uchie◎BASSMAN’s life

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2004年04月30日(金)
■個人練習15

きのうの101Aのライブでの感触が忘れられない。今の自分にはなすすべもなし。
そんなことを思いつつスタジオへ向かった。



2004年04月28日(水)
■STUDIO

中野のスタジオで練習した。
帰り道、いつも録音したMDを聴いて帰る。こうしてられるのも幸せなことだなと思った。
青梅街道を真っ直ぐ、自由な夜を歩き続けた。



2004年04月27日(火)
■SOLBIT live

SOLBITは安井則之氏(つれづれ草、薮蛇古屋)を中心に千葉で結成されたバンドだ。
もう10年ぐらい前から安井さんのライブを見ている。何度か対バンもさせてもらっている。
彼は去年から喉を壊し、ライブを休止していた。このところやっと回復し、NESTで復活ライブとなった。しかし生憎の天気で、横なぶりの雨風に傘も役に立たない。ほとんどこれは嵐だ。辿り着いたら結構疲れていた。
1年振りぐらいに会ったSOLBIT一行はまったく元気だった。安井さんは昔と変らずパワーを放っている。演奏前に少し話をした。
メンバー全員30代だというのに勢いのあるステージングだ。おんなのこのファンがたくさんいて、みんな安井さんの身振りを真似している。コールアンドレスポンスというやつだ。
1曲だけ薮蛇古屋の曲をやった。意識していないのに感情が高ぶる。もうすっかり落瀬学がいなくなったことを割り切って考えてたつもりなのに、平常心が保てなかった。旋律が歌が、何か狂おしく肌に感じるのだ。リズムにのりながら、涙を堪えていた。
そして新曲が披露された。ウイリアムズ症候群の人々をテーマに書かれた曲だ。彼らのことを“天使”と歌っている。これはすばらしい曲だった。心を打たれた。彼が一回り人間的に大きくなったのを感じる。


余談であるが、ライブ後出演バンド全員がステージに上がり、お笑い芸人の司会を進行にプレゼントコーナーがあったのだが、このuchieもなぜかステージに上げられマイクまで渡されたのだ。何もしていないのにオイシイところをいただいちゃってSOLBITの面々には感謝である。どういう形であれステージに立つってのは楽しい。


その後、6Fのフロアでメンバーやスタッフといろんな話をした。ギタリストの塚田さんからは落瀬さんの話を聞いた。彼の魂は今でもスタジオやライブに現れるらしい。きょうも来ていたのかもしれない。なにしろ安井さんの復活なのだから。



2004年04月26日(月)
■直立猿人

昨日買ったチャールズ・ミンガスの“直立猿人”を聴いた。
前までHIPなジャズが好みだったけど、最近はミンガスのような人間味溢れる演奏の方が心にぐっとくる。
またこのアルバムの表題曲は人類の進化というテーマが面白いし、深みのある演奏だ。こんな何十年も前に前衛的なことをやってるなんてすごい。まったく何が新しくて古いのか分からなくなる。
“Foggy Day”では、霧に包まれた街の中を車が行き交う情景がリアルに目の前に広がる。その瞬間瞬間に身を放り出されるようだ。クラクション、警官の笛の音が部屋の中に鳴り響く。



2004年04月25日(日)
■STUDIO

夕方、高円寺の某レコード店に行った。友達のKANTAくんが働いてるところだ。
60年代のBEAT、SOUL、JAZZ専門でかなりいいものが揃っている。でも欲しいと思ったものは大抵1万円以上して手が出せない。
きょうは久しぶりにJAZZのレコードを買った。チャールズ・ミンガスの“直立猿人”これは名盤と言われているので聴くのが楽しみだ。

