数年前大きな手術を受けてそれを乗り切った人 栄養状態が非常に悪く、ほぼ寝たきりの状態 病院と特色上、ある疾患の疑いがあるという事で入院
だが、たらいまわしの実情がそこにあった 疾患としては何かあるわけではなく本人の気力がない上に筋力が低下しすぎていて自分で起き上がれないのだ つまるところ日常生活介助が必要なだけで、疾患治療は必要ない状態 それで前院が、こちらへ転院を進め家族は退院を勧める病院に憤慨して転院してきた(家族と言っても同居はしていない) もし私が医療者でなければ、憤慨した事だろう けれど、そこには深刻な事情がある事も今ではわかる 国の医療費は32兆円を超えるため、国がとった政策で入院期間の短縮が図られていること 病院は治療するために存在し退院をめざす施設だ
治療ではなく、身の回りの事ができないという理由での受け入れをしていてはますます医療費がかさみ、病院も経営が赤字になる そういう場合の受け皿として他に施設があるわけだから 家族仲が不良な為に退院後の家族の理解が得られなかったり、独居だから1人暮らしのできる状況になるまで入院させてくれとか結構噛み付いてくる家族は多い 高齢社会のひずみでもあるように思う
長く生き、この国の為に高度経済成長時代を支えた年齢の人たち 子どもに迷惑をかけまいと独居し、そして病になって行き場を失う 子どもたちはそんな心遣いに感謝もせずわが身の生活が変化する事を忌み嫌う 病院は姥捨て山か 人が人として生きていけるようにと願うのはおろかな事なのだろうか
その人がそういう待遇を受けるような生き方をしてきたのだという考え方もあるとは思うが
同期に誘われて京都に一泊シンポジウムに出発 偶然母校の教員と鉢合わせ しかし、すっかり変化した風体の私に気づかず去られてしまった
大切な事は、‘諦めないこと‘なんだなとやっぱり思った 熱意と理想があって、それでもってこの年齢で突き進んだこの道 この仕事をやめる気はしない けれど、今の環境はいいのかという迷いは出現している 1年はここにいて続けるけれど
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