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2003年10月25日(土) 守ってあげたい。・・・のに

午前0時。

閉店時間はとっくの昔に過ぎてたけど
残っていたのが
義父の古くからの知人たち、ということもあって
悶々としながら、ひたすら帰るのを待つ。


「ちょっと俺、寝てるから」

やすくんがそういってお客さんからは見えないところにおいてある
小さな机といすに突っ伏した。



・・・いつもだったら、どんなに疲れてもそんなことをしないやすくんなのに



ほんの少し、そんなことを思いつつ
少し前に掃除したばかりのところをまたダスターで拭いたりしていた。

 
午前0時半。
帰る様子は微塵もなく、むしろ話に花が咲いて前より盛り上がってる。
目に付かないところの照明は全部落として、
暖房も、最低限のところだけつけて
言葉にならない「そろそろ帰ったら?」のサインを送り続ける。

やすくんは。
「寝るから」と言ってからまったく動かず、
突っ伏したまま眠ってしまっている。
「ねえ、後は私やっておくから、布団で寝たら?」
少し身体を揺らしながら、そう言ってみたけど
「ん・・・?うん・・・」と
言葉にならない返事をするだけ。
それ以外はさっきと何も変わらず、深い眠りの中。


午前0時45分。
ようやく、重い腰を上げてお客さんたちが帰っていった。
わずかな食器を洗って、店を閉める。
やすくんは・・・さっきと全然変わってない。
ピクリとも動かず、眠ってしまってる。


・・・すこし、怖くなった。


「もう全部終わったから、寝ようよ」
そう言って半分眠ったままのやすくんを部屋に連れて行く。
急いで布団を敷いて、やすくんを着替えさせて寝させる。

いつもだったら、疲れてるときはいびきをかいたりするはずなのに、
そしていつもだったら、それがうるさくて眠れないとか言っちゃうのに
今日のやすくんは、いびきどころか寝息もほとんど聞こえないくらい
静かに横たわってるだけ。



ほんの少し後。
夢を見てるのか、やすくんが顔をしかめた。
苦しいのか、辛いのか、
声を上げたり、身体を動かしたりはしなかったけど
表情だけが、とにかく
見てるこっちが、悲しくなるような表情。


夢の中だったら、
暴れても、大声を上げてもいいのに
ぐっと顔をしかめて、それで耐えてるようなやすくんの姿を見て
なんだかちょっと悲しくなった。



疲れちゃったのかな

いろいろありすぎたしね。

私も、ずっと甘えっぱなしだった。








辛かったら辛いって言ってくれたらいい・・・のに。
疲れたらそう言って先に休んでもいい・・・のに。
力になれることが何かあるかもしれない・・・のに。




いろんな「・・・のに」が頭をよぎっては消えていくけど



今の私は

そんなやすくんをただ見守って
頭を撫でて
「大丈夫だよ」って声をかけるしかできないなんて。







2003年10月21日(火) どっちをとるといったら。

明日、やすくんのところへ帰る。

行きとは違って今度は飛行機で。
車でのんびり空港まで送ってもらって
羽田までひとっとび。

そこでやすくんと再会する・・・予定。
再会するのは確実なんだけど、「やすくんと」なのか
「やすくんとやすくんの両親と」なのかは
まだ未定。

できれば、羽田ではやすくんと「だけ」再会したいと思う私は
ダメな嫁でしょうか?




実家は本当に居心地が良かった。
何をしててもリラックスできるというか。ま、気を使わないからだろうけど。
向こうでは、やすくんと二人の時はともかく
それ以外の時間は、食事の時間もお風呂の時間も
身体の一部がどこかしら緊張してる感じ。
まだ「自分の家」という意識になってないからだろう。


それに、今回の帰省ではのんびりと、自分のしたいことだけをした。
いつも帰ってくると、ハードなスケジュールの中で
いろんな人に会ったり、いろんな場所へ行ったり
いろんなものを食べたりしてきたけど、
今回はのんびり。
あーもんどと会ったことも、球根を植えたことも
母と二人で買い物に行ったことも
私にとってはとてもよいリラクゼーションのようだった。
きつく巻きすぎたネジを、ちょうどいいところまで巻き戻せたみたい。




