よるの迷走日記
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ダイエットをすると来ると言う噂のアイツがとうとうやって きたような気がする。 皮下脂肪とセットでコマーシャルしてるアレ。 運動、水分、それでもダメなら……ってお薬はいやだなぁ。 別に出ないってだけで痛くも何ともないのだが。
母とその友人U子ちゃん(←仮名になってない)と 『ハウルの動く城』を観に行きました。 ていうか叩き起こされて観に連れて行かれた。 えー、前評判がものすごい悪かったキムタクハウル。 うちの妹は 「魂売ったか、宮崎監督!」 とまで罵っていた。そこまで言わなくても。 しかし、案外良かったです。ちょっとときめいてしまいましたわ。 18歳から90歳まで演じきった倍賞さんも素晴らしかったですが。 内容は 「原作ってこんなんだったっけ?」 というくらい宮崎色が強くなってます。ハウルってもっと 不機嫌で気まぐれな感じだった気がするし。 魔法にかかる前のちょっと人生諦めてる感じのソフィーが 何気に自分に似てる気がしてほろ苦かったです。長女だし。
それにしても観終わってから 「面白かったねー!ところでキムタクって何の役だったの?」 と言い放ったU子ちゃん!ジブリの情報統制以前の問題です。 「主題歌ってだれが歌ってたの?」 とも聞かれたぞ。どうしてなんだ。
このあと、ショッピングをして温泉に入って帰ってきました。 ここでちょっと嬉しくて怖いことが。 何とサイズが合った嬉しさのあまり、Mサイズのスカートを 買ってしまったのです……。 一応最初にLサイズを試着して、大分余裕があったので……。 すごい。本当に痩せてるんだな私。 これからも体調に気をつけつつ自分磨きを続けたいです。 わーい。 しかーし、この体格を維持できないとお蔵入りになってしまう可能性大。 果たして魔の冬を乗り越えることが出来るのか? かなりプレッシャー。危険なスカート。
母の職場でジャズダンスをやってる人がいて、その縁で 公演を見に行きました。どの程度のレベルか私にはよくわかりませんが、 昼夜2回公演でチケット3千円というのは何となくすごいと思う。 でも谷山浩子のライブよりよっぽど広い会場で、開演前には結構な 列が出来、ほぼ大入りでした。きっと練習生なんかには 相当なノルマが課せられているんじゃないかと思ったり。 どうも商業的な目で見てしまう私。
しかし全く期待していなかったわりには楽しめました。 衣装も曲ごとに違っていて、趣向が凝らしてあって。 あれだけ踊れたら楽しいだろうなと思う。羨ましい。 私はリズム感がない上に、体が硬いのでまず無理。
| 2004年11月20日(土) |
どうすると言われても |
ダイエット始めて約2ヶ月、初めて他人に 「ちょっとやせた?」 と言われる。わーい。 お店のお客さんであるおぢさんはさらに問う。 「やせて、どうするの?」 どうもこうも、ダイエットってそもそも「やせる」ことが 目的なのでは。と思ったがうまく答えられませんでしたわ。
延期さんのナイスな運転で五箇山へ。 秘境のようですが富山市内から高速使えば案外な近さでした。 もうあっちこっちにシルバーパワーに満ちた観光客を 乗せたバスが。 お小夜伝説の地で民謡をBGMに散策。 県内最古の木造建築の白山宮を参り重要文化財の村山家で 四百年分の煙に燻され、こきりこ館ではこきりこの歴史を学ぶ。 あの曲で千年歌って踊っているんだと。 だからああいう衣装なのね。 昔は時間の流れがもっとゆるゆるしていたのかなぁ。 再現された流刑小屋ではあるサプライズに腰を抜かしそうになりました。 何かは言えません。知りたい人は行こう。 しかしあれです、あの狭さ暗さ。日はいかにも射さないようだが 風雪はばっちり吹き込みそうな格子窓と食事の差し入れ口。 豪雪の山奥まで飛ばされた上にこんなのに閉じ込められるなんて、 どこまで悪いことをしたんだ流人よ。ここでじわじわ朽ちるより あっさり打ち首とかの方が何ぼかましかもしれません。 加賀藩で悪いことしたら後が怖いぞ。
