天下無敵な過ごし方
ああ、今日も今日だねぇ。
ここんとこの円高のおかげで薔薇が安いのはありがたい
2004年12月29日(水) 僕らの街に今年も雪が降る

今朝のJ-WAVEを聴いた方がいらしたら、きっとその方もユニコーンの名曲が頭から離れなかっただろう。


仕事納めが1日伸び、事務所には誰もいないなかで、もうそろそろ今年の仕事を終える。

今日の雪が、今年の悪かったことを来年へひびかないようにしているために降っている様。

愚。



2004年12月28日(火) 総浚い

今年のアタクシの生活の特徴と云えば、和事 につきる。

長唄三味線を習いはじめ、歌舞伎芝居を見物し、歴史や風物の趣を感じる為の旅行をしてみたり と、今までの『小説なら時代もの』、『テレビならマゲチャンネル』といった通年の好みに加えてのこの充実ぶりは、我ながらその身の恵まれっぷりに天下無敵と吠えるとこうも違うものなのかと恐れおののく。

その集大成と云うべき 先週末の京都旅行は、金比羅様の御利益もまだまだ継続中と相なって、隅から隅まで一瞬一瞬が素敵だった。

目的は、十一代目市川海老蔵襲名披露の南座吉例顔見世歌舞伎 昼夜通しの見物。
これを決断したのは、9月。なんせチケットが、23,000円もするのだ。それを昼夜通しで見るんだから、金額はその倍。諦めようともしたんだけど、5月に見た『勧進帳』、6月に見た『助六』がそれぞれに素敵だったものだから、エヴィ好きのねえさんのススメもあって、決心。まだまだチケットを入手するまでに時間があったので、決心したその日から500円玉貯金を始めた。
チケットが無事に入手出来たとの知らせがあった11月吉日、500円玉貯金は、ちょうどチケット代の46,000円貯まっていたと云う、嘘みたいなホントの話。
ホテルは、運良くリニューアルオープンの日航プリンセス京都を格安で予約出来、往復の旅程もまぁまぁといったところ。
そして当日。
6時台の新幹線に乗る為に、朝4時半起き。何と珍しくたけぞ氏が起こしてくれた。丁度目覚ましが鳴るちょっと前に目が覚めたんだそう。この珍し事を吉兆と取って、いざ勇ましく夜明け前の東京を出発。
9時前に京都に到着。あまりにも時間があったので、京都駅からぐ〜っと鴨川に出て、川べりを四条手前まで北上。ホテルまでてくてくと朝の散歩を楽しみながら歩く。ホテルに手荷物を預けついでに、大覚寺へのバスのコトを聞き、教えられたバス停へ辿り着くと、丁度大覚寺行きのバスが来た。ついてる時には、とことんついてる。そして、アコガレの大覚寺。冬だったのと、本殿の葺き替え工事のせいと、そこにマゲの世界があることを分かち合う相手がいないのが残念だったのだが、それでもそこそこに楽しむ。地図では少し離れたトコロに広沢の池という、やはりマゲのアコガレの地があったんで、そこまでまたてくてくと歩いた。歩いている辺り一帯は、歴史的風景保存地域みたいなことになっているらしく、電信柱などがあまり目立たない。畑が広がり、嵯峨野の山々が穏やかに美しい田舎風景がそこに。「あぁ この畑を紋次郎は走ったのかしら」なんて、一人感慨にふける。こういう時こそ相方がいないのは寂しい。そうこうしているうちに、やはり冬のせいで水が干上がっていた広沢の池に辿り着く。そして、正午を少し越して如何せんお腹が空いたので、錦市場まで戻り、もちろんバスの待ち時間は殆どなしで、活気あるかけ声や呼び込みの声と美味しそうで魅力的な京都独特の食材を楽しみつつ、ハナッから目的のソバ屋の親子丼を喰らう。地鶏がぷりっぷりしていて熱々で、予想以上に美味しかった。頼まれたチケット譲り渡しまで間があったので、新京極から四条通りを歩いて、祇園あたりを散策。三味線屋を窓越しに見物したり、灯りやでサルの形の灯籠掛の鋳物を買ったり、香煎を買ったりしてるうちに、待合せの時間。人込みの中だったのだけど、アタクシがとてつもなく目立つコート(店主絶賛の一品)を着ていたせいで、迷われることなく無事逢うことが出来て、任務完了。エヴぃ姉さんをホテルで待つ為に、チェックインしてみたら、予約した部屋の数ランク上の部屋をあてがわれた。東山界隈を見おろせ素晴らしい風景が眺められる広々として綺麗な部屋。本を読んだり、風呂に入ったり、テレビを見たり、エヴぃ姉さんが当初の予定を繰り上げて京都入り出来たせいもあって、退屈をする暇もない。姉さんも部屋の豪華さに喜んでもらってから、二人で蛸薬師までゆーこさんお薦めの割烹小料理屋へ夕飯を食べに行く。そこのカウンターに座って、初めて今日1杯目の酒を飲む。冷やの日本酒がく〜〜〜っと喉を通ってなんともイイ気分。なめこと青菜の胡麻和えに始まり、焼きぐじ、生ずし、ぬた、うざく と 出されるもの出されるものどれも美味しい。酒もくいっくいっとすすむ。ほどよくお腹も満たされたので、店を出て、今回の顔見世を始め、いつも歌舞伎のチケットを手配して下さってる先斗町の姐さんの店に御挨拶に。そこで当然のように芝居の話で盛り上がり、明日の弁当の手配までして下さる始末。味に五月蝿い姐さんたちも満足したと云うお弁当が楽しみに加わる。明日があるので、お名残惜しくも早々に店を出る。寝つきはイイので、豪華なホテルのベッドに入ってものの10分も経たないうちに違う世界へ。
朝、起きる予定にしていた時間の1時間前に二人とも目覚める。朝焼けの東山界隈の京都の街の風景に感動しつつ、着々と準備。南座に敬意を表して化粧をする。(前回した時は、歌舞伎座に着物を着ていった時)朝食も豪華にバイキングを楽しんで、ちゃっちゃかと仕度・移動等をして、南座へ。

