みかんのつぶつぶ
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2003年08月27日(水)


バス停の後ろには線路があって、その線路沿いにはこんなお花が咲いていて。いつもとは違うバス停から乗ろうと思ってこの道へ下りてきた。でもいつもは通らない。なぜかというと、このバス停へ渡る横断歩道の脇に、お花がお供えされていて。ひき逃げ事件の看板は撤去されたけど、いつもお花が絶えることなく置かれていて、亡くなられた方のお父様が、供えてくださる方々へメッセージを残されている。
しゃがみこんで読むこともなく、ただ、渡り際に視線を落としたら目に入ってきたその文字たち。何食わぬ顔で白い線を渡る私。ご冥福を祈りながら知らぬ顔して。

この花を見つめるヒトの心を感じるのだろうか
黙って咲いているこの揺れる花

闘病記をこちらの日記へ移動中。少しづつ。
今日は、もう歳をとらない彼と同じ40代になる。



2003年08月22日(金) もしかしたら


もしかしたら、
生きていると思ってるのかも知れない
そんな自分自身の底にドキリとしたりした。

もしかしたら、
私は心を病んでいるのかも知れない
検証される自分自身の行動にギクリとしたりした。

もしかしたらね、
私はとっても幸せなんじゃないかと気づいたら
下を向きたくなった。
複雑な心模様。




2003年08月09日(土) 季節を過ごす



幸せだとしみじみする音がある。
それは夕暮れに響く蜩の泣き声。
夏を過ごすという緊張感がほぐれるときだから。
今日も一日お疲れさまの時間だから。



2003年08月04日(月)

彼のことを知っている私の知らない人を、私が知っている職場のYさんは知り合いだという。世の中は広いようで狭いねえとありきたりの感動。彼の死を惜しむ言葉が妙に有り難くて新鮮な感じを覚えた。元気だった彼の姿を思い出にしてくれている人がこの世の中にいるということの実感と。

8月は、花火の季節。昨夜のベランダで、右手と左手から花火が打ちあがるという偶然を目にして。毎日どこかしらで夜空に開く花火の音がする。

泣いても笑っても、季節は巡っているということで。


2003年08月01日(金) 梅雨明け



外へね。
出てみたの。
それでね。

どうしていつも外を歩くと
こんなに悲しい気持ちになるのかと
いつも考えていたら
今日ね、
その答えが見つかったの。

私が駅や街を歩くのは、
いつも病室へ行くときでね。
外へ出たら行く場所があって
そこへ行けば彼が待っていて
待ちわびていて。
いつも急ぎ足で歩いていて
いっぱい汗をかきながら歩いていて
何か喜ぶ物を買っていくのも楽しみで
それを道々考えていて。

いまは、
いくら街を歩いても、
辿り着かなくちゃいけない場所がなくなって。
いくら急いで歩いても、
彼が待ってるわけじゃなくて。
行く病室もあるわけじゃなくて。

自分でも気づかない気持ちが、
そっと泣いていたのに気づかなかったんだね。

野良犬のような気分になるのは、
そんなわけなのかも知れないと。

そう気づいて見上げた空は、
雲のかげに夏の色。


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