シオの日記

2007年04月20日(金) なぜ?誰かのため

「誰のために生きているのか?」

なぜだかいろんな人から、同音異語を聞く。
単語ではないので、「語」ではないのかも。
まあ、そのへんはよしとして。

なぜ、人は「誰かのため」という
理由をつけようとするのか。
単純でわかりやすく、
考えなくて済むし、
怒りの矛先も、喜びの分かち合いも、
そこに向けられるからか。

あまりに単純すぎて、
自分の中では抵抗があるくらいだ。

私は、誰かのために生きていたくない。
少なくとも、私は母のために生まれ、
母のために育ち、母の希望通りの道を通ってきた。
たとえ、私が自主的に選んだと言っても、
母が用意したいくつかの道の一つを
選択したまでなのだ。

だから、大半の子供の時間は
結局のところ、親のために生きてきた。

しかし、親元を離れ、親のためではない
自分の力で生きていけるとなると、
誰かのため、という安直な理由を求めたがるような気がする。

ひどい言い様なのかもしれない。

でも、なぜ、

「自分のために生きている」

と、自信を持っていえないのだろうか。

貴方のために何かをしようと思う、
自分のため、という理由じゃダメなのか?
何よりも自由であるための、自分のためという理由が
何よりも好きだし、自立していて
すごくかっこいいと思ってしまうのだ。

一人でいる時間を苦痛に思う人がいる。
彼女が欲しい、彼氏が欲しい。
でも、この人じゃダメ、あの人じゃダメ。
そんな風にいうならば、なぜ一人が苦痛に感じるような
生き方をしているんだ。

一人になろうとしているわけではないと思うが、
でも、結局自己卑下するだけでは
何も始まらないし、それだけ自分を批判できるなら
それをなぜ改善しようとしない。

改善しようとする気がないからか。

ガラスの心臓を持っているなら、
壊れやすいガラスを守る何かを持てばいい。
強化ガラスの心臓にでもすればいい。
心臓に毛が生えているというならば、
丁寧に櫛ででも梳いて、キレイにしたらいい。

自分の魅力を最大限に見つければいい。
方法は、わからなければ、探せばいい。
そんな風に思うのは、自分が安全地帯にいるからか?

年を取るのがイヤだ、と人は言う。
けれど、私は年を取ることがイヤではない。
それだけの経験をしてきていて、
それだけの貫禄がついてきて、
老化と言ってしまえば言葉はすごくイヤな感じだが、
素敵な年を重ねるのは、努力の末の、より輝ける自分があるから。

貴方がいるから、より輝けるというなら
それは素敵だと思う。
でも、貴方だけの輝き、があるはず。
それに気づいているかしら?

誰かじゃなくて、自分のための素敵な時間を過ごせばいい。
そう思えてしまうのは、私が冷たいせいか。
私が強いせいか。弱いせいか。

すべてを放棄して、一人になっても
生きていける自信があるからか。
仕事がすでに、誰かのための仕事だからか。

驕りなのだろうか。
自分の中の弱いところをつつかれているようで、
気分がよくないのだろうか。

最近回りで続く言葉だったので、
ふと、思った。


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2007年04月10日(火) 場所的厄年?どん底の気持ちって

先輩が妊娠して、だけど、出血してしまって
安静のために入院となった。

さらに、もう一人他の先輩が
十二指腸潰瘍でダウン。
入院となった。

うちの部署、厄年なんじゃない?って。
場所に厄年なんてあるのかしら(苦笑)

確かに、ぎりぎりの人数で、
代わりの人っていないんですよね。
当たり前だけど、病欠とかあり得ないです。
病気を押して、出勤して、
途中ダウンも以前一回だけありましたが、
それ以外はほとんどなし。

他の職場だったら、病欠とかちょっとしたことで
休みが取れたり、早引き?定時で終わるとか、
自分の力量次第で仕事を明日に回すとか
ある程度なんとでもなる。
ほかの人に以来しても、
また次の日に挽回するとか、なんとでもなる。

