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俗物・厭世日記
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1997年05月18日(日)
ダウンタウンへ

朝、少し二日酔い。宮本娘(裕子さんというのだ)とダウンタウンに行く約束をしていたが、だるい。約束をしてしまったのだからこれは行かないわけにはいかない。スワンズタクシーという会社へ電話をし、車を呼ぶ。「クレハだ」といったら「クイワ?スペルはどうですか」といわれる。
タクシーでギルフォードという駅まで行き、電車を待つ。チケットを買おうとしたら、コインが足りなかった。改札はなく、ホームに券売機があるだけなので無賃乗車しようと思えばできないことはない。しかしそれはバレなければ何をしてもよい、という日本人によくある負の特有姿勢なので、ここは正義感を貫きたい。ううむと困っていたら親切なオバチャンが(勿論現地の人)10ドル札を両替してくれた。パースまでは2ブロックで2.3ドル。駅の数にすると10個位はあるが、20分少々で着く。簡単なガイドブックに沿って少し街を見てまわろうということにし、ヴィクトリア・スクエアの聖マリア大聖堂へ。礼拝が終わったとこらしく、大勢の人が出てきた。教会の中は荘厳な雰囲気で、おれはキリシタンではないので、作法も分からず、そのムードを心静かに受け止めた。外へ出て街の中心部へ戻る方向へ。ヘイ・ストリートを見て周り、ロンドン・コートという英風の小さなショッピングストリートなどを覗く。ショッピングに関しては、円安で値頃感が今ひとつなのと、特産のトパーズやアボリジニの民芸品がおれにとっては全く相場が分からず困ったのであった。裕子さんは前に見かけてどうしても欲しいというTシャツがあるというので、1時間勝手に探しますという。おれも本やシューズを見たかったので了解し、モールの終端を待ち合わせ場所にして別れた。ここまで名古屋の3バカ以外には全く土産も買っていなかった。これは単に儀礼的にモノを渡すことを善しと思わず、リーズナブルな価格で来れるのだし、スケールの大きさを簡単に味わってもらえるからという理由によるところが大きい。百聞は一見にしかず、思い立てばいつでも感動できるのだ。さらに印象とか、思いが欲しければわしがいくらでも語り尽くしてやろうではないか、と少し大袈裟に思ってしまってもいた。とはいえ、パソ通仲間にフリーマントルフットボールチームのデザインのボールを。家族、佳恵、文彦とその母へはアクセサリーやTシャツなどを簡単に買い散らかし、時間は過ぎた。



1997年05月17日(土)
ラグビー談義

ゴルフ組とテニス組に分かれ、それぞれ楽しむ。少し雨がパラついたりしたが支障なし。上原さん、宮本娘と3人でやるが、おれが一番へたくそだった。当然か。
別荘に戻りシャワーを浴びた後、暫くまどろむ。午後は猪俣社長と宮本母娘が乗馬へ行くという。パスしようと思ったが、写真とってよ、と猪俣社長にいわれてついてゆく。牧場には牛が見当たらず、競走馬を養成しているようでもあった。14歳だという牧場の娘が相手をしてくれて、馬具や馬のチョイスをしてくれた。庭のようなところで手綱を引かれながらぐるぐる回るくらいのことかと思っていたら、先の娘の姉さんが講師らしく、馬に乗った3人はあっという間に見えなくなるくらい遠くに連れてかれてしまった。おれは手持ちぶさたでそこいらにいる小学生ぐらいの女の子と話をしたり、犬コロ相手に木の枝を放ったりして遊んだ。乗馬組は小1時間して戻ってきたが、大変にスパルタの講師であったとのこと。料金はA$25each。帰りのタクシーを呼んでもらったがちっとも来なく、どうなっているのかと気を揉んだ。
別荘に戻りつくと髭氏、永野氏、エイコさんとその夫のピーターが来ていて、バーベキューが今まさに始まらんとしているところであった。乾杯をして肉を次から次に平らげる。ピーターはニュージーランド出身でオールブラックスジュニアかその候補くらいまでなったラグビー馬鹿で面白かった。エイコさんが試合を見たことがあるそうだが、ラックを解くと一番最後からボールをしっかり抱いて現れるとのこと。「小さいときに、そのテディベアを放しなさいと言われてとても悲しかったろう。ボールは私のテディベアみたいなもんさ」と語る。「クレハはバックスプレーヤーだな。バックスプレーヤーは試合でもストッキングにコーム(櫛)を差しといて、プレーの合間にこうやって髪を梳かしてるんだ。フォワードプレーヤーは密集に頭から突っ込んでばかりだから、このとおりだ」と自分の少し薄い頭をなでた。おれもがんがん飲み、ピーターとラグビー談義に花をさかす。用事のあるという永野さんと髭さんが先に帰り、室内で飲み直しをし、11時頃お開きになる。良く飲んだのですぐに寝る。



