落ち着かないテントのなかに荷物を押し込んでテントを動かないようにしていた。

ペグで固定した上ででもその状況で大型テントにフライをかけるのはちょっとムズカシイのに、素人二人が借り物の巨大テントでペグなしテントにフライをかけるのはまずムリだろうと判断した私は、そのままにしておいた。ちょっと手伝えばできるのなら、フライを固定して置くくらいならするのだが。今晩は絶対雨だし…。

彼らはテントの横に折り畳みテーブルと椅子を出し、卓上バーベキューで肉を焼き出した。風はごんごんと強まり、子供が椅子から離れると子供用椅子が風にあおられてぶっ倒れる始末だ。残り少なくなったペットボトルのジュースが風で倒れ、お母さんが「もう!」とぶつぶついいながら片づけている。こんな状況での外ゴハンのどこが楽しいのか私にはまったく理解できないが、どこの家族も朗らかに大風の中、外でバーベキューを食べている。みんなマゾなんだろうか?

少し疲れた気持ちになりつつ、私はテントのジッパーを閉じ、今度はランタンの明かりを小さくし、MDプレイヤのイヤホンをして陽水のうたに耳を傾ける。

ぽとん、ぽとん。雨が降り出した。雨音を聞きながら、陽水の「傘がない」を聴く。はまりつつ、ああ、眠くなってきたなぁと思い、ランタンの明かりを消そうと上半身を起こした。そのときである。ぼかんとテントに何かが当たった。

「とぉぉぉりゃ〜。」ココロの中で怒りのオクラホマスタンピードが猛る!とにかく一気にマジ切れしてしまい、テントの中から飛び出した。外には小学生くらいのバカガキが6人くらいでボール遊びをしている。私は平静を装いつつ、「もう休んでいる人もいるから、静かにして頂けませんか?日が沈んでから、この場所でボール遊びは非常識ですよ。」と声色を押さえつつガキどもに注意した。

案の定、ガキどもはフリーズしている。やっと気づいたのか、ほろよい母親が、「すいません〜。ほら、あんたら、テントに入っておきなさい。どうもありがとうございました。」と言った。まぁ許すことにした。ここで、「あんたら、おばさんが怒ってるから謝りなさい。」とでも言おうがものなら、叱責罵倒ねとねと攻撃を泣くまでやるところだった。

私の潮岬はここでいったんお別れだ。次は11月の連休にしよう。にわかアウトドアの人たちは暖かくないと出てこない習性がある。私は今度こそランタンを消し、眠った。

翌朝は5時に起き、そそくさとその場を離れた。そして、人がいない方、いない方に逃げ、最短ルートの約1.5倍の距離を走り、家に帰った。

ちなみに、昨晩の「フライを張れなかったにせ郷ひろみ一家」は夜中にテントを放置し、車に逃げ、私がその場を去る時間に時を同じくして、テントを撤収して帰っていった。一体何なんだろう?

「アウトドアブーム、逝ってよし!」私がこのゴールデンウィーク後半で得た結論である。


2002年05月04日(土) 今日もまったりカブで行く

目が覚めるとまだ5時だったのでまた寝た。しかし、朝日に暖められたテントはビニールハウスのようなもので、あぶり出されるように目覚め、テントの外へ出た。

最初は天気が良かったのに、さっと雲が出てきたと思ったら、ざばっと雨が降り、5分後にはまた日が射す。まさしく、「晴れのちくもり。時々雨」という感じである。今日は海沿いを走ろうかと思っていたが、そんな気にもなれず、カレーパンのフライパン焼きとハッサク、コーヒーで朝食を取り、テントの中でだらだらしていた。

すると、「どか!」っとテントに何かが当たる物音がした。なんやねんと、勇んで外を見るとどこかの「お子さま」がキャッチボールをしていて誤ってぶつけたようだ。「むっ!」としつつも放置。しかし、後々考えると、ここでばち〜んと行っておいたほうが良かったのかもしれない。

外はまだすっきりしない。まだ10時である。最南端が売りの土産物屋を見にゆくことにする。中には、ものすごくベタな土産物がたくさんあり、かなりココロ惹かれた。「長生き手拭い」「健康音頭手拭い」「観光名所を描いたバンダナ」などなど、どしぇー!と叫びながら飛び上がりたいアイテムが目白押し。その中で、自分のために「岬の小石の上にカエルの置物を貼りつけ筆で潮岬と書いた」置物を購入。350円なら納得の値段だ。

