〓月夜の日記〓(つぶやき版)
もくじへ。昨日へ。明日へ。


2001年11月29日(木) くやしいCM




最近、  もおぉ、

わかってるんだけれど、 ついつい聞いちゃって 


画面まで見ちゃって   くやし〜〜〜〜〜〜〜!!!って思うCMがある。







それは  全日空のCM




声は ハイジやクララ、 アルムおんじ 






特に、あの ハイジの 出だしの声が、 なんだか 昔よりわざとらしく


でもハイジが大好きなあたしは、  絶対に聞いてしまうのだ



わかってるのにっっ!!!!   CMだってことは!!!




しかも



最初はちゃんと  ハイジの台詞なんだけど、



いきなり 途中で  全日空の宣伝を読み上げる感じになって


そこが 大嫌いなのに、






なのに  聞いてしまう!



くやし〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!






嫌いになった、アイドルを ついつい見てしまうのと すごっく似てる



もう変わり果ててしまったのに 



いまいち  見捨てきれない。。。  ちょっと見てしまう・・・



 


節穴だった 子供のあたし・・・・ 




うぅうぅ!   そんな  うずうずした 気持ちに似ている!


んもぉおおお〜!




これがまた、 頻繁に流れるんだよなあああ。





毎日の TVの占いコーナーを  見たくないのに 


つい見ちゃって、良くなくて むぅううう・・・・と 思うみたいに



毎日・・・毎日・・・




最近  むぅむぅううう・・・・  と  



CMが終わっても、  思ってしまうあたしです。


2001年11月28日(水) おそろいのTシャツ




小学校6年生のとき、 とっても仲良くなった子がいた。



Rちゃんとしよう。


小学校の通学路は、あたしと反対方向、  大人っぽいそのRちゃんは


農家の娘さんだった。  だから、おうちは敷地に2軒たってるし


広い庭というか、空き地といったほうがいいかもしれないけど、

うらやましいかぎりで、

よく 遊びに行ったものだ。



大人っぽさは、 お姉さんのせいだな、っていうのもわかった。


高校生のお姉さんがいる。とってもきれいな。


彼氏も かっこよくて、  覗いてみたりしたこともあったっけ。


いちゃいちゃしてた。 はは。 勉強してて。 


なんだか、 漫画の世界だなあ・・・・と あたしはそのとき 思ったのだ。


あと、心は明星平凡。。。交際っていうのね、こういうの・・・なんて思った。


(明星、平凡と、りぼんと、週マ 愛読者だったのです)



ある日、



Rちゃんが、お母さんに呼ばれて、 母屋のほうに行った。


あたしはいつものように、遊びに来てて。 おかしとかだしてもらって、



もうひとつの方の 家の、くつろげるところに、呼んでもらってた。


Rちゃんが いなくなって、 ふたりきりだった部屋が、一人きりになって


(広くて いいな〜〜〜・・・・・) なんて 


あたりをぼんやり 見つめたりした。




しばらくして、Rちゃんが 帰ってくると、


「これ、なんか デパートで安く売ってたから、2枚買ったんだって。
 だから、一枚 あげるよ。 お母さんがそうしなって。」


うぉ?!


「え、いいの??」


それは、 セーラーカラーのTシャツだった。


夏によく似合う、 小さめのセーラーカラーは白で、

Tシャツは、 赤の細いボーダーだった。

「かわいい! おそろい?」 私は聞くと、

「うん!2枚とも一緒だって」



うれしっ。  Rちゃんと仲良しだったし、すごくうれしかった。


「今度、学校に 一緒に 着ていこうよ、ね!」  


Rちゃんが言ってくれたので、ますますうれしかった。







それから、ちょっとして、 あたしも母親と一緒に デパートに


行く機会があった。


子供といっても、もうかなり体が大きかったし、身長もあったので


サイズは子供服と大人の中間くらいだった。



その日、ワゴンにはTシャツがいっぱい のっかっていた。



セールみたい・・・


当時って、そういうのが、なんかすごく 新鮮にあたしにはうつって


大人の世界だわ・・・・なんて思ってたんだけど、



ワゴンの中の Tシャツ、 ひっくりかえしてたら、



ちょっと 気に入ったのがあった。


「これ、いいんじゃない? 安いし」  母親も言ってた。


あたしが気に入ったのは、 タオル地で、白地にピンクのパイピング


文字が 胸に入ってて、それも ピンクの濃淡で、なんだかいいかんじ!


