★ 夏海の日記 ★

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2008年03月20日(木) 降参!私は 依存したいと思っています。

あづまさんとのやり取りで、はっきと
「私は人に依存はしていない。なぜなら、依存できる程人とを信用していないから」と返信していました。
認めたくない。自分の内臓を見たくない。
逃げたい。

でも。
内臓を見てみました。
とても怖かった。

その結果を自分へ宛ててメールをだし、蟹さんへも同じ内容のものをメールしました。



Date: Thu, 20 Mar 2008 10:14:20 +0900
Subject: YCC 幸せな一日


私は、今まで与えられた課題を精一杯頑張ってこなしてきた。
私には優先順位がわからない。
与えられた課題を与えられた順にこなすしか
私にはできなかったから。
与えられた課題をやり抜く能力はあっても、
何もないところから、自力で考えて、自力で計画を立て、自力でやり抜く能力がない。

私が生きている価値は、与えられた課題が、与えられた基準通りにできているかどうか で、
私基準で『生きている』とは言えなかった。
私は、私の為に生きていなかった。
昨日、もっと自分を大切にしなさいと言ってくれた人がいた。
もっと自分が好きなようにしなさい と。
私には、どうしたら自分を大切にすることなのか?がわからない。
好きに の『好き』が、『何』なのかわからない。

昨日からやっと涙が出て来た。
感情が動き出したことが嬉しい。

私は、今、泣きたいのか怒りたいのかがわからなかった。
未来が見えず、未来に絶望していた。
生きることが怖くて
私に未来があることが信じられなかった。

捨てる と言うことは、とても強い意思と決断力がいる。
人の介助なくしては生きていけない人を置いて出て行くこと、
愛するテトを置いて出ていくこと。

私は生きる為に Jの家を出て行った。
今、家を出ることは『逃げる』ことではないか?
『逃げ』ならば、また同じことが繰り返されるだろう。
その恐怖で 私は身動きができずにいる。

未来の為にこのステージをクリアしないと と思って、ここで暮らすことを選択したが、
この選択が正しかったのか絶えず迷っている。
迷っているから、余計に怖い。
それが未来に向かって歩けず、立ちすくんだままになっている原因の一つでもある。

どうしてみんな、怖くないのかが分からない。

私は私のことだけを考えて行動したことがない。

助けて欲しい。
私は、強く依存している。
白馬に乗った王子様などやってはこない。
でも、私を救い出してくれ、私を保護してくれる人を熱望している。

私は依存心の強い子供だ。
私は成長しているか?
不安で不安で不安で怖くて仕方がない。



Subject: 誰もが・・・!
From: "Oukai Aihara"
Date: Thu, 20 Mar 2008 10:33:42 +0900

メールを読んで感動した。
劇的だからではなく、当たり前のことに。
目的や行動の指針を明確化して生きている人はほとんどいないと思う。
一部の指導的な立場にいる人が「何か目標を持て」・「自分らしい生き方を見つけて実行しろ」と。
頭でこさえた、主義とか思想とか宗教とか・・・、それがあたかも絶対的な価値基準でもあるように金科玉条に示しつつ。
弱い立場の人、迷っている人、傷ついている人、頼れる誰かを捜し続けている人・・・たちにまるで真実として存在しているようにそれを示し、行動しろと勧める。
でも、現実的に実態は存在しない。
恐怖や不安や寂しさを感じる心は、自分自身の行動の中にその存在を確認するしかない。
動き出せないとき、初めの一歩が踏み出せないとき、誰かの手のひらの暖かさとアシストを必要とする。
でも、肝心なことは、目で見て耳で聞いて鼻でかいで、手で触れて、・・・経験を等して初めて自分という存在を知るのだ。
全ての判断の基準は自分自身にある。
何を求めていて何が好きで、何が嫌いなのか?
それは頭で考えて理解されるのではなく、直接経験を通じて感じたことで自分という基準を見つけることができるのだと思う。
だから、確実な結果の保証を要求して躊躇するのではなく、まず行動していき 嫌いの基準に従って自分という物差しを作り上げてゆくことが必要なのだ。
それは、偉人から与えられるものではなく、自らが痛みを伴いながら行動を通じて獲得するものなのだと思う。
これまで他者に依存してきて求める幸いに巡り会うことができなかったとしたなら、
自らが一歩を踏み出すことで求める世界の扉が初めて開放されるのだと思う。
傷つくことをおそれるな。
孤立し、隠れるのではなく、求める行動によって。
泉に連れて行ってあげることはできても、咽の渇きをいやすためには、自らが
その手のひらで水をすくい、口中に注ぎ込まなければならないのである。
ひとは、それを勇気という。
でも、求める気持ち。
それだけあればとりあえず初めの一歩は踏み出すことができるはずである。
あなたには、それができると思う。
それが、この瞬間であることを心から望んでやまない。
誰よりも大切に思う。


Yellow Crab Clinic
院長: 相原 黄蟹


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