海老蔵は、6月よりもなお強く輝いていて、なんだか芝居を楽しんでるようでもあって、見ていて胸がすっきりとした。どこをどうみても歌舞伎の花形役者。よどみがなくて、自然で、大きい、そして綺麗。ぐわんとそこに存在している。
それに負けない菊之助。綺麗さも色っぽさも艶っぽさも、溜め息が出るほど。玉三郎に負けず劣らず。一つ一つの仕草がかわいくて、キラキラと綺麗で、本当に女形なのかと疑うぐらい。
丁度倒れた当日の芝居を見た団十郎の復帰。息子と一緒の舞台に立てたのが本当に嬉しそうで、それを隠してもないので、こっちもついつい一緒に嬉しくなってしまう。
そして、その襲名公演を二重三重に引き立たせる豪華な出演陣。演目も笑いあり愉快あり、お涙もありで、バラエティー。
歌舞伎の約束事や役者を覚えてきてるせいなのか、10時半から9時半までの長丁場も、途中うとうとすることもあったのだが、殆ど起きてやんややんや楽しんだ。
助六の余興で、三味線や太鼓でマツケンサンバを聴けたのも一興。
そして、先斗町のお姐さん手配のたん熊の弁当は、質量ともに豪華豪華で、普通だったら全部食べられないぐらいの量だのに、30分の休憩で平らげてしまった。食べはじめたら止まらない、それぐらい 美味しかった。

芝居が終って、その席でエヴぃ姉さんとは別れて、帰る為に京都駅へ。そこから深夜バスに乗り、48時間前に新幹線に乗った時刻頃に東京駅へ着いた。

長々と書いてしまったけど、最後のバスがちょっと体にあわず、二度と乗りたいと思わない以外は、何から何まで楽しんだのがお分かり頂けたと思う。
大概、今年の旅行も余興もそんな感じだったのだけど、そういうことを楽しめる環境にあることが、つくづく幸せ。

500円玉貯金は、来年の京都でのおさらい会に当てるべく再開。さくらのさく頃までに また京都。



2004年12月24日(金) 諸人によろこびを

信者ではないから、特に感慨耽ると云うことはないのだけど。
高校生の時かも知れないけど、佐野元春のChristmas time in blueを聴いて以来、
これが一番のクリスマスソングだって思ったり。

ま ひとそれぞれ。

かん様の計らい ゆーこさんのお陰で、あたくしの京都旅行は決行。
その分 楽しんでこないと!

