兼松孝行の日々つれづれ

2004年12月31日(金) 大晦日

昨年の大晦日、今年は嫁さんと一緒に行くであろう、と予告しておきながらも、家の事情でまたも単独伊勢神宮となった。
伊勢神宮へは21年目で20回目のお礼参り&初詣だ。

3日前から家に引きこもっていて、ほぼ72時間ぶりに家の外に出た。

行きは快調に進み、昨年から行われている伊勢市のパーク&ライドの社会実験おかげで渋滞もほとんどなく現地につくことができた。
毎年味わうこの雰囲気は、何とも言いがたく身の引き締まる感じだ。

外宮でお礼参りをし、内宮で新年を迎える。
内宮の参道を埋め尽くした人たちが、午前0時の瞬間に一斉にでもなくどこからともなく「新年おめでとう」という声が聞こえてきて、その声が境内いっぱいに広がり、何とも言いようのない喧噪に包まれる様は、どことなく厳かな感じがする。
そして、また「今年」が始まるんだなあと言う実感がわいてくるのだ。

来年こそは、この瞬間を嫁さんと迎えたいと思う。

ちなみに帰りは鈴鹿のあたりで猛吹雪。
オイラが通り過ぎた後に東名阪が通行止めになってしまっていた。
間一髪という感じだ。



2004年12月30日(木) 引きこもり2

そして引き続き家から出ない生活。

でも、ドラクエやってるからじゃないよ(笑)
ちゃんと大掃除もしてるよ。



2004年12月29日(水) 引きこもり

昨日のインクレティブ以来家から一歩もでない生活。

いや、間違ってもドラクエばかりやってるからじゃないよん。



2004年12月28日(火) 映画「Mr.インクレディブル」

弥生と秀次をつれて木曽川のTOHOシネマへ行く。
ここはインターネットで予約ができるのでとっても便利だ。
しかも、シートも極上、スクリーンも映写機も音もすばらしい。
愛知県内に展開しているコロナグループには申し訳ないけど、同じ金額を払って観るならちょっと足を運んでここまで来た方がいいとさえ思ってしまう。

Mr.インクレディブル。
スーパーヒーローの家族愛の物語だ。
これは先日観た「ハウル」に比べてとても分かりやすく面白い作品になっていると思った。
メッセージの伝え方や物語の持ってる世界観、それになにより絵がきれいだ。
頭空っぽで観ることのできる素敵な作品だ。

でも、もう一度観たいとは思えなかったな。
それはきっと完璧だからだろうな。
ハウルはある意味不完全さをそのまま許容して作品として世に出してる分、見る側の想像力を借りながら進めてるところがあるから、観るたびに感じ方が違ってくるんだけど、インクレディブルはすべてを説明してくれて分かりやすい分、1回観ればいいかって思っちゃうんだろうな。
ハウルの方が作品として完成してない分、もう一度観たいって思わせるんだろうな。

結構あまのじゃくな俺。



2004年12月27日(月) 稽古

2004年の稽古は今日で最後となってしまった。
公共施設がホームグランドでは致し方ないこと。
この年末年始の休みで今までやったことを忘れないでいてほしいなあと願いつつ、2005年の3月に思いを馳せるのだった。



2004年12月26日(日) 仕事納め

世間の人たちよりはちょっと早いけど、曜日の関係でこの日が仕事納め。

お昼に館長の計らいでうなぎ屋へ。
そういえば去年もウナギを食べにいったっけ。
そして思い起こせば、うなぎやでうなぎを食べると言うリッチな食事は館長に連れていってもらったときしかない。
うん、ほんと高い。
う巻きが2個で800円。
うな丼も2000円。
生中ですら540円・・・・ん?
ちょっと高すぎるじょ。
これはひょっとしてそういうお店だったのかな?
でもうなぎはおいしかった。
財布に余裕のある時に、もういちどいってみたいのだった。



