シオの日記

2002年11月29日(金) 年内実習終了!〜訪問看護〜

年内実習終了、とはいうものの、
まだ演習は残ってるし、年明けに最大の関門が二つ。。。
・・・今までの実習が実習だっただけに心配。


さて、訪問看護実習でした。
一週間の。
さり気に、訪問じゃなかったです
むしろデイケアの実習で。
それも精神の

ええ、別にいいですけどね。
先生がちゃんと状況を理解してくれてたら

私たちは一応『訪問の』実習ということを
すごく頭に置いて実習に望んでいて、
まあ、デイケアの実習とほかならないものではあったけれど、
でも敢えて訪問の実習先として選ばれたのだから
訪問の実習を行ったと思って実習に行きましたのよ?
でも、先生はどうもデイケアの実習として
報告が欲しかったの?
ねえ?
ちょっとおかしいんじゃないの?????(プチ怒)

いえね、担当の先生は当然のことながら状況を知っているから
わかるんですけど、なんというか、その所謂教授?(ニッコリ)

まあ。怒ってもしかたないから、もういいや(毒吐きで満足)

やっぱり実習として、実地にの雰囲気を知るってのは大きいです。
知識としてわかっていても、じゃあできるか?と言ったら
全くできないのが現状。
その時パニクって頭の中が真っ白になって、
でも、後になってゆっくり考えたら、
「ああ、ああしたらよかったんだ」と。
それは例えば声の掛け方一つとったって
何気ない質問一つ取ったって。

でも、それって経験なんだよね。
経験していくことで身につくんだよね。
記録が書けるとか書けないとかの問題じゃなくて

私はすごく精神科の看護に対して興味を持っていて、
でもじゃあ出来るか、といわれたら難しいけど、
面白いと思うんです。

基本的に人間って面白いって思う。
面白いって言葉はいけないのかもしれないけど


看護師を目指して学校に入ったけれど、
看護師の求められている場所って病院だけじゃなくて
例えばデイケアセンターだったり、訪問看護ステーションだったり
相手も年の人だったり、若い人だったり、子どもだったり、
妊婦だったり、褥婦だったり、産婦だったり、
状態が悪い人だったり、回復中の人だったり、
まだまだ長い経過を見ていかなければならないひとだったり。


奥が深い。


その言葉が似合う気がする。

母親が「看護が学問として成り立っていくのがわかる気がする」
との発言が聞けた。
ただ、医者の言うこと聞いてるだけじゃやっていけない。
患者さんで麻酔医がいたが、その人も
「医学生は嫌がられるけど看護学生は歓迎されるのがわかった」
との発言がいただけた学生がいた。

看護師の必要性がわからないと言われる。
みんな専門職に変えてしまえばいいと。
じゃあ、専門職人が専門分野で必要なことを挙げて教えてみましょう。
できる?
もちろんできるでしょう。
でも、続けられるか?
評価は誰がするの?
一人でできるの?
生活の中に組み込める?

看護って何?って聞かれたとき、簡潔に答えられるまでは至っていない。
でも、看護、というは日常生活と密接に関係していると思う。
もっと身近で、もっと専門的。

ホントは、看護師になることはすごく自分の可能性を
狭めてしまうことでもあると思っていた。
病院とか特殊な場所でしか仕事が出来ないんだと思った。
白衣はその象徴。
でも、白衣のない看護師がいる。
圧倒的に白衣の看護師が多いけれど。
看護の広さが見えてきた。
それだけでも自分にとっての収穫だろう。

まだ、広い世界でたった一部を垣間見ただけで
ましてや知っている世界なんて本当に限られているから。
看護の道を選んでよかった。
そう思う自分が今、良かったと思う。


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2002年11月23日(土) 精神看護学実習、終了v

え〜、先日終了宣言をいたしました、精神看護学実習です。

さて、やはりここで一つ皆様にどうしても
投げかけなくてはならない陳腐な質問を一つ。


Q:精神病患者についてのイメージは?