(ちょっと ピンクレディみたいでいいじゃん) 心でそう思いつつ


「このまえ、 Rちゃんのお母さんに、Tシャツもらったから、

 これ、おそろいで 買ったらだめ?」



母親に 聞くと、「そうだね」 と 同意を得られたので、



2枚買ってもらい、  翌日  たぶん 夏休みだったんだと 思うんだけど


遊びに行ったときに、Rちゃんに渡した。





やった! これで おそろいのTシャツが 2枚になった!!!!!





それからは、 セーラーカラーのほうと、 タオル地のほうと


最初のうちは、 「明日は 赤いほうのTシャツね」などと 言い合い



お揃いを自慢気に 着てたかんじだったんだけど、 



だんだん


それぞれ たまに、偶然一緒になるときもあれば、


お互い違ったほうを着ているってかんじで、楽しんだ。








申し合わせて、おそろいを着てこようね、っていったのは


小学校の 卒業アルバムの写真撮影の日。




「おそろいで、映ろうよ」



お互いがそう思っていて。



でも ちゃんと 指定しなかったから、


あたしは タオル地のほう。  Rちゃんは、 赤ボーダーのセーラーカラー







意味ないぢゃンッ!!!






あららら・・・・・




お互い なんだか、顔見合って 笑ったな。



そして、 おそろいだってことは、 アルバムに証拠で残せなかったけど


クラス写真のときは、 隣同士になって、 手を繋いで 


それぞれのTシャツで 映ったんだ。



どっちも 見られて よかったかもな。なんて



あとで 思った。







そのRちゃんは、


あたしが転校するっていう うそを 聞いて



泣いてくれた人でした。



(他の友達が、なんだか知らんが、うそついてみようか、などといって
 Rちゃんに 言いに行ったんだ)



あたしは、びっくりして、うれしくなって


すぐに 「うそだよ、 転校なんてしないよっ」  って言いに行ったら



怒るかと 思ったのに


「ほんと?」っていって  「よかった」  って。



あたしは 謝ったっけなあ。。。  



「ごめんね、 だけど 泣いてくれるなんて、うれしかった」




正直に 言って 笑いあった。





大人っぽくてふだん、 あまり笑わないような顔の その子が


泣いてくれるなんて、 すごく仲良しのあたしでも、 びっくりした出来事で


まわりのみんなは、もっとびっくりしたらしく




忘れられない 思い出となっている。


 











あのTシャツ、




中学になっても、しばらく着てたな〜。







2001年11月27日(火) 殺意





本気で




人を殺そうかと 思ったことは




1回だけ










父親に対してだった













母親に 怒鳴り散らす    父親を












あたしが、 殺すしか ないのかな・・・・もう・・・・と





すごく  冷静に思っていた。









あたしが殺せば、   もう 母親も 苦しまないですむ










それぞれの生活を すればいい・・・








そんなふうに、   台所の流しのところにいる父親を










ただ   ぼけっと、    自分の部屋から見ながら











19歳だから    なんとかなるだろうと 思っていた。








そのときの 父親の姿を    今でも思い出す。






上に 白い 肌着をきて、   スポーツ刈りで








横顔だ。   右がわを向いている。    





ちょっと うつむき加減で、    何かを探してるんだか・・・・





何かを見てる様子で。








あたしが こんなふうに  思いながら  見ていることなんか






まるっきり   わかってないんだろうな・・・・って。








そんなふうに 思ってしまう自分を






ふっと我に返ったとき  悟ったんだった。    











「こんなところにいたら、だめになる」









分かるのが、遅かったのかな。






自分の中に なんでもしまい込んでた。





友達と会うときは、笑ってた。 いつも。  





人にどう見られるかってことを、  意識してたみたい。




家の中では、  全然話さなかった。  







若いときになんて、  全然戻りたくないな。





今のままの 精神で 戻れるならば、って思うけれど




それは、外見だったり、  友達や恋人と会っている時間だったり、






だけど、それ以外は  だめなことばかり。






暗い気分





重い・・・・






だから、人と伸び伸び 付き合うことを 知らなかったんだ。






親友にだって、  やっぱり言えないことはある。




付き合っていた人にだって。





20歳を過ぎて、一人暮らししてから、







怯えながらだけど、夜を過ごして・・・・





その頃付き合いはじめた人にだけ、  やっと言えたんだ。






「お父さんを 殺そうと思ったことがある」と。














解放された 気がした。




2001年11月26日(月) 憧れのスタンド



保育園のとき、憧れたものがあります。




バレエのちょっと前にあこがれていたのかも。



小さいときから、スワン・・・白鳥ってイラストでもなんでも


ナゼか大好きだったの、(バレエに通じるものがありますよね)







