激鬱発言(引き摺られ易い人は読まないように)。 - 2002年09月08日(日) まだ9月だけど…極端に何もかもがしんどくなるときがあるなあ…。 まだ、って言ったのはあれよ、昔ここでも書いたかもしれないが、『あんたは10月頃になると頭がおかしくなる』という母の台詞…。 おかしくなる、んじゃないんだけどなあ。 なんか、いっぱいいろんなことを考えてしまう時期に入っちゃうんだよ。 ソレがどうしてかは解らないんだよ。 解ってたら予防線張るよねぇ。 あるとき突然来る伝染病(人に もしかしたら、ソレを知る方法、予防する方法があったりするのかもしれない。 でもまだ、若輩でしかない私は、ソレを知ることも感じる事もできない。 ただ、ソレは到来するのだ。 どうして人はひとりでは生きていけないんだろうと思う。 経済的な意味、もあるのかもしれない。いや、ソレが大きくて、だから日本では(外国もそういう部分があったりするのかもしれないが)、婚姻という制度がある。 婚姻、によって地位が確立されない子供ってのは、往々にして祝福され難い。 そんなことは知ってるよ。だから、『出来ちゃった婚』がまるで悪事のように言われるんだ。口では祝福しながら、『出来ちゃった婚』とわざわざ言われてしまう辺りに、侮蔑の感情がある。 ……いや、私に『デキ』たとかそういう話では無論ない。 婚姻せずに子供が欲しい、とものすごく真剣に思っている。実はね。 でも、この日本ではそういう子どもは何かと後ろ指を指されるし、まして私は子供を育てていくだけの経済的基盤が無い。経済的基盤ができるほどに働けば、私は子供を充分に満たせるほどの愛を注ぐ事は出来るだろうか。 働く事、が子供に対する愛情である。 けれど、ソレは大人の事情で、子供はそれをきっと解さない。理解しろという方がムリだ。 うち棄てられた子供の寂しさ、どうやっても埋められない寂寞を、私はとてもよく解っている。自分の子供に、あんな思いをさせたいなんてこれっぽちも思わない。 子供は、その寂寥を抱えたまま、一生どうやっても埋められないまま、 足りないものがある。埋められないものがある。 大人になって、『大人の事情』を理解できる年になっても、『理解』はできても、子供時代の寂しかった心、穿たれてしまった穴は埋まらない。 そんな子供を作りたいのではない。だから実行には移さない。 多分、親の愛を不充分にしか受けられなかった子供は、その代替品として恋愛を必要以上に神聖視してしまう。…ような気がする。私はね。 恋愛なんかが、全てじゃない。 それでも全てだと思いたくて、それまで与えられなかった、与えられた事の無かった愛情に、目が眩んでしまう。ソレがとても眩しくて、得難いものだと感じる。 恋愛とか友情を、神聖視して、それ自体に人格を持たせて神格化してしまう。 じゃあその偶像が壊れた時、どうするんだろう。 この世の全てが指の間から滑り落ちてゆくのを、どうする事もできないで見ているだけだ。 見る事しか出来ず、そしてソレを受け入れることしか出来ない。 受け入れて、受け入れるだけの許容量が無くて、内側からぼろりと崩れる。 唯一絶対のものなんて、あるんだろうか? ソレをテーマにしたつもりなんか無かったし、ソレをテーマで話を書こうと思って書いたことなんか、一度も無い。 けれど、私から生まれる言葉たちは、どうしてそっちを目指してゆくんだろう。 唯一絶対のものに出逢って、ソレを失ってしまったら人間はどうなるんだろう。 人間は―――じゃない。私、は、どうなるんだろう。 唯一絶対のものに、私は出逢っているんだろうか。 私は一体いつまで、此処で振り回され続けるんだろう。 私はいつまで此処にいるんだろう。 此処に居てはいけないとは思わない。けれど、いつまでも此処に居てはいけないと思う。此処とは、どこだろう? どうして一人で生きられないのかなあ。 伴侶を求めるのは、仕組まれたもののような気がしてならない。 子供の頃には、伴侶なんか居なかった。それでずっと生きていたはずだ。それなのにどうして、ソレを欲しがるんだろう。 反対側で、ソレを求める気持ちもある。 けれどその仕組みの中に適応できるのは、子供の頃から当たり前に、『家族』という枠の中で育つ事が当然で、殊更ソレが苦痛にはなり得ないような、そんな人種だけじゃないのか。 人にとって、心地好い素材にはなれないと思う。 心地好い素材とは、一体どういうものなのか解らないからだ。 ……そろそろ、その『10月』に向けての準備がなされているのかもしれない。 突然狂うんじゃないんだよ、と、微笑するような気持ちで思う。 けれどそれはきっと気付かないし、理解しようともされないのだろう。別にソレは構わない。しがみつく時期は終わったはずだから。 構わない、と殊更口に出そうとする辺りが、私が拘り続けている何よりの証拠なんだろうか。 構わないと思わなくてはいけないと思っているからかもしれない。 何も変わっては居ないはずだ。 ただ、酷く冷める時期がある。この周期は一体何で、どうしてなんだろうと何度も考えたけど、解らない。 家族に対しても、彼氏に対しても、身近なもの全てを、遠くに感じる時期がある。 ソレがそろそろ本格的に来ようとしてるのかなあ…と思うだけだ。 だめだな。 だめだ。 けれど嫌らしいことに、字書きとしての私は、こういう時期に酷く冴えてくる事を、知っている。いろんなものに対して、視界がクリアになってくるのだ。 胸を掻き毟りながら、けれど視界だけは酷くクリアになってくるのだ。 これはでも、私の何にも繋がらない。 自分が何の為に此処に居るのか、ということを考えるような気持ちで、視界がクリアになり、思考は重く鈍り、心が思考を通さずに指先からだけ溢れてくる。 この指先、私の真実を語る指が動かなくなってしまったら、私はどうするんだろうなあ。 けれど、そんな不確かな未来の懸念なんかではない。 ただ、常識人として居る為に、奥深くに埋没させている『私』が、息苦しくて時々現世の空気を吸いたくて、表面に出てくるんだろう。 ソレがどうしてこの時期なのか、なんて、今は問題ではない。 いつもソレは問題にしない。 問題にしない、のはどうしてだろう。しなくちゃいけないんじゃないか?もしかしてそこに何かがあって、私は知らずに逃げていないか? こういう時、とても逢いたい、と叫ぶような気持ちで思う人が、居る。 けれど、『そうでなくては必要じゃないのか』と言われることが嫌で怖くて、もう、長いこと、声さえ聞いていない。 その人が、生きて、幸せで居てくれると思うことが、私の根源でもあるのに。確かに。その人自身に、『利用されている』と感じられてしまう事が、怖い。 怖い事ばかりだ。 いつもいつも必要なのに、決してその人は私のものにはならないのだ。 所有したいのではない。占有したいのかもしれない。同じ意味のようで、違う気もする。私にとっては違う事だ。 一生大切だと思える人が居る。 ソレは恋愛なんかではなくて、そんな言葉では語れない。 いつまで私は、こうやって怖がるのだろう。 -
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