Mother (介護日記)
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2002年05月31日(金) アジサイの花。

朝から眠い日だった。

曇りがちで、数時間後には雨が降って来そうなお天気なので、余計かも知れない。

10時過ぎには、お昼寝気分で絹江のベッドにもぐりこんだ。

うとうとしていた時に、母の声がした。
誰かとしゃべっているらしかった。

ん? 工務店の人かな?

母のお友達のTさんだった。
10日にも来てくれたんだっけ。

「あら、良く来てくれたじゃない、上がって。」

母が玄関に出たら、娘さんはいるかと聞いていた。
「あぁ、いるなら、上がらせてもらうわ」 (^_^;) 
確かに私は母の通訳や解説者でもあるからな。

今日は、キレイなピンクのアジサイを持ってきてくれた。
「あなたの庭に咲いていたから」

Tさんは、母が前に住んでいたアパートの2階のお友達。

Tさんは早速、持って来てくれたあんみつを開け始めた。
「何にもいらないのよ、これ食べるから」

私はハスカップの紅茶を淹れた。


2002年05月29日(水) はかなきもの

水曜日。ごみの収集日。

いつもより早い時間にごみを捨てに行って、黒い縁取りの案内板が出ているのを見つけた。
お葬式があるんだ・・・

その苗字は、このあたりでは珍しい。
老人会の会長を務めた人の家だ。
誰が亡くなったんだろう?

あわてて地元紙をチェックする。
亡くなったのは、なんと老人会の会長のIさん、その本人であった。
今夜がお通夜だと書いてあった。

どうしたんだろう? 前から具合が悪かったのだろうか?

母からは、Iさんには老人会で大変お世話になっていると聞いていた。

母に伝えなくては・・・
母はなんと言うだろう?

新聞を母の元に持っていった。
「ん?なんか読むもの、ある?」
私は黙って置いて部屋に戻った。

こういう時に口で言うと、母は最初の一言でパニクってしまうので、
自分のペースで文字をたどった方が良いと思った。

しばらくして、嗚咽が聞こえてきた。
「あら、かわいそうに・・・亡くなったの?・・・いい人だったのに」

母はしばらく泣いていた。

「やだねぇ、人はどうして死ぬんだろうねぇ?
 こないだ、海岸で会ったばかりなのにねぇ」

そうだ、海岸で会ったんだ。
記憶が薄れがちな母が覚えているなんて・・・
いつだったっけ?

母の部屋に行き、母の日記を遡って見た。

すると、4月の23日の散歩中に海岸で会ったことが書いてあった。
私のこの日記にも、翌日、その話が記してあった。

とても朗らかで、しかもダンディーな方だった。

母の話では会員の間の問題を上手に解決し、みんなをまとめていたらしい。
月に一度の『例会』という食事会の席では、カラオケで歌う人が少ないため、
歌いたがりの母には積極的に勧めてくれて、いつも上手だとほめてくれると聞いていた。

