りとるのひとりごと。
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2004年10月31日(日) ちょっと・・いや、かなりヘロヘロっす。

どわ〜。
ほぼ1週間ぶりなのね・・(汗)
どーりで入力もままならない(ミスタッチばかり)わけだ。

・・が。
先週はとてもPCに近づける状態ではなかった・・。

息子共々風邪を引いて、しんどいながらも何とか
仕事だけは頑張って行って、帰宅したらグッタリ・・。

目が痛いのでPCはもちろんテレビも見られなかった。

息子はワガママ度がますますパワーアッ〜〜〜プ!!!

買い物に連れていけば勝手な行動ばかり・・。

カートを自分で押して他の人や商品棚にぶつかりまくるし、
店の床に這いつくばってほふく前進・・。

駐車場でもそばについてこなくて走り回りヒヤヒヤ・・。

注意すると余計意地を張って言う事をきかなくなってしまう。

も〜イライラは増すばかり・・疲れもどっとやってくる。


今月はいろいろとあって心労が重なったせいか、
生理も止まってしまった。ううむ。参ったなあ・・。

おまけに爪を噛む悪いくせがまた始まってしまった。

昨日から胃まで荒れて、も〜助けて〜って感じ・・。


今年もあと2ヶ月・・。
良いことがなかった今年、せめてあと少しは平穏でありますよう。

で、来年はいい年になるといいんだけどな・・。


2004年10月25日(月) 明日は雨か〜(怒)

明日から仕事モード。

が。

こんなときに限って息子が風邪引き。鼻水ズルズルのゴホゴホ。

私まで喉が痛くなってきた・・ううむ、やばい〜。


毎日バタバタしているうちに日が暮れて、気が付けば
今月ももう終わりじゃないか〜〜。

あ〜もうイヤ。

息子が熱出ませんように・・それだけが唯一気がかり。

・・って、私が倒れたりして(汗)


2004年10月20日(水) もう勘弁して〜(涙)

台風は夕方からだと安心していたら、

「今日は1時間早く降園になります〜」と園から連絡網が。

ひえ〜。
2時過ぎには帰ってくるのかあ(汗)

息子は2番バスだからまだいいが、1番バスの子は1時だな・・。

ほんっとに台風はどーにかならないものか。
日本がよほど好きとみえる。


今日も朝起きると背中が痛くてしかめっ面になってしまった。

布団も片付けられたし、昨日よりマシとはいえ、やっぱりつらいよ〜。

おまけに寒いよ〜。手が冷たいよ〜。

とほほのほ〜。


2004年10月19日(火) え〜〜ん痛いよ〜〜(涙)

朝起きて1時間もたたないうちに、背中が痛くなってきた。

う〜イタタ〜〜・・と背に手をやりながら、
何とか息子を送り出した。

・・が。

痛みはますます酷くなり、ついには動けなくなってしまった。

布団だけでもあげなくちゃ・・。

押し入れに入れるためぐっと布団を持ち上げたら・・

ぐわ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い〜〜〜〜〜た〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!

あまりの激痛に布団と共に崩れ落ち、そのままダウン。


息も絶え絶えで、特に深呼吸がまったくできない。

一つの姿勢で固まったらもう動かせない。


ヒ〜ヒ〜言ってた私を見た母は、
「あなたに倒れられたら困る」と筋肉痛の薬を
私の背中に塗りたくった。

今度は痒い〜〜〜〜〜〜〜〜(涙)

が、ちょっぴり呼吸が楽になったような・・。

夕方また塗ってもらい、普通に動けるようにまで回復。

しかし痛みは残り、今もちょっとしんどい。

お風呂に入ったら、激痛が再び・・が、今度のは皮膚の痛み。

見ると、薬を塗った部分が真っ赤なトマト状態。

うええ〜ん。痛いよう〜〜(涙)