でも。





ここにはやすくんがいないんだよね。
結局、毎朝晩電話で話をした。離れ離れの時みたいに。
初めの何回かは、当時が懐かしく思えてちょっと楽しかったけど
3日たったときから、あの時の寂しさがよみがえってきた。
すぐそばから聞こえてくる声なのに、
やすくんに触れることが出来ない。
体温を感じることが出来ない。
そのことの寂しさ、せつなさ、辛さが
昔と全く変わらず私を襲った。

実家の居心地のよさは確かに相当な魅力なんだけど
帰ったら、店の事や義両親の事なんかで
まだ問題は山積してるんだけど
もし

「もう1週間いてもいいよ」

なんていわれても、私は首を横に振る。


やすくんとこれ以上離れていられない。

居心地がいくらよくても、
やすくんのそばにいられなくちゃ私にとっては何の意味もないんだもの。
そばがいい。



明日。

予約した飛行機の席は前から5列目。
飛行機が着陸したら、すぐに降りられるように。
やすくんに早く会えるように。





早く会いたいよ。


2003年10月20日(月) たいむましん。


母に頼まれた球根の寄せ植えをしようと思い外へ出た。
ずいぶん前から手入れをされてないらしいその大きな鉢には
ほんの少し雑草が生えていた。
中に入ってる土も固くなってしまっている。

新しい土は倉庫に入ってるから使っていいよ、と
そう言われてたので、スコップで少しずつほぐしながら
鉢の中からバケツへ土をあける。
そしたら、今年の春咲いたらしいチューリップの球根の残骸みたいのが
土の中から出てきた。
そしてそのあと、コロコロとクロッカスらしき球根や
まだ元気そうなチューリップの球根などが出てきた。

最初に掘り返した、球根の残骸はさすがにもう天寿を全うしたようだったけど
その後出てきたクロッカスやチューリップの球根からは
真っ白な根や芽がわずかながら出始めていた。

・・・まだ生きてるんだ・・・

そう思ったら、なんだか捨てられなくなって
傷つけないように丁寧に取り出した。

大きな鉢には頼まれていた球根たちを植えなくちゃいけないから
取り出した小さな命たちは
空いていた一回り小さな鉢に植えることにした。

新しい土を入れた鉢に、バランスよく球根を置いていく。
固い土の中で、それでも懸命に根を張り芽を出していた球根たち。
その上にまた新しい土をかけてやる。
春が訪れる頃にきっと、綺麗な花を咲かせてくれることだろう。


そして、


その花を見るときには
私はもうお母さんになってる。


えへへ。
なんだか、変な感じ。
今日の球根たちは未来へ送ったタイムマシンみたい。
お腹の中で元気に動いている、この子と一緒に
花で一杯になったこの鉢を見られるんだもの。


私はもうすぐ実家を離れるけど

どうか、どちらの鉢の球根も元気に育ってくれますように。

子どもと2人で、春の訪れを楽しめますように。

そして、

出来ればそのとき、隣にやすくんがいてくれますように。
一緒に花を見ながら笑える時間がありますように。






2003年10月19日(日) リフレッシュ。

あーもんどに会って来ました。
初めてのカフェめぐり。
・・・と言っても、たった2件だけど。
・・・っていうか、そこをカフェと呼ぶかどうかはかなり謎だけど。

食べたり飲んだり、雰囲気を楽しむより
まずは近況を報告しまくって(笑)
周りのお客さんが入れ替わっててもお構いなしに話を続けた。
じつは2件目に行ったのだって、
もしかしたら、お店の人の目がだんだん辛くなったからかもしれない(苦笑)。
とにかく、取り留めなく色々な話をした。
家のこと、仕事のこと、
それに、「出会い」と「縁」のこと。