夜は中野のスタジオで練習した。



2004年04月24日(土)
■個人練習 14→club

夕方、近所のスタジオで練習した。

今日は久しぶりにKANTAくんのDJに行った。“Appers!”
彼はモッズでありレコードコレクターであり、高円寺の某レコード店に勤めている。
吉祥寺の公園口を降りると怪しい店の中にclubがあった。赤い壁の店内に入ると、MorrieやTakayoshiがいた。彼らもまた自分でイベントを持っているモッズなDJである。
古着のワンピースを着たモッドガールが何人かいて、そのうちの一人はDJのYOOだった。 
しかしどうもSWINGIN’な気分になれないな。ファッションなんだよな、ファッション。



2004年04月23日(金)
■Organ Session 2


高校の後輩であるオルガニストと1時間セッションをした。下北沢にある某スタジオ。
XB−2の音が懐かしく感じた。4年前を思い出す。
曲は“it's gonna be alright”
喉が枯れてたけど必死にコーラスを入れた。
やっぱりハモンドはお洒落だ。
ベーアンは何だったかな。初めてのやつで使い方がよく分からなかった。アンプは難しい。

セッション後はハイラインの上にあるカフェでお茶した。
僕だけヘーゼルナッツ・シロップ入りのカフェだったので乾杯できず残念。店の内装が好みなのであちこち見渡した。ちょっとスペースエイジを意識した感じだ。バンドマンというとラーメン屋とか居酒屋に行きそうだが、こういうとこが好きなのである。
60s Girlという雑誌をパラパラめくっていると、ウェイトレスのコが、
「それわたしもでてるんです!」と言って親しげに話し掛けてくれた。
「MODSなの?」
「はい、わたしMODSです!」
「僕はMODSの“モ”ぐらいだけどねー」
なんだか可笑しかった。
「あのスクーター、わたしのなんです」
表にはランブレッタが停まっていた。
“モ”な僕だが、MAYDAYやWHISKYなどの話を少しした。
会計を済ませて表に出ると、店内から彼女が小さく手を振っていた。



2004年04月22日(木)
■STUDIO

病み上がりで少し体が重かったが、中野のスタジオへ行った。
でも不思議と練習してると元気になってくるんだ。音楽のパワーはすごい。鼻声だったけど、なんとかやった。



2004年04月20日(火)
■down

昨日、残り物を食べたら胃が気持ち悪くなって薬を飲んだ。昔から少々痛んだもの食べても平気な体だったのに。抵抗力が落ちているんだろうか。
薬のおかげでいったんよくなったものの、朝起きてみるとものすごく体がだるくなっていて、喉がカラカラに乾いてひりひりと痛んでいた。
湿度が下がり過ぎだ。油断していた。急いで加湿器をつけたがもう手遅れ。熱は出てくるし鼻水は出てくるし、気も遠のいて行く。
今日はスタジオへ行っても声が出なそうだ。おとなしく寝ることにした。
たくさん夢を見た。気分が悪い。



2004年04月19日(月)
■40代のドラマー

きょう会ったのは40代のドラマーの人だ。
10歳以上も年上の人と話をするのはなかなか気が惹ける。社会的地位から言っても、自分よりずっと上の人だ。仕事も家族もあって、音楽も真剣にやってみたいというのはすごいことだと思うが。
客観的に考えて、20代前半から40代までいろんな人に曲が認めてもらえているということで、いいことだと思う。



2004年04月18日(日)
■関西のドラマー

メン募で来たドラマーと話をした。関西出身である。やはり向こうの人ははっきりしていて面白い。
こういうときってお堅くなるもんだけど、この人はかなり笑わせてくれた。
けど、ドラマーとしての悩みも打ち明けていた。たいていのバンドがドラマーをいいように扱うってことだ。それはベーシストも然り。
この問題はよく問われるしよく考えるところだ。歌の為の演奏だからメンバーというのは脇役なのかもしれない。よくそう言われる。しかし他の誰かに取って代われるような演奏のバンドはまったくつまらないのだ。
いつも例えに使うけど、ビートルズはリンゴのドラムじゃなきゃダメなのだ。
それぞれバンドのやり方があるかもしれないが、確信している。適当に集めたメンバーでは何も生まれない。普通にちゃんとしてるバンドが出来たとしても、何の価値があろうか。何万タイトルものCDやレコードが売られているのに、今更誰が適当なものに惹かれるだろうか。いくらライブ活動を続けてもファンが出来ないバンドは、確実にそこの問題からきていると思う。



