仕事しながら考えた事。 - 2002年08月29日(木) まあ恒例で、くっだらねえコト考えたんですがね。 いや、私は大真面目なんだが、多分大多数の人にとってはくっだらねえと感じるだろうなという事。 祟り、って言葉があって、それを信じてない人は居ないと思う。 バカバカしいと口では言いながら、じゃあ例えば黒すぎる例えだが、実母を殺害してその祟りみたいなのを恐れない人が居るだろうか、と思う。 多分、何の関係も無く、不摂生でその後体を壊しても、祟りだ、と感じるんじゃないかしら。 祟られてると言われて気持ちいい人間も日本には絶対居ないと思うし、何だか不運続きだなあと思ったらきっと、忘れていたお墓参りにだって行くだろう。 結局のところ、この『祟り』ってのは、イコールで『良心』なんじゃないかなと。 罰せられるべき事、しなくてはならないのに看過していること、そういう良心の呵責を『祟り』って形で受け止めてるんじゃないかなと。日本人は。 神様は何処にだって居る国だし、その神様がきっと見てる、と思うからこそ、悪い事できないし、言えない。 そういう慎ましく可愛らしい国民性だったんだよね。 『バチが当たるぞ』という言葉は、『バチよ当たれ』と同じ意味だ。 そして、何の関係も無い、単なる不慮の事故でも起こったら、きっとそれと繋げて考えるはずだ。ほら、バチが当たった、と。 『バチが当たるぞ』ってのは不吉な言葉で、本来言霊信仰が脈々と生きている日本に於いては、『バチが当たる』という事態への『言上げ』な訳で。その事態よ起これ、という言上げ。 ごく普通にみんなこの言葉を使うけれども、本当は、『こいつにバチが当たればいいのに』と願うからこそ口に出す言葉だ。 『アンタの乗る電車が脱線したらいいのに』なんてことは、普通、絶対に言わない。その事態への『言上げ』になってしまうから。それを殆どの人が、本能で知っていたはずだった。 でも最近は、最近でもないのか…いつからか、言霊、の霊力は薄れたんだなあと思う。魔力と言ってもいい。 死ねと、すぐに口に出す。 多分本当に死んだら、狼狽するだろうし、哀しいのかもしれない。それでも、友人に対してさえ、簡単に口に出す。 言霊、への信仰は、きっと厄介な面も多いのだけれど(穢れの思想とかね)、そういう美点だってあったはずだ。 絶対にその事態を招いてはいけないから、口には出さない、という、美点。 言葉には力がある、と信じている、信じていたはずの国民が、簡単に言葉で人を殺す。言葉の美しさ、本来持っていたはずの力を、殺いでゆく。 罪穢に、言葉が染まってゆく。 結構、ツライ。言葉の力を、まだ信じている私としては。 そういう人には、バチが当たるんですよ、という言葉も、どの程度拘束力があるだろう、と思う。もしかしたら、全くなくなってしまっているのかもしれない。 言葉は、人の心を動かし、猛き武士も打ちのめし、天地を清める事さえするのだと信じた国民はもう、私たちとは別人なのだろうか。 それは、結構、寂しい。 ……そんなことを、仕事しながら延々と考えてた(笑)。だって体が辛かったんだよ…せめてもの現実逃避…(涙) 言葉、とは? 今のところ、私の中で最も興味深い題材だ。 -
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