出会いにしても、縁にしても
それに気づくか気づかないかで大きく変わってくるってことや
出会うことや、縁があることって
ただ人とのかかわりに限ったことだけではなく、
場所や出来事なんかについてもそうなんだろうなと言うことを話した。


私はあーもんどに我が家の現況をかいつまんで話したし
あーもんども仕事での色々を簡潔に話してくれた。

あーもんどと話したからといって、私の抱える色々が解決したわけではないけど
気づかず萎んでいた心の一部分がまた大きく膨らんでくるような気がした。
ケーキやランチでお腹がはちきれそうになったけど
それ以上に気持ちがはちきれそうなくらいに満たされた。


やすくんとのことも少し話した。
あーもんどと話しながら、やすくんのことを思った。
いつもと違う新鮮な気分で、やすくんのことを思うことが出来た。
これもいいことだな。


ありがとね、あーもんど。


2003年10月18日(土) 成長。

これから、働いていた時からの友達あーもんど(あーもんどについてはコチラ)
会って来ます。
私が引っ越してからはずっとメールのやり取りをしていただけだけど
どっちかが落ち込むとどっちかが励ます様なことが多かった。
時には、率直な意見を言いあったりもしたけど
後に引かないさっぱりとした関係。



最後にあったのは1年半以上前。
あの時は仕事も辞めたてだったから、ほとんどが職場の話で終わっていたけど
今日はいったいどんな話しが出来るのか、ちょっと楽しみ。
1年半の間に色々な変化があった。
あーもんどは転勤になり、
話を聞いてるだけでむかむかするような上司の下で、七転八倒しながらがんばってる。
私は結婚し、お腹に赤ちゃんが宿り、お店をはじめた。
環境や状況が全く変わってしまった私達だけど
考え方や、もがき方の根っこがきっと似てるんだろうと思う。
たぶん。


あーもんどが一生懸命がんばってるってのがよくわかるだけに
今回の再会が嬉しくもあり、ちょっぴり緊張感もある。
友達だけど、ある意味ライバルで
「なあんだ」って思われたくないから。


かっこつけていいことばっかり言うつもりはないけど
言葉や表情やかもし出す雰囲気で
「あ、この人もがんばってるんだわ」って
あーもんどに思ってもらえるようなら嬉しい。
そしてわたしも、
久々のあーもんどを見て
「やっぱり、この人すごいわ」って
思えたら嬉しい。




さて、そろそろお迎えが来ます。
どうなりますことやら。


2003年10月16日(木) 金木犀。

なんだか更新の仕方を間違えたらしく、昨日と今日同じ日記をアップしちゃいました(恥)
暇に任せて(笑)再更新しますね^^


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実家での生活は、やっぱり気楽だ。
言いたいことも、ここでは我慢せず言うことが出来るし。

そのせいなのか、それともこれまでが忙しくてなかなか気づかなかったのか
昨日の夜から、「光」←詳しくはコチラが良く動く。
お腹の上に手を当ててもよくわかるくらい、はっきり。

「ここが私が育った街なの」

そんなことを話し掛けながらのんびり散歩をしたり、家事を手伝ったりする。


あんなにひどく悩んでいた、色々なことも
遠く離れてしまえば、なんだか面白おかしく思えてくるから不思議。
大変だと言うことはよくわかってるけど、ここで考えると見えなかったことまで良くわかるような気になる。

母に頼まれた買い物をするために出かけた帰り、
懐かしい通学路を通った。
ちょうど下校時間だったらしく
大きなランドセルをしょった小さな小学生達が数人で前を歩いていた。

金網を木の枝でたたきながら歩く子、友達とふざけあいながら歩く子
そんな友達をお母さんのように注意する子。
あんなふうに自分もこの道を歩いていたんだなあってしみじみ思った。

途中で金木犀が優しく香った。
「あ!金木犀の匂いがする!」
小さな女の子が、香りのする方向に走った。
私も、小さい時香りをたどって、この木を見上げたことがあったっけ。


