Mother (介護日記)
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2002年11月29日(金) 眠剤飲むのは・・・

いつもより早く0時前に布団に入ったレフティーだったが、
母の咳き込みとうなり声で眠れずに起き出してきて、
私に「ばぁさんの薬をよこせ! オレが飲むから!」と怒鳴った。

今夜は私の誕生日のお祝いと言うことで、
少量ではあったがレフティーはワインを飲んでいる。

アルコールとハルシオンは良くないから、と私が制したものの、
いつになくキレていたレフティーだった。

一番眠い時に眠れないというのは、確かに辛い。

ハルシオンは母に処方された薬ではあるが、私たちが飲んでも良いのだろうか・・・


2002年11月28日(木) 哲学を語る

今日は検診のない木曜日なので、ヘルパーのOさんが来てくれる日だった。

食事が終わってトイレを済ませ、ベッドに移動し、息切れも落ち着き、
ウトウトし掛けたところでの訪問。

前回は4時間ずっと話をしていたので、Oさんもお疲れになっただろうと思い、
今回は少しでも母が寝てくれるといいな、と思っていた。

私は途中で美容室に出かけたのだが、結局、今回もずっと話し込んでいたようだ。



 * * * * *



美容室の予約が3時半だったので、それまではネットしながら家事をしていた。

母の部屋からは、二人の会話が聞こえてくる。
母はベッドに寝たまま。 Oさんは、傍らの椅子に腰掛けている。

Oさんは、さすがに聞き上手で、母が話しやすいように質問をしてくる。
母がそれに答えている様子はまた興味深い。


母にとっては、父が早くに亡くなったことがとても寂しいようである。
父との10数年の思い出を語っていた。


また、故郷下田に寄せる思いも大きい。

「あなたも一度、下田に行って見なさいよ、いいところだから。」


さらには哲学?まで語りだした。

「人間はいつも笑顔でいなくちゃね。
 自分自身がいつも笑顔でいれば、相手も自然に笑顔になるでしょう?」


とにかく良くしゃべる。
しかも、ちゃんと筋道が通っている。
それをOさんが、相槌を打ちながら根気良く聞いてくれている。

これが、目がうつろでボーッとしている時の母と同じとは、とても思えなかった。
咳き込みもほとんどなく落ち着いていた。

しかし、同じ話しが何度も出てくるのも、Oさんにとっては苦痛になってくるだろう。
そうかと言って、母は今日も眠りそうにはない。
そこで「4時からTVで『水戸黄門』が始まるよ」と促して、私は美容室に出掛けた。

私が5時直前に帰宅すると、居間でテレビを見ていた。

洗濯物もOさんが取り込んでくれてあった。
しかも、取り込んだ後の指示も、母が出したと言うので驚いた。

「ここ(鴨居)に、こういう風にかけておくんだ、って教えてくれたんです」

この時期は、洗濯物がカラッと仕上がらないので、
うちは、夕方からつけるヒーターの熱で乾燥させてから夜になってたたんでいる。
それを、母がちゃんと認識しているということだ。
最近は、洗濯物をたたむ手伝いもしなくなっていたのに・・・


他人との会話で言葉が次々に出てくるし、
他人との留守番で、自分が主になって指揮を執るなどの行動ができて、
とても良い機会になっていると思う。



 * * * * *



私が美容室に行く前、Oさんが言った。

「今日見たテレビで小山明子が、
 介護する人も自分自身がキレイにした方がいい、って言ってましたよ」

つい、同じ服ばかりを着ていたりするんだよね(^_^;)


2002年11月27日(水) 虐待?

どこからが虐待なのかはわからないけど、
昨夜、母がお漏らしをしたことに私がキレて太ももを叩いてしまった。

もちろん、それによってアザができるようなことはない、その程度ではあるが。

子育てに於いても、私はビシビシ叩いて来た。
叩いて覚えさせろと義母に言われたからであるが・・・

当然のことながら、事後は自己嫌悪しか残らない。




食事が終わったところで、母にトイレに行くように勧めたのだが、
ちょうどドラマを見ていたこともあって、
「まだ行きたくないから、これが終わったらにする」との答えだった。

15分ほどしてドラマも終わり、
酸素のチューブが絡まないようにしてトイレに付き添ったところ、
まずはおむつを履いていないことに気付いた。
いったい、いつのまに脱いだのか・・・

さらには、パンツにも少量を漏らし、濡れていることに気付いた。

「だから、さっき『トイレに行こう』って言ったのに・・・もう!」

ウォシュレットに座っている母の左の太ももをピシャリと叩き、大声で怒鳴ったところ、
母が逆ギレして「いいよ、自分で洗うから!」と言った。

勝手にしろ。 どうせ自分でなんか洗えないくせに。

私は居間に戻り、レフティーに顛末を説明したが、
その必要もないほど、我が家は小さいのだった。

さらには、レフティーに八つ当たり。

だいたい、何でもかんでも私に任せて。

「オレだってやってるよ。 やって欲しいことを書き出しておけよ」

だからさ、そうやって、こっちが言わなきゃやってくれないじゃん。

職場のパートのことを文句言ってるくらいなら、
家でも仕事と同じように、人の動きを見て何をしたら良いのか自分で考えるとか、
自分から聞いてくるとか、忘れそうなら自分で書き出しておくとかすればいいのに・・・

昨日だって、
私が先に寝てしまったら、絹江に頼んでおいたのに、ポリデントしてくれてなかったじゃん?

私ひとりに任せておかないで、確認してくれる人がいてくれなきゃ。

朝だって、母のことには無関心で、サッサと仕事行っちゃうし・・・

今だって、私がキレてたら交代してくれればいいのに。



レフティーは、母の部屋に向かったが、そこで私と変わりなく怒鳴り始めた。

誰が、私の代わりに怒鳴ってくれと言ったんだ・・・┐(  ̄〜 ̄)┌

そうじゃないだろう。

「おばあさんもさぁ、自分で洗うとか言ってるけど、できないでしょ?
 素直にアリュールに謝って『洗って』って言えばいいじゃん」

「ごめんなさいねぇ、迷惑掛けて・・・洗って」



なんだよ、勘弁してよ。私の負けです。

私が悪ぅございました。

なんでこんな時ばっかり“素”になるんだよ。

ボケててくれりゃ、いいのにさ・・・



ちょっとばかり、私は疲れてる。

いや、かなり、か?



母は私の母なのだから、私が面倒看るのが当然なんだし、
母がおむつを履いていなかったのは、私が母のチェックを怠っていたってことだし、
レフティーには、休日返上でいつもやってもらってるのだし、
職場と違って、家はくつろぎたい場所なのだから、
母のことでもっと気を使え、私のフォローをしろって言うのはおかしな話。

だけどね・・・

大変なんですよ、実際。



世の中には、寝たきりの介護10年とか、身障者の子供を育てるとか、
もっともっと大変な人がいることはわかるんだけど、
そうすると(そういうことを知れば知るほど)
私なんかが、これぐらいのことで辛いと言うことはタブーだということになって、
なおさら自分を追い込むことになってしまうんですよ。


で、『私はかわいそうだ』と思う。


そこで今度は、

「自分を『かわいそうだ』と思う人こそ『かわいそうな人』だ」なんて、
どこかで見たような聞いたような言葉が浮かんで来て、また苦しむ。


『心から“ありがたい”と思われた時、人は死んで行くものだ』 って。
そうすると、私はまだ母親に感謝が足りないと言うことか・・・
いや、それでは、早く死んで欲しいみたいじゃないか。
それなら、親に長生きして欲しかったら、親不孝をしていれば良いのか?
・・・と、メビウスの輪のような、結論の出ないことに、頭を悩ませていたりするのだ。


2002年11月26日(火) 制限

母の反応が鈍くなって行くのを見ているとつらい。

この先、どこまで進むのだろうか?




歩けなくなるのだろうか?

寝たきりになるのだろうか?

もっともっと、大変なことになってしまうのだろうか?

そしていつか、私もこんなふうに歳を取るのだろうか?