お蕎麦も食べたし合掌造りのお茶処でぜんざいも食べました♪ 入ったら囲炉裏端でおばあさんが寝ててどうしようかと。 起きてくれて良かった。 あとお餅を焼くトースターの音がしたのもアレでしたが。 こんな山奥の、世界遺産の中でこきりこの歌詞書いたついたて 眺めながら、ジャズを聞きながらの休息。 なんてローカルでグローバル。ちなみにここでレトリバー 飼ってましたが、名前聞きそびれました。 他にも民宿いっぱいあるようなので、一度絶対泊まってみたいです。 世界遺産が県内にあるってやっぱり誇らしいことだよね。
さてあとは日の暮れないうちに温泉。ダム湖のそばにある 日帰り入浴施設へ。あちこち個人のサイトなんか見ても、 眺望が褒めてあっていい感じだったので来たかったの、だが。 えーっと。入った瞬間、あれ、団体さんがいるのかな?と思ったのです。 休憩所はかなり混雑してるみたいだったし。 しかし、脱衣所でも洗い場でもサウナにまでそれは張り巡らされていた。 「有線。」 それも懐メロチャンネル。さらにわりとボリューム大き目。 これは……どこにも書いてなかったぞっ! 露天風呂やサウナからの美しい眺めが「よろしく哀愁」に まみれていく……。風呂くらい静かに入らせてくれ……。 湯上りの五箇山牛乳(¥100)は、美味かったです。
帰宅してから餃子作りました。世界遺産集落で買った朝どれ大根の 菜っ葉を茹でて刻んで入れたそれは、なかなかの出来でした。
| 2004年11月14日(日) |
カントリーガールは好きじゃない |
谷山浩子のコンサートに行ってきました。 『当日券あり』の表示にはらはらしましたが、 いざ会場に入ってしまえばほぼ満席の模様でした。良かった。 お客さんは老若男女ひっそり集会といった感じ。 わりと物静かで真面目そうな人が多かったです。 ちょっと空気が乾燥してるせいで辛そうな場面もありましたが、 生浩子さんの生歌声を聞けて感無量。
ついつい五千円×200席として現地スタッフ(会場設営、音響、照明)の 日当がこれくらい?会場の使用料金はこんなもんとすれば……と きっと大儲けとは行かないまでもワンピース新調して マネージャーさんも同行して富山-東京間飛行機往復して一泊して 美容院行っても赤字にはならないだろうなんて考えてしまう自分が悲しい。
新旧織り交ぜての多彩な構成で好きな歌もたくさん歌ってもらえ、 リクエストコーナーでは外れたものの、他の人たちの選曲が 「富山の人は、暗い歌が好きなんですかね?」(←当たってる) と言われてしまって面白かったです。 また来て欲しいですね。17年後と言わず近いうちに。 次は「カントリーガール」は歌わなくてもいいから、と思ってるのは 私だけかもな。どうしてよりによって代表曲が苦手なんだろうねぇ。 都会に出てきた田舎娘が気障な男に惚れて手紙もらって浮かれてたら あっさり捨てられて泣いてたら手紙の代筆者がやってきて好きだよ というハッピーエンド?の歌なんですが。救いがつまらないのかもしれない。
| 2004年11月13日(土) |
熱血店長24時(もしもの時編) |
本部の人と雑談。 「新潟のお店は営業してるんですか?」 「してるよ。関東から15人位応援が行ってて、全店。」 「……壊れたお店とかなかったんですか?」 「うん。」 「安普請に見えて意外に丈夫なんですねこの建物(←失礼)。」 「うん。某所の災害の時、 オーナーの自宅が全壊して休業したお店はあったらしいけどね。」
「……ていうことは何ですか?もし富山で地震が起こった場合、 私は陥没した道路を乗り越えて 倒壊しかけの高架橋をくぐり抜けて ココまで来なきゃいけないんですか?毎日?」 「(笑顔で)もちろんだよ。」
ショック。
先日延期さんとおしゃべりしていて、最近の子供達の命名は あれはどうなんでしょうという話になりました。 親が好きな漢字を並べて好きな読みかたしてるって感じ。 読めるかっ!というの多いですよね。 私はどうせ読めないならもっとクラシックな名前を付けたい。 男の子なら吉右衛門とか。かわいいじゃないか。 と、盛り上がったのですが、あとで気づいてしまったのです。 母親に体質が似るor私が今の食習慣を改善できなければ、 息子のあだ名はまず間違いなく日本一有名なロボット……。 ごめんね!吉ちゃん。ママを許してねっ。(←まだ諦めてない)
しかし、伊右衛門宇右衛門嘉右衛門柿右衛門喜右衛門雀右衛門 弥右衛門新右衛門羽左衛門仁左衛門又左衛門ドラえもん、 きちんと変換する携帯の辞書は偉い!