去年の母の入院中には、2度、遠い病院までわざわざお見舞いに来てくれた。
先月海岸でお会いした時にも、母の心配をしてくれ、ご自身は元気の様子だったのに・・・

思いがけず、突然にやってくる永遠の別れ。

はかなきもの。


* * * * *


日が落ちて通夜に行くと、
生前の故人の人柄や幅広いお付き合いが偲ばれるように大勢の人が集まっていた。
受付をしていた老人会の方が教えてくれた。

「昨日ゲートボールの大会があってね、みんなで行ったんだけど、そこで心臓麻痺を起こしてね・・・」

それではみんな、さぞかしびっくりしたことだろう。
それまでまったく異常なく普段通りの生活をしていたらしいのだ。


こうして人の死を目前にするたびに、緊張が走る。

いつ、なんてわからない。

母にしたって、家族にしたって、自分にしたって・・・

順番なんてない。

明日のことはわからない。


2002年05月26日(日) 不安と後ろめたさが生む不満

「Diary(一般ネタの日記)」を読んでいる人には、少しかぶるけど・・・



数年に一度の同窓会は、私にとっては大きなイベントだった。

土曜日が毎週休みになった絹江は、修学旅行でいないし、
レフティーも仕事。

母をひとりで置いておくのはできるだけ避けたいけれど、
同窓会にはどうしても行きたかった。

1〜2時間のことだからと思っていたところ、
同窓会は私の思い違いで2時間早い4時半の開始、
レフティーの仕事は、こういう時に限って8時頃になりそうだと言う。

私は3時半には出かけなくてはいけなかったから、
4〜5時間はひとりになってしまうがそれは仕方ないだろう。

火を使わないように夕飯の準備を済ませ、お茶も水筒に準備して、
怪我をしないように外に干した洗濯物は取り込んで行った。

   「絹江は修学旅行
    レフティーは仕事で8時頃
    ALLURE は同窓会で11時半頃
 
    お風呂は沸いています
    炊飯器はタイマーで6時半に炊き上がります
    夕飯はカレーです」

母が孤独を感じなくて済むように、テレビをつけてきた。
消す時の為に、スイッチの場所にシールを貼って教えてきた。
テレビぐらいつけっぱなしでもかまわないが。

自分としては、できる限りの準備をして出かけたつもりだが、
電車を降りる頃、少し不安になってきた。

日頃から、耳が遠く用件もすぐに忘れてしまう母に対しては
電話には出なくて良いと言ってあるので、連絡の取りようがない。

母が私に用があったとしても、母が電話帳を見ながらかけれるかどうかがわからない。
ワンタッチボタンを押すだけだとは言っても、
私のケータイが圏外だった時には留守電に録音するとか、ホテルにかけるとか
レフティーのケータイにかけるとか、はたまた勤務先にかけるとか・・・
私たちには簡単なことでも、今の母にとってはひとつの目的のために
方法を発展させるというような複雑な処理は不可能である。

どんなにケータイが普及しようとも、相手によってはまったく用をなさないということになる。

万が一を考えて、近所の人にわかるように、
家族の緊急連絡先やかかりつけの病院の電話番号などの一覧や
保険証・身障者手帳なども玄関先に準備して来た方が良かっただろうか、と考えていた。

まったく。
外出するのに、こんなに大変な思いをしているなんてね。
化粧して着飾っていれば、私のそんなことは誰にもわからないだろうな。


『そうか、こういう時に訪問介護や、通所介護を使えばいいんだよな』


ヘルパーさんに来てもらうとか、施設で数時間預かってもらうとか。


ケアマネージャーが作成した今月の予定にはベッドのレンタルのみが記載されており、
通所介護・訪問介護等は、ひとつも組まれておらず驚いた。

「これだけですか? お風呂は?」と聞いても、プランを届けに来た青年には答えられない。

私は当初から、入浴サービスを希望しているのに。

浴室の改修が終わったとしても、自宅で母を入れるのにはまだまだ大変である。
シャワーがないため、浴槽のお湯を沸かしながら汲み出して使うので、
二人で入るとすぐにお湯が足りなくなるからだ。


    今はまだ、母がひとりで入浴することができるから良いし、
    母よりも重症な人がたくさんいることも承知しているつもりだ。
    しかしそれだからと言って『遠慮ばかりしていることはない』と知人に言われた。

    税金を使うからなのか、
    福祉のサービスと言うのは『こちらが聞かなければ教えてくれない』らしく、
    『知らずにずいぶん損をした』と後悔している知人が、
    私に積極的にアピールするようにと教えてくれた。

    確かに母の耳の障害者申請についても、長年損をしていたことになる。


そもそもケアプランの作成が、こちらの希望を聞くことなく
ケアマネージャーの方で一方的に立てられているというのがおかしな気がしてきた。

これでは『プラン』ではない。
相談も何もなくて、勝手に立てたプランを置いて行くだけで
「これでいいでしょうか?」とこちらの希望を聞こうとする姿勢がまったくないのだから。

今後もこちらの希望は聞いてもらえないのだろうか?

当初は「介護する人が一息入れるためにぜひ利用を」と聞いていたが、
3月末に介護認定が降りて以来2ヶ月、
まだ一度も通所介護や訪問介護を受けていないと言うのも、
よくよく考えてみればおかしなものだ。

自分勝手に母を置き去りにして同窓会に出席し、
その不安と後ろめたさのやり場がないので、
ケアマネージャーに当たっていると言えばそうかも知れないが。


2002年05月24日(金) トイレ改修 と 浴室の手摺りの取り付け

介護保険制度を利用して、トイレをウォシュレットに替える工事をお願いした。

今では、和式トイレに載せるだけで大掛かりな工事をすることなく、
ウォシュレットがつけられるらしい。

和式を洋式に変えるための台座になる「便器」部分と、
洗浄機にあたる「便座」部分の組み合わせで、工事は半日ぐらいだと言う。

9時半から業者Tが来て、現在も作業中である。

* * * * *

途中、業者Tが部品を取りに行っている隙に、ちゃっかりトイレを使用した私。(^_^;)
特に行きたかったワケじゃないけど、工事は半日かかるって聞いてたから、
今ここで行っておいたほうがいいと思って。