絹江も、こんな想いを抱くのだろうか・・・



母は、体が痛いと言ってベッドに横になることが多くなった。

食事が終わるとベッドに行きたがる。

「おなかが空いた」 とは言うものの、食事中もボーッとしており、なかなか進まない。




何を着れば良いのかわからないし、自分の服がどこにあるのかもわからない。

用意してあげても、眺めているだけで一向に着替えようとしない。

手伝って着替え始めると、途端に息切れがして咳き込む。

外出から戻ると、上着を着たままベッドに寝転んでしまう。

靴下が片方脱げていても気が付かない。



このままでは完全にボケてしまう・・・と、焦って外に連れ出す。




日も短くなり、外出できる時間も短くなった。

風邪を引かせてはイケナイので、寒い日は外出できない。

酸素ボンベを持つ必要があるので、長時間の外出は無理がある。

寝不足続きで、私も疲れている。

スーパーへの買い物でも、セキが出ると気を使う。
今後も同伴しても良いものだろうか、休憩所で待たせておくべきか・・・




 * * * * *



大人用紙おむつの“アテント”のCMは、実にリアルだ。


寝たきりの父親のおむつ替えのために夜中に何度も起きるので、
「おやすみ」を何度も言っていた、というストーリー。

いつも自分のことを『頑張れ!』と励ましてくれていた父親が、
「オレのためにそんなに頑張るな」と言ってくれた、というストーリー。

また女優さんが、いかにも“介護疲れ”してます、って顔なんだな、これが。


しかし・・・


自分で気付かないならともかく、自分で濡れていることがわかる場合、
「家族に替えてもらうのは申し訳ないから」 と遠慮して、
おむつが濡れているのを朝まで我慢をするのは、
今の自分ではとてもつらい気がするのだけど。


2002年11月25日(月) 薬局。

先週木曜日の検診の時の薬を、まだ薬局に取りに行っていなかった。

入院でだぶっていた分の薬を飲んでいたから良かったんだけど、
さすがに使い果たしてしまったので、今日は行かないと。

母は相変わらず、背中が痛い、胸(肝臓のあたり)が痛いと言って動きたがらないが、
ここ数日、お天気が悪く家の中にばかりいたので、反応も悪くなっていた。

雨もやっとあがったので、無理やりに連れ出した。



自宅を出てしばらく行った時、母が急に手を振るので何かと思ったら、
バイクですれ違った新聞屋さんだった。

母は目が良い。

新聞屋さんなんて、集金に来てもしばらく顔をあわせていないのに、覚えていたんだ。

やはり外出すると、頭が回転するようだ。




薬局では『ハルシオン』について少し聞いてみた。

「短時間型で、効果は2,3時間のものなので、それほど気になさることはありませんが、
 体が弱っている時とか、お年寄りには、それよりもやや長い時間効くかも知れませんね」

2,3時間しか効かないのか・・・それなら、いつもとあまり変わらないじゃん。

「眠れないというのは、ご家族もそうですけど、ご本人も辛いはずですので」

それほど辛そうには見えないのは、昼間、ウトウトしているからなのか。

「昼・夜が逆転してしまうと困りますので」

確かに。

「なかなか寝付けないというのは、興奮状態にあるので」

いや、興奮している感じはないが・・・

「交感神経と副交感神経が・・・」

はぁ・・・よくわからん。


大声をあげるわけでもないし、徘徊でどっかへ行ってしまうわけでもないし。
でも、今回の処方は、そもそも私が「うるさくて寝られない」と言ったからだ。

取り敢えず7日分。

どうしても困ったら使ってみることにしよう。



それにしても、ハルシオンが必要なのは、むしろ私の方だったりして。



そんな会話を、聞いているのかいないのか、静かに車椅子に座っていた母だったが、
帰る時になって、「さようなら」 と言った。

『年寄りはボケても礼儀正しい』 と、どこかに書いてあった。

歩きながら話しかけているのに、再び反応が悪い・・・と思ったら、
補聴器をつけてはいるけど、スイッチが入っていなかった。
今までまったく聞こえていなかったのだ。

音のない世界を不思議に思わないところが不思議だ。


それでいて、道端で「あ、あれ!」 と言って、
少し離れたところに落ちている1円玉を見つけるところが笑える・・・


2002年11月22日(金) 従姉妹

先週、母の調子が悪いので私が連絡したら、
21日、従姉妹が栃木から母の様子を見に来てくれた。

従姉妹は父の弟の娘であり、母とは血縁関係にはないので、ためらったのだが、
ちょうど東京に行く用があるので、そのついでに寄ってくれることになったのだ。

彼女も責任ある仕事を任されているので、休暇も取りにくく、貴重な時間である。

親戚との顔合わせは必要に迫られた『お葬式』ばかりが多かったが、
前回会ったのはいつだっただろう?

「Mちゃんの結婚式の時だね」 と、従姉妹が言った。

Mちゃんも別の従姉妹。 結婚式は4年前であった。

 * * * * *

聞けば彼女の父親も母と同じ歳、
脳溢血で倒れて手術をし、今は半身不随なのだそうだ。

和室をフローリングにしたり、
庭先から車椅子のまま部屋に入れるようにスロープをつけたりしたそうだ。

しかし、
立つことができないので、トイレに行くことはできず、
ポータブルトイレも、叔母の負担が大き過ぎるので、
仕方なくおむつを使用しているとのことだった。

私たちの義理のおばあちゃんは、これまた別の叔父夫婦が看ているらしいのだが、
目が悪いものの体は元気なので、徘徊があって大変なのだという。

70歳以上の親戚が多くなって来て、それぞれに大変な時期を迎えているらしい。


2002年11月21日(木) 酸素ボンベとハルシオン

今回からは、ボンベの酸素を吸入しながらの通院である。

ボンベには、
2リットル/分で使用した場合、2時間半ぐらいもつだけの酸素が入っているが、
このボンベは既に買い物で使用を開始しているため、長い待ち時間に備えて
予備にもう1本のボンベを持たなくてはならなかった。

緊急時(停電・地震など)用の8時間持つスチールのボンベと比べると軽いのだけど、
やはり大きな荷物である。


母は玄関先で車椅子に乗ってタクシーを待っていたのだが、
私が合図をすると、運転手が降りて来て、
「バックでここまで入りますから待っていてください」と言い、
母が乗り込むのを手を引いてヘルプしてくれた。

車椅子を積み込むとタクシーのトランクが閉まらないので、
先日ホームセンターにてフック付きのゴムを買って来た。
トランクの内側とバンパーに、それぞれフックを引っ掛けて、
走行中にトランクがユラユラ動くのを防ぐことができた。
(運転手によっては、そういうゴムを用意していることもある)

病院到着時には、身障者手帳は提示しただけで番号を控えることもなく、
会計は実にスムーズだった。

これは、役所経由の“ALLURE通達”効果なのか?

さらに、病院のボランティア二人が迎えに出てくれて、
トランクから車椅子を降ろしてくれ、私の大きな荷物を持ってくれたので、
私は母を車から降ろすことだけをすれば良かった。
ボランティアは、そのまま母の車椅子を押して、内科まで連れて行ってくれた。




内科で通りかかった看護婦に、酸素ボンベ持参で来た旨を話すと、
「緊急処置室で待っていていただけるなら、そこで病院の酸素が吸えます」と言ってくれて、
その後、婦長の案内で緊急処置室に移動した。

そこにいたのは、入院中にお世話になった看護婦だった。
整形の薬を「次回の検診の時にもらえば」と言った人である。
文句のひとつも言ってやりたかったが、疲れるだけなので辞めておいた。

持参したボンベを閉めて、病院の酸素の方にチューブを付け替えた。

わがままな患者なのだろうが、これで、長い待ち時間にハラハラさせられることもない。
内科外来で母の順番が回って来たら、婦長が呼びに来てくれることになった。

緊急処置室では、寝ている人や点滴のためにあとから来た人などがいたので、
私たちは会話もせずに静かに待っていた。

約1時間経って、婦長に呼ばれ、内科診察室に入った。




いつものように、母は主治医を見て、たちまちハイテンションになった。

2週に1度の検診のサイクルが、長いようで短く感じられる。

いったい、これまでに何度、ここに通って来ているのだろう・・・
そして、私はここで何度同じことを言っているのだろう。
そして、何度、同じ答えが返ってきたことだろう。

私は最近、投げやりになっているかも知れない。

体重は44kg。 食事の量は少なめ。 痴呆も進んでいる感じ。
夜中に意味もなく怪獣のような声を出してうなっていて、私たちは寝不足・・・

『体重の減少は、薬によって胃が荒れているからだと思うから、胃薬を替えてみましょう。
 
(痴呆の加速は)ステロイドの影響もあるだろうから、量を減らしましょう。
 今、4錠出しているけど、これを3錠にしてみましょう。

 それから、今回は、少し睡眠薬を使ってみましょう。ハルシオンを出します』

「でも、それは、私たちの都合ですから・・・」と、私はためらった。

『でも、ご家族にもぐっすり眠っていただかなくては。 使ってみてください』



ハルシオン・・・あまり良い印象は持たない。

ネットで調べると副作用に“呼吸器の抑制・幻覚”などがあるらしい。


2002年11月20日(水) 眠れない・・・

眠れずに起きて来た。

1時半頃に布団に入ったはずだ。

今は、3時少し前。

1時間半も布団の中にいたとは思えない。

ほとんど寝た気がしない。



母がうなる。

咳き込むのは仕方ないが、最近は、ボケの症状とも言える無意味な声を出すことがある。

眠りに入ろうとする時間に、動物のようなうなり声が聞こえてくる。

それが毎晩。

絹江とレフティーは、とうとう耳栓を買って来た。

以前、レフティーの友達が、耳栓とアイマスクがないと眠れないと言っていたのを思い出す。
彼女は、当時、狭い家でボケたおばあちゃんと同居していた。



最近、トイレに長い時間入っているな、と見に行くことが多くなった。

先日は、トイレの中で下着も直さぬまま、居眠り状態でうなっていた。

話しかけても目がうつろで、反応が鈍い。

それを見て、初めて母のことを“不気味”だと思った。

吐き気さえ覚えた。

親をそんなふうに思いたくない。

だから、母を嫌だと思う前に・・・

思う前に・・・?