ある日  保育園の同じクラスのコのうちに、


泊まりに行ったときのことだった・・・・ 1つ年下のお金持ちのコのうちへ。



しょっちゅう一緒に遊んでて・・・



ちょっとわがままな 生意気なとこもあるけれど、 今思い出してみると


ちょっとやんちゃで、かわいかったなあ〜なんて思えるそのコの


お部屋に入れてもらったときに、 真っ先に あたしが 声をあげたもの・・・・




それが、スワンのスタンドだったんです。



電気をカッチンと つけるために、ひっぱるとこがあって・・・


その根元は かわいらしい 白いツヤツヤした、スワンだったんです。


湖に浮かんで 丸まっているような、花もあしらってあって、


ものすごく 今まで見た中で、いっちばんカワイイッッ!!!!



ああ〜!!! 欲しいよう・・・・



「これ、かわいい〜!すごくかわいいね。 スワンがすごくかわいいね」


なんてほめまくって・・・・ なでたりして・・・


じっと見つめていた。  ああ〜、なんか動き出しそうなくらいかわいい。




ベットサイドのスタンド・・・ カチッとつけて、やさしい光が


ポワンとさして、 絵本やなんか、読めるんだ〜!なんて


小さいあたしの 想像は どこまでも広がって・・・・・






次の日は 上野動物園に 連れて行ってもらったのだけど・・・・



そのことは また今度にして・・・






うちに帰って さっそく スタンドをおねだり。


うちの両親が 聞いてくれるわけありませんが、


しばら〜くして、買ってくれたんです。



自分で選んでいいっていって、デパートに連れて行ってもらった。



だけど、 かわいいスワンのは、 全然なかった。



「ここで選んで」っていわれて、



結局 黄色いフリンジのついた、 憧れのとは全くちがったものだったけど


スタンドそのものにも、あこがれていたので、 



「これでいいや!」と思った。





カチッとひっぱって、 黄色い明かりを確認して、


またカチッとひっぱって、 消して・・・それを繰り返して、何度も何度も。




母親に買ってもらって うちに帰ってからも、 何度も何度も。




「でもやっぱり、あんなのも 欲しかったなあ」



やさしい スタンドの明かりを見ながら



スワンのことも、何度も 思い出したのだった。




2001年11月25日(日) あこがれのバレリーナ



あたしはずっと、憧れ続けてきたものがある。


それは バレリーナ・・・・



小学校1年生のとき、 友達がすでに、習っていた。


あたしはそれが、ものすごくうらやましくて、教室までついて行って


片隅で真似なんかして 一緒にやったりなんか してたんだけれど、


そこはあまりにも遠かった・・・





憧れたのは、やっぱりあの衣装と、 爪先立ち。


綺麗で、優雅で、子供の目からみても、 あんなすごいことって、


ないと思ってた。




きっかけは、 ロビンちゃん・・・・


ロボコンが大好きだったあたしは、 あのバレリーナのロビンちゃんの

おかげで、バレエを知ってしまったのだ。 

ロビンちゃんになりたい!!!! 毎日願うほど。(バカ)


そして、 「SWAN」という マーガレットの連載漫画のせい。


有吉京子さんが描く、 バレエ漫画があった。



すごく 繊細だけど、力強いタッチで、 マセガキのあたしは とりこになった。



かっこいい人たちも いっぱい出てくるしね。


イラスト集までかって、バレエの基礎なんかも 載っていたので

益々詳しくなってしまってねえ。



1〜5番までの、基本の立ち方を毎日練習したり、

遊び仲間と 振り付けを考えたり。


バレエごっことかいって、やってたっけ、団地の公園や片隅でね・・・



紙でトウシューズを作って 色塗ったりして、無理やり気分を盛り上げたり、


冠を色紙なんかで作ってみたり。


ほんとに 憧れ・・・だったんだな〜!



