**Secret**..miho
無干渉の愛
2006年04月12日(水)
昨日、お父さんと二人でお出掛けをして、
久し振りだったからか、お父さんの姿を見て、
何だか感傷的になって涙が溢れ出てきた。

最近、私、やけに涙もろいからなぁ。。
色々と感慨深くなっちゃってダメだなぁ…

お父さんは、先月で54歳になって、最近よく
定年退職まであと数年だねぇって、話す事が多い。
ちょうど今の時期は大忙しの最中で、相変わらず
仕事熱心なお父さんは、毎日せっせと働いている。

お父さんは実年齢の割りには若々しいけど、
前よりシワや白髪が増えてきたなぁ…
ハゲてきたなぁ…年老いてきたなぁって、
最近、改めて感じる事が多くなってきて…

以前では考えられない事だけど、ここ最近では、
よくお母さんと2人で出掛けるようにもなったし。
老夫婦としての基盤が成り立ってきているのかな…
少しずつ老後の楽しみを考えていっているのかな…

両親には、ずっとずっと
元気に幸せで居続けていて欲しい。

私は病気になってから負担ばかり掛けっ放しだから…
もしも、病気にだなんてなっていなかったら、
いっぱい親孝行をしてあげられていたと思う。
そう思うと、悔しくて歯痒くて居た堪れなくなるよ…

今の私にでも何か力になれる事はあるかな。
せめて、いつも側で見守っていてあげたい…
これから、もっと大切に労わってあげたい…

そう思うようになったのは、それだけ
私も年を取ったっていう事なのかなぁ。。

同時に、何だか、お兄ちゃんが無責任なようで憎く思えちゃう…
家を出てから、それっきり、連絡をしなければ音信不通。
お兄ちゃんとしてみれば、大学を卒業するまで、ずっと
自分勝手に生きてきて両親に迷惑を掛け通しだったから、
社会人になって自立する事で親孝行をしたつもりでいると思う。

でも、完全に無干渉でいる事が、誠意なの??愛なの??

私には解らない…
直接に感じ取れない愛など、
まやかしにしか思えないよ。

実際に、お兄ちゃんは、物理的のみならず、
家族そのものから距離を置いているじゃない。
いつも、綺麗な部分しか見ていない。

離れているからこそ、気づかない事も一杯だよね。

我が家の現状、私の苦しみ、両親の苦しみなんて、
いつもノータッチで悠々自適に暮らしているんだ。

離れているからこそ、いっそう気に掛けて欲しい。
せめて、両親にだけは淋しい思いをさせないで…

もともと、お兄ちゃんは「淋しい」という感情のない
孤高な人間だから、照れ臭くて家族に対する愛情表現も
無愛想で素っ気なくなってしまうのかもしれないけど…

でも、それだったら、お父さんが今まで取ってきた
お兄ちゃんに対する無干渉の態度と同じ事じゃない。
「男は父親の背中を見て育つんだ。」って…
昔気質のお父さんは、そのように育ってきたけど、
お兄ちゃんは、そのような態度に愛を受け取れず、
お父さんに、一切心を開く事はなかったよ…

そして、今、家族に対して、無干渉の態度を取っている
お兄ちゃんは、それを愛だと受け入れている事になるの??

それも、離れている人間同士の愛情表現の形の一つなの??

淋しいって思ってしまう私が、おこちゃまなだけなのかな…
無干渉に耐えられるほど強くならなくちゃいけないのかな…
そうしたら、そこに「愛」を感じ取れるようになれるかな…

私自身も、大切で大好きな人に対して、
無干渉の愛を捧げる事ができるのかな…

相手に対して、目に見える愛情を注ぐ事だけが、
必ずしも真の思い遣りなんかじゃないんだって、
いつか、その意味を理解できる日が来るのかな…

ただ一つだけ解る事は、
「無干渉=無関心」ではないという事。
愛する事の反対は、憎む事ではなく無関心でいる事。
相手に対して全く心にも懸けない事とは違って、
無干渉の愛は、相手の事を心の中で大事に想っているがゆえに、
相互の間に成り立つものだと信じていたいから。

そこには、安心感だとか信じる気持ちだとか、
目に見えない愛情が暗黙の了解として存在しているの。




m a i l



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