どこまで素で書けるかな?

2001年10月31日(水) ないない。

何かを断る時に、

「お金がなくて」
「時間がなくて」

というものがある。

例えば食事に誘われた時にこれを使う場合、
厳密に言うとするならば、

「(あなたとの食事に使う)お金がなくて」
「(あなたとの食事に使う)時間がなくて」

ということになる。

私は「お金がない」戦法を駆使して、
一人暮らし時代に一ヶ月を2万円で過ごしたことがある。

さっぱり行く気がない時には、
「時間がない」戦法を使った。

そして、
行きたいのに本当に貧乏が理由で難しい時には、
「今月は厳しい」という言葉を使う。

この微妙な差、
誰か気がついていたかな?



2001年10月30日(火) 仕草。

バイト先に向かう電車の中で、
ずっと人の手を見ていた。

前に座っていたのが全員男性だったので、
詳しくはずっと男の手を見ていた。

右手で左手首を掴み、
ヒザにおいてある鞄にぶつけつづける男。

やはりヒザの上に置いてある鞄の上に雑誌を広げ、
鞄の端の突起に左小指を引っ掛けて固定をし集中する男。

右手の人差し指と中指の間に、
左手の人差し指と中指の2本をいれて、
がっちり手を組み眠っている男。

ピアノを弾いているように、
ヒザの上で小刻みに指を動かす男。

目の次に気持ちや性格が現れるのが、
手や指先なのかもしれない。

これからは手にも意識を集中しよう。

無表情の方が、
考えていることを悟られない方が、

世間との接点が少なくて、
なんとなく社会に溶け込んでいる気がするから。



2001年10月29日(月) 毎朝。

近ごろ早起き嫌いの私が、
毎朝6時過ぎに目を覚ます。

理由は簡単。

誰だって息ができなければ起きるだろう。

浅い夢の中では、

薬を吸引しても治らず、
病院で点滴しても治らず、

息ができなくて死んじゃうのは、
苦しそうで嫌だなぁと、

考え始める頃にやっと目が覚める。

薬吸って、
ひどい時には飲み薬も使って。

そうこうしているうちに、
すっかり目が冴えている。

早朝に一人で呼吸困難になるのは、
とても心細いんだけれども、

今朝もどこかの家から、
激しく咳き込んでいる音が聞こえる。

見ず知らずの、
おそらく同じ病気であろう彼に、

こっそり親近感を抱きながら、
タバコに手を伸ばす私は、

やっぱり頭が悪いのだろう。




2001年10月28日(日) 愛が起こす行動。

付き合っている時や、
同棲していた頃は、

彼が休みの日に出かけることが、
寂しくて仕方がなかった。

理由が仕事でも、
そんなの関係なくて。

「それは愛しているからだ」
「だから片時も離れたくないんだ」

そう思っていたのは、
どうやら勘違いだったらしくて。

今も彼のことを愛してると思うけど、
(「思」がついてるのは、これも勘違いの可能性大だから)

彼がどんな理由で出かけようが、
何時に帰ってこようがお構いなし。

夕飯は済ませて帰ってきてねぐらい思う。

かつての「愛」を理由にした孤独感は、
ただの不信感の産物だったのだ。

しかし世の妻達は、
その産物がないせいで勘が鈍り、
浮気を未然に防げないのかもしれない。

「浮気をする時は、命を覚悟してね」

もちろん、本気で言ってみた。



2001年10月27日(土) 別れた理由。

高校生の時、初めてできた同じく高校生の彼氏はあまりに幼くて別れた。
高校生の時、女子高だったのに同じ学校にいた彼氏はあまりに優しくなくて別れた。

短大生の時、同じサークルだった彼氏は遠距離になって別れた。

社会人の時、営業先の彼氏みたいな男はどっちにするかの決定が遅いので別れた。
社会人の時、飲み会で知り合った彼氏は一向に再就職しないので別れた。
社会人の時、いきつけの店の彼氏は離婚しない上に前愛人とヨリが戻ったので別れた。
社会人の時、熱海で知り合った彼氏は付き合ってやってるという態度なので別れた。