はっきり言って、私の場合、
実習に行く前と行った後のイメージ
変わりませんでした


どうも、怖い、と思う人が多いようだ。と思う。
親もなんだか知らないが、そのような偏見を持っている。
しかし、私は怖いだなんて思ったことない。
それはそれは新聞を騒がせたりすることもあるが、
じゃあなんだ、精神病患者の病状がそれなのか?
まあ、盗癖がある人とか、衝動性が高い人は
それなりに問題が大きいと思う。

しかし、じゃあ、ただ単にひたすら緊張のために
誇大妄想(自分は有名人の知り合いだとかetc)を言う人は?
ただ単に自分は病気だと思い込んでいるだけの人は?
自傷他害をするのはごく一部。
刺激の多い社会では生きていられないだけの。


私の最初のイメージは
『自分を上手く守ることのできない人』
そう、アンケートに答えた。
実際、そうだったと思う。
病気に逃げてしまえるのは楽だと思う。けれど。
彼らは彼らなりに闘っているから。きっと。
自分を守ろうと、外敵から自分を必死で守ろうとしていたり、
怖くて怖くて仕方がなかったり、
どうしようもなく、一人だったり。

割と複雑な家族背景の人が多かったと感じる面も強かったが、
それは閉鎖病棟という特に重症患者さんがいるところだったからかもしれない。
・・・人生いろいろだなぁとは感じました。

ただ!

前の日記でも書いたように、臥床睡眠日数2日。
机でうたた寝とか、パソの前でうたた寝とか、
電車やバスでのうたた寝とかはあったけどね。
記録が大変で。
なんというか、コレといって何かやるわけではなくて。
目標を立てても曖昧で。
何かをできるとか、これができた、とか言える実習ではなくて。
すべてが曖昧でゆっくりで。
(例を挙げると、2年を掛けて、やっとその人の信頼を得て、
その一人だけのスタッフの人だけはその患者さんの荷物を触ることができるとか)

対象にしているものが
人間の性格とか、思考とか、
自我、願望、気分、情動、行動 etc

だから、何ができたか、とか。
何を変えたか、とか。
何をした、とか。
私には見えなくて。
自分は、何をしたのか?と。
毎日毎日わからなくて。
でも、最終日。あまりにもどうしようもなくて
友人や先生に聞いてみた。
そしたら、意外とみんな見ていてくれて。
ああ、そっか、そういうことしたな〜、
そんなことでいいんだ〜とか。

例えば、化粧一つ褒める事だって。
いつもと違う服一つを気づく事だって。

あまりに何気なくて
あまりに「フツウ」で。

フツウなんてわからないけれど。
数をかさに着た暴力なんて

一応ね、偏見が本当は違うよ、ってことを。
ものすごく管理されていることを。
心無い言葉をかける前に、人を傷つけていないかな?と
振り返られるように。
何気ない言葉が、暖かい救いにも、危険な武器にもなるということを。

人の心なんて、所詮わからないものだから。

A:少しでも考えたものが、胸の内に一つくらいはあることを願って。

精神看護学実習、終了。


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2002年11月21日(木) とりあえずお疲れ!自分!

精神看護学実習が終わりました。
正直なところ、結構楽しかったです。
きつかったのは記録だけ。
コレといって何をやったわけではなく、
ただフツーに、会話。
成立してた人もいたし、半分くらいしてなかった人もいたり。

とにかくいろいろ。
いろんな人と関われたかな、と。
受け持ち患者さん、結構引きこもってて;
代わりに(苦笑)

まあ、でも、きつかったです。
身体的に。
病院に行くのは楽しかったんですけど、
やっぱり記録が書けなくて。

11/11〜二週間(土日含めて)
まともにベッドで一時間以上の睡眠を取った日。

2日(内訳:先週の土曜日と2週目の火曜日)

人権のこととか、病気のこととか、
個別性だとか、必要性のこととか、
いっぱい考えたつもり。
どうしてこの人はこんなに制限されているのか?
何がこの人をこの病気にさせているのか?
どうしたらこの人を少しでもよくできるだろうか?
この人が日常生活をするためには何が必要か?

まだまとめのレポートを一点、出さなきゃいけない。
期限は来週までなので余裕はあるが、
とりあえず。

お疲れ、自分!