そして、


大人になった今でも、


バレリーナっていうよりも、 ああいう 動きにあこがれるね。


体によいというし。



桃井かおりさんだって、元バレリーナだ。留学までしているのだよ。



姿勢もいいし、体つきがいいんだよね。


30代のうちに、絶対習ってみようと 思っている。


自分のためにね。



 


2001年11月23日(金) バイト遍歴その2



以前 バイト遍歴を書いたんだけれど、


忘れているものを、思い出したので、追加します。







16----高校1年 初めてのバイトは ほっかほか亭(べんとうや)
*
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*
*
17----高校3年生になって マイコン寿司(回転じゃない寿司や)
*   高校の友達の親が経営していたので、 働かせてもらった
*
*
*
18----卒業と同時に、映画館のもぎり。小さいとこなので、切符売りから
*   お菓子うりやら、なんでもやった。 そのバイトしながら
*   フラワーアートスクールに通う
*
*
19----花屋で働く。 初めての一人暮らしもこのへん。貧乏な〜り〜
*
*
*
*
20----花屋を挫折。 タンパツのバイトを。高島屋の高級和菓子店 その後
*   喫茶店兼花屋の店のバイトに誘われる。 けっこうきつい。
*   近所の英会話スクールに通う。(約1年、おばあちゃん先生だった)
*   お金がなくて、タンパツの仕事も。チャーミングセールのときリーガルで
*
21----印刷やに勤める。 スクリーン印刷で、職人さんたちとチームを組んで
*   かなりきつい仕事だった。 トルエンやシンナーなどで、
*   (インクにまぜたり、スクリーンを拭くので)ラリったり体調が悪くなる
*   引越し。 一人暮らし続く。
*
23----ビクターで、基盤検査 約2年勤めて視力ダウン
*
*
*
*
*
24----もうすぐ25だってときに 水商売へ。ビクターのバイトと
*   夜は水商売ってのを、続けた。さらに視力ダウン
*
*
*
25----完全 お水 ほんとに昼間働くのが、きつくなった。
*   4時半〜11時までのパブレストランと、それから朝5時までかけもち
*   その後、のみに行ったりして、めちゃくちゃだった・・・・毎日が。
*
*
*
*
26----ダイエーの婦人服売り場に勤務。あまりにひどい体制のため
*   1ヶ月くらいしか 続かなかった。暇だったし、チームワークゼロだし。
*   社員食堂も死ぬほどまずかった。。。 
*
*
26----体調も崩し、なんだかうまくいかない年頃。やっとのことで
*   ストッキング専門店に決まる。 昼間の仕事に戻れてよかった。
*   のちに、店長補佐。 約5年いた。   コンタクトデビュ〜
*
*
*
31----次の仕事がなかなか決まらず、短期のバイトをやった。
*   藤沢トポスが新装開店するので、1週間の店内改装バイトをやった。
*
*
31----失業保険を貰い終わり、全然職がみつからず、ぷーを続けたあと、
*   やっと決まったのが、現在の派遣会社。 PCとコピー機のドライバーの
*   テスターをやっている。 32で結婚。仕事は続けている。
*
*
34----11/20付けで辞職 現在にいたる




なんだかさあ、


すごいよね。こまごまとして。

なんかまだ、あったような気もするんだけれどさあ。


最近までやっていた 派遣会社は、なかなかよかったよ。
働いてる仲間がよかった。 金銭的にはかなり低いほうで。ひどいやり方だった
けれども、辞めるときはとても 気持ちよく
手続きも速攻でやってくれました。 ありがたいわ。

これからも 仲良くしていきたいっていう人たちがいっぱいいて、
出会いだけは 感謝ですな。うん。





2001年11月21日(水) 日記帳



小さいとき、なんてったって、あこがれだったのは


お姫様みたいな 格好。



女の子って、なんだか、お絵かきしたりすると、



お姫様を勝手に描いたりすることが 多いよね、かんむりかぶせたり。


保育園で、すでに お絵かきを先生に頼まれるくらい、


お絵かき好きだったわたしは、


小学校1年のときに、日記帳を買ってもらって以来、 


毎日 絵と日記を 書いていたのでした。





その日記帳は、 薄めで、ハードカバー、


白地に バラのきれいな絵が 大きく描かれていました。



ハードカバーをまずめくると、


次には カラーで 1枚 今度は小さめのバラが描かれていて、


『バラの花の部分を 爪で軽くこすってください』と 


下のほうに小さな文字で 書かれている。





(こすりもの)  って、小さいとき、大好きでしたね、



こすると いい匂いがしたり、 なにか違ったイラストがでてきたり


エンピツでこする、コインでこする、、、、


そして、この、爪でこするのって、だ〜いすきで。



「こすっていい?ねえ、こすってみていい?」


1年生のあたしは、  もったいなくて、しばらく眺めながら


でもやっぱり、 ずっとは我慢できないな、なんて思いながら



爪で、そっと 大事にこすってみました。



そして、 おもむろに 鼻を近づけて、





「いい 匂いがする〜〜!!!!」



くぅ〜〜〜〜〜〜〜〜んと 思い切り 匂いをかいだ・・・うれしいっ!


