日の想い
幸花



 オケ大会

沢山のことを学ばせてもらった。
楽しかったことと、物凄く後悔したこととが交錯している。

オーケストラに関係する部分では
チェロの技術、自分の足りないところ、これからチェロをどうやって弾いていこう
というものである。
それ以外は精神的なもので
忙しくストレスも多いなかで、自分の精神的なコンディションをどう保つかというものと、
初対面の人とのコミュニケーションのとり方、それから理性的に物事を進めるための手練手管
などである。

そして今、恐ろしくハイテンションな時と自分の殻にいたい時との差が激しい。
今年の末にむけて、今はとにかくチェロを頑張って練習したいと思う。

2003年11月29日(土)



 演奏会の後

楽器をしまい、写真などを撮るとそのままの格好でまた地下1階へ走った。
そのまま講評会だったからだ。
途中、受付で数人からのプレゼントを受け取る。
その中にはチェロの先生からのものがあって、とても嬉しかった。

会場には軽食と飲み物(アルコールを含む)も用意されていて、立食形式。
もちろん講評会の先生方やお偉い方々も一緒で、指揮者台をお立ち台にマイクを持って
それぞれの講評会を聞く。
しかしその場にシェリが現れると当然サイン&写真攻め
また奏者は演奏後なのでハイテンション、しかも最後だからと写真を撮る。
ようするに講評会とはいえ、くだけた雰囲気だった。

スタッフや、内藤先生へプレゼントを渡すの企画は1次会を予定だったが
その場で慌しく渡すことになってしまった。
段取りが悪いと言われたが、まぁ仕方がないというものだろう。
そうして講評会の隙をつくようにロッカーへいき着替える。
しかし男性の中には荷物置き場で着替えたりしていた。若干壊れていたようだ。

そのままやはり地下1階にある1次会会場へ。
物凄い騒ぎになった。
今まで話せなかった法政大の人と話したら物凄く近場に住んでいたとか
そういった発見もあったが、内藤先生と直接話せたのが楽しかった。
大学でオケをやり、ジュネスに(オケ大会のようなもの、現在はない)参加し
お勤めした後音大で指揮を学び、しかもオケの立ち上げもしてらしたので
オケに関する様々なことを伺うことができた。
…伺う、というより相談したような感じもあったが。

楽しい時はいつでもあっという間に過ぎるもので2次会に流れることになる。
人数の都合から、初台から新宿へ歩いて移動しその間にスタッフの方がお店を探す。
途中、火の鳥に乗っていたチェロの女の子とずっと話していたが
その最中に何故か弟から電話が掛かってきた。
どうやら母は寝るので迎えよろしくと頼まれたらしい。
しかし新宿へ移動するところだと告げると、オールだな、と勝手に納得して切ってしまった。
確かお店に着いたの時点で23時。終電は24時10分頃。
着いてから残るべきか残らざるべきか迷う。
体力的に限界が近く、諸事情により精神的にバランスがよくなかったからだ。
もんもんと座敷の入り口付近で迷うこと数10分。
結局は皆とあまりに別れがたかったので残ることにした。

疲れているからとお酒を遠慮するものの、コンディションが最悪だったので
少々サワーももらう。
気分が落ち着いたころには2時過ぎ。
楽器ならではの話などがきけて楽しいなと思いつつ3時を超えた。
ちょっと妙なテンションの人がでてきたり、潰れる人もでて4時を過ぎ、
そうこうしているうちにおにぎりと漬物がでてくる。
お店が5時閉店だったので、生ける屍と化した者どもを起こし、薄暗い中駅へと向かう。
左にかかえるチェロが重いし、頂いた花はとうにしおれてしまっている。
充足感と、寂しい気持ちがごちゃまぜになった感じで新宿南口にて、解散。
今はただ再会を願うばかりである。

2003年11月25日(火)



 3日目

朝9時集合。
入り口に団体演奏の人たちでごった返していたところを通り抜け下手から
控え室へいき荷物を置いて、集金したものを買出し担当者に渡した後
皆で早めに昼を食べにいく。
案の定、地下1階には黒いメンバーがうようよ。

Vla.パート内のこぼれ話などで盛り上がりつつ、12時の開演に間に合うように戻り、
舞台衣装に着替えてから客席へと急いだ。
開会のファンファーレを作曲したのが、大会のボランティアスタッフと聞いたからだ。
インタビューによるならば勢いでかき上げたそうであるが曲として
オーソドックスにまとまっていた印象だった。

その後、福岡大学のブルックナー交響曲第四番・茨城大学のシューマン交響曲第3番、
静岡大学のブラームス交響曲第4番を聴く。
福岡大学は指揮者が個々の力を引き出すよう工夫が感じられる指揮だった。
茨城大学の指揮者は若く、指揮台の上で飛び跳ねていたが、全体として勢いが良かった。
一番目を引いたのが静岡大学の指揮者である。
女子学生による指揮だったからだ。

