THOKOの日々

2013年10月31日(木) 仕事

続けられそうな処を受けて、一つ受かり良かった
引っかかる点があるが、贅沢は言っていられない

第一志望は返事待ち中である
看護師としての業務は殆どなく、事務的な部分と検査技師範囲の仕事の手伝いが主となる
これまでの経緯からこちらのほうが向いていると思った

ジェットコースターのような道を選ぶから波乱万丈になる
周囲はそれを高みの見物で見てて楽しいかもしれないが
本人は命がけなわけで(笑)

40を超えて落ち着いた生活をしようと考えた今は
これまでなら選ばなかった道を選べば少しは落ち着いた生活ができると考えたからである

しかしそれもまた、受かってからの話である。



2013年10月18日(金)

細木さんの私への予言は見事に外れた
占いに凝った頃もあったけど、今は存在を忘れていた

色んなことに巻き込まれて、
無意識のうちに首を突っ込んでることもあっただろうが、
けして穏やかな道ではなかった

しかし、この頃あまりにも巻き込まれてけがまでしたので友人がどうしてもと無理やり占い師のところへ連れて行った

30歳近くに身内の不幸がある
20歳から40歳までの間の運気が人生においてもっとも厳しく、心から信頼している人と別離する
お局の運がついているので結婚は若いうちにしたほうが家庭をしっかり守り家運を持ち上げる
転職運が強く、異業種へ方向転換するが素早く器用にこなせる性質なのでさほど労せず職務遂行できる
自己評価程芯が強いわけではないので、重責を負うと失敗する
尊敬できる人の元でサポートするほうが双方の力を引き出し発展へ導くことができる
41歳以降に色んな事が落ち着いてくる
それまでは、人に振り回されるという星の急所が強くでる

具体的なとこから抽象的なことまで、自覚してる事が多かった
信じないぞー。
でも、気休めにはなるかもね。



2013年10月14日(月)

収入が必要
インスピレーションが必要
語彙が必要
感じる心が必要
表現力が必要

憎しみも苦しみも悲しみも憂いも嘆きも喜びも
分かち合う相手がいてほしいと思う
それは、読者でもいいわけだ

最近、押し黙っていた親戚がとうとう私の結婚はまだかと口にしだしたそうな
これを機に私への『結婚しろ』プレッシャーはすさまじい勢いでのしかかってくるだろう

母にとって最期の頼みの綱だった幼馴染は年内に再婚することが決まり、
関東にいる元カレは去年結婚した
この事実を知った母は大きくため息をついていた
売りだし中に買い手はいくらでもあったのに、己の都合で今頃売りに出そうとは恐ろしき自己中心さ
論破しておいたが、忘れてまた言ってくるだろうな
結婚相談所へ登録とかされそう、、、

冷静に分析して、、、
この年齢で持病がある時点で動物として子孫を残すという使命は果たせまい
金より生きがいに重きを置いて転職したが、色んな疑問は消える事無くNSへの昔ほどの情熱はもうない
20歳まで生きられないと言われてから、やりたいことはやりつくした感がある
おまけの人生は本当に必要な人にわけられるものならばわけたい

私は一人の人間で、誰のおもちゃでもなく見世物でもないのだ



2013年10月12日(土) ’いい人’

彼女は学生だった時、講師に告白された
あまりに熱心にされたのでお断りのつもりで自分の持病の話をした

『そんなの一緒に治療を受ければいい事で、自分には何の障害にもならない』

その一言は、色んなことを諦めていた彼女の胸を打ち抜いた

彼女には『応援してる』『ファンだ』『将来楽しみだ』『幸せを遠くから願っている』
そういってくれる人はたくさんいたし、その少しずつ応援をたくさんかき集めて自分を奮い立たせる術もあった

けれど、「共に」という言葉をくれた人はいなかった
その言葉こそ本当は何よりも望んでいたものだった
けれどそんな奇跡は起きやしないという事も自覚していたからそれはそっと箱に入れて何重にも鍵をかけ閉まっていた

その鍵は開いてしまった
その箱は開いてしまった
彼女はとまどった
今まで人が欲している言葉を言ってきたことはあっても実際もらった事はなかったその言葉を彼女は信じたかった
彼女はその人を見てみようと思った

立場上特別なことは何もなかったがほんの少し毎日が色づいた気がしていた
生きていていいんだと感じることができていた

そんな空気が続いた頃、実習の関係で隣のクラスと交流ができた

その中に連絡が途絶えてもなお講師を想い、待っている子がいる事を知った

「特別な感情を持つことはできなかった」と告げていればよかったものを講師はその子を傷つけたくないがために連絡をしないままで一月が経っていた

講師は諦めてくれただろうと思い、その子は忙しいから連絡がないのだろうと思い待っていた
しかし、その間に講師は彼女と連絡を取り合うようになり、彼女も少し心が揺らぐようになっていた

