uchie◎BASSMAN’s life

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2003年10月30日(木)
■中野系

レンタルビデオを返しに行こうとしたそのときである。0時半頃、電話が鳴った。まぼろしのみぎボーカリスト丹羽さんからであった。
“これから中野で飲もうや!パチプロの人連れてくからよ!”
思わず笑った。パチプロには会ったことがないので行くことにした。
中央線が遅れた為、電車には余裕で間に合った。
居酒屋に着くと丹羽さんはすでにパチプロの先輩と飲んでいた。先輩は35歳でギタリストらしい。しかもプロレベルらしい。
しかし酒のせいか、先輩は壊れていた。しかもめちゃくちゃに。かなりいい話をしそうになるのだが、途中ですべて壊れる。
先輩は酔うと鼻が敏感になるらしい。自分の匂いを嗅いでは臭いと言っていた。
しかしパチンコやってもギター弾いてもプロレベルというのは、本当はかなり頭が良くて器用に違いない。でも今はブッ壊れている。いつ誰に喧嘩を売られてもおかしくない状況だ。そのおかげか、なにしろ丹羽さんがものすごく真面目でいい人に見えるのだ。

飲むと壊れる先輩。
飲むと真面目に見える丹羽さん。
飲むと正直者になる僕。



2003年10月27日(月)
■MILK

日本シリーズを見終わった後22時26分、友達から電話がかかってきた。“今日23時からミルクでマモのライブあるから今からこいや!”まぼろしのみぎボーカリスト丹羽さんである。マモくんはSGT解散後LOW NUMBERSというバンドに入った。今日ライブなのをすっかり忘れていた。
荷物を持ってすぐに部屋を出た。30分で恵比寿につくはずがないので、駅まで歩いて11分のところを走った。
ミルクは初めて行った。思ってたより中は狭かった。クラブは久しぶりだった。
マモくんのドラムは前よりもカッコよくなっていた。自由に叩きまくっている感じがした。ケニー・ジョーンズなんかの影響がよく出ている。前は茶髪でアフロにしていたが、今は黒でおろしている。新しいバンドになじんできているようだった。

ライブを見終わるとミルクを出て、居酒屋で飲んだ。なぜか2時で閉店した。しかたがないので彼の部屋で飲みなおすことにした。二人とも夜型になってしまっているのか9時まで話をしてしまった。煙草と焼酎で、音楽の話や、あしたのジョーの話で盛り上がった。
帰りに結構雨が降っていて傘を借りて帰った。通勤ラッシュの時間に駅に行くのは久しぶりだった。
楽しんだ後なので、僕はこれから眠る。寝る前にホットミルクを飲んだ。



2003年10月26日(日)
■演劇「ANOTHER GREEN WORLD」

友達の秋山夕日さんの出演する演劇を見てきた。場所は横浜STスポット。
Green Roomというバーに訪れる人々の恋愛劇であった。
小さなバーだが、バルコニーから海が見えるという設定で、実際よりも広い空間を意識させる。海がある側に客席があり、役者は波の音をバックに海に向かって語り、窓の外の景色に視線を送る。
演劇の基本かもしれないが、見る側は現実とは違った時間軸と空間に送りこまれる。あたかも他人の人生を垣間見、同じバーの客として介在しているかのような気分になる。
役者はステージから遠くにあるであろう景色を見つめ、舞台装置にはない空間を作り出す。

最近は音楽シーンより演劇シーン(?)の方が熱くなってきているのだろうか。結構質が高かった。インディーズバンドだとよく音痴だったりミスが多かったり音楽理論が間違ってたりするけど、今回見た演劇はやはりインディーズだが、緊張してる様子やセリフを間違えそうになるような不自然なところは全くなかった。
演劇もいいもんだなと思った。これからはもっと気軽に見に行けるかもしれない。