その日記は


今でももちろん 大事に持っているんだけれど、



やはり、毎日お姫様みたいな 女の子がかいてあったり、



エレクトーンのことをかいてあったり、(習ってたので)


大好きなTV番組の 「がんばれロボコン」のことがいっぱい書いてあったり。



でも、その頃のことを、まだ思い出せるので、


日記って、いいよなあ、と思う。  


当時の記憶を引き出す 手助けになるから。








バラの花の香りは、 ずっとこするたびに 続いている。



ああ、これ書いていたら、 また かぎたくなった・・・・



あたしの中の、なんだかとても 懐かしい香りは バラかもなあ・・・・








2001年11月17日(土) 3本足のうさぎ



小学生のとき、 うさぎを飼っていた。



きっかけが、思い出せないけれど、 ちょうど3年生のときだった。


うさぎは、ベージュで、とってもかわいくて。黒いまんまるの目がかわいらしく


私は大好きで、 たまに 芝生に散歩に連れて行ってみたら、


ピョンピョンと なかなか 捕まえられなくなるために


その後は やめてしまった。




うさぎは、 


小さい すのこの小屋に 住むことになった。



多分、父親の手作りだったかな・・・ それすら思い出せない。




さみしげで、いつも遠くを見ているようだったうさぎ。


ベランダの 台の上におかれた うさぎの小屋から、



いつも 遠くを見ていた。



おとなしく、だまってたっけ。






ある日、



なんだか、 泣いているように見えて、


様子がおかしいような気がして 小屋を覗き込んだあたしは


あまりの出来事に びっくりしたのだった。


「おかあさん!!!!!
 うさぎの足が!  折れてとれてる!!!!」




ウサギ小屋のすのこに、足が挟まったみたいだった。



左前足が、 取れていた。




剥き出しになって、 血が滲む前足・・・



ポトッと 静かに 置いてあるように  取れた足が 転がってた。




あああーーーー!!!