ところが、用を足した後、そうだった!水が流れないじゃん堯福陰Α院叩叩
ひえぇ〜 どうしよう・・・と、考えた末、バケツに水を組んできて流した( ̄m ̄)
トイレの水って、一定量だけが溜まるようにできてるんだもんね〜
これで一件落着(^▽^)v
ついでに母にも「行っておいたほうがいいよ」と勧めて、同様に処理した。

工事は約2時間で終了。
なぁんだ、早かった〜
それなら無理して、途中でトイレに行かなくても良かったのに(^_^;)

* * * * *

その後、浴室の手摺りの取り付けに、S工務店のMさんがやって来た。

浴室の中に2本。
立ち上がるときにつかまる横のバーと、浴室に出入りするときの縦のバー。
そして、脱衣場側の柱に縦のバー。
これらの手摺りは、私達にとっても便利だと思う。

こちらの工事は、約1時間で終了。

Mさんが、トイレのカーテンがビニール紐で吊ってあるのを見て、
『会社には、余っているカーテンレールがあるはずだから』と、
近日中に取り付けてくれることになった。


トイレと浴室の様子を画像で確認したい方は、こちら → 「IXYデジタル報告」

* * * * *

介護保険による住宅改修費はひとり20万円までで、その1割を被保険者が負担するワケだが、
今回の工事には20万円を超えているので、
1割にあたる2万円と、はみ出した部分を自己負担しなくてはならない。

ところが、私たちは最初にこの工事費の全額を支払わなくてはならず、
その領収書をケアマネージャー経由で市役所に提出して、
約2ヵ月後に18万円が返戻されるというので、資金繰りをどうしようかと現在思案中である。

ここ数ヶ月は、SPA三昧だったし、電子レンジや炊飯器は壊れるし、
パソコンやブロードステーションなどの周辺機器、デジカメ等、
出費がかさんでしまったので、我が家は破産寸前である。

しかも、それぞれの支払いがボーナス前にやってくると言うのであるから、
目も当てられない・・・

どっかに大金落ちてないかな(違)


2002年05月22日(水) 過去

今日の日記はちょっと、重いかも。 念のため。


今は特別大変なワケじゃない。

ところが20代から去年の入院までは、母の被害妄想に振り回され、
いっそ死んでしまいたいと思ったことも何度かある。
絹江の妊娠中も、怒鳴ったり泣きわめく毎日で、
このままでは流産してしまうのではないだろうかとさえ思った。

市役所や民生委員に相談したが、老人ホームは数年待ち。
そもそも本人にその気がないのだから、仕方がない。

母に犯人扱いされるレフティーは、ストレスから円形脱毛症となり、
口を利かなくなったりもして『マスオさん』の立場も厳しかった。
もし離婚ということになれば、それは仕方なく受け入れる覚悟はあった。

結婚するまでは『どんなことがあっても母を守らなくては』という、良い子の発想しかなかった。
しかし、いざ自分の家族ができてしまったら、
母のせいで離婚や流産になったらは『一生うらんでやる』とさえ思っていた。
親だからと言って、子供の幸せを奪う権利はないはずだ。
しかし、親子と言う関係から逃れられない状況で、私は将来を悲観し追い込まれていた。

いっそ死んでしまおうか?
しかし、母が残れば家族が迷惑することになる。

それなら、母を殺してしまいたい。
しかしそれでは絹江は殺人犯の娘として生きていかなくてはならない・・・

そんなことを考えて過ごした15年だった。
そう、つまりは私たちの結婚生活はすべて母との戦いであった。

* * * * *

今朝は、7時前から母のセキが延々と止まらず、起こされた。

本来ならば、病気なのだから『大丈夫?』と声を掛けるべきところ、
「うるさくて寝ていられないじゃん。水を飲むか、飴をなめるかしてよ!」
と言った。

なんという娘だろう。

しかし、人間、睡眠を妨げられるとイライラするものである。
母との同居が始まって半年以上、こういう生活が続いているのである。
さすがにストレスも溜まってくる。

外から見れば、介護とも呼べない単なる同居生活なのだけど、
ささいなことが積み重なっていく。

そして起きている時間には、四六時中、タンを吐いている。
その吐き捨てる音がたまらなくうるさく思える時がある。
さらには、咳払いというのか『ううっ、ううっ』と喉を鳴らしている。

