白馬鹿日記

2008年11月16日(日) やっぱりワシは馬鹿だった

というワケで午前3時。何やらキナ臭い。不愉快ながらもやや甘いこの臭いはタバコのフィルターが焦げる臭い。何だなんだ何ですかどっかの馬鹿が火事を出そうとしてるんじゃないんでしょうね。それともまたその辺の百姓がゴミでも燃やしてるんでしょうかね。といってもこの時間じゃなあ。てかそろそろ眠いよ。オシッコして寝ましょうかね、などと思いつつトイレの戸を開けると中は煙で真っ白。わあ。どっかの馬鹿発見。

とりあえず灰皿に水を注して窓を開け換気扇を回す。煙が薄らいできたところで雑巾でトイレの中を壁と言わず天井と言わず拭きまくる。煙はすぐに消えたが実に臭い。いやねえ、壷形の灰皿は消火を確認し辛いからヤバイとは思っていたんですけどねえ、ホントにやっちゃいましたねえ。自戒の意味を込めて灰皿ごと廃棄。隣近所に臭いが漏れていないと良いのだが。

幸い、発見が早かったので床は無事。灰皿の中だけで済みましたがやってはイケナイ事をやってしまいましたよ。ボヤにならなかったのはただ単に運が良かっただけですね。というワケで反省の土下座3分。



2008年11月10日(月) ワシらは乞食じゃ

というワケでお上が金を恵んでくれるらしい。やれ有難や。右や左の旦那様。左はあまりおらんのかな。
国民を馬鹿扱いしていたのは知っていたが、とうとう乞食扱いにまで落ちぶれたか。くれるったってホテルのバーで一杯飲んだら消えるような額だし、将来的には消費税増税でしっかり取り戻されるんだよなあ、利息付きで。これで景気が良くなると本気で思ってるヤツってのは、いったい誰と誰なんだ。その辺をハッキリしといて貰いたいモンでありますな。ま、どうせ責任を取るヤツは誰もおらんのだろうけどさ。人の金だと思うとここまで無責任に使えるモンなんだねえ・・・

しかしまあ、何でここまで小馬鹿にされにゃイカンのかね。何か悪い事でもしたのかねワシらは。辞民党に投票した罰かな。ワシはしてないんだけどなあ。てかそんなに悪い事なら法律で禁止しておいて欲しいモンだ。

久しぶりに、日本人だという事が恥ずかしくなったわい。ハァ・・・



2008年11月09日(日) 経過順調

というワケで見舞い。
15時ごろ出発。到着16時半。やはり田舎であるなここは。てか築地というのは微妙に行き辛い場所なんだね。前は歩いて行ってたから分からんかったけど。
面会人はそのまま病室へ行ける。逓信病院はけっこうやかましかったけど。もっとも駐車場からだと直で病室に行けてしまったのだが。こういう事は書いたらイカンのかな。ケチなコソ泥が出そう。もっとも病室に大金を隠し持つ患者はあまりおらんだろうが。というワケで手だけ洗って回復病棟へ。入室前に手を消毒。これはお約束。

ベッドサイドに椅子を置いてしばし歓談。よくしゃべる。いい傾向だろう。お腹の傷が痛むのは当然だが他には問題なさそう。発熱もないので合併症や感染症も心配なさそうである。ナースが無愛想だと言っていたがワシにはそうは見えんかったなあ。暇だから相手してくれないとそう思ってしまうのだろう。彼女らも忙しいのだ。それに患者にメンタル面で入れ込んでしまうとできない仕事でもある。そういう意味ではむしろ良く教育されていると思うんだけどね。

電車が長いと読書が捗る。「吉村昭の平家物語」を読了。抄訳で元は少年少女向けだったらしいが実に面白い。できれば元の文章で読んでみたいがワシにはそこまでの読解力は無い。基本的に馬鹿なのだ。他の人の現代語訳も読んでみたくなった。



2008年11月07日(金) 手術当日

というワケで本日執刀。ワシが切るワケでは無いよ。当たり前だな。
昼前に築地へ。午後からの手術という事はわかっているが午前の部が何時に終わるのか、文字通り終わってみないとわからない。そりゃそうだよね。早めに着いて母親と世間話。励まし元気付け等は一切無し。だってねえ、手術中は本人に出来ることってあんまりないワケで頑張らにゃイカンのは全てが終わってから。で、その前に面会できるらしいので励ましはその時でよろしい。もちろん不安だろうから世間話で気を紛らわすのが一番であろうと。ま、ワシの憶測ではありますが。