子ども達を見ながら自分の幼い頃を思い出していくと、
知らず知らずのうちに歳を重ねてしまったことや
大人になった分色々背負い込んで凝り固まってた心に気づいた。

忙しくて、追い詰められてバタバタすればするほど
視界が狭くなって、結局大切なものを見落としてしまうのかもしれないと思った。
もし、お店でのごたごたを引きずったままこの金木犀の脇を通っても
そんな懐かしい思い出も、もしかしたらこの香りにもすら気づけなかったかもしれない。

ここで、自分の心をニュートラルに戻して、
エネルギーを一杯溜め込んで
やすくんの元に帰って、心底笑って話せることが
もしかして、遠く離れた私に出来ることなのかも。


そろそろ店が開店する。
気にはなるけど、やすくんがいるんだから大丈夫。


2003年10月15日(水) あったかい。

昨日の晩、
私はやすくんに
「帰るの、やっぱり来週まで延ばすよ」
と告げた。

やすくんはいつもと同じ笑顔で私の言葉を聞いてくれた。
しばらく考えた後、

「いや、やっぱり明日行ってきな」

と、優しく、でもきっぱりと答えた。


まだ落ち着かないこの状況から一人離れるわけに行かないといい続ける私に

「大丈夫。俺、どうにかするから」

と、笑顔ではあったけど、強い目で私にそれだけ言った。



朝。

いつもより早く起きて、駅まで向かう。
いろいろ言っておきたいことがあったんだけど
お店の事、家族の事に対する不安と
しばらく離れ離れになる寂しさがごちゃごちゃになって
なかなか言葉が出ない。
やすくんは、私を送った後ゴルフに出かけることにしていたので
「楽しみだなあ」なんていってるんだけど
その後の言葉がお互い続かない。

やすくんの電話が鳴る。

ちょっと前までお世話になってた会社の先輩。
近況を報告したり、会社の様子を聞いたりしている間に
駅についてしまった。


電話を切るに切れないやすくん。
私は一人で荷物を降ろし、笑って手をふって
小さな声で「いってくるね」と言った。
やすくんは電話で話しながら
「ごめん。気をつけて」と
声を出さず口だけをそう動かした。



ちゃんと見送ってもらえなかったのは寂しかったけど
ちゃんと見送ってもらっちゃったら、きっともっと寂しいだろう。
そう思うと、突然の先輩からの電話がありがたかった。

新幹線がホームに入ってきて、そろそろ乗り込もうかと言う時に電話が鳴った。

やすくんだ。

さっきの事を謝った後、
私が口をはさめないくらい次々にやすくんが言葉を繋げた。
「無理せずに、なんかあったら途中で降りて休みなよ」
「途中で気分が悪くなったら、近くの人に助けてもらいなよ」
「階段は端をゆっくり下りていきなよ。転んだら大変なんだから」
「こっちの事は心配しないで、思いっきりリフレッシュしておいで」
「ききはこっちにいる間ずっと、回りのことばっかり考えてたんだから
 この1週間は自分のためにゆっくり過ごすんだぞ」

・・・ここには書ききれないほど、本当に次々と。

私はただ「うん」「うん」としか言えなかった。
次から次へと出てくる言葉からやすくんの思いがどんどん伝わってくる。
こんな風に色々なことを言ってくれたことはなかったから、余計。
鼻の奥がツーンとしてきて、涙で視界がぼやけて来て
途中から何もいえなくなってしまった。

「・・・きき?」

ようやく、やすくんが私の様子に気づいて、声をかけてくる。

「・・・わかったから。私は大丈夫」

思ったように声が出なくて、かすれたような声でそれだけ言った。


「色々大変な時に、ごめんね」

そう言ったときに、涙が思わずこぼれた。

「一緒にいたらそうでもないのに、ちょっと離れると心配になるんだよ。
 でも、こっちは大丈夫。自分の体だけを大切にするんだぞ」

耳からやすくんの声が体中に流れて、なんだかあったかい気分になる。


ごめんね。
いってくるね。

新幹線の旅は楽しかったし
途中で買った駅弁は美味しかったし
懐かしい風景を見るのはやっぱり嬉しかったし
そして、やすくんがそんな時に隣にいないのはやっぱり寂しかったけど