2004年04月17日(土)
■Session→Live観戦

今日は忙しい日となった。17時から2時間、とあるバンドとセッション。ボーカルギターとドラムの二人。あらかじめデモをもらってたので、その中でも好きな曲を2曲お昼頃練習しておいた。メジャースケールでいける曲だ。
いざ始まってみるとドラマーはジャズ系で、シンバル系がやたら細かい。かなり集中しないと頭を見失う。それでも体全体で気持ち良く弾くようにした。
あとはいろいろと即興に挑戦した。自分からネタを出していったのだが、なかなか乗ってきてくれないのでこちらがほぼ合わせるスタイルに切り替えた。サウンドは意外な方向へ向かった。プロフェッショナルなインストサウンドな感じ。普段自分がそういうポジションにないと思っているが、音色と絡み具合でそういう風にも聞こえるもんだな。しかし荒がバレやすいので注意だ。
いつもいかに自分がスネアを頼りに演奏してるか分かるセッションだった。

その後、吉祥寺WARPへ。友達のバンド、ラングスティーンのライブだ。1年振りぐらいに見ることになった。入り口に辿り着くと立っていた男に声を掛けられた。彼らは、いっぺいちゃんと佐々木さん。初対面でもすぐ仲良くなれるのがロックのいいところだ。
中に入ると、メロコア系のバンドが登場。これが意外とカッコ良かった。ベーシストなんか五分刈りぐらいで、けっこういっちゃってるんだけど、かなり熱いプレイとコーラスでアメリカの本物に近い匂いを出していた。日本も年齢とか見た目ってもう関係ないところまできたなと再認識した。
会場にはカリフォルニアガールの3人や、前に一緒にやっていたボーカルが来ていて久しぶりに話をした。
トリのラングスティーンが登場すると、ステージ前にたむろするパンクス達が大暴れし出した。彼らは以前よりも激しさを増している。この1年で人気も上がったようだ。

ライブ後ボーカルのKOJIくんと握手を交わし、表に出た。
9ヶ月振りぐらいの前のメンバーとの対面ということで、一緒に飯を食べることにした。何も答えにはなっちゃいないが、ただ僕自信はここ数ヶ月いろいろ試して、これは出来るとかあれはやれるとかこれはした方がいいってのが分かっていて、不純物がない状態だ。だから昔のことも今の状況もよく分かる。これからが面白いところだろう。
お互いがんばろうと大人っぽく別れ、今度はUFOCLUBへ向かった。

オールナイトイベントに友達のバンド、ericaが出るのだ。ボーカルのタクミはここ数年ライブを行っていなかったが、その機を狙っていたようだ。紆余曲折を知っていただけに、復活してくれて嬉しい。MODSからソウル、ギターポップまでDJもやる彼の幅広いセンスはあなどれない。演奏がはじまってすぐにその計算された緻密なサウンドに気がついた。これはちょっと他にはないPOPさだ。今後に期待である。
DJタイムでぶらぶらしていると、uchieさんですよね?ライブ見たことあります。などと何人かに言われてちょっと嬉しかった。まだ覚えててくれる人もいるんだね。

さて、自分もそろそろ復活せねば!