13時過ぎに手術室へ。意識明瞭なままだが多分そのまま切るワケではあるまい。手術階専用エレベータのドアまで見送り。連絡用の院内PHSを受け取り、それからは飯食って後はひたすら本を読んで時間を潰す。2時間半ほどで連絡が来た。順調という事か。回復病室階の説明室に来てくれとの事でさっそく向かうと既にドクターが待っていた。素早い人だ。開腹部位の状況と切除部位の所見を伺う。特に問題なさそうとの事。痩せていたので時間が短くて済んだとの事。質問はと聞かれたが問題無しなら聞く事も無い。お疲れ様でありました。

さらに2時間。ストレッチャーを病室に運び、ついでに上に乗ってる母親も運んでもらって麻酔が覚め始めたところで2度目の呼び出し。病室へ向かう。最初は肩をゆすると薄目を開ける程度だったのが15分ほどで意識がだんだんハッキリし始めた。脈拍102、血圧130/65、呼吸20、酸素飽和度99%で安定している模様。但し酸素マスク付き。脈なんぞワシより綺麗。最初のひと声は「ここどこ?」次が「水飲みたい」。水はダメだが手術が完了してドクターの所見が良いという事を伝える。ナースに頼んで湿らせたでっかい綿棒で口の中を拭いてもらう。少しはスッキリした模様。意識がはっきりするに従って痛みを訴える。ほんの数時間前に腹を切ったばっかりだからこれは仕方が無い。今夜はツライだろうねえ。面会を早めに切り上げ帰り際にナースに痛みを訴え始めた旨伝える。ドクターの指示を聞いて痛み止め投入。再び眠り始めたのを見届けて帰って来た。

という事で、とりあえずはひと安心でいいのかな・・・

帰りに八重洲BCへ。実に久しぶり。文庫のフロアしか見なかったんだけど、何か少し点数が減っているような気が。それともワシの読みたい本の傾向が変わったのかな。平家物語の現代語訳が何種類か出ていたので、最初のページだけ見て一番違和感のなさそうな感じがしたヤツを購入。その他もろもろ、となるハズだったのだが結局3冊だけしか買わんかった。珍しい事もあるもんだ。



2008年11月06日(木) 崩壊の予兆

というワケで電話機が変。
何でも今や携帯電話のほうが加入電話より契約数が多いらしい。まあそうだよなあ。高校生どころか小学生でも持ってるヤツは持ってるもんなあ。いやまあ何が言いたいかと言いますとですね、今朝方クライアントと話してたら何だかクスクス笑うワケですよ。で何ですかと聞いたら「お宅の電話機ピーピー鳴ってるんだけど」とのお言葉。いやまあ確かに鳴ってたけど使ってる本人は気にしてなかったのよ。で、その時にIP電話にしてしまえだの解約して携帯買えだのという話になったんですけどね、

    だ れ が ン な モ ノ を 買 い ま す か !

もちろん、持ってた方がボート乗る時に安全だとか待ち合わせに便利だとか公衆電話が減りつつあるとか値段もだいぶ安くなったとかいうメリットはわかるんですけどね、生理的に嫌いなんですよ電話というシロモノが私は。その嫌いなモノを四六時中肌身離さず持ち歩くためにわざわざ金を払うなどというマゾヒストのロールプレイみたいなマネをしたくないのでありますよ。メリットを加えてもその価値は大きくマイナス側に振れてしまうのであります。というワケでワシに携帯を買えとか言ってる友人知人家族の皆様。無駄な事はおよしあそばせ。

ちはみにピーピー音は架台からズレててバッテリーがあがりかけてたのが原因だった模様。模様と言うのもいい加減だがその後まだ長電話してないからホントかどうかはわからんという事なのだけれど長電話自体あんまりしないので問題なし。それ以外に123番あたりのボタンの反応が悪いとか説明書がなくなって留守電の使い方がわからんとか(わかっても使わんが・留守中の電話なぞ知った事ではない)短縮登録が3件しかできないとか色々ありますけどね。まだまだ使いますよワタクシは。