今も心はあったかいまま。

やすくんの言葉が胸で響いてるから。


2003年10月14日(火) 光。

昨日は全然眠れなかった。
うとうとしては、昨日起きたいろいろな出来事がフラッシュバックして
ハッと目が覚める。
その、繰り返し。

隣で眠っているやすくんの顔は
いつも以上に疲れた様子だ。




結局、日の出とほぼ同じころに1人で布団から起き出して
一応出発の準備を進めた。



やっぱり、今のままじゃここを離れられないから。
やすくんの気持ちはうれしかったけど
自分たちの店の大変なときに
ここを離れるわけにはいかない。



気持ちとしてはほぼ残ることに決めているのだけど
なんとなく落ち着かなくて荷造りをしたり
仕事の段取りを付けたりしていた。








・・・なんともいえない不思議な感覚がおなかの中でする。


胎動。


私も大変だけど、お腹の中のこの子も今一生懸命がんばってるんだ。
そう思うと、こんな毎日を過ごしてしまっている自分のことを
少し反省してしまう。


何かの雑誌で、
「お腹の中にいるときに、仮の名前をつけて話しかけてあげましょう」
見たいな事が書かれていたことを思い出した。

同時に、
やすくんが高校生のときの恩師の好きだったという言葉を思い出した。

「苦の中に光あり」

今私たちはとっても辛い中にいるけど
ここで逃げず、投げ出さず真正面から向かっていけば
必ず何か得るものがあるはず。
そして、
私のお腹で育っているこの子もまた今の私たちにとっては光なんだ。

そう思った。

大変だ、とか
どうしよう、とか
冷静に考えても答えがなかなか見つからない問題にぶつかって
こんなことしか言えない状況の今

お腹の中の子どもの名前を考えたなんていったら笑われちゃうけど
私にとっての「光」を大切に守りたいと思った。


「光」と名づけました。


・・・お腹の中にいる期間限定だけどね(笑)


2003年10月13日(月) そばにいられなくて、ごめんね。

今日は、いろいろなことがありすぎて
どう日記に書き記していいのかわからないほどだけど。

とにかく、私は久しぶりに悔し涙を流して頭を抱えたし
やすくんは、私が知っている限り初めて
人の目を気にせず、大きな声で口論していた。


頭の中は意外と冷静に事の顛末を受け止めていて
これからどうしたらよい方向へ進んでいくのかを考え始めようとするのだけど
理屈や常識が通用しない状態の相手に
いったいどうやって納得してもらうのか
そして、彼らが言ってることを納得するにはどんな話し合いをしたらいいのか

いつもそこで思考が袋小路に迷い込んでしまって先に進まない。




「家族喧嘩」という言葉では、もうくくれないほどの現状。




やすくんは、きっと今までで一番大きな壁にぶつかっている。
「親」と「仕事」、「新」と「旧」
その間に挟まれて悩んでる。



そんなときに、私は実家に帰らなくちゃいけない。
ううん、本当は「いけない」んじゃない。
まだ、間に合う。
来月でも、ううん、せめてこの状態が落ち着くまで
こっちにいたいと思ってる。
でも、一番辛いときにせめてそばにいたいと思っていた
私の気持ちを知ってか知らずか、
「今、とにかく子供と体のことを考えて」
と、
水曜日に帰る段取りをつけてくれたやすくん。


ごめん。

ごめんね。


一番辛いときなのに


今が一番大変なときなのに


そばにいてあげられなくてごめん。


気がきいた言葉をかけてあげられなくてごめん。


やすくんの支えになれなくてごめんね。














明日目が覚めて、

せめて、心に重くのしかかってるこの問題の

たった一つでも解決していればいいのに。





そんなことを今願っています。


2003年10月11日(土) 自然と、涙が。

来週、一人で実家に帰ります。



やすくんと喧嘩したとか、そういう深刻な理由ではなく(笑)
里帰り出産をしようと思っているから。
まだまだ予定日には程遠いのだけど、
向こうのお医者さんから「一度来てください」といわれたので。


