おおみち礼治のてくてく日記
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2001年12月30日(日) 歳かねぇ。

 一度、生活のバランスが崩れると、そうすぐには取り戻せない。本当に、無理が出来なくなった。
 歳かねぇ。
 ごほごほ。

 明日は透析日なので、今日、掃除をしておかないともう今年はやるときがない。
 窓ふきだけしてみる。


2001年12月25日(火) 馬鹿で驕慢で力のあるヤツ。

 昨日のニュース23、見ましたか?
 ショックだったのは、アメリカ人が「なぜアメリカが攻撃されたと思うか?」という質問に答えられなかったことです。彼らの単純さは知っていたけれども、まさか本気でここまで単純な――馬鹿だとは思わなかった。
 当然の事ながら、やられたということは、やられるにいたった原因がある。誰しも、不幸なことがあったとき、どうしてこんなことになったんだろうと自らの原因を理解しようと努めるものだが、彼らは「我々は正義である。しかも無限の正義である。悪は悪にすぎない」としか思っていない。どのような人種、信仰を持っていようとも、同じ地球に暮らす同じ人間であるという視点がすっぽり抜け落ちている。悪魔が正義を脅かした、としか思わないのだ。
 アメリカ国内でのイスラム教やアラブ人への云われのない迫害や差別に対する抗議デモに対して、「イヤなら国へ帰れ!」と言ってしまう(あのでぶっちょのアングロサクソンの)驕慢さは何なんだろう。大東亜戦争時にアメリカ在住の日本人を収容所に入れたのと同じ精神性ではないか。そのころから何も進歩(理解)していない。
 ビン・ラディン氏をかくまう国は正気ではない、と言う意味のことを言ったが、ある意味まさしくそうだ。馬鹿で驕慢で力のあるヤツに逆らったらなにをされるか分からない。それでも命がけで逆らう人々の覚悟を、どう思うのだろう?
 アメリカが痛みを本当に理解するのにあと何百年かかるだろう。


2001年12月23日(日) 外と内のバランス。

 なんとか見せられる状態にはなった。<某ページ
 なんだけど、まだ資料がないところがあるから、正式に公開できるのは来年になりそうだ。
 みんな忙しいからなぁ。

 体が弱くて無理の出来ない、ちょっとしたことで寝込んでしまう人の方が長生きできるということがある。
 寝込んで休むことで、そのときのわずかな体の不具合を治すことができるからだ。
 逆に、風邪もひいたことがない、元気にしていた人が突然、亡くなるということもある。
 少しの不具合の時に症状を出せなかったため、長い間にどんどん(不具合が)大きくなり、症状が出たときには、もう、取り返しがつかなくなっているのだ。
 だから、体の弱い人の方が、より中心の生活を心掛けることが出来る。ちょっとでも中心からそれたら症状が出るのだから、真剣にならざるを得ない。そういう意味では、喜ぶべきである。
 症状が出ない人は、外側のことにエネルギーが多く向けられているので、内側(体)に必要なだけのエネルギーが足りない。細胞は不具合を治したいはずだが、それをするだけのエネルギーが来ないので、(体のことは)後回しにならざるを得ない。
 そして、気が付いたときにはすでに遅いということになる。
 外と内とのバランスが均等ではないのだな。


2001年12月22日(土) 動ける時を待つ。

 今日は当たりだった。<お店
 麦ご飯に、自然薯のとろろをぶっかけて、わしわし食べた。
 うまかった。

 自分が中心といいつつ、無意識のうちに他人の思惑を計算して不自由になっているのだな。ってゆーか、そういうときって、自分が不自由していることにも気が付いていない場合が多いんだよ。気が付いたときは、もうそうとう不自由していてにっちもさっちもいかなくなっていたりする。
 自分の都合のいい返事を相手から引き出そうと、計算している節すらある。<おれ それは真剣ではない。
 問題の核心は、自分がどうしたいのか、を実践していないことにある。小手先で何とかしようと動いているときはあるんだけどね。そうではないな。経験的に言って、これは感覚であって、頭脳ではない。頭脳で、自分がどうしたいのか考えても分からない――というより、わけが分からなくなってしまう。自分が、いまトイレに行きたいのかどうかさえ分からなくなるのだ。だから、頭脳ではなく感覚を磨く。その前に、自分の感じる機能を信頼することだね。
 次に、できて当たり前という意識。自分はこうしたいんです、という「そのこと」を、そのまま実践すること。他人の思惑などいちいち気にしない。というか、なにか考えてしまった時点で、もうダメだね。
 考えてしまったら、いったんやめる。やめて、すっと動ける時を待つのがいいみたい。