うちの部署はなんともならない!!
当然ですが、余裕を持った人員配置なんて存在しない。
自分の役割くらい、代わりがいるや、とも思いますが、
結局人数がいないから、自分の代わりに
誰かが仕事をするってことになると、
その人の仕事量や勤務日が異常に多くなる。
結局、職場が悪いと一言で片付けることもできるが、
かといって、じゃあ職場を変えたら改善するか?
きっとどこも一緒だ・・・

そして、そんなギリギリのギリギリの中、
悲しいニュースが。
出血が続いていた先輩。
結局ダメだったみたい。
待望だったのに。
期待させて、そこから失望させるのって、
期待させた分、やっぱり落ち込むというか
悲しい気持ちは倍増する気がする。

どうしたらいいかわからない。

大好きな先輩。
ついつい、無理をしてしまう先輩。
きっと元気な顔をして、休んだことを謝って、
自分の気持ちを押し殺して、職場に復帰するだろう。
私は、どんな顔をしたらいいかわからない。
どんな声をかけたらいいか、わからない。

先輩が好きだというお菓子の差し入れがあった。
ふと、思い立って一つだけ持って、
先輩に渡してください、と
先輩が入院している病棟のスタッフに手渡した。

お菓子が大好きな先輩が、
たくさんお菓子を食べようと思うくらい
元気になってくれるように、と思って。
きっと、誰かに会ったり話したりするのは
苦痛なんじゃないかな。
無理しちゃうんじゃないかな。

どん底の気持ちってどうなんだろう。
ある程度覚悟できてたかな。
淡い期待をしてなかったかな。
早く欲しいって言ってたのに。

あっけらかんと生きている自分だから、
いざ、そういう辛い場面に対面したときに、
その人に対して、どう接したらいいか。
生きてきた年月がまだまだ短いんだよね、きっと。
経験が足りないんだよね、きっと。

複雑な気持ちで、また仕事です。


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2007年04月08日(日) 先輩なんだぁ〜:不思議な感覚

4月から新人が入ってきました。
プリセプターと言って、新人教育係になりました。
一人につき一人を受け持つ形で、
うちの病院は技術面などでももちろんですが、
精神的なサポートも必要だってことで、
どちらかというとそちらに重点を置いている。
現場と学生の時の考え方のギャップ。
時間の流れにうまく乗れないこととか、
スタッフ間の交流とか。

その辺をスムーズにやるようにするのが
プリセプターであり、先輩である私の仕事。

しかし、自主性を持って自分で考えてやっているのか、
私が修正して、誘導したまま動いているから動けているのか
若干わかりづらいところがあって・・・
ちょっと心配。

それに、考えかたって、一つではない。
申し送り一つにしたって、
検温すること一つ取ったって、
当たり前だけど、やり方も考え方も
基本は同じだけど、人によって千差万別。
私のやり方が、やりやすいかと言われたら
相手にとってやりやすいかはまた別だし、
むむむ・・・。

点滴もスムーズにたまたまうまく行ったので
めちゃめちゃ尊敬の眼差し送られて、
ちょっと戸惑い。
「シオさんでも採血とか失敗することあるんですか?」
なんて言われて、当然だよ〜!
絶対に失敗しないなんて、そんなスーパーテクあれば
ぜひ伝授して欲しいっす。
でも、そんな風に思われるんだなぁ。
そういえば、私も新人のとき、先輩って神様みたいに
何でもできる人のイメージがあったなぁとか。

そして、自分が辛く当たられたから、
何回も言ってあげるのが

「人間だもの。間違えて当たり前。
初めてのことだもの、できなくて当たり前。
間違えたら、ほかの人はどうして間違えないようにしているか、
どうしたら間違えないように自分で工夫できるか、がポイント。
いろんな人の意見を聞いて、自分が一番いい方法で、
どうやって間違えないようにするか、が大事。
できなくて当たり前。わからなくて当たり前。
何回だってやって、何回だって聞いて。
勉強は後からちゃんとついてくるから」
自信がつくまでずっと一緒、とは言えないのが申し訳ないけど、
本人にも、「どう?」って聞いて、
「大丈夫だと思うけど、もう一回みて、
ひとり立ちにしようか」、とか声かけて、
次で見てもらえるのは、最後だ!って意識をしてもらって。

まだまだ新人教育駆け出し。
今日も、お疲れ様でした〜
また明日。


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