毎日なんか考えてる。

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2006年02月27日(月) * 卒園だもんな。*

カブトの卒園を控えて、なんとなく慌しくなってきてます。
謝恩会で役員とかじゃないんだけど、幕間の司会をやる事になっちゃいました。
まぁ、あくまでも幕間なんで。
幕間→ビデオテープ交換タイムであり、トイレへそそくさと行くタイムであり。
行間を埋めるパテの様な感じで。

出し物班はハンパなく大変で、劇仕立て、途中マイヤヒまで踊るらしく
そんなんニコリン連れて練習に励めって言われてもムリってもんなんで
ぶっつけ本番で行かせてもらる幕間司会に何も文句は言えません。
勢いで行きます。
なんて。多分あがる…。ヨワ。

謝恩会で子供達と一緒に唄う「先生へ贈る唄」が
「世界にひとつだけの花」の替え歌なワケですが
「そうさ○○はせかいに1つだけの園〜」なんてとってもコテコテなのに
歌詞を見ながら唄ってると、うっかりジンときてしまう罠。

この間の保育参観の後、唄班のヒトが前に出て
「唄ってみます。覚えてください。」て
10人くらいでこの替え歌を合唱したんだけど
前に出てイントロはじまっただけで泣き出すヒトまでいたりして
そのヒト見てもらい泣きするヒトがいたり
もう明らかに涙のスイッチがおかしくなっちゃってるヒト多数。

そして涙のスイッチも、また人それぞれ…なんて、
唄いながら泣いてるヒトの赤鼻がカワイイな、とか
冷静に観察してしまったりして。
自分も泣いてるときはそんな風に観察されてるのかもしれないけどー。

まー卒園だもんな。
シミジミしちゃっても仕方ないよな。

そんなこんなで。
3月はお別れの季節だね。
ちょっと切ない感じ。



2006年02月25日(土) * イヤー感動した。*

女子フィギュアースケート、感動したー!
鳥肌立ちまくり。

フリーの後半、突如8年前のイモネエチャンだった荒川静香を思い出した。
ドッスンドスコイで全然ステキじゃなかった。
気ぃばっか強そうで、見てていたたまれなかった。
それが、
あの自信に満ちた表情、引き締まった体、カンペキなスケーティング。
親でもないのに色んな事がグルグルしちゃって、鳥肌が立った。
泣けた。

世界のトップに立てる人は、みんなすごい体をしている。
尋常でない練習をして、練習して練習して、己と向き合って戦った人だけが
こうゆう舞台で笑えるんだ、と、
まざまざと見せ付けられたような気がする。

村主チャンもすごく良かった。
結果は4位だけど、彼女の持ってるフンワリとした魅力が存分に発揮されていたと思う。
ワタシ的には村主チャンが3位だったな。
コーエンより良かったのにな。
イタリアの観客の反応が物語っていると。
あの声援は村主チャンの今後の財産になると思う。

ワタシは個人的に村主チャンみたいなタイプのスケータが大好きで
独特の雰囲気、ちょっとイっちゃってる的な発言も、
あの異次元へ連れていてってくれる柔らかな演技を見ると
そんなに大きな技ができなくったってイイよ、と思ってしまう。
村主チャンもアリガトウ。まだやめないで欲しいな。

そして安藤ミキ。
若いのだから仕方ないと言えばそれまでけど、
ワタシはああゆう風に言い訳ばかりする人間が嫌いだ。
いつもヒトの目を気にしてるような気がする。
なぜ彼女があんなにクローズアップされているのかよくわからない。

後半は画面を通して「もうイヤだ、もう帰りたい」と言ってる
心の中まで見えてしまったような気がしていたたまれなかった。

オリンピック前の段階で、
安藤よりも良い仕上がりだったのに選ばれなかった選手。
出られなかったドーナツスピンな彼女。
どんな思いで「あの」安藤のスケーティングを見ていたんだろうと思う。
遊びじゃない。
出ただけでイイんです、なんて
そんな事言うなら最初から出なければいい。

安藤ミキのせい、というより、
今回の代表にあの子を選んだ日本スケート協会のせいだろう。

でも。
安藤ミキがこのオリンピックで味わった屈辱を
今後どういかしていくのかちょっと楽しみ。

とにかくみんなお疲れさま。
本当に感動しました。
ありがとう。



2006年02月21日(火) * それが歳をとったって事なのかな。*

ニコリン、1歳半。
最近、ちょっとづつ、人が聞いても意味のわかる言葉を喋りはじめてる。
「ブーブ」とか「はっぱ」とか「ワンワン」とか「あめ」とか「ぎゅうにゅうついで」とか。