今朝は私の虫の居所が悪かったのか、
そういった母の発する音に非常にイライラしていた。

人間は、物音よりも人の声には敏感に反応するようだ。

病気だから仕方がない。
だけど、外に散歩に行けば、そういうことはない。
だから、意識すれば避けられるものなんじゃないか、と思うと、
つい「どうにかならないの?」と言いたくもなる。

今の母は何を言われても口答えをしないので、私は自分のストレスに任せて言いたいことを言う。
私は神様じゃないんだし。

* * * * *

義理の姉(義兄の嫁)から電話がかかってきた。
歳は私より15,6上である。

義姉には、母の被害妄想のトバッチリも飛んでいて、犯人扱いされたこともある。
私が落ち込んでいた時には、愚痴を聞いてもらっていたが、最近は立場が逆になってきた。

義姉とは別居の母親が、ご飯の仕度をしなくなったこと。
一人でいるのが寂しくて掛けてくる呼び出しの電話が頻繁なので
ややノイローゼ気味、体調までも狂ってきたとのこと。

昨日、介護保険の訪問調査を終えたそうだが、その後のシステムなどを説明してあげた。
私から見れば、母とは数段違いの「奥様」だった人だが、歳を取るとみんなそんなものか。

かろうじて30代の私が78の母を看るのと、
50を過ぎた義姉が看るのでは、やはり体力的にも厳しいらしい。
義姉は数年前に子宮筋腫の手術をしてから、体調が優れない。
現在は、甲状腺が腫れているとのことで、これから詳しく調べるのだそうだ。
また歯が痛かったり、頭痛がしたりと、自分自身が調子悪いのに、母親から
『娘なんだから、私を看るのは当たり前でしょう?』などと言われ、
おかずを作っては届けるが、数日後には腐っているのを発見してがっかりする。
そのくせ病院や市役所では『この子は妹と違ってちっとも看てくれない』と言われるらしい。
妹ひいきなのだと言う。

その妹とは、介護について意見が折り合わない。
義姉は、介護保険申請中の今すぐにでも、家政婦を雇いたいのだが、妹は、
『もし認定が下りなかったら自費なので、今後のためにお金はできるだけ使いたくない』と言っているらしい。

「下手に姉妹なんかいなければ、私が一人で決められるのに・・・」とこぼしていた。

こんなことを書いてはいけないかも知れないが、
義姉のうちの方が財政は厳しく、妹の方は数倍にお金持ちなのである。

それらが積み重なってストレスとなり、
来てくれるように電話で呼び出しがあっても「今日は行かない」と断るようになった。
すると「あんたは冷たい」ぐらいのことを言われる。
そのうちに義姉は電話のベルの音量も最小にし、今では留守電にしてしまうこともあると言う。

やっぱり良い子ばかりしてはいられない。


2002年05月10日(金) 訪問者

担当の工務店は、訪問の前に必ず電話を入れてくれる。
来てみたらいなかった、と言うのがあちらにもデメリットなのかも知れないが、
こちらにとっても午前10時台は、
たまに寝起きでパジャマに飛び跳ねた髪だったりするので、
30分前に連絡をいただけるとありがたい。(^_^;)

今日は、浴室とトイレの改修の見積書ができたとのことで、
Nさんが持って来てくれることになった。

Nさんは、キリンのような目をしている人で、
つまり、付けまつげのように長くて、たくさん生えているのだ。
野村のよっちゃん顔と言えばわかるかな?

で、見積もりによると、手摺りも含めると自己負担がそれなりに。
『安全・安心』と『資金』を天秤にかければ・・・やっぱり必要なのかもね。

見積書と一緒に、TOTOのCD−ROMをいただいた。
TOTOのHPを見ると、浴室やキッチンなどのカタログも見ることができる。
しかしトイレについて、これだけ真剣に取り組んできた会社もないだろうな、さすがは元祖。

今は老人や身障者対応のモデルが進んでいて、私なんぞはそれを見て初めて、
介護される人の不便さ、介助者の大変さを知るのだった。

* * * * *

夕方4時過ぎ、玄関のピンポンが鳴った。

こんな雨の日に誰だろう? 絹江が帰ってきたのかな?
出てみたら、母の友達のTさんだった。

先日海岸で会った時、映画のチケットをいただいたが、
今日は同じものをもう1枚、ご主人の分も持って来てくれたのだった。
11日土曜日、某生命保険主催の「ハリーポッター」。