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2002年11月10日(日) 初心

『初心を忘れるな』

これは誰にでも言える言葉であると考える。
何事も初めての緊張感を
気合を、意気込みを、意欲を、
忘れないようにしたい。

何でも慣れてしまうとなあなあになってしまうことが多い。
仕事だって人間関係だって。

『親しき中にも礼儀あり』

だからこそこれが必要だと思う。


閑話休題


明日(11/11)から再び実習の日々が始まる。
実はこっそり楽しみにしている精神科実習。
怖いとかイヤだとか言う人が多いけれど、
一本の境界線を越えるか超えないかで
ここに入っている人か、入っていない人かが決まると思う。
自分はギリギリ、その線を越えなかった、と思っている。
どことなく親近感?わかる気がする、というところがある気がする

患者が怖いとか言う人が彼らの何を知っていて
怖いと思うのかはわからないが、
そうやって言うほうと言われるほうはきっと
背中合わせの表裏一体。


実は、精神科は直接生命に危険の及ぶことはないだろう、
という、甘い考えのもと行きそうな気がして、
自分をいかに戒めたらいいか、わからない。

だから。

『初心を忘れるな』

さあ、また実習頑張ろう。


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2002年11月09日(土) おせっかい

気に掛けてもらうのは好きで嫌い。
迷惑は掛けたくない。
でも、たまに、自分がちょっとだけ
余計なお世話かもしれないなんて思うところもありつつ
でも、それでもちょっとガンバレって思うとき。

自分でもおせっかいとか思うし、
自分がしてもらったらきっと「?」となるだろうし、
自分で何やってるんだろう?って思う。
思うけど、ガンバレって伝えるのって難しくて。

需要があるかなんてわからない
必要なら呼んでって言ったって呼べない性格だから
人の心なんて覗けないから
意外と頑張ってる自分に気づけない人もいるから
そういうときに頑張ってるねって言ってあげられたら

いつぞやか先生に言われた
「何かをしてあげようって思う必要はない」
正直なところできることなんてホントに僅かであったり
ひどい場合はできることなんて何もないと感じる

自分自身が十分ではないのに
誰かをなんとかできるだなんて思わないけど
届けたいなぁと思う言葉とか
聞いて欲しいなぁと思うこととか

時間も場所も状況もわからなくて
時間も場所も状況も違うから
見当違いのことを言っているかもしれない

ただいつも

頑張ってほしいなぁとか
頑張っているなぁとか
元気でいてほしいなぁとか
応援したいなぁとか

そうやって思うことを

一度言ってしまえば相手に届いて
それはおせっかいかもしれないから
臆病になっているけれど

頑張っているのはただ一人ではない
けれど
頑張っているのは貴方で
頑張ってるねって褒めてあげたいなと
思うことを許して欲しいなぁなんて思うのです。


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2002年11月07日(木) 眠ることについて

実習なか休みを満喫しているシオです。
なんというか、自堕落な生活している気にもなりつつ。。。(汗)

実は先日(11/6)父の誕生日でした。
何気にすっかり忘れていて(滝汗)
しかし誕生日プレゼントなるものはさり気にチェックしていたりして。
でもって、実はまだ買っていなかったり(おい)
友だちの誕生日プレゼントは嬉々として買いに行くくせに
身内となると手抜き・・・(汗)
いや、なんというか研究もしてないしねぇ〜
ま、いいや(ゑ)今日本にもいないし〜(海外出張中)
帰ってくるまでにはちゃんんとプレゼントも用意しますよv

ということで(?)今からちょっとお買い物v
いいものがあるといいけれど。


コレ以降ちょびっとダーク気味に。
凹んじゃいないけれど、思い出。




<続き>
そんな親不孝な?自分。
現在ホントに自堕落な生活だと思うのは
睡眠量の多さ。
寝ること自体は結構、かなり好きだったりする。
あのふわふわぬくぬくvvv
・・・一種の逃避だとも思うけれど。

だから一時期寝ることがイヤだと思いつつも
眠りこけていたりしたこともあった。
これが現実逃避。
特に教室での。
眠ってしまえばどうしても必要な連絡事項さえなければ
ある程度そっとしておいてもらえる。

起こさないで。視界に入らないで。
触らないで。聞かせないで。
関わらないで。近づかないで

女ばっかりの世界にいたから
自分の話ではなくても人の噂話は尽きないし
甲高い奇声を上げて話すのは今でも慣れない。
異常に高いテンションについて行く気にならないし
そっとしておいて欲しい。
休ませて。
そう思うと机に伏せて目を閉じているのが効果的と知った。