自分の幸せは もちろん自分によって築くものなのだけど、
周りの人の暖かい情でも成り立ってる なんて思うのさ。

これまで知り合って、近しくなれた人、今年新たに知り合った人、
まだ逢ってないけど充分に影響を与えてくれた人、
みんなみんなに いっぱい幸せがくるといい。

そそ、jazzになっても美しいと思った日本の唱歌。
聴いていて 歌われてはいない言葉が一緒に耳にとけて入ってくる。
それがまた 心地良い。
唄を知っていて良かった。
御紹介して下さった方に 多謝。



2004年12月22日(水)

●インドのしんさんの里帰り祝い兼のねがまの忘年会
のねがまの発足理由でもあった なにがなにやら は、本人がサトウコウイチとの結婚を理由に突然止めてしまったのだが、結局酒好き・宴会好きにそんな理由はいらないらしく、総勢19名で華々しく行われた。
しんさんは、予告通りとてもスリムになっていて、別人のよう。これを機に、しん → sin にHN表記も変えるんだとか。
新婚ホヤホヤのぐみちゃんが、あの大江戸オフ以来お久しぶりのお目見え。幸せラブラブオーラをプンプン振りまいて、ピンクのスモッグがかかってたり、saxlaさんの綺麗なたて巻き髪に触発されて、みにがたまたま持ってたカーラーでまゆちゃんまでもだと思う)巻き髪をつくってたり、めぐっちがるる嬢の十八番芸を演じてみたり、じんちろが三線つま弾いたり、さりげなく熱々らぶらぶのかおりんは、またしても占ってくれなかったり、店主がデジカメで撮った写真を何処ぞで現像して配ってくれたり、北に電話してみたり、秋山とにるふ夫妻がとても悔しそうに早くに帰ってしまったり、足りない分はウェストが細くなった太っ腹sinさんが全額出してくれたり、さとうや@お嬢が、またしてもイケメン候補のに代目に「大人道」の修行をさせてみたり、そんな中であたくしとゆうしゃんは、色違いのたるびーを持っていたり。(あたくしの携帯は『蛙のたる吉』と命名)それを自慢げにRITSUさんが差し入れてくれた日本酒と一緒に写真に撮ったり。その日本酒がホントに旨くて、もう幸せを感じたりで、まったく忘年会と云う名に相応しい騒ぎっぷりだった。まさしく、これ以上のコトはあまり覚えていない。あぁ、強いて云うなら、しんさんがいなくなったので、ABZが一生懸命気配りしていて、それのせいか悪酔いした。まだまだ修行せねばね〜。

と、楽しいことを書いていれば、あたくしの人生楽しいことばかりな様な気がするが、
今週の初めに起こった事件のせいで、うちの会社、存続が危ぶまれるぐらいの大ピンチ。どうして?うちにそんなことが起きちゃうのって。ただ、不思議なくらい冷静に淡々と業務をこなしてる。さらに、プライベートでも家族から信じられない発言を聞いて、かなりがっくり。なんだけど、ココロには「きっと乗り越えて大丈夫」って確信がある。

今日 自分に宛てたクリスマスプレゼントが届いた。
とある方が日記で紹介していた 日本の唄をsoftjazzにアレンジしたもの。
明日、朝にこれをきく。



2004年12月17日(金) 旅の衣は篠懸の・・・

タイトルは長唄の名曲且つ歌舞伎の舞台でも人気の演目「勧進帳」の歌い出し。
たびのころもはすずかけの
と 読む。
すずかけ とは、山伏のあの格好の一番上に羽織っている袖無しのものだと記憶にある。(調べれば載ってるはず)