ベッドに横になっていた母に声を掛けて、Tさんには部屋に上がっていただいた。

雨を理由に買い物にも行かないので、おもてなしするものも何もない。
取り敢えず紅茶を淹れたが、物足りない。
ホットケーキミックスで、蒸しパンを作ることにした。
「ヘーゼルナッツとチョコレート」のポーションを2つ入れてみた。
甘い香りがついて、いい感じ。

   このポーションはスジャータのもので、ゆきっちがファミレスのドリンクバーで発見。
   私が探し回って、某スーパーで購入。
   本来はコーヒーや紅茶に入れるものらしいけど、牛乳でも美味しい♪

母は、久しぶりの訪問者に喜んでいたが、帰ってしまえば忘れてしまうので、
私はまたデジカメを取り出して、Tさんと母のツーショットを撮った。

撮り終わって二言三言話しをしていると、私の手元のデジカメを見て母は
「ねぇ、写真撮って。記念だから。」 と言い、
「今、撮ったじゃん。」 と言えば、
「あら、もう、撮ったの? すぐ忘れちゃう。」 と笑った。

そしてまた数分後には、
「Tさんの写真、撮ってあげれば?」と言い出すのだった。


2002年05月08日(水) だらだらと長い日記・・・

今日は暑くなった。

おかげで溜まった洗濯物、4回分が全てクリアになった。
例によって、洗濯をしながらネット、ネットの片手間に洗濯をすれば、既に昼近く。

もう少し、これだけ調べて・・・なんてやっているうちに、散歩に出たのが3時半になってしまった。

母は今日もピンクのカシミアのセーター。
夏にカシミヤを着ると言うリッチな人もいるらしいけど、これはねぇ・・・
しかも、中には長袖のシャツ。
見ているこちらが暑い。(-_-;)

母は元々は非常に暑がりで汗かきな人で、窓はいつも全開放、
夏は家の中では上半身裸で、片手にはいつもタオルを持ち、扇風機を回して
「暑い、暑い」と言っているのだった。
歳のせいか、病気のせいか、感覚も鈍っているんだろう。

薄手の綿ニットのカーディガンに着替えさせて外に出たが、半袖の私は腕が焼けるほど暑かった。

今日はパンと飲み物を買って、海まで行った。
屋根付のベンチがあるので、そこで遅いお昼を食べた。
余裕が出来たら、手作りのお弁当にしたいけど・・・

前に来た時、母は、ここには以前にお友達と一緒にお昼を食べに来たと言っていた。
それなのに「へぇ、こんないい場所があるんだねぇ」と初めて来たようなことを言うのだった。

こんな時、私は自分の気分次第で、否定したり無視したりしているのだが
今日は「前にお友達とここでお昼を食べたんじゃなかったっけ?」と突っ込んだ。
「あぁ、そうだった。Tさんとね。」と、母は答えた。

私も母も、海が大好き。
今日は波が静かだったけど、それでもサーファーが数人出ていた。
この時間はもうかなり満ち潮で、狭くなった砂浜では犬の散歩をする人も見える。

どこかのおじいさんもひとりでお散歩に来たようで、
ベンチに座って、ただひたすら海を見ていた。

30分ほどしてから、海岸の歩道を歩き始めると、後ろから声がした。
「こんにちは」
以前にここで一緒にお昼を食べたと言う、母のお友達だった。
Tさんは母が前に住んでいたアパートの2階の人で、
母のことではいろいろとお世話にもなったが、転居間際にはいろいろと揉めて、
あちらは絶交に近い状態だった。
しかし先日、路上で会った時にはにこやかに挨拶を交わしてくれて、
今日はわざわざ私たちを見つけて追いかけて来て、
絹江に、と映画「ハリーポッター」の招待券をいただいた。

その後、遠回りに歩き出した。

今度は、郵便局の女性局員さん(50代)に会った。
もう何十年のお付き合いだと思う。隣町に住んでいた頃、おそらく父の時代から。
「あら、○○さん、良いわね、娘さんとお買い物?」と話しかけられても、反応がなかったので
彼女はすぐに母の病気が「頭」にも来ていることを察知したようだった。
昔のことは忘れないものだと思っていたが、母はその人のことが解らなかった。
話しが聞こえないだけではなかった。

