★ 夏海の日記 ★

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2007年11月15日(木) 依存されたい人

Date: Thu, 15 Nov 2007 08:26:00 +0900

今朝、TVで生歌を聞いて泣いた。
それはお別れの歌だった。
『旅立ちの歌』
確かそんな名前。
死を直前にひかえた者が 残った者へ宛てた最期のメッセージ。

その歌を聴きながら、象のアニメーション画像を見ながら
弟を、祖父を祖母を思った。
(泣いている私を テトがじっと見てました。)

そして思った。
それは、『燃え付き症候群』というもの。
介護を終えて、見送った後に起きる虚脱から、うつへと移行すると聞く。
letさんを見送ったら、私は『燃え尽きる』のだろうか?と。
もしかしたら、『燃え尽きる』かも知れないと私は思った。

そして、私の母を思った。
彼女は、『燃え尽き』ない人だ。

1ヶ月以上植物状態が続いた後に祖母が亡くなった時、
私はストレスが許容量を越えて、火葬の後にパニックを発症し、病院を転々とした後に『うつ』と診断された。
祖母の入院生活中に、私は母は燃え尽きると思った。
でも、実際は、燃え尽きなかった。

弟が亡くなった時、母は狂うと思った。
弟の為にだけを思って、自分の人生を生きていた母だから。
でも、実際は狂わなかった。

『燃え尽きる人』 と 『燃え尽きない人』

その違いは、何か?
なぜ、母は燃え尽きなかったのか?
そう考えながら洗濯物を干していた。
そうしたら、突然わかった。

母は『依存されたい人』
つまり、『依存されること』に『依存している』人だったってことに気が付いた。


自分の夫が精神的虐待を続けている息子を守る為に生き、
息子が学校を卒業し、就職をしたら2人で家を出るつもりだった。
一人では生きていけない為、息子に寄生して、離婚する予定だった。
息子が死んでしまったら、生きている自分の心のどころがなくなる。
家を出られる手段がなくなる。
息子を守るという心の支えがなくなる。
息子の為にだけ生きてきた人だと思っていた母を見続けていた私は、母は狂うと思った。
(だから、「一刻も早く男の子を産まないといけない」と思った私は、はい。分かっています。既に病んでました。)


弟を亡くした悲しみから立ち直った母が 次に自分がその家で生きる理由として見つけたのが祖母だった。
「(弟が死んだ今、)もう一緒に暮らさなければいけない理由などなくなったのに、どうして離婚しないの?」
そう聞いた私の言葉に対して母が言った言葉は、
「だって、私が家を出たら、おばあちゃんが可哀想だから」だった。

祖母は嫌われ者だった。
息子&娘の誰も 祖母を引き取りたいと言わない そんな人だった。
息子&娘の誰も 祖母の世話をしたいと思わない 世話をしたいと思わせないような そんな人だった。
子供が嫌いで、孫を可愛がるどころか、孫と本気で喧嘩し、孫からすらも慕われない そんな人だった。

母の父親(私にとっては祖父)が母に言ったそうな。
「歳を取る それだけで 特に理由がなくても寂しいものだ。だから、優しく接してあげなさい」
その言葉を私に言い、「だから私は おばあちゃんの為に家を出ない」と言った。

他人が聞くと、母の言葉は慈悲深く聞こえる。

その祖母が亡くなった。
その時も母は燃え尽きなかった。
『自分が家を出ると可哀想』な祖母 が いなくなった。
家を出られない理由がなくなった。

祖母の次に母が寄生したのは、妹と妹が産んだ子供だった。
弟と、祖母と 同じように この家に『私がいないと...』と私に言った。


依存されることに依存している人は、依存してくれる人がいなくなったら、次の人を探せば、
そこがどこであれ、それが誰であれ、自分の居場所を確保できる。
誰かに依存し、寄生している母は、誰がいなくなろうとも燃え尽きなどしない。
自分が世話を焼くことができる次の人を探せば済む話で、
それが『特定の誰か』である必要などない。

そうか。
母は寄生して生きていたんだ。
弟を守ることで自分に価値を見出みいだし、
祖母の世話をする嫁として 自分の価値を見出みいだし、
孫の世話をしないだらしない娘の その子供の世話をすることで 自分の価値を見出みいだし、
「今更捨てるのも可哀想だから」と 憎んでいる夫の世話をすることに 自分の存在価値を見出している。

そして思った。
私は逃げられて良かった。

私が『うつ』の酷い状態の頃、母は内心喜んでいた。
子供のように自分に甘え、子供のように自分に抱きついてくれる娘(私)がいて、
自分が娘に必要とされていることに 本心は喜んでいた。
そして(たぶん無意識に...本当に無意識だろうか?)どれくらい治ったか?を試す為に、ワザと『うつ病の人』の話をした。
薄笑いを浮かべながら。
「その話題は 止めてくれる?」そう言う私に、
「ワザと話をしたんだ〜。どれくらい治ったかな?って思って」そう無邪気に母は私に言った。(本当に馬鹿な 怖い女だと思う。)

どれくらい治ったか心配で心配で と、『かさぶた』をがす、
一見親切で慈悲深く優しい人に見えて、実はとても迷惑な人。

一度母と和解しかけて、でも逃げることができた、私の野生の勘に感謝してます。


母は 燃え尽きない女で、
私はどうだろう?燃え尽きるのだろうか?
燃え尽きない、寄生虫の母にはなりたくはない。
letさんを人生の全てにしないこと。
たぶん そこが 重要ポイントだと思うんだけど。


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