その秋山夕日さんの一人芝居が12月1日に渋谷TAKE OFF7である。バンドの対バンみたいに何人か出演するようだ。



2003年10月24日(金)
■映画「光の雨」 をまた見る

反革命精神を殲滅する為に自己批判することにより自分を総括する。
これは確かに純粋かつ完璧主義な考え方だ。しかし彼らはそこに生じる矛盾に気付かなかった。
完璧なる革命精神を持つ為に、内なる反革命精神、すなわち今までの慣習・教育・主義・行動を捨てる。しかしそれまでの人生を完全に否定して人は生きていけるだろうか。
例えばフランス革命において、その意義はフランス人民によるフランス人民の為にあったのだ。けして全く新しい異なった国家の建設ではなかった。
しかし赤軍の場合、完全に新しい世界を築こうとしたわけだ。共産主義を掲げた彼らはしかし、言葉による理想論ばかりで具現化するだけのイメージは持ってなかったはずだ。
現在というのは過去の積重ねであり、過去は一瞬一瞬の積重ねである。過去を否定するということは、革命精神を持とうとする現在をも否定してしまうのだ。ここに大きな矛盾がある。未来を変えようと思ったら、今までの過去を完全否定するのではなく、現在ある過程を重んじるべきなのだ。

だから今バンドをやれてない僕は、今までの自分を否定するのではなく、肯定もしていこうと思った。そうしたらもっとよくなる気がする。



2003年10月22日(水)
■映画「光の雨」

連合赤軍の話を劇中劇にした映画だ。見る前はなぜ劇中劇にしたのか、それが疑問だった。リアリティーを欠くのでは?と思っていた。
しかし、そうしなければ今作る映画としてただの恐ろしい昔話になってしまうのだろう。
1972年の話だ。僕が生まれる少し前のこと。うちの両親は赤軍の首謀者達とほぼ同じ歳。当時日本でこんなことが起きていたのか。信じられない感覚である。今の日本は60年代、70年代の運動を隠蔽してしまったかのように見える。
30年前の日常は、彼らを闘争に駆り立てるような危機がどれほど転がっていたのだろうか。それは何だったのだろう。そして現在、世の中はどうなのだろう。当時敗北した若者たちは50代になり、社会でどう生きているんだろう。敗北感に後ろめたさを感じているんだろうか。(その敗北はバブル漬けで育った今の40代前半の連中を作ってしまった気がするが)
赤軍の行動は狂気に満ちていて恐ろしいが、それでも理解することは出来る。
生まれたときから、他人からモラルや理念を押し付けられるこの社会というのはある意味、恐怖だ。大抵の人は、“なぜ勉強しなければならないのか”という疑問を持ちそれなりにいいオトナになるのだが、もっともっと人間の存在として基本的な部分に気がつくと、社会というのは凶器であり恐怖である。
僕がベースを弾くのもそんな社会に対するささやかな抵抗だ。楽器、あるいは芸術に触れることで社会にはない面白い世界を垣間見ることが出来る。
もちろん社会の恩恵に授かっている部分もある。だから、ささやかな抵抗なのだ。
この映画は今の若い世代に対して、“今の日本はどうなんだ”と疑問符を投げつけているようだ。
変なタイミングで早大のサークルの事件が起きている。どうやらいろんな大学で同じようなサークルがあるらしい。どうなんだ、イカれる若者よ!



2003年10月21日(火)
■ベースの練習

きょうは4時間ベースを練習した。きのうは6時間やったからたいしたことないか。最近よく練習している。といっても生活のほとんどがベースの為と言っても過言ではない。いままでこのぐらい練習してればもっといいライブが出来ただろうなあ。
この前までクリックに合わせる練習ばかりやっていた。テンポは60〜80で。これからはユルイ曲もうまく弾きたい。レアグルーヴも好きだし。でもようやくユルイ曲でもアジが出せるようになってきた。
一昨日、わざわざトレーニングマシーンを買ってみた。CDプレーヤーなんだけどテンポやピッチを変えられて、低音をカットできる。これは便利なものが出たもんだ。お気に入りのCDに合わせてプレイできるから、まるでレコーディングしているみたいだ。
録音してリズム、サスティーン、コード感、歌メロとの絡みなどを確認してみる。最初は1小節もまともに弾けてなかったが、90%はいい感じになってきた。
そういえばこの曲は指で弾いている。ピック専門だったが、指弾きもだんだん慣れてきた。人差し指と中指にタコが出来ている。ちょっと嬉しかったりする。
他人の曲をこんなに練習したことはないかもしれないなあ。I wanna be...