富山県の公文書館に行ってきました。 お目当ては特別展「幕末の越中」。 横が県立図書館で向かいが埋没文化センター、 とってもよる好みな環境なのに来たのは初めて。 何だか自分でも意外です。何だかものすごく「遠い」 イメージがあったのだけど。いくらなんでも市内だしね。 建物も、古文書のイメージから埃っぽい・黴臭い・陰気なのを 想像していたらきちんときれいな設備でした。 税金ってちゃんと使われてるんですね。ちょっと嬉しい。 展示の奥に閲覧室があって、ほぉーっと覗き込もうとしたら 自動ドアが開いて死ぬほどびびった……侮りがたし。 一般に幕末、加賀百万石がその存在感のわりに大きな動きを 見せなかったのは有名ですが、資料や年表でちゃんと 教えてもらうと大変わかりやすかったです。
ご存知な方もそうでない方も、江戸時代富山藩って 加賀の支藩だったのです。歴代藩主は皆前田さん。 開国前後、金沢・富山藩はどちらも超財政難。 おまけに日米修好通商条約を結んだ年、もともと 米価が高騰してたところに安政の大地震→常願寺川土石流 &梅雨の長雨でさらに急騰。 人々の苦しみに目を向け藩政改革を訴えたのが 加賀藩内にごくわずかいた尊皇攘夷派な人たちだったのですが、 禁門の変の時に淘汰されてしまいました……南無。 ちなみに加賀藩主の世子は京都警護を命じられながら 禁門の変の前に帰ってしまい、世間の人からは馬鹿にされる始末。 殿様はあっちこっちに「うちの息子は重病で判断能力がなくて」 だの「阿呆な家臣が勝手に決めてしまいまして」だの 言い訳満載な釈明の手紙をあっちこっちに送っているようです。 何か幕末が身近になってきたな。長州や新選組が血で血を洗って いた頃、何を責任逃れなことをやっているのだね。 志士達が「日本とは」「国とは」を真剣に考えている頃、 加賀・越中では改革派・守旧派が藩の主導権争いに明け暮れ、 家老が暗殺されたり結構血なまぐさいことをやっていたようです。 何だかなー。 しかし、越中出身でも頑張っていた人もいるようです。 資金面で志士達を支援した商家の人たちもいれば、 公卿や志士達の連絡係として暗躍、新選組に捕らえられて 西本願寺で拷問を受け、亡くなった宮永良蔵のような人も いるようです。 そして意外な大物がいたのですよ。斎藤弥九郎。 神道無念流!練兵館!!塾頭桂小五郎!!! 「桂よ。免状あたったからいうて、練習怠けたらあかんがやぞ。 逃げてばっかおられんぞ。この免状、うしなかすなよ。」 とか諭したこともあったかもしれん。そう思うと明治の元勲が 一気に親しく思えてくる……ちょっと言いすぎかしら。
ついでに埋没文化センターの特別展「材を活かす」も見てきました。 編物に使うらしきめもり……きっとA型気質の人が最初に作った に違いない。あととっても目の細かい櫛。今も昔も女の美に対する 執念と言うのはすさまじいなと思いました。
おまけに釣られて買い漁り、すぐ食うわけにもいかず 箪笥に放り込むことチョコ5種類。 ちょっとずつ食べれば大丈夫。全部個包装だし。 最大限に意識しつつ「ないもの」として生活しています。 これが本当の痩せ我慢。がまんがまん。 今のところ3日間手をつけてません、と勝ち誇る。 ……よくわからない自作自演。
しつこいようですがまだ飽きずに使っています。良いようです。 何が良いって目に見えてゴミが減る!それに肌触り。 外出先ではまだちょっと使う勇気ありませんが、 家ではなるべく布にしてくれと私の皮膚が言っている。 この際夜用のもっとおっきいのも買っちゃおうかなー。 布使うようになってから横もれとか前ほどカリカリ しなくなりましたね……。ナプと一緒に洗っちゃえばいいんだ。 血液は気長に水につけておけば結構落ちますですよ……。