社会人の時、仕事でお使いに行っていた文房具屋の彼氏はめでたく夫になって、別れる日がこないことを祈る今。

別れた理由はこんなにスラスラいえるのに、
好きになった理由は結構曖昧で、

自分の女としての器を思い知る。



2001年10月26日(金) 拝啓、心友が愛するK氏さま。

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私信:

心友さま。
私がここで語りかけるのは、あなたの愛する人への反論です。
気を悪くするかもしれない。悲しい思いをするかもしれない。

でも直接言えない以上、
ここで渦巻いている気持ちを吐露しないと、
次にあなたの愛する人に出会った時、
私は大泣きをしてしまう。

あなたの幸せが私の幸せだったはずなのに、
指針がずれてしまっている私を許してくれるでしょうか。

もし、許してくれなくても、やっぱりこの気持ちが素なんです。

また誠に勝手ながら、
あなたの愛する人にはこの内容は伝えないで欲しい。

二人で決めたことだもの。
私が口出しできることじゃないことぐらいは、
頭では理解しているから。


*:・'゚☆。.:*:・'゚★。.:*:・'゚☆。.:*:・'★。.:*:・'゚☆。.:*:・'゚★。.:*:・'゚☆。.:*:・'★。.:*:・'


拝啓、心友が愛するK氏さま。

私達が結婚式を挙げて、あなたと彼女が出会ってから5ヶ月が経ちましたね。
彼の仕事仲間だったあなたと、
私の身体半分だともいい切れるほどの心友の彼女が、

自分の人生最大だと思われるセレモニーをきっかけに、
互いを意識しあい始めたのが嬉しくてしょうがなかった。

それにはしゃぎすぎて、半ば強引にあなた達が付き合う環境に仕向けたこと。

実は今の段階では後悔しています。

二人はとても仲が良くて気も合っているようで、
始めの頃は安心していました。

彼女にも心許せる男性ができたことを素直に喜びました。

でもね、今は違います。

あなたは、彼女を遠くへ連れて行こうとしている。

電車でたかだか2時間の距離じゃないかというかもしれませんが、
今まで散歩コースの範疇に住んでいた彼女をそんなところに連れ去るなんて、
私にとっては途方もない距離なんです。

しかもそのことで私がこんなにも動揺していること。
当たり前でしょうが、あなたには全然予想すらつかないことなのでしょう。

東京タワーに置き去りにされる少女のような心境だと言えば、
映画好きのあなたには伝わるでしょうか?

