「硝子の月」
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2002年02月06日(水) <始動> 瀬生曲、朔也

「徹夜……?」
 とするとあれから一昼夜過ぎてしまったということか。
「お粥でも作ってもらってくるわ。消化器官は無事だったみたいだけど、いきなり重いものは無理だろうから」
 部屋を出ていきかけて、ルウファはくるりと振り返る。
「じっとしてるのよ」
 しゃらん、と鈴の音がした。
 軽やかに階段を降りていく足音を聞きながら、ティオはアニスの頭を撫でる。
「心配掛けたな」
   ぴぃ
 頬に当たる羽毛の温かく柔らかな感触に安堵する。
「他の奴等はもう行ったのか?」
 シオンはともかくとして、グレンには旅の目的がある。成り行きで同行することになった自分をここに置いていったとしても不思議はない。
「そんなに俺は薄情そうかね」
 声は窓のほうからした。
「なっ!? ……ってぇ……」
 反射的に跳ね起き、痛みに顔をしかめる。
「よっ、と……ほらほら無理すんなって」
 何故か窓から入ってきた青年は、彼の頭を軽く叩いた。

「ったく、ちっと目ェ離しただけでこの騒ぎだもんなぁ……」
「……俺は被害者だ」
 憮然としてティオは呻く。今回ばかりは無用心とかいう問題でもない。
 そんな少年の様子に肩をすくめ、グレンはベッドにぽいと紙袋を投げた。
「ま、思ったよりは元気そうだな。安心した。
 とりあえず、それでも食って養生しとけ」
 紙袋の口からごろごろと赤い実が転がり出てくる。……林檎だった。
 ティオはきょとんと目を瞬かせ、真顔で尋ねる。
「なんだこれ?」
「……あのな。見舞いに決まってるだろ」
 グレンの方が思わずがっくりと肩を落としてしまった。言われたティオは、驚いた顔をして、複雑な顔をして、何か言いたげに口を動かし、結局前以上に憮然として押し黙った。
「? ……どうしたよ。林檎嫌いなのか?」
「……じゃないけど」
 ティオは、くしゃりと意味もなく前髪をいじる。
 実を言えば見舞いなど、もらったこともなかった。この年になるまで過ごしてきたあの家で。
 看病だってそうだ。身体を壊しても、自分の面倒は自分で見なければならなかった。いくらアニスが賢くても、タオルを絞るのは土台無理というものである。
 だからこんなのはどれも初めてのことで、どんな顔をしたらいいのかいまいちよくわからない。憎まれ口なら考えなくても勝手に口から出てくるのだが。
 グレンはそんなティオの様子を眺め、「わけわからん」と言いたげにちょっと肩をすくめた。


紗月 護 |MAILHomePage

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