何でこんな「チラシの裏」みたいな事を書いたかと言いますとですね、最近特に多いのよ何だか知らんが携帯買えというヤツが。放っといてくれ。



2008年11月05日(水) 本日入院

というワケでワシではないぞ。
入院の付き添いで築地へ。国立ガンセンター中央病院。情報にしろノウハウにしろ日本で最高と言って良い病院だろうから、イヤな表現だがここでダメなら他は無いワケでお任せいたしますという気にさせてくれる存在。午前11時少々前に受付を済ませてから病室に案内してもらって機器の使用方法や注意を聞く。もっともガンとはいえ軽症の患者にとって一番重要なのはテレビの使い方だが。当たり前の事ではあるが明るく清潔な病室。ナースが若い子ばかりだったのが気になったが。ここでイヤラシイ想像をしたヤツは活きたまま築地市場に入荷されたホヤに食われて死ぬが良い。飛行機のアテンダントなどもそうだが危急の場合はベテランのほうが安心できそうな気がするモノだ。もっとも、大丈夫だから彼女らに任せてあるのだろうけれど。

遅めの昼飯を食っている間に点滴装着。そのまま術後の回復セクションを見学に行く。ここの病室はベッドが無い。回復を早めるために患者は床で腕立て伏せをしながら寝なければならないという事ではなくストレッチャーごと患者を移動するのでベッドは不要なのである。たっぷり歩かせるとは言ってたけどね。全身麻酔で停止した身体の機能の再スタート及び血栓予防という事らしい。ここで数日過ごした後はまた一般病棟に戻ってゆっくりと回復待ち、ではなくやはり歩きながら回復待ち。無事に回復すれば1週間ほどで退院。というのが一般的な日程らしい。ちなみに入院直後からもう絶食指定で、こんな事なら無理してでも朝食を食べて来れば良かったとボヤく事頻りの母親であった。まあそうだよなあ。次に口から物を食えるのは早くても5日後だもんなあ。

ナースはマメで親切だしドクターも気さくで非常に感じが良かった。症状や施術の説明も素人にわかるギリギリのところまで突っ込んでくれたのが好印象。付け焼刃のくそド素人がどうせ意味の解らねえ心配する暇があったら家へ帰って屁でもこいてろと言われても仕方が無いような質問もしてみたが実に丁寧に答えてくれた。うむ。この人になら任せられる。ワシにンな事言われても嬉しかないだろうけどさ。w

帰りは東京駅まで歩く。懐かしい昔の散歩コース。でも銀座は変わったなあ。ワシの来る場所はもうないなあ。銀座のほうももう貧乏臭いオッサンには来て欲しくないだろうなあ。八重洲BCに寄ろうかと思ったけど眠いので却下。ここ6日で2晩しか寝てないし。貧乏暇なし金もなし。

駅前でアメリカ大統領選のニュースを観た。オバマ勝利。やばいなあ。キビシイ日米関係になりそうな気がするけど大丈夫なんですかねえこの先。今までみたいな形だけのご機嫌取りをやってたらマジで突き放されそうな気がするんですけどね。



2008年11月04日(火) 介護保険ってのは

ちょっと困ってる、って時には使えないんだね。
というワケで明日から母親が入院。朝5時に起きて病院まで荷物を運ばねばならん。まあ、普段は何の役にも立たん息子だからこういう時くらいは動かねばイカン。

で、だいたい、入院2〜3日後くらいに手術、その後は経過にもよるらしいが最低10日は入院しその後は自宅養生。問題はそこである。母親は一人暮らし、腹切ったばかりの80近い年寄りに買い物やら洗濯やらはやや荷が重い。2週間近く入院するとあって冷蔵庫はカラッポである。手術直後じゃ店屋物というワケにも行くまい。ここはひとつ介護保険だ後期高齢者保険だと取られてばかりの保険料を役立たせて貰おうと区役所に教わった介護関係の施設だか事務所だかに行ったらしい。はっきりした日取りはまだわからんが2週間後くらいに3日ほど人を手配して欲しい旨告げると無理だと言う。最低でも1ヶ月前に申し込めまあ例外的に手配できなくもないが人手があればという事になるあと医者の書類が必要だから持って来い云々。怒涛のように並べられたネガティブな条件の数々にぶち切れた我が母親はじゃあ要らんと怒って帰ってきてしまった。

まあそりゃねえ、ケアサービスの人手不足は知ってるし役所仕事だからそうフレキシブルに対応できんのも仕方ないんだろうけどさ、でも困ってるヤツが使えんかったら意味ないじゃん。てか使えないなら自費で人を雇うから保険料返せやと言いたくもなろうってモンじゃあないの。年金の支払い変更とかもそうだけど、民間でやったら詐欺だよなあ。金を先に取っておいて後から条件変えるとか使えないとか。苦しくなったから仕方ないですで済むんなら民間にも認めなさいよ。ワシなんかどんどんやっちゃうよ。もう。

ワシがジジイになる頃にはもっと状況悪くなってるんだろうなあ。何かもう、払うの嫌になってきたなあ・・・


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