そこで、ふと、はがきセットに目が止まった。そうだはがきを書こう。2日前の5月2日は私が小学校一年のころからの親友の誕生日だったのだ。彼女はいつか一緒にキャンプに行こうと言いつつ、結婚してぼちぼち2児の母である。その彼女に潮岬からはがきを書こうと思い立った。もう一枚は妹へ書こうと思った。彼女は遠くに住んでいるのだが、何かカワイイ絵はがきがあると、日常を綴って私に送ってくれる。メルアドも持っていて、メールのやりとりもあるのだが、それではがきが来るとちょっと違った感じでうれしい。

テントへ戻り、もう一度コーヒーを入れ、ころがってはがきを書く。小雨のしとしと音を聞きながらはがきを書くようなツーリングもいいんでないかい?と思ってしまった。

ちんたらしていると、日が射してきた。ようやくお昼を過ぎた頃だ。切手を買って、はがきを出そうと思い、カブでキャンプ地を後にした。荷物を持たずに、前かごに携帯できる畳めるトートバックにいれたお茶だけ入っている。なんだか全然ツーリングぽくないので嬉しくなってきた。(何でかは謎。)

まず、昨日も行った大型スーパーの向かいのでっかい本屋さんへ寄る。すると、車雑誌の棚に、NAVI誌のスモールカー特集があったのですかさず買う。買うときにレジで、切手を売っていないか聞いたら、ないとのこと。そこで、売ってそうなところを聞いたら、「役所のとなりの郵便局の販売機にありますよ。」と言った。ふむふむと、その店を後にする。

隣のヤマザキデイリーストアで、やきそばパンを購入して役所を探しにゆく。が、小さい町で国道から一本入ったところにあった。切手を購入し、ポストにはがきを投函し、あたりを見回すと、何度も来ているのに知らない風景があった。お好み焼き屋さん、寿司屋さん、などどこも暇そうだ。国道沿いのどこにでもあるファミレスは長蛇の列だったのに。

裏道をうろうろと見て回ると、防波堤に出た。そこには地元の人たちが軽のワンボックスやトラックを止めて釣りをしていた。わたしもその一角にカブを停め、防波堤に腰掛けてやきそばパンを食べた。

しかし平和な風景である。表通りは渋滞し、キャンプ場も一晩明けると、テントが2倍に増えていた。キャンプ場のトイレも紙がなくなっており、待ちきれないおばはんが、男子トイレに入ってしまうという地獄のような状況だった。

空がだんだん明るくなって来たので、ちょっと走ることにした。ちょっと観光化されすぎた潮岬に変わるキャンプ地を探そうと思い立ったのだ。地図を見て、県道の川沿いにあたりを付け、走ってみる。途中、雨は降ったり止んだり。どぼどぼ降って来たときは、鉄工所の屋根の下で雨宿りをした。となりの田んぼに目をやると、レンゲの花が咲き、ハチがぶんぶんと飛んでいた。素直にああ、きれいだなぁと思っていると、ボビャボビャボビャ〜とマフラーを変えた他府県ナンバーのステップワゴンが爆走していった。ああいう人達はぜったいレンゲの花に気が付くことはないだろうなぁと思った。何故かは分からないけれど。

そこから少し川を遡上して行くと、3台ほど車が止まっている。見てみると、地元の軽トラとワンボックスだ。釣りをしたり、テーブルを出して、コーヒーを飲んだりしているようだ。よく見ると山小屋風のトイレもあるので、地元の人たちがちょっと川遊びにくるところなのだろう。

私はカブを停めて、地図で位置を確認し、お茶を飲んだ。川の流れる音、雲の流れる音、それしかない世界。次はここでテントを張ろうと決めた。

さて、ぼちぼち帰ろうかなぁと思ったが、まだ3時である。ついでだから紀伊大島に立ち寄ることにした。ここは、島だが橋で結ばれている。以前、ダンナさんのバイクに二人乗りで渡ったことがあるのだが、ただ、渡っただけであまり印象がない。今度はカブでトテトテと見ようと思ったのだ。

風にあおられながら橋を渡り、まず、港に行ってみることにした。その島は葉っぱのような形で、葉脈のように道が作られている。中央の葉脈が県道で、そこから出ているのが、地元の道である。その地元の道に入ると、道幅が狭くてびっくりした。ランクルやハマーで走ったら両側の家をなぎ倒しそうな感じだ。てこてこと港へ降りると、またも地元の軽トラックとワンボックスがたくさん止まっており、おっちゃん、おばちゃん、中学生に、カップルまで、皆、釣りをしたり、野良猫にエサをあげたりしている。野良猫がなんかもらおうとして、釣り人の背中を見つめているのがおかしかった。

港からはギアを1速に入れ、急な坂道をゆっくりと県道に戻った。次は島の先端の灯台を見にゆくのだ。駐輪場にバイクを止め、てくてくと歩いて行く。ほんの500メートルほどなのだが、坂が多く、膝が笑ってしまった。運動不足か?