 * * * * *



末期の医療、先週の入院で“手足を縛る”ことについて考えさせられた。

痛い、うっとうしい、かゆい・・・
いろんな理由で体につけられたチューブや点滴の針をはずしてしまう患者に対して、
手足を縛ってまでの治療というのは、本当に必要なのであろうか。

それによって治るならともかく・・・

自分に置き換えて考えても、
手足をベッドに縛られたのでは、背中が痒くてもかけないじゃないか・・・



2002年11月19日(火) しりもち

今朝、着替え終わった母を居間に来るように呼んでまもなく、
「痛たた・・・」と声がしたので、ビックリして急いで見に行ってみると、
しりもちをついた状態で座り込んでいた。

頭を打たなくて良かった。

前に転ぶにしても、後ろにしても、
我が家は狭いので、家具や柱などにぶつかる可能性が高い。

転んだら、また骨が折れる・・・
骨が折れたら、また起き上がることもできなくなる・・・

取り合えず立ち上がらせてみたが、なんとか歩くことができた。

前回は、トイレどころか寝返りも打てず、痛くて食事もとれないほどであったので、
転倒には注意をしていたはずだったのに、油断した。

酸素吸入が始まってからは、
家の中を長いチューブを引きずって移動しなくてはならないので、気になっていた。

トイレに立つ時に移動の補助をするためにも、
最近は、できるだけ居間で一緒に過ごせるように工夫しているところだった。
母の部屋だと、母がひとりで動き始めても私にはわからないが、
居間なら、私が台所にいても、庭で洗濯物を干していても目が届く。

母の転倒はチューブが原因ではなかった。
靴下が脱げ掛かっていた。
私の履いていたパンツの裾が、少し長かった。


様子を見ながら、あまりひどいようであれば午後から病院に連れて行こうと思っていたが、
大丈夫らしいので、湿布だけ貼って明後日の検診まで待つことにした。


2002年11月14日(木) ヘルパー。

今朝の寝起きの一言。
「ここは・・・私のうちだっけっか?」

いや、ばーちゃんの部屋は模様替えしてないぞ(^_^;)
退院したばっかりだけどさ・・・(^_^;)
引越しも、何回もしているからなぁ・・・前に住んでいた家の夢でも見たのかな?


 * * * * *


今日からヘルパーさんが来てくれることになった。

木曜日は2週に1度検診が入っているので、
その合間、1時から5時までの4時間「見守り」をしていただく。

初日の今日は、ケアマネのIさんと一緒にやって来た。
Oさんという方、50代前半ぐらいだろうか?
良い感じの方で安心した。

母は、元々、誰とでも気軽に話ができる人なので、
今回も、すんなりと溶け込んでくれて良かった。

昨日の模様替えの後で、玄関先から廊下まで荷物が散らかっていたが、
とりあえず居間だけは体裁を保っていた(^_^;)

母は、来客?をとても喜び、会話を楽しんでいた。

私は、最後の洗濯物を干し終わってから、
ベッドに横になった母をOさんにお任せして100円ショップに雑貨の買い物に行った。
ワゴンのサイズを測ってから、メジャー持参で行ったのだけど、
ちょうどいいカゴが見つかって♪
・・・あぁ、これはあっちの「Diary」ネタだった(^_^;)

母からおせんべいを頼まれていたので、ピーナツ入りのおせんべいを買って帰った。

1時間半後に戻ると、母はベッドに寝ながらもOさんとアルバムを見ながら話していた。
聞けば、一度も寝ないでずっと話をしていたのだと言う。

「今日はちょっと疲れたかも知れません」って・・・
それは、ヘルパーさんも同じだろうな(^_^;)



 * * * * *


夕飯。

昨日はレフティーのボウリングがあったから、そろわなかったけど、
今日は4人そろっての夕飯。

母は食べ終わっても、そのままみんなと一緒にテレビを見ながらお茶をしていた。
不思議なことに、その間の2時間以上、母は咳き込みもせず静かに過ごすことができた。

これを“同一空間療法”って呼ぶのはどう?

やっぱ、模様替え、して良かった。


2002年11月12日(火) 悪化?

(22時、*印以下を 書き足しました)



母の体調は、酸素吸入していても決して良くなったとは言えない。

わずか5日の入院であったが、痴呆が進んだような気がする。

おむつは毎回濡れているし、濡れていることに気付かないし、
また、それを確かめようともしないし、おむつの始末も自分でしなくなった。

酸素吸入の意味を理解できなくて、
機械を見て「何? これは冷蔵庫?」 なんて言ってるし。
自分とチューブでつながっているだろうに(-_-;)

鼻をかむたびに酸素をはずして、そのままアゴの下に忘れたままだし。

トイレに立つたびにチューブを延長しなくてはならないのだが、痴呆の母にはとてもできない。

延長したままのチューブをつけたままでは、
夜中に起き出した時に体に絡まったり、脚を引っ掛けたりの危険がある。

そうかと言って、短いチューブをつけたままでは、
トイレまで歩くうちに無理に引っ張ってしまう可能性もある。

それなら・・・寝る前にトイレが済んでセキが落ち着いたところで、吸入を中止して、
夜中にトイレに起き出して咳き込んだら、私が行って吸入させて・・・

ってか、夜中に何回起きるんだよ・・・私、寝てられないじゃん(T_T)



 * * * * *   書き足し、ここから  * * * * *



先週であったか、
母が入れ歯洗浄剤の入った器の水でうがいをしているところをレフティーが発見、
すぐに辞めさせたのだが、いつからそんなことをやっていたんだろう?

今日は今日で、酸素チューブを延長したので、トイレに一緒について行ったのだが、
見ていたら、手を洗った後に拭いたものは、掃除用の雑巾であった。
早速、雑巾をトイレ内に置くのを辞めることにした。



今日は曇りがちであったが、比較的暖かかったので、
酸素ボンベ積載車椅子外出デビュー(長)してみようかな、と思ったら、
肝心な車椅子がなかった。 レフティーの車に積んだままだ・・・

昨夜は10時ごろには寝たものの、
レフティーに突付かれて起きたら、夜中の1時半。
母のセキが聞こえてきて、やっと突付かれた理由がわかった。

酸素を3リットル/分にしてしばらく吸入させて、
落ち着くのを待ってから吸入を停止して寝るまでに15分くらいだろうか。

朝になってレフティーに聞くと、そのあともう一度、母が咳き込んだのだが、
じきに治まったので、私を呼ばなかったとのことだった。
キミが代わりに行ってくれても良いのだよ、レフティーくん(-_-;)

それにしても、私はかなり爆睡していたらしい・・・



一筆箋にも書いたけど、

今朝、起き抜けに飲ませた時、持ち帰った薬の中にフォサマックがないことに気付いたので
すぐに内科病棟に電話をして確認をしたら、
やはり入院中は、整形の薬(フォサマック)をもらっていなかった。

私に落ち度があるとすれば、
入院当日「明日は整形の予約が入っているのですが」と看護婦に申し出た時、
「診察ですか?」と言うので、「注射だけです」と言ってしまったこと。

看護婦は、整形担当医に確認をすることなく、
内科のT医師との判断でエルシトニンを注射しただけだった。

私が渡した母のファイルにも、服用中の薬として記入してあるし、
当日、私が持参した薬に対して、看護婦は確認を怠っていたのだ。
どうしてこうも続くのか・・・

私は、「内科と整形とで、カルテが別なんですか?」 と、
これまたイヤミたっぷりに言ってやったが、
看護婦は「注射だけしか聞いていなかったので」の一点張り。
「今度の整形の日に、もらったらいかがですか?」って、それまで飲ませないってこと?
呆れてモノが言えない・・・

私が管理しているから、こういうことに気付くけど、
痴呆じゃなくても、老人には、自分でそこまでできないんじゃないの?
だから、担当が替わってもわかるように“カルテ”があるんでしょ?
患者自身が「整形担当医にも連絡を取ってください」とか、
「整形から薬をもらってください」とか言うのって、おかしいよ。



病名にしても、病状にしても、今後のことにしても、特定疾患の認定にしても、
「詳しいことは、主治医じゃないとわからない」と、そればっかりだし・・・


2002年11月11日(月) 退院できた

電話するって言ったから待っていたけど、連絡来ないし。

退院するとは思っていなかったから、今日も着替えのパジャマを持って行ったのに。

病院に着いたら「退院、2時ですね」って。

いったいどうなっているんだ?