あとで聞いたところによると、彼女は3年生ときいた。
全体としては1,2の集中力で3・4楽章を聴きたかった。
しかし学生同士の集中力が凄まじい。
演奏会が70回を数えるオーケストラってこういうことなのかと思われた。

その後の近畿大学、日本大学も聞きたいのは山々だったが、16:30に1度
集合することになっていたので、楽器を出してそのまま外を通って地下1階へ。
企画の最終打ち合わせをしつつ皆音を出す。
緊張のためか集合時間より大幅に早くから皆出している。
私はというと、その勢いに呑まれると本番の体力がもたないと感じたので
脇にのいて回りを眺めつつ少々さらった。

そして舞台のわきへケースもつけぬままの楽器を片手に外を通って移動。
本番を迎えた。
やはりシェレンベルガーさんの知名度は凄まじく、お客の数が増えていた。
しかし不思議と緊張しない。
むしろ高揚していた。
1楽章で1箇所カデンツァ(オーボエだけが自由にソロを吹く部分)の後に出るところを
コンマ0,01秒ぐらいの差で先に出てしまいシェリさんからちらと
目配せをくらったが、拍手はあっという間にやってきた。

火の鳥の降りばんであるチェロとオーボエの6人は舞台横に通じる廊下のところで待機。
終わりに近づいたところで花束と色紙を持ちスタンバイする。
シェリさんの講評を舞台で聞けないことに少々疎外感を覚えつつ、
Qが出たところでダンケシェンの掛け声と同時に花束をシェリさんへ
その後コンミス・コンマスへ。
コンミスにはどうにか驚いてもらえたようだ。

慌てていた私は指揮者の前を通って帰ってしまった。
大失敗である。
しかもこれがビデオに残るのだから始末におえない。

戻ってきてからお客様へむけて、ありがとうを言う。
それから舞台袖においてあった楽器を急いでとりにいき
アンコールであるラデツキの準備となった。

この人数がまた半端ではない。
ヴァイオリンはコンミスを残し、ビオラと一緒に舞台の下におり
チェロは若干移動、そして金管楽器が2階にもいた。
様々な音がすると感じて後で打楽器の子に聞いたら、
シンバルを持ってきたり、タンバリンなどの楽譜にはない打楽器が色々と入っていたとのこと。

そうして最後のオーケストラ大会は、楽譜のFin,のマークとともに終了したのである。
写真とこれからくるであろうビデオにその姿をとどめて。

2003年11月24日(月)



 2日目

朝、コンミス・コンマスへの花束の発案者からのメールがきていることに気が付く。
しかし話がよくわからなかったので返信せずそのまま練習へ。
スタッフに集金もろもろやると宣言し発案者から全権を移行したところで
そこらへんに来た人から適当に各パートごとの集金を頼む。
シェリさんのはコンミスの発案だったので彼女の到着を待って集金担当を請け負う旨を伝え
こそこそと集金の目処をたてていた。
するとと、更なる企画が立ち上がったことが判明。
ずっと練習を支えてくれているスタッフの方々へもなにか、というのである。

結局、シェリさん企画+スタッフ企画+コンミス・コンマス企画で集金することになった。
因みにそのことをパートごとの集金者に伝えようとしてあちこち動いたが、
人が多いので意外と目立たなかったようだ。

そうこうしている間に、シェリさんがいらしてまずは火の鳥から練習開始。
火の鳥を作曲したストラビンスキーはモーツァルトよりもずっと新しい人なので
リズムが結構面倒なところが沢山あり、特に裏うちのリズムが頻繁にある。
つまり指揮者の表拍、1拍目が分かりにくいと裏は入りにくいのである。
…シェリさんの指揮は裏打ちにとっては非常に分かりにくかったのと
皆疲れていたこともあり結構ぐちゃぐちゃに。

本番をみに来た母には、よくあの指揮できちっと合ったわねぇと言われたが
前日の苦労とそれまでの分奏の練習の賜物としかいいようがない。

各団体の練習が終わり、楽器とケースを持って私たち合同演奏のメンバーがホールへ。
音がよく響くので粗が聴こえやすい。
真中あたりの席に座っていたモーツァルト降りばんの人に録音を頼み
コントラバス(ベース)にN響の池松さん、チェロに村井先生が混じって練習スタート。

体調いまいちだったのと、動き回ったのとで疲れていたのだろう。
後ろにいた先生達の音が、たまらなくなるほどうるさく
更には一体今までやってきたのはなんだったのかと不安に駆られ
でもシェリさんの音は素晴らしくてと情緒不安定になり、何故だかじわりと泣けてきてたのだ。

隣を心配させつつ個人的には最悪な気分であっという間に練習終了。
火の鳥の練習へとうつった。
暫くすると気分も落ち着いたので、オーボエの子がシェリさんのサインを貰うのに、
スコアを持って便乗しに楽屋へ伺い、サインと写真を頂く。
そしてパートごとの集金を終え、この日は疲れているからと急いで家路についた。