いつしかそうしたらすぐに夢の世界へ逃げる事を知った。
けれど、それでは何も。何の解決にもならない。
変わらない。
実際のところ何をしても逃げにしかならなかったけれど
最も時間経過の早いものとして一番に上がったのが眠ることになった。

年をとれば多少は人間、成長するもので。
自ずとそれを求める人と求めない人の差は激しかったものの
眠る時間は減った。

寝ることを一時的な逃避として利用していたから
眠りはそれなりに浅かった。
起こされたらすぐに起きた。
けれど、最近はそれがない。

眠ったらかなり眠ってしまうのだ。
熟睡。
目覚ましを掛けても勝手に止めてるし;
携帯は起きる時間の前後に3回鳴らしているのに気づかないし;
惰眠を貪るというのはこれかと思うほど。
しかし、これも逃避であるとしか思えないのだ。
何からの逃避か?
それはご想像にお任せしますが
一生掛けてもなくならないもの。
生きるために逃げることも必要だと思う。
が、睡眠時間はもう少し減らしたいかな。
とはいっても実習が始まれば睡眠時間を確保したいと言い出すが;
休めるのは、あと1日。
睡眠はよくも悪くも思考の停止もできるから。
ま、いい方に捕らえておきましょうか。

日々の生活が。刺激が。全くない世界などないから。


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2002年11月06日(水) 特徴・ナルシシズム・他者の鏡・自己認知

人にはそれぞれ特徴がある。
それは自分が気づいていることであったり
全く気づいてないことであったり。
意外と無意識でやっていることが
その人の癖だとか特徴だとかって言われるから
「特徴」と自分より他の人のほうが知っていたり。
自分の事は自分が一番知っているなんて
自分の事は自分で何とかできるなんて
自分の事は自分が一番鈍感だなんて


特徴ったって、総合的な雰囲気とか
意外と小さなことだったり、漠然としたことだったり
外からじゃなければわからないことが多かったり。

・・・最近は電車に乗ってる間中、
いや、もっと言えば電車を待ってるときからず〜〜〜〜〜〜っと
ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと鏡を見つづけるおねぇさんがいる。
たぶん、あれは「なるしすと」なんだと思う。

「ナルシシズム」って自己陶酔症って精神分析学で作り出した概念。
(↑辞書で調べたんで確認よろしくv)

あれはあれで、自分のことをよく見てると思う。
自分で自分の姿を眺めて何が楽しいかよくわからない。
逆に恥ずかしいとさえ思うが、そう言った感覚は
当然わかるはずもなく。
お近づきにはなりたくないな♪と思わせる程度には(汗)

しかし、自分のことをよく見てるから
そう言った外から見た自分、というものに敏感なのではないか?
とも思う。鏡に映った自分は自分を映している。
しかし、同時に逆なのだ。
つまり、鏡に映った自分というのは客観性を持ちつつも
全くの客観ではなく、自分から見た逆であって、
不思議に感じざるを得ない。

・・・自分で読んでいてもわかんなくなった;
・・・・・・つまり人が読んでもわかるわけがない。
・・・・・・・・・(諦め)(苦笑)

結局。
人から「貴方は〜ところが癖なんだろうね」と言われたのが
ひどく驚いたということで。

私は、多分自分本位な人間であり、
自分がよければいいや、という生き方を
敢えて選びたいと思った。
人と違うことを認識することと
「自分」という個体を一般と別物として考えろ、ということを
一時強いられていた時期があった。
実はわりと最近、そのことを家族の者から
聞かされて、そのせいなんだ、と気づいた。

「自分」や「自己」ということに対して、
何故?みんなはあまり持っていないのか?
何故、一緒であることとに価値があるのか。
何故?「自己」に対してこだわるのか。

結果的に自分に戻ってくる疑問。
何故。が多いと思う。
逡巡して、曖昧さに溺れてしまうのも一つの道として
それはそれで構わないと思うならば、それで構わないと。
何故。言えないのか。