母を服に着替えさせ、荷物を片付け始めたが、母はそのことにコメントしない。

退院だ、って看護婦から聞いているのだろうか?

こちらからは、説明をせずにおいた。

いつまた、手違いがあるか、わかったもんじゃないから・・・

約束通りに酸素屋さんは2時に来てくれたんだけど、先生が来ない。

やっと来たら「血液検査しますね」って・・・今から?(-_-;)

すぐに結果が出て、カルテと合わせて説明してくれた。

検査結果を激写しようとしたら、「これ、あげます」って別の紙をくれた。

思わず、数値を見比べて同じデータかどうか確認してしまった。

看護婦は相変わらずで要領が悪く、こっちが聞かなければ黙っている。

「あの・・・支払いは?」

「あ、まだ、計算書、渡していませんでしたね(^_^;)」

「それと、お薬は?」

「あ、それは、お金を払ってからになりますので・・・」

それなら、最初に計算書をくれってぇの。
さっきっから1時間以上、待っているのだからさぁ。┐(  ̄〜 ̄)┌

酸素屋さんだって、居場所がなくて困ってるじゃん?

で、1階で会計を済ませると、領収書と一緒に茶封筒を渡された。

表書きには、母の名前が。

なんだろう?と開けて見ると、退院証明書。

で、読んでビックリ!

『病名: 糖尿病    転帰: 治癒に近い状態』

トーニョービョー?
いつから母は糖尿病になったんだ? ヾ( ̄。 ̄;)
いつ治ったんだよ? 治んねぇんだよ。

キレそうになった。

おい、大丈夫かよ?

今、支払った金額、合ってるんだろうな?

治療とか、薬とか、間違ってないだろうな?

さっそく看護婦に見せる。

「母、糖尿病もあるんですか?」 ← イヤミたっぷり

「え? え? あ? 間違ったんだと思います。すぐに聞いてみます。」

「今、もう支払って来ちゃったけど、こっちは合ってるの?」

「あ、こっちは会計の方なんで、合ってると思いますが」

┐(  ̄〜 ̄)┌

「訂正しておきましたので・・・(^^ゞ」

見たら、そこには訂正印もなく。

『肺線維症・呼吸不全』

肺線維症も、間質性肺炎も、BOOPも、定義は難しいだろうけどさ、
統一できないものですかね?

入院時と、退院時で病名が違うっていうのもねぇ・・・



そうそう、退院するのに、病室から玄関までは車椅子で行かなくてはならないのに、
看護婦からはなんの説明もない。

病室にある、酸素ボンベ付きの車椅子を使っても良いものだろうか?

でも、またここまで返しに来なくてはならないと言うのも面倒だ。

やっぱり、下に行って外来用の車椅子を借りてくるのかな?・・・

私がブツブツ言っていたら、
酸素屋さんが「やはり、下のを・・・」と言ったので、取りに行って来た。


・・・とにかく! 看護婦さん、最初に全部言って。



 * * * * *


私と、酸素ボンベを抱えた母はタクシーに乗り込み、
酸素屋さんは、その後ろを自宅までついて来た。

母は、酸素をつけたままの状態であっても、玄関までの数歩でゼイゼイ言っていた。

病院で使用しているのとまったく同じ型の機械が母の部屋に持ち込まれ、
ベッドの横に設置された。

なんと、トイレに行くにもお風呂に入るのにも、原則として酸素吸入だということで、
その必要な長さ分のパイプが用意された。
15m分あったものを、10mぐらいでカットした。

設置して、あれこれ注意事項などの説明を受けて、約1時間。


* ネットで調べたら“在宅酸素療法”のことを、
  Home(在宅) Oxygen(酸素) Therapy(療法)の頭文字をとって、HOTって言うらしい。


途中で眠くなってしまった・・・

酸素濃縮装置という機械は、空気清浄機みたいなシステムで、
部屋の空気を取り込んで、酸素だけにして、加湿したものを送り出すらしい。
加湿用には、精製水(コンタクトレンズ用)が用いられ、
減らなくても週に一度は捨てて、容器をゆすいで新しい精製水を入れて使うのだそうだ。
安静時2リットル、運動時3リットル、一日に12時間吸入するように、と、T先生の処方には書いてある。

T先生が言うには、今日の血液検査で、炭酸ガスが溜まりやすいようなので、
酸素を吸ってばかりでもイケナイらしいのだ。

PO2   = 72.3 mhg (サチュレーション 95.3)

PCO2 = 47.3 mhg

“サチュレーション”というのは、
いつものパルスオキシメータで計る簡易的な酸素濃度であるらしい。



暗くなって寒くなって来た。

少し寝ようと思う・・・でも、そろそろ絹江が帰ってくる頃。
書いてる間にご帰宅。


2002年11月10日(日) 退院延期?

今日は絹江と一緒に面会に行った。


看護婦さんから。

「酸素の発注には担当の先生のハンコウが必要なんですが、
 実は、必要な書類をT先生がまだ書いていなかったんです。
 それで明日すぐに、T先生に書いていただく予定なんですけど、
 酸素の業者のほうで、注文後、すぐに(当日)持って来てくれるかどうか、
 まだわからないものですから、わかり次第、すぐにおうちにご連絡いたします」


(@_@;)


・・・つまり、まだ酸素の注文をしていなかった、と。
・・・だから、明日の退院は不可能に等しい、と。


┐(  ̄〜 ̄)┌


なにやってんだよ?
だって、ケータイに連絡してきて、退院の日の時間を決めたじゃん?


どうすんだよ? 
ば〜ちゃんは、早く退院したいって言ってるんだよ?

毎日取り替えていた退院までのカウントダウンも、使えないじゃん?

卓上カレンダーだって、退院の日を書き込んじゃったんだから、もう置いておけないじゃん?

さっきだって、「明日、退院だからね。 良かったね〜」なぁんて、話したばかりなのに。

ボケていてすぐ忘れちゃうからごまかせることだけど、
ばーちゃんをガッカリさせたくないから“退院が延びた”とは言えないよ。


すんごく疲れた。

今さっき、ご飯を食べ終えたばかりだけど、今日はもう寝る。


2002年11月09日(土) 面会。

昨日の日記、書き足しました。 長ぁいです(笑)


 * * * * *


今日は絹江と一緒に病院に行きます。

絹江のガングリオンが既に膨らんでしまったので、また抜いてもらいたいとのことです。


 * * * * *


しかぁし、起きたら10時過ぎ。

徒歩+電車+タクシーでは、とても受付時間内に間に合いそうにないので
ガングリオンはまた来週に。
来週ならちょうどレフティーが休みだから、連れて行ってもらえばラクだ。


 * * * * *


今日はゆきっちとSPAに行っていたので病院に着いたのは4時だった(^^ゞ

母はなんとなく元気がなく、
「アリュちゃんがいないと寂しくて死んじゃう。 自殺しちゃうから」 とまで言った。
なんてことを言うんだ。聞く方の気持ちも考えろ(-_-;)
他の2名の患者さんにも、聞こえただろうか?

