〓月夜の日記〓(つぶやき版)
もくじへ。昨日へ。明日へ。


2001年10月25日(木) マセガキ



横浜に引っ越してくる前は、 まあ、すぐ近くなんだけどさ

藤沢に住んでいた。っていっても



ほんの車で10分くらいで、 横浜のはずれになるんだけどさ。



小さい2階建てのアパートの 2階部分が あたしたちの住処だった。


風呂は外にあり、 雨のときなんか、走ったりしたっけ。


そこには 5歳くらいまでいて、







マセガキのあたしは、 すでに婚約者がいた。 ふふふ


近所の男の子

将来結婚しよって、例のごとくさ、子供ってすぐそういうことを言うよね。


毎日のように遊んでたっけ。


だけど、引っ越すことになって、 離れてしまった。


子供心は すぐ変わる・・・・



新しい保育園で、


あたしは、ナゼかすっごい 人気だったんだよ。


一番モテた時代かも、すっごいんだよだって。

どおしてなんだろ?保育園では、一番大きい子達の集まりの

「かぶと」組みだった。


そこから、同じ小学校に ほとんど行ったしね。



保育園の途中から、入ったあたしは、けっこう泣いたりもしたけど

やんちゃだったから、 すごく目立っていて・・・


いつの間にか 卒園式のときは、主役だった。


絵をかいても旨いと、誉められ、 ししゅうや、笛、お遊戯なんかも


とにかくすごく 先生達に誉められていたっけ・・・


仲良かった。いろんな人たちと。 先生もかわいがってくれたっけ。



怒られたことで、思い浮かぶのは、一回だけ。



みんなで、お庭でおやつの時間、 敷くものを忘れた子達は

今思うと、おかしいんだけれど、


座るから、 上着を敷くんじゃなくてさ、


おやつの下に、ハンカチとかナフキンを敷く代わりに、

忘れた子は、 「あたし上着を敷こう!」っていって、上着を敷いてたの



あたしはそれを 見ていた


そしたら、先生に見つかった


すごく先生が怒ってる


そして、あたしに言った


「上着を敷いたらだめって、注意してねって、言ったでしょ!!!!」



そうだったらしい・・・・すっかり忘れてた


上着に 飲み物をこぼしたり するかもしれないから、


下に敷いちゃいけませんって もし 誰かが敷いてたら、言ってあげてって


言われてたらしい・・・・ 


すっげ〜 こわかった。


鬼のような 先生の顔を覚えている・・・・こわっ。



でもすごく いい保育園だったの。 


あたしは 共稼ぎの母親の迎えが 一番遅くなったこともあったけど・・・・


一人で体育館で 歌歌ってたけど・・・・



でもすごく 楽しかったんだ〜。




そこで はじめて 本気で意識した相手がいて、
(子供同士なんだけどさっ)




両想いだったのおお〜んっっ。



っていうか、 ほんと、 小さいくせに、大人みたいに
心の中で つぶやいたりしてた。



あたしは、保育園のお昼寝の時間、 いっつも男の子に誘われてさ


隣で一緒に寝ようって。


子供ってけっこう 大人のすること見てるからねえ


肩抱かれたりしてさ。すっげ〜 マセガキ軍団・・・普段はかわいらしい

保育園児なのにさ〜!



タオルケットをもって、 いっつもあたしのお昼寝は 予約されてたんだ




その中の一人に、かっこいい 同じ団地の男の子がいたっけ・・・


そして、 両想い・・・・年もいっしょで。




ある日


保育園がない 日曜日かなんかに、二人で遊んでたの


団地の階段のところで、あたしの ピーちゃん(セキセイインコ)を


見せてあげたくて、鳥かごを持ってきて、


その男の子にみせてあげようとしたの。


「かわいいでしょ??」   手乗りのピーちゃんは、あたしの自慢で、


肩にのって、毎日のように歩いていても、飛んでいったりしないから、


得意げに きっと歩いていたんだよね〜、 あたしってば。





ピーちゃんの鳥かごのほうを 向いていたら


突然   男の子は あたしのことを抱きしめた




そして、


あたしはびっくりして




「くるしいよ〜〜!くるしいってば〜!」  と 言った




そしたら、 その男の子は


やっと離してくれて、



「ここにチュ〜して」っていって



自分の左のほっぺを 指差した 






今おもうと   とんだ マセガキ〜〜〜!!!!!