アタクシの旅の衣は、このところ レインコート。
ま、普段の通勤でも飲みに行く時でも着てるけど。
コロンボみたいなのではないけれど、レインコートだから雨を通さないし、風も通さない。
真冬の北海道に行かなければ、それを着て何処へ行ってもおかしくないし、雨さえ降っていれば夏にだって着ている。

今年ほど、色々なトコロに出掛けた年もなく、「旅行は趣味ではない」が通じない。

ということで、今年の旅の締めくくり。
ってまだ行くのかッて思われる方もいらっしゃると思うのだが、行くのさ。
一部のヒトに酷いと云われた
たけぞ氏留守番の 12月25・26日 京都の冬の街満喫&南座吉例顔見見物
25日が夜までフリーなので、たけぞ氏もONEDAY KYOTOを誘ったのだけど、断わられたのだ。
だから一人で大覚寺。
今から どこで何を食べようか と ひとりわひわひ。
何を着ていこうかと 思案して わひわひ。
それが楽しいんだよな。 
わひひ



2004年12月16日(木) 比較

四面楚歌 と 八方塞 は、どっちの方が緊迫?

なんてことはいいとして。ま、今の状態が、四面や八方までとはいかないまでも、三面 六方 程度なの?ってな感じ。

そんな状態なら日記なんて書いてる暇あるかっていうと、あるんです。ここに。
暇って言うより ちと逃避。

それもこれも師走だからってわけではなくて、先週末、結局らりったせいで頭痛がひどく、1日会社を休んで、週末は元気になって、さびしん坊念会に参加。翌日は、落語を聴きに行き、そのまま飲んで。月曜日、明け方から嘔吐を繰り返し、二日酔いかと思っていたら、なんと風邪だった。

ということで、その日はなんとか出社してみたものの、帰ってからダウン。
翌日はしっかりと休み、本当ならもう1日休んだほうがいいかもしれないのだけど、目の前に迫った色々な締め切りの方が、心臓に悪そうなので、だらだらと復活したのが昨日。が、普段の行いがいいのと3日間の酒断ちをしたので、ほとんど完治した。
仕事の方は、あっちもこっちも休んだ分 ちゃんと遅れている。ま、帳尻はあわすけど。あわす というより あわさせる

で、そんな状態で、冒頭の慣用句を思い出して、どっちの状態の方が困るだろう?と考えたって訳。

いろんなとこで、冒険やら旅立ちやらされている方々が多いようで、いろんなとこの日記もそのせいでアップが・・・なんてこともあるという噂だけど、うちの場合、旅立ってるのはたけぞ氏で、仲間はいないし、さいころ振っていろんなもの買ってる旅だけど。しかも日本版。


以下、やや私信

明日、忘年会のメールを送りますが、
時間は お店との話し合いにより 19時から に変更です。



2004年12月12日(日) 笑い納め?

今年で3回目の志の輔らくご。

咄家こそ好き嫌いがとても出るので、
おおっぴらにイイとは言えないのだが、
いいねぇ。
一刻四半(二時間30分)たっぷり真打ちの噺ばかりってのも
そうそうとない。
(新作の御披露後の)演出に凝ったていうのも
ここ3年(あたくしが見始めた頃)だっていうから なんなのだけど、
回毎に あぁそうくるね! とよめそでよみきんない。

毒にも罪にもならない笑いをさんざんした。

古典と云われてるものも 新作も 時の『今』を掴んでいないと野暮になる。
掴み損ねたら 腐るだけで使いようもないのだけど、掴んだら、100年経っても笑えるネタになる。
そんな時の目を肥やして話術を磨いていく噺家にぐいぐいと引き寄せられれていく気持ちさよ。

毎年ありがとうございます。

また来年?も



2004年12月09日(木) らりらり

今週、事務所の外壁を塗り直してる。
おかげで、一日中らりってるような 感情過激 めまい 頭痛 などで軽度な症状が。
ま、今以上に酷ければ休みもするんだけど。
ちなみに 他の人は全然平気らしい。

アタクシの前世は 炭坑で飼われていたカナリア なのだよきっと。

ということで、家に帰ると ぐったりと。

宴会メールの返事も これだけは伝えておかなきゃ!の金比羅のコトも 今暫く。

内装やの時は まだまだ平気だったのに。
あらま。 



2004年12月04日(土) 不思議

どうして アタクシが寝ていたことが分かるのか?