ま、自殺するって言ったって、今の母にはその方法さえ考え付かないことだろうが。

私が荷物の入れ替えをしている間にサイコロの足し算をさせて、
その様子をビデオに撮った。
今日は三脚も持参して、10分ほど回しっぱなしにしていた。 

酸素のパイプを一旦はずして下着とパジャマを替えながら、
動いたついでにトイレ。 おむつが濡れていた。
なんとなく、母の体が熱いような気がした。

母は、元々、手が温かい人だが・・・ 微熱があるのだろうか?
それとも、入院後の反応(ボケの進行など)なのだろうか?
なんとなく動きが鈍いような、口数が少ないような気がする。
それに、ベッドの頭の上の荷物を動かした形跡がない。
また、テレビ台の引き出しや、その下の扉も開けた形跡がない。
持参したポットのぬるま湯の残量を見ても、あまり減っておらず、
その前に空の吸い飲み(透明なガラスの急須みたいな、アレ)が置いてあった。

去年の入院の時には、私が持って行った荷物を確認したり移動させたり、
足りないものを催促して、うるさいくらいだった。
だからこそ、あの“入院時に必要なもの”のリストができたわけだが・・・

現金も多少持たせてあったし、
毎日赤いポシェットを下げて売店に通う母の姿は有名になっていた。
売店では、お菓子やデザートや飲み物などを買っていた。
私が行くと「お前のために買っておいたから食べなさい」と言うのだった。

テレビを見るためのテレビカードも、機械で買っていた。

持っているお金が足りなくなると「○○円置いて行って」とせがんだ。

しかし、この1年、母はお金を触っていない。
決して無理に取り上げたわけではなく、
(そんなことは不可能だし、そんなことをすれば一層執着するに決まっている)
不思議なことにまったく興味がなくなってしまったのだ。

母はモノを買うためにお金が必要だと言うことはわかっているが、
自分のお金については、すっかり忘れてしまっている。
あれほど被害妄想がひどかった母であるのに、
今は「私のお金はどこにあるのか」とも聞かないし「欲しい」とも言わない。

実際、私たちは母のためにかかる費用を、母のお金から出しているのだが、
新しい服を買った時には「悪いわね、お金を使わせちゃって」 と言って感謝する。
私はそこでいちいち、母のお金から出していることは説明していない。
なんとなく詐欺っぽくて後ろめたい気がするのだが・・・

これは、それだけ母の気持ちが満たされているということなのだろうか?
単なるボケの進行なのだろうか?


そんな母の反応の鈍さが気に掛かったので、ベッドから降りた方が良いと思った。
「ご飯までに少し時間があるから、お散歩しようか。」

「行かない・・・」

(@_@;) 行かない?

この言葉はいっそう私を不安にさせ、無理にでも連れ出したくなった。

「行こうよ、屋上。 昨日も海を見たよね?」

「そうだね、じゃ、行こうか」

そうそう、脳に刺激を。

そこで問題が発生。

昨日乗った車椅子に積んだボンベの酸素の残量が赤表示(無し)になっていることに気付いた。
母は既にベッドから降りる体制に入っている。

・・・ええい、酸素無しで行ってしまえ。

体を動かしたことで、母は咳き込み始めた。

・・・これは、酸素をはずしたからではない、と自分に言い聞かせていた。

廊下に出ると、母のセキは病棟中に響き渡り、
ナースステーションを通過する時、呼び止められるのではないかと私はヒヤヒヤしたが、
無事に通過し、エレベータに乗り込むことができた。
まるで、ドラマの悪役のようだなと思った(笑)

昨日よりも1時間遅いので、空はすでに暮れ始めていて、
屋上は風も出て来て寒そうなので、さすがに外に出るのは辞めておいた。

食堂の窓からでは非常に視界が狭くなったが、それでも母は喜んだ。
セキもやはり静かになった。
階段の窓に移動すると、また別の角度から街が望めた。

空は、淡いピンクと紫色に染まっていた。
「キレイだね〜 (^▽^)/ 
 この色が見られるのは今だけだよ。 すぐに暗くなっちゃうからね〜
 いやぁ、いいねぇ。 ここは高いところにあるからね〜 いい眺めだぁ♪」

やはり、無理にでも連れて来て良かった。
自分から積極的に話すこと、見たものを自分の言葉で説明することにつながった。

私たちは10分以内に病室に戻った。


夕飯。
今日は最初に「ご飯が多いな」と言った。
3分の1ぐらい食べて、あとは残した。
シャケのタルタルソースも一口だけしか食べなかった。

私が後片付けをしている間に、母はもう眠くなってウトウトし始めてしまった。

あらら、寝ている間に帰ってしまったら、それもまた混乱になりかねないし・・・
困ったな、と思いながらも、電車の時間まで待つことにした。

その間に私は紙にメモを書いた。

 “ 『早く家に帰りたい』 と言うけれど、
    家族は『早く帰ってきて』 と思っているのだから、それを忘れないでね。

   『病院は嫌だ』 と言うけれど、看護婦さんは皆やさしいし、
    食事は毎回おいしいし、屋上からの景色は最高なのだから、
    せっかくのこの機会を楽しまなくては損です。

    毎日を楽しく過ごすか、つまらないと思って過ごすかは、
    結局、自分の気持ち次第です。

    楽しいと思っている人は、
    いつもやさしくて、ほがらかで、明るい顔をしています。”

書き終わった時、物音で母が目を開いたので、読んでもらった。

「そうだね、ホント、そうだよ。 気の持ちようだよ。」

私は、入院グッズの中に手鏡が入っていたことを思い出して、母に差し出した。

「見てごらん? 良いお顔、してるかな?」

母は、掌大の小さな手鏡に向かってお決まりのピースをしてニッコリ笑った。

「いつも笑顔でいる人は、笑顔が自然だよね」 

そうだね。

「眉間にシワを寄せてるような人は、お友達が逃げて行っちゃうよ」

「うん、ホントだね。 いつでも最高♪」 と、またピースをしていた。

「絹江ちゃん、待ってるかな? そろそろ帰る?」

「そうだね、寒くなるし」

昨日とほぼ同じ時間。 気付くと、面会終了の放送が流れていた。


 * * * * *


母がいないと調子が狂ってしまう。


朝は、決まって部屋を開けて「あ、そか、入院してるんだっけ」

しばらく経って、ゴミを集めながら母の部屋に入り「あ、いないんだっけ」

居間を出るたびに、母の部屋を見る癖が付いている。

病院からの帰りに寄ったコンビニでデザートを選びながら、
「私はこれ、レフティーと絹江はこれ、ばぁちゃんには・・・」と考えている私がいる。

夜10時になると、ケータイのアラームが鳴り出す。
夜の薬と入れ歯の洗浄の確認をして、母をお風呂に入れる時間。


2002年11月08日(金) 11月7日、入院。

内科検診に行って、そのまま入院することになりました。

詳しくは今夜。

これから荷物を届けに行ってきます。


 * * * * *


多忙に付き、レフティーの日記をごらん下さい。


 * * * * *


以下、すこぶる長いダラダラ日記。


昨日はレフティーが休暇だったので、車で定期検診に連れて行ってもらった。

いつものように内科の待合室は混んでいたし母は車椅子なので、
診察室から少し離れたソファに座っていた。

1時間以上待ってやっと呼ばれて診察室に向かおうと歩き出すと、
途端に母が咳き込み始め、他の患者さんたちの視線を集めた。

母は、中待合に入ってから2番目に呼ばれることになっていたが、
母のセキにカルテの書き込みをしていた主治医がビックリして、
中待合のカーテンを開けて顔を出した。

「先に診た方が良いかな? ん・・・大丈夫そうだな。」
顔色を診て、大丈夫そうだと思ったのか、当初の順番通りに男性が先に呼ばれた。

その間も、母は中待合で咳き込んでいた。
かわいそうだとは思うのだが、いつも検診の時間には大きな発作は起きず、
なかなか現状を診てもらえなかったので、良い機会にはなった。

やがて呼ばれて主治医の診察が始まった。

「ずいぶん咳き込んでるね〜」 いや、これはまだ序の口で。(-_-;)

「いつからこんな?」

「もうずっと前からです」 2週に一度来るたびに、そう言ってるじゃん(-_-;)

パルスオキシメータの数値は87%

「今日は血液検査をしてもらって、その結果が出るまでの間に酸素吸入をしてみましょう」

すぐに処置室に移動。そしてさらにセキ。

みんなの視線に見送られて処置室へ。


簡易ベッドに寝かされて、鼻腔に細いパイプを通して酸素の吸入開始。
左腕から採血。
その様子をカメラに収める余裕のある私。

酸素の吸入を開始してから5分もしないうちに母はすっかり落ち着いて、
何事もなかったような顔をしている。

しばらくして私だけが診察室に呼ばれた。

「やはり酸素不足みたいですね。 今後は自宅酸素にしましょう。
 さっそく手続きをしますが、機材が整うまでに日数がかかるので、
 その間の3,4日、酸素吸入に慣れていただくようにしたいのですが、
 よろしいでしょうか?」

「毎日通うのですか?」

「いえ、入院してもらって。
 今、酸素を入れたらすぐに落ち着いたのですが、
 このまま家に帰っても酸素がない状態だと、また苦しくなってしまうので。」

堯福陰Α院叩叩法‘院? 

