「わたしはずっとあなたにかわいがられ、愛しまれていると信じていました だからこそ乗り越えられたことがたくさんたくさんありました けれどいまあなたは限られた記憶の中でしか生きなくなりました そしてわたしは知りました あなたがほんとうに大切に思っていたひとはわたしではなかったのだと そのことがわたしのこころを一瞬にして凍らせてしまいました あなたはそんなことなどまったく気付こうともしませんけれど わたしのこころはわたしからはなれて扉を完全に閉じてしまいました 信じるものや、愛された記憶をすべて否定されるのはつらいことですね 人格や存在までも消されたきもちです こんなわたしを抱いてこれからもいきていかなければならないんですね だったらどうして誤解するようなことをしたのでしょうか こどもは残酷だというけれど、大人だって残酷です わたしはこどもの頃からあなたにとってただのコマでしかなかったのですね 心がないています 悲鳴をあげています 血をながして叫んでいます けれどそれでもあなたはもう見向きもしないことでしょう わたしには」
実習中に響いた言葉はたくさんある
1年の時は、目的が同じなら手技や使う物品は特に関係ない 2年の時は、優先順位。当たり前ながら1番には生命を守る2番には安全安楽に過ごしてもらえるように3番目は各個人の個別性にあった意味での社会復帰をめざす事。これらこそが看護。看護という意味では最高峰と言われる聖路加の新人ナースが言っていた。病気を見るのは医者の仕事。でも患者さまのすべてを見るのは私たちだと。 3年の1目の科に実習に行った今は、患者さまは自制しきれない心があるのだと感じる。私たちがこうなってくれたら退院に近づくのにと願う姿にはなかなかなってくれない。知識がないというよりも、わかっていてもできない場合が多いように感じる。それを開き直る人、情けないと口にする人、涙する人。強がっても不安を隠しきれない人。色んな人がいる。 知り合いが憤慨していた事があった。家族が手術を受け、術後にまだ痛がっている本人に看護師が動けと言った。という理由だった。 私はため息が出てしまった。術後の早期離床は今ごく定着してきている事。痛みにかまけて動かないでいると合併症を起こす危険性が高くなる事を、この人は知らないわけだ。。医療者は説明したはずだ。だからこそ、本人は痛がっても動こうとしていたわけだろう。しかし、、世の中きっとこういう感じ方をする家族が多いんだろうなと思う。当人と変われない悔しさの矛先がこっちに向くわけだろう。悲しいけれど。
実際、私が入学前に考えていた事よりも多く深く医学知識を学んできた。 正直ちょっとびっくりしたくらいだった。 けれどきっと、こんなに勉強してるって知られてないよね。と、笑う自分もいる。
いよいよ最終学年に突入し、実感もないまま臨地での実習が始まっている きっとペースをつかんだ頃には夏休みで、 就職活動で、やっとこ慣れてきた頃には実習が終わって国家試験 そして就職ってな具合になってそうな予感だ
卒業して1年ほどぼーっとできないかなぁとか頭をかすめるほど 毎日。。。。ネムイ!
人間てすごいもので、6時間は寝る日が欲しいとか おいしいもの食べたいとか 風呂にゆっくりつかりたいとか 楽しいことしたいとか
ちょこっとそう考える日もある。 多くはただ寝たいと願う日がほとんどだけれど。 休みの日がなんと恋しい事か、ただ眠りたいだけながら
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