uchie◎BASSMAN’s life

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2003年11月25日(火)
■メンバー募集

昨日は昼頃にやっと寝て、夜になるまで起きれなかった。バンドがひとつ終ると精神的にかなり参る。体も心も重くて、ずっと部屋を暗くしたまま横たわっていた。もう死にたくなった。
でも今日は新たなメンバーを探すべく、ネットを使ってバンドのメンバー募集記事をたくさん見てみた。もう友達とバンドを作る時期は過ぎてしまったからだ。
さまざまな募集記事がある。似たようなものが多い。なかなか心に引っ掛かるものが見つからない。何百件か検索してやっといいのを見つけた。音源もアップされていた。かなり質が高くてかなり趣味が合う。友達のバンドでもこんなのはまずない。僕はちょっと熱い感じのメールを送ってみたのだった。
前を向いてみて良かった。いつも止まらず突き進むしかないのだ。 



2003年11月23日(日)
■Supernatural コンテスト出演

企画バンドの正式名が決まった。それは「Supernutural」。
ついに某音楽事務所主催のコンテスト当日になった。10バンド出演で14時と18時の2ステージというスケジュールだった。
9時に渋谷ROCK WEST集合ということで、昨日は早めに寝ることにした。明け方は夢の中で曲のことを考えていて、ブツブツ寝言を言いながら目覚ましよりも早く起きてしまった。
他のバンドのリハを少し見たが、ロックバンドは僕らだけでみんなボーカルグループだった。ポップスのグループと出演したことはあまりなかったので、ものすごく違和感を感じた。しかしみんな技術的なレベルは高いようだ。歌唱力にちょっと驚いた。
14時からのステージでは持ち時間が30分あって、それぞれ数曲を披露した。Supernaturalのセットリストは、
“ネパール”
“enomena”
“LARK-1”
“Ylang Ylang”
だった。再びステージに立てたことがこの上なく嬉しかったのだが、自分の中でなかなかいい手応えがないままにどの曲も流れていってしまった。少ないお客さんの少ない拍手をいただいて僕らは去った。
そして18時からのコンテストに備え、僕らは食事をしたり、ファーストフードでなんとなく時間を潰した。メンバーと過ごす時間がバンドをやっているという実感を与えてくれる。そんな中にどっぷりと浸かった。
コンテスト本番では用意していた衣装に着替えた。前にやっていたTHE CLOSETの頃のモッズスーツだ。きょうはネオモッズ気分で中にボーダーのシャツを着て、靴はDr.マーチン。会場は客で満員に近かった。80人ぐらいいただろうか。
各バンド1曲ずつということで、“Ylang Ylang”を演奏した。
もう迷いはなかった。思いっきりベースを弾いた。一人でも多くここにいる人たちがこの曲に耳を傾け、このバンドをみてくれれば、と思った。そう強く強く願いながらすべてをかけた。
結果は5位だった。朝まで打ち上げをして、陽が昇る頃にはみんなバラバラになりまたいつもの生活に戻った。



2003年11月19日(水)
■(仮名)THE AKIRA 全体リハーサル

新中野にある某スタジオに行った。都合により、なんとこれが最終リハなのだ。にもかかわらず、おとといのリハで音をとってなかったので、メロディーを全部覚えておらず、昨日はとにかくコード進行表を見てクリックに合わせながらルート弾きの練習をした。
3人ではもの足りないということで、ギタリストを連れてくると聞いていた。登場したのは元morphinicのたろう氏だった。彼とはぜひ一度やってみたいと思っていたので嬉しい人選であった。
さすがに練習しておいただけあって、割とスムーズに3曲のリハが進んだ。〜Ylang Ylang、ネパール、enomena〜。そこへなんと、書き下ろしの新曲があるので1曲追加したいとリーダーが言い出したのであった。2曲用意してあって、どちらか選んで欲しいと言われた。LARK-1という曲をやることになった。他3曲とは違って、マンチェっぽいグルーヴィーで踊れる曲だ。そういう曲をやりたいねってジョーと前から言っていた。リフを聞いて一発で好きになった。バンドは一気にアレンジを仕上げ、僕はステップを踏みながらベースを弾いた。
後で家で復習出来るように、1曲1曲MDに録音していった。たった1回のこのリハの音が、とても大切なように僕は思えたんだ。