彼女は自分の心に紙で切った傷のようなものができるのを感じた。そこからゆっくりと血がにじみ出てくることも、色づいた景色が褪せていくことも感じていた。けれど同時に怒りも誕生していた。誰だってむやみに人を傷つけたくはない。特に男性は男のロマンというか美しく終わりたいというような美学を持っている人が多くて修羅場を嫌う傾向が強い。そんな事は知っていたはずだった。でも、信じたくはなかった。持病のことをさらけ出すのは相当な勇気と覚悟が必要だった。そうした事を告げた後それでもと言ってくれたその救いの言葉をそれこそが真実だと信じたかったのだ。

目の前でしくしくと泣くその子を見ながら、話が半ばごろまで来た頃彼女は事実を口にした。「この頃私に連絡がある。どういう事なのか本人にきちんと聞いたほうがいい。私から聞いたと言ってくれていい。」と。同席していた数人の同級生は驚いて言葉を忘れていた。
その子は、「嫌われたくない。彼を好きなのか。」と彼女を責めた。
もともと実習にあたって必要性があって連絡を取っただけの事だと説明した。そもそもはそれが事実だった。
彼女は平静を武装しながら心で叫んでいた。
『太陽のもとで、人並みに誰かを好きになれる。そんな当たり前のようなことさえも私には高望みでしかないのか』と。

あらがえない定めを感じて彼女は講師に連絡する。
『Rさん、ぼろぼろになってますけど』
きっとその文面を目にした時講師は顔面蒼白だったに違いない。
どこまで彼女が知っているのかを急ぎ聞きたかったのだろう、すぐに電話が鳴った
彼女は自分の中に溜まっていく血を感じながら、’いい人’な講師に憤っていた。それでも冷静に事実を話した。
講師はその子に連絡を取り、数か月かかってようやく好きなのは彼女だと告げる。
今度はその子が彼女を追い掛け回す日々が続いた。その子も、’いい子’だった。『あなたが彼を好きなんだったら私は諦められるから』『彼はあなたのことが好きなんだって言うから私は二人を応援するわ』『ちゃんと連絡取っている?』『私みんなには黙ってるから心配しなくて大丈夫よ』
講師は講師で『その子を傷つけた自分が許せない』『その子を傷つけて自分だけ幸せにはなれない』と言いはっきりしない状況だった。

その間にも彼女の中の傷はじんわりと深くなり、流れた血は淵となって溜まっていった。揺らいだ気持ちはそのまま傷を深くするナイフとなり、彼らの言動はその傷に塩を塗る以外の何物でもなくなった

しばらくそんなことが続き、彼女はもう耐えがたい状態になっていた
講師とのメールと電話、猛勉強の日々
彼女は勉強を取った
講師とは外で会う事もなく、終わった

講師は、その子を傷つけそして彼女に消えない傷をまた一つ増やしただけだった
けれど講師は気づかない彼女を傷つけたという事に
そして気づかないのだから謝ることもない

とどのつまり、悪者の存在しなかったおはなしには悪者が必要。
三角関係の悪者としてキャスティングされたというだけの
ちょっとした、よくある小話



2013年10月11日(金) 書くということ

書くことは生きる事
小学校の朝礼で全校生徒の前で読んだ’父の汗’
毎日の朝礼の後にクラスで書いた内なる自分の正体
夏休みの読書感想文は市のコンクールで金賞
友情を描いた青春物語を書いて雑誌で佳作

卒業後偶然出会った当時の担任の一言

「おまえ器用貧乏だけど文才だけは俺の持った生徒の中では別格だった」

母は三度のごはんより本が好き
大学時代から俳句に傾倒し、楠本憲吉の弟子だった

父は私が男子である事を願い、生まれた時のことを社内報に記している
’わんぱくでもいいたくましくあれ’
間違ってるけど、理路整然とした文章だった

東京に居たとき、八百長仕事の話があった
審査員に息がかかっていて業界にコネがあったわけで女性カメラマンとしてコンクールに出ないかという話だった
腕もないのに肩書きだけもらって、がんじがらめになるのが嫌だったのでお茶を濁した
いい脚本を書くのに未だにゴーストライターをして煮え湯を飲んでいる人もいる

結果は出ないかもしれない

子供だったから出せた結果かもしれない
でも、写真で小さな賞をもらえたように
私の言葉で小さな賞をもらえたら、と思う



2013年10月10日(木) 結婚記念日

今日は親の結婚記念日
昔、結婚二十年を数え間違いして親に贈り物をしてしまったことがあった

普段使いできるダイヤモンドの指輪がほしいと普段から言ってた母にはそれを
人の目を気にする父には海外ブランドの腕時計を贈った

母は結局そのあと、一度も身に着けることはない
お嬢様にはOLが背伸びして買った程度のものではお気に召さなかったらしかった
父は翌日からただ黙ってその時計をつけて仕事に行った
死ぬその日まで一生懸命働く父の腕で時を刻み続けた
亡くなってから見ても、きちんと手入れされていた事がよく伝わった

夫婦のことはたとえ子供でも分からない事がある

けれど、この日くらいは母にも『あの頃』を思い出してもらいたいものである


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