2003年10月19日(日)
■ワイト島1970

ポレポレ東中野にて映画「ワイト島1970」を見た。
これはビデオでも見たことがなかった。
でも、いろいろ問題のあったロックフェスティバルだったということは聞いたことがあった。
島に60万人が集まったというのだからすごい。どうやら各アーティストのファンがただ集まっただけではないようだ。
若者たちはやたらとラヴ&ピースとか、体制とか反体制とか叫んでいる。音楽を楽しむというより、当時のフラワームーブメントやヒッピームーブメントのステイタスとして、こういうフェスティバルに何かを求めていたんだろうなあ。
それにしてもめちゃくちゃなことになっている。テント張ってドラッグやってフリーコンサートにしろ!とか叫ばなければ、愛や自由を感じることができないんだろうか。
バンドの演奏も結構ひどくなっている。ジョニ・ミッチェルが言ってたけど、演奏に集中できないんだろう。ジミヘンすら気の利いたアドリブが出ていない。
この混乱ぶりは70年代の音楽シーンの幕開けを象徴しているようだ。それは世の中が全体主義から個人主義に変わる様でもある。

でもそんなところにハイキングに行かなくたってロックを体で感じるような環境(ライフスタイル)を自分で作らなきゃダメだと思うんだ。ようするに、そういうことをしない人の手軽にヒッピー気分を味わう場所だったんだよ。そこは今も昔も変らないかもね。



2003年10月15日(水)
■Jimi Hendrix

今日もポレポレ東中野へ行った。今日の上映は「Jimi Hendrix」だ。
確か高校生頃にビデオで見たかもしれない。レンタルでもあるかもしれない。でもスクリーンで爆音で見てみたかったのだ。なかなか映画館で見れるもんじゃないし。

例によってこの映画館はまた空いていた。ジミヘンともなればもっと人が集まるかと思ったのに。知ってる人がいたら「おお、来てたの!?」なんてことになって楽しいのに。「ジミヘンは天才なんだよ」って言ってた僕のまわりのバンドマンやDJの方は誰もいませんでした。

いつものごとく映画館の真ん中あたりの席に座った。隣に人がいないのでいつもリラックスして見ることができる。カウンターで、前回も飲んだジンジャーエールを買った。緑色の細いビンで、何てなまえだったかな。他で売ってるの見たことがない。たぶん外国の。これがびっくりするぐらい辛くてクセになりそう。喉がカーっと熱くなる。それをチビチビやりながら映画を見るのである。

この映画は、ジミヘンと関わったミュージシャンやスタッフ、父親たちのインタビューとライブ映像を交互につないだ構成だ。いろいろな人のそれぞれ違った視点による話から、ひとりの人物を浮かび上がらせようという試みだ。
伝説となってしまったミュージシャンにとって当時のまわりの人のインタビューは貴重だ。音楽評論家の記事を読むよりリアリティーがあって面白い。ピート・タウンゼントにとって、彼の出現は相当ショックだったみたいだ。けっこう真面目に答えている。ミック・ジャガーは寝癖のついたアタマで眠そうに答えている。
なかでも面白いのが、何回も出てくるリトル・リチャードのインタビュー映像だ。ジミヘンのように派手な衣装を着て、髪の毛を爆発させ、目をギラギラさせながらイスに座ったり立ったりして大きな身振り手振りで話すのだ。いかにも自分がその才能を発見し育てたかのような話し方だ。
どうやらジミヘンとリトル・リチャードを対照的に表しているようだ。どんなに派手な衣装を着ていてもいたって自然に振舞うジミヘンと、ロックの王者であることを誇示するかのようなリトル・リチャード。ロックンローラーの対極的な姿だ。存在そのものが全く以っていかがわしいリトル・リチャード、それもまたロックンロールだ。
そしてジミヘンは、デビュー当時からだんだんとロックスターというより芸術家の姿に変っていくようだ。その度バンドを変え、スタイルを変化させていっている。
しかしこの映画も彼のすべてを物語っているわけではない。周囲の人と深く関わろうとしない彼。宙を見つめて考え事をしていることが多かったようである。内的宇宙であるブルースを超えて作られた後期のジミヘンのサウンド。もし生きていたら…。答えはやはり伝説の中である。


