Mother (介護日記)
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2002年12月31日(火) お正月を前にして

子供の頃のお正月は、特別だったような気がする。
(地元の新聞にも、そのようなことが書いてあった)
商店はみんな休みで、着物を着た人が歩いていて、凧揚げや羽つきをしていた。

今はただ『次の日になった』だけのような感じがする。
商店は休まないところが増えた。 着物の人を見かけることはなくなった。
(神社近くには集まるのだろうが)

なんと言うか、神聖さがない・・・とでも言うのか・・・
この年齢になって、それがなんとなく寂しく思えて来た。


伝統が守られていくのは、
こういう中年以降の心理が大きく影響しているのかも知れない。

『おせち料理なんて食べないし』と言って買うこともなく、
作る気など到底なかったのが、今年は“やってみよう”と言う気になった。
とりあえず煮物だけは作って、レフティーが詰め合わせを買って来た。


これまでの結婚生活は、
共働きと子育てと、またパートタイマーとで、めまぐるしく過ごしてきたが、
こうして母の介護を理由に家に入り、少しだけ時間的なゆとりができたとも言える。



うちは貧乏だったけど、
お正月にはウールだけど着物を着せてもらったし、新しい下着を着ていた。
洋服も靴下も「これはお正月になったら着るのよ」と言われて、
買ってからもしばらくの間、下ろさずに待ち遠しく眺めていたものだ。

そうやって「特別の日」にだけ着る服は、子供の成長に追いつかず、
数度着ただけで着れなくなってしまったが・・・

今は『よそ行き』と呼ばれる服も特になくて、街のみんなは日頃からオシャレになった。


今回は、母の下着だけでも新しくしようと思って買いに行った。
ズボン下も、もも敷きだと足首が細くて着替えさせるのが大変なので、
ゆとりのあるタイプを選んだ。
シャツは、胸元にレースの施されたピンク色を選んでみた。

お風呂に入れてからそれを着せてあげると、とても喜んだ。


酸素吸入が決まった時、
もしかしたら、お正月を迎えられないのではないかとも思って悲観したが、
おかげさまで、ここまで来ることができ、本当に良かった。


2002年12月29日(日) 事件。

今日のニュースで、
「62歳の痴呆症の母親を、29歳の息子が殴って殺してしまった」とあった。

この母親は8年前から物忘れや怒鳴るなどの痴呆症があったといい、
その日も、テレビに向かって独り言を言っていたらしい。

29歳の息子にとって、8年前と言えば若干21歳。
62歳の母親は、54歳ですでに痴呆が始まっていたことになる。


29歳の息子には、おそらく同じような体験を持つ友達もいなかっただろうし、
どこかに相談に行くことにも気付く余裕がなかったかも知れない。

仕事には行っていたのだろうか?
疲れて帰れば、温かいご飯とお風呂が準備されていただろうか?
洗濯やアイロンは母親がしてくれていたのだろうか?

癒されるべき家庭において、母親の存在は大きい。

1人暮らしをしていて自分で家事をやらねばならないと言うのと、
家に母親がいるのに、してもらえないと言うのはワケが違う。

体は元気なのに、やることも話すことも理解できないことばかり・・・
そこには、寝たきりの母親を看るのとはまた違った大きなストレスがある。




うちの母の被害妄想は、私が小学生ぐらいの時には既にあった。
ただ、こちらが病的だと認識するまでに時間がかかったのだ。

私もこれまで母とのイザコザが絶えなかった。
どれほど悲しく切なく、また怒りに震え、憎しみに満ちていたか・・・
まわりに理解されることが少なく、家族は辛い立場におかれた。

私も、1歩間違えていたら、紙面に出ていただろうと思う。




彼にも、理解してくれる人がそばにいて、もう少し頑張っていたら、
もしかして、うちの母のようにある時から痴呆症状もラクになったかも知れないが・・・
それは不確定なことであるし、
それまでの道程は、1日1日が途方もなく長いことを私は知っている。


2002年12月26日(木) 結局・・・

今日は10時半起床(^^ゞ

洗濯機を回すと、めずらしく絹江が、昨夜から放置状態の食器を洗い始めた。

朝食として、うどんを食べ終わると、郵便局の人が保険の集金に来た。
万券で払おうとしたら、おつりがないからと他の家を回って出直す、って(笑)