2004年12月25日(土) 稽古

初めての通し稽古を行った。

いろんな課題は見えてきたけど、それは、絶望が伴うものではなく、ちゃんと行き着く先がみえてくる希望を伴った課題だ。
この先さらにこのまま突き進んでいける勇気になる通し稽古だった。



2004年12月24日(金) お父サンタ

今年は3人の子供たちに、深夜お父サンタが登場。
そして子供たちの枕元にプレゼントをおいた。

長女の弥生は小学校の同級生に「サンタはいない」と吹聴されながらもなおサンタの存在を信じていてくれる。
もちろん、二人の息子たちの心の中にもサンタは生きている。

こうして何かを信じるってことは、大人になってから最悪の事態を迎えたとしても、何の保証もない希望に向かって進んでいける強さを持ち合わせることができるんじゃないかなと、そんな風に思う。



2004年12月23日(木) 稽古

だんだん稽古場が芝居の稽古場らしくなってきた。

いいことだ、うんうん。



2004年12月22日(水) DVD「Mr.Children Tour 2004 シフクノオト」2

ちょっと別の角度から感想を・・・

今回のDVDはこれからのライブDVDのお手本になるような作品だと小林武史はいっている。
でも、ほんとかなって思った。

ライブ映像で一番欲しいのは臨場感だと思う。
確かに作り手としては映像作品としていろんな挑戦があって、誰に出しても恥ずかしくない映像作品として成立させたい気持ちは分かる。
しかし、このDVDの場合購買層のほとんどがライブに行った人と行きたかった人だ。
そうすると、曲のポテンシャルやクオリティーを落としてまで映像作品として成立させようとする意図が素直に読み取れない。
もちろん全くの第三者が観るとすばらしいということになるんだろうけど。
だけど、ライブに行きたかった自分は、映像として納められている状況をできるだけ生に近い形で追体験したいと考える。
そうすると、映像のエフェクトが邪魔で邪魔で仕方がない。
映像を荒くして、音をも荒くする手法は、音楽の送り手と受け手に失礼きわまりないと、そう感じてしまう。

要は、ワンカメでもいいからとにかくその場で行われたありのままを記録としてみたい。
チケット争奪戦に敗れたオイラがそう思うのはわがままだろうか・・・・

あ、もちろん映像作品としてのクオリティーは今までいろんなものを観て来た中でも最高にいい水準だと思う。
これは間違いなくいえる。



2004年12月21日(火) DVD「Mr.Children Tour 2004 シフクノオト」

チケット争奪戦に負けて観に行けなかったライブのDVDが手元に届いた。

見終わった感想はたった一言。

「生で観たかった。」

何もかんもがすばらしい。
演奏も巧くなってたし、櫻井君の歌もよくなってたし、ライブ運びもよかったし。
それよりなにより「シフクノオト」がどんなアルバムに完成したか(作品は音楽でもお客さんの前に出て成立するので)それを体感したかったな。

でも、ほんと、この時期の素敵なクリスマスプレゼントといった感じ。



2004年12月20日(月) 稽古

どうにかこうにかラストシーンまでこぎりつくことができた。
元々予定していた年内に通し稽古をすると言う目標が達成できそうでうれしい限り。
しかし、通し稽古をした後はいばらの道が待っている、そんな予感(*_*;



2004年12月19日(日) 体育館故障!

午前中自治会のソフトバレーボール大会があったが、そこで電動の防球ネットを無理矢理何人かで動かすもんだから、開かなくなってしまった。
おかげで明日休日出勤が確定!

