みかんのつぶつぶ
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2003年07月27日(日) 罪と罰


満足という気持ちを味わうと、
かならずその裏返しで悲しくなる。
幸せだなあと微笑むと、
とたんに寂しい風が吹く。
それは私の心がそうさせているせい?
私自身の罪?

逢いたいと思う気持ちで涙が出る。
じゃあなぜもっともっと喜んで病室へ行ってあげられなかったのかと悔やむ。
疲れていたから?
辛かったから?
わかっていたのになぜ!

なぜどうしてと誰も私を責めないのがとっても辛い。
言い分けもさせてもらえないことがこんなに苦しい。
何が正しくて良かったかということさえもわからない。

彼がどんなにか寂しく悲しい言葉を発しても、
私の心のなかに収めることしかできなくて、
だからどうしてあげるという発想も知恵もなくて、
ただただ、
かわいそうなことをしてしまったという罪悪感が強くって。



体調がよくなくて。
弱い部分が顔を出すね。
こんなことの繰り返しで、少しづつ強くなるのかな。


2003年07月26日(土) 日々

まだまだ先は長いぞと思っていた繁忙期も終わり、
ホッとひと安心の今日という日ですか。

職場というところは、
それぞれの場所から人々が集まり、
それぞれ様々なことを抱えて同じことをし、
決して共有できることのない苦悩と一緒に時を過ごし、
職場というルールを共有して生きていくのですな。

あなたの悩みは私の悩み、なーんてことは絶対ありえない。
けれど、少し痛みがわかるならば、
お互い思いやりを持って接していければベストだね。
知らなければそれでいいし、知らせることもないし、わかろうとすることもない。

掲示板へメッセージをいただいているのにお返事が遅くなっています。
ごめんなさいっ!もう少し待っててくださいね・・・(T_T)


2003年07月18日(金) 冷たい炎

悔しくて情けなくて心細くて、ってそんな怒りを持ったことがありますか?怒りを感じれば感じるほど悲しくなってくること。行き場のないその怒りを持ちながらいる病室。今でも、あの病室の蛍光灯に照らされて眠る彼の顔や白い布団を思い出すと、いても立ってもいられなくなるようなザワザワとした感覚に囚われます。
患者やその家族にそのような気持ちを持たせる看護があること、それはとても悲しい現実です。そのようなことが今でも、あの病棟で繰り返されているのでしょうか。

私はいまでも、あの日々のことで悩み苦しむ心を抱えて生きている。
許されないことを許さないと言えたらどんなに楽だったかと、
そう切実に思いあの日に戻って抗議ができたらと本気で思います。
それと同時に、最も責められるべきは私自身だということ。

衰弱して言葉もろくに発することのできなくなった患者になってしまった彼に、
なんの罪があってあのようなことをされなければならなかったのでしょう。

死に瀕するきっかけになった誤嚥についても、その状況を詳しく知らされていないまま。

心のなかに渦巻く解決できていない私の想い。
いつか晴れるときが来るのだろうか。




2003年07月14日(月) ねえ、




一生懸命歩いてたんだ



一生懸命
一生懸命
一生懸命

歩いてたんだ
歩いてたんだ
歩いてたんだ




ニッコリ微笑む寝顔の理由を尋ねたとき、
彼ははっきりとこう答えたのだった。
亡くなる5日前。

あのときよりも、
今思い出すほうが素直に受け止めることができる悔しさ。
記憶のなかに織り込まれた悲しく健気な彼の言葉。
いつでも
どこでも
何を見ても
何をしても
その織り目から滲み出てくる切なさに胸が熱くなる。



ねえ、教えてよ。
暗闇は恐かった?
夜も病室にいて欲しかった?
眠っていても話しかけて欲しかった?
もっともっと子ども達に逢いたかった?


ねえ、ねえ、ねえ、
教えてよ。



2003年07月13日(日) 迎え火

霊となったキミをお迎えすることになって二度目の夏。
とりたててどこが何が変化したわけでもなさそうなのだけれど、
動いている世の中へ足を踏み出してみたりしてるんだ。
世間の風に吹かれて、何気なく何事もなかったような風に、
そうして過ごす自分自身を多少不思議に感じたりしながらね。

子ども達は、自分たちが成さねばならぬことをきちんとこなし、
キミがいたらきっと、目を細めて感心するだろうに。
たくさん面白い話しもあるんだ。
きっと、大笑いすると思う。




聴きたいよ、声が。


2003年07月12日(土) 遠くへ


30年間忘れ去られていた土地をさがして、見知らぬ町へ行った。
とっても簡単な地図を握り締めて。

やっと辿り着いたその土地には、梅雨の晴れ間である陽射しが降り注ぎ、
緑に覆われたゴーストタウンさながらの場所だった。

でも、知らない30年間にもこうしてここも季節がめぐりめぐり、
日常が存在していたわけで。
そしてその年月の間に、ここにこうして何かのご縁で私が立つ大地。

青々と清々しくも荘厳なる草木と、
大地の恵みを感じずにはいられないところ。
忘れていた景色や匂いを思い出さずにはいられなく、
懐かしく、ただ懐かしく。
帰り道、後ろを振り返らずにはいられなかった車内でパチリと撮った写真。
後ろへ長く長く続く道は、私が歩んできた人生のようで。