で、原因はなんだろと考えたところ、
2日続けて数時間ハワイアンキルトをせっせと作ってた以外に
考えられず。

あ〜。趣味もまともにできないってか・・とほほ〜〜。


2004年10月16日(土) うが〜。

2週間滞在していた弟が帰っていった。

母も退院翌日から買い物に出かけられるほどで、
弟もとりあえず安心して行ったことだろう。

バス停まで母とちびりとると3人で見送りに行った。

「おにいちゃ〜ん、ばいば〜〜〜〜い!!」
元気に手を振る息子。

この2週間、息子は弟にベッタリだった。

朝から晩までおにいちゃん、おにいちゃんだった。


最近、息子は天国に行きたがる。

「てんごくにいっておとうさんに会いたい・・」と言うのだ。

「まだ天国には行けないよ。行ったらダメだよ」と言うのだが、
「でもおとうさんにあいたいモン・・」とぼそっとつぶやく息子。

母が入院中、息子に病院に行くよと言うと、
「おとうさんもいる?!おとうさんにもあえるの?!」と
目をキラキラ輝かせた息子。

あ〜もう泣けるよ。まったく。

覚悟していたこととはいえ、やっぱり辛い。

夜中、1人ではらはらと涙を流している私。

母の転移の検査結果もまだ出ていないし。


思えば、誰かの胸の中で泣いたのは、
ダンナが逝く3日前。

ダンナの胸の中でだった。

母がレントゲン検査に引っかかり、癌かもしれないと聞いた夜。
父の愛人にストーカー行為をされ、怖くてしかたないと聞いた夜。

泣く私にダンナは言った。

「大丈夫。りとるは俺が守る。絶対守るから・・」


3日後、ダンナは1人で死んでいった。

うそつき・・。



2004年10月14日(木) 祝・退院

母退院す。

本日もやっぱりバタバタ。

ヘトヘト。


母が入院していた総合病院で何年ぶりかの健康診断を受けた。

3時間かかってヘロヘロ。

しかし心電図といい、内科診察といい、上半身裸になるの多いぞ。
恥ずかしくてたまらんっ。(特に若い男の先生は嫌だあああ)


しかし、何はともあれ病院通いは終了・・。

ヤレヤレ。

あとは通院で放射線治療。


私も気が抜けて体調崩さないようにしなくては。
毎日本当に忙しい。

・・なので、実はいまだに労災申請の依頼を弁護士に相談してない。

ううむ。まずいな〜。とほほ〜。


2004年10月12日(火) ちょっと疲れとります。

は〜。

落ち着いたんだか落ち着いてないんだか。

日記も決してサボってるわけではなく・・。
いや、サボってるのか・・そうだよね、反省。

病院への行き来と男3人(おじさん、弟、息子)の世話で
正直、疲労困憊っす。ほんと。

男ってこういうとき頼りにならないな〜と思う・・。
うちの3人衆だけか(笑)

ダンナはもう少し協力してくれたかも・・。
(荷物持ちとか、皿洗いとか)

心身ともに重なるストレスのせいか、顔に酷いボロボロができた。

鏡を見るのが嫌。手で顔を触ると憂鬱。

おまけに24時間胸が詰まった感じで、食べられない。

せっせと家事をしては、5分横になるの繰り返し。


母は手術の翌日から起き上がれるようになり、みるみる回復している。

胸と脇の2箇所切開の予定が1箇所で済んだが、
脇の痛みは焼け付くようらしい。

今後は左手をかばいながら生活することになる。
(リンパ切除したので、怪我などすると治りにくくなるらしい。)

今日、主治医にいつでも退院できますと言われたそうだ。

手術から明日で1週間だから、早いほうだと思う。

毎日母のところへ行っているが、回復ぶりが早いので一安心。

母のベッドで私がグッタリ寝てしまうことも(苦笑)


今日も頑張って仕事(家事)して、病院行かなくちゃ。
車も洗いたいし銀行にも、スーパーも行かなくちゃ・・。
1日24時間じゃ足りないっちゅ〜の。

夜、息子が寝た後の私は、もぬけの殻状態。

は〜。情けない。


2004年10月07日(木) まじしんどいっす・・。

母の手術が終わった。

切り取られた病巣を見せられて貧血起こして倒れた。

やることが多すぎてもう気力でのみ動いている感じ。

落ち着いたらゆっくり日記に書けると良いな・・。


2004年10月05日(火) 左乳癌

昨日は母の入院でバタバタ。

一日家を空けたので夜帰宅したときは玄関も中も真っ暗・・。

無用心だな〜(汗)



夕方、担当医から手術について説明を受けた。

書類にバーンと書いてある「癌」の文字が何だか怖かった。

母は一緒に聞くと言って来たものの、憂鬱そう。
最後には黙って固まってしまった。

病巣の摘出と共に脇のリンパ節も取るので、後遺症がある場合も
あるとのこと。

怪我などしないよう、左手は特にかばってくださいと言われた。

6月に見つけた時点で病院行っておけばよかったと、
今ごろ後悔している母。

何事も早めが肝心・・。


弟は、今週のみ仕事を休むつもりが、来週も休んでやると
電話をかけていた・・大丈夫なのか?!

母思いの弟としては仕事なんてどうだっていい、という状態なのだろう。


手術は明日だ。

万が一のことがありませんよう。


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