とほほ・・・



2004年12月18日(土) 稽古

不思議だなあと思う。
何も言わなくても場面のイメージを役者が持っていると自ずと芝居になっていく。
なんだか、そのことを実感した稽古になった。
たぶんやってた役者はそのことは実感できていないかもしれないけれど。



2004年12月17日(金) 映画「ゴジラ ファイナルウォーズ」

この日、この先の休日出勤の代休をとって映画を見に行った。

ゴジラの最終版。
さすがに平日とあってお客さんもまばらだ、、、まばらどころか広い映画館内に6人!
いくらなんでも少なすぎる。

映画の上映には1回あたり最低でも・・・まあいいや、泥臭い話は止めておこう。

そんなわけで、映画が始まった。
監督は新進気鋭と巷では表現されている北村龍平監督。
この人の作品を見るのは初めてだが、これがまた面白い。
50周年の記念作品だけあって、はじめはフラッシュバックから入るのだが、その作り方もアナウンスをいれて、ドキュメントっぽく始まっていく。
ここからすっかり映画の世界に引き込まれていった。

時々気になるのは、CGしましたっていう画面と、実写の画面と音も映像も両方ともノイズに差が出てしまうところだ。
こういう場面で所々気持ちが現実に引き戻されたりした。

だけど、一番最後にして新しいゴジラを見ることができた。

ゴジラの戦闘シーンもいろいろと志向が凝らしてあってたのしかった。
ハンマー投げあり、プライドあり、昔のプロレスあり、時代劇風あり、といろんな形で戦ってくれた。
昔の打撃と放射能の戦いが懐かしい。
怪獣のやられ方もシリアスな感じやギャグっぽい感じなど、、、でも、昔からのゴジラファンにはちょっとやりすぎじゃないって感じもした。

登場人物にも監督の愛情が込められていたし、ただ登場するだけじゃなくて、たとえば菊川怜や水野真紀はミニスカートをしたからなめてみたり、世間のお父さんにはたまらないアングルから入ってくれたり、泉谷しげるが等身大のミニラと漫才したり、愛情と遊び心満載だ。

ちょっと残念なのはゴジラが恐くなかったことかな。

だけど、(半ば無理やり取った)休日のひととき、楽しい作品を見ることができた。
よかったよかった。



2004年12月16日(木) 稽古

昨日は稽古日。

平日にもかかわらず本当に多くの劇団員がやってきた。
稽古自体が今まであまり先に進んでいなかったので、できる限り先に進むことにした。
先日劇団員に不足に事態が起こり、キャストを変更したので、そのあたりも考えて少し前の場面から行っていった。

しかし、キャスト変更は本当に残念で仕方がない。
身を切る思いという表現が一番あたってるかな。
仕事の都合でこられなくなったとはいえ、何とかならないかなというところも考えてみた。
でも、仕事でこられない役者ばかりでなく、相手がいないってことは、現場に来てる役者も稽古ができなってことだ。
さすがにそれでは芝居は成立しないので、今回は降りてもらった。

そしてこの日のように稽古場にたくさん人がくると、稽古自体も盛り上がるし、何しろ効率がいい。
いや、それが普通なんだろうけど。

しかし社会人劇団である以上、いろんな都合で人が稽古にこれないという状況は、受け入れてやっていくしかない。
この困難とどうつきあっていくか、それが課題だ。

この稽古後ひとつの提案をした。
早速フィードバックがあった。
ほかの人たちはどう思ってるんだろう。
反応が気になるところ。



2004年12月15日(水) 日々つれづれ

昨日やよいの空手の送り迎えの車の中こんな話が。

オイラ「さいきん○○ちゃん、みかけんね?」
やよい「うん」
オイラ「どうしたの?」
やよい「ずる休み」
オイラ「ずる休み?!」
やよい「ウン、風邪ひいたっていって家でゲームしたりしてる」
オイラ「そうなんだ」
やよい「あたしは少しぐらい風邪ひいてても行くのに!」
オイラ「きっと、○○ちゃんとやっちゃんの空手が好きって言う気持ちに違いがあるんだよ」
やよい「????」
オイラ「やっちゃんのほうが空手が好きってこと」
やよい「んー、わかんない」