本当は一人じゃなく、二人で帰りたいけど
そう何日もお店を休めるほど余裕がないので、やすくんは一人で留守番。



私がいない間、私がしていた仕事は
手伝いに来てくれてる人たちと、やすくんでやってもらう。
たいした仕事はしていないつもりだったけど
会計だの、メニュー作りだの、一人でやってた仕事が意外とあって
時間を見つけては担当してもらう人に話をしている。



夜。
実家の母から電話があった。

少し話した後、いつもどおりやすくんと代わる。


どんな話をしていたのか、よくはわからないけど
やすくんは
「もう、12月にはいないものだと思ってますから」

といった。


私は今のことをこなすだけで精一杯だけど、
やすくんはもうそんなことを考えながら仕事をしてるんだなあ、
私のことをそんなに考えてくれてるんだなあ、
ってことと

また、しばらくはなればなれに暮らすんだなあということを
思った。


私が今みんなにお願いしていることは
この1週間のことだけではなく
これから先の数ヶ月間、仕事とやすくんのそばを離れるためなんだ。

思えば、

今回1人で帰省する間に
やすくんの誕生日がやってくる。
一緒にお祝いすることができない。


そして、
また今年も別々の場所で1年を終えることになる。







なんだろう。
やすくんが私のほうを見ながら笑顔で話をしている様子を見ていたら

自然と涙が出てきた。

楽しそうに話をしていたやすくんは
ちょっと驚いて、電話を切った後

「どうした?」

ってきいてきた。




なんでもない。

なんでもない。

そういうだけが精一杯だったけど


なんだか、自分でもどうすることもできない涙が
次々とこぼれた。



たかが数ヶ月。
されど、数ヶ月。



こんなに一緒にいても、私は
一緒にいられない時間を思うと
まだ、なみだがこぼれてしまうようです。


2003年10月08日(水) 必要とされる人になりたい。

昨日、私たちの店に来てくれたあるお客さんが
帰りがけ見送りに出てきたやすくんに

「あなたの料理はどれも大変すばらしい。美味しかったです。ありがとう」

と、握手を求めながらそう言った。




ふふ。なんだか、自分がほめられたみたいで嬉しい。




お店が始まって約1ヶ月。
毎日盛況というわけではないけれど
「美味しいもの」を食べに、通ってくれるお客さんが増えた。

やすくんは
「俺はまだまだだから」
と、言うけれど、やすくんが生み出す料理がお客さんたちを
呼び込んでいるんだなあと思うと
なんだか、今まで思ってきた以上に「すごい人だなあ」と感じてる。



私はといえば。

接客業は初めてで毎日緊張と反省の繰り返し。
大きな失敗はこれまでしてないし、私の接客をほめてくださるお客さんもいるけど
私からしてみれば、「まだまだ」で
「素人に毛が生えた程度です」ってな感じ。
やすくんの作り出す料理に釣合うことまでできてない。




はやく、やすくんのレベルに追いつきたいなあ



お客さんが笑顔でやすくんに声をかける姿を見て
初めてそう思った。



「結婚しても女として見られたい」なんて言う。
おしゃれしたり、スタイルを維持したり、お化粧に気をつけたり。
そういうことも大切なのかもしれないけど、
私にとっては、それ以上に

「ききがいてくれてよかった」と

やすくんにいつまでも思ってもらえるような存在でいることが
一番大切なんじゃないかなと思う。





普段、おしゃれもお化粧もあまり気を使わない私が
いきなり雑誌から出てきたような格好でやすくんの前に立ったら
笑われるだろうしね(恥)


2003年10月04日(土) ふたつの 命。

最近、眠る前のほんのわずかな時間
携帯からエンピツの日記を読むことが多い。

そのときの気分でキーワード検索して
その中のいくつかをほんのわずか。

眠りに落ちかけてるときに読む感じだから
前日に誰のどんな日記を読んだか、ってことを覚えていられなくて
続きが気になっても読めないことが多いのが難点だけど
雑誌のコラムを読むような軽い気持ちで目を通せるのがいい。