2001年12月20日(木) わいは〜。

 ハワイにいる。いや、今日見た夢なんだけど。
 ハワイの海辺で寝そべっていて、周りにはほとんど人影がない。何となく寂しくてケータイのメールをしてみたりする。ハワイでもJ-Phoneって使えるんだぁ、などとお間抜けなことを考えつつ、誰もいないので暇だしなんだか寂しいなぁ、と思う。
 夢辞典で調べてみたら、「ハワイ:リラクゼーション。速度を緩めてリラックスしなさい」とあった。
 なので、今日は仕事を程々にして休むことにした。
 リラックスしなさいと言われても、なにかしてリラックスしようと考えてしまうのだが、何をして良いのか分からなかったりする。
 気持ちよく休む、ということを覚えたいなぁ。


2001年12月19日(水) 変な日。

 ときどきあるんだけど、意識が頭にいってしまい妙に焦ってしまう日がある。
 経験的に言って、そういうときは、外に働きかけるとうまくいかない。廊下を歩いていて手すりに手の甲をぶつけ「ウキー!」などとさらに頭に来て、振り向きざまに壁に頭を打ち付け、しゃがもうとしたら滑ってバケツの水をかぶりとか(爆)――これは例えだが、動けば動くほどダメになるのだ。
 今日が、ちょうどそういう日だった。
 それでも出かけなくては行けないこともあるわけで……とにかく、車をぶつけないように慎重に運転して無事任務完了。帰りにちょっと、あれを買っていこうとか、どこそこに寄っていこうと考え出してしまうんだな。
 いつもなら、すーっと気持ちよくできたりするんだが、今日のような意識が頭に行っている日は、その行動のすべてが裏目に出る。そーいうことが分かるまで、いろいろやってしまいました(^^;。


2001年12月18日(火) コスト意識ゼロ(笑)。

 UXGAまで表示できるのだが、突然、VGAしか表示できなくなる。
 いや〜ん。
 システムの復元をしたら、直った。
 なんだったんだ。

 いつになったら更新するんですか?
 なんて、突然、メールがあったので焦って更新する。いや、いま仕事で作成中のページなんですけど、なかなか資料が来ないのでちんたらやっていたら、この催促。少しは進んでいたんだけど、見せていなかったのだった。
 気合いを入れ直してガシガシ作る。といっても、デザインが決まるまで、何度もいじるので(<わし)なかなか進まない。新しいデザインを思いつくと、全部統一したくなって、作り直したりするので効率が悪いったらありゃしない。
 はい、自分のせいです(笑)。
 コスト意識ゼロです(爆)。


2001年12月16日(日) そうではないぞっと。

 悪意むんむんの批判や否定、というのは自分の中にあるものであって、テレビではない。
 そういうものが出てきてしまう自分、ということに気が付いた。
 シミュレーションと、ただ悪口を言うのとは違う。なにかわかったようなつもりで、テレビを貶めるのは簡単だ。そうではないぞ。

 年賀状の作成。もー適当。
 車の保険料を支払ってくる。免許証がゴールドなので1割引。45400円。
 ホームページを作成。思ったほど悪くはない。


2001年12月15日(土) 人に会おう。

 結構、へこんでいるみたいだ。あんまり意識しないようにしてはいるんだけど。
 頭脳を使い出すと、いろいろな想念が出てきて、頭を抱えてわーっと叫び、無茶苦茶に走り出したくなる。そういう危機を感じながらも、そうなるわけにもいかないので、懸命に仙骨だけを意識して法則や宇宙というものに任せる。人力では、どうにもならん。
 一日中、パソコンの前でキーボードを叩き続けるのは、精神的にも肉体的にも本当によくない。忙しくても、一回は外に出て散歩でもして、体を動かさないとオカシクなる。テレビもよくない。朝から晩まで飽きもせずに赤の他人のことをとやかく言い続けている。ニュースやワイドショーはもちろん、ドラマもバラエティーもクイズ番組もすべてがそうだ。そういうものを見ていると、悪意むんむんの批判や否定の意識が精神を蝕んでいくような気がする。
 人に会おう。