とある人は、私は強いという。
理路整然と話すという。
しかし、どうだ?この思考の混乱は。まとまりのなさは。
けれど、そうやって思われるということに対して、
揺れ動く意見や考えがあるものの、
私自身の根本にある「私」が
したたかに「ココ」にあるから。

それを羨ましいと言われたって、
努力が足りないと思ってしまう私がいたって、
誰もが未熟なままだから人間であって、
だけど、そこから上を目指すことに対して
貪欲なまでに求める心とか、
生きることを選択させられることとか、
泣きながらも真っ直ぐに前を見ることを
強いられることがあるから。

そう強いているのは自分自身だとしても。

可愛げがない自分を罵倒するも。

それもすべて、受け入れられる自分が。
仕方ないと言っても、それも自分だから。
他者からの意見は他者からの意見で。
自分というものを中からも外からも
認知できるようになるのが
自分を知るということではないか。


・・・こんなのが私の頭の中。


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2002年11月05日(火) 頭を使わない日常〜衝動買いと癒し系と占いと〜

めちゃめちゃいまさらながら、
防犯ベル?ブザー?を購入しました。
買え買えと言われ続けていたが、頑として首を立てに振らずにいた。
しかし、それはあまりにデザインがダサく、でかかったため
なかなかにカッコよく、手の平サイズに納まる
青♪のヤツを手に入れることができましたvv


私は結構無駄遣いはしないほうで、
これを買うぞ!と思いながら行かないとなかなか買えない上、
やたら(どうでもいいことに)こだわるので買えない。。。
妥協したくないじゃないですか!!(本人的には必死)

例え1季節しか使わないものだとしても、
それなりのこだわりがあり、さり気なく
『ココが私の引かれたところ!』みたいなものが欲しい・・・(謎)

衝動買いとかも基本的にはしないが、
逆に『コレだ!!』みたいなものがあれば
悩んだ末に(外からは見えないが相当葛藤する)
最終的には買ってしまえ命令が下される。
・・・あんまり衝動買いって言わない?
いや、本人がそういうのだからそうなんだ!(強引)

なにやら世間では衝動買いが悪者のように捕らえられているが、
あまり物を買わない私としては(代わりに物を捨てるのもできない;)
衝動買いは必要かつ重要であり、
運命的な出会いであるので大切にしたいものである。

閑話休題

衝動買いは衝動買いでまあ、よしとしよう。
今日感じたのは『癒し系』の多さ。
アロマオイル・お香・トルマリン?・マイナスイオン
備長炭・入浴剤・ぬいぐるみ?・アロマキャンドル。
・・・癒しが欲しいのね。。。


ということで、誕生日プレゼントを買いに行った私は
世の中の流れに沿って『癒し系』のプレゼントを購入。
・・・だって、みんな疲れてるんですもの・・・(苦笑)
実習とか恋愛とかお金とか(笑)

実習実習と言っていたからあまり気づかなかった
クリスマスの空気にも少し触れてきました。
なんというか、無駄に明るくて好きですよ?
基本的に原色は苦手なので。

ついでにフリーマガジンが新しく出ていたので店頭で頂く。
なんとそこに『思わぬ臨時収入が』



ホントにありました


街頭アンケートに答えたら図書券もらっちゃった〜vv
いや〜、占いって当たるんだねぇ♪

実習の反動か、全く頭を使わなくても
毎日が過ぎていくんだなあと
半ば感心しながら(おい)
そろそろヤツが暴れたがってきている

ちょっとだけ。
ちょっとだけ。

ちゃんと看護師の仕事なんて就職したらできるようになるんかしら。
なんて不安になってみたり。
(ちゃんとって意味がいっぱいあるからまた混乱するけど)

取り合えず自分が元気じゃなきゃ
人様の看護なんてできないから。
自分を元気にするように、あと二日。
のほほんと頭を使わないことに対して、
自分を許そうとちょっとだけ思う。今日この頃。


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2002年11月04日(月) 新しい環境〜新居にお邪魔しました〜

バンドのリーダーさんが結婚することになった。
そして、新居へ移転し、今日お邪魔してしまった♪
急にお邪魔することになったので何も用意せず
申し訳なさいっぱいだったのですが、
キレイなお家に感激。感動。
新居っていいな〜(しかも新築)