〜帰りに高円寺で、以前対バンしていたカリフォルニア・ガールの赤澤くんと道でばったり会った。よく見たらそこは彼のアパートの前だった。こうして偶然はなしが出来るのは楽しいことだ。〜



2003年10月12日(日)
■YEAR OF THE HORSE

今月はポレポレ東中野にて、“ROCK FILM IN HIGASHI-NAKANO”と題してロックをフィルムの特集をやっている。
きょうはジム・ジャームッシュ監督の「YEAR OF THE HORSE」を見た。ニール・ヤング&クレイジー・ホースを追ったロードムービーだ。
ニール・ヤングのアルバムは一度も買ったことがないので詳しくないのだが、好きなミュージシャンがフェイバリットアーティストに挙げていたので興味があった。
8ミリでの撮影ということで、映像は全体的に荒々しく生々しい。
特に印象的なのは、ライブ映像とツアーバスの窓から見える曇り空がオーバーラップするところだ。
立ち止まることのないクレイジー・ホースの演奏と、終着地のない旅が重なり合う。
それにしてもシンガーとバックバンドというアメリカにありがちなスタイルだが、実際はそうではない。けしてニール・ヤングの歌の伴奏という形態ではないのだ。
各メンバーの音像と音像が重なり合い、ある空間を作り出しているようだ。けして分かり易くはない。直接的なメッセージではなく、包み込むように夢の中まで引きずり込むようなサウンドだ。ギター、ベース、ドラムというシンプルな構成でこのような音が作れるのはすごいことである。
荒れた映像の中の、ニール・ヤングの姿に凄みを感じる。髪の毛はまばらに抜け落ち、深く刻まれた皺の形相でギターを掻き毟る。
メンバー全員、一見ただのオヤジであるが、この芸術性あるサウンドはなんだろうか。いや、そんな奇をてらったものでなく、人生を走り続けている様なのだろう。




2003年10月11日(土)
■トムケン

トムケンさんは、もう10年以上前から知っているバンドマンだ。
最近“23”という新しいバンドを組んだそうで、渋谷EGGMANに見に行った。
5人編成のバンドだった。トムケンさんがボーカルで、ギター2人、ベース、ドラム。
前見たときのトムケンサイトというバンドは、緩めのポップでソウルなバンドだった。今度は結構ノリノリなバンド。
持ち前の明るい性格と、外人っぽいルー大柴似の顔(本人談)で、彼は楽しそうに熱唱した。
僕より3歳ぐらい年上なのだが、新バンドでのすごい勢いのパフォーマンス。まったく衰えることを知らない人だ。それどころか年々歌に説得力を増してるなあ。
しかも“かっこいいなあ”と直感で感じる。30歳超えると痛々しく見えるバンドマンが増えてくるもんだが、トムケンさんの勢いに乗せられて若いコ達が列を作って手拍子をしている。最近のライブハウスじゃあまり見られない光景だ。
ラストの3連の曲では“5年前、僕はこの季節がキライだった”という歌詞にじ〜んときてしまった。だれでも自分のことに置き換えて聞くことが出来るいい曲だった。



2003年10月07日(火)
■BONOBO

きのうミュージシャン友達、DRUM=MAN イズミダ・イズミと呑んだ。
そのとき衝撃的だった話が「BONOBO」だ。
ボノボというチンパンジーよりも人間により近いサルがいると言うのだ。二足歩行で、性行動がまた人間と酷似していて、とてもテレビ放送できないぐらいだというのだ。
その手の話にはけして疎くないはずの僕はかなり驚いた。ボノボって聞いたことないぞ。