 


2001年10月24日(水) 「ほんと、ずるいよな!」



もうずっとまえ、、、


結婚する ずっとまえ・・・・



家をでてから、しばらくして、 愛犬3匹のうち、


オスの犬が亡くなった。



その後、



初めて飼った  小学校3年生くらいのときに、もらわれてきた

マルチーズが  亡くなった、、、、



最初に亡くなったのは、 そのこが 産んだ子だったから、



若くして 1匹 いなくなり


そして、



一番最初に飼った メスのマルチーズが その次に亡くなった・・・・



それは


あたしが一人暮らしをして、 しばらくしてからのこと。







初めての 犬が死んだとき、まだ一人暮らししたばっかりで


電話もなかったあたしの家だったので、 当時の恋人のアパートから

電話をかけて、思わずその知らせに びっくりして、 その場で

甘えながら 泣いたのだった


けっこうショックだった、





そして、


今度は 2匹目・・・









葬式をするといっていた。 火葬して、一応いろいろ儀式をすると。




その知らせがきたときに、あたしは最初 行くといっていた。




だが、


当日、体調も悪く


そして雨で、、、なんだか 家族にも会いたくないし


気分がのらず、行きたくなくなってしまったのだった






そのとき、ドタキャンした あたしのことを


電話で兄が 


「おまえは、本当 ずるいよな!」




といった






忘れられない





あたしは 言い返した



「なにが?? あんたにあたしの苦労がわかるわけ??」と






でもそれって、 犬の葬式うんぬんには、関係なかった・・・・




言っても仕方ないことだし、自分で選んで家を出たから・・・・







最近になって、



職場のすごく年下の仲間に、


「マスク、いくつになった? 近くでみたら、けっこう年とったよなあ」


といわれたので


「34だよ!もう!」といったら



「うそ、34????」



「そうだよ、入ったとき、31だったじゃん、あれから3年経ったもんな〜」



というと、



その 年下の男の子は、




「苦労してないな〜!」    と   しみじみ あたしを見ていった







あれ? なんで、あんたにそんなこと言われないといけないわけ?



