シオの日記

2006年12月31日(日) よい年を

行く年
  来る年

なんだかんだあった年

 なんだかんだ片付く年?
   ・・・片付け「たい」年・・・

一歩一歩。
道は進んだ後にできている。
自分のペースで。

自分が満足するように。
みんなが幸せになるように。

祈りながら。

よい年を


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2006年12月30日(土) ひと仕事

物事には踏まなければならないステップがあって、
取りあえず一段、進みました。
のんびりかもしれないけど、それが私のペースだってことで、
周りなんて気にするな。
いつだって自分はイレギュラーだったのだから。
いつだって、イレギュラーであることを求められている気になって、
進んでイレギュラーであることを望んだことも、あったり。
そう望んだことが、意外とイレギュラーでもなんでもない自分に
焦ってみたり。

イレギュラーな環境におかれても、
レギュラーなコースをたどりたいと思う気持ちもある。
何事も「普通」「一般的」というのは無難で楽だ。
しかし、個性という意味では全くもって
レギュラーでは現れず、イレギュラーであることが輝く。

でも、結局は、レギュラーな自分は
イレギュラーな存在を憧れながら、
イレギュラーっちっくだけれど、イレギュラーになりきれず、
曖昧な存在。

それでも一般的なレギュラーコースを慎重に進んでいくのも、
イレギュラーな茨の獣道を進むのも、
結局は労力がいるわけで。

どっちの道だったか、は終わって振り返ったときに初めて知ったり
することもあるけれど、
取りあえず、一歩進んだ。

お疲れ、自分


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2006年12月26日(火) 心配

みんなが幸せなら、きっと自分も幸せになれる。

もしかしたら、逆もありえるかもしれないけれど。

でもね、誰かが不幸だなって思ったら
どことなく、なんとなく気がかりになる。

みんなが幸せならいいのに。
誰もがなんの心配もなく、誰の心配もせず
みんなが大丈夫ならいいのに。

常々、それを思う。

自分だけ、安全なところにいる自分が、
時々怖くなる。
自分も同じ暗闇に、もしかしたら陥るかもしれないのに、という、
変な不安感とともに。

人を憎むことは疲れる。
とてもエネルギーの要ることだ。

憎むくらいなら、放っておけばいいのに。

知らない人ならいいのに。

文句を言って、終了ならいいのに。

自分の周りのごたごたは、知らない振りをしていても
進んでいくとは思う。
けれど、どうしたって自分も絡んでくる。
他人ではないから。

一番かわいそうなのは自分。
一番大変なのは自分。

本当の被害者は誰?

周りのことを考えて、
冷静になって、
他人に責任を擦り付けるとか、そういうことをやめて、
いったん考えて。


子供は親が守る時代は終わったのかな〜って思う。
年齢が子供じゃないからって親でなくなるわけでもないのに。


やさしいね、って言われた。
周りのことを考えてて、やさしいねって。

違う、自分が安心したいだけ。
結局、自己中心的な大人になった自分がいた。
きっとキレイ事を並べて満足している自分がいるんだ。

不安と心配は尽きない。

空白の時間がただただ、過ぎていく。


穏やかに生きていたいだけなのに。
波乱万丈の生活はイヤなのに。

不安と心配は尽きない。

空白の時間がただただ、過ぎていく。


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2006年12月01日(金) 職業病?

今の職場ほど、生死について考える職場はないと思う。
病院。
特殊な空間。
特殊な機関。
特殊な空気。

もしも、親に何かあったら。
もしも、自分に何かあったら。
もしも。

最悪の事態があったら。

そんなこと、あんまり自分の親と話さないかな。
自分の親族、自分の関係者に言わないかな。
もしも、最悪の事態のときは、なんて。

でもね、『その時』って不意にくるもので。
『その時』を受け入れられない人も多いもので。
『その時』に呆然とするしかない人も多くて。
私たちもできるだけ早めに、できるだけ安楽に。
苦しまずに。
誰もが思うことを、私も思っているつもりだ。

『その時』をいたずらに伸ばそうとする人もいる。
『その時』を見たくないがために。
『その時』の判断をしたくないがために。

でもね。
人間、生まれた瞬間からこの先何年後かはわからないが、
死ぬことも決まっている。
長いか短いかはわからない。
本人が長いと思えば長いし、短いと思えば短い。
そんなものだ。

だから、否定も、目を瞑ることも、受け入れ拒否も
してもいい。
けれど、いずれは肯定し、受け入れをしなければ
自分も、相手も進むことができない。

相手が望むことを察して提供する、ということは難しい。
けれど、こんなになってまで、「生きている」ことにこだわる?

呼吸をさせられ
心臓に鞭を打って動かされ
ただ、そこに存在している「生きている」ことに。

先生?

本当に、その人は、そこまですることを、望んでいた?

切ないし、悲しいし、辛い。

でも、そこに私たちは存在する。


存在する。


遠い親戚より、ずっと。


私の考え方は、甘いのかもしれない。
キレイ事かもしれない。
でも、考えているよ。
この状態は、貴方にとって、最善策?
最良の状態?
安楽な状態?

いかにして「生きている」か。

選択は難しいと思う。
非情な決断が必要とされることもあると思う。
けれど。
本当の意味で「生きている」時間を。
「生きている」意義を。
その人が存在ている大切さを、わかっての判断を
くだしてほしい。


こんなことを、日々思うのは、職業病だよな、なんて思いながら。
こんな形でしか抗議の声をあげられない考え方の違いと非力さに
ため息を吐いて、また明日。


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