しばらくして玄関のチャイムが鳴ったので、郵便局かと思ったら、
今度は本屋さんの集金。

で、もう一度郵便局。

この間に母はベッドに行ってお昼寝。

で、再びチャイムが鳴ったので、今度は新聞屋かな?と思ったら、Oさんだった。
今日がヘルパーさんの来る木曜日だということをすっかり忘れていた(^_^;)

“千両”という名の、お正月に良く使われる庭木の枝を戴いた。
絹江がさっそく花瓶に挿す。

母が寝ていたのでOさんと話していたが、
お天気も良いのでSPAにでも行って来ようかな・・・と思ったら、
洗濯まだ終わってなかった(T_T) 今の分が終わったら行こうっと♪

しばらくして母が起きてきた。
「あら、めずらしい人が来てるわね〜お久しぶり〜お元気でしたか?」って・・・ヾ( ̄。 ̄;)

ピンポン♪ え?また?

今度は、介護支援センターのAさんが様子を見に来てくれた。
年末で忙しいというのに、あちこちに出掛けた時の写真を見てもらった。
以前に撮ったAさんと母とのツーショットを渡した。

先日のピアノの話をしていて大正琴のことを思い出し、
母の荷物を探すと、あった、あった、大正琴。

まずは調律。
って、大正琴の調律なんて・・・(^^ゞ どうやるの?
なぁんとなく、4本の弦をみんな同じ音に合わせちゃってみた(^_^;)

で、母に渡したけど、昨日のキーボードより興味が薄かった。
いや、むしろ、ヘルパーさんの方が初めて見る大正琴に興味深々の様子。
で、弾いてもらった。
初めての人には、左手で弦を押さえる動作と、
同時に右手ではじくことが結構むずかしいらしい。



はっと気付くと既に4時。
SPAに行く予定がぁ・・・

結局今回も、自宅待機で終わってしまった・・・(^_^;)


2002年12月25日(水) ピアノを弾いた

クリスマス第二弾の今夜、絹江がキーボードを居間に持ち込んで来た。

いつものように“ただ速ければ良い”自己満足式の演奏が始まった。

一通り30分ぐらい弾いたところで、絹江は飽きて私に絡み付いてきた。

そこで「おばあちゃんも弾いてみる?」と聞いてみた。

ピアノなんて、押せば音が出るのだから何でもいいさ・・・と思っていたところ、

レドレミソミレ〜♪  

堯福陰Α院叩叩法_刺笋鮓世い覆らメロディー弾いてるし。

『君が代』の最初の部分じゃん。 これには驚き(@_@;)

ピアノなんて弾けたっけ?

ああっ、そうか、うちには大正琴があったっけ。

♪ きみがぁよぉはぁ〜 ちぃよぉにぃいい〜やぁちぃよぉにぃ ♪

すごいなぁ・・・なんだぁ、とっくにやらせてあげれば良かった。

そう言えば、尋常高等小学校高等科で、成績芳しくなかった母だけど、
「唱歌(音楽)だけは、いつも甲(成績の一番上の段階)だった」と言っていたっけ。

隔世遺伝、確かにね・・・ これもビデオに撮っておこうっと♪


2002年12月24日(火) すごろく

昨日出掛けた博物館で『すごろく』を見つけ、
ゆきっちと銀行の先輩であるA女史と3人で、夢中になってしまった。

コースは短いのに「ふりだしにもどる」とか「1回休み」とかで、
結構盛り上がるものだ。


そうだ、母とすごろくをやろう。

人生ゲームは、母には難し過ぎるし、時間がかかり過ぎる。

単純明快が良い。 30分以内に終了できるものが良い。

そうなると、やはり、昔ながらのすごろくに限るな〜

でも、その博物館のすごろくは展示のみ。販売はしていなかった。


そこで、昔を思い出してみた。

小学館発行の『小学○年生』のお正月特大号などには、
大抵、すごろくや福笑いなどの付録が付いてきた。

そこで今日、書店に行って探してみた。

あった!