1997年05月16日(金)
ワラビー

朝、何気なく外を見ると野生のカンガルー(少し小さいのでワラビーかと思ったが、写真を見ると顔つきはワラビーのそれとは違っていた)が数頭草を食んでいた。しばらく見惚れる。全員で揃ってトーストなどで朝食を摂る。この日は空港に迎えに来てくれたエイコさんにガイドを頼み、1BOX車でパース近郊を観光する。メンバーは猪俣社長、宮本母娘、おれ。まずは近くのEVANS&TATEというワイナリーへ。いくつかテイスティングをして豊潤なポートワインを1本求める。「失楽園の味だ」と感想を述べる。
次はコヌフ・コアラパークへ。そんなに広くはない敷地内にクジャク、鷲、エミュー、ワラビー、オウム、ウォンバットなどがいる。入場料は10ドル。ここのメインは、その名の通りコアラで10ドル払うと抱かしてくれ、ポラロイド写真を撮ってくれる。よく人に慣れていて仕草がもそーっとしており可愛らしい。展望レストランでジュースをのみ、フリーマントルへ向かう。
とりあえずマーケットへ行き、なんとか上海という屋台の集まりみたいなところでビールと6.5ドルほどのフライドライスを食う。ビールは2.5ドル。他の人はめいめいにエスニック料理を頼む。食べ終えてマーケットを散策。安くて土産になりそうなものがたくさんある。フリーマントルでもっとも有名な旧刑務所には行かず。市街を歩いていたら馬車が通りかかった。びっくりしたが、これは勿論観光用だ。港が一望できる開拓時代の刑務所跡に寄り、ビーチへ。日暮れを見ようとしたのだが少し時間が早かったので、ちょっとパース寄りのシティ・ビーチへ移動。ビーチは砂のきめが細かくて裸足で歩くときゅっきゅと音がする。文彦に見せてやろうと真っ白な貝殻を拾う。堤防の突端では釣りをしている人がいる。釣果を覗くと鯵とキスのようであった。日没寸前、不運にして太陽が雲で覆われてしまい、水平線に沈む夕日を見ることは出来ず。
パースに戻りキングズパークで街の夜景を見た後、ほかのメンバーと合流し中華料理店で夕食。味はたいしたことなかったが、北京ダックが日本で食べれば数万円というのには驚いた。ビールと紹興酒を飲み、鱶ヒレのスープほか食べきれないほどの料理で全部で300ドルちょっと。8人で一人4000円程度は激安だ。別荘まで送ってもらい、ウイスキーを暫く飲んで寝る。