2004年04月15日(木)
■“if you wanna be happy”Live report

ヨシダレコードイベント、vol.7に行った。
今回オープニングで、まぼろしのみぎのボーカリスト丹羽氏が弾き語りを行った。
曲はビートルズの“IN MY LIFE”。普段RCサクセション、ルースターズ等日本のロックをこよなく愛するこの男が意外な選曲である。しかし流石である。ジョンの曲を見事に自分のものにしていた。味のある歌声だ。

きょうはすべてのバンドがインディーズシーンで話題になってるバンドだったが、中でもカスタムズのドラマー野村氏の演奏が凄まじかった。
鍛えられたテクニックかつ人間として男としての猛烈な勢い。日本刀を振りかざす様な殺人的な演奏。やられた。30分間興奮しっぱなしだった。そしてこんなライブの光景が羨ましかった。彼のような熱くそしてクールなドラマーとステージに上がってみたいものだ。



2004年04月14日(水)
■STUDIO

おとといの夜、きのうの明け方までkishi邸で打ち合わせをした。声が枯れつつ言葉が喉につまりながら音楽の話をし、二人ギターを手にして新しいリフなどを合わせた。
きょうはまたいつものスタジオで24時から2時間演奏した。声はまだ少し枯れていて、無理をすると喉の奥が痛む感じだ。それでもだんだんコーラスをやる感覚が身についてきた気がする。たった2声のコーラスでも時折ぴったり合ってくると何かすごいパワーを感じる。共鳴というやつか。そう、音楽はシンクロニティー。



2004年04月11日(日)
■Organ Session 1

目黒の某スタジオにて、いよいよオルガニストとセッションを行った。遠足へ行く小学生のように前日からドキドキであった。
オルガンと合わせるなんて3年ぶりだ。THE CLOSET以来。
このスタジオには重厚な作りのオルガンがあって、彼女はその上にシンセサイザーもセッティングしていた。なんだかバンドらしくなって嬉しい光景だった。
しかしドラムは音源使用なので全体のバランスをとるのが難しく、準備に1時間近くかかってしまった。
演奏曲は“it's gonna be alright”“days”“UP-SIDE DOWN”の3曲。
音に集中して曲世界に没頭した。それでも途中盛り上がりどころは何度もドラムが聞こえなくなって、自分のリズムが狂いまくった。悔しいところだ。
かなり熱く演奏する人で、その慣れた手つき体の動きはライブ本番さながらであった。
そしていいバンドにしたいという想いで、昨日から喉が枯れていたがコーラスを入れた。昨日はいい枯れ具合だったが、今日はいくらなんでも枯れ過ぎ。真島昌利かロッド・スチュアートの物真似をしているみたい。でも歌わずにはいられない気分なのだ。

演奏を終えて受付けの人をよく見たら見覚えのある人だった。話してみたらやはりそうだった。hasbandのCDでレコーディングエンジニアを担当している人だ。最近なんだか偶然が多い。不思議だ。



2004年04月10日(土)
■個人練習 13

コーラスを完璧に出来るようにならなければならない。そうしなければライブをやる資格はないってものだ。いままでの分を早く取り戻さねばと思い今日も一人でスタジオに入ることにした。3日連続である。毎日やれば才能なくてもなんとかなるだろうと思ったのだ。
いつも通り声を出していたのだが、声が変化してきた。普段ウェットな声なのに枯れてきた。けして喉でがなるようなことはしていないのに。録音して聞いてみると、ジョン・レノンみたいな声質になっていて嬉しかったのだが、一抹の不安を感じるのであった。これはいいことなのか悪いことなのか良くわからない。



2004年04月09日(金)
■個人練習 12→Session→BAND

18時から1時間、近所のスタジオでコーラスの練習をした。ほんの1フレーズをひたすらリピートである。
“Soul is true,Everything it's gonna be alright!”
終るとすぐに電車に乗り、国立へ向かった。仕事で知り合ったドラマーの村上くんとセッションの約束があったのである。彼はライブ経験などはないが、音楽の趣味が合っていて、いい人だったので仕事の休憩時間にバンドの話をしたりして、一度セッションしたいねと話をしていた。
スタジオについてみると、かなり老朽化して雰囲気のあるところだった。こういうところの古いアンプは音作りが難しい。二人で8ビートや3連でシンプルに演奏を楽しんだ。
その後少し時間があったので、ファーストフードでいろいろ語り合った。
しかし今日はまだこれで終りではないのである。24時からkishiとふたりで中野のスタジオで2時間練習があるのだ。
22時過ぎに電車の乗り、23時頃新中野に着いた。まだ時間があるので、ひとりでファミレスに寄った。イタリアンローストカフェとシナモンフォッカチオを頼んで、くつろぎながら曲の歌詞やメモを見てコーラスやベースのことを考えた。
スタジオに入ると、明後日はオルガニストとセッションがあるのでドラムマシーンに合わせて何曲か練習した。バランスが難しい。生ドラムとは聞こえ方が全然違うし、音圧が足りない。さてこれにオルガンを入れるといったいどういうことになってしまうのだろう。
とにかく今日は3回もスタジオに入って充実した日だった。