「小学1年生 入学準備号」“ドラえもん がっこうへいこう すごろく”

よし、今夜はこれで盛り上がろう♪


2002年12月19日(木) 内科検診

タクシーを呼ぶ際、今回は「小型」を指定した(笑)←12/5参照


玄関先から車椅子で近づくと、
「それは、置いていくのだろう? 病院にもあるからね」と言われたが、
今日は帰りに銀行に寄らなくてはならない。

そのタクシーには、車椅子を載せた時トランクを押さえるためのゴムを装備していた。


乗り込んだ母が咳き込んだので、
「タクシーでいいの? 救急車の方がいいんじゃないの?」と言われた。

いやいや、こんなのはまだ序の口で。

「(咳き込むことに)慣れてるんだね。
 (危険かどうかの程度は)家族でなきゃ、わからないねぇ」と運転手は笑った。


 * * * * *


今日は母の内科検診のほか、私にも耳鼻科の予約が入っていた。

私の耳鼻科が先。
耳鼻科の診察室は眼科と隣り合っていて、誰がどちらに掛かるのかわからないが、
ソファが90%埋まっていた。
母を車椅子から降ろし、ソファに座らせ、車椅子をたたんだ。
呼吸も落ち着いているので、私は酸素ボンベのコックを閉めた。
今日は換えのボンベを持たずに来たので、少し節約・・・

ところが、3分もしないうちに、セキが出始めた(^_^;)
やっぱ酸素が足りない?・・・ すぐにコックを開いたが、時既に遅し。
出るは出るは・・・止まらなくなってしまった(@_@;)
持参したウィダーインゼリーを飲ませたけど、収まらない。

そのうちに、眼科の看護婦が見に来て、
「ソファよりも車椅子の方が座りやすいだろうし、
 ここはエアコンの真下だから」と言って待合室の隅の廊下に移動したが、
実質的には隔離(笑)
他の患者から見ても、目の前で咳き込んでいるさまは決して感じの良いものではない。
まぁ、病院なんだから、具合が悪くて当たり前なんだけど。
ホントに待合室って静かだよね、それも不思議。 母みたいな人はいないもの。

続いて耳鼻科の看護婦も出て来て「苦しいかな?」と言ってパルスオキシメータを持って来た。
私の順番が来て、看護婦さんたちが母を看てくれているようだったが、
咳き込んでいる声が聞こえてくるので落ち着かなかった。


私の花粉症の血液検査の結果は『スギに対してMAX状態』なのだそうだ。
100UA/ml 以上でクラス6なんだとか。
なんと名誉なことで・・・(^_^;)
スギ以外に『かもがや』が1.56UA/mlでクラス2。
ぶたくさ・あきのきりんそう・ヤケヒョウヒダニ・ハウスダスト1が0.34以下でクラス0。
樹木花粉とイネ科植物花粉に弱いということがわかった。
これでは、2月以降は注射をした方が良さそうだとのお話し。
2週に1度らしいが、これも母の検診に合わせなくては・・・(-_-;)


私の診察も終わって、次は内科へ移動。
混んでいるので、少し離れた外科の前のソファで待つ。
ここでも母は少しセキをして、周囲の視線を集めたが、看護婦が飛んでくるほどではなかった。


じきに呼ばれたので診察室近くまで車椅子で移動し、
ホンの数メートル歩いたら、またまた咳き込み始め、
先に診察をしていた女性患者も先生も気が散って、
カーテンの向こうで「あらあら、大変そうね」と話しているのが聞こえた。