考えてなかった・・・いや、考えてはいた。
“考えてはいたけど諦めていた”と言うのが正しいだろうか。
どんなに症状を訴えても、毎回同じ答えしか帰って来なかったし・・・

「夜中のセキが続いて『うるさい』と思うようになってしまったけど、
 さすがに最近のセキは“死にそう”な気がして
 『うるさい』なんて言っている場合ではなくなってしまいました。」

「そうでしょう? 今夜・・・ってこともあるわけですから」

はぁ、やっぱ、その危険が。


主治医は木曜日にしかいない。
「僕がいないけど大丈夫かな? その間はT先生に頼んでおくから。」

大丈夫?と聞いたのは、他でもない。
母は主治医K先生の大ファンで、検診に来る度に診察室で愛の告白をしているのだ。

「センセ♪ 好きよ〜 でも、センセの顔を見てたら治っちゃう!
 なんたって、センセは私のカレシなんだから。 ね〜え、センセ♪」

それだから、母にとってはK先生への信頼は絶対なのであって、
“他の先生ではダメだと言いかねない”・・・と主治医は心配をしているのだった。

しかし、入院後のT先生との接触と言っても回診のわずか数分のことであるから、
顔を見慣れない先生であれば、こんなふざけた会話はしないというだけで、
当たり前に静かな診察になると思われる。


主治医が、母に入院について説明をした。
「あのね〜酸素が足りないみたいなんですよ〜だから入院をして・・・」

「酸素? 足りないのぉ? 私、センセーの酸素が欲しい♪」

「え? 僕の酸素? いやぁ、僕は二酸化炭素ばっかりで・・・」

またまた処置室は大爆笑。

他の患者も看護婦も採血しながらゲラゲラと。(危険)

声が大きかったので、廊下のソファで待っている患者さんたちにも聞こえたかも(^_^;)


 * * * * *


血液検査の結果は、今、外出しているT先生が戻り次第説明をするとのことであったが、
さらに1時間待ったところで、レフティーがシビレを切らした。


去年、入院することが決まってから病室に落ち着くまでに5時間待たされたことがあったので、
(その時は私は人目も気にせず、ソファで横になって寝ていた)
自宅に荷物を取りに行きたいと看護婦に申し出たところ、すぐに許可が出た。

おなかの空いたレフティーからすれば「こっちが聞く前に、そっちから言えよ」

待たされている私たちの前を、看護婦らがお弁当とジュースを持って行き来し、
医師らの昼食と思われる出前が通り過ぎて行ったことが、
さらにレフティーを怒らせているのだった。

「自分達ばっかり食って。 もう少し気を使えってんだ。(`ヘ´)」


 * * * * *


車を走らせている途中でレフティーが言った。
「お前、どこがいい?」

? (@_@;)

「飯!」

え? あぁ、ご飯。 あぁ、はいはい。

あれ? 荷物取りに帰るんじゃなかったっけ?

「もう2時だよ? 先に飯だろ?」

あぁ。 私はそれどころじゃないんだけどな。

おなかの空いてるレフティーはコワイ。

そこで、通り道にある海辺の焼肉屋へ。

頭の中でいろんなことを考えていたら、涙が出てきた。

それでいて、とても食べられそうにないと思っていた私も、
結局は丼級の卵スープと、牛タン塩をしっかり食べた。(^^ゞ


 * * * * *


帰宅してすぐに、おなじみの“入院時に必要な物”リストを見ながら準備を始めた。

我ながら、やっぱりこれは役に立つ。

絹江も帰宅したので、一緒に行くことになった。


 * * * * *


母は既に病棟に移動していた。

同室の3名は、意思の疎通や体位の変換が難しいと思われる人たちだった。

良く見れば、隣のナースステーションとは、内側のドアでつながっている。

ナースステーションの向かいだとか、隣だとかには重症の患者が配置されると聞く。

実際、廊下を挟んだ向かいの個室には、危険な状態と思われる患者さんが、
たいそうな機械とチューブでつながていた。


母のベッドの脇には、ポータブルトイレがあった。



早速、荷物を開けて仕分けを始める。

母はまだ洋服のまま寝ていたので、絹江にパジャマへの着替えを頼んだ。

その途中で母が咳き込み始め、続けて2回も紙おむつを取り替えることになり、
さらには、夕飯用のお茶を絹江がひっくり返してしまった。(-_-;)
キレかかっている私を、何事かとさりげなく看護婦がチェックに来た(^_^;)

母を着替えさせ、濡れた床を拭き取り、新しいお茶をもらいに行き、
溜まったゴミを捨て、ポータブルの後始末をし・・・
私の指令によって、レフティーと絹江が動いてくれたのだが、
私だけが汗をかいていたのは何故だろう。


私は看護婦に呼ばれ別室へ。

今回で6度目の入院。 毎回聞かれることは同じ。
本人データや既往症などはすでに2枚にまとめてプリントしてあるので渡せば良いだけ。
それ以外の特記事項について、詳細に説明すれば良い。

私が心配なのは、浅い眠りから覚めたあとで
「ここはどこ?私は誰?」状態になってしまわないだろうか、ということであったが、
看護婦から渡された「ご家族の方へ」という紙には、
「もしもの時は、手足を縛ります」と書いてあった。

息切れがして歩けないので、徘徊の心配はないと思う。
大声を出して騒ぐようなことも、今までに一度もないし・・・
が、しかし、環境の変化に適応できないお年寄りは、
危険なところに限ってパワーを発揮するらしいので注意が必要。

念のため、母にはいつものように状況を紙に書いてテレビの画面に貼っておいた。

 “ここは、○○病院 内科 ○階 ○号室 です。

  担当は K先生 と T先生です。

  セキが出て息が苦しくなることが多いので、
  これからは、自宅でも、酸素吸入をすることになりました。
  機械を取り寄せるまでの3,4日間は、
  入院をして病院の酸素の機械を借りることになりました。

  ママは、できるだけ毎日、病院に来ますが、
  朝は、お洗濯があるので、お昼頃になると思います。

  どうしても、連絡を取りたい時には、
  看護婦さんにお願いをして、家に電話をしてもらってください。
  ( 看護婦さんも忙しいので、本当に急ぎの時だけ、ね )”


 * * * * *


もう夕飯を作る気力もなくて(いつもだけど、今日は口実があるし)またまた外食。

お店のスタッフに家族3人の写真を撮ってもらったが、これがかなりいい感じになった。


 * * * * *


8時過ぎに帰宅。

私はそれからまた、あれこれと資料の見直し。

結局、就寝は深夜3時。




     ↑ ここまでは、7日の日記(まぎらわしい)




 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



      ↓ ここから書くのが、8日のこと(まだある?)



今日は午前中に用事があった。

買い物中にケータイが鳴り、病院からとあって何事かと思った。

「退院の日は、先生から聞いていらっしゃいますか?」 

はぁ? ちょっと拍子抜けしてしまった。 

そんなこと、ケータイにかけるほど急ぎかぁ?

「退院する時に業者が在宅酸素を自宅まで運びますので、時間を決めたいのですが」

あぁ、そういうこと。 何時でもいいんだけどね。
それじゃ、月曜の2時ってことで。

「それでは、退院が2時。
 その前に来ていただいて、先生のお話を聞いていただくということでよろしいでしょうか?」

はい、わかりました。

ところで、母の様子はどんなでしょうか?

「現状がわかっていらっしゃらないみたいですね」

堯福陰Α院叩叩砲─
午後から参りますので、それまでよろしくお願いいたします。


 * * * * *


パジャマを買って病院に着いたのは、3時だった。

私を見るなり母は「あ〜♪ ありゅちゃん、来た来たぁ♪」と言った。

看護婦さんが、
「『ありゅちゃんがいないと寂しくて死にそうだ』って言ってました」と笑った。

そう? そうだろうと思って、今日は写真を持って来たんだぁ。
ほらぁ、大きいからいいでしょう?

「あらぁ、親の考えてることがわかるのね(笑)」 ← 看護婦

さっそく昨夜撮った3人の写真(A4)を、テレビの画面に貼った。

貼ってあった状況メモは、側面に移動。
これは結構役に立ったらしい。
母が私のことを言うたびに看護婦は、
「はいはい、ここに書いてあるからね。
 娘さん、午後から必ず来るってからね」 となだめていたのだと言う。

「あ〜、これは良く撮れてる。いいや、こりゃぁ。これなら寂しくないや〜」

「今度は“声が聞きたい”なんて言ったりしてね」 ← 看護婦

それなら、声を録音してきましょうか?(笑)


 * * * * *


まだ陽が暖かだったので、看護婦さんに院内のお散歩をしたいと申し出ると、
すぐに酸素ボンベを積んだ車椅子を用意してくれた。
上着を着せて酸素の管を付け替える。

屋上に上がるのは、今回が初めてだ。
食堂の反対側に扉があって、風もないようなので外へ出た。

さすがは山の中腹(謎) 素晴らしい眺め。

母も大喜び。

写真を撮るには、これまた良いお天気。
青い空、白い雲。 のんびりと飛ぶカラス。
遠くの山並み、街の建物。
夕陽がまぶしい中で、何枚か激写。

その後、ひときわ大きく目立つ白い建物に興味を示し、
「あ、あれは何? マンション?」

さぁ、なんでしょうねぇ。 ホテルかなぁ?

