Mother (介護日記)
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2002年01月29日(火) 印章喪失?

先日、農協から母に宛てて手紙が来た。

母はどうやら「印章を失くした」と届け出をしたらしい。 堯福陰Α院叩叩

母の印章は、というよりも大事なものは全て、私が管理している。
母もそれを充分に承知しているはずであるのに・・・ ヽ( ′ー`)ノ

金融機関というものは、一旦『失くした』という届が出れば、
「見つかったから」と言っても、そう簡単に取り消すことはできない。

電話なり口頭なりで喪失の届け出をすると、すぐに事故防止のための処理がされて
第3者による不正な引き出しができないようになる。

ところが、その届け出が第3者による不正なものであることも考えられるので、
届け出自体が本人の意思であるかの確認が必要になってくる。

今回は、届け出たのが本人であるか確認できなかった為、
届け出の住所に書類を送り、それがちゃんと本人の手に渡ることで『住所の確認』とし
受け取った人が当該の書類と身分証明を持って来店し、
その筆跡の照合などによって本人の確認ができたとみなすわけである。
こればかりは、代理の私では用が足せない。

そこで今日はお天気も良いので母を連れて農協に行くことにした。
さっそく車椅子の出番である。
農協までは、およそ15分。

喪失届の話しは、今回の手紙が来るまで私は知らないことだった。
母に話しを聞くと、なんと自分が喪失届けを出したことすらも忘れていた。ヽ( ′ー`)ノ 
先日、定期積金の満期案内が来ていたので、それを解約しようとして、印章がないとあわてたのだろう。

窓口の女性に聞いて驚いた。

喪失届は、てっきり電話でしたものとばかり思っていたら、なんと窓口で受けつけていた。
口頭による『仮喪失届』が、母の自筆で書かれていた。

困ったのは、うちの銀行とは届け出の取り扱いが違うこと。
「お届けの印章の他に、別の印章もお持ちでしょうか?」と聞かれて戸惑った。

口頭受け付けにせよ、喪失届には後日印鑑を押すのが決まりだそうで、
その場合『印鑑を失くしたという届に、失くした印鑑を押すことはできない』ので
もうひとつ、別の印鑑が必要だというのである。

持って来なかったし。
お手紙にもそんなこと書いてなかったし。ヽ( ′ー`)ノ 

結局、喪失届が正式に受理されない
     ↓  
   発見届が出せない
     ↓
   住所変更もできない
     ↓
   定期積金の解約もできない ・・・ ということになってしまった。(-_-;)

「また今度出直します」


2002年01月28日(月) 洗濯前? 洗濯後?

母に家事を分担してもらうというのは、
仕事をしている私の負担が減るからという怠慢な理由が元になっているワケだけど
1日中家にいる母にとっても、テレビを見て過ごすだけよりも
適度な運動と日光浴も兼ねるので、良い事であるはずだと都合良く勝手に解釈、
自己弁護をしているところである。


ところで最近、洗濯機をかける時に違和感を感じるようになった。
『あれ? これって昨日洗わなかったっけ? σ(・_・)』

洗濯物を仕分けていると、毎日洗濯をしているにもかかわらず、
タオルの数がやたらに多かったり、下着が2組づつ出て来たり、
靴下がぞろぞろ出て来たりするようになった。
うちはあまり特徴のないデザインのものが多いので、
出勤前のあわただしさに追われて、なんとなく通り過ぎてしまっていた。

洗濯物を干して取り込んでたたむのは、母に頼んでいるのだけど、
どうも母は、干すのを途中で辞めてしまうらしい。(-_-;)
そして、またその濡れた洗濯物が入ったカゴを、脱衣場に戻してしまう。

家族は、脱衣カゴに残った洗濯物には関心もなく、その上に脱いだものを入れて行く。
最後に私がお風呂に入る時には、すっかり洗濯物の山ができあがっているので、
そんなことにはまったく気付かずに、私もまた脱いだものを重ねていたのだった・・・

そう言えば、洗濯機の中にしぼったままの洗濯物がそのままになっていたり
取り残した物がいくつかあったりしたこともあった。
干そうとしてシワを伸ばした状態のものが、カゴの淵にかけてあったり、
そこで乾いてしまったと思われる物が出てきて、
私はどうもそれらを2度洗っていたようだと気付いた。ヽ( ′ー`)ノ 

母は、たぶん、途中で別の用事(電話・訪問者・トイレなど)ができると、
最初の用事をすっかり忘れてしまうのだろう。

私と一緒にいて、自分の部屋に何かを取りに行ったまま、あれ?っと思うと
既にテレビを見ていたりするし・・・ ^_^;