母のセキで女性患者の診察時間が短くなったのではないかと、私は気にした。

「センセー、死にそう〜 センセーの顔を見たら、余計悪くなったぁ(笑)」

「またまたぁ〜(^_^;)」

息を切らし、途切れ途切れでも、そんなことを言っている母なのであるヽ( ′ー`)ノ

「耳鼻科に行ってたって?」

「はい、私が花粉症なものですから・・・で、あちらで大騒ぎをしてしまいまして」

「咳止めの薬の効果はどう? まったく変わらない?」

「やはり、出る時は出ますね。 トイレなどの移動時には。」

「それではまた、プレドニンを増やしましょう。
 現在、隔日投与で4錠だと、飲まない日に辛いと言うことがあると思うので、
 今回は毎日3錠で行きましょう」

「はい」

年末年始になるので、3週間分が処方された。

「どれどれ・・・はい、指を出して」
パルスオキシメータで酸素濃度を測ってみたら85%。

「ちょっとこれじゃ苦しいね。
 今日はちょっとここの酸素を吸って休んで行ってもらおう。」
 
病院の酸素は、在宅やボンベに比べて高純度であるらしい。

「自宅での酸素は今、2リットルだったっけ? 今度から3リットル/分でいいですよ」


母は看護婦に連れられて、診察室の中を通って処置室まで近道をした。

母がいなくなったところで体重が減っていることを話した。
昨夜、入浴時に計ったら41.5kgだった。 
2週間でマイナス2.5kg。
この半年で8kg減、1年で15kg減。

「まだ減るのでしょうか? 食欲はあるのですが、食べられないみたいで」

「どうしても、呼吸不全の人は食べられないので痩せてしまうんですね。
 体力的にも、今、かなり落ちていると思います。
 胸の音はバリバリ言っていないし、今のところ細菌感染は起きていないので、
 すぐにどうこうということはないのですが、
 風邪から肺炎などを起こすと、かなり危険な状態になります。」

心の準備はしているけど・・・少しづつ弱っていく母を見ているのは・・・

「次回は3週間後の1月9日ですが、具合が悪いようだったら来週また来てください」



結局1時間近く、処置室のストレッチャーの上で酸素を吸って寝ていたので、
なんだかんだと今日も2時間半コース(-_-;)


 * * * * *


外に出ると、一雨降ったあとのようで道路が濡れていた。

銀行に寄ると、本部のお偉いさんが来ると言うので役席Sがそわそわしていた( ̄m ̄)
同期のTちゃんには、毎度ながらパート復帰を頼まれたが丁重にお断りして。
記帳して、窓口のゆきっちに一声掛けて、ケータイでタクシー呼んで。


 * * * * *


タクシーの運転手さんは、ご丁寧にも玄関先まで乗り入れてくれた。

バックで帰っていくタクシーを見送っていたら・・・ バキッ!堯福陰Α院叩叩

駐車場の縁石に、タクシーの左前方のバンパーが引っかかってしまった!
これはかなりの損傷。
バンパーが30cmぐらい剥がれかけて、内側からコードが垂れ下がってた・・・


2002年12月17日(火) 今日は暖かい

今日はヒーターが要らないくらい暖かい。

久しぶりにお散歩に行こうと思うのだが・・・

今月5日の検診の帰りに、少しだけ寄り道して以来、母は外出していない。
私も、日曜日にゆきっちが来てくれなければ、引きこもり記録を更新中だった。
ごみ出しと検診だけが、私の必須項目であり、
買い物はずっと、仕事帰りのレフティーにお願いしている。
深キョンのドラマ「リモート」みたいだな(笑)

居間に座って落ち着いている時には良いが、
一旦、トイレに立とうものなら喘息のような発作的なセキ込みと息苦しさで、
それを見るといつも、外へ連れて出る気がなくなってしまう。

