uchie◎BASSMAN’s life

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2005年01月20日(木)
■mosaicにて

以前対バンしていたJUZZEPRY IN JAPを見に、下北沢mosaicに行った。
前から気になっていた“wild gun crazy”のイベントであった。
1年ぶりに見たJUZZEPRY IN JAPは見事な成長振りだ。前からやばいヤツラだと思っていたが、刃物とか持ってそうな雰囲気が漂っていた。
他のバンドはヒズマリとapneaがよかった。
そして、mosaicというこのライブハウス、真っ白で気に入った。壁も床もステージも全て白。ライブ見ながら、ここが自分ちだったらいいのになあと想像していた。ほんとこういう天井が高くて白い無機質な空間で暮らしたいというのが夢のひとつである。以前は何もかも赤の空間が好きだったのだが、とにかく今は白が好きだ。ベースも白が好きなので、ジャズべにしようとリッケンにしようと白にしようと決めている。



2005年01月12日(水)
■Live at SHELTER

the freaque 2nd GIG。

はじめてSHELTERのステージに足を踏み入れた。リハでベースの立ち位置に立ったとき、あの落瀬学の存在を感じた。9年前、彼はここにいた。薮蛇古屋は下北系を代表するバンドでここシェルターでもワンマンを行っていた。その頃僕は、ステージの一番前で落瀬学のベースプレイをかじりついて見ていた。
落瀬さんはまだここにいるかもしれないと思って、
「やっとここに来れたよ」と心の中でつぶやいた。その瞬間、落瀬学の空気を感じて緊張が走った。
Stingrayの裏には今でも薮蛇古屋のステッカーが貼ってあるんだ。僕にとって、SHELTERに出演するというのは、他のバンドマンが言うようなステイタスでもプライドでもなんでもない。軽々しくSHELTERに出たいとか言うなよ。僕はただ落瀬学と同じ場所にいたいだけだ。ここでベースを弾きながら飛び跳ねる彼を見るのが好きだった。“マスカットジュース”“イニシアチブ”“いわし雲に乗って”“チクショウ”“こわれた子供”、最高のベースだった。

楽屋に内線が入り、SEのジム・オルークの曲が流れ、僕らはステージに向かった。


P.S. タクミ、ありがとう。SHELTERに出れたことも、君が歌っている姿も嬉しかったよ。



2005年01月11日(火)
■EeLと

友達のEeLがQUEでライブということで久しぶりに見に行った。
ライブ後しばしご歓談。
「しばらく見ないうちに大人っぽくなったねー」
「前から大人なんだけど!」
「いや、でも若返ったよ!」
「どっちよ〜?」
「やさぐれた感じ」
「ひど〜い!」
「東京じゃあ、“やさぐれ”は誉め言葉だよ」

最近は東京によく来ているらしく騙せなかった。



2005年01月10日(月)
■遠く外国から

台湾の作家でありフォトグラファーであるカン・ビ・ヘンさんが、ネットでthe freaqueの曲を聴いて気に入ってくれて、たまたま今回日本に滞在予定だったということで来日したので、会うことにした。
僕は英語は片言しか話せないのでひとことひとこと必死であった。しかし著書である“TOKYO DIARY”を頂き、その内容のすばらしさに驚き、知ってる限りの誉め言葉である英語で感想を伝えた。彼女は12日のライブを見に来てくれるという。

バンドをやってることで、いろんな国の人とコンタクトをとれるようになったのが面白い。
オーストラリア人のファンの方に宣伝メールを送ってみると、“今アフリカにいるからライブに行けないの!ごめんね”なんて返事が来たりする。そんな遠くからこの文字は飛んで来たのかと思うとこっちは驚きである。