2001年12月12日(水) 流れだね……

 笑ってしまう。
 Mさんは、請われてあっという間に東京に行ってしまった。
 流れだね……。

 画像メインで作って欲しい、と要請があった。
 たしかに文章だらけだったけど、これから画像メインにするというのは難しいというか、違うものになってしまう。クライアントが望んでいるページのイメージがいまいちつかめない。
 とにかく画像を挿入してみて、また見てもらうしかない。
 満足してもらえるものにしたい。


2001年12月11日(火) シロートの文章

 某文芸系サイトのお話し。
 自分の好みを優先したいのはそうだし、完成度の高い、どこに出しても恥ずかしくないような作品を掲載したいと思う。しかし、それをすると作品はなくなる。
 送られてくる文章を見て感じたことをまとめる。

 いちばん多いのは「あらすじ」だ。
 叙述――というか、語りの部分が説明に過ぎず、流れがない。死んでいる。描写もなく(あったとしても手垢の付いた陳腐な、文章表現の愉しさのないもので)、小説としては読めない。
 自分の文章力(?)に酔って書かれた文飾過多な文章も読めたものではない。いちセンテンス見ただけで、「カーッ!」と叫んで投げ捨てたくなる。もちろんパソコンの画面上だから、そんなことはできないので、ひとこと「ボツ」とつぶやいてウインドウを閉じるだけだが。
 よい文章の第一は、削ること。
 これ以上削ったら意味が分からなくなるところまで削ること。
 特に副詞はいらない。
 体言止めや倒叙、受動態がうじゃうじゃ出てくる文章もダメだ。気持ち悪い。
 どんなに魅力的なキャラや展開が待っていようと、最初にだらだら説明文が続いたら5秒で飽きる。書き出しから話を動かすべきである。
 以上を踏まえるだけで、かなり良くなるはずだ。

 ひどいのは、アニメの主人公が出てきたり、エッセイですというのだが、明らかに詩だったりするものだ。自分が何を書いているのか自覚していない。純文も来る。わしは文学者ではないので、あまり高尚なものを見せられても分からない。
 あと、マトモじゃないのもたまにある。
 作者がね。
 これは文章力うんぬん以前の問題なので、何も言えない。

 プロの作家がどれほどのエネルギーを費やして作品を書き上げるのか分かっていない人もいる。普段感じていることを文章にしてみました程度の、素人の作品が評価されると思うか? ということだ。
 素人が手を抜いてどうする。
 自分のHPに掲載して友達に読んでもらうだけで満足するのが懸命である。

 ――というようなことを別の名前で出してみたいのだが、「キサマ何様じゃ」と言われるのがオチなので、ここだけの秘密(爆)。


2001年12月09日(日) 発見ふたつ。

 中学生のころ洗脳されて、自分の嫁さんは六緑か七赤の人でないといけないと思いこんでしまった。つまり、ひとつ上かふたつ上、もしくは七つ下か八つ下。
 まだある。
 その人が十歳、年上だと分かったのは昨日だった。
 それだと、六緑になる。
 そうだったんですか、Mさん。