先ほども「疲れたから横になる」と言って移動している間に咳き込み、
「せつない・・・どうしてこんなにせつないんだろう?」と、
途切れ途切れの声で私にたずねる。

「肺炎だからね、動くと息切れがするけど、しばらくすれば治るから」

落ち着いている時と、呼吸困難な時の母はまるで別人のようで
私は毎日、その様子に一喜一憂しているのである。

深夜に咳き込みがひどくて起きたので、
今、お昼をまわったばかりなのに、もう眠い。

暖かいな、と思っているうちに、風が出てきたりして・・・


2002年12月15日(日) アザラシのぬいぐるみ

母は、以前、ゆきっちの車に載せてもらった時に見たアザラシのぬいぐるみのことを
ひと目で気に入ったようだった。



「かぁわいい〜♪ これ、欲し〜い♪」

「それじゃ、今度でかけた時に買って来てあげるね♪」 



で、今日、念願のアザラシのぬいぐるみが、母の元に届けられた。

白いパイル地の、フワフワとした柔らかい感触。

母は大喜びで、ギューッっと抱きしめた。
その表情が、あまりにも無邪気でかわいかったので、写真に撮っておいた。

ゆきっちのぬいぐるみには「松之丞」という名前がついていたのだが、
商品名は「しろたん」であった。
私は「ゆきちゃん」にしたらどうかと提案した。

さっそく、今日の日記に記録。 写真もプリント。

抱きしめて寝ている姿は、まさに子供である。


2002年12月14日(土) 母方の従兄弟の訪問 2

「10時半頃」と聞いていたが、車の場合は30分早いことも考えられる。

私は朝からキリキリしていた。

洗濯して、掃除して、雑多な物は取り敢えず隠して(^^ゞ

それなのに絹江は9時過ぎまで寝ているし・・・(-_-;)

やっと起きて来たかと思えば
“机の上の整理”と称して、写真立てなど、細かいものの配置にこだわってみたり、
“母の部屋の片付け”と称して、やりかけのパズルをキレイにはめ込んだり(-_-;)

時間がないんだから、もっとこう、大雑把にできないものですかねぇ。
(いや、普段からキレイにしておけばいいんだけどさ)

10時過ぎ、電話が鳴った。奥さんからだった。
「今、○○の前にいるんですけど・・・」

堯福陰Α院叩叩砲修譴辰董△發Α△Δ舛量椶料阿犬磴鵝

「す、すぐに迎えに行きますので・・・(^_^;)」 約『15歩』で到着。

母には、従兄弟が来ることは何も言っておかなかった。

「こんにちは〜」

「あら? 誰? ター坊ちゃん? あら、やだ、ビックリしたぁ! (^▽^)」

母は突然の訪問にとても喜んだ。
ちなみに『ター坊ちゃん』と呼ばれた従兄弟は、55歳である(^_^;)

「ごめんなさいね『ター坊ちゃん』って昔っから言ってたもんだから」と
奥さんに謝っていた(笑)

奥さんに会ったのは、叔父の葬儀以来15年ぶり。
私は顔を覚えていなかった。
何歳だろう? 22歳と18歳の息子がいるのだからそれなりに・・・
いやそれにしても若くてキレイだ。

母について従兄弟には、
酸素吸入をしていることや、痴呆が進んでいることを話してあったので、
従兄弟は『寝たきり』を想像していて、
自分の顔もわからないのではないかと心配していたようだったが、
「元気そうじゃん」 と安心(拍子抜け?)したようだった。

私としては、認識できるうちに会ってもらえてうれしかった。

母は、相変わらず訪問者がいると別人のように元気である。
良く話すし、セキも出ない。(移動しないからかも知れないが)
みんなで出前の寿司を食べた。

そのにぎやかな様子をビデオにもカメラにも撮った。



相続の件は、従兄弟たちと『権利放棄』で意見は一致。
いつかそのうちに、印鑑が必要な書類が送られてくるかも知れないとのこと。
しかし、当初の相続人たちは、そのほとんどが亡くなっており、
その権利がその子供たち世代に回ってきたと言うことで、みな関心は薄い。
司法書士の書類作成からすでに20年が経過している。それがなぜか今頃・・・
多数の相続人のうち、誰か1人でも意見が合わなければ手続きは停滞して
実質、放置にもなりかねない事案である。



今回のことで母方の家系図が手に入り、母にはもう1人兄がいたことが判明した。
母は5人兄弟の末っ子で、上の4人がすべて男性ということになる。
その長兄は、母が生まれてすぐに亡くなっていた。



それにしても、日頃疎遠とは言え、親戚のありがたさよ。

母が昔から言っていたことがやっと理解できる。
「親が生きてるうちはいいけど私がいなくなったら困るのだから、親戚は大事にね」

夫が早くに亡くなったので、
自分にもし何かがあって娘をひとりで残すことになったら・・・と、
母は心配をしていたんだと思う。
親も兄弟も家も早くに失い『天涯孤独』を味わったからこそ、重みのある言葉なのだった。