しばらく270度近くのロケーションを眺めてから再び、「あ、あれは何?」

(-_-;) だからねぇ。 ホテルか、マンションか。

このやり取りを何度か繰り返す。

10分ほどで屋上をあとにする。

エレベータで内科病棟に降り、ドアが開いたところで、母の一言。
「あら、ここは病院みたいだねぇ」

え。 堯福陰Α院叩叩法”賊,世辰討(^_^;)

「え? 私、入院してるのぉ?」

そうですよ。

「私、今日、ここにお泊りするの?」

お泊りって・・・ 普通はそういう言い方はしないと思うんだけど。
なんだか、随分とトンチンカンになってるな(^_^;)

看護婦は昨日「去年入院したことも覚えていないみたいです」と言っていた。

それから

「私はいつ退院できるの? いつまでもこんなところにいたくないよ〜」と言い、
何度、説明しても同じことを聞くので、結局また書くことに。

   “ 退院は11日月曜日。 あと3泊。”

これを、先ほどの家族写真(ありゅ・レフティー・絹江)の隅に貼り付ける。

もちろん、2・1・0の分も作っておいた。 明日、差し替えをすれば良い。


 * * * * *


今回は、2つのサイコロ(介護のページ参照)を持って来ているので、
いつものように足し算をやらせてみた。

一度だけ、3+6=8 と書いたが、他は全問正解。
全部で50ぐらいはやったと思う。


夕飯の後の入れ歯やお手拭の洗浄、お茶の入れ替えなどをしてから、
明日の約束をして、6時半過ぎに病室を出た。

タクシーと電車を乗り継いで、コンビニで甘いものを買って帰宅すると、
すでに7時半を回っていた。


2002年11月07日(木) お経? お祈り?

最近、思い出したようにお経を唱えたり、父の遺影に話しかけたりするようになった。


母には、懸命に信仰していた時期があった。

それが、父が亡くなってから薄れていった。


母はいつも「元気で長生きできますように」「○○できますように」と祈ることが多かった。

特別信仰心もなかった私は、
それを見ていて「お願いごとばっかりじゃん」と揶揄したことがある。

“お祈りすれば、かならず叶う” と思っていた母であるから、
父が病気になった時には、それこそ一生懸命にお祈りをしたし、
信仰に全く興味のなかった父本人でさえ、手を合わせるようになっていた。

しかし、世の中、そんなに甘くはない。
あれほどのお祈りを捧げたのに、父は亡くなってしまった。

宗教的には、そりゃ、いろいろ解説はできると思うが、
母はそこで覚めてしまった。

それ以来、母は、宗派の象徴には特別頼らず、父に手を合わせるだけになった。



去年、母のアパートを引き払ってから、母の部屋に父の遺影と位牌を置いてあるのだけど、
母はすっかり忘れているようで、手を合わせることも話しかけることもなくなっていた。

父が亡くなってから、来月で、もう30年になるのだ。
まぁ、そんなものか、と思っていたのだが・・・


体調の悪さが不安なのだろう。


2002年11月06日(水) デイを休めば連れまわすことに

デイサービスはしばらく休むと言ってある。

しかし、
休んだからと言って、自宅でのんびり寝て過ごしてばかりもいられない。

今日は、一昨日に引き続いて、買い物に出掛けた。


母が具合の悪いこの時期に、
居間の模様替えなんぞを、わざわざ考える私は親不孝だと思うけど。


母を連れて出かけることは、赤ちゃんを連れて行くのに等しい。

着替えさせる前に「トイレは?」って聞いた時は「いい」って言ったのに、
コートも着せて、さぁ靴を履きましょうって玄関に来てから「トイレ」とか言う(-_-;)

靴を履かせようとしたら靴下を履いていなかったとか、
どうも話しが通じないと思ったら、補聴器をしていなかったとか、
食後の薬をまだ飲んでいなかったとか・・・

毎回、キレそうになってしまう。

しかも、そこに、移動に伴ってセキの嵐。

連れまわすことへの罪悪感と、自分達のペースで動けないというイライラとで、
玄関の鍵を閉める頃は、ストレスもピークに達する。

ましてレフティーは、出かける30分前まで寝ているし、
自分の仕度だけで玄関を出ようとするし。

たとえ夜、同じ時間まで起きていても、
私には絹江を送り出す母親としての義務があるから早く起きなくちゃならないし、
 (実は、昨夜も遅くまでレフティーとあれやこれやと話し合っていた。
  その影響もあってか、起きたら8時15分で、またまた絹江を遅刻させてしまった)
洗濯をするのも、主婦としての仕事だし、
ぬるいお茶の水筒や、おむつ等の持ち物を準備したり。
母の着るものの準備や着替えの手伝いは、男性のレフティーにはできないのだけど、
私だって、出かける前には少しばかりお化粧もしたいし・・・

前にも書いたような気がするけど「どうして私ばかりが忙しいワケ?」と思う。


幸い、母のセキは車に乗ってから水筒のお茶を飲んだら治まったけど、
これじゃ、デイサービスをなんのために休んでるのかわからない。

少なくとも母のためにはなってない。
施設の人や他の利用者の迷惑にはならなくて済むけど。

寝かしておくだけでいいから、預かってくれ・・・


そうそう、今日は絹江の学校で「進路説明会」があった。
レフティーが休みでなかったら、私は行けなかったかも知れない。
文化祭の日から、また寒くなって来ているし、体育館は特に冷えるし。


ってかね、そもそも30代で介護っていうのが、やっぱり厳しいよね。
まだ私は子育て中じゃん? 学校行事あるじゃん? 働かなきゃ将来不安じゃん?
(いや、そういう私が一番お金を使っているのだが)
子育てが一段落するまで、待っててくれよ〜(T_T)

そうは言っても、
50、60代になれば、それもまた自分の体力との問題も出てくるだろうし、
自分の配偶者が既にいない場合、収入面での不安もあるだろうし、
バリバリ働いていれば、仕事か親かの選択に苦しむだろうし。

どちらにしても、一人にしておけない人がいる、って言うのは大変です。

ってか、親戚で急な用事ができた時、元気な人はショートステイで預かってもらえるけど、
デイサービスも断られてしまう母の場合は、どうするんでしょうね?
その時だけ入院するとか? ベッドはそんなに余っていないって?
母のあのセキでは、個室を勧められるだろうな。
いや、個室でも病棟中に響き渡って、他の患者さんが寝ていられないって。
そうすると、やっぱ、レフティーに仕事を2日間休んでもらって〜



・・・考えたらキリがない(-_-;)


2002年11月05日(火) ノイローゼ?

近頃の私は、少しノイローゼがかっているようだ。

母の余命について、考え過ぎなのかも知れないが・・・


 * * * * *


目覚ましが鳴る。

「絹江、起きなよ〜、目覚まし鳴ってるじゃん、止めて〜」

次に、数分遅れて、私のケータイアラームが鳴る。

さらに、レフティーのケータイアラームが鳴る。

けれど、みんなまだお布団の中で粘っている。(^_^;)

ここ数日で急に寒くなったし。

・・・

何か、いつもと違う雰囲気。

静かだ。

母がセキをしていない。

夜中はどうだったかな?

うるさかったという記憶がなかった。

部屋のふすまが閉まっている。

ふすまを開けてみる。

いつものこの時間、開いているはずのカーテンが閉まったままだ。

家族の置きだした物音に反応せずに、上を向いて寝ている。

ちょっと待って。

寝ている?

私が寝る前に用意したお茶が、あまり減っていないような・・・?

頬を触った。

冷たい!

やばい?