私たちは再びスーパーに行って、今度は夕飯の材料等を選んだ。

最近、折りたためる軽い(塩化ビニール系?)クーラーバッグを買った。
買い物の時にはこれを持って行く。
もちろん、車椅子を押す私ではなく、母が荷物を持つ。
これなら冷凍冷蔵物も劣化の心配がないし、ショルダーの紐を母の首に掛けておけば、
スーパーの袋をそのまま持つよりも安定するし、楽である。
しかし見栄えは決してよろしくはない。母はお弁当売りのような格好である。

レジでは、袋詰めをせずにカゴに入れてもらって、自分でクーラーバッグに詰める。
出来るだけ、クーラーバッグに収まる量だけ買うように考える。

財布や保険証やデジカメ等はショルダーバッグに入れて、
車椅子の左右の取っ手に引っ掛けて、ブランコのようにバッグを揺らしながら歩いている。
そして会計の時だけ、肩に引っ掛けて済ませる。

車椅子だとどうしても、両手が空いてなくてはならないし、
初めは肩に掛けていたバッグも、車椅子を押しながら前かがみになるとうっとうしいし重い。
長い間には肩が凝って仕方がないので、だらしがないとは思いながらもこういう形に。

あぁ、それから、母が少し厚手の上着を着ると車椅子の車輪で袖が汚れてしまうので、
かわいいアームカバーを探そうかと考え中。 作ればいいんだけどね。(^^ゞ

それから、ひざ掛けがずり落ちないようにする為には、母に上着の上からベルトを締めて、
そこに折り返すようにすると良い。
ベルトじゃなくてウエストポーチでも良い。
落ちそうだと気になるのはお互いに疲れるものだ。

ウエストポーチをしていると、母の身体を支える時に良い面もある。
介護する人は、入浴介助の時には裸を支えるのが大変なので、
腰にタオルなどベルト状のものを巻くのだそうだ。

少しづつでも、人から見るとおかしくても、ささいなことでもいいから、
便利なこと、安全なことはないかと考えて、それを実行しながら改善していけたらいいな。


2002年05月05日(日) いろいろ。

母と車椅子で出掛けると、知り合いに会えてうれしい反面、いやな思いもする。

今日も買い物に行って・・・

母は確かに去年までは病気などしたことがなく、
雨が降ろうと一人で買い物に行ったし、電車に乗ってパチンコに通っていた時期もある。
老人会のゲートボールや踊りにも毎回参加していて、元気そのものだった。

それを知っている人ならば「どうしたの?」と不思議に思うのもわからなくはないけど、
毎回のように聞かれると(当然そのたびに違う人なんだけど)さすがにうんざりしてしまう。

まして今日のように、スーパーのレジで、前の人に
「ぜんぜん歩けないんですか?」などといきなり聞かれても困る。

その50代ぐらいの女性は母のことを知っているらしかったが、私は知らない人である。
後で母に聞いたら「知らない」と答えたが、それは当てにはならない。
だいたい、プライバシーに突っ込むのなら、せめて
「娘さんですか?お母さんとは、○○の関係で・・・」 とひとことあってもいい。

それにしても「ぜんぜん歩けないんですか?」とは、どういう意味だ?

『3分ぐらいなら歩けますけど。 それ以上は息切れがするので。』

「お元気そうなのに・・・」

『えぇ、見た目はこの通りですけど。』

「は? 『見た目は』って、それは失礼な言い方ね・・・」
・・・とかなんとか言ったみたいだけど聞き取れなかった。

そりゃ、今は車椅子に座ってるだけだもの。 息切れするわけもない。

それとも
「元気そうなのに、楽をして今から車椅子なんかに乗せちゃって、
 今、歩かせなかったら、そのまま歩けなくなっちゃうのに・・・」と言う意味だろうか?

病気って、人それぞれなんですよ。

退院して自宅にいるからって、病気が完治した人ばかりじゃない。
それまでと同じ生活ができるとも限らない。


車椅子だから必ず足が悪いんだとか、1歩も歩けない、と言うことでもなし。

たまに、公衆トイレに行ったり、車に乗ったり、家の玄関までの数歩の距離を、
母が車椅子から立ち上がって歩いていたりすると、
「なぁんだ、歩けるんじゃん」 というような目で通りがかりに見ていく人がいるけど。

去年、肺炎になって6回入院をして、少し動くと息切れがするんです。
前に、自宅から少し歩いたところで動けなくなったこともあるんです。
おんぶするのも大変だったんです。
医者には静かにしてるように、って言われてます。
わからないでしょうが、背骨も2本つぶれてます。

それなら家で留守番させとけばいいですか?