しかし、まだ「つけおきの水を植物に与える」は まだやってない。排水溝に流すよりいいとは思いつつ。
ご学友とランチ。久々に3人集っておしゃべりを楽しむ。 相方のほうは道解散以来。 約2年ぶりに逢ったSちゃんの方は元々スレンダーなのに 激務のせいかさらにほっそりしてて驚きました。 次回は私も痩せたと言って貰える様に頑張りたいと思います。 あと何キロ痩せればいいんだ……5キロ落としても 「変わらないね(^○^)」だと思うぞ。実際その体重だった時期もあるし。 しかし今日は祝日なのでしたね!人が休む日に休み慣れてない 職業三人組だったので、平日限定ランチメニューを注文して 思いっきり店員さんに 「今日は祝日ですので。」 と言われてしまいました。ははは。だってSちゃんなんか 職場からお昼休みに来てたし……。
食後は市役所の展望塔に上ったり、城址公園で菊まつりを 眺めたり、ぶらぶら歩きながらひたすらおしゃべり。 関西へ戻る彼女を駅まで送ると、新選組!(何故か思いきり 最終回ネタばれ。あれはどうなんですかエビジョンイル!) にかこつけた旅行パンフが。 宿は提供するからいつでもおいでよ、と言ってくれる相方。 うう、なんて親切なんだ。(←社交辞令かもとは決して疑わない。) そうね、でも今年いっぱいは八木邸や壬生寺あたり、 混んでそうだから来年……と言いかけてはっと気づく。 来年『義経』やん!鞍馬寺やん京都やん!! どっちみちいつ行っても京都は観光地か。 暇ができたらその隙に何とか出かけたいと思います。 島原も回るんだ〜。和菓子漬物懐石おばんざい〜。 もし運良く時間が取れれば、奈良方面も回りたい。 薬師寺春日大社興福寺奈良漬茶粥鹿せんべい〜。
三ヶ月ダイエットダイアリーなるものをつけ始めてちょうど今日で半分。 冬太って夏落ちる。夏やせても冬戻る。オートリバウンド体質の私が 自分史上初、「秋から冬にかけてダイエット」敢行中。 ストレスがあると太る。普通に冬と夏とで体重が4〜5キロ変わる。 この十年で体重増減の幅が14キロ(推定。怖くてまともに体重計 乗れなかったから)。 「それ、単にダイエットとリバウンド繰り返してるだけでしょ?」 と言うなかれ。そういう面ももちろんあるが、ダイエットを特に 気にしなくても、春先何かにはまっただけで、すっとーんと 体重が落ちたこともあるのよ。 19の時は春から10ヶ月で8キロ痩せましたね。最終的には風邪 こじらせたのだあの時は。それまでもダイエットなんて考える余裕も なかった。初めて親元離れたし。隣県で毎月里帰りしてたのに(笑)。 打たれ弱い奴。
まあ特に大きな病気もしてないし、こんなもんかと甘く構えて いたのですが、学生時代と違ってちっとも運動しないこの数年間で 体脂肪は静かに増えていた!このままでは生活習慣病まっしぐら!!
今日、目標体重のちょうど半分の体重に何とかギリギリでなりました。 ちなみに内訳は最初の2週間で−2キロ、次の2週間で−1キロ、 1日で1.5キロのリバウンドをしでかして戻すのに1週間、 そのまま10日程停滞中……という。 何とかくじけず続けたいものです。ちなみにスタート時の体重は 去年の夏一番やせた時(注:一瞬)から+2キロ、今年の冬 一番太った時から−3キロでした。もうヤダこんな体質。
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