「同じ頃に子ども作ろうね」
「公園デビューは中央公園でしようね」

ただの絵空事だと言われてしまうかもしれないけれど、
私は二人でがんばれば実現不可能ではないと思って過ごしていたの。

例えあなたにどんな理由があろうが、
例え二人にどんな絆があろうが、

彼女がこの街から居なくなってしまう空洞を埋めることなんてできない。

寂しいの。
悲しいの。
不安なの。

でも、もう彼女がそう決めてしまったから。

私達のルールで、
「自覚してやっていること」と「相手が決めたこと」には、
反論しないというものがあるので、
非力になってしまった私はここでぶちまけるしかない。

彼女が、
「この街からいなくなるなら別れてしまえって思ってる?」
と私に聞きました。

やんわり否定はしたけれど、
断固否定はできなかった。

私と彼女を引き剥がす人が、
彼女の愛する人だとは、
浅はかだけれど予想だにしていなかったから。

そんなこと言われても困るでしょうけれど、
私はあなたが好きじゃなくなってしまいそうです。

敬具。



2001年10月25日(木) 顔色伺い。

近ごろ頭痛が頻繁で、
バファリンを飲みまくっている。

薬を飲むたびに、
ジュースやお茶で嚥下させる私を、
ダンナは「バカよばわり」する。

今日も錠剤を手にした私を発見した彼。

「頭いたいの? 大丈夫?」

「うん。大丈夫」

そう答えつつ、
意識は手に取れる範囲に置いてあるコーラに。

でもまた怒られるのかなと思い、
薬を飲むフリをしてソレを飲んでみた。

ダンナを試す自分が面白くて、
彼の顔を見ながらニヤける。

「何? 顔に何かついてる?」

「いや、別に」

鏡まで覗き込む素直な反応も面白くて、
もっとニヤける。

今ならコーラで薬を流し込んでもバレなそうだ。

そう確信したものの、
小心者の私は結局、
席を立ちコップを取りに行った。

その瞬間、

「あ、コーラで飲もうと企んでたんでしょう?!
 ばっかじゃねーの」

と言われた。

企んだだけでも怒られることを学んだ27歳の女。



2001年10月24日(水) 夕食準備中。


ダンナが帰宅。

「あ〜、疲れたぁ」

なんて言うのでここぞとばかりに、
「忙しかったの?」
と聞いてみる。

「うん、Tさんが休みでさ」

ダンナはTさんと二人で、
文具店の2階を担当している。

「じゃ、大変だったね」

私がさりげない風に問い掛けると、

「まぁ、彼女はミスだらけだから、
 居たらそれはそれで疲れるんだけどね。
 ……はい、おしまい」

と、愚痴を締めくくった。

私はもう終わりかと落胆する。

彼は妻に愚痴をこぼす夫は格好悪いと思っている。

半年も夫婦しているのに全然わかってない。

一人ヘッドホンで洋楽に興じているあなたよりも、

いい大人が総勢18人でやる玉遊び中継に、
釘づけになってるあなたよりも、

例え愚痴でも仕事の話をするあなたの方が、

頼もしくて、
精鋭で、
時折よそ行きで、

妻の心はすごくドキドキするのに。



2001年10月23日(火) うらことば。

「頭痛い」

「ヒマだ」

「疲れた」

「ねねー」

「なんでもない」

「忘れた」

「わかんない」


いろんな言葉を、
ダンナ相手に使うけど、

全ての裏には、
「かまってよ」のたった一言。



2001年10月21日(日) 雨。

すごく活気に満ち溢れている気分の時には、
雨ほど鬱陶しい天候は無いのだけれど、

ぼんやりすごしたい気分の時に降る雨は、
割と好き。

洗濯しなくても、
掃除をしなくても、
買い物に行かなくても、

「雨が降ってるから」という言い訳ができる。

怠惰な自分への罪悪感もおかげで薄らぐ。

ミズに流すという言葉通り、
水には物事をリセットしたり、
曖昧にさせる力が隠されている。

「晴れてたってしないくせに」

というダンナの最もな言い分も、
