のいばらにっき
たき



 誰かの願いが…

特定一人物の願いと言うには余りにも身勝手に過ぎる欲の為に、大多数の人間は涙を呑まねばならないのか。
『みんなの願いは同時には叶わない』ものかもしれないけれど、“みんなの願い”が同じ一つの事柄だったとしても、それはやはり叶わないものなのか。
やりきれなさや、無力感は、アタシの中の諦めから生まれたモノだ。
諦めて諦めて、そうして色んなモノに未練を残して、そしてまた、同じように諦めようとしている。

球場に行きたい。
野球が観たい。
彼らのプレイが観たい。

多様性があってこその発展だと思う。
多様性がなければ進化もなかったのでは?
競争原理に従って淘汰される立場となってしまったというが、現実として、競争に対する努力は為されたのか。
可能な限りの努力の末、淘汰されようとしているのか。

何処へ行くんだろう。
どうなるんだろう。



欲深い私は、失うことを怖れている。
可能性と言う希望を抱けず、失うことを恐れている。
喪失は何よりも恐ろしく耐え難い。
だからこそ諦めるのだ。
希望は抱かず、夢は持たず、得る事を望まず。
手に入れてしまえば失う時が来る。
希望は叶えられず、望みは得られず、この手には何も残らない。
胸に強く希望を抱き、望みを叶えるべく動かねば、何ものをも得られない事を識っていながら、全てから背を背けた。
得なければ失わぬが故に。

与えられる事に狎れ、獲ることを忘れ、『それを得る術は誰も与えてはくれなかった』と己が無知を恥ずることなく声高に叫んだ。
与えられたものならば、どれほど喪おうと構いはしないだろうに、それさえ自ら得たモノと信じていた。
真実、己が力で獲たモノなど何一つなかった。
空虚な自己から目を逸らした。
そんなモノは知りたくもなかった。

けれど。

何も持たないと知ることでしか、本当に獲ることはない。
自らの力で得ることはない。
己がものにすることは出来ない。

失うことでしか知り得ないことも、確かに存在するのだ。


懸念するのは、奪われることに狎れてはいないかということ。
与えられることが当然であると思ってはいないかということ。



球場に行きたい。
野球が観たい。
彼らのプレイが観たい。

晴れた空の下、笑う彼らの姿が見たい。

2004年07月09日(金)
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