 最大の弱点は、簡単に他人を中心を預けてしまうことだ。よーく分かっているつもりだったんだけど、自分を中心にできなかったということは、まだ理解していないのだ。ひとりではどうすることもできないため、弱すぎて、人の手を借りなくては生きてゆけない身の上を守るためには、多少無理してでも人の和に属していないといけない――と思い込んでいる。
 だから、人の和から逸脱する行為を忌避する。人に合わせて、合わせすぎて、結果的に自分を痛めつけてしまう。業のない人から見たら、アホちゃうかと思うんじゃないだろうか。それくらい、自分がどうしたいか、ではなく、人の集まりの中での流れに合わせすぎて不自由する。
 体力がないので――一時的には力が出るのだが、長引くとダメだ。疲れてくると、ここは適当に話を合わせて笑っていればいい、というような、いいかげんな態度になる。そうなる前に、ぱっと、疲れたのでそろそろおいとまします、といえばいいのに、いえない。
 すぐに疲れてしまう、というところを見せたくないということもある。迷惑をかけてしまうのではないか、というおそれもある。
 そういう態度を改めることで楽になると分かっている。見せればよい。仕方がない。いつもいつも業に負けて、自分を苦しめることはない。それで、ひとりになってしまうかもしれないが――いや、もともとひとりなのに、それを認めず、馴れ合いによって仲間がいると錯覚させていただけかもしれない。
 一言いうだけでいいんだからね。それだけで、いつものメビウスの輪から抜け出し、より楽な、自然な、新たな世界に移行できるはずだ。


2001年12月06日(木) その人にそうさせている自分、という視点。

 いつも食事後に核酸を飲んでいるんだけど、寝る前に飲むとぐっすり眠れるというのでそうしてみた。
 今日、目が覚めて時計を見たら午後2時半。
 きゃほー。

 土曜日に着ていく服がないので、買いに出かける。
 なにかあると、いつも買いに行っているような気がする。普段着だけどね。

 健常者と同じように普通に扱って欲しい、というけれど、気を遣わせてしまう原因はその人自身にある。
 わしは経験者というか当事者だからね。
 障害者だから普通と違う、と思い込んでいるのはその人自身だ。気を遣わなくてはいけないような雰囲気を発している自分がまずあるのだ。他人に、自分(障害者)への扱い、態度を改めるよう求めるのではなく、自分のそういう辛い思いこみを捨てた方が自分のためである。
 なんでもそうだけどさ。
 問題の核心は常に自分にある。外に目が向いている以上、物事は一生変わらない。自分が変われば外側のものはコロッと変わる。観念論ではなく、事実である。
 その人にそうさせている自分、という視点でまわりを見直してみた方がいい。

 ついでにもうひとつ。
 死ぬ気でやればなんでもできる! といい、朝駆け夜討ちで仕事に励み、夢というか野心旺盛で仕事に命をかけている奴がいる。それはいいんだけど、押しつけるんじゃない。
 弱さを知らない強さは脆い。
 何でもかんでも力ずくで手に入れてきた人だから、それしか方法を知らないのだな。いままでは、それで通ってきたからいいのだが、もし、どうやっても通らないことが出てきて、失敗したときが怖いね。
 真に弱さを理解し、そういう自分を受け入れ、立ち直ることができたら、それまでの単純な筋肉馬鹿を脱却して本物の強さを手に入れられるだろうけれども、いまはわからないので、本当に死にそうな人に対して、死ぬ気でやれば……などと言ってしまう。そんなことをしたら、ただでさえ死にそうな人は、本当に死んでしまう。
 どんなに頑張っても出来ないことがある。その絶望がどのようなものか、わからないのだ。
 自分にはわからないということをわかって、余計なことを言わないで欲しい。
 頼むよ、Kさん。


2001年12月05日(水) たんじょうび

 はい。33歳になりました。

 頼んでいたハンコが来た。運営している某サイトの印鑑なんですけどね。
 昔の字体のようで、一見すると読めないのですよ。でも、なんだか高級そうな、格調の高さというか、そういうものを感じさせてくれて、いい感じです。
 今年の年賀状に、すぽぽぽぽーんと押します。

 右目が腫れぼったい、と思って鏡を見たら妖怪小僧。
 そんなにひどくはないけど、ものもらい。
 んにゃー。
 土曜日には大切な予定があるんだけどなぁ。ものもらいなんてはじめてだ。
 薬局で、ものもらい用の目薬を買ってきた。すごく効く、早ければ3、4日で治るという。んー、2日にしてもらえませんか。