1997年05月15日(木)
パース着

5時過ぎか、朝食で起こされる。酒が残り、喉が渇いていた。少し食べて、また寝る。映画も見ず、寝てばかりいたのであっという間だ。6時過ぎパース国際空港に着く。現地時間で7時になる。エイコさんというガイドが来ていて24時間営業の日本とはちょっと違うコンビニに寄り、食料品を購入する。豪ドルを持ちあわせていなかったので、上原さんに10ドル借り、$5.95でサッカーの雑誌を買う。(もちろん英語)
ほどなくザ・ヴァインズの別荘に着く。荷物を降ろしてゆっくりした後、ザ・ヴァインズの管理会社である三和ヴァインズの髭(そのまま「ひげ」と発する)氏が来てパース市内までゆく。昼を過ぎており、ハラペコだったのでまずはカフェテリアで食事をする。パスタとビール。価格はいくらだったのか、払ったのかどうか忘れた。その後全員が二手に分かれる。市内を散策する組に猪俣社長と取引先の宮本母娘、備品買い付け組に上原さんと髭氏と笹原さん。おれは単独行動をとるつもりでとりあえずは買い出し組についた。駅前のマイヤーというデパートで足ふきマットを物色しているうちに早速飽きて一人で行動することにする。デパートの中を暫くうろつくが、物価は日本並みか。エアマックスのいっこ前のやつが199ドルで売られていた。デパートの外に出てみやげもの屋であまりセンスの良くない絵葉書を1枚20セントで購入し前の郵便局に行く。文彦宛てに簡単な文を書く。エアメールのスタンプ代は90セント。買い物をするのに米ドルを豪ドルに替えるため、銀行を探しコモンウイールス・バンクへ。カウンターの女性と交渉したが英語力がなく、なかなかスムーズにコミュニケート出来ず。名前や滞在先を聞かれただけだったのだが。手持ちの82ドルから文彦に外国の紙幣をくれといわれていたので1ドル抜き、81ドルを両替。A$101.90になる。1$と約400円得をした勘定になった。また別のみやげもの屋で名古屋の3バカへぬいぐるみを購入。コアラとウォンバットとカモノハシで22ドル。本屋で日本の観光案内を熱心に読む。「大気汚染と混雑渋滞だけではなくいいところもある。街は安全だし日本人は非常に親切だ。まして多くの川では魚が戻りつつある」ほんまかいな。雑貨店などを覗き、駅前のタクシースタンドから別荘へ。35ドルほど。単独行動をしていちいちこんなにタクシー代がかかっていたらたまらない。
別荘に戻るともはや全員帰っている。暫くの後、ザ・ヴァインズ・リゾートのクラブハウス内にあるレストランへ。白ワインで乾杯。牛ヒレのステーキを食ったがぱさぱさでうまくない。次のワインは肉にあわせ赤にした。ザ・バインズはスワンバレーというワインの産地にあり、もちろん地のワインはうまい。ただし日本ではまずワインなど飲まないのだからあてにはなるまいが。前菜とサラダのバーのセットが8.5ドル、料理が18ドルくらい。別荘って風呂に入り、猪俣社長と赤ワインを飲んで1時頃寝る。



1997年05月14日(水)
豪州へ

仕事後、成田。夜の便でパースへ。

出社してすぐオーストラリア大使館に行き、ビザの申請をする。「今日出国だ」というと手続きは5分ほどで済み「ETAS」というビザとは違う入国認可登録済証をもらう。その後藤沢などに出かけ、18時に会社を出発。タクシーで東京駅に向かい、NEXに乗る。向かいに座った中年配の夫婦、夫の買い物をめぐって車内で夫婦喧嘩を繰り広げた。どうやらハワイへ行くところらしかったが、その後どうしただろうか。19時半過ぎ、空港第2ビル駅で降り、カンタスのカウンターでチェックイン。しばらくぶらぶらした後、両替に住友のカウンターへ行く。対豪ドルはひどい円安で1A$104円ほど。それに比べると米ドルは円高傾向で121円。とりあえず1万円を米ドルに替える。82ドル。出国しようとして空港使用料のチケット販売機に並んでいると上原さん達に落ち合う。
飛行機は定刻の20時55分にテイクオフした。機内は3分の1ほどの客数。加茂監督の本を読んでたら日産の頃の話で裕司さんや鍵本さんが出てきて面白かった。機内食を食べ、ビールを飲む。水割りを3杯ほど飲み、もう1回おかわりをしたら今度は水割りではなくロックと水を別々のプラスチックコップになみなみと注いできた。もう終わりにせい、ということらしい。照明も落ちたので3人がけの座席にねそべる。日本時間で12時半くらいだ。



1997年05月06日(火)
高円寺太陽

TSさんと高円寺の定番コース。