2003年11月17日(月)
■(仮名)THE AKIRA

きのうバンド友達のジョー氏から連絡があって、某音楽事務所からコンテスト出演のオファーがきたから一緒にライブに出て欲しいと言われた。ドラマーは前一緒にやっていたイズミダイズミである。
ということでさっそく下北沢にある某スタジオにて、朝10時からリハーサルをすることになった。久しぶりにライブが出来るということで興奮した僕は、目覚ましよりも先に起きてしまった。部屋を出る前に30分ぐらいベースを弾いた。そしてめずらしく15分も前にスタジオに着いてしまった。まるで初めてバンドをやる少年のようだ。
きょうの課題曲は3曲。どれもシンプルなポップロックだった。コード進行表を渡され、譜面台を見ながら演奏することになった。
どうもこの頃はこのようなことにご無沙汰だったので、かなりとまどってしまった。本番が23日で時間がなく、プレッシャーに弱いのが僕の欠点だ。なんとなく曲のイメージをつかんだだけで2時間が過ぎてしまった。
リハの後、まだ昼だというのに3人で飲んだ。話しているうちに、どうも痛いところをつかれてしまった。その後、イズミダイズミと別の居酒屋で飲み直して、0時近くまで語り合った。
家に帰ってもまだ酔いが残ってたのですぐに布団に入った。しかし、今までのことやベーシストとしてどうあるべきか考えているうちに、ほとんど眠れずに朝を迎えてしまった。



2003年11月15日(土)
■下北沢のレコード屋

知り合いにレコード屋がいる。吉田洋生、下北沢の吉田円盤屋店長その人である。
あの有名テレビ番組「アドマチック天国」の取材を受けたと聞いた。そのOAが今夜だったのだ。携帯のスケジュールに入れておいて良かった。
21時にテレビをつけたらちょうど下北沢のレコードショップ特集になっていた。あのハイラインレコードがちらっと外観を映されただけなのに、なんと吉田円盤屋は店内から店長本人まで登場。ほんとびっくり。「店長さんは芸人でもあるんです」というナレーションをバックに、中野ハルコロホールでのコントの模様が映し出された。スキンヘッドにサングラス、海パンいっちょにネクタイという格好で、「命」のポーズで「グレイ!」。まさかこの映像が民放で流れるとは。
しかも自転車でレコードを配達する姿まで流された。ものすごくいい人に見えるではないか。こんなことやっていたとは。本当にウチまで持ってきてくれるんだろうか。
終ってすぐ彼に番組を見たことを電話で伝えた。「グレイ!」洋生さん、おめでとう。カットされなくて本当に良かった。



2003年11月11日(火)
■京都へ行こう

始発に乗って京都へ行った。久しぶりの旅行である。ところがあいにくの雨で、傘をさしながら歩くことになった。しかし決して雨だからといって悪いものでもなく、雨降る京都の風景はそれはそれできれいだった。
午前中は伏見の稲荷山を見てまわった。JRのCMでも使われた鳥居がたくさん並んでいるあれである。これは10年前からどうしても行きたかったところだ。稲荷信仰発祥の地ということらしい。
実際行ってみると長い長い山道の階段で、ずっと鳥居が続いているのだ。そしてたくさんのお稲荷さんが並んでいるのである。新しいのから古いのまで形も様々だった。どこまで行っても朱色の鳥居が続いていて、どこか別世界に迷い込んだ感覚だった。傘をさしながら石段を上がり、午前中なのに少し薄暗い霧もやの中を歩き続けた。
途中雨がひどくなったので茶屋に駆込んだ。客は他に誰もいなかった。畳の部屋で20畳以上はある。上がりこんで勝手に電気を付け、ちゃぶ台について抹茶セットを頼んだ。いわゆる抹茶を飲むのも初めてであった。これが思ってたよりも美味く、家でも飲みたくなる味なのだ。古い作りの建物で、映画にでも出てきそうな雰囲気のその部屋の窓からは、少し紅葉したモミジが雨に濡れて光っているのが見えた。
ここにいると時間が経つのを忘れてしまう。山の中で時代から切り離された空間なのだ。