新しい環境というのはいつも
緊張と期待が入り混じったものがある。
来週から始まる実習場所は初めて行く病院なので
それはそれで新しい環境だし、
病棟が違えばそれも新しい環境。
先生が変わるもの新しい環境に変わること。
一緒に実習に行くメンバーが変わることももちろん。

安寧を求めて変わらないことが好きな人と
安寧を求めて変わることを求める人と
それはそれでいろんな人がいて。

私は今、この状況は安寧な状態ではあるが
依存している状態だから、不本意で抜け出したくて。
新しい環境を憧れていて。

憧ればかりが先行しているから
憧れだけを見ているから
だから新しい環境に夢を見ているといわれるが、
本当は自分一人で生きていける証明として新しい環境が欲しい。

今の未熟な状態に何時までも身を委ねているわけにもいかないし
いずれはなくなるものなのだから。
やらなければ身につかないものというのもあるし
やっていく中でしか自分なりのペースを見つけ出せない。

今だって自分のペースはある。
でも、それは安寧と依存の中にあるペース。
長所:マイペースが何を言うか、とも思うが、
試行錯誤はしているのだ。これでも。

かなり、必要に駆られないとできない性質でもあるから。

いつまでも子どもと認識されている私。
何時になったら、一人の成人として見られるようになるのだろう。
私には、まだ子どもの部分しかないのだろうか。
成熟した部分はまだ見えないほどしか。

ちょっとまた悲しくなる。

このままじゃいけない。
そう思って求める新しい環境なのに。

新しい環境。
新天地を求める。
そのスタートラインにも立っていない。
己の不甲斐なさにちょっとだけ凹んでみる今日この頃。


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2002年11月01日(金) 母性実習終了〜母という生き物〜

一週間ぶり。
母性看護学実習終了のシオです!!

ええ、もう2つ実習終わりましたよ!?
嬉しい〜vv
つか、これからが大変なんだけどね〜(泣)
楽しい実習二つが先に終わってしまった・・・。

さて、前半戦母性実習はかなり微妙という感想で終わりましたが、
後半戦母性実習はそれなりに楽しく過ごせました。

ただし、産科婦人科系は行かないだろうな、という確信を持って。

まあ、産科は助産師がほとんどの世界だからねぇ〜
聞くところによると、世界的には助産師を増やす方向にあるらしい。
しかし、日本では医師会?が反対していて
逆に助産師を減らそうという動きがあるとか。
まあ、あくまで話で聞いただけだからね。
なんとも言えないけれど。

さてさて、もうちょっと母性実習についての感想を。
母性での感想は人体の不思議に、つくづく感激した。
このことがすべてだろう。
まさに、人体の不思議。

まずね、身体の中に生命が宿っているあの状態。
そして、生命がこの世に誕生する瞬間。
その後、生命がこの世で生きていこうとする姿。
または、生命を産み落とした後の身体の変化。

同じ女性としても全く未知の世界だったし、
『母』という生き物に触れて初めて、愛の深さとか、感じた。
実習の中で一番感じたのは、何よりも最後に先生に言われた言葉。

『貴方たちもこうして生まれてきたということ』

今だから、生意気なこともいうけれど、
今だから、その当時のことなんてわからないけれど
今だから、いまさらだけれど
今だから、母性実習に行ったからわかったこと。

自分はどれほどの想いとともに育てられてきたか。
どんなに苦労して育ててくれたか。

今回の実習で、私たちのグループには男性も居たけれど、
今回のこの実習を受けなければきっとその想いとか姿とか
そんなもの、わからなかった。
私もきっと自分が子どもをもし産むことがあれば、
その時まできっと知らなかった。


母という生き物。




私はきっとこれから先も「母」になるつもりはない。
けれど、「母」の偉大さに尊敬の念を抱いて。

そして、軽々しく「母」になりたいと思うなかれ。
つか、簡単に「母」なれる、と思うことなかれ。

ものすごい労力と想いがなければ「母」にはなりえない。

今、軽々しく子を産み落とすことができる社会だから。
どうか、生まれた生命が幸せであるように。





実は記録がボロボロだったりするのですが、
そんなこんなな母性実習終了。
お疲れ様でした。


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