東京から180キロ、思えば遠くへ来たもんだ。
思えば、人生折り返し地点の歳になる夏。

明日は迎え火。





2003年07月09日(水) ゆっくりと。

去年って、この時期何をしていたのだろうかと、ふと考える。
自分の中で時間を止めて過ごした一年だった昨年。
無意味に過ごした時間のようでもあるあの日々があるからこそ、
いまの日々を過ごすことができる私がいる。

病院へ通い続けたあの夏の日。
あの切なく悲しい彼との時間があるからこそ、
また夏が来て、共に過ごした時間を思い出すことができる。

辛くても悲しくても、一緒に過ごした夏の日の思い出。
キミがいなくなってから、二度目の夏を迎えます。

仕事も順調にそこはかとなくこなすことが出来るようになりました。
労働の楽しさを思い出し、私のなかの私の時間が、
少しづつ蘇えりつつあるようにも思います。
それもこれも、彼が残してくれた「時」を使うことができたおかげです。
辛いことや苦しいことを、
少し毒を持った笑いに変換する術を教えてくれた父のおかげです。

でも、泣き虫はなおりません。
いつも泣きべそをかきながら仕事帰りのバスに乗ります。
どうしてかわからないけれど、
家路へのバスに揺られると、泣きたくなります。
病院からの帰り道の、あの気持ちを思い出すのかも知れません。
張り詰めていた神経が開放されるときなのでしょう。

やり切れない想いは、まだまだ抱えて歩いていくのでしょう。


2003年07月08日(火) 心がけ

心の闇まで見透かすことができたなら、
そのひとの本当のところを解読して、
そのひとが本当に求めている救済方法がわかるのに。
けれどそれは社会では求められていることではなくて、
普通に平凡に生きているにはお互いに負担なだけ。

だからこそ、
見た目だけでも心優しく穏やかにできればいいのに、
と、
日々思うだけのダメなわたし。


2003年07月07日(月) 星に願いを

しとしとしと
雨が降る

さわさわさわさわ
ササの葉揺れる

彦星はどこですか?
織姫はいずこに?

さらさらさらさら
すべり落ちる涙

年に一度でも、
逢うことができるならばいいじゃないのと憎まれ口。

三途の川へ行く方法は知っているけれど、
逢いに行くには命がけってね。

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最近、職場の様子が少し変化してきた。
よい方向へ動き始めた感じ。
建設的に前向きに職場としての自覚を持ち始めたようで、
何はともあれ、私としては快適な環境となりつつある。
やれやれ。


2003年07月04日(金) 潮の香りに。

泣く理由を探さないと泣けないことってある。
とことん泣きたいのに、素直に感情が出てこなくって、
悲しい気持ちを表わす術を忘れてしまったように、
ただただ途方に暮れてしまうこと、があることを知る。

海からの風が吹いてきているのだろうか、
夕暮れの風に潮の香り。
海水浴で笑う彼の顔を思い出す。
波間ではしゃぐ子ども達の笑顔と声が蘇える。
心の奥にあるファイルを偶然に開けてしまったような感覚。

ノスタルジー。

七夕なんだなあと思いながら、
星を探す空と、潮風に涙を飲む。

どこかで花火を打ち上げる音。
夏なんだなあとパソコンの前で聞き耳をたてるその場面は、
去年も一昨年もその前も、繰り返される夏のある日。
私は変わらずここにいる、
けれど辺りを見まわせば、
影すらない人々の存在を思い知る。

いないことが悲しいんじゃなくて、
いないと思うことがとってもとっても辛い。


2003年07月02日(水) 7月

四角い病室にある四角いベッドの上で、
どうして自分がここにいるのかわからないから教えてくれと訴える彼。
額に汗し、目を見開き、全身の神経がその理由を欲していると感じた。

どうして俺はここにいるんだ?

7月に入ったとたんに、苦悩しはじめた彼。
それは突然やってきた現象に見えた。
でもそれは悲しい錯覚だった。突然なんてありえない話しだ。
罪だ。
私の罪だ。
見過ごして、やり過ごしていた結果だ。

眠りに入れる薬を服用したはずなのに、
夜11時になってもベッドの上から電話をかけてきた。

教えてくれよ、どうしてここにいなくちゃならないのか!

その押し殺した叫び声が耳から離れない。
どうしてこんなに悲しいことが起こるのだろうと不思議にさえ思った。
その一場面一場面を消化するのに精一杯の日々だった。
これ以上に辛いことなんてありえないと本気で思った。

精神を狂わせて答えを探していた彼。
歩けるならばきっと病室を抜け出して答えを探しにいっただろう。
少し歩けば気が紛れて眠りにつけただろう。
けれど彼にはそれができなかった。



7月は、同室だったOさんが空へ旅立った月。
彼と私の後ろ姿を絵にしてくれたOさん。
あなたの目に映った彼の後姿、今年も飾らせていただきます。
病室ではあまりお話しできる時間がなかった彼ですが、
中華街や山手のお話しは、彼の方が詳しいのでたくさんお喋りしてくださいね。
彼と一緒にいる四角い顔の親爺が私の父です。
どうぞよろしく。



みんな寂しくないようにしてください。
私も、なんとか頑張りますので。




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