speak like a...child

 

 

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日常は日常のままに - 2003年09月30日(火)

えらく風の強い一日だった。
それでも天気は良かった。

講義のためにいろんな建物を往来して、
研究室の自分の机に戻っては書類整理。

バイトの履歴書を書いて電話したら郵送しろと言われ、
封筒を買いに行ったら宛名用のサインペンを買い忘れ、
お気に入りのレジのお姉ちゃんの手を二度も煩わせた。

昨年中に申請するはずだった教員免許の書類を集めて、
基礎資格証明と戸籍抄本はあるからあとは収入印紙。

明日銀行に買いに行こう。
郵便局に封書も出しに行こう。

一限の講義だから早く起きよう。


まとまらない。 - 2003年09月29日(月)

前にシュンに勧められた「海猿」を買った。
やっぱり泣きそうになる。オレは弱い。



それにしても腹が立つ。

昨日の速報Jリーグじゃ“Bohemian Rhapsody”(QUEEN)を、
今日のNステでは“Where the Streets Have No Name”(U2)を、
時間配分のためか何か知らんが、曲をブツ切りにするくらいなら
始めから使わないで欲しい。せっかくの名曲が台無しだ。

と、そんな憤りを感じてみる。
そう言いながらもオレもどこかで誰かの誇りを踏みにじってる。
多分そんな気がする。それはただ、自分が気付いていないだけ。



今日から後期が始まって辺りはにわかに慌ただしい。

取りたい講義を集めていったら前期のそれをはるかに超えた。
単位は前期でほとんど足りたというのに。どこかで絞ろう。

“はるか”で思い出した。
オレは口が軽い。

君は嫌な思いをするだろうから先に謝っておく。
ゴメン。



就職案内がやたらと届くようになった。
懲りずにインターンに応募してみようと思う。

「後期はだいたい就活で講義なんか出てらんないよ。」

同期はそう言う。確かに面接だの筆記試験だので
いちいち仙台を留守にしていたらそうなのかもしれない。


それより上京するための資金が足りない。
バイト探そう。



今年はあまり雪が降らなければいいな。

上と下を往来してばかりの時間割を見ててそう思った。



BGM : 『Anthology』 / Sly & The Family Stone


ダバダバダ - 2003年09月26日(金)

夜中の地震は実に怖い。
今回の揺れはやたらと長くて、枕元にあるCDラックが
ギシギシ言っていつ倒れてくるか気が気じゃなかった。
けど、寝てた。(イヤ、起きろよ)

震源は北海道だというので3秒くらい考えてから、
北海道の全ての友人に安否を問うメールを送信。
5月の宮城県北部地震のとき多くの友人に気に
懸けてもらったから今度は自分の番なのだ。


「全然問題ナシ。ただ眠い。」

「猫がやたらびびってた。」

「カップラーメンが2個落ちた。」

「冬の飲み会ヨロシクね。^^」


それぞれの返答はこんな感じだった。
日本は今日も平和だ。



BGM : 『HALCALI BACON』 / HALCALI

たまには脱力感に任せて聴くのもいいもんです。
難しいことは考えずにね。a〜ha♪

かまって かまって 私にかまって
かまって かまって 私だけ♪



【連絡】Y!更新しました。


テレビ出演 - 2003年09月20日(土)

「オイ、オマエ今テレビに映ってるよ。」というメールをもらったのは
月曜日の夕方のことで一瞬悩んでみたが理由はすぐに分かった。
それから慌てて新聞を見たらテレビ欄にそれらしい予告があった。
今回の集中講義は證券会社の提供で、社員が講義をするという
珍しさからか、最初の時間のときテレビ局のカメラが来ていたのだ。

でもおそらく苦手な左アングルで撮られた。
右目は目つきがきつく、相手に冷たい印象を与えると言うのだが、
左側は黒子があるので自分としてはあまり好きではないのだ。
まあ、それは今はどうでもいい話。


講義自体は拍手が沸き起こった初日以外は特筆すべき内容はなく、
本を読みながら片手間で聞いている。時折気になる話題に触れると
用意されたレジュメを注視し、講師の方に目を向ける程度である。

この講義によって会社にどんなメリットがあるか甚だ疑問に感じる。
最終日の試験の結果如何で青田買いするというわけでもなさそうだし、
そんなことをしなくても優秀な人材はいくらでも集まりそうな企業である。

一方で受講者の、とりわけ僕のメリットとしては業界人を観察できる
いい機会である。やはり人の立ち振る舞いには多くのものが表される。
奇しくもインターンの申し込みに漏れた研究所はこの会社の関連だし、
ここにしたって冬期のインターンに応募してみようかと考えているから
こういう場で社員の様子を眺めることができるというのは願ったりだ。



夏休み最後の集中講義はそんなことを考えながら出席している。
でもたいがいは講師の声をBGMにしながら机の下で小説を読んでいる。
思えば中身の薄い夏休みだったなぁと振り返るのはこれで何度目だろう。


進歩がない。



BGM : 「いつか風になる日」 / 元ちとせ


気がかりな手がかり - 2003年09月17日(水)