「ぎゅうにゅうついで」は2語文として、でなく
牛乳を飲みたいときのオマジナイみたいな感じ。

そういえば一番最初に言ったことばも「ギュッ」(牛乳)だったなぁ。

外歩いててもあまり転ばなくなったし、
手ぇつないで歩けるようになったし、
人見知りも終った。
ヨソんちに預かってもらうのもいつのまにか全然平気になったし、
大きな子供の中で遊ぶ事もへっちゃら。タフ。
ごはんはスプーンで食べ、
牛乳をコップで飲んでもあまりこぼさなくなった。

気がつくと、本当にどんどん育っていってる。
カブトがニコリンに強い事をしてしまったとき、
つい「ニコリンはまだ赤ちゃんなんだから」と言ってしまうのだけど、
ニコリンを赤ちゃんと思ってるのは、
きっと、カブトとワタシだけなんだ、と、
公園とかでトコトコ歩いているニコリンを遠くから見ると思う。

カブトはカブトで
もうすっかり「男」の自覚が芽生えている。

子供の成長は本当に早い。
何もかもがピチピチしていて、
やることなすこと全てが一生懸命だ。
そして自分はどんどん衰えて行ってるんだな、と、日々思い知らされる。

子供が成長して、自立して、フと足元を見たときに
燃え尽き症候群みたいになっちゃわないように
今から少しづつ、色んなコトを準備しておかないとイケナイな、なんて
最近、フと思ったりする。

具体的に、
趣味とか仕事とか、
いつまでもキレイでいたい、とか
一生現役とか、
生きがいとか、
女を捨てないとか、
そうゆう事ではなく。

そうゆう事を殊更に力強く言ってしまうのは、
なんとなくゴマカシのような感じがする。
逆に、シックリ行かないから力強く言ってみたりしてるような。
そうゆう事がしっくり自分に馴染んでる人は
そんな感じじゃないような気がするし。

そうゆう事でなく。
じゃ、どうゆう事なのか、というと、
うまくまとまらないのだけど。

とにかくそんな事を考えるようになった
最近のワタシ。



2006年02月14日(火) * オンナって。*

バレンタイン。
幼稚園児でも女子はスデに色めき立っていて
「女ってスゴイなー。年がら年中ラブなんだなー。」
と改めて思い知らされる。

男の子はラブとかそうゆうのにトコトン疎い。
それこそ第2時成長期、オンナオンナ、オッパイオッパイ、みたいなのが過ぎ去って、好きな子と一緒に居ると楽しい、嬉しい、愛しい、みたいな感じになるのって、もう随分おおきくなってからだろうから。

女の子の「○○クンが好き☆」的なあのパワーと思考を
男の子がわかる日は、多分、永遠に来ないのだろう。
てか、そんなのが妙にわかる男をワタシは好きじゃないけどね。

それでも幼稚園児なれど、
もらえるとなれば嬉しく、
好かれれば鼻の下が伸び、
男同士はチョコの数で張り合い勝った負けたとまたもや勝負。

今年カブトはワタシ以外に3個チョコをもらったのだけど
3個中2個が「2番手チョコ」で、1個は「お友達チョコ」。
本人は全部が「カブト君ラブなチョコ」だと思ってるっぽいケドー。
フフフ。

それにしても、女の子のママもこれまたスゴイ感じ。
こうゆうの目の当たりにするたびに、
ワタシはニコリンの幼稚園児時代をちゃんとやっていけるのだろうか、と不安になったり…。でもできない事はやらなきゃイイんだよ、そうだよ、と、自分を励ましてみたり…。

女の子同士のグループ闘争とか、友達同士のヤキモチとか、あの子を呼ぶならこの子もとか的ヤヤコシイ感じとか、バレンタインだってお母さんも一緒に入れ込んじゃってる感じで、園の門の前に普段バス登園の子のママがチョコを持ってお迎えに来ちゃって娘と一緒にはしゃいでる図というのは、ワタシ的にとっても違和感…。

男も女も、小さな頃からスデに男で、スデに女なんだ、と
ニコリンが生まれてからつくづくと思い知らされてる。

そして、ワタシも女。
がんばれ、ワタシ。



2006年02月13日(月) * 同窓会 *

土曜日、高校の同窓会でした。

4ヶ月も前から準備をすすめ幹事までやっていたのに
その前週がカブトの発表会で頭が痛くなるくらい泣いちゃったりとか
ヒビあれやらこれやらで
同窓会へのギアチェンジがかなり上手く行かず
当日の当日、電車に乗るまでイマイチ自分のテンションの上げドコロを
掴みそこねていたのですがー。

