★ 夏海の日記 ★

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2007年03月07日(水) 自傷行為 − 内容はヘビー級 −

内容が重いので、心の調子が悪い人は読まない方が良いです。
読み始めて ヤバイと思ったら、速攻に外に出て気分転換してください。
夜なら、外気に触れて深呼吸だけでも良いですから。

2007年3月7日 21:57

身体に傷を付けるのは、とても解りやすい。
(他人からも判りやすい)
出目金魚さんのHPには、『恋愛依存』と言う名の自傷行為と書いてありました。
自分の身体を他人に汚して貰う。
肉体的な温もりと引き換えに。

で、私は自分を傷付けていました。
それを知らずに。
そのことに気付かせてくれたのがteaの言葉でした。
「で、オイラに何て言って欲しいの?」


私は過去に流産したことがあります。
それは阪神淡路大震災の年。
たった一度のチャンスだった子供を守ってあげられなかった。

うーたんの実家の工場を手伝っていた私は、もしかして?と思い仕事を休んでいました。
重い物を持つのが仕事だったからです。
私の労働力を当てにしている義父の冷たい目を気にしながら。
家にいる主婦を「家で遊んでいる」と宣う義母にビクビクしながら。
妊娠反応があって楽になったか?
否です。
家族4人で一緒に食べた昼食後に、必ず義父にこう言われました。
「あんたが働かんで、忙しいわや」
そして、自分の母親は子供を産んですぐに畑に出た。
出産は病気やないんやでな と。
出産後すぐに工場に復帰しろ。
私にはそう聞こえました。
毎日毎日毎日。
うーたんが席を外し、義母が席を外し、台所で二人きりになったのを見計らって。

1ヶ月後、私は流産しました。
完璧にストレスが原因だと思っています。
今でも。

その日、友達の引越しを手伝う為にうーたんが出掛け、
義父母はパチンコに出掛けていて、家には私一人でした。
トイレに行くと出血があり、
タクシー?すぐ来てくれるだろうか?どうする?と悩み、
実家に電話を入れ、父に車を出して貰いました。
私が妊娠していることは、父には告げていませんでした。
宗教に溺れている父に、干渉をして欲しくなかったからです。
病院に着き、即入院。
そして。

絶対安静だと言われていなかった私はトイレに行き、
トイレの中に子供が出てしまいました。
そね感触と、この子を何とかしなければと言う思いと。
看護婦さんが処置してくれた子は、どうなったのでしょうね。
そのままトイレへ?
生ゴミとして?
その行方は分かりません。

私しか守ってあげることができなかったのに、
守ってあげられなかった。
もっと早く義父の毒から離れていたら、子供は助かったかも知れないのに。


子供が出て行くその感触は、生理の時の感触によく似ていて、
私は毎月その喪失感を味わわなければならなかった。
毎月毎月。
そして甥っ子が生まれ、祖母が亡くなり、
私は壊れました。



流産してから1ヶ月、
毎日毎日どうしたら死ねるかばかり考えていた。
ベランダから下を覗き込み、頭から落ちたら死ねるだろうかと、毎日考えていた。
たった2階から、どうやったら?
私が死んでもうーたんはこの家で暮らさなくてはならない。
部屋では死ねない。
馬鹿だね。
死んだ先のことまで考えてるなんてね。

私の子供が流れた夜、F1のパイロットのセナが激突死した。
翌日病室にやって来たうーたんは打ちひしがれていた。
セナが死んだと。
私はうーたんと悲しみを共有できなくなってしまった。
私は子供だけの悲しみを背負い、
うーたんはセナの死まで背負った。
まだ見ぬ子供よりも、目の前(TVだが)で死んだセナの方が現実味があり、
よりリアルに悲しみに浸れたのだ。

私は私だけで悲しみ、うーたんはうーたんだけで悲しんだ。

流産の翌日 処置(子宮内の残りを掻き出す作業)をされ、夕方には退院。
実家の母は、仕事があるからうちに来て貰っては困ると私を拒絶した。
自分が流産の経験があるにも関わらず である。
それも私と同じく義父母&小舅姑ズによるストレスが原因だったのだけれど。

うーたんの家に着き、開口一番義母が言ったのは、「向こうに帰ると思ったのに」の言葉だった。
料理作りが嫌いな義母は、私の世話などしたくなかったのだ。

私には帰る場所がなかった。

1ヶ月経ち、
このままでは死ぬしかない。
それならば逃げようと思い、叔母(ママ)の家に行く決心をした。
そのタイミングで工場を手伝えとうーたんに指令された。
両親が限界だと。
私が仕事をしないで家にいることを善しとしない義父母を、もう止めることができないと頼み込まれた。
馬鹿な私は手伝いを初めてしまった。
逃げれば良かったのに。



2007年3月8日 22:36

毎月私はあの感触を体験しています。
私の子供が胎内からトイレの便器へ落ちて行く感触を。
毎月毎月
私の子供と同級生になるはずだった甥っ子は、今年中学生になります。
12年間、毎月毎月。

私にとって、それは過去ではなく、毎月思い知らされる出来事であり、
その私の気持ちを逆なでするように義母は言いました。
「生理が遅れただけじゃないの?」(なのに大げさな)

義母にとっては、たった一度のたかが流産であり、
いつまで辛気臭く考え込んでいるのか理解ができないようでした。



ある日、私はteaに言いました。
私は毎月毎月流産を追体験しているのだと。

それに対してのteaの言葉。
「それで?
 それで夏海さんはオイラに何て言って欲しい訳?
 何て言われたら気が済むの?
 可哀相にって同情したら気が済むの?」

私が目が覚めた瞬間でした。
過去はなかったことにはならない。
流産によって失ってしまった命は二度と戻らない。
生理は毎月来て、
『その感触』に意味を与えてるのは私自身だった。
その感触を味わい、過去に浸って自分を傷付けていたのは私自身だった。

私は自分をナイフで傷付けたことはない。
だけれど、毎月毎月自分の心を痛め付けていた。
毎月毎月。
10年以上の間

私は私の意思で、自分を傷付けていた。
それを自傷行為だと言わないで、では何と言うのだろうか?
teaの冷めた一言で私は目が覚めた。

過去はなかったことにはならない。
でも、私には私を幸せにしてあげる義務があり、
幸せになる権利がある。
一人上手よろしく、自分で自分を痛め付けている時間などない。
そう気づくことができた私は幸運だった。

蟹さんが言っていた、「自分をいじめないであげて」の意味を、
やっとこの時理解した。

自分苛めしていないですか?
過去はなくならない。
でも未来は作ることができ、変えることができる。
一緒に幸せになろうね。


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