さっそくインターネットで検索してみた。
どうやらピグミーチンパンジーのことのようだ。それなら図鑑などで見たことあるぞ。

最初はピグミーチンパンジー呼ばれていたが、研究するうちに実はチンパンジーとはかけ離れていることが分かり、ボノボという現地での呼び名が新たにつけられたらしい。
ゴリラやチンパンジーとコミュニケーションをとる研究は昔から行われていて、学校の教科書にも載っていた記憶がある。
しかし驚くべきことにボノボは、言葉を教えるとそれを理解し、顎や舌の形状のせいで発音はできないが、キーボードを介して自分の感情を伝えることができるというのだ。
また、集団生活をする習性があり、そこには社会が存在するらしい。そこまでならニホンザルと変らないのだが、最も大きな違いは発情期がないということだ。つまりヒトと同じで、いい相手がいればいつでもやりたくなるって訳だ。
二足歩行で行動が出来、発情期がなく、集団行動がとれるということは、繁殖に捕らわれることなく行動ができるので、社会生活が高度化する可能性を持っている。そして文化を持つ可能性を持っている。
遺伝子レベルでもチンパンジーよりもずっと人間に近いということなのだ。進化論的に言えば、人間と分化したということになる。ボノボの骨格は人間の祖先と言われている化石にかなり酷似しているようだ。
しかし、高等動物の条件を持ちながら、なぜ人間と違うのか。
人間の社会との大きな違いは、彼らの中に戦争というものがないということだ。同種では決して殺し合いをしないそうなのだ。
人間の歴史は戦争の歴史とよく言われる。まさに戦争とともに文明が栄えた。文化も然り。
思うに、音楽すら戦いの中から生まれたのではないだろうか。戦いの前や、または勝利を称えて、道具を地面に叩きつける。それはやがてリズムとなり、歓喜の声は旋律となる。

戦いを好まないボノボと人間のどちらが優れているか、どうでもいい問題である。
しかし、彼らに楽器を与えたら、いったいどんな音楽を奏でるのだろう。


というわけなのだ。イズミーまた呑もう!



2003年10月05日(日)
■Fountains of Wayne ライブレポート

ついにFountains of Wayne(以下FOW)のライブを見た。
思えば今年の8月2日にこのバンドのニューアルバムを買って以来、この日の為に生きてきたと言っても過言ではない。
だいたいここ数年、海外アーティストのライブに行ってなかったから、とても楽しみにしていた。