心のリハビリを兼ねて、こうして外出してるんです。


2002年05月04日(土) 今日もSPAの予定

そうそう、昨夜SPAから帰宅後・・・

デジカメで撮った画像を印刷してあげたら
  
   「あら、このおばあさんはどこの人? 見たことないけど?」などと言う。

堯福陰Α院叩叩砲─舛叩 だって、通り過ぎる瞬間にばーちゃんから声をかけた人じゃない?
私も『顔を覚えなきゃ』って思って、二人の写真を撮ったんじゃん?
誰?って私が聞いたら「折り紙の先生だよ」って言ったじゃん?

  「あぁ、そうだ、折り紙の先生だわ・・・だけど、こんな写真、いつ撮ったの?」

「堯福陰Α院叩叩貌記に書いておいて〜」

  「書いたよ」

  『今日は折り紙の先生に会いました』

「ヾ( ̄。 ̄;)それだけ? お風呂に行ったことが書いてないじゃん?」

  「お風呂?」 

「堯福陰Α院叩叩忘Fは歩いて行ったよね? 海沿いを歩いて行ったよね?」 

・・・と言って
すかさずデジカメを持ち出し『証拠』の画像を見せ、
今日はどこに行って、何を食べて、誰に会って・・・と日記の下書きをしてる私。
いったい何やってるんだろ・・・

忘れたら忘れたで良しと割り切ればいいのか?
それとも、日記や写真を使って思い出の共有やバックアップをした方がいいのか?
毎日同じ事を考えてるような気がする。

途中であったノラさんやSPAのフロントの女性や
2階から声を掛けてくれたエスニックレストランの若い女性店員二人の画像も収めて来たので
続いて印刷をするつもりだったが、なんとインク切れでまた後日・・・


* * * * *


5/2の日記、さかのぼって書きました。^_^;

今日は、これからゆきっちと再びSPAの予定です。
ばーちゃんも、一緒。

ゆきっちも、おばーちゃんと一緒に住んでるからかな、
うちのばーちゃんのこともいろいろと理解してくれて。

ゆきっちのばーちゃんも一緒に来れたら良いのにね。


* * * * *

昨日は、ゆきっちと涼ちゃんが11時に迎えに来てくれて、
ゆきっちのbBの荷台に車椅子を積み込んで出発。

お天気はやや曇りで、名古屋の友達からのメールでは雨だと言うし、
数時間後に降ってきても不思議ではない感じではあった。

母と私が後ろのシートに座った。
後ろには、ごまちゃんのぬいぐるみの松之丞とピンクのモモちゃんがいるが、
母はふかふかの松之丞がすっかり気に入った様子で
「かぁわいいっ♪ 私、これを抱いて寝る♪」と頬擦りをしていたので、
ゆきっちが今度買ってきてくれることになった(笑)



2002年05月03日(金) 海沿いの道

大型連休だからと言っも、出かける予定もない。
でも、せっかくの良いお天気なので、家でお昼寝していたのではもったいない。
片道4km、いつもはタクシーで行くSPAに、今日は車椅子で行って見ることにした。

自宅から1kmで海に出る。幅の広い歩道をのんびりと進んで行った。
車道はさすがに4連休の初日とあって、他県ナンバーの車が忙しなく追い越して行く。


車椅子を使い始めた頃は、往復ホンの30分の買い物でも腰を痛めてしまったのだが、
私にも学習能力と言うものがあったようで、腰に負担をかけない押し方を覚えた。
シートの下に足を入れるぐらいの気持ちで、車椅子と自分との距離は短い方が良いみたいだ。
離れたところから腕の力だけで押そうとすると、腰に無理な力が入るようなのである。


今日は風が強かったがしっかりと晴れていて、
長袖1枚で充分な気温だったので、遠出をする気になった。

曇りでは、干してきた洗濯物が気になるし、
暑いと感じるくらいの方が、海沿いの風に吹かれても心配ないだろう。


テクテク。 テクテク。 疲れたら休めばいいや。


海沿いなら、きっと何時間でも歩いて行けそうな気がする。

私は海が好きだ。
海は生命の源だ。
胎内の記憶だ。

山は苦手だ。
どうも、閉所恐怖症らしい。
囲まれているところは、意味もなく恐い。
方向がわからない。
迷子になりそうな気がする。

話しが反れました。ヾ( ̄。 ̄;)