昨日も眠る前に日記を読んだ。

なんというキーワードで検索したかさえ覚えていないから
もう二度とその日記を読むことはできないんだけど
内容が深く心に刺さった。








私とほぼ同じ時期、新しい命を宿して

私の誕生日に、その命を別れを告げた人。





その日記作者さんのことを知る手立てが何一つない今
詳しくその日記の内容について語ることはできないけれど


なんだか、すごくショックだった。

その作家さんは、その命をとてもいとおしく思っていて
最後の最後まで愛していたようだけど
どうにもならない理由があって、別れを告げた。
そして、そのことで今もずっと心に重い荷物を背負っている。
・・・みたいだ。




堕胎は許されない、とか、殺人だ、とか
そういうことをいいたいわけじゃない。
かといって、賛成もできないけど。


今私の中で、はっきり「我が子」と意識できるこの子と
ほぼ同じ時期に誕生していた命。
その片方は、着々と誕生に向けて成長を続けていて
もう片方はもう、この世には存在しない。
そう思ったら
ものすごく寂しかった。悲しかった。




・・・・・・・・・・・・・なんだか、これ以上書き進めることができないけど

私は、精一杯この子を大切にしていきたいと思います。
生きて、生き抜けるように。
















2003年10月01日(水) 夢のような休日。

最近の私たちは、
休みとなるとどこかに行かなきゃ、っていう
強迫観念みたいなのに襲われてる。

1週間缶詰状態でお店にいるんだから、
そうなっちゃうのも当然といえば当然なのかな。

「明日は、久々に家でゆっくりしようよ」

午前2時過ぎ、休日前の大掃除を終えて夜食を食べながらやすくんが言った。

外にいかれないのはちょっと残念だったけど、確かに最近の睡眠不足は否めないから
その言葉に賛成する。







水曜日、午前9時。

「きき、そろそろ起きなよ」

休みの日というのに、珍しくやすくんが先に起きてそういった。
ゆっくりしようといってたのに、なんだろう?
そう思いながら、ダラダラと服を着替え髪を整えた。

「やっぱり、ちょっと外へ行こうよ」

車に乗り込み、どこへ行くでもなく発進した。
「どこへ行くの?」

「いや、どこって言うことはないんだけど」

まだ半分眠ったままの私。目の前の景色をボーっと眺めていた。

数十分後、高速に乗った。

「どこへ行くの?」
「いや、どこってことはないんだけど。どこかいきたいところはある?」
「別にこれといってないんだけど・・」

そういいつつ車を南に走らせるやすくん。









ついたのは。

私が前から「いつか行きたいね」と話していた水族館。
マグロが回遊している様子が見られるというその水族館は
私たちの家から、高速に乗ったとしても3時間はかかる。
行けない距離ではないけど、毎日睡眠不足の私たちには
ちょっと辛いかなあと思っていた。

のに。



「きき、いつか行きたいって言ってたでしょう?
 それとも、今日は嫌だった?」



そういうやすくんの顔を見ると、
いつもと違う笑顔でこっちを見てた。
照れたような、そんな顔。
なんだかすごく幸せだった。


以前から何度も書いているけど、
やすくんはキザな台詞やロマンチックなシチュエーションとか
おしゃれなプレゼントとか、
とにかく、そういうこと全般がものすごく苦手な人だ。
苦手、というよりそういうことを考える事をまずしない人。

なのに時々、こんなびっくりするようなことをしてくれる。

普段そういうことをしてくれないだけに、よりいっそう
私の中の喜びが膨らむ。それがうれしい。



・・・この話が落ちがあって
せっかくつれてきてもらった水族館は、水曜定休日でお休み。
ちょっと残念だったけど、
その後更に「じゃあ、ディズニーシーに行こう」なんて
更に素敵な予定変更があった。












ありがとね。



きき MAIL

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