少し大人の会話だったかな・・・
でもチョット身につまされる。

先日の三浦鯉登ライブでは、自分の可能性を狭めてしまうものは、自分自身が作ってしまう「枠」だと言う話が。
それもまた身につまされる。

今自分が考えていることがどうにも上手くいかない。
ちょっとテンションが落ち気味・・・・



2004年12月14日(火) 休憩

前日夜中、勢い余ってドラクエやり過ぎ。

そんなわけで、今日は子守りしながら休憩。

うーん、最近言葉が萎えてるな。
いや、きっと溜め込む時期だな。
そう思っておこう。

うむ。



2004年12月13日(月) 稽古・・・のはずが・・・

家の都合で欠席・・・昨日意気込んだ割には出ばなをくじかれる感じだ。

そういえば、NHKのオーダーメイドというドラマに友人が出ていた。
意外と出ている場面と台詞が多かったのでびっくりした。
しかし、さすがNHK。
一緒に出ている役者は大物ばかり。
さすがにCBCの時みたいにキャラの人生までは描いてくれなかったな。

次もがんばってね。



2004年12月12日(日) 稽古

ひさびさに役者全員が集まった稽古。
しかし、全員集まる時間帯が残念ながら遅くなり、予定していた部分に進まず・・・
今年の終わりにはなんとか通し稽古がしたい。
来週の週末が勝負だな。



2004年12月11日(土) 冒険が始まる!

クリスマス商戦にすっかりのせられてPS2とドラクエ8を購入。

PS2がこんなに小さくなったとはさすがにビックリ!

さあ、この年末年始、冒険に出かけるぜ。



2004年12月10日(金) 日々つれづれ

今の職種がら学校とおつき合いすることが良くある。
学校には(あたりまえだけど)先生がいる。

この先生という職業は不思議な職業だ。

何がって、先生はその職業に就いた瞬間から一生先生といわれ続ける。
役所の公務員は公務員と呼ばれることはない。
市長や町長、課長や部長もその職業になっている瞬間だけそう言われるが、落選したり異動したり退職したりすると、職業名で呼ばれることはない。
会社員もそうだ。
社長と一生呼ばれ続けるのは、水商売の勧誘の目の前を一生通過し続けるほかにない。
国会議員だってセンセイと言われるけど、落選したらそれでおしまい。

先生は先生になった瞬間から先生と呼ばれ続けなければならない不思議な職業だ。
同時に、その人自身の本名で呼べばれることはあまりない。

やはりそれは、先生という職種が特別なんだからだろか、はたまた単純によびやすいからなんだろうか。



2004年12月09日(木) 日本福祉大学特別講義「芸術と人間2/三浦鯉登ライブ」

今日は仕事の休みを取って、日本福祉大学の特別講義として行われる、大学陸上部の一つ上の先輩(懐かしい響きだ)三浦鯉登のライブに音響として参加した。
10数年ぶりに大学敷地内に、部活でロングダッシュをしていた正面入り口の長い長い坂道を、この日は機材を満載したモビリオで登っていった。

大学構内に入ると、昔見慣れた景色と新しい建物のコントラストが、懐かしさと時間の流れを感じさせてくれた。
だけど、かわってないものがあった。
目の前を通り過ぎる学生達の姿や表情がそれだ。

ほんの一瞬OBとしてのひとときを過ごし、さっそく仕込みに取りかかる。

この日特別講義を行う場所は大学の中で一番大きい教室の一つ120教室だ。
この場所は、在学中行われた「オレンジフェスティバル」の一環で「キャンパスソングコンクール」の審査会場として使われた場所だ。
当時陸上部に在籍していたオイラは、何を思ったのかこのコンクールに曲を作って応募し、気がついたら本選でこの場所で歌っていたのだった。
結果は3位と言うすてきな賞と賞金をもらってしまった。
そんなこんなで思い出すのは、そういえば高校の時も全国高校文化祭の作曲の部に何を血迷ったのか応募して、優秀賞をもらってしまった。
でもこの時は賞状一枚だった。
またも思い出すのは、就職してから岐阜テレビ主催のカラオケコンクールに応募して、週間チャンピオンになり、グランドチャンピオン大会で準グランドチャンピオンになった。
この時は確か優勝がハワイ旅行かなんかで、2位のオイラは日本人形をもらった。
当時のオイラにはそれがいいものかどうかなんてわからなかった。
その人形は今、弥生のひな祭りの時に活躍している。