雨の日にはどうでもよくなる。

やっぱり晴れてたってどうでもよいのだけれど。

それでも、雨の日はなんとなくね。



2001年10月20日(土) リストカット。


先日とある情報番組で、
リストカットの特集をやっていた。

ここ最近手首を切る少女が、
異様に増えているらしい。

そりゃそうだろうと思った。

ネットの世界では、
「精神系」というくくりで、
手首切りや薬のみが常習になっている人たちの、
心情や行動がごっそりと公開されている。

切った回数や飲む量が、
まるで勲章のように描かれる世界。

自分がこんなに傷ついていること。
自分がこんなに苦しんでいること。

それを表現するひとつの手段。

悩みを抱えながら検索をすれば、
すぐにそれらのサイトがHITする。

それに触発される人は少なくないはずだ。

私は彼らのことを、
めずらしい人種だとは思っていない。

自虐的な行動は、
誰だって行っている。

気持ちが悪くなるまで酒を飲む人も、
身体に悪いと知りながらタバコを吸う人も、
胃潰瘍になるまで仕事をする人も、

形は違えど自虐行為だ。

小学校3年生の時、
カッターで左手首を切ったことがある。

その痛みで母への恨みが薄らいだ気がした。
ネコに引掻かれた程度のかすり傷だったけれど。

中学校の頃、
ホットロードという漫画の影響だったと思うが、
女子の間で好きな人のイニシャルを腕に彫るのが流行した。

私も待ち針でやはり左手首にそれを施した。

身体に浸透していく痛みでしか、
衝動的な感情を抑えられない時期がある。

それをどのように超えるかは、

親や友人や恋人。

誰でも良いから、
一人だけでもいいから、

愛する人に愛されているかどうか。

たったそれだけだと思う。

本当に生きていけない人は、
もっと確実な方法で死を選ぶんだから。



2001年10月19日(金) どうして、こうなんだろう。

喘息の発作が出た。

昨日は出社したけれど、
今日はまたお休みをもらった。

ばかじゃん、私。
なんて使えないやつ。



2001年10月17日(水) 大きな穴。

 
約一年前に、
私が落ちて這い上がれなくなった大きな穴に、
現在、友人が落ちている。

厳密に言うと、
友人と元会社の上司が落ちている。

その大きな穴は本当に恐ろしくて、
日々の雑務や上の人のワガママに振り回され、
我慢が限界に達する頃に大きな口を開ける。

そこにはまってしまうと、
喘息・アトピー・蕁麻疹・頭痛など、
次々と心因性の病気に侵されていき寝込んでしまうのだ。

私と友人と上司は、
その会社で総務兼経理だった。

あの会社ほど事務職の士気を、
撃沈させる所もそうないだろう。

平気で経理社員に金を借り、
平気でサービス残業を余儀なくされ、
平気で能無し扱いをされる。

頼まれる仕事は全て至急。
ワープロすら扱えない社員ばかりのために、
月末の忙しい時にでも、
読むことすら困難な原稿を持ってくる。

今現在勤めている二人が、
大きな穴に捕らわれた原因の一つは、
社長が甘やかしたある社員の尻拭いだ。

彼は使い込みが発覚しクビになった。

胡散臭い人ほど社長から信頼され、
日々マジメに業務をこなしている人ほどみくびられる。

その態度を改めないと、
決算業務が終わらないうちに、
みんな辞めてしまいますよ。

社長様。





2001年10月16日(火) 急降下。


せっかく調子が良い時だったのに。

私の身軽な身体に、
刺客が襲来した。

お腹痛い。
頭痛い。
腰が痛い。
貧血気味。

バイトをお休みさせてもらう。

それにしてもさ、
女の身体で月に一度行われるコレ。

よくよく考えると、
かなり異常なことだ。

ドクドク流血するんですよ。

水に混じらないほどの濃さの、
どす黒い赤さの血が、
後から後から流れてくるんですよ。

腹や腰が痛くなるのは、