ポカポカと暖かい日だったので、
ちょっと薄着して、
電車の中でスキな音楽とか聴いてノンビリして
向かう先はナツカシの町田。
電車から見える景色がどんどん時代を遡って行く感じで
町田の改札を出る時には
ギアチェンジがすっかり終了してました。

それにしても楽しかった。
同窓会というのは不思議な会合だ。
ある時期、同じ場所で、濃密に過ごした「メンバー」。
そこに部外者が居ないって事がマスマスおかしな領域へ導いて行くのかも。

忘れていたような細かい話しとか次から次へと思い出し。
どうでもよすぎるどうでもいい話しとか。

顎が外れそうなくらい笑った。

「あれから」の20年間をズルズルと後ろに引きずって
今、それぞれの37歳。

些細な話しでも
元クラスメイトの「今」の幸せな感じ、生きてる感じ、を感じると
それぞれの20年に思いを馳せてしまったり。

逆に「今」の「感じ」が希薄な人も居たり。

どうであれ、みんなそれぞれ「今」を生きてるんだよなーー、とか思いつつ
同じ場所に集い、それぞれが20年前にタイムスリップしちゃって
ゲラゲラ笑ってるって言うのは、文句なしに楽しい数時間でした。

また数年後。
今度は40過ぎてるね。バイバァーーイ!!とか口々に言いながら
みんな酔っ払って解散しました。

帰り、小田急の終電がなくなっちゃって
横浜線経由で帰る家路は果てしなく遠く。

ウチに帰ったら、テルクンがトリノ見て起きてた。
2人でカップラすすりながら、同窓会の話しを3時まで聞かせ、
ご機嫌サンのまま就寝しました。

あー、楽しかった。



2006年02月09日(木) * 生きてるってかんじ。*

サッチャンと出合ってからもう5年近く経ってる。
最初は子供を挟んでの付き合いだったから、
特に踏み込むでもなく、
たまに公園なんかで会えばバカな話しで盛り上がったり、
でもお互いの共通のママ友たちがターゲットを決めて話してるような
ダレソレネタは、何となくお互い敬遠してたり、
そうゆう空気がスキだったり心地良かったり、
そんな感じはあったものの、
それ以上の進展は特に無かった。

それが1年前くらいからちょっとした事がチョコチョコと重なって、
急にグググィーンと親しくなった。

今となっては子供とか関係ない感じの
完全な友達になってしまった。

「ママの顔」同士で会って、ここまで親しくなるのは
ワタシとしては相当めずらしい。

もちろん
カブトの友達のママで親しくしてる人は何人か居るし、
その中でも、この先子供が大きくなって、
子抜きでも親しくするであろう友達も何人か居るのだけど、
そうゆうんじゃなく、
もとから子供が居ない環境で出会っても・・・と言うよりむしろ
子供が居ない環境で会ったらもっと早くこうなっただろう、とか、
子が居る今でも、子が一緒でも一緒じゃなくてもあまり関係なく
素で付き合えるヒトってのは相当に珍しく貴重だ。

子供が現れる前にできた「大切な友達」は
今もなお「大切な友達」で、たまにしか会えなくとも
「大切な友達」である事には変わり無くて、
多分、一生大切な友達であり続けるであろうと思う。
安心感とか、ムリなく培ってきた関係とか。

そうゆう友達は
子が挟まってる限り無いだろうなーなんて、どっかで思っていた。
だけど、現れる時には現れるんだなーと。
人の出会いの不思議さを改めて感じたりしてる近頃。

好きな人が自分の中に増えると言うのは
とても心地が良いモンです。

この間の日曜日、子が寝てからビールマン2人で繰り出した。
グビグビと。
ひたすらビールを飲み続け。
バカみたいにビールばかり飲んだ。
10杯づつくらい飲んだ。
ふたりとも上機嫌でフラフラゲラゲラ笑いながら歩いて帰りながら、
桜井の歌が頭をよぎったよ。

「そうだ。冷えたビールを飲もう。
 金と黒のラベルを選んで 出来るだけ一息で。
 あぁ。生きてるって感じ。」

テルクンはとっくに寝てて、
3人がスヤスヤ眠る寝室で酔っ払って寝るのはとても幸せだった。

日常の些細な幸せとか。
そうゆうの。
ホント、生きてるって感じ。


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