でも今は芝居してるんだよな・・・
オイラはやっぱり音楽の人だよな・・・・たぶん。

おっと、話が脱線してしまった。

今回はオイラの地元の電気屋さんの好意で音響機材を借りた。
仕込みを手早く終え、音を出してみた。
いやあ、これがまたいい音で鳴ってくれる。
裏方としてやる気の出る瞬間だ。
時間も迫ってきていたのでぼちぼちと音合わせをおこなっていった。
少し痛かったのは、周りが講義中で本域で音を出せなかったことだ。
要は、音の手順の確認をしてぶっつけ本番ということだ。
でも、急造の講義だからそれも致し方ないかな、むしろだからワクワクしたりもするのだった。

お昼休みになり学生が教室にボチボチと入ってきた。
講義室は学生の憩いの場と化すのだった。
そういえばオイラもそうだったなぁ・・・(あ〜、やっぱりOBモード)
しかし、そこで不思議な景色を見た。
見渡す限り女の子ばかり。
オイラがここにいた時はもう少し男の割合が多かったように思う。
たしか男女比が3対7だった。
でもこの日は1対9ぐらいの割合だ。
絶好の売手市場!!
あ、でもオイラも売り切れずに卒業したっけ・・・

そして本番開始。
前説で携帯電話を使ってギャグをかましややウケ。
前説を三浦鯉登本人がスタッフになりすまし作戦は効果なし。
本番開始の登場シーンで派手に登場してみたが不発!!
寒い空気が講義室を支配した。
やばい、、、
でも気持ちを切り替え、1曲目のオケを流す。
そして歌い始める。
するとたちまち空気は心地いい緊張感へと変化していった。
この日思ったことは、彼の歌がとても説得力があって、初見でも歌詞がどんどん入ってくる。
何より歌そのものがポジティブに歌われている。
1曲目で学生達の心をしっかりつかんだように感じた。
それに、音だしリハしてた時にリバーブの効果がライブな小屋鳴りに負けてたけど、お客さん、、、あ、いや、学生が入った分、講義室がデッドになり、しっかりリバーブの残響音を届けることができるようになった。

そんなこんなで、あらためて裏方の仕事について、やりながら考えたりもした。
裏方も最終目標はお客さんに満足してもらうことだ。
でも、「ちゃんと音を出す→お客さんに満足してもらう」
という短絡的なものではなく
「ちゃんと音を出す→演奏者に心地よく演奏してもらう→お客さんに満足してもらう」
少なくともこれくらいのステップは踏まないといけないと感じた。
やはり、表も裏も両方チームとして成立して、やっとお客さんにものを見せることができるんだと。

このライブは、講義なので曲と曲の間に長いMCを挟んで次の曲という形式。
整理して言い換えるとまるでさだまさしのようにMCの長いライブの形式をとった。
MCは彼の音楽との関わりを幼少期から今に至るまで、どんな風に感じて過ごしてきたかを語り、そのとき作った曲を演奏していった。
この日の学生達は大学2年生はちょうど20歳になったりならなかったりの時期。
やはり、その時期の話にさしかかると学生達の反応も違ってきた。
卒業して、就職して、仕事を辞めて音楽に道に進むあたりは学生達のほとんどは未体験ゾーンになり、さらに集中して聞いてくれたように思う。
また三浦本人もMCそのものは原稿棒読み状態であまり上手くはなかったが、飾らない言葉で、その時々の気持ちを素直に言葉にしていったことが学生達にストレートなメッセージとしてつたわっていった。
そういう気持ちのやり取りのキャッチボールを見てみると、学生の気質ってこの大学は昔と変わらないなと感じた。
いいかえれば素直な子が多いな、ってかんじだ。
ちなみに彼のエピソードの中にオイラの名前が2回ほど出てきて、音響卓に注目が集まってしまった。
ちょっと照れくさい一瞬だった。
それに裏方にまで拍手をいただいてしまった。
こんな経験は滅多にない、って感じだ。