そんな異常事態への身体の悲鳴。

生理中はダンナがやけに優しい。

基本的に普段から優しいのだが、
いつもに増して優しい。

嬉しいのだけれど昔の彼女は、
生理が重い人だったんだなと思う。

そんなことを考える自分が申し訳なくて、
重傷のフリをして早く床につく。

赤い涙を流しながら。



2001年10月15日(月) 前進か後退か。

社会復帰へのリハビリは、
思った以上に順調だ。

リハビリなんて言葉を使っているけれど、
実際はそんな高級なものじゃない。

怠慢。
面倒くさがり。
朝が弱い。
腰が重い。

ただそれらを克服すればいいだけのこと。

数年前「銀座の母」に、
手相を見てもらったことがある。

しかしどうして女占い師は、
地名の母になりたがるのだろう。

しかしどうして「父」は有名にならないのだろう。

話がそれたので元に戻すと、
彼女にこう言われた。

「あなたは身体が弱いけど、
 無理しないから長生きするわよ」

「あなたは器用で色んなことができるけど、
 今の生活に満足すると努力しなくなって、
 何もしなくなるわよ」

その通りの無職時代を、
1年間過ごした。

今の生活に満足するということは、
それはそれでとても大事なことだ。

だが変化を怖がるのは、
退化への第一歩だし、
後退するのは好きじゃない。

実行するかは別にして、
向上心を持つことは、
嫌いじゃない。

時期が来たのかも。





2001年10月14日(日) 付かず離れず。


私の誕生日を祝うという名目で、
食事をしましょうということになったので、
ダンナと一緒に私の両親に会ってきた。

「いつが良い?」

そう聞かれたので土曜日と答えたのに、
14日以外は都合がつかないといったのだ。

私はこういう育てられ方をした。

私たちの駅がある路線と、
彼らの駅がある路線が交わる所で、
2時に待ち合わせ。

もちろん時間も母が決めた。

私はこういう育てられ方をした。

「何が食べたい?」

そう聞かれたので「肉」と答えていた。
商店街を歩きながらまた質問される。

「ステーキと焼肉、どっちがいい?」

考えていると、
「ここがいいわよね? ここにしましょう」
とハンバーグ屋に入って行った。

私はこういう育てられ方をした。

ステーキもあったので、
みんなでそれを注文し、
狂牛病について語りながら肉を食す。

「この店は選曲のセンスが良いわ」

両親が言う。
自分たちの趣味にあえば「良い」で、
合わなければ「悪い」のだ。

私はこういう育てられ方をした。

腹を満たした後、
彼らと私たち夫婦の共通の趣味である、
カラオケ屋に入店した。

最初の予定時間も延長も終了も、
全て母が決めた。

私はこういう育てられ方をした。

それでも私が全般的に、
不機嫌にならずに過ごせたのは、

母が写真代について覚えていたことだった。

私はそれだけで随分とホッとして、
母に対する警戒心を緩めたのだ。

私はこういう育ち方をしてしまった。



2001年10月12日(金) 練習。

夢見が悪かったおかげで、
眠りに執着することもなく、
起きる事ができた。

それでも、
「かったるいな、もうちょっと寝かせてよ」
というフリをしながら、
30分の惰眠に酔いしれた後に起床。

ダンナの肴であるピーナッツをかじりながら、
お湯を沸かしてアールグレイをいれる。

予想以上に冷え切っていた体が、
芯から活動し始めるのを感じた後、
フロに入り歯磨きも洗顔も済ませた。

テレビをつけると気だるくなるので、
猫に話し掛けながら身支度を整える。

窓を開けて気温を肌で感じ、
適当な洋服を身につけ、
久しぶりに長時間独りぼっちになる彼女に、
ありったけの愛撫をして鍵を閉めた。

家を出てしまえば、
頭痛や倦怠感や貧血などの、
不定愁訴症候群も多少おさまる。

こんなにも日々怠慢なのに、