場所はCLUB CITTA。しばらく行かないうちにこの辺もかなり変ったもんだ。
入場が17時だというのに、15時に着いてしまった。つまりもう家でじっとしてられなかった訳だ。ずっと会場のまわりでうろうろ。
集まったファン達はなぜかいったん地下駐車場へ収容された。こんなところへ連れてきて何をしようと言うのだ。しかし、周りの人を見るとやはり同じ音楽を好きそうな感じがする。
やっと会場へ入れるかと思ったらドリンク代で500円とられた。しかし普段ライブハウスばかり行っているので、かえって安心してしまう。カンパリソーダを持ってフロア内をうろついてみたが、知ってる人はいなくて残念だった。ロック系のDJイベントの知り合いは多いから、いてもおかしくないのだが。みんなリキッドの方へ行ったのかな。
そんなことを思いつつ、まだ込み具合に余裕があるので、前の方を陣取った。中央前から5列目。なんんだか普段のライブハウスと変らないぞ。
今回のツアーはホフディランの小宮山さんがDJを担当しているらしい。ところでホフディランってまだ活動してるんだっけ?SGTのヤスエさんも元ホフディランだったなあ。
しばらくしてやっとステージに誰か出てきたと思ったら、知らない外人。なんだこりゃ。なんの説明もなしにエレキギターとドラムで何かやり始めた。声とルックスは悪くないけど、曲がつまらないし、ギターへた過ぎ。だけど拍手喝さい。なんだこりゃ。
次に出て来たのは日本の若いインディーズバンド。非常につまらないアレンジとひどい歌、これまたださいルックスで、もううんざり。前の方に来たのをものすごく後悔。FOWを見る為にはこれほどの苦痛に耐えねばならないとは!
もう終りかと思ったら、今度はまた違う外人が。しかし今度はテレキャスの使い方も歌もかなり上手くて、じ〜んと来てしまった。途中FOWのクリスと一曲デュオもあった。
前座が終ったのはすでに20時。もう心身ともにへろへろ。
でも、待ち焦がれやっとFOWが出てきたとき、なぜか全身にチカラが蘇った!
近くで見るボーカルのクリスは、写真で見るより背が高くてかっこいい感じだ。オレンジ色のサングラス、いい感じに色落ちしたブルージーンズに、レスポール。
ベースのアダムは太ったなあ。オトウサンって感じになってる。でもなかなかいいベースを弾いてくれる。またギタリストとドラマーがかっこいい。結構ロックンロールな演奏だ。ギタリストは終始キースの真似をしていて面白かった。
待たされたファンは一曲目から爆発した。けして暴れるような曲ではないが、みんなずっと来日を待っていたんだろうなあ。英詩を覚えて来て歌ってる人がたくさんいる。ちょっと待て!クリスの歌がよく聞こえなくなるじゃないかー。お構いなしに、もう飛んだり跳ねたりで最高の盛り上がり。僕も一年分ジャンプしてしまった。
しかし、クリスはけしてファンをあおるようなことはせず、冷静で、その姿はまるで科学者か教授のような知的さだ。いったいどこにあのようなポップセンスが隠されているのだろうか。
バンド自体ものすごく上手いわけではないが、これほどにひとの心をつかむのは、紛れもないポップセンスなのだ。どの曲も一度聴いたら忘れられないフレーズや、言葉の繰り返しがある。その繰り返し方がとてもユーモアがあって聞いていて楽しい。
そして美しいメロディーとキラキラしたサウンドが気持ち良くしてくれるのだ。

FOWは2度のアンコールに答えてくれた。ポップからグルーヴへバンドは加速し、最後はベースを床に叩きつけ、グワ〜ンという音が鳴り響いた。
大満足だった。またいつか見たい。



2003年10月04日(土)
■音楽ラジオ番組「ジンケ・トリオ」

毎週土曜21:30からFM世田谷(83.4)でやっている「ジンケ・トリオ」を聞いた。
ジンケはアパッチ・バズーカというバンドのボーカル、ササキケンジさん。
前にやってたバンドTHE CLOSETのギタリスト能條ハジメ氏が、そのバンドでファンキーギターを担当している。
能條ハジメ氏もその音楽番組に出演しているということで、やっと今日聞いてみたのであった。あとから知ったのだが、この前までやっていたバンド、マジックカーテンも以前「キンクス特集」で紹介されているのだ。(その模様はこちらで確認できます→http://www.office-mica.com/jinke/radio/a-news.cgi?date=2003.05.31&cal=)

そしてきょうは「スモール・フェイセス特集」だったのであった。なにしろ10年来のファンなので最高に嬉しい。スモール・フェイセスには音楽的にもファッション的にもかなり影響されているのだ。
まず最初に“シャラララリー”が流れた。この曲もラジオから流れると格別だ!スモール・フェイセスはとても60年代とは思えないポップ感覚。きっと66年のロンドンで多くの少年達が今夜の僕のようにラジオにくぎ付けになったに違いない。
“ワッチャ・ゴナ・ドゥー・アバウト・イット”が流れたときは、その強烈なシャッフルビートに思わず部屋の中でステップを踏まずにはいられなかった。
能條氏らも熱く語っている。THE CLOSET時代はスモール・フェイセスの曲をいくつもライブでやった仲だ。嬉しいことにTHE CLOSETのボーカリスト・アツシについても少し触れてくれた。

毎回この番組はマニアックな特集をしているので要チェックだ!