そして、ライブは終了。
片付けをしている時に、一人の学生に声をかけられた。
学生「(やや関西なまりで)あの〜、すいません、ちょっといいですか?」
オイラ「はい。」
学生「あの人(三浦鯉登)に声がよかったって言っといてくれません?」
オイラ「あ、いいですけど、本人に直接言ってみたらどうですか?」
学生「ちょっと照れくさいんです。」
オイラ「はぁ。本人喜ぶと思いますよ。」
学生「いいですいいです。彼の声ってシティーハンターのサエバリョウににてると思いません?」
オイラ「言われて見るとそうですね。」
学生「シティーハンターってところが、年がばれるんですけど。」
オイラ「そうですかね?」
学生「30なんです。」
オイラ「あ〜、そうなんですか。」
学生「(声をかけるの)よろしくおねがいします。」
オイラ「あ、はい、分かりました。」
うーむ、年齢とは関係なく純粋な部分は純粋なのね。
そして、ここに記された会話が、この日大学に8時間以上滞在して学生と会話をした全記録である。

バラシも終わり。
学内を三浦鯉登と丸井さんと言う東浦社会福祉協議会の職員さんと一緒に探検した。
端から見ると、どう見ても謎のおやじ集団だ。
かわらない景色と変わってしまった景色とみて、改めて自分たちが過ごした4年間を回想してみたり、景色にリンクした記憶がフラッシュバックしたり。
何かタイムマシーンに乗ったような、そんな気分になった。

ここがあって、今の自分があるんだなって、そう思えた。
中学や高校に久しぶりに行った時には味わえない感触だった。
きっとそれだけ充実してたんだろうな、大学での生活が。

そして、大学を後にして、帰路についた。
三浦鯉登を自宅まで搬送後、焼肉屋で反省会。
そこで、アンケートに目を通した。
アンケートの内容はとてもすばらしいものばかり。
曲や彼自身への感想の内容は彼の宝物なのでここでは差し控えるけど、
「声がよかった」って言うアンケートや、「ピアノの音がいい」っていうアンケートが多かったので裏方としては至福の至りだ。

でも、こんな一文を書いた人が。

「あの音響の青い服の人(陸上部主将)って、公務員さん、、、、今日は木曜日、、、、仕事は????」

ゲゲ!!
紹介の時に有給だってことを言ったもらうの忘れてた。
きっと彼女は、公務員はいつもさぼってるって誤解してしまうのかな???
やばし!!


でも、本当に素敵な一日になった。



2004年12月08日(水) 体育指導委員会

そんなわけで毎度おなじみ体育指導委員会。

この日は議題の量だけで言うとかなりの項目があったが、基本的に報告事項ばかりだったので、時間も定時で問題も何もなく終わった。
強いて言えば、来年度の走ろう会に向けての課題がいくつか出たって感じだ。

さて、明日は楽しい一日になりそうだ。



2004年12月07日(火) 休憩

おつかれやすみ・・・



2004年12月06日(月) 稽古

この日は二桁の欠席があり、ダンス稽古と役者一人の場面の稽古となった。

稽古後の飲み会では、役者の一人が「魔法の杖」という占いの本を持ってきていた。
一度深呼吸をして、「イエス」「ノー」で答えられる質問を思い浮かべ、任意のページを開く。
そうすると、その質問に対する答えが書いてあると言う仕組み。