2001年12月03日(月) おかしい文章とクールな文章。

 おかしい――笑えること、普通ではない変なこと、ちゃんちゃらおかしいというように揶揄を含んだものなど、ひとことに「おかしい」といってもいろいろな意味があるし、人によっても受け取り方は違う。
 おかしな文章は、少し才能があれば書ける。
 しかし、俺は好きではない。いまは、まったく軽い時代であるから、人生を舐めきったワカゾーが才能に任せて暴走した結果が受けることもある。おかしくて、さらに自身の主張なり独自の視点がもりこまれた文章――ステレオタイプの主張はお手軽で扱いやすいが、そうではない、一貫した独自性のあるものとなると、見たことがない。
 当たり前のことを書いてもおかしくはないので――たとえば、朝起きて朝食をとり、会社に出かけて仕事して、帰りに同僚といっぱい酒を飲んで無事かえってきました――なんて文章を書いても見向きもされないから、小説なら事件を起こし、エッセイなら普通ではない出来事を題材にする。それでいいのだが、物語(文章)の中で何を語りたいのか――主題がないのだ。
 たしかにおかしい。だが、言いたいことは何なのか判然としない。飛んで跳ねて騒いでいるだけである。たまにはいいと思っていたのだが、このところそんな文章ばかり見せられてあきてしまった。まるで中身もないうちから借り物の主張と手法で目立っても続かない。自身を磨くのが先だ。

 それとだな。
 人の暗い面ばかりをとらえたり、なんともクールな……といえば格好いいけれども、冷めた視点で、だってそうでしょう? と開き直りにも似た結論を導き出す文章がある。頭のいい人なんだなと思わされるが、後味の悪い、希望や自信なんて言葉は地中深く潜り込んでその痕跡すら見つけられないといった気分になる文章である。
 流行なのかもしれないが、嫌いだ。
 そんなことをいわれたって困りますよ……といじけてしまう。
 だが、諦めてはいない。
 いましばらくは、主題のないおかしな文章と、困る文章を多く見ることになると思うけれども、そういう風潮のなかから、力強く人間を肯定したり、厳しく中心を問い正す作品が顕れ出でることを期待しています。


2001年12月02日(日) 精子を漏らさない

 うおー、また風邪だっ。
 何度も書いているかも知れないが、夏からずっとひいたり治ったりを繰り返していて、落ち着かない。

 資料は期限を10日まで、厳守! としたので、その後が地獄かもしれない。少しづつ出てくるのがベストなんだけどね。一気に資料がくるだろうから、それを今年中――3週間で仕上げなくてはならない。
 全国にある各オフィスのコメントをお願いしたが、どう書いていいのかわからなくてとまどっていたようだ。なので、具体的なテーマをいくつか提示して送った。さて、どんなコメントが出てくるかな……。

 妙な話(?)をするが、男の場合、精子を漏らすと元気がなくなってしまうということがある。女性は、男性とセックスをして気持ちよくなることで細胞が活発になり、お肌の張りもよくなり元気が出る。ただし、満足した場合であって、中途半端で終わってしまうと返ってストレスになってよくないらしい。
 女性は漏らすものがないからね。いや、漏らすこともあるようですが(^^;……真面目な話、その液はどこから出てくるのか解明されていない。汗腺とか涙腺とか、液が出てくる腺というものがあるが、膣の場合、それがない。まあ、それはさておき、女性は気持ちよくって元気になってプラスプラスなのに、男はプラスマイナスで不公平な気がする。が、漏らさなければいいらしい。
 精子を制止する……って、オヤジギャグみたいだけど、そういうことができるようになると、女性と同じように、セックスすることで元気にあふれ、外に出て仕事もバリバリこなせるようになるという。大きな組織のトップに立つような人、創立者など、善悪は別にして大きな仕事を成す人に分かっている人がいるらしい。セックスをしなければいい――自慰もせず溜めればいいのかというと、そうでもなく、男女の交わりでエネルギーが交換され、さらにおのれの性の力を活かしていける。
 女性は最初から完成した存在で、男性は修行して自分を高めて行くもの。
 しかし、漏らさないといっても非常に難しいですよ、これは。
 ということで、男はつらいよ。
 なのだ(笑)。

 それに関連するのだけれども――勝手な解釈なんだけど、仙骨のずっと奥の方からエネルギーが絞り出されてきて、それが蝶形骨に達すると(もしくは達する過程で)霊動するみたいなんだな。そのエネルギーそのものか、媒体かわからないのだが、一端を精子が担っているように思われた。
 ……って、意味わかりませんね(^^;;。


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