2003年11月10日(月)
■雨の国立

ギターを弾いているアキラに呼ばれて、最近片付けたという彼の部屋に遊びに行った。
国立は21歳のときに行った以来だった。何という店か覚えていないが、VOXのファントムベースを買いに行った。10万円だった。当時は実家に住んでいたので、遠い印象があった。ハードケース付でかなり重かったのを覚えている。
駅にはライブイベントでスタッフをやっていた人が出向いてくれた。部屋では晩御飯に餃子を用意してくれていた。一人暮しをしていると、餃子を食べることは少ないから嬉しいことだ。U2やOASISやJEEVASのビデオを見ながらそれをいただいた。
CDのコレクションを見ると、自分のと結構かぶっていることに気がついた。今日は普通に普通に友達として遊んだ。
帰りがけには「光の雨」の小説をもらった。600ページの長編だ。たまには本も読まねば。
帰り道、雨はまだ降り続いていた。



2003年11月09日(日)
■落瀬 学

彼は作詞、作曲、ベース、歌、パフォーマンス、すべての才能を持ち合わせていた。
1998年11月9日。次の日の新宿JAMでのライブを控えて、僕は部屋でベースのメンテナンスをしていた。
ベースの師匠、マナブさんに教えられた通り、古い弦を鍛えなおしてブライトな音を作っていた。ベースは彼から譲り受けたナビゲーターのVOXタイプ。白ヴォックスと呼んでいた。90年、BELLETSがメジャーデビューしたときモニターになって制作されたものだ。お前なら使ってもいいぞって言って渡された。それを使えばなんだか勇気が沸いて、ベースがまだまだヘタな僕はどんなステージに上がっても怖くはなかった。マナブさんみたいに弾くのが大好きだった。ただそれだけでよかった。

張り替えている途中、携帯が鳴った。向こうから悲痛な声が聞こえた。様子がおかしかった。僕が知らない間に何かが起こり、世界はもう変っていた。
「マナブさんが亡くなった…」
薮蛇古屋のライブが8日に渋谷ラママであった。僕は楽しみにしていた。何ヶ月かマナブさんに会ってなかったから行きたかった。でも行けなかった。なぜ行かなかったんだろう。カノジョの言うことを振りきって行けばよかった。この世にまた今度というのはないんだということをこのとき知った。
ラママのライブの後、彼はいつものようにメンバーと打ち上げで飲んでいた。家に帰ったのは夜中だった。そして朝、彼はもう目覚めることはなかった。都内ライブハウスには悲報が伝えられた。
当時、薮蛇古屋のベーシストとしてで活動し、いつメジャーに行ってもおかしくない人気と実力を持ちつつも、自分で歌うバンドを作り始めていた。BUG POPSはすでに数曲を仕上げ、ライブの準備にかかっていた。
「俺はもうツーアウトだからな」
屋根裏でミッシェルガンエレファントと対バンのとき、言っていた。BUG POPSは彼の最後の賭けだったに違いない。彼の残した曲を聴いて思った。ベーシストが趣味で歌うバンドを作ったのでは決してない。日本の音楽シーンに立つ自信と覚悟があったに違いない。
「私の詩集を買ってください」
落瀬学、最高傑作のこの曲は幻となった。
この日から彼のことを思い出さない日はない。死というものを、僕は初めて真剣に考えるようになった。真実を受け止めるには随分時間がかかった。
そして、人と会う時間がとても大切に思えるようになった。“また今度”はないんだ。



2003年11月08日(土)
■音楽の夜に

101Aでサポートしているドラマー、Lucky−y氏とセッションをした。今までMARZやサイクロンでの彼のすごい演奏を見てきたけど、このところ呑む機会もあってセッションにこぎつけたのである。この頃スタジオに入ることも少ないので実にありがたい。本当に1ヶ月ぶりにスタジオに入った。
しかし考えてみれば、対バンしたことなかったし自分の演奏を聞かせたことはなかった。まあ、へたに先入観を持たれずにいいのかもしれない。
いつも思うけど、ドラムとベースだけでやるのはかなり難しい。普通の歌物の演奏ではどうにも通用しないから、何弾こうかなあと前日は悩んでた。
始まってみるとやはりアヴァンギャルド。彼もアートが好きな人なので通じるところがあったみたい。ちなみに週に一回は美術展に行っているらしい。
特にやる曲を決めてたわけではないし、人に指示するのは好きじゃないので、勝手に演奏してもらった。この適当さ加減がまた面白いものを生むと僕は信じているのである。家でひとりで弾いてるときは2小節のリフだったものが、ドラムによってバリエーションが増えたり、その場で展開を思いついたりした。
MDに録音しておいたので後で聞いてみた。やはり自分の演奏したものを聞くのは気まずいな。リズムがはしってるはしってる。音数が少ないから待ちきれなくてついつい…。演奏中にも気付いてたけど、自分に迷いがありありなのである。でもその場の思いつきで弾いてるところは、なぜかいい感じなんだ。二人で一緒に行ってる感じがする。ほんと人と演奏するのは楽しい。ほら例えば人と話をしていて、どうでもいい他愛無いことにものすごく盛り上がる、あんな感じ。
それにしてもLucky−y氏はすばらしく、バランス感覚にすぐれたドラマーなのだ。

