THOKOの日々

2003年11月29日(土) まいわーるど

ぐったり来ていたので、前に友達からもらった長時間用睡眠薬を飲んでしこたま寝る。つもりだった・・・・・・・・
しかぁし、23歳の後輩から午前中に電話がかかってきて起こされた。
が、お薬のおかげで朦朧としていたので電話には出ず着信音をしっかり切って再び寝た。だって出るまで何回でもかかってくると思われるから(泣)
ストレスがたまった激しいきーきー声の愚痴を言いたいだけだとすっかりもってわかっていたというのも十二分にあったからだった。
悪いが年末に向かって今のうちの風邪も治しておかなきゃ自分のクビを締める。
という事は彼女の首も締めてしまうという事なのだ。

どうしてこうも私の周りは激しい人が集まるのか不思議だ。
温厚という言葉の似合う人が居てくれればかなり癒されるんだが、
温厚と勘違いしている人が多くて疲れる。

病気の時くらいそっとしといてくれよ〜〜〜(涙)



2003年11月28日(金) みやげ

中国に出張していた人からおみやげをもらった
数種類のお茶の葉と水筒のようなものだった
気に入って持ち歩いている
久々のヒットだ★



2003年11月23日(日) 欲しい物

クリスマスが近づいて参りました。
毎日思う事ですが、私の欲しいモノそれは専属の総務係ですッ(泣)

風邪っぴきなのに熱にうなされながら布団を出たり入ったり
年賀状の印刷はもうじき終わる。
次はクリスマスカードを作らなきゃいけない。
お礼状もお歳暮も月あけのイベントの案内状も書かなきゃいけない。
書類の山だーーーっ。

誰かタスケテクダサイ(泣)
ってな感じ。



2003年11月17日(月) 言い聞かせる

時々弱ると誰にも会いたくなくなって
誰と連絡を取る事もうっとおしくなって
心配してくれてるとわかっている相手でさえも
その心配してるのよというアクションが重くいっそう滅入っている気持ちをどん底に突き落とす
黙って遠くで見守っててくれよと怒鳴りそうになる
知り合いが言っていた
たとえ血が繋がっていても
たとえ恩師であっても
迷惑かけないからそっちもかけてくるなよと思う事があると
結構わかるなぁとしみじみ思う
けれど人は他人にはそれを求めても己は人にそうはできていないものだ

大事な人が居てその人の余命がいくばくもないとする
それでもその人は思い通りにならない体をひきずりながらも人に会おうとし
自分に尽くしてきた人たちの役にたとうとする
それを黙ってやりたいようにさせ、それに付き合い続ける事がいいのか
じっとしててくれと少しでも余命が伸びるようにするがいいのか
どっちがいいのかは人それぞれだと思う
しかし、私が当事者ならきっと前者を望むだろう
死んだように生きていたいとは私は思わないからだ

入院していた時毎日毎日白い天井を眺めながら日々を過ごしていた
いつ退院できるやもしれず、見舞いに来てくれた同級生さえもありがたいと思うのは居てくれる時だけで、帰ってしまえば寂しさが増すばかりだった。
なぜ私がこんな目にあわなきゃいけないのか、見舞いに来てくれた子達は毎日自由に歩き、学校に行き遊んでいるのに私には白いものに囲まれた病院の中だけしかない。言いようのない怒りとやりばのない寂しさと、先の見えない不安と絶望感。
それを打ち砕いてたくましい精神を持つには私は幼すぎた。
子供ながらかなりのストレスを持っていた事が今ならわかる。
当時はイライラしたりする理由さえもわかっていなかったし、イライラしていたんだなという事さえもわかっていなかった。
弟が事故で入院生活を送ってどうやって入院生活を送っていたのかと訪ねてきた時初めてふと思い返して整理がついたのだった。
つかの間の休息だとか、無理して倒れちゃったからとかそういった先の見えた入院ではなかっただけに結構辛いものだった。
今でも時々病院が手招きしてるなと思う時があるとぞっとする。
ぞっとするからこそ、自分をコントロールして周囲に心配も迷惑もできればかけたくないなと思っている。
だから自分的には昔よりは確かに成長しているんだ、と思う事にしている。
そうやって少しずつ言い聞かせないと自分の不出来を棚に上げて周囲を嘆いてしまいそうなのだ。



2003年11月08日(土) とても嬉しかった事

ケツに火ぃついたぁ。
久々に親友に電話したら明るい声で彼女はそう口にした。
随分思い悩んでいた時期があっただけに私はとても嬉しかった。
自分もケツに火がついているのだが(w

年末はまた私は帰省する。
彼女にも会う時間があればいいなと当然のように思っていたが
気持ちは軽く電話でも久々に大声で笑いあった。
会うのがかなり楽しみだ。



2003年11月07日(金) 家族

尊敬する先輩に、ふと聞いた
「愚痴ばっかり聞かされて、価値観の違う事を押し付けられてそれでも毎月のように定期的に会う時間をわざわざ割くその理由がすごく不思議なんですけど」
答えは一言だった
「家族だから」
非常に納得した。
家族というものの定義なんて人それぞれなんだと思う。
「助けられる時は助けるし、無理な時は無理。」
先輩の家族の定義は私の友人と定義が同じように思えた。
私にとって家族というものは、何があっても背負わなければいけないもので逃げようったって逃げられない縁のもの。ずっとそう思って家族という存在をうとましくさえ思いがちだった。友人は私を癒してくれるし慰めもしてくれる助けてもくれるし助けもする。私には家族よりも友人といる時のほうが楽しく辛い思いや、しんどいなどと思わずに居心地よくいられた大切なものだった。
先輩にはきっと家族という言葉の意味はそのようにあるのだろう。
そう思うとなんだかとてもうらやましい気持ちになった。
私と家族の距離は近く、適度な距離感が計れないのだろう。
ゆえにきっと家族という言葉は私にとって重くのしかかるものなのだろう。
なんとかしないと、とかあー、もう。。などとイライラしたりしてしまうのだ。
それゆえ結婚というものもイマイチ乗り切れずに重苦しいものとしか考えなくて逃げてしまいながら今まできてしまったのだろう。
きっともっと他人事に思えれば私は楽になれるのかもしれない。

先輩の話を聞いていてそう思った。



2003年11月03日(月) この頃

マシンを立ち上げることがめっきり減った。
おっとっとと思って立ち上げるのも下手したら2週間ぶりとかの勢いになるのだ。
目標ができた事と、整理をつけられた事とでメリハリのついた考えができた
ダメもとでやってみようと考える事である


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