一瞬あたし、頭によぎりました。



だって、苦労話とか、したことないもん、 職場仲間なんてさ。




ごく一部の人にだけ、すっごく仲いい人にだけ、、、、





でもね、ふっと 考えたら    「やったね!」って想ったね





「苦労してるんだな〜なんて、思われるような奴にはなるなよ!」と



昔 一人暮らしする前に、友達から、言われたことがあるから。





「勝ったな!!!」   心の中で しばらくして、思いました。




やった。あたし。





まだまだ 頑張ろう。


2001年10月21日(日) 犬がきた




小学生の頃だった。



母親は、生命保険の仕事をはじめた。



確か3年生くらいだったと 思う



その日あたしは、 ずっと家に母親といた。



「明日 犬が来る」ってことを、 たぶん聞いていたからだと思う。




昔から、どうぶつがすきで


いろいろ飼ったけれど、犬は 雑種を2匹・・・団地に引っ越してくるまで


飼っていたのだった。



当時、団地は家賃も安く、新築で最新 あこがれのまとらしく、


うちは さらに5階で、目の前に公園もあった。



団地に越してきたときは、まだ5歳くらいだった、あたし・・・・


公園に喜んで、5階だってのに、びっくりして、


そして、そのとき初めて見た、「洋式トイレ」にびっくりでした。




ふたがあって・・・ あけて・・・ ひええ、なんか


座ってやるんだ〜、椅子みたい〜!なんて、 ほんと


あのときのことは、今でも忘れてないなあ〜!衝撃だったし

なにせ、父親も、笑ってたからね、トイレみてさ。

なんだこれ〜!みたいな。  



まあ、そんな団地だから、 犬かっちゃいけないんだけどね、



でも、 向かいの棟のベランダに、大きなたぶん、秋田犬がいたのを

見逃さなかった・・・・ふっ・・・・






犬は、生命保険で知り合いになった人から、 もらえることになったんだ。


子供が生まれたからって。   


犬種はマルチーズ



血統証つきなんだって。へ〜!すごい!ってなもんで


当時のあたしは、血統証なんて知らなかったし、それだけで感動。



そわそわ、わくわく




落ち着かないんだけれど、


だから、母親のまわりを なんか 行ったり来たり 



あまりに 見かねた母親は、 片付けろとか、たぶんいろいろあたしが

うるさいから、注文をつけたんだろう。




「やだ、やらない!」っていうと、



「じゃあ、子犬もらえないよ」なんていうんだよ。



それが繰り返され、とうとうあたしは


「いいよ!もうもらえなくてもいいよっ!!!!」


っていった。


そしたら、母親も、「ああ、いいんだね、わかった!」といった。





じわじわ後悔が・・・


意地っ張りなあたしだけれども



だんだん 涙がでてきたっけ。




最後には、 泣きながらあやまったりしてさ。



母親ってずるいよね、子供のそういう純真な心をさ、



もてあそぶっていうかね。



結局 子犬はやってきた! 断ることなんか、だいたいするわけないんだよ。




夕方それは、 やってきた。



小さいかわいい まっしろでフワフワな 子犬! メス。




これからずっと、一緒にいられるなんて、うれしすぎ。




あの 薄暗い部屋が、パッと華やいだっけ。



なつかしいなあ。




低学年のときはずっと、学童保育に行っていた。


共稼ぎだったので、小学校が終わっても、近くの敷地にある


学童保育にいって、そういう子たちが、いっぱいいて、


お兄さんお姉さんもいっぱいいて、勉強したり、遊んだりしてたんだった。



プレハブの 建物の中・・・ 別の小学校に行った、同じ保育園で友達だった


子達もいたんだよね。



低学年は、そんなふうにすぎて、


きっともう3年生になったことだし、留守番もできるってことで


親はきっと、犬をもらってくれたんだろうね。



淋しくないようにね。



こうして、  犬は あたしの子分となった。(ほんとは姉さんだった)


2001年10月17日(水) 相互リンク!mean-machineと!



うれし〜!

さっき


メールチェックして、うれしい出来事が!


以前 相互リンクを申し込んだ、


女の子バンドのHPから連絡があった! 
(CHARAちゃん、YUKIちゃん、ちわきまゆみさんたちで結成!後日、詳しく)




その名も MEAN MACHINE だ!



文字が ずらずら〜と表示されるようになっている。

それは、



各地から、それぞれの人たちが コメントしたものだ。



あたしもしたことがある。うれしい。


綺麗な女の人たちと、音楽と。


それぞれ得意分野をさけて、

やったことのない、楽器を手にして  ボーカルにはあの

「スワロウテイル」にでていた 女の子が。



みんなとっても 楽しそうで、あたしはうらやましく、


絶対!リンクしてもらいたい! あたしのHPにバナーがほしい!って

思っていたのです。



だめなのかなあ?って思ったけれど、


うれしいです〜〜!!!