途中の土産物屋を覗く。何故か、トルコの民芸品ばかりを置いている。説明を読むと、なんでも昔、トルコの船が遭難しているのを助けて、それから交流が続いているとのこと。「南紀のおみやげにトルコの民芸品」なかなかいいかもしれない。今回はカエルの置物を買ったので、次にしよう。

灯台に付くと、とてもちいさな灯台で思わず笑ってしまった。3階だてくらいのアパートくらいだ。とてもカワイイので、灯台のまわりの芝生に仰向けに転がり、灯台全部が入るように写真を撮った。灯台に上ると、まさしくここは本州最南端で、海がまぁるく見える。写真を撮ろうとしたが、変なババァの一家が並んで写真を撮りたいらしく、「あのおねぇちゃんがどいたら、撮ろうね〜。」などとババ声で孫とおぼしき子供に言っている。

いくら景色が良くてもババァに急かされて写真を撮るのは本意でないのでさっさとどいた。今度は観光客がほとんど来ない真冬に来て写真を撮ろうとココロに決めた。

ぼちぼち夕方になってきたので、スーパーで夕食を見つくろう。ここ、南紀はマグロが取れるので、生のマグロが手に入る。中落ちを集めた物に、刻んだネギが付いている、「ねぎとろセット」が250円だったのですかさず買う。今日はゴハンを炊こうと決めた。つまみに、串カツと、鶏チーズフライ、トマトを買った。

そして、キャンプ地へ戻るとそこは阿鼻叫喚、まさに人間地獄と化していた。この続きは明日なのだ。(書くのもおぞましいという気持ちだが。)


2002年05月03日(金) 旅はマッタリ進行で

目が覚めたら6時だった。残りゴハンに納豆と目玉焼きで朝食にした。早速iMacを起こして天気予報をチェックする。今日は晴れだが、土曜日は関西地方全般的に雲行きが怪しいようだ。行き先は、こないだと同じく、和歌山県の潮岬にすることにした。とりあえず、キャンプ場はタダだし、海はキレイだし、広々して気持ちがいいことが約束されているからだ。

いつものようにFMココロを聞いていると、交通情報が耳に入ってきた。「海南を先頭に23キロ」だそうな。海南というのは大阪方面から見て、和歌山市の次の市であり、南へ向かう自動車専用有料道路の入り口なのだ。23キロ…。アタマがくらくらしてきた。もっともカブではその有料道路は通れないからいいのだが、そっちを逃げてきた人たちが下道へ流れてくるのは確実である。なんだか家を出る前からうむむである。

が、しかし、9時頃家を出た。大阪市内はババ空きで気持ち悪いくらいである。無意識に海沿いを避け、山側の道を通る。途中で昔バイトをしていたバイク屋さんの本店に寄る。そこには当時一緒にバイトをしていた男の子が移動してきて働いているのだ。

その店は大学の真横にあり、学生の休みの時はかなり暇そうだった。行くと、会ったのは入院していた時以来だからもう2年ぶりである。久しぶり〜などと言い合い、ミルクティーをおごってもらった。和歌山に抜けるのにこの道なら空いてるなどの情報を教えてもらい、また来るよと言い残しお店を出たのが11時。教えられたとおりの道を行くと、確かに空いていた。

が、すごいのである。さすが3桁国道。道幅が極端に狭いので、峠で車が詰まっている。進みも戻りもできない状況で10台ほどがにらみ合っている。そこをカブで路肩の苔の上を難なく通過。さすがバイク屋さんの教えてくれる道である。

脱輪しかけの初心者マークのアウディの脇をすり抜けてあっという間に和歌山へ。そこからもミカン畑の中の県道をしゅわんしゅわんと走り抜け、渋滞知らずで進んで行く。そして例の海南を過ぎたあたりで国道に合流した。いいぞいいぞ!気分がいいのでそこらへんの河原でカレーパンとお茶の昼食にした。

しかし、そこからが辛かった。海南を過ぎ、御坊というところまで来ると、地獄の渋滞だ。が、止まっているわけではなく、20キロほどのペースで流れてはいるのだ。ここ、御坊で南向きの高速道路は終わりになってしまい、ここから南は下道しかないのだ。カブはひたすら路肩を走り続ける。ほんの40キロほどを2時間以上かけてやっと走り抜けた。そこは白浜という一大観光地でここから南はある意味何もない。この時点で4時である。

目的地潮岬まであと45キロほどか。1時間半以上かかりそうだ。しかもやはりゴールデンウィーク、車もバイクも多い。トンネルの中で追い越しをかけられたときは肝を冷やした。こっちだって60キロは出して走ってるんだから、どうせ、信号で追いつくのになどとぶつくさいいながら走る。