この日はセッション終了後、一度機材を家に持ちかえり、出かけなおした。ドラムマン=イズミダイズミのやっているバンド、スパイラルのライブに行くためだ。
場所は新宿のフリークというライブハウス。まったく聞いた事のない名だった。そこはピットインの地下にあった。
イズミダイズミ、狂ったような激しい演奏をした。ひりひりするような猛烈な勢いだった。最後の曲ではまずフロアタムを蹴り倒した。演奏中、シンバルも蹴り倒した。どんどんセットが崩れていくが勢いはそのままに。最後はすべてぶったおしてステージを去っていった。まるでゴジラのようでした。
打ち上げに誘われたので話をしてみると、実はみんなやさしい感じの人でした。
イズミダイズミは次の日、海外へ行くというのに夜中まで飲んでたけど、だいじょうぶだったんだろうか。



2003年11月06日(木)
■高橋フムミ& the マクナマス

突然、ドラムマン=イズミダイズミから電話があって、高円寺ペンギンハウスでライブをやると聞いた。彼がサポートしている高橋フムミ& the マクナマスである。
俳優をやっている高橋フムミさんのバンドで、
ベースはカツジさん(ex.the LETHEARS/E.L.T/hitomi)というプロの人がやっている。
このバンドを見るのもペンギンハウスに行くのも初めてだった。イスとテーブルがあって、バーボンを手にして僕も座った。
ところが弾き語りの店なのに、ドラム・ベース・ボーカル&ギターのフルセットでびっくりした。
飛び出したサウンドはブリティッシュビートだ。歌心のある楽曲で、小気味良いキメのきいたサウンドだ。そしてコステロのナンバーが出てきたのには驚いた。かなり好きらしく、黒ブチの眼鏡をかけていた。特にマイ・エイム・イズ・トゥルーは歌声まで似ていてちょっと感動。後で訊いたら10曲もやったそうだが、長さを感じさせず楽しいライブだった。イズミダイズミが元the JUMPSと紹介されたときに笑いが起きたのも、なぜか面白かった。
ライブ後はその場で打ち上げとなって参加した。
高橋さんはイズミダイズミと同じ北海道出身で、向こうでもバンドをやっていたそうだ。JIROくんとも対バンしたことがあるというのにはびっくりした。酔っ払っていて覚えてないそうなのだが…



2003年11月03日(月)
■cruyff in the bedroom

ものすごく落ち込んでいた。何もかもいやになって、死にたい気分だった。このまま起きなくてもいいやと思って眠った。またたくさん夢を見た。気がついたらもう18時近くになっていた。
きょうは楽しみにしていたクライフ・イン・ザ・ベッドルームのワンマンライブがある日だった。元気が出ないから行くのやめようと思った。でも何分も時計を眺めながら、きょう行かなかったらすごく後悔するんじゃないだろうか、行けばきっといいことがあるんじゃないだろうか、と思った。
急いで着替えて出かけることにした。朝から何も食べてなかった。頭がぼーっとしてたまらなかったけど、駅まで少し走った。
下北沢CLUB QUEに着いたときには7時を過ぎていたと思ったけど、なんとか間に合ったようだった。ワンマンだけあってたくさん人が入っていた。

1曲目はギターの単音リフから徐々にゲストミュージシャンによるサイレントバイオリンとドラムが入って、実に幻想的だった。いままでは轟音のシューゲイザーのバンドだったが、ニューアルバムのレコーディングでまた表現の幅を広げたようだ。
どの曲もギターの音色が美しく、ドラムが軽快でだんだんいい気分になってきた。体を包み込むような、空気感のある曲とサウンド。体が少し軽くなるような気がする。ずっとこの時間が続いたらいいのにと思った。
とくにティンパニーを使った曲がすごかった。タンバリンと交互に叩き、こんな演奏は見たことがなかった。小さなライブハウスのロックバンドがやる演奏のレベルではなかった。
本当に来て良かったと思った。特別に意味のあるライブだった。こんなサウンドをやるバンドは日本には他にないんだ。前に僕がいたバンドで同じようなことをやりたかったけど、残念なことになったし。
とにかくクライフ・イン・ザ・ベッドルームは特別なんだ。楽曲やサウンドのセンス、それは普通に生きていて思いつく代物ではない。かなりスタイリッシュなライフスタイルでないとこれはできない。
自分もこういうことをやりたいとずうっと思ってきた。特別なものを。