帰り際、従兄弟が言った。

「何かあったら電話して」

うれしかった。


2002年12月13日(金) 母方の従兄弟の訪問 1

先日、普通の日記の方に書いたが、
突然に降って沸いた遠縁の遺産相続の件で、従兄弟から電話があった。

そのついでに思い切って、母の病状について初めて話をしたので、
書類引渡し方々、母の様子を見に来てくれることになった。


 * * * * *


従兄弟の父親と私の母は実の兄妹ではあるが、
従兄弟の父親は、生まれてじきに養子に出されており、母はそのことを知らなかった。

母は10代の間に、両親や他の兄弟たち合わせて5人がみな病気で亡くなり、
家も失って天涯孤独になってしまったと思ったところへ、他人から聞かされたのだと言う。

一緒に育っていないので、それなりの遠慮があるのだが、
母にとっては唯一の実兄であり、支えになってくれていたはずである。

養母は優しい人で、母のこともいろいろ面倒を見てくれたようだ。

やがて叔父が結婚をし、4人の子供ができ、養母が亡くなってしまうと、
母としては次第に遠慮がちになっていく。

母は街を離れて、35歳で結婚した。
(自分にも家庭が欲しかったのだと思う)

その後は、年に一度、お墓参りをしながら叔父宅に出入りしていたようだったが、
その叔父も15年前に亡くなってしまってからは、
母にとってはその家族との付き合いは一層疎遠になって行った。


 * * * * *


私も、従兄弟とは言っても、そう言う事情もあって、
母の病気について報告すべきかどうか、悩んでいたところだったが、
ちょうど良い機会になった。

従兄弟がうちに来るのは初めてのことである。


2002年12月10日(火) 明日は墓参に

明日のレフティーの休みに、お墓参りに行こうと思う。

気温はわからないが、お天気は良さそうだ。

前回はいつ行ったのだろう?
10年日記に書いてないので、この日記を調べたが記録がない。
もうひとつの日記の検索機能を使ったら、すぐにわかった。 3月23日だ。
「さるさる日記」って、こういう時に便利だな。

9月のお彼岸には行けなかった。

本格的に寒くなってきたので遠出には気を使うところだが、
来週17日は、私の父の命日なのである。

もう30年になる。
私が10歳になったばかりだったので、数えやすいのだ(笑)

しかし、父の声を思い出すことができない。

父は仕事の関係で、
朝は早い、夜は遅い、食事は勤務先で、土日祝日長期休暇は取れない・・・とあって、
記憶に残る父の姿が少な過ぎる。

一緒にキャッチボールをしたこと。
一度だけ、上野動物園に行ったこと。
職場にお小遣いをねだりに行ったこと。
一度だけ、私の誕生日会を開いてくれたこと。
自転車の後ろに乗せてもらったこと。
一度だけ、一緒にお風呂に入ったこと。
一度だけ、父親参観に来てくれたこと。

父とのツーショット写真は、まだ赤ちゃんの頃のものと、
小学生の時の父の職場の慰安旅行に行った時のものの2枚しかない。
家族3人の写真は、1枚しかない。
当時はカメラも高級品・貴重品であって、うちにはなかったので仕方ないが。

母によると、父は「お酒さえ飲まなければ、良い人」だったらしい。
私も、少なからず父の血を引いているのだ・・・気をつけよう(^_^;)


2002年12月08日(日) 湯たんぽ

昨夜、夕飯の後テレビも見終わって、母をパジャマに着替えさせていたら、
足がやけに冷たくてびっくりした。
膝から下、足の裏までが冷え切っていて、足の爪は紫色になっていた。

もちろん、長ズボンに靴下を履いていたのだが、
まるで今、外から帰って来たかのような、冷たさであった。

前の晩、お風呂に入れたのが気になった。
お風呂から出た後、油断はなかったか・・・

布団に寝かせておいて、湯たんぽを入れることにした。
火傷をしないように、ぬるま湯程度にしておいた。

さらに起毛しているハイソックスを履かせた。

テレビのニュースでも、よそは雪が降るかも知れず、冷え込むと言っていたっけ。

そう言えば、
「私の手、こんなに冷たい。死んじゃうかも」などと絹江に話していたが、
私は気に留めずにやり過ごしていた。
母の手は、普段“熱があるのか”と思うほど手が温かいのだ。

体温を測ってみたら、はじめ35.5でビックリしたが、
もう一度反対の脇で測り直してみると、36.7。
母は体温計の存在をすぐに忘れてしまうので、なかなか上手に計れない。
赤ちゃん用の、耳に入れて一瞬で計れる体温計があったほうが良いだろうか。
食欲もあったし、歩行にも支障はなかったし、額や首筋を触ってみたが、熱はないようだ。