私は 泣きそうになった。 こわくて。



かわいそうで。




ふんが、下にたまるように、小屋にすのこが敷いてあって、


その隙間に足が挟まって、痛くて暴れたんだろう。



かわいそうなことをした・・・・



どんどん 体が大きくなって、うさぎは 小さい小屋ではきっと


狭苦しくて、それだけでも いやだったに違いない。



すぐに 小屋からだして、  消毒をして、包帯を巻いて、


毎日それを 繰り返した。





しばらくしたら、うさぎは 3本足で、 自由に動き回るようになった。



芝生に連れて行っても、 相変わらず逃げられそうになるくらいだった。



だけど、 狭い小屋の生活・・・





夏休みになって、

母親が言い出した。


「うさぎが、このままだと かわいそうだから、田舎に行くときに

 ついでに 連れて行って、広いところに 放してあげようか?」


「うん!そうだね」  あたしは うさぎがこのままでは かわいそうだと

ずっと思っていたので、 即 返事をしたっけ。



車で 夏、仙台の田舎に帰った。


そのときに、 うさぎも一緒に乗せていった。



仙台について、 うさぎも 下ろして、 おばちゃんちで 



しゃべっているときだった。 


うさぎのことはもう 言ってあったので


玄関先かなんかに うさぎを小屋のまま 置いて


「誰か、欲しいって言ってくれる人がいるといいね」なんて言ってたんだけど。





そしたら、


本当に すぐに 現れた。


誰もいなかったら、当時野っぱらが いっぱいあったから、


人の気配のない山にでも 放そうとしてたんだけど。。。。



「うさぎ 3本足だから、かわいがってくれる人じゃないとね」


って心配だった。


貰いに来てくれたのは、  近所のおうちの子だったみたい。


かわいいし、ちゃんと飼ってもいいって、いうことになったみたいで。



あたしは、 さよならのとき、 そこに行かなかった。



「なんだって? 貰ってくれるって?」 って言いながら


部屋から出なかった。 なんとなく、 出られなかった。




そのまま、 うさぎと別れてしまった。







夏休みが終わり




学校で作文を書いた。


「うさぎをあげちゃったこと」




その作文は 小学校4年になったとき、担任がうちのクラスだけ変わって


新任する先生が 


『このクラスのことは、いろいろ勉強して、知っていますよ。
 作文も、「うさぎをあげちゃったこと」とかね』



そんなふうに 言ってくれたんだ。



名まえも思い出せない うさぎをあげてしまったこと・・・・



あの、うさぎの 悲しそうな 遠い目を 思い出すんだ。たまに。



だから、きっと、 あげて幸せになったんだろうな!って 思ってる。



自然いっぱいの、広々としたおうちで、 伸び伸び暮らしただろうなって



そう 思ってるんだ。


2001年11月10日(土) 初めて見た映画



初めて見た映画って、
覚えていますか?


小さい子頃に、映画館で見たのって、なんだったんだっけ・・・・


なんて 思い出してみると、


私の頭に浮かぶのは、




父親と二人で、ものごころ付いた頃に行った映画、、、、



当時映画館って、なんか特別で、古臭くて、薄汚れてるけれど

特別な場所ってかんじで、とっても賑わっていた。


席は、立ち見なんてあたりまえだし。





さて、なにを見に行ったんでしょう?




答えは



「キカイダーマン」と



「ドリフターズ」の映画の 2本立て。




今でも覚えているのは、




キカイダーマンが バイクに乗って、  


荒野の向こうから、まっすぐこっちに、走ってくるシーンと、




ドリフのメンバーが、


それぞれ ゲリになってしまって、かわるがわる トイレに入るっていう


子供にもわかりやすいシーン。



それしか、おぼえてない。


一体どんなタイトルだったんだろうなあ?



ドリフの映画なんて、

もう、底抜けに大爆笑してさ、映画館が笑い声ですっごかったのを覚えてるし、

人、人、人!で 盛り上がっていたなあ・・・


まだ、昭和40年代だったはず・・・・



なんで 二人で映画に行ったかは、不明です。



それから、


もうちょっと大きくなってから、 家族4人揃って行った映画の記憶もあって、




それは、「宇宙戦艦ヤマト」です。 あの有名なアニメの。



それはね、なんかすごく長い映画だったような印象が残っていて



入る前は暗くなかったのに、


映画館を出たら、真っ暗で、あたしはびっくりして

「もう真っ暗だよ〜!!!」と不安になって、親に言ったことを覚えている。



それも小学校低学年だと思う・・・・



「ほんとだねえ!」と 母親は確か言ったはず。


映画が終わって9時過ぎていたらしい。 電車の時間を気にしていたから。



そのあと・・・・どっかで何か食べていこうといったけど、

時間がないかもっていう、話の流れだったと思う・・・


どこまで 合っているのかなあ・・・・ 記憶って断片なので曖昧・・・




一番映画を 見たときは


映画館にバイトしているときで、 そのときは高校を卒業してからだったから


19歳のとき。


年間110本見たんだった・・・・ 一人でちょくちょく映画館に行って


仕事終わってから タダ券で行くので、平日遅くなる日が多かったなあ・・・


あんなに いろいろ映画を見たってのは、そのときだけだな。


もう15年くらい前の話だなんて・・・・





その時代はね

ホテルニューハンプシャー、(ロブ・ロウと、ジョディフォスターが出てる) 
愛と悲しみの果て、 (大好きな映画で、メリルストリープ、R,レッドフォード)
ヒッチャー、(こわいこわい ヒッチハイカーの映画)
殺したい女、(コメディ、ベッドミドラーさいこうっ!)
ア・ホーマンス、(松田優作さん監督、ARBの石橋凌さん出演)
不思議の国のアリス、(ディズニーアニメ)
スペースキャンプ、(リートンプソン主演のNASAがらみの宇宙もの)
エイリアン2、(ご存知)
プレデター、(ご存知)
サンダーアーム、(ジャッキーチェンの映画)
めぞん一刻、(石原真理子主演の、マンガを映画にしたやつ)

なんて、感じで、




なんか、遠い昔のような、ついこのまえ、見たような。




でもさ、映画って、ほんとに観たときの気持ちに

戻してくれるからいいね、、、、



淀川さんの台詞を、言いたい気分だった。 今!