オイラも一つ考えていることがあったので、試しにやってみた。
こたえは、「そうするべきです」と書いてあった。
さて、そうなるかな・・・



2004年12月05日(日) 走ろう会

朝目覚めると、それは満天の星空だった。
星空・・・・?
お、天気予報はずれたじゃん。

そして、早速現地に。
資材を積んだ車とともに到着したらば、それはそれは大変な状況になっていた。
グラウンドは田んぼ状態。
コースは冠水で海に。
ここまで来てやめるわけにはいかない。

朝日が射してきた時には空には虹がかかった。
きっとこれはやれるというメッセージだ。

段取りやコースの変更などの打ち合わせ後、グラウンドに土を入れ、冠水している水をかき出し、受付開始時間ギリギリにようやくなんとか格好がついた。
あとは、参加者が来てくれて走ろう会の開催を待つのみとなった。

太陽が昇るにつれて気温もグングンあがっていった。
みんな防寒具を着ていたが、気温は20度を突破、低気圧の影響で吹いている風がさわやかな風に感じるほどだ。
おかげで参加者も何となくほんわかした雰囲気で大会を迎えることになった。

約2000名の参加者たちはみんな心地よく走ったくれた。
今回限りの企画である仮装の部も、結構凝った仮装ばかりで大会を盛り上げてくれた。
大きな混乱もなく無事に大会を終えることができた。

大きな大会が3つともできて、今年はいい年になったなと、そんな風に振り返れそうだな。



2004年12月04日(土) 稽古

走ろう会前日。
夕方から雨・・・・
明日の走ろう会は危ぶまれる。
しかもものすごい雨。

そして今日は稽古。
今までできなかったシーンを作っていった。
今回は曲きっかけが多い。
割と昔に使っていた手法だが、役者はほとんど入れ替わっているので、ルール作りから始めていかなければ行けないのでやや時間をかけて行っていった。

稽古後さらに激しい雨。
走ろう会はどうなるんだろう・・・・



2004年12月03日(金) ウッズ入団!!

申し訳ないけど、ドラゴンズから見てそれほど怖くなかった横浜の4番打者がドラゴンズにやってきた。
得点圏打率も2割そこそこだ。

しかし、ウッズはドラゴンズでは活躍できると思う。
ドラゴンズ投手陣が底上げしなくても、今年並みの押さえ方をすれば、ウッズが仮に勝負所で弱くても、1点取れば勝てる試合では思わぬ所でホームランを打ってくれると思う。
結果として大活躍してくれるだろうと思われる。
40本は打てないまでも35本ぐらい打って、そして、フォアボールを80個くらい(今年は74個)選んでくれると、きっとドラゴンズは来年もいい戦いをしてくれることであろう。

他球団から見ると、ウッズそのものは怖くないけど、ドラゴンズが更に怖いチームになったのは間違いない。
来年の開幕を想像すると今からわくわくするのだった。



2004年12月02日(木) 走ろう会準備2

今日もグラウンドで走ろう会の準備。
ふと公園の方を見ると弥生の小学校がジョギング大会をやっていた。
残念ながら弥生の走る姿は確認できなかったが、家に帰ってから順位を聞いたら17番と言っていた。
それが何人中なのかは定かでないが・・・

しかし、ますます雨の予報。

こまったなー



2004年12月01日(水) 走ろう会準備

走ろう会の準備をグラウンドで行った。
いやぁ、いい天気だ。
しかし週末はまとまった雨が降るという予報・・・
困ったなあ。

この日仮装の部をどうするかで検討した。
この日この場所のために準備してきたひとの為に、不測の事態が起きても、どこかで発表の場を設けてあげないと。
そんなわけで、当日雨が降った場合、体育館で披露することが決定した。

そう言えば最近中部電力のCMに落合監督が出ている。
「10%底上げ」した人が値下げのPRをするってのは何とも腑に落ちない。

そしてこの日、拓矢が更に高熱を出し、劇団の稽古を欠席さざるを得なかった。
うーむ、残念。


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