2004年04月08日(木)
■個人練習 11

23時から近所のスタジオでコーラスの練習。
終って鉄の重たいドアを空けると、友達がやってる9thサーカスの面々が勢ぞろいしていた。さっきライブを終えて、明日またライブがあるためこれからリハなのだそうだ。みんなパンやおにぎりにかじりついている。
自分も経験あるけど、バンドってこういう忙しさがまた充実して楽しいんだ。
はやくこうなりたい為に修行中なのだ。みんなやってるからね。友達が言ってたけど、QUEなどに出ている某バンドのドラマーなんか毎日個人練習やっているそうなんだ。それぐらいやらないと芸事なんて身につかないってことだ。もちろん彼は熱いドラマーだ。



2004年04月06日(火)
■Yoshiharum serect

Only feedbackでもらったDJ高橋喜治の選曲集のCDを聞いた。内外問わず彼らしいギターロックな選曲になっている。
タフィーのボーカルの声が心地よい。前にライブ見たことあるけど、また見てみたくなった。ザリガニ5もいい。そしてクライフの“Another World”これは一番好きな曲だけど、このCDの中でもずば抜けて良いんではないだろうか。
uchieの参加していたバンドの曲も入っていて、なかなか客観的に聞くのが難しいのだが、他と比べてやはり雑な気はするな。もっと細かくやれば他ギターポップ勢と比べてひけをとらないと思う。
最後の曲はジョン・レノンの“Be My Baby”これまたジョンは不思議なことをやらかしている。随分前に死んだ人なのに時代を超えてる。そして圧倒的な存在感。グランジ、ミクスチャー、ポストロック、彼の歌声はすべてを飲み込んでしまう。



2004年04月05日(月)
■STUDIO

朝起きたら耳鳴りがしていた。きのうライブハウスにいたからだ。轟音系のバンドのライブは気持ちいいけど気をつけないと耳をやられる。
耳鳴りを掻き消すように、しばらくしてからヘッドフォンを被ってベースの練習をした。
夜は24時から中野のスタジオで二人で練習した。



2004年04月04日(日)
■個人練習 10

ひとりでスタジオに入るのもこれで10回目。きょうも雨だった。雨の日に楽器を運ぶのは大変だ。数分遅れてしまった。
16時から2時間練習した。でもきょうの練習は満足出来なかった。イメージしてることに体がついていかなくて歯痒い。途中から喉が枯れてきた。もっともっと努力せねば。

きょうは行きたいライブがあった。久しぶりのクライフ・イン・ザ・ベッドルームのライブ。
でもこの日べつの場所で、前クビになったバンドの復活ライブがあったのだ。どちらに行くかここ1週間ぐらいずっと悩んでいた。そして直前まで決めかねていた。どんなバンドになってるか気になってたし、行けばいろんな人に会えるだろうしと。
しかし結局、クライフのライブに行くことにした。今更以前の仲間たちに会わせる顔なんてないし、それに音楽は自分の本当に好きなものを選ぶのが一番だ。友達は音楽だけだから。そして僕は一人、下北沢に向かった。
きょうはOnly Feedbackというクライフのイベントで、他にもすばらしいバンドが出ていた。DJは僕のフェイバリットの一人、高橋喜治。僕もいつかライブをやれるようになったらこのイベントに出たい。前からずっとそう思っている。
ボーカルのひとはmercのボタンダウンを着ていた。最高にかっこいい。きょうの彼らは苦戦していたが、僕は前の方でノリまくった。気持ちのいい曲ばかりだ。ギターをかき鳴らしながらドリブルをするような軽快なステップ。最後はステージの床に寝転がって嬉しそうにギターを抱えていた。永遠のロック少年なんだな、この人。
また彼らに勇気と希望を与えられた気がする。行って良かった。音楽は僕を裏切らない。