2001年11月08日(木) 公衆電話



学生のときや・・・ 一人暮らしをして半年くらい、、、、


公衆電話には、お世話になった。



学生のときは、 うちは親がいないことのほうが多かったけれど、


でも どうしても 彼に電話をかけるとか、聞かれたくないときなんか


外にかけに行ったりしたっけ。 寒くてもね。



一番の思い出・・・・・



悲しい思い出は



雪の朝、風邪を引いて 具合が悪いのに、


一人暮らしで、お金が無くて 電話が引けず、 
(友達からあずかった、電話機だけはあったのに)



寒い中、 公衆電話まで 5分くらい 歩いていって 




仕事場に電話をかけに行ったことだ・・・





公衆電話は、幼稚園の坂を降りて、(すっごく急なので、雪のときこわい)

大きな道路にでて、 そしてまた、坂を上がっていくとある・・・


ボックスタイプの 公衆電話。。。。その頃緑で・・・


車が横をビュンビュンと通る・・・・  


風邪で、つらいあたし・・・・ みじめ・・・なんだかねえ・・・



すっごく 面倒だったし、いやだったなあ・・・ありゃあ。。。


上から、なにか羽織ってさ・・・ 具合悪いから、血色悪く


髪の毛もぼさぼさ・・・ グスグス・・・・





当時携帯があれば・・・などと ふっと 考えるのは、こういうことですな。


電話ないって、いざっていうとき、やっぱり不便。。。


こんなふうにPCとかあったら、淋しくなかったかもしれないな。


今みたいに明るい ネット生活・・・・ね。


当時はほんとに、 マニアだけだったしね、、、 端末って時代だわ・・・





すれ違う二人・・・・とかね

今だったら 連絡とれすぎて、ケンカしたりするよね、



まあ、懐かしいけど、 戻りたくないな。 うん。








今は 快適だよねえ。  


2001年11月03日(土) ピアス10周年



初めてあけたのは、遅かったんだ。

あたし 目覚めるのが、人よりも遅いかもしれない


一人暮らしをして、 いいことがなんにもないように思って


なんかしたくて、


でも高校のときは、開けたいって、思ったことなかったんだよねえ



それは



母親が自分で開けているのを、小学生のとき 見ていたから。



共働きなのに、父親は 働いたり、働かなかったりしていたから、

うちに余裕はなくて、


母親は、今思えば、おしゃれをしたい 30代を つぶした感じだ。


わかってあげられなかったけど・・・・



自分で、氷を耳たぶにあて、 母親は太い針をあぶって 


後ろになにか 当てて、、、 両方穴をあけていたっけ・・・・


痛そうだな〜と 思いながら ちらっとみた 記憶が残っている


鏡を立って見ながら やっていた。。。。洋服ダンスの鏡をみながら。



あたしに 真似はできないな。 女の人はやっぱり強いね。

でも、そうやれば、自分でできるんだもんね。何事も〜!





私が あけたのは、だから遅くて24歳の頃


しかも、まだそんときは、 あちこちであけてくれる感じじゃなくて


わざわざ、まあ、安全だろうというかんじで、原宿のピアスセンターまで

友達を誘って 行ったっけ。


人がいっぱ〜いで!

女の人だらけで。 でもどんどんどんどん 

ベルトコンベアに 乗せられるように、 ズンズン進んで


その前に ピアスを買った。うん。18金だか、24金のやつね。


シンプルな・・・


いっぺんに3個開けようと、決めていたので、 そうした。



アナ 開けてくれる先生が、二人並んで座っていて、

右側が、新人の若い女の人 しかも 下手そう。 じっと見ていたんだけど


左側が、 ベテラン もう50歳は過ぎてる。


あたしは どうしても ベテランさんにやってほしくて


心でずっと 祈っていた。


そして、



順番を数えて、一人ずつ割り振っていったら、

あたし


予想通り ベテランさんのほうだった!ラッキ〜!!!!



安心して、任せました。


ミミにさ、 ペンでしるしつけるんだよね。 開けてほしい場所にね。



今じゃあ、滅多にしなくなったけどね。



バチンッと 3こ あけて 腹が減ってすぐ ラーメンを食べに行ったっけ。


懐かしいなあ〜。



あれから10年。




一人暮らしのあたしの、 けっこうな イベントだったんだけどね。




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