母は湯たんぽのぬくもりをとても喜んだ。
それでもまだ足が氷のように冷たいので、オイルでマッサージすることにした。

履かせた靴下を脱がせて、ついでに伸びた爪も切って。
膝下から足の裏までを軽くマッサージしてあげた。

その後、寝る前にも様子を見てみたが、大丈夫そうだった。

本格的な寒さが始まるので注意が必要だ。


2002年12月07日(土) 疲れてるのかなぁ・・・

現在、深夜の3時です(^_^;)
ひとりで静かに考え事をしようとすると、
やっぱりみんなが寝ている時間になってしまうのかな?

今日も一旦1時頃に寝たんだけど、
昨日15時から19時まで昼寝したのが影響して寝付けないものだから、
起き出して日記を書いているところ。



最近、パソコン開けてる時間が減りました。
みんなのHPもなかなか回れないし、メッセンジャーもつないでないな・・・
メールをチェックする時ぐらいで。
しかも、たまに来るメールと言うのがMSNの広告だったりして。┐(  ̄〜 ̄)┌


 * * * * *


絹江に言われました。
「ママ、最近、怒ることが増えたんじゃない?」

さらにレフティーまで
「オレもそう思う」

絹江が続けて、
「声も大きいし、外まで聞こえてるし。」


所詮は言い訳ですけどね、母に接している時間が違うじゃないですか。
絹江の場合、帰宅が18時として、母が落ち着くまで約6時間。
レフティーの場合、帰宅が20時として、約4時間。
私は、1日平均18時間なんですよ・・・

子育てと違って、何度教えても覚えてくれるわけではなし。
日々、後退していくわけですよ。

病気の他に、痴呆と耳が遠いのと。

これまでは、米とぎや、食器洗いをやってもらっていたけど、
今では無理だと思うので、やらせていない。

洗濯物をたたむぐらいなら、と思っても、ちっとも進まないし。

つまり、母はやることがなくボーッとしている時間が増え、
私は家事の負担(元々は私の仕事なんだけど)が増え、
さらに、母の相手をしなくてはならないわけで・・・

酸素のチューブが部屋を巡るようになってからは、
母がベッドと居間とトイレを移動するたびに、付き添う必要が出てきたし、
自発的行動が減って来たので、それを促したり、介助しなくてはならない。

洗面をしなければ、レンジでチンした蒸しタオルを差し出し、
食事の前には、洗った入れ歯を準備して、
補聴器をしているかとか、靴下は履いているかなど、
チェックすることが増えて来た。

そうそう、酸素の機械にしたって、
精製水の入れ替えや、スポンジの交換・洗浄などの管理が必要だし。
ボンベの注文とか。

ケアマネの訪問もあるし。

母の昼寝も浅いし。

とにかく時間が細切れ状態。

デイサービスに行っていた時は、
週に2回7時間づつ、ひとりになれる時間があったわけで、
友達とランチだの、温泉だのと、リフレッシュもできたし、
じっくり考えて日記を書く時間もあった。

現在、ヘルパーが来るのは2週に1度4時間だし、
デイの7時間に比べると、行動できる範囲は縮小された。

おまけに、このところレフティーの休暇は都合で半日に減ってしまうことが多く、
しかも休暇の夜には決まってボウリングが入っているので、
(仕事が遅いので、ボウリングのある日に休暇を当てている)
のんびり遠出をすることもできず、結局は買い物に追われておしまい。

絹江もレフティーも、何の心配もなく外出できるじゃないですか。

私が外出する時は、あれこれ準備したり引継ぎしたり、
楽しんでいても、どこかで“あれはやってくれただろうか”などと心配だったりして、
全く手放しで遊べるわけじゃないのですよ・・・