耳タブを触る。

動いた、目を開いた。

生きてた〜 

あぁ、びっくりした。

いつ、こんな朝を迎えるのかと思って神経質になっているからだ。



寝ている間に死んでしまったらどうしよう・・・

最近、そんなことばかりを考えている。

眠りがいつも浅く、ウトウト夢を見ることが多くなった。

友達のご主人に続いて、数日後には、別の友達のお父さんも亡くなった。

申し訳ないが、お通夜に行っても別のことを考えてしまう。


 * * * * *


先日、従姉妹のケータイに電話したら、留守電だった。

彼女は深夜勤務もあるハードな仕事に就いているため、二日後、叔母から電話がかかってきた。

叔父も今、車椅子の生活だそうだ。

過日、義姉からの電話で
「親戚のどこも年寄りを抱えているので、特に連絡をしなくても」という言葉を思い出した。

うちだけではないのだ。

従姉妹が、近いうちに様子を見に来るとのことだったが、
やはり簡単に“お知らせまで”とは行かないものだ。
従姉妹の家からは半日かかる距離だ。
余計な心配をかけてしまったか・・・

考えてみれば、母にはすでに兄弟姉妹はいないのであって、
父方の親戚にわざわざ病状報告をするほどではなかったか・・・


2002年11月03日(日) 病院の電話応対

「喪主は私です。 長女ですから。」 ← ひとりっ子なんだけど(^_^;)

葬儀屋さんにそう言っている夢を見た。

その影響で今日は、ネットでお葬式や仏壇などを調べていた。


 * * * * * 


今朝も私が起きれずにいたら、レフティーが母に起床時の薬をあげてくれた。

その後、絹江が朝ご飯を作って母に食べさせ始めたころ、私が起きた。

風がなければ、きっと暖かいだろうなと思った。

結局、買い物は絹江に任せて、どこにも出かけず、一日が終わってしまった。

夕方5時を過ぎてから眠くなってしまったので、私は絹江のベッドで寝ていた。

・・・静かだな・・・

と、思っているところに「ゴホゴホ・・」 始まった(-_-;)



レフティーが帰宅した。

私が起き出すと、レフティーが台所の食器を洗ってくれていた。

終わると、取り込んだままの洗濯物をたたみ始めた。

寝起きの私は、ボゥーっと座り込んだまま。

「今日はばぁさん、どうだったの?」

どうって言われても・・・ 相変わらずコンコンと。

「絹江に聞いてもラチがあかねぇ」

いや、私も同じです・・・


ちょうど、セキとうなり声がひどい時だった。

病院に連れて行ったほうが良いだろうか?

自宅酸素は、すぐに借りられるのだろうか?

そう思っていたら、

レフティーも「点滴に行くなら連れて行ってやるぞ」 と言った。

病院に電話を入れてみることにした。



「内科の看護婦さんにお願いしたいんですけど」

「え? 診察はしてないんですよ?」 知ってるよ(-_-;)

「母の具合が悪いので」

「それじゃ、緊急外来ですね? 病棟じゃないですね?」



私の掛け方も悪かったとは思うんだけど、もう少し言い方ってものがあるでしょ?

私がいきなり「内科の看護婦」を指名したのは、
以前に電話した時、受付の男性に用件を詳しく話し始めたら、
その途中で「それでは内科の看護婦に代わりますので」と言われたので、
それなら、最初から内科の看護婦を指名すれば良いのか、と思ったから。

そもそも、こんな時間に病院に電話するっていうのは、普通の話じゃないのだから。
ま、いろんな人がいるんだろうけど。

緊急外来を想定して「どうなさいましたか?」ぐらい、言えないものかねぇ?



私も今度から、
「母の具合が悪いので、緊急外来の看護婦さんにお願いします」ということにしよう。



看護婦の話しでは・・・


「みなさん、ご家族の方は、見ていて何かしてあげたい気持ちになるのですが
 弱っている肺に酸素を入れると、
 逆に肺が(ラクをして)働かなくなってしまって二酸化炭素がたまってし まうので、
 一概に(酸素療法が)良いとは言えないんですね。

 酸素も、業者に注文するので、その日に持ち帰ることはできないし、
 病院にあるものも、30分程度のものなんです。」


・・・と言うことで、結局はまた様子見となった。

ちょうど3連休で、明日も病院は休み。


「次の木曜まで待てなければ、火曜日に来ても良いし、
 他の先生も診かたもあるでしょうから・・・」


他の先生なら何と思うだろう? 入院が必要だと言うだろうか?


とにかく、あと、どのくらい生きられるのか。

この冬が越せそうにない。

看護婦も 「難しいですね」 と言った気がする。

私はいつも肝心なところで、良く聞こえなくなる。

看護婦が言いにくいことで、口ごもるのか、
それとも、私が聞きたくなくて一時的に難聴になるのかわからないが・・・

「どうしても、寒くなると、風邪を引いて熱を出したりするので・・・
 これからも、熱が出たり、食欲がなくなるとか、
 おしっこが出なくなるとかに注意してみてください。」


2002年11月02日(土) デイ、欠席。

今日は土曜日なので、
通常なら8時半からの7時間、母はデイサービスに出かけるところだが、
明け方にもかなりの咳き込み、今朝も然り。

このような状態ではどうせ出かけて行っても、またブツブツ言われるだけだし・・・
先ほど、休むと連絡を入れた。

ケアマネには先日も言ってあるけど、
今後も、施設の利用はずっと無理だろうから、しばらく休むと言った。

( 電話に出たのはPTAでの知り合いのKさんだった。
  やはり元看護婦さんでしっかりした方。
  偶然にも弟さんは高校の部活の後輩だと、数年前、役員活動の後のお茶会で知った。
  私は、彼がいつも右手をズボンに突っ込んでいるのを『態度が悪い』と思っていたが、
  その後、実は彼は右手指に障害があるので、それを隠すためだと知って驚いた。
  人には他人にはわからない、いろいろな事情があるものだと思った。
  その後、別の友人を介して、仲間で一緒に出掛けたこともある間柄にもなった。
  我が家での、母との七転八倒の経緯を知っているKさんは、
  「同居してるの? 頑張ってね、いや、頑張りすぎないでね」 と言ってくれた )

ヘルパー派遣の調整をしてもらったところ、
Sという業者で、毎週木曜日の1時から4時に利用ができそうだとの電話が先日あった。

しかし、木曜日というのは、2週間ごとに内科の検診が入っているので、
利用するならその合間に、ということになる。
再び、隔週での利用が可能か、業者との調整をすることになった。

また、別の業者にも依頼して、
デイと同じように週に2回の派遣になるようにしてくれるとのこと。

ヘルパーには『見守り』という仕事があって、
家族が出かけている間、看ていてくれるというもの。
こちらの要望次第では、
母の話し相手になったり、一緒にゲームをしたりしてもらえるようである。

また『訪問入浴』では、ヘルパーが入浴介助をしてくれる。

しかし、我が家には未だにシャワーがなく、追い炊き式である。
他人にお風呂に入れてもらうには、非常にやりにくい環境で申し訳ない。
家族で対応した方がいいのではないだろうか。

訪問入浴については、
先日ケアマネが訪問した時に私が愚痴をこぼしたから、配慮してくれたものだ。



私がうちで母を入れる時は、私が先に入って髪と顔を洗ったところで母を呼び、
髪と体を洗ったところで湯に浸かり、その間に私が体を洗う。
母が温まったらバスローブを着せて、絹江にバトンタッチして部屋に連れて行ってもらう。

夏なら、ここまでで放置していても良かった。
汗が引くまで、バスローブのままベッドに座り込んでいた。

しかし、もう季節は変わっている。
素早く着替えをさせて、濡れた髪もドライヤーしなくてはならない。
風邪でも引いたら大変なことになる。

ところが、この間、絹江にバトンタッチしようと思って浴室から呼んだところ、
「え〜? 私が? ・・・勉強してるのに」 と文句を言った。
それを聞いていたレフティーが 「お前以外に誰がやるんだ」 と言った。
母は歳をとっても女性であり、
多少ボケてはいても、レフティーの前を裸で歩くようなことはしない。
トイレで濡れたおむつを脱いだ時は、ホンの数歩で自分の部屋であるのに、
わざわざズボンを履いてから、部屋に戻る。
そのため、部屋に戻ったら、おむつを履くことをすっかり忘れてしまうことがあるので、
トイレにもおむつをおくことにしたのだった・・・恥じらいは残っているのだ。
レフティーは、着替えを手伝うことについては母の気持ちを考えて、
危機的状況でない限り、今のところはやらないつもりだ。



この話しで『家族にかかるわずかな負担が、ストレスとして重なっていくから』 と、
ヘルパーによる訪問入浴を勧められたというわけだ。



ヘルパーが来てくれるのは、3時間。
デイサービス利用時の7時間に比べて半分以下である。
そうそう遊びには出られない。 ← まだ遊ぶつもりか(笑)
ランチやアフタヌーンティーでも、行き帰りを含めたら、のんびりはできないだろう。
レフティーと買い物に行くにしても、効率良く回らなくては・・・


『お友達のみなさん、私からは出れそうにないので、うちに遊びに来てください。
 部屋の大幅な模様替えを検討中です。』


絹江の要望もあって、近いうちに家族一緒の写真を撮ろうと言うことになった。


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