なので、時々ながめては、 うれしさに ひたることでしょう。






今日は 傘をなくした日。



だけどとっても いい日。





2001年10月15日(月) 見えない月




明日の月は 見えない月

三十夜の月・・・




昼間にぽっかりと 浮かぶときもあり、


毎日 月は 移動して 変化して・・・・


形を変えて、 それがまた だんだん戻っていくことの繰り返し




NEW MOON に なるんだね、もうすぐ。



そしてまた、どんどん 欠けていくんだね・・・・




いいな。そういうのって。





今朝 見上げた 夕暮れの空には



よく見ると  ハッキリした星が、瞬いて



月は 見えなかったから、 なんか気になっていたんだ・・・





重い 買い物袋を持って 夜空を見上げる夫とあたし。




今日は なんだか、いいかんじだった。


2001年10月14日(日) 書きたいこと



ふっと、書きたいことって、

勝手に 頭にうかんでくるのに



忘れちゃったりして、それはもう また今度までバイバイって気持ちで。



しばらく HPが不調だった間も、ここには書き溜めることが
出来たのに  なんだか、不調のせいにして、ここにも書かなかった・・・


でも



やる気になれば、少しでも復活するもんですなあ・・・・






そのサーバーによって、

いろいろやり方が、あるわけで・・・・  なかなか
ホームページも難しいな。



あたしのように、けっこう適当でいいや〜っていうかんじで、

作っているとだめなんだなあ・・・





思い出しながら、 あったことを書いてみよう。




ふっと 思ったことをかいてみよう。





自由にね、でも  時にはちゃんと。


2001年10月07日(日) ルイアームストロング



さっき、

「グレードマザー物語」という、

夕方6時半からやる番組をみた。

けっこう毎週見ている。





ルイアームストロングのお母さんは、かっこよかった。


貧しい生活でも、なお 人を助けるような、姉御肌。


白人のメイドをして、 ルイを育てた。
離婚して、 ルイを育てたんだ。





ルイは ある日少年院に入ってしまう。

空に向かって 発砲して、現行犯で逮捕された。



そこで、

楽器と出会う。 


楽団に入って・・・



そして 人生がかわっていくんだ。




ルイのCD,


あたしはずっとまえに買って、  いまはまだダンボールのなかに
しまったまま。


結婚してから、丸2年は経ったのに、

整理をしていないんだった。 今すぐにでも、聞きたいのに





あの ハスキーで味のある、  個性的な声と 
スウイングを とりいれた音楽は、 だれもが真似するようになるくらい、
ルイは スターになった。




番組のラストで、

ベトナム戦争に旅立つ兵士達の前で、


歌ったのは


ワンダフルワールド だった。




その 歌詞と、

そして、ルイの 歌う姿



まなざしや、笑顔

歌声や こころが





あまりにも 素晴らしくて   泣けてきた。






映画を2本、みても泣かなかったわたしなのに


ルイのあの顔をみたら

あの歌を 歌詞とともに 聞いていたら



涙が流れた






見つめる 兵士たち



すべてに伝わる そのこころ







「わたしは 想う    この素晴らしい世界を」






そして、わたしも 想った





この すばらしい世界を。








2001年10月06日(土) さよなら子ども達




映画館で、




泣いてしまって どうしよもなくて、
(それは感動といったものではなく)



劇場をでてからも、ずっと泣いて




一緒に行った人にも 迷惑をかけるくらいになったこと、ありますか?