2003年11月02日(日)
■サラリーマンの不条理

最近、友達が映画を作ろうとしている。
井の頭公園でリハーサルをやるというので、行ってみた。
着いてみると、公園の入り口付近でスーツを着た友達二人がコントのようなことをやっていた。
“就業時間は9時半からなのに、どうして9時から営業会議なんですかあ?”などのサラリーマンの不条理の話だった。社内での会話を日常の公園へ持っていくという設定らしい。
実際にお笑いのコントという訳ではないので、何人か立ち止まって見ていくが数分してオチがないと通りすぎて行ってしまう。僕は記録写真を撮るよう頼まれた。
本当にサラリーマンやったことある人なら分かるけど、不条理に満ちているだよなあ。割と誰でも経験したことありそうな不満を言っていたが、見ている人からは“文句言ってるだけだねえ”という反応が多かった。
見てくれる人もいなくなり、行き詰まった。少し休憩してから場所を移動した。公園内では大道芸人や弾き語り、フリーマーケットでいっぱいだ。中には70年代の漫画を唸りながら紙芝居のようにめくっていく、めくり師?もいた。ちょっとヴィンセント・ギャロに似ていた。
彼らは人通りの多い池の前を選んだ。そして彼らは気分転換に役柄を変えてみることにした。不条理なことを言う体制側を演じるようにしたのだ。するとなぜかすぐに人が集まってきた。
完璧な論理でよく上司が言うようなことを語り始めた。年配の人達が笑いながら見ている。10人以上は人が集まり、最後は拍手が起きた。
実に興味深い現象だ。こうして聞いてみると、若い社員よりも上司の言うことに一理あるように思える。
正論のようであっても、文句を言ってるだけだと人には理解されないという訳か。歌でもそういうことってあるなあ。えらそうなこと言ってるなあと感じる歌って昔からよくあるもんね。かくいう僕もえらそうなこと言ってる場合ではないなと思うのであった。





2003年11月01日(土)
■中野系2

下北沢に吉田レコードという店があるのをご存知だろうか。店長の吉田洋生さんには今までCDを置いてもらったり、ライブイベントに出させてもらったりお世話になっている。その吉田洋生さんが実はもともと芸人さんであることをご存知だろうか。かくいう僕も初めて彼のライブを見に行った。
場所は中野ハルコロホール(山田さん家の一階)。どうもそこではよくお笑い芸人がライブをやっているらしい。そして今日は、居島一平(米粒写経)・吉田洋生・ヘブリスギョン岩月による「なさりすぎ」という年に一度の企画なのだ。
どうやら今回は学校の自習という設定らしい。ヘブリスギョン岩月が先生で、居島一平と吉田洋生が生徒らしい。その生徒が教室で騒ぎまくるという話だ。
しかしなぜか吉田洋生は金髪でパンツ1枚でサングラスをかけている。まったくパンクオヤジだ。
そのネタときたら強烈で、アングラならではのシモネタ連発。普段誰も口に出来ないようなシモネタを連発。話の内容は30代じゃないと分からないものばかりだし、二人ともボケとツッコミを兼ねていて、異様にテンポが速い。話は全部それまくりで、意味不明な単語がたくさんでてくる。突然「マチルダさ〜ん!」とか叫んだりするのだ。アムロを知らなきゃ分からんネタだ。
普段テレビで見るようなお笑いのスタイルを想像していたが、この世の物とは思えぬ凄まじさで、かなり笑わせてもらった。なにしろ3人だけで70分ぐらいやったのだ。ものすごいネタの量だ。
公演通り劇場のライブでもこんなのは見たことなかった。世の中いろんな芸があるもんだ。かなりはまってしまったので帰りにビデオを買った。
見てみたい人は貸すので言って下さい。ぜひカップルで見ていただきたい!ナカが深まること間違いなしでしょう。