電話なり携帯電話なり 繕って起きていた風の声を出すのに。


血液型当てられる以上の確率で 寝ていたことを当てられる。

今日のまゆちゃん
まいどのぴろしき

どうぞ そこら辺を 語ってくれ。



2004年12月02日(木) 今更金比羅 多分その1

しゅらしゅしゅしゅ から はや1週間。
この間の日記もこの間のメールも いやまあ立派にヨッパで、
さほど気分が良かったに違いないと 我ながら思ったり。
ヨッパな時にヒトサマの日記を読んだりしてると、
なぜかメールを出したり BBSに書き込みをしたりしてることが多く、
送られた方々は、寛大に接して頂いているので、感謝してます。

さて、1週間ほど前のソの旅行、
我々は、徳島から四国入りし、行きは阿波池田(水野がいたところの地元と云えば分かる世代には分かる)を経由して金比羅入り。
山間ののどかな風景をのんびりと電車にゆられながら。
どこが?と云われては困るのだが、何となく関東の田舎の風景とも違う様な。

琴平駅は、良い感じで寂れている。
車両の通行量が少ないからなのか、駅から金比羅参道への道は石畳。
駅前や目抜き通り等にコンビニやファーストフード等の店がない。当り前のようで今では殆ど皆無のこの風景にえらく感激。(後にやや困ることにはなったのだが)

週末とは言え、平日の午前中。観光客もさほど多くない。
天気も良かったので、宿に着いて姑く休憩した後、金比羅参りをすることにした。
途中でペットボトルのお茶を買い、ぴろに教えてもらった方法をアレンジして、日本手拭いで簡易ホルダーを作ってそれを収めて、勇ましく石段をあがる。
やや恥ずかしいので、小声で金比羅船々を歌いながら石段をあがり、人が見ていないだろうところで踊ったりした。

途中に今回の目的の宝物館や奥書院があるのだが、それは下りにとっておいて、まずは元気なうちに奥社まで!
本宮までは、まぁそこそこ。
周りを見ていても息切れするヒトも居らず、わりと余裕な感じ。石段が多いせいなのか、前出の平日だからってことなのか、学生や児童の姿がない。我々でも若い方。足腰より口の方が達者な感じの方々が、グループやカップルで参詣している姿が多かった。

本宮から奥社までが、金比羅参りの真骨頂?!
山道を行くと階段があり、階段を昇るとまた山道があり、なかなか奥社まで辿り着けない。辿り着いた時の あまりの高さに吃驚した。この時は、すでに曇っていたので、晴れたら見られるはずの明石海峡がうっすらと群青色をしてるだけで、ちゃんと見ることが出来なかった。
そしてなによりも。奥社左側の岸壁の高い場所に彫られた、天狗とカラス天狗の2つの面。ガイドブックにもちらりと書いてはあったのだけど、現場は倒れた看板も復旧しておらず、親切なおじさんがいなければ、見逃すところだった。何時頃に彫られたものか分からないのだけど、ぐぐっと琴平の町を睨み付けていて、その威厳たるや年月を感じさせない。
ここまで登ったという記念にしっかりと社務所らしきところの参拝者手帳に記帳する。

山登りの怖いのは帰り道。ひざも口もにひにひと笑いっぱなしで、杖に頼りながら結構休憩を入れて、下山。
本宮まで辿り着いて、金比羅のお守りやら狗の置き物やらを買う。金比羅の忠犬物語は、何処ぞのサイトできっと紹介しているだろうから、そちらをご覧あれ。

そして、いよいよ、この旅の目的である 125年振りのお宝拝見〜。
いやもう。ホント この後、続々と現れる宝物を前にして、自分の言葉の平坦さを乏しさが恨めしいのだ。

続くかも。


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