できるだけ『責任感』というのか『自分の存在価値』というとちょっと大袈裟だけど、
そういう気持ちがないとイケナイと思う。
また、そういう気持ちにさせるのが娘である私の役目なのだろう。


2002年01月27日(日) 車椅子デビュー

今朝ものんびり寝ていたら、老人会のお友達に起こされた(T_T)

パジャマ姿で出て行く私。
母も寝ていた。
レフティーも寝ていた。

母を見舞ってわざわざ来ていただいたので、上がっていただくことにした。
カーテンを開けて、お布団を寄せて・・・(^^ゞ

30分ぐらい話して行った。
こうして来ていただく事はとてもうれしい。
母の顔も声も活き活きする。

* * * * *

今日はレフティーが休みなので、母を連れてお散歩をすることになった。

コンビニの入り口で、
「自分の好きなお菓子を買っていいよ」と言って1000円を渡した。
自分でカゴを持ち、おせんべいや飴を選び、自分でレジでお金を払った。

それはまるで小さな子供のお買物のようだったけど、母はとてもうれしそうだった。
私たちが買って来てあげるのとは明らかに違っていたし、
私たちと一緒に行っても自分が選んだものを私たちが支払うのとは微妙に違っていたと思う。

それから車で5分走ったところの海の目の前の広場に行った。

車椅子デビューである。

雨上がりでもあり、砂が多いところでは、車椅子は埋まってしまって重くなる。
母に自分で動かすように言うと、それでも一生懸命車輪を回していた。
30mも行かないうちに息切れがしてしまった。

わずかな傾斜であっても、
上り坂では車椅子では大変だし、下り坂では危険だということを知って欲しかった。
車椅子を買った時、母は、
『これさえあれば、ひとりでどこへでも行ける』と勘違いをしていたのだ。
そんな考えでいるのでは、
私たちが仕事に行っている間にも勝手に出掛けてしまいそうでとてもコワイので
車椅子はずっとレフティーの車に積んだままだった。

そこで、今日はお天気も良くなり比較的暖かな日だったので
母に安全な場所で車椅子の特徴を覚えてもらう目的でやってきた。

階段もチャレンジしてみた。

例えば、駅などを想定して、
12kgの車椅子を持って階段を昇り降りする。
それでも母は、5段程度を必死に昇っていた。
これにはレフティーも私もビックリだったけれど。
しかしさすがに降りる時は、不安定で重い車椅子を持ってでは、とても危険である。

なんとなく、イジワルなやり方のような気もするけれど、
子供と同じで、危険な事については最悪の事態を招く前に、
その危険性を身を持って体験させるのが良いだろうと思ったのだ。

母はおそらく、少しは理解できたのではないだろうか?
難しいことを覚える事はない。
『車椅子は、家族に押してもらうもの』という認識さえ持ってくれれば良い。

長袖を着ていて、自分で車椅子の車輪を回そうとすると、袖が擦れるし汚れる。
足載せを避けて車椅子に乗り降りするのも、覚えなくてはイケナイ。
両手のブレーキにも段階があるので、とっさに自分で判断することは難しい。

こうやって30分ほど広場の中を回りながら、
すっきり晴れた雨上がりの海を見て来た。


2002年01月22日(火) 予約外で・・・

昨夜、私は6時に寝てしまい、深夜1時にトイレに起きたものの、そのまま寝て、
起きたら7:45だった。 堯福陰Α院叩叩
げっ、絹江が遅刻するっちゅーねん。

14時間も寝ている私は、とても王子様のキス程度では起きられないだろう(違)

ドタバタを支度をし始めた時、母が起きてきて、
「息をすると背中が痛いので、コワイから早めに先生に診てもらいたい」と言った。

え? 

今週は検診に合わせて木曜日が休暇になっていて、
その木曜日には、授業参観来年度のPTA役員選出があり、
1日で用事を消化できるから『ちょうど良かった』と思っていたんだけど・・・

しかし、先日の顔のむくみも一晩で収まったものの気になるし、
夏の腎盂腎炎の時のように、急激に体調が変わることもある・・・
やっぱり、木曜日の定期検診の予約を待たずに、診てもらうことにした。

銀行には事情を話して、休暇にしてもらった。
今日が繁忙日でないので、救われた。

母に支度を促しに行くと、母はちゃっかりとスパに行く用意もしていた。ヽ( ′ー`)ノ

タクシーに乗ると、母が『はぁはぁ』と息をするので、
運転手さんがびっくりして「大丈夫ですか? 心臓が悪いんですね?」と言った。
いや、心臓は大丈夫らしい^_^;
「去年、肺炎で入院していたので、それがまだ・・・」と答えた。

病院に着くと、機械での受付をし、再診受付に行って事情を話した。
「受付は11時までなんですけど・・・」とお兄ちゃんが言った。

堯福陰Α院叩叩法

『初診は11時まで』とは書いてあるけど・・・?