あたしは あります。






「さよなら子ども達」という映画を見た後でした。







戦争が  からんできて




罪も無い 子ども達までも、 連れて行かれてしまう。







ラストで
学校の校長先生までも。





密告されて、
生徒をかくまった罪で 連れて行かれた校長先生が






全生徒の前で、
最後に 言った言葉が、


「さよなら 子ども達」  でした。










あまりにも 辛い別れで




憤りを感じ、 


その映画を 娯楽とも思えず、


作品だったのに   



実話に 基づいて 作られたその映画を


現実とごっちゃにして





その 行き場の無い ぶつけようのない 怒りや憎しみやつらさ、寂しさ



どうにかならなかったの?って思う 
熱い気持ちと、


どうにもならない、当時の その時代を生きた人の気持ちと






映画が終わっても、  涙がとまならく、




歩きながらも、ずっと 涙がでてきて、 どうしようもなくて



一緒に行った 当時の恋人に



「映画なんだからさ」と言われて



そうだけど、そんなふうに 片付けられる 
そうやって   割り切って見られる 


そんな恋人の 気持ちも 理解できなくて







それは 21歳の頃でした。




あたしは、  


まだまだ、 大人になっていないのかな



割り切ることが 下手なのかな








そして、

「蝶の舌」という映画を 見たんだ。




イトイさんの イベントで。





「さよなら子ども達」を、 思い出した。




そんな 映画だった。


ラストは やはり、たまらなかったけれど






もう  泣いて 死にそうになるってことは、なかった。




涙は でなかった。




だけど、一人だったり 恋人と行っていたりしたら



気弱になって、泣いたかもしれない。






だけど、 心のなかはやっぱり、

割り切れない 行き場の無い  ぶつけようのない 苦しさで

いっぱいになってしまった。





でも、作った側に立てた。



そんなふうに 今作れたことが、 すごいことだってこと。




光や 空気までも その映画はすべて
統一されていたっけ。





戦争は



やはり


2度と してはいけないものだ。


2001年10月05日(金) 初めて買ったレコード




あたしは 小さい頃、意外にませていた。


内気っぽいかったわりに、
保育園でも小学校でも 目立っていて・・・・



はじめて

自分のお金で、レコードを買ったのは、

小学校1年生のときだった。



そして、


ひらけ!ポンキッキや、 ロンパールームや、
子供向け番組を ほとんど見ていたのに


あたしの買ったのは、そういうレコードじゃなかった。




フィンガー5の
「個人授業」だった。



やたら 今思うと、エロい歌。



小さいころから、あたしはマイナー調な 音楽がすきで・・・・



人にあまり 受け入れられないってこともある。


メジャーでしょ、やっぱり!なんていうかんじでさ。




でもあたしは



今でも マイナーのほうがすきで・・・・



カラオケとかでも、そうだ




フィンガー5は あの あきらが好きだったんだけれど、
ハイトーンボイスで。 ジャクソン5のことなんて、
子供だったので、知らなかったし。




個人授業と、もう一枚同時に買ったのは

太田裕美の 「赤いハイヒール」だった。 これまたマイナー。


なんかねえ・・・なんでだろうねえ・・・・

木綿のハンカチーフじゃなくて、赤いハイヒールだ。


親戚のお姉さんたちには、ずいぶん あきらのことで、ひやかされた。

でも「すきじゃないよ!」なんて意地張ってた。



お年玉で、買ったんだ。
お正月、レコードやが 開く日を待って、 ワクワクした気持ちで。




なんか、 大人っぽい好みだよねえ。



そして、今でも すごく好きなんだよね。

この2曲。



当時の正月は、どこの店もやってなかったし、コンビニなんて無い時代で

だいたい、1月4日くらいから デパートなんかが開き始めたっけ。



風情のあった、正月だった。



そんなワクワク感で、 今また音楽に触れてみたいな。


2001年10月03日(水) バイト遍歴



ふっと、風呂の中で思った、





今まで、どんな バイトをしたっけかな〜〜〜って。


そんで、書き表してみたくなった。







16----高校1年 初めてのバイトは ほっかほか亭(べんとうや)
*
*
*
*
17----高校3年生になって マイコン寿司(回転じゃない寿司や)
*   高校の友達の親が経営していたので、 働かせてもらった
*
*
*
18----卒業と同時に、映画館のもぎり。小さいとこなので、切符売りから
*   お菓子うりやら、なんでもやった。 そのバイトしながら
*   フラワーアートスクールに通う
*
*
19----花屋で働く。 初めての一人暮らしもこのへん。貧乏な〜り〜
*
*
*
*
20----花屋を挫折。 タンパツのバイトを。高島屋の高級和菓子店 その後
*   喫茶店兼花屋の店のバイトに誘われる。 けっこうきつい。
*   近所の英会話スクールに通う。(約1年、おばあちゃん先生だった)
*   お金がなくて、タンパツの仕事も。チャーミングセールのときリーガルで
*
21----印刷やに勤める。 スクリーン印刷で、職人さんたちとチームを組んで
*   かなりきつい仕事だった。 トルエンやシンナーなどで、
*   (インクにまぜたり、スクリーンを拭くので)ラリったり体調が悪くなる
*   引越し。 一人暮らし続く。
*
23----ビクターで、基盤検査 約2年勤めて視力ダウン
*
*
*
*
24----もうすぐ25だってときに 水商売へ。ビクターのバイトと
*   夜は水商売ってのを、続けた。さらに視力ダウン
*
*
*
25----完全 お水 ほんとに昼間働くのが、きつくなった。
*   4時半〜11時までのパブレストランと、それから朝5時までかけもち
*   その後、のみに行ったりして、めちゃくちゃだった・・・・毎日が。
*
*
26----体調も崩し、なんだかうまくいかない年頃。やっとのことで
*   ストッキング専門店に決まる。 昼間の仕事に戻れてよかった。
*   のちに、店長補佐。 約5年いた。   コンタクトデビュ〜
*
*
*
31----失業保険を貰い終わり、全然職がみつからず、ぷーを続けたあと、
*   やっと決まったのが、現在の派遣会社。 PCとコピー機のドライバーの
*   テスターをやっている。 32で結婚。仕事は続けている。
*
*
34----現在にいたる