まだ身体は私を過保護にしようとするのだ。

数ヶ月ぶりに一人で乗る地下鉄。

車窓に映る自分の顔が、
思ったよりも世間なれしていて、
ひとにぎりの自信をもらう。

新橋はほとんど変わっていなくて、
銀座口の汐留に建設されている高層ビルが、
随分と高くまでできあがっていたのを除くと、
相変わらず薄汚い街だ。

今の私にはそれが親しみやすい。

会社に11時に到着。

神出鬼没な私にさほど驚いた様子もなく、
「手伝いにきたの?」と数人が声をかけてくれた。

今日から数日間の伝票入力アルバイト。

これは不定期で社長から頼まれる仕事である。

いつもなら自分が空けた穴のせいで、
人手が足りなくなっているのにも関わらず、
気が進まなくて5日ぐらい出社しては、
面倒くさくなって自然消滅で辞めてしまう。

でも今回ばかりは声を掛けてもらえて嬉しかった。
こんな私でも役に立てることが嬉しかった。

時期が時期だ。
社長を釈迦だとは思いたくないけれど、
天から蜘蛛の糸が降りてきたように思えた。

ちょうどいい。
練習をしよう。
社会に適応する練習。

昼食も摂り友人と歓談もし、
眠気を抑えながらキーボードを叩く。

人間らしい生活。

今の私が求めていたものは、
お金だけじゃなくて、
自由な時間だけでもなくて、

人から必要とされることだったんだ。





2001年10月11日(木) 適応能力。


タイヤがペコペコでしばらく使えなかった自転車に、
友人が買ってくれた空気入れで命を吹き込んだ。

今日の予定はこれにまたがって、
クリーニング屋と銀行へ。

天気が良いと重症の出不精な私でも、
多少は腰が軽くなるというものだ。

昨日の嵐のような暴風雨で、
ヨレヨレになったダンナのスーツを、
自転車で一分ほどの場所にある店に出す。

ここに来るのは、
まだ5回目くらいだろうか。

伝票に店員さんが名前をサラサラ書く。
お名前は?と聞かれなかった。

主婦ポイントが増えたような気がして、
ほんの少し照れくさかった。

次に銀行のATM3ヶ所。

人がごっそりと溢れ返る商店街なので、
一番近い所に自転車を置いて歩き回った。

5分圏内に密集していると本当に助かる。

自分がたてた目標を、
めずらしく全て達成できて、
私は随分と満足する。

帰ってくると、
アキレス腱の下の辺りが、
靴擦れをおこしていた。

こんな数分の外出で皮がむけるほど、
私は社会への適応能力を失っているのだ。

早くなんとかしないと、
私の無意識が理由を作ってしまう。

社会に復帰しなくていいような、
理由を作ってしまう。

行ってはいけないと言われた修学旅行に、
どうしても行きたくて行きたくて、
その欲求を自ら抑えるために、

右腕を骨折させたあの時のように。



2001年10月10日(水) 暗闇。

昨晩、
久々に襲われた。

吐き気を催すほどの、
焦燥感。

これが始まると、
なかなか寝付けなくなる。

会社勤めしていた頃は、
日常的に起こっていた。

最初の生保の会社では、
ノルマの締め日数日前から。

経理部にいた会社では、
大きな手形が落ちるのに、
資金が不足だった前夜に。

自分にはどうしようもできないのに、
何かをしなくてはいけないという焦り。

勤めている時のは、
原因がはっきりしているし、
それが取り除かれればすぐに落ち着いた。

でも今の私を襲う焦燥感は一体なに。

アールグレイの香りに包まれても、
甘い菓子を口にしても、
音楽を耳に入れても本を目にしても、

なかなか拭えない。

わかってる。
本当はわかってる。

どうして私がこんなに焦っているのか。

将来が見えない不安。
収入が少ないために子どもすら作れない現実。
それなのに働くことに怖気づいている自分。
友人たちの状況の変化。

そして、

まだまだ大人になりきれない幼い私。

どうしよう。
どうする?

どうしよう。
どうすればいい?