2004年04月03日(土)
■Session

某バンドとセッションをしに行った。
まったくの初対面の人達なので、演奏1時間前にボーカルの人と話しをした。一見強面な印象だったけど、話してみると結構好感の持てる人だった。
他メンバーは20代前半のギターと、20代前半の女性ドラマー。女性ドラマーとセッションするのは初めてだ。どうなるか興味深かった。
スタジオに入るとまずは適当に音合わせするかと思いきや、オリジナルの曲で合わせて欲しいと頼まれた。フリーセッションに持ちこんでイニシアチブをとろうかと思っていたが、いきなり的がはずれた。
曲は2曲。コード進行と構成を聞いてすぐさま演奏した。イントロからキメが多くて大変だった。こういうことはもともと得意な方ではないが、それでもここ1年ぐらいいろんな人とセッションしてきたせいか慣れてきた。歌メロ聴きながらフレーズを組み立てたり、ドラムとのコンビネーション考えたり。ロックのアレンジなんて大抵パクリばかりだからなんとかなる。でももう少し理論が分かっていればもっと早く合わせられるんだが。
4回ずつぐらい演奏した後は、ブルースなどのセッションになった。3コードというのもたまにやってみるとなかなか難しい。初心者でもすぐ出来る代わりに、洒落た感じに個性を出すのが大変。ただの“どブルース”になるとどっかで聞いた風なサウンドになってうんざりしてくるからだ。普段はあまりやらない2フィンガーもやってみた。
みんな僕のプレイに満足してくれたようで良かった。まったく知らない人間と狭い部屋で3時間も過ごせるなんて、音楽とはすごいもんだ。
と思いきや、ギターの彼が「どこかで見たことがあると思ってたんだけど、前に対バンしたことありますよ!」と言ってきた。
悪いがこっちは覚えてなかった。しかし場所も日にちも一致していたので間違いない。そのときのライブはなかなか調子が良かったし、誰もやってないようなテクニックも出してたから印象に残ってたんだろうな。実に嬉しいことだ。音楽をやってるとこういう偶然の出会いが実に多い。不思議だ。



2004年04月02日(金)
■Organist 2

kishiと一緒にこの前とは別のオルガニストと会った。彼女は某有名バンドのメンバーとやっていたらしい。
話しをしてみると同郷で、もしやと思ったら高校が一緒だった。後輩にあたるのだ。驚いた。バンドをやっていてこんなことは初めてだ。僕の高校の出身で都内でバンドをやっているといったら、フリーボのメンバーとヴァイオリニストのMADOKAぐらいだと思っていた。
高校やその近くのスタジオの思い出話になり、嬉しかった。



2004年04月01日(木)
■April fool

4月だ。今の僕には何月だろうと何時だろうとまったく意味を成さないが、外に出ると空気の匂いや肌触りでいろいろなことを思い出す。中学、高校の入学式などまるで昨日の出来事のように感じるのだ。
いつも季節の匂いで感情が蘇る。そしてその頃お気に入りだった曲を思い出す。今や誰にもリスペクトされなくなったアーティストも、僕には重要な意味があった。
ヒットチャートなんか気にしない。みんなと同じものは欲しくない。それは今も変らない。
高校の頃といえばもう15年も前になる。そんなに経った気はしないが。当時モッズパーカは学校のパンクス達が着ていたから、あえて着なかった。僕はM65かM1942を制服の上に着ていた。そしてポケットの中にはいつもビートルズの歌詞集とブルースハープ。よく学校の屋上で吹いたりした。まさかベースをやることになるとは思いもしなかった。