半分の2km付近に、ノラさんちの経営する食堂があって、
ちょうどノラさんが外に出ていたので、私は上下4車線越しに呼んでみた。
気が付いて、こちら側に渡って来てくれたので、少し話をすることができた。
母は既に、ノラさんに足のマッサージをしてもらったことを忘れてしまっているので、
持ってきたデジカメでノラさんと母を撮ることにした。
やはり、母には写真が一番だと思う。
忘れかけた記憶の断片を、何とかつなぎ合わせることができるだろう。


予定通り、1時間でSPAに到着。 にぎわっている。 駐車場も混雑していた。

今日は、先日買ったバスローブを持ってきた。
母は、自分の身体を拭こうにも、後ろに手が回らない。
風邪引かせてはイケナイと思って先に母の世話をしていると、
その間に自分がすっかり冷え切ってしまうので、下着まで着せたところで、
私だけもう一度湯舟に入って温まってくるということが多かった。

そこでバスローブの活躍。
荷物にはなるし洗濯も大変だけど、着るだけで水分を取ってくれるので、母もその方が楽。

母は身長が145ぐらいしかないので、長いバスローブは浴衣ぐらいの丈になる。
今までは、ホックのついた巻きバスタオルを使っていたのだけど、
肩と膝下が出てしまうことが気になっていたが、これで解消。

母には湯上り後にバスローブを着せておいて、
先に私が着替えてから、母の着替えを手伝えば良い。
厚手のオフホワイトのバスローブをまとっている母は、
どこかのお金持ちのおばあさま、と言った感じだった。(疑)

もちろん、自宅でも活躍。
狭い脱衣場で着替えるのは大変なので、部屋でバスローブ1枚になってから浴室へ。
入浴前には下着になって体温調節を図るのが良い、とテレビでも言っていた。

SPAの後はお決まりのティータイム。



既に5時を回って、これからまた1時間の道のり。
でも、私はこの道が好きだ。 苦にならない。
絹江とも、SPAの手前の公園まで、何度も歩いた道である。



日差しが強くなれば無理だ。
雨が降ったら出かけられない。
寒い時は、なおさらのこと。

今が一番いい季節。


2002年05月02日(木) 前進。

先日、ケアマネージャーの会社から「今月の予定表」だと言ってもらったが、
それには、レンタルベッドの記入しかなかった。

『介護認定が下りればすぐにも週に3日の入浴サービスが受けられる』と言うようなことを
世間の人からは聞いてはいたものの、実際はそうは簡単にいかないものである。

入浴サービスが受けられないのであれば、今は母が自分で動けるので特に急ぐ必要もないが
それならばと『浴室の床上げをお願いしたい』と頼んでおいたので、催促してみたのだった。

そこで1日、さっそく依頼を受けた業者から電話が来て、30分後には見積もりの為にうちにやってきた。
S工務店の担当者は20代と50代の男性で、ふたりともとても感じの良い方だった。

浴室の床上げは、特に工事をすることなく、すのこ式の物を作っていただけるようだ。
これによって、40cm近い段差も、5cmほどにできるらしい。


また、浴室内と入り口部分にてすりがあった方が良いとのこと。
今はつかまるところがないので私が肩に背負う形をとるか、
もしくは洗濯機脇の棚に手をかけての昇り降りであり、安全とは言えない状況である。


うちとしては、この際、自費も多少であればシャワーも付けたいところ。
現状では、浴槽の水を沸かして、それを汲み出して使っている。
床に置いた浴槽からお湯を汲み出すのも、またぐことも、
母にとってはかなり大変な動作である。  この点は、見積もりの金額次第であるが。


続いて、ウォシュレットが設置できるかどうか、見ていただいた。
今後、母がもし動けなくなるようなことがあっても、
ウォシュレットがあれば衛生面もずいぶん違ってくるだろう。

うちでは現在、和式の便座に簡易洋式便座を載せて使っている。
ウォシュレットも、今は複雑な工事をせず和式に載せて使用できるタイプもできたとのこと。

そして、今日。

S工務店の担当者がトイレ設置の業者とやって来て、
トイレのメーカーをチェックしたところ、簡易ウォシュレットに対応するとのことで、
なんとか介護保険の予算枠内で工事が収まるように考えてくれることになった。

コンセントのコードは外を這わせれば、
大掛かりな電気工事をすることもないのでコストが下げられるのだそうだ。


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