そう、それから、先月末の絹江の進路説明会にも行けなかったし。
今度の月曜には、3者面談の予定が入っているのだけど、母、置いていくしかないか・・・


2002年12月06日(金) 昨日の検診にて

本日(6日・金曜日)、22時より入浴。 体重44kg。


 * * * * *


昨日の検診にて・・・

 11時半の予約。 到着は数分遅れ。
 待合室がめずらしく空いていた。

 前回に処方された睡眠薬「ハルシオン」については、
 結局この2週間、一度も服用させずに済ませた旨を報告したら、
 今回は処方からはずされた。
 
 「家族が服用しても良いか」と聞いたら、
 「それは構わない」とのことだった。

 痴呆症の進行を遅らせるという「アリセプト」については、
 母の場合、その効果がハッキリ得られているとは考えにくく、
 むしろ、時折ぼんやりするというのは、副作用かも知れないとのことで
 今回の処方からはずされた。



 会計にて「8260円です」と言われ、
 「はっせん?ですかぁ? 堯福陰Α院叩叩法廚畔垢返したところ、すぐに調べてくれた。
 いつもと同じ診察で、検査もなし。何がそんなに高いのか?

 「在宅酸素の分、月に一回清算になっていまして・・・」
 
  あぁ、そうだった。
  
  酸素屋のSさんから、自宅での機械のレンタル料の他、
  外出用の酸素ボンベを何本使用しても、月に8000円だと聞いていたっけ。

  それにしても、現金とカード、持っていて良かった。
  帰りのタクシー代は、ATMで下ろさなくては足りなかった。 ┐(  ̄〜 ̄)┌


2002年12月05日(木) ゴムベルト

今日の検診はタクシーで。

電話で呼ぶ時に「小型でいいですか?」と初めて聞かれた。
私が、戸惑って「車椅子が積めれば」と言ったら、
「それなら中型の方がいいですね」と言われたのでそれに従ったのだが、
病院間近になってメータを見ると、料金がずいぶん違ってきたのでビックリした。
次回から小型を指定することにしよう。


今回の運転手は、良い感じの人だった。
しかも、話しているうちに、
同級生(とは言っても学校は違ったけど)のお父さんであることがわかった。
車椅子を積んだ後、こちらが用意した両端にフックのついたゴムベルトで、
トランクを固定してもらったのだが、このことは運転手さんに喜んでもらえた。

タクシーのトランクの内側には、大抵、フックが掛けられるようなところがあるので
そことバンパーの部分を、持参したゴムベルトでつなぐのである。

今日は帰りに寄り道をしたので、合計3回タクシーに乗ったが、
トランクにゴムベルトが備え付けになっているのは1台のみで、
どの運転手さんも、このようなゴムベルトの存在を知らなかったので、
買ったお店と値段を教えてあげた。
これについては、あとで介護のページに写真をUPしようと思う。


 * * * * *


私がこのゴムベルトを購入したのは、
10月に横浜に行った時のことがきっかけになった。
もうひとつの日記の方、横浜日記が途中になってしまっているのだけど、
中華街から横浜駅に戻る時に乗ったタクシーのトランクには、
ゴムベルトが備え付けになっておらず、代わりのヒモなどもなくて、
トランクは車椅子を押さえる程度で走り出した。

ところが、走行しているうちにトランクが全開になってしまい、
さらには加速・減速のたびにトランク(フタ部分)がギコギコと音を立てて動くので、
運転手はそれを気にしてスピードを出せず、終始安全運転を強いられたのであった。

私は私で、予定している直通電車に乗りたいが為、
ノロノロ運転の車中でずっとイライラさせられたのだった。
もちろん車椅子の母を連れての移動であるのに、時間に余裕を持たない自分が悪いのだが・・・

当日は、なんとかギリギリで予定の電車に乗れたものの、
運転手がトランクに気を取られて事故を起こしても困るので、
必要な道具は自分で用意をすべきだと思って、ホームセンターで探した結果、
都合の良いゴムベルトが見つかったのだった。

フック部分を含めて57cm、200円程度であったと思う。
この商品の中では、一番短いタイプを購入。他にもっと長いものもあった。


2002年12月01日(日) 訪問者のない日は・・・

どうしてこんなに咳き込み、うなっているのだろう・・・



『うるさいんだよ、ちゃんと酸素のチューブつけてるのかぁ?』と、
トイレまで見に行くと、息を切らしながら、
「大丈夫、大丈夫、ありがとね、心配してくれて」って言われて撃沈。


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