猫が高い所から降りてきて、
呆ける私に頬ずりした。





2001年10月09日(火) 私が私じゃなかったら。

内輪では、
人の性格を表す一つの手段として、

「しーぴーが高い」

という言い方がある。

「CP」というのは、
性格診断テストエゴグラムの一つの単位で、
規律正しい性格を表すものだ。

だが私が「しーぴーが高い」と、
表現する時は良い解釈ではなくて、

「人に厳しいから私は苦手」

という意が込められている。

CPが高いと思われるタイプとして、
あくまでも印象の範囲だが、

・こだわりのお店の頑固店主
・昭和初期の父親
・部下に厳しい上司
・大きな家の姑

なんかがあげられる。

つまり、
私は人に怒られるのが、
特に大声で怒鳴られるのは、
大嫌いなのだ。

聞く耳よりも感情が先走ってしまう。

もしも私が私じゃなくて、

男性で血の気が多い十代だったりなんかして、
「車内では携帯の電源は切っとけ」
なんて電話中に言われたら、
その人を殴り殺していたかもしれない。

もしも私が私じゃなくて、

経済大国の大統領だったりなんかして、
自国で大きなテロが行われたりしたら、
戦争を始めていたかもしれない。

人には向き不向きというものがある。

米国大統領は、
果たして大統領になる器がある
人間だったのだろうか。

もしかすると、
彼自身が私の最も苦手とする、
「しーぴーが高い」人間なのかもしれない。




*エゴグラムをやってみたい方*

BBSに診断ができるサイトのURLを載せてあります。



2001年10月08日(月) 不安定。


だめだ。
また不安定になってきた。

先日誕生日を迎えたせいで、
両親が「祝ってあげる」と言い出した。

「良いもの食べさせてあげる」
「送ってもらったお米もあげる」
「うれしいでしょ?」
「親ってありがたいでしょ?」

そんなこんなの理由で、
来週の日曜日会うことになってしまう。

部屋の片づけをしていると、
母に請求する予定だった、
式写真の焼き増し請求書が出てきた。

それを見た瞬間、
涙が止まらなくなった。

彼女とは昔から何度も、
他人とは起こしたことのない、
金銭トラブルを起こしている。

カシタ・カエシタ・オボエテナイ・ソンナハズハナイ

そんな言葉が繰り返されるのは明白だった。

そんな時に彼女は必ず言う。

「あなたに多くあげるのは、
 なんともないけれど」

自分に否は全くないと、
暗に込めるその言い方は、
彼女の得意技だ。

そのやりとりを想像して、
滅多打ちになる自分を憐れんで、

涙を浮かべる私に、
ダンナが言った。

「いつもお世話になってるから、
 こっちで払おうよ」

涙は止まらない。

昨日、
彼のご両親からいただいた小遣いが、

実母の杜撰な性格ゆえに、
親子の仲が不安定なゆえに、

使い切ってしまうことが、
悔しくてしょうがなくて。



2001年10月06日(土) 比較。

結婚した私には、

父と義父、
母と義母の、

4人の親がいる。

よく聞く話として、
嫁と姑の間には、

問題が生じやすいらしい。

しかし、
私の場合、

結婚したことによって、
実の母親との軋轢が、
深くなってしまった。

それというのも、
義母がとんでもなく、
心の広い方というのが理由だ。

遊びに行くと、
旅館の女将並の気配り。

風呂は沸いてるし、
食べきれないほどの料理は用意してあるし、

なんと、
部屋には布団まで敷いてある。

気の利かない私が、
台所で右往左往していると、

「座ってて。すぐにできるから」と言い、
私がそれは決まりが悪いという顔をすると、

簡単なことをあれこれ指示してくれる。

「茗荷は食べられる?」
「味噌汁に卵はいれてもいいかしら?」

作り方やメニューの全てを、
私に確認をとってくれる。

「私、これは苦手なんです」

と言っても、
嫌な顔一つせず、

別の献立を増やしてくれるのだ。

妻の母のそして姑の鑑だと、
帰省のたびに感心する。

その一方、
実の母親は、

私が到着するや否や、
「客じゃないんだから、手伝いなさいよ」
と言う人だ。

そんなのするに決まってる。
だからこそカチンとくる。

結婚したら母親に感謝するだろうと、
期待していたのだがとんでもなかった。

次の期待は、
私が母親になった時なのだが、

それも怪しくなってきている、
今日この頃なのである。



*お知らせ*
BBS、復活しました。



2001年10月05日(金) 愛する人々。

何かの気配を感じて、
目を覚ますと、

ダンナが私の顔を覗き込んでいて、
「愛してるよ」と言った。

一気に目が覚める。

ああ、
眠ってしまったようだ。

今日はめずらしく、
飲んでくると電話があり、

夕食の支度を免れたことに、
嬉々として布団の上で、
ダンナの貴志祐介「黒い家」を、
ひまつぶしに読んでいたら。

ダンナはトランクス一枚で、
床にしゃがみながら、
