感謝ノートというものを書式は適当に付け始めて8か月程だろうか 三冊目に入った 当所自分の望んでいるものが何なのかもよくわからず ただ老いて行く事への不安が漠然とあったように思う 自分を整理するために付け始めたようなものだった事にこの頃気付く
今の職場や職業からの影響が強いように思う
『老いる』ことの現実を突きつけられている 『病』という現実を見続けている そして、『独居老人』『孤立無縁』というものが実際にどういう事なのか それを見つめる事になってしまっている
50歳近い男性の介護職員の口癖がこれ 『介護保険は健康保険とは違う。10割負担で介護サービスを使うならお客さんやけど、1割や2割負担しかしてなくて、後はわしらの金から出てるのに偉そうにされたり、暴力ふるってきたりして家族もなんも思わへんどころか文句言って来る。おかしいやないか。』 言えてると思う。東京で働いていた頃に介護保険が設立されて、40歳以上は支払い義務が生じた そのことに不満をもらすビジネスマンは多かった 特に配偶者の親ともども他界しているケースは 実際海外に出て行く能力のある人は数名日本から出て行った
今介護を受けている人たちは主に70歳以上 戦中から高度経済成長期を経験した人たちまで 私たち世代よりも2割高い賃金をもらっていた世代も含まれている それなのに私たち世代が背負わなければならない不思議 疑問や不満が出るのは至極当然な気がする
長生きしている人が悪いとは思わない でも、ピンピンコロリといく人はそういう生き方をしている
床に臥す事一週間もなく部屋の畳の上で朝亡くなっていた祖母を見てそう思う 七夕に亡くなった三桁の入居者さんもそう 最後の最後まで自立し矍鑠と生きていた 己に甘えを許さず ただ日々を大切にし体をよく動かし規則正しい生活をしていた 贅沢三昧、飽食とは決して言えない生活 それだからこそ、長引く病に苦しむこともなく生けたのではないだろうか 日々高齢者と接していて、肌身に感じる 長生きを謝る時間があるのなら、元気でいられる時間が多いように自分でも努力したらいいのに、と
亭主関白、日本男児などという言葉を背景に持つ世代だから流され過ぎ 受け取る事を当たり前に思いすぎなのではないか
それもまた、現在の日本の問題であるように感じる そして、医療の進歩が無気力に延命する期間を伸ばしているだけのようにも思え憂慮もする
経営トップの親戚がこの春先にサ高住に入ってきた 70代で病気知らず、非常に元気だったというその人はたった一度の転倒で血まみれとなり救急搬送 食事は胃瘻となり、自分の意志で動かせるのは眼球と片方の手だけとなった
今や病院は急性期の治療をする場所で、療養する場所ではない 後遺症の分類に入るとそれはもう安定期なのだ 当然状態が安定するとあとは病院で24時間体制で管理する必要がなくなるので、退院の運びとなる
しかし、現在の日本社会ではその退院後の受け皿が不足している 自宅か施設か選択肢は大きくこの2つ
独身で、子供はなく医療ケアがないと生きていけない状況となったが、施設は入所するのが困難である 老健は3ヶ月で出なければならないし、特養はどこもいっぱいで空き待ち状態 療養病院は法律改正で減少の一途 こういった社会的背景が、医療依存度の高い高齢者をサ高住へ流れさせている ただ、サ高住はいわば掃除付きの高齢者専用の賃貸住宅なので医療や介護については別途料金となり経済的に余裕がなければ入れない ちょっぴり高級なシェアハウスに、管理人が常駐しているといったほうがより適切か
自宅となると、医療者や介護士がケアをする事になるが、自身の唾液や痰で喉を詰まらせ窒息する可能性もある つまり、見守りが24時間にわたって必要な状態である
一般の人なら、親戚などが相当苦労する事になってしまうわけだが、幸いな事に近い親戚が施設を所持し、かつ医者でもあるという事で手厚いケアが受けられることとなった
おかげで私の日曜日は時々仕事になった 毎年年末だけは決まった連休があるのだが、今年の年末がどうなるのかはあえて気付かないフリをしている 別途手当でもあるなら割り切れるが、代休さえままならない上に休みを取れる曜日まで限られている 大好きだった3桁の入居者も亡くなり、仕事はきちんとしているもののここで働いている事の意義がいまひとつ見いだせずにいる
毎晩ストレッチをするようになり、ジムにも週2回通うように習慣づいてきたので、リフレッシュにもなっている そのおかげで、やめたい気持ちでいっぱいというわけでもない 日々起こる色んな不満や不安を適当に飲み込んでここで流されながら働いていくのもいいだろう
だけど、「もう年だから無理やわ」という限界を自分で決めてしまうのはいささか早急な気もする 人生でどん底だった時期を、さして味わう事もなく一生を終える人もいる そういう意味では3回はもう味わった事を自覚しているので疲れたわ、という感想も持っている 私の生き方を、高みの見物をして面白がっている人もいる けれど私は知っている 苦難を乗り越えられるというのは、もはや才能である 高みの見物をしている者には、そういう才能が欠落しているのだろう
体は魂の入れ物だ 最高に気持ちよくいられるパフォーマンスのできる私になろう そのためにすべてを整えていくのだ
私にはまだやりたい事がある その為には看護師である事も、そこに行きつくための通り道の一つなのかもしれない
もうダイエットという年頃でもない しかし、仕事で90kgもある下半身麻痺の男性を抱え上げるといった事も手伝うので膝や腰など関節がやられる 仕事で体を使って走り回ったり、かついだり、抱き上げたりと体力勝負な事をしているが、ストレスや40代という女性特有のホルモンバランスの乱れからちょっとおでぶちゃんになってしまった
好きなものをおいしく好きなだけ食べるのは、異常なレベルではないのでいいと思う でも、体が重く疲れが取れにくいのは生活の質が下がっていけない 封印していたジムに週一回通うのがやっとではあるが、今週は2回いく事ができた これくらいのペースで、ちょうどよい体重と体型を半年後には手に入れられるといいなと思うこの頃である
しかし、そろそろ住みたい街に引っ越しを考えて行きたいものだ 海辺の街に
|