付箋に書いてあった字が僕の筆跡だと

キミはいともたやすく看破する。

僕はキミの筆跡を見分ける自信がない。

それがすごく、悔しい。



例えば、

みんなが同じ姿形をした世界に

僕とキミが放り込まれたとして、

その人込みの中から僕は何を以て

キミを見分けたらいいのだろう。



僕にはもはや、

膨らませた頬をつまんでみることくらいしか思い浮かばないのだ。



それでも、

キミがキミの反応をしてくれなければ、

キミだけの感触がこの手に還ってこなければ、

それでおしまい。




だから、

悔しいなぁ。


6年の差 - 2003年09月16日(火)

少しだけ実家に帰った。
自分の部屋は未だに高校のときのままで本棚には
教科書や参考書の類が当時と変わらず並んでいる。

何故そのままかというと、あの当時は自分の進路に
疑問を抱いていて、どこか他の大学を受け直すときに
必要になるだろうと思って、そのままにしていたのだ。

結局それらは杞憂に、・・・否、そうではなくて、
自分で何かを変える努力をしなかったのだから、
機会をみすみす潰したのだ。可能性を諦めたのだ。


本棚にはいくつか空き棚もある。CDのためのスペースだ。
アルバムは全て仙台に持ってきてしまったからシングルが
いくつか並んでいるだけの閑散とした空間になっている。
今あるCDを持ち帰ってもここには収まりきらないだろう。
こうしてみると積み重ねたものの大きさには驚かされる。


机の引き出しを開けてみると何通かの手紙があった。
友人からもらったものだ。中身はいつも何気ないもので、
それは愚痴だったり報告だったり約束だったり。

その中の一通、差出人も宛名もない手紙が目をひいた。
日付だけが手書きで記してある。1997年12月19日。


無性に気になって封を解いてみると、差出人はリコだった。
なんとなくそんな気はしてた。文面からするとその前に
僕が何か書いて送ったらしく、それに対する返信だった。

微かにそんな記憶がある。精神的にとても参っていた時期だ。
何もかもがうまくいかず弱り切って落ち込んでしまっていた。
僕は弱音混じりの愚痴でも吐いたのだろう。相変わらずだ。


リコの文面は優しさに満ち溢れていた。
見慣れた文字の一つ一つが便箋から浮き上がって、
朗らかな声に乗って飛んでくるような、そんな錯覚を覚えた。
読み終えた僕は柔らかな安堵感に包み込まれていた。


果たしてこの手紙が当時の僕の心に届いていたかどうか、
それは疑わしい。なぜなら、そのころの僕は言葉が持つ力を
全くと言っていいほど信じていなかったからだ。それは同時に
自らが心からの言葉を発することができなかったせいでもある。
魂に触れられることを恐れ、己の深奥に入り込まれることに怯え、
決してさらけ出すことのなかった自分。分厚い殻にこもっていて、
高い次元でコミュニケーションをとれる喜びを知らなかったのだ。


数年経った今になって、彼女の言葉は穏やかに僕の心に沁み入る。
その間、彼女は文面に違わず僕の成長をじっと見守ってくれていた。



そうか。



彼女は今の僕に宛てて書いたのだ。


僕より2週間程遅れて生まれたはずの彼女を、時折年上に
感じてしまうのはおそらくそういうことだったのだろう。

それなら少しは納得がいく。


“落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。” - 2003年09月15日(月)

ああ、なんか仰々しいな。
糸井重里氏のコピーを持ってくるほどでもないね。
でもなんかしっくりくるから使っちゃったよ。

さて。

理由はかなり月並みで。
“しばらく”とか言いながらもわずか十日程度で
戻ってこれる神経はやっぱり図太いのでしょうか。

一日の中でも上昇と下降の繰り返しで、
それこそ五分置きぐらいに豹変してます。
その様、かなりイタイです。

そんなこんなでもやることだけはやっていかんと本当に
自分が廃れていってしまうので、それだけは回避すべく
まずは身近なものから片付けていこうと思います。



BGM : 「雪が降る街」 / ユニコーン

例え天気が晴れだろうが気温が暑かろうが、
この曲は美しく響くから、いつだって聴きたくなるのです。


13度目のJ.J.F. - 2003年09月14日(日)

例年の雨とはうって変わって清々しい空だった。
並木道の木洩れ陽の中で聴く音は僕を震わせた。

OpenGのテレキャスから弾けるマジック・コードこそが
僕を最も震わせる瞬間、それは紛れもない事実だが、

“Johzenji street Jazz Festival”

そう、ここにも魂を揺さぶるJ.J.F.がある。
低く打ち鳴らされる拍動は止まっていた心臓を揺り動かし、
珠玉の旋律は新たな血となって全身を駆けめぐる。


まだまだやりたいことがある。
音楽はいつもそんな活力をくれる。

僕はまだ死ねない。



BGM : 『Get on the bus』 / Soul Addiction


living dead - 2003年09月02日(火)

しばらく休みます。



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