もう一度「愛してるよ」と言った。

「おかえりなさい。
 酔っ払ってるんだね」

彼が甘い言葉を口にするのは、
泥酔している証拠だ。

「吐いちゃった」

無防備な瞳で微笑む。

弛緩しきった顔をみながら、
心底彼を愛していると思った。

彼をこんな彼に育んだご両親のことも、
本当に愛していると思った。

私をこんな私に育んだ母親のことすら、
まだ愛せないというのに。



2001年10月04日(木) 謝りすぎる人。


自分は悪くないと、
言い訳ばかりを並べる人と同じくらい、

安易に謝りすぎる人が苦手だ。

私は全く気にしていないのに、
執拗にゴメンと繰り返されると、

私がとても心の狭い人間だと、
指摘されている気になってくる。

だから、

私にとって謝られすぎる事は、
攻撃と同じ意味を持つ。

そして謝罪過剰の人は、
「質より量」な所があるので、

その言葉に対する思いの相違が、
浮き彫りになってきて、

深い付き合いには発展できない。

言い訳も謝罪も、
それ相応の適量がある。

そのサジ加減は、
間違えて欲しくないし、
間違えないように気をつけたい。

愛情と同じくらいに。

いつか自分に子どもができたら、

「悪いことをしたら謝ろう」よりも、
「謝ることはしないように」と教えたい。

「ごめんなさい」よりも、
「ありがとう」が言えるようになって欲しい。

どちらもできなかった子どもが、
私なんだけど。



2001年10月03日(水) 26歳という年齢。


つい先日、私は27歳になった。

ちまたでは、
「25歳を過ぎると肌が荒れる」とか、
言われているが、

肌荒れなんて、
そんなレベルではなくて、

私を含めた周囲の人間は、

26歳あたりで、
急激に身体を壊し始めた。

入院までした友人もいる。

たかだか虫刺されでも、
治りが悪くなるし、

健やかでない日が圧倒的に増える。

軽い頭痛だったり、
倦怠感だったり、

理由は些細でも、
なんだか優れないのだ。

26歳という年齢はそれまでの疲れが、
一気に出てくる時期なのかもしれない。

27年目に入る私。

お疲れ様。

これからも、
ほどほどに生きていきましょうよ。



2001年10月02日(火) たかが「牛」ですか。


世間を騒がせていますね。

狂牛病。

私が気になっているのは、
感染した牛が食肉として、
出回っているかということよりも、

「牛」の扱われ方です。

アナウンサーは平気で報道しています。

『焼却処分されました』
『殺処分されました』

家畜として産まれたからには、
例え人間のせいで病気になっても、

「仕方が無い」で済む問題なのでしょうか。

まともに歩けなくなった牛の映像で、
「かわいそう」と思う私は、
ただのキレイ事が好きな女でしょうか。

これが、

犬や猫、
クジラやイルカだったら、

「保護して治療しよう」という声もあがるのでしょう。

食べない肉には慈悲深くて、
食べる肉はモノ扱い。

何かがおかしいと思いませんか。

『荼毘に付されました』と言えなんて、
そこまでは要求していませんが。



2001年10月01日(月) 潤い。


先日友人たちとランチを食べに行った。

その待ち合わせ場所に行く途中、
中年男性に声をかけられた。

「すみません。
 この先にファミレスかなにかありますか?」

私は親切そうに見える微笑みを浮かべ、
『この笑顔を使うのは久しぶりだな』
と思いながら、

「ロイヤルホストがありますよ」

と答えた。

「あの、お昼ご飯はもう食べましたか?」

ああぁ、ナンパなのね。

微笑みの種類を素っ気無いものに変えて答える。

「これから友人と食べに行くところです」

止めた足を再び動かし始めたのに、
彼はめげずについてきた。

「今日とは言わないんで、今度ご一緒に」

曖昧に笑いながら、
指輪が見えるように左手を振る。

「あ、ご結婚されてるんですか」

「はい」

それであきらめると思ったのに、
なおも彼は食い下がった。

「贅沢は言わないんで今度お茶でも」

足を速める私の右腕を軽くつかむ。

その馴れ馴れしさにウンザリして、

「『贅沢は言わない』だと?
 アナタごときが私とお茶したいと思うのが、
 十二分に贅沢なんだよ。

 だいだい、
 私に声をかけること自体、
 10年遅いんだよ。
 オヤジ」

という表情を浮かべたら、
さすがに諦めてどこかに行った。

そんなあしらい方をしていても、
友人と合流した時に、

「声かけられちゃった。
 まだまだイケるみたい」

と笑顔で報告したことは、
言うまでもない。

軽そうに見えたのだろう。
簡単についてきそうに見えたのだろう。

そんな理由だと分かっていても、
この歳になるとナンパすら、
嬉しいもんなんだな。

終わってる?


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