予約外は、すべて11時までなんだって。

で? どうしよう・・・ 午後ならいいのかな? と思っていると、
母の担当医が火曜日の午後はいないため、
受付のお兄ちゃんが取り計らって内科に連絡してくれて、
なんとか診てもらえることになった。^_^;

10分程で順番が回ってきた。

症状を話すと、担当医は「帯状疱疹かな?」と言って背中をめくって診たが、何もなかった。
背骨の真ん中、やや右寄りあたりを押すと「痛たたたた」とのけぞった。

血中の酸素濃度は92%、聴診器を当てても特に異常はなく、
結局「神経痛でしょう」ということで、痛み止めのロキソニン錠を出してもらった。

そしてお決まりの、ランチ&スパ&ティータイムとなるのでした・・・


2002年01月18日(金) 顔のむくみ

食事会から帰宅して母の様子を見に行くと、顔がやけにむくんでいる・・・

尿毒症か? 腎盂腎炎か? 

熱はない。 尿も出ていると言う。

しかし・・・

朝はこんなじゃなかったはず。

抗生剤によって丸顔になる傾向もあるけれど。

なぜ急に?

『家庭の医学』を開いてみたりして・・・


* * * * *


母は寝ぼけていたのか、夕飯をまだ食べていないと言った。

時計を見て夜中だとわかり、

夕飯のおかずを聞いて食事が済んだことを理解した。

食べたことを忘れて、私の留守中に食べまくったのか?

いや、それにしたって、1日で顔が変わるワケもなく・・・

体重は、当初に比べて7kg増。 

2ヶ月前は9kg増であったので、食事をいくらか制限している。


2002年01月13日(日) 休日、家にいると言うこと・・・

世間は3連休。

レフティーは本日休暇。
ただし、朝8時からのボウリングの大会に出掛け帰宅は7時になる予定・・・

あいかわらず、自分のボウリングのためには休暇を取り、お金を使い、
夜も出直して行く人である。

こんなことが、あと何年・何十年も続くのかと思うと、ホントにキレそうになる。

私は家に閉じこもり。
先週もそうだけれど、家に母と2人でいるととても気が滅入る。

京都のガイドブックを見せていたら、
「おまえは京都に行ったことがあるの?」などと言う。

正月2日に行ってきたでしょ? 
雪が降ってるよって電話したじゃん?
おみやげにお箸を買ってきたじゃん?

ばーちゃんも、私と20年ぐらい前に行ってるのに・・・
さっきまでは
「京都ホテルは大きくてびっくりしたねぇ」と言っていたかと思えば、
「え? 私が京都に? 行ったことがあったっけか?」なんて言うし・・・



外にいる私と家の中の私はまったく別人になります。

だから、外に出ればいいのだけど、
平日は母が1人で留守番をしていてかわいそうなので、
休みの日に特に用事がないならば、一緒にいてあげなくては・・・などと考えてしまう。

で、結局は変化に乏しい家の中で、母は食べるかテレビか寝ているかで、
そこでもまた、母の老化を遅らせるためには話し相手になってあげなくては・・・と考える。

人間と言うのはつくづく欲張りなもので、
病気で動けない母を大事にしなくては、と思っていても、
退院して動けるようになると、その行動にイライラしてしまう。
なんだかな・・・


2002年01月10日(木) 検診&ランチ&SPA

今日も長いな・・・ 日記というよりも覚書?

今日は母の誕生日。

銀行は5の倍数日で忙しいのだろうけど、母の検診なので休暇をもらった。

毎週火曜だった検診だが、先月の25日は3連休明けの繁忙日に当たり、
私が休みにくい日なので検診を木曜日に替えてもらったのだった。
その影響で2週間後の検診はそのまま木曜日の今日になったのだが、
毎回、私の仕事の都合で検診の日をずらしてばかりもいられない。

とても良いお天気で、出かける私たちには本当にありがたかった。

* * * * *

予約はいつもの11:30。
廊下の待合のソファにはぎっしりと患者さんが座っていたので、
これは相当待つだろうと覚悟していたのだが、30分後に順番が回ってきた。

血中の酸素濃度、肺の様子ともに「調子いいですよ」とのことだったが、
私は夜中の発作的な咳が続いている事と、母の記憶が曖昧になって来ていることを報告しておいた。

担当医が「私は誰ですか?」と質問すると、
「K先生♪ 忘れるわけないじゃん、私のカレシだもん♪」と大きな声で答えたので
今回もまた、周りの看護婦らの視線を浴びてしまった・・・ヽ( ′ー`)ノ 