帰宅途中に後輩から相談のメールが携帯に入っていることに気が付く。
しかも運営に関するとても大切なことだったから無視できるものではなかった。
23時頃帰宅予定だったので、その頃に電話をくれるか木曜に話そうと返すと
本当に23時頃に電話がありそのまま1時間半話しこんだ。
話し終わってからはお金を計算しつつさめてしまった夕飯をがつがつと食べた。

最後に録音してもらったものを地べたにすわりこんで聴いてみて、少し安心した。
シェリさんの音にくってかかる勢いでベースが弾きそれにチェロが張り合っただけだった。
ベースの先生は本番乗らないのであまり気にせずいままで通りに弾けばいいと思えた。

結局寝たのは2時近く。

2003年11月23日(日)



 1日目

11時頃に集合。
オペラシティーの地下1階のリサイタルホールにて
モーツァルトオーボエ協奏曲の弦分奏(バイオリン、ビオラ、チェロ、コントラバスだけの練習)開始。
但しアシスタント・コンダクター内藤先生の指示のもと、
弦楽器は各楽器のトップ(最前列の片側の人・その楽器の責任者のようなもの)
と先生(プロの方が各楽器の下支えに数名入っています)の席を残して席をシャッフルする。

大抵のオーケストラ(オケ)の場合弦楽器は、前にいくほど上手な人が多いが
このオケの場合はむしろいつもと違う音が響いて楽しい。

そうして2時間ほとの練習の後、ストラビンスキーの火の鳥の合奏となり
モーツァルト1曲のりのチェロとオーボエは待ち時間となった。
練習する場所として小リハーサルが提供されていたものの
しばらく火の鳥の合奏を聴いていた。

練習を見学する時の席は当然指揮者から見て一番奥である。
つまり普段チェロの位置からだと見られない楽器のそばに陣取ることとなる。
今回、金管(トランペット・トロンボーン・ホルン・チューバ他)の中でも
舞台右奥にくるチューバがミュート(弱音器)をつける様子を初めて見た。
楽器が大きいので当然ミュートも大きい。
他の金管だとスライムのように刺す部分が細いのだがチューバの場合、
メガホンを2、3回り大きくしたような形で、しかも取っ手がついていた。

さてそのような観察も合奏の合間の休憩時間になると終了し、
チェロ同士で合奏しようという話になった。
前回の練習の時にチェロ4重奏用の譜面をもっていた人がいたので
それを借りて5、6人で即席チェロアンサンブルを楽しむ。
丁度パーカッション(ティンパニ・バスドラム・小太鼓他)が練習していて
音が良くきこえず、また皆が初見大会ではあったが
出せるところはがしがしと音を出せて楽しかった。
コピーさせてもらえるよう頼んだところ、快く6重層までも貸してくれたので
同じ階にあるコンビににいって沢山コピーさせてもらう。


因みに期間中オペラィティの地下1階はどこにいってもオケ大のメンバーがいた。
演奏する学生だけで84人もいたので、同じフロアのコンビニやロッテリア、サブウェイなど
かなり儲かったのではなかろうか。
ロッテリアの店長などは、スタッフに問い合わせたらしい。


その後モーツァルトの合奏となる。
これはあっという間に終了し―オーボエのソロがいないから尚更である―
再びストラビンスキーの合奏練習の時間になった。
この時も私は練習をきいていたのだが、その時に本番の時のサプライズ企画を知る。
火の鳥のコンサートミストレスいわく、
マエストロ(指揮者)でありオーボエのソロもやる、シェレンベルガー(以下シェリ先生)へ
演奏が終わってから皆でダンケシェンを言い、花束と色紙を渡すという内容だ。

しかしそれ以前の休憩中に、火の鳥の降りばんである私達チェロ・オーボエの
6人にはもう1つの計画もきかされていた。
モーツァルトのコンサートマスターと火の鳥のコンサートミストレスの両名へも
シェリ先生へ渡すと同時に花束を渡すというものである。

全日本大学オーケストラ大会、通称オケ大(おけたい)の運営は
全てボランティアの学生スタッフが行っている。
けれどもこの企画は奏者から出されたので奏者がことを進めなければならない。
しかしこれらのサプライズ企画はそれぞれ発案者はいたが、責任者がいなかった。
そこででしゃばりかとは思いつつも集金などもろもろ自分が引き受けることにする。

つまり明日は忙しくなることがこの時点で決定したわけであった。

練習が終了したのは21時頃。
そのまままたしても新宿へ20人ほどが流れ飲み会となる。
ほとんどが地方からきたホテル組、つまり品川の人達だったので長々と居座る様子だったが、
私は風邪をひいていたのであまり飲まずに食べて終電頃にとっとと引き上げる。
因みにその後きいた話ではホテルでもまた飲んでいたらしい。
若いって素晴らしいと感じた私は…あまり若くはないのかもしれなかった。

2003年11月22日(土)
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