しかし、トンネルの中で追い越しをかけたり、カーブが続くとブレーキランプ付きっぱなしのようなちょっとアレな車はだいたい、大阪、なにわ、和泉ナンバーなのが泣かせる。大阪の車はなんてマナーが悪いんだろう。

どうにか明るいうちに潮岬に着くと、こないだよりサイトが混んでいた。ので、道路から一番遠い方へテントを張った。道路まで5分ほどかかる場所だ。ふう、やれやれと買い出しにゆき、温泉へ行き、テントでお寿司を食べると寝てしまった。

さて、明日は何をしよう。


2002年05月02日(木) 嫌な日、旅立ち

出社し、パソコンの電源を入れると、状況は何一つ変わっていなかった。明日からは連休、片づけるべき仕事が山積み。覗いたツボはあくまのツボだった!という心情だ。

フル全開で仕事をする。電話が鳴っても5コール、6コールは当たり前の放置プレイ。とにかく書類を作ってしまい、空いているパソコンでスキャンニングをし、フロッピーに入れ、「☆なまえ☆」の彼女のパソコンでのメール送信に備えなければならない。が、忙しいのは皆同じ。

あっという間に17時になり、ひとりのおっちゃんが帰った。新入社員の彼女がそっちのパソコンに移動し、わたしは彼女のパソコンでため込んだ書類を次々メールする。しかし、自分のパソコンではないので、メールのひな形も、アドレス帳もない。全てが手打ちってなんて疲れるんだろう。ほんの10件のメールを送るのに1時間以上もかかってしまった。片づけをして、会社を出たのは19時。

地下鉄の中で中島らもの「てっちゃん親子」のマンガを読みつつふと考える。なんてつまんなくてくだらなくて意味のない一日だったんだろう。

家に帰って、ぼろぼろのGパンとTシャツにGジャンを羽織ると、鍵を持ってカブのところへ行った。明日はツーリングに行くのだ。

近所のスーパーへ行き、中華三昧しょうゆ味と、ミニカレーパンを購入した。カブはマンションの前の路上にロックして置いた。

家に戻ると3日前と同じパッキングに、まな板と、携帯型MDプレイヤを追加した。あ、あと、ブラックニッカのポケットボトルも忘れずに。

目的地はまだ未定だ。どこに行くか、より、どこかに行くことが目的だから朝起きてから、天気予報を見て決めようと思う。

百恵ちゃんは「いい日、旅立ち」だが、私は「ヤな日、旅立ち」なのだ。つまんないことがあったから、バイクで走り出すのは、尾崎豊的には青春を感じるが、私はプチ三十路でバイクはカブだ。まぁいい。

あったかいところへ行きたいなぁなどと思いつつ、寝床で焼酎を飲んでいるといつの間にか寝てしまった。


2002年05月01日(水) 中小企業のへたれIT

昨日の出来事はただの悪夢であったことを祈るように出社すると、やはり私のパソコンは直っていなかった。ただ、救われるのは、今日はメーデーで海外の代理店がほとんどお休みなので、わたしもほとんどやるべきことがないのだ。

時間に余裕があるので少しでも、と思い原因を究明しようと試みる。が、しかし、やはりよくわからない。だいたい私はマックユーザーなのだ。ぶつぶつ。ぼやきついでに、思いつく限り、この会社の終わってるところを書き出してみようと思う。

・パソコンが古いのにムリをしている。
・なぜかWindowsNT4.0でアウトルックエクスプレスである。
・LANに参加しているパソコンとしていないパソコンがある。
・ウィルス定義ソフトを更新していない。
・フロッピーディスクが唯一のストレージデバイス。

人間側の意識としては、
・バックアップを取るという思想がない。
・メールを送ったあとに、「送りましたから見てください。」と電話をかけてくる社員がいる。
・ウィルスに関して無知である。

一番問題なのはそれらを全部ひっくるめて、「こんなもん。」だと思っている人たちだろう。自分で勉強して、工夫すれば、もっと手間は省けるし、時間だって節約できるし、何より快適なはずだ。

目先の金銭の動きだけを見つめている社長、そしてその下で「こんなもん。」とやっていく人々。一体なんなんだ。定年までをつつがなく終えられればいいと、思っているのなら、今人生終わりにしても一緒ちゃうのと思うんだけど。というのは言い過ぎか。

今回の契約更新時に派遣会社の担当から言われた言葉がアタマを回る。「(残業をしなくていいように)メリハリをつけた仕事を心がけてください。」この環境の中で、メリハリをつけるだけで残業をゼロにできる人、いたら会わせて欲しい。

明日はどうなっているのか楽しみだ。まるで魔物が封印されたツボをのぞき込む気持ちに似ている。(やけくそ)


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