薬は今までと同じ。
次の検診は、また2週間後。

* * * * *

タクシーでレストランまで。

何度も来ているのに「ここには、前にも来たことがあったね」などと言う。^_^;

私がパンフレットを渡して、店名を読むや、
「ここは、Sって言うの? 私、知ってるよ。私の日記に書いてあるもんね」と言った。

ランチのセットを注文した。
スープが出て来ると「あぁ、このスープ、美味しいんだよね〜」と喜んでいた。

SPAに移動。

ここで少々の眠気が・・・ 
和室で休憩しようとして、私が部屋の隅に荷物を降ろした時、
「いいですかぁ?」と言う母の声がしたのでそちらを見ると、
なんと母はおよその人が3人で寝ているそばに割り込んでいた。 堯福陰Α院叩叩
あわててこっちに呼んだが、母いわく「だって、あっちの方が陽が当たってるんだもん」
ここで約30分のゴロ寝。

そして、お風呂に。

今日は母と同時に入って、母の髪を洗ったところで、
「あとは自分で身体を洗うからいいよ」と言う声に甘えて、
私は自分の髪を洗おうとしてシャワーを掛け始めたのだが、
そこで母がタオルに押し出していたのは、シャンプーだった。 堯福陰Α院叩叩

いつもより明るい気がしたと思ったら、露天部分の柵に絡ませてあった造り物のポトスの
中央の一部分をはずしてあったからだとわかった。
水平線までが良く見えるようになっていいけど、露天に出た時には気をつけないと
バッチリ見られてしまうだろう。お湯の中に肩まで浸かって移動せねば・・・ (〃▽〃)

結局、露天には出ないで中の浴槽で温まっていると、観光客のオバサマに話し掛けられた。
「いいお湯ですねぇ」
近くのホテルに泊まりに来たけど、ここのお湯にも入ってみようと来たのだという。

脱衣室で先ほどのオバサマから飴をいただいた。
母の呼吸が荒いことと、おそらくオムツをつけているのを見たのだろう。
病み上がりという感じは否めない。
「娘さんですか? 良く似ていらっしゃる。 大変でしょうけど看てあげてくださいね」と言った。

お土産のコーナーで、アメジストもどきのブレスレットを買った。
これが母の誕生日プレゼントになる。 オモチャだけど。(^^ゞ
ブレスレットは好きらしい。
入院中、絹江にもらったビーズのオモチャのブレスも片時も離さずに身に付けている。
お風呂の時さえはずさない^_^; いつのまにか絹江の手作りだと思い込んでいる。

お風呂上りのティータイム。
ペパーミントティーにハイビスカスティー。
毎度ながら、私たちは暮れていく空の色と海を見ていた。

母が何かを話すたびに私は 堯福陰Α院叩叩砲箸ヽ( ′ー`)ノ だったけど(謎)


2002年01月09日(水) 自動消火

母の石油ヒーターには、ご丁寧に名前が書いてある。
去年、入院するまでは自分で使っていたものである。

つけることはできる。 消すこともできる。
しかし・・・

このヒーターは、つけてから3時間で自動的に消える。
延長できるボタンがあるが、わからない。
延長を問うピーッという音も、母には聞こえない。

灯油はコワイから触ってはイケナイ、と自分で承知しているので、
ヒーターが自動消火されると、母は私のところにやってきて
「灯油が切れたので入れてもらいたい」と言う。

ヒーターの蓋を開け、灯油の入った重いタンクを持ち上げさせ
「灯油はまだ充分に入っているから。」と認識させる。

3時間で切れることを何度教えても、理解できない。
「3時間待てば、またつくの?」 などと、見当違いなことを言う。ヽ( ′ー`)ノ 

緑のランプが点滅していて、自動消火されたことを表している。
これを1回押すと、点滅が消えるので、つけたい時は、もう一度押し直せば良い。

私たちにはとても簡単なことなのに、母にモノを教える事の難しさ。

すべて、紙に書かなくてはならず、書いても理解できるかどうかはわからない。

私たち家族の方が、
書くことによって、母について気をつけるべきことを再確認しているような形だ・・・

石油ヒーターよりも、エアコンの方がいいだろうか?
リモコンが複雑では困る。
タイマーなんて使えるわけもない。
『つける・消す』 と 『弱い・強い』ぐらいの単純なつくりであって欲しい。


2002年01月08日(火) あと、どのくらい・・・

母の咳は、あとどのくらい続くものなのだろうか?

病院へは、あとどのくらい通わなくてはならないのだろうか?

母の命は、あとどのくらいなのだろうか?

こんな母をひとり置いて、私はいつまで仕事に行くつもりなのだろうか?


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