なんかずいぶん、書き出すと
簡潔というか、なんというかだわね。


もっとなんか、バイトとか、タンパツでしたような!

ああああ、そうそう、思い出しました。と 書き足そう。
チャーミングセールというのは、 横浜元町のセールのことです。





一人暮らし長かったので、お金に困り、いろいろやった覚えアリ・・・


ほんと、書かないと忘れるよね。


よかった、 今日は。はは。。。



これから先、どうなるんだろうな〜!


2001年10月02日(火) 音楽祭 その3



さて、

友達と数人で、 ギターなど、重い荷物をもって、

バスセンターに向かおうと  地区センターを後にしたわたしたち。


あまりの 幼稚な演奏に、なんだか がっくりした気持ちと
地区センターに、まあ出られたって気持ちと

いろいろ思って 疲れたような、 不思議な気分で歩いていたら、







後ろから、 呼び止められたんですよ




それも、あたしのことだ。 びっくり。






「ちょっと 待って!」って 言いながら

追いかけてきたのは、 さっき 音楽祭で一緒だった
男子でした。 他校の。



その人はドラムだった。


スティックを持っていて、 なんだかあたしたちの
ジミな制服とはちがって、 
上にはTシャツ着て、 マッチみたいに、バンダナをくるくるっとやって
巻いていたりして。






ここらへんからは、あまりに突然だったため、 あたしはウル覚えなんだけど



個人的に 呼び止められて


友達は ちょっと離れて 待っててくれて

あたしはその子と、しゃべったんだけれど


ちょっとした 瞬間だった。







その子は、たった一言

「これ、もらってください!!!今日の思い出に!」っていって



使っていた ドラムスティックを差し出したのだった。



はあ・・・・  あたしはあまりに、突然だったので
びっくりしちゃったんだけど、


それを 受け取った。



きっと、かわいいっていってくれたのも、この人だろう。



そういえば、楽屋でも バンド仲間かなんかと


ちらちら、近くにいたっけ。





そんなふうに、しらない人から、
呼び止められるなんてこと、 そうあるもんじゃないから、


呆然・・・とした 気持ちだったんだけど



あとからなんか、
じわっと、うれしい気持ちが してきたんだ・・・・



こんなこともあるんだあ! ってね。



なんか、気分が ぱっと明るくなった。




そして、 なんか友達の手前、どうしていいかわからず、
恥ずかしかったなあ。





その 男子は スティックを渡すと、 たしか、
そのまま、 タッタッタッタと 走っていってしまったのだった。


速攻すぎて、 後姿を見送ったあたし。


もしかしたら、 握手とかもしたかも・・・・ もう忘れた。



やけに 思い出に残っている一コマ。








「ユウ、よかったねえ」

一緒にいた 友達が 言った。






スティックには その子のサインらしきものが 入っていた。

その後、再会することはなく、 どこの誰かってことも、
分からないまま 思い出になった。。。。








2001年10月01日(月) 音楽祭 その2



下級生たち、3〜4人と、

あたしたち上級生が、2〜3人の、

ただギターだけ ひきつつ、パートにわかれて歌うという


へんてこグループが、


いよいよ 音楽祭で 演奏するときが やってまいりました!


それまでの 練習時間はね、たいしてなかったのだ。


しかも、ギターがめちゃくちゃ旨いっていう 人たちは、



それぞれ、別でやっている。


あたしは、楽しくただ 歌とか、リズムとか、ハモリがやりたくて。


でも、今回は、全員ギター持ちです。





さて、


当日、




地区センターの公会堂っていうのは、ほんとにちゃんとした客席と



広くて高い舞台と、、、、 芸能人気分なんですよね。


ライトもまぶしくっ。



それぞれの 学校から、集まった人たちが、

よく、カルチャースクールとか、ありますよね?
地区センターって。


そういう 広い部屋を楽屋にして、 一室に集合してるんです。



ほっほ〜!



それぞれ、知らない中学の顔、顔、顔!


男子も女子も いりみだれつつ、それぞれの準備を。


ギターのチューニングをしたり、
ドラムのスティックで、リズムをとるひと、


うちの中学は、エレキとか、ドラムとか、そういうバンドっぽいのは
やっちゃいけないことになってて。


当時、金八先生の最初の人たちが終わって、
ブームだったんだよね、 贈る言葉がさ。 それでギターっていうのも
ちょっと あこがれたかんじで。

イルカとか、 男子は、アリスとか、さだまさしとか、、、


先輩達は、中島みゆきとか、 N.S.P とか チューリップ 


部員は圧倒的に、女子が多いけれど、
数少ない男子は、ほんと、ギターがうまかったな。。。


もと部長だった、佐藤先輩は、 よくTVでお見かけします。

asahi生とか、どうなってるの?の再現VTRとか、、、、 
当時からなんか、 大人っぽい 顔がでかい、 不思議な中学生だったっけ。




さて、



あたしたちの 出番がまわってきました!


あたしは出る前は、 超キンチョ〜するけれど、

出ちゃえば、ぜんぜん平気なタイプ。 



あらかじめ、スタンドマイクをセッティングしてあるので、


それぞれの位置に並んで、 早速開始!






ジャラ〜〜〜ンッ!





ジャンジャカジャンジャカジャンジャカジャンジャカ♪





?????




チューニング・・・・ずれてる・・・・・





演奏しつつも、あたしは、 ああ・・・・チューニング、めちゃくちゃだ。。。。





なんて、ずっと思っていたっけ・・・・・がっくん。




そして、怒涛のごとく、


『夢の中へ』 は、  畳み込むように、どんどんどんどん
はや回しのように、早くなっていくのであった!


(ちょっと〜、リズムが早いよ〜。。。。)



あたし、


音感だけは、自信があったの、昔から。



(今はもうない)


ハモリもずらさなかったし、人に教える立場っていうかんじで、
音の狂いとかにも、すごく敏感だったし、
2〜3回聞けば、大体の曲はすぐ覚えたし。


(今は全然だめ・・・)




ああ〜、、、やっぱり めちゃくちゃになっちゃうよなあ!

だって、こんだけ、ギターばっかりなんだもんっ!

下級生達は、あがっているし。

あたしはでも なんか ニコニコしていたっけ。



そしたら、ですね!


会場から、 声がとんだですよ、 これがっ。



空耳でなければ、なんですけどっ。



「かわい〜〜〜!!!」と、男子の声で!!!!


声援があがったんですわ、これがっ!



うちの学校の男子は、来ていないので・・・・


おお???  なんだか、びっくりしたのを、覚えています。







さてさて、
たいして すごい見せ場もなく、あっけなく終わったあたしたち。



さっさと引っ込み、


楽屋へ。





大勢の人たちはまだ います。


これ、覚えてないんだけれど、


賞とか、あったのかなあ? なんとか賞とか、優勝とか、そういうの?


それか、交流のためにやっただけだったっけなあ?


第一回だと思った。たしかっ。





まあ、 そんなこんなで、楽屋で、ギターなどを片付けて、


それぞれ、友達としゃべりつつ、


会場を  後にしました。 それぞれ帰宅することに。




荷物になるんだよねえ、、、、ギターって。








そして!




帰ろう〜なんていって、 